広田尚敬さんの汽車の写真。70年代初めの札幌暮らしには蒸気機関車(2009.10.23)

2009-10-23 16:13:05 | Weblog

*広田尚敬さんのC62、子ども向け<絵本;れっしゃ>より。

  昨日(9月22日)の日経文化面に、鉄道写真家の広田尚敬さんの原稿が載っていました。
 最近、<ニコンFで撮った蒸気機関車の写真集「Fの時代」>の出版広告を見ていて、たぶん買うだろうな、と思っていたところだったのです。

*左;日経09年10月22日付文化面。右;こども向け<れっしゃ>広田尚敬著、1969年、フレーベル館発行、300円。中;広田尚敬さんの写真展で配られた豆本(1973年11月)。

 1970年7月から北海道・札幌の大通り公園のすぐそばに、3年ほど住んでいました。 その頃生きていた人は、誰でも、大なり小なり、汽車、蒸気機関車に特別な思いを持っていました。
 あの汽笛もそう、コレに乗れば遠くへいける、遠い旅への思いみたいなものです。SLマニアだとか、女の子の鉄道好きへの最近の呼び方<鉄子>だとか、そういったわざとらしくなくても、昔は、誰でも鉄道好き、汽車好きだったのです。

 日本中を走っていた蒸気機関車が、ディーゼル機関車や電気機関車に取って代わられ、まさに最後の地、最北の北海道だけ、走っている状況だったのです。
 そういう時、北海道に住んでいて、カメラ=ニコンFをもっていて、ずっと北海道内を旅していた私は、蒸気機関車を見るとシャッターを切っていたのです。

 C62が好きでした。蒸気機関車も明治以来、だんだん大きくなってきて、その最後、最も大きかった蒸気機関車、C62型でした。私が札幌に住んでいた頃、C62は、函館=札幌間で、<急行ニセコ>ひっぱっていました。
 それより、ずっと前、私が子どものころには、山陽本線を走っていました。私には遠くから眺める汽車という風景はありません。汽車なんか走っていない山の中に育ったのです。
 山の中に暮らし1年に1度くらい、山陽本線笠岡駅のホームで、接近してくる見上げるほど大きなC62蒸気機関車、その大きさ、力強さ。夢幻に引き込む真っ白い蒸気に包まれて、憧憬の思いを持っていました。

 蒸気機関車写真集が何種類も本屋に並んでいても買うことはありませんでした。
 ただ、雑誌に登場する<広田尚敬さんの汽車の写真>は好きでした。ちゃんとした広田尚敬さんの写真集は持っていませんが、その頃、広田さんの本は2冊買っています。唯一私の思いに近いような、写真だったのです。

*SL夢幻、広田尚敬著、1975年、読売新聞社発行、3000円。
*前;SL賛歌、広田尚敬著、1975年、蝸牛社発行、1500円。

     【おまけ】

* その頃、東京の大学生の夏休みの過ぎし方に、リュックを背負って北海道を列車で移動し、駅で寝泊りする旅がありました。リュックが横長のキスリングであったこともあって、蟹のように横になって歩いていたので<カニ族>と呼ばれていました。ユース・ホステルなんかで、こちらが<札幌から>と話すと、皆、羨ましそうでした。

* 年中、道内を旅していました。それから30年たって、息子が、夏休みにバイクとテントで北海道一周20日程の旅に出るとき、推奨見物先、テント地、ユース・ホステルなんて、計画にも得意満面で参加できました。

* 今、そんな貧乏旅行を考える学生もいないでしょうか。北海道が遠くでなくなったのです。国内には、遠い旅がなくなってしまったように思うのです。