春日部は武蔵野国で、旧庄和町は下総国。文化圏が異なっていたよう(2012.12.19)

2012-12-19 23:00:45 | Weblog

    ↓この下あたりが関宿城。右下(東南)に太く流れているのは利根川です。

*天保年代の下総国絵図(今の千葉県北部)左上を虫めがねで見ると旧庄和町地域の集落が読めます。

  住んでいる所、今は春日部市です。春日部市の多くは低湿地埋め立て地で、春日部市役所が作ったハザード・マップでも指摘しているように、決して安全な地ではありません。

 関東平野の真ん中のエリア、地図で一般的に緑色になっている平野エリアはどこも良くない。縄文時代は海の底ですし、その後、川がどこを流れているかわからない低湿地です。江戸時代に、田んぼに開墾された荒れ湿地で、40、50年前に宅地に造成されたのです。

 江戸時代以来のことでいいから、この地はどんな状態だったのか。川はどこを流れていたのかを知りたいと思っていました。旧庄和町教育委員会、春日部市教育委員会が、市民向けに売り出している<史書>も、人と治世を中心に書かれていて、よくわかりません。

 

*野田市市民会館

 先日(17日)、野田市のキッコーマン醤油の祖・茂木佐平治家の旧宅=現・野田市市民会館に行きました。そこに、一般人が誰でも閲覧できる、野田市関係の書棚がありました。そうして以前に、同敷地内にある野田市郷土博物館で、<野田の古地図>展が開催され、その図録<江戸時代の野田をいく=古地図にみる「むら」の景観>が発刊されていること知ったのです。

 職員さんに聞くと<まだ残部があって1200円です>と。それで一冊買ってきました。

 
 例えば、襖(フスマ)一枚の大きさの絵地図が、図録ではA4版で載っていて、虫めがねを使っても見えない文字を読んでいます。

 これが、なかなか楽しい。これを機に、本気に調べてみたいと思っています。
 
この度、知ったことではありませんが、旧庄和町は下総国、春日部市は武蔵国が明確です。その境は川です。たぶん、その川は中川でしょう。中川は、旧庄和町と春日部市の境の川です。むろん江戸川ではありません。江戸川は、江戸時代に下総国の台地を掘って、細い川を広げ、沼をつないだ、いわば運河です。明治時代になって千葉県と埼玉県の県境にしたのです。 

*左の□が関宿城です、上部を右に流れているのが利根川。右下に流れているのが江戸川。江戸川の下側に、旧庄和町の集落が描きこまれています。その下の国境が川=中川(その頃は、庄内古川、いや古川はないですね、庄内川?)です。

 

 私の住む、南桜井駅周辺は、旧庄和町の中のわずかな台地です。千葉県から、西に広がる下総(しもふさ)台地の西の端です。さらに西は、低湿地(田んぼ)を経て、春日部市(武蔵国)になります。

 下総国のことですから、武蔵国の春日部市教育委員会の収集にはないかもしれませんが、見せてもらいたいと思っています。
 
国(藩)が違うということは、文化も違います。これもよく言われていることですが、下総国(旧庄和町)は香取神社の勢力圏、武蔵国(春日部市)は氷川神社の勢力圏です。
もちろん、国境エリアです。ふたつの文化が混在しているでしょうが。

 

【おまけ】

*旧庄和町=庄内領、江戸時代は関宿城下、明治になっては、キッコーマン城下町の野田の文化圏だったように思うのです。低地は民百姓の集落(村)、台地は栗林の地で人の住んでる地域ではなかったのでしょう。その未開発地を狙って?整地し、東京の精工舎が疎開してきて軍需工場を作ったのでしょう。

 

 


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4 コメント

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Unknown (旧春日部市在住です)
2012-12-20 15:28:13
ハザードマップなどは見ていましたがあまり土地の歴史については調べたことがなかったので大変参考になりました
中川というのは(春日部での)規模以上に大きな意味を持つ川だったんですね
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川のある街ですが。 (f(旧春日部・・・さんへ))
2012-12-20 23:15:14
春日部の川は、古代より、自然に変化し、治水により、動かされてるようですね。
旧のつく川がいくつもあります。それはそれでおもしろい。
古利根川だけが、春日部の川ではないのでしょう。
(f)
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旧春日部も香取神社 (N妻)
2013-01-03 18:39:20
こんにちは。いつもお世話になっています。
日にちが経ってからのコメントですみません。

楽しそうな地図を入手しましたね!
思い出しましたが、庄和地区は方言学から言ってもたいへん面白いらしいです。「特殊アクセント地域」というくくりをしていた書物を見た記憶があります。金田一春彦のアクセント辞典だったかな。川で隔絶されていたからでしょうか。

ところで、旧春日部地域は氷川神社ではなく、香取神社の勢力地域です。中世までは「古隅田川」が古利根川の主流で、武蔵国と下総国との境だったからです。今ではあんな細い川ですが、相当に大きい川幅だったようです。中世までは、現春日部でいうと、内牧地区だけが武蔵国で、それより南側の春日部は下総でした。
その後、江戸期に入るころまでには古隅田川は細くなってしまい、国境が変わり、春日部も武蔵国となったらしいですが。
今でももちろん、春日部西部の増富や大増地区には、香取神社があります。(^_^)
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賀春・・・です。 (f(N妻さんへ))
2013-01-04 10:40:03
下総と武蔵の境界の川は、中川=庄内川は、大日川と呼ばれていた川で、庄和町の南あたりから、今の江戸川を流れていたようです。そこから上流の現江戸川は、大地を掘削して新たな流路としたようです。このへんのこと、現関宿城の博物館の展示があるでしょう。
香取神社域は、Nさんのいうとおり、東から中川まででなく、もう少し西へ、春日部の一部を含んでいることが正しい。それから西は、すぐに氷川神社域でなく、その間に<細く>久伊豆神社域がありますね。
歴女さん!の目に留まり、うれしいですよ。
方言、アクセントの話は、初めての知識です。
この頃、アクセントは気になりませんが、庄和町に越してきたころには、地域に独特の語尾アクセントがあって、それが、ウチのバンドのアルトサックスさん(利根川の向こうの岩井出身)とそっくりだな、と思っていました
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