薬師寺、玄奘三蔵法師の遺骨から近所の岩槻・慈恩寺へ(大阪奈良感傷旅行④)(2010.10.2)

2010-10-02 22:52:28 | Weblog

*薬師寺西塔、天平時代のまま。

 この旅行の最終日=戻る日には、奈良に行きました。
 奈良では、中秋の名月の夜の唐招提寺、平山郁夫のエベレストの絵を見るために薬師寺を予定していました。

 平山郁夫さんが、昨年お亡くなりになった時に、玄奘三蔵法師の仏典を求める旅を思う一連の絵のことを、このブログに書いています。<ここクリック>
 薬師寺に納められているその絵を見たいと思っていたのです。

*入場料払ったらもらえるパンフ(左;40年前、右;今)

 薬師寺には、40年程前に一度出かけていました。“古寺巡礼”をしていた頃で、天平の古寺でした。聞いてはいたのですが、すっかり変わって“竜宮城”になっていました。出かけた日の前夜にも、境内でAKB45(?)のショーがあったらしく仮説スタンドを片付けていて、まるで伽藍はイベントのパビリオンのようでした。

 それでも、日光菩薩、月光菩薩を拝んで、境内最奥部の玄奘三蔵院伽藍に向かいます。平城遷都千三百年の今年は通年公開しているようです。

*玄奘三蔵院伽藍

 玄奘三蔵法師像に手を合わせ、大唐西域壁画殿で、平山郁夫の壁画で玄奘三蔵法師の求法の旅をたどります。

 最初の絵は、“明けゆく長安大雁塔”です。長安(西安)の“慈恩寺”に立つ塔である。13枚の壁画の真ん中に、今日の目的の“エベレスト遠望”の絵がありました。
 むろん、よく知っている絵ですが少し感動を覚えました。

*タイトルは「西方浄土須弥山」

 もう10年近くになるのですが、2002年10月11月とネパールを歩いている中に、初めてこの絵の同じエベレストを見た日のことを思いました。

*私の写真、左の雲のかかっているところがエベレストです。

 仕事をやめ、自由を取り戻した時にまず思ったのが“エベレスト”見ることでした。
 カトマンズからルクラに飛行機で飛び、そこから3日歩いてナムチェバザールで初めてエベレスト見ます。翌日シャンボジェの丘の上で丸一日、この風景と対峙していたのです。そして各国の登頂隊が高所に備え身体と荷物を整えるタンボチェまで足を伸ばしました。

 山は常に信仰の対象です。富士山もそうでしょう。信仰世界には、須弥山と呼ぶ聖なる山、聖山があります。遥か彼方に、その山を求めるのです。日本からは、唐(カラ)天竺(テンジク)、中国・インドの彼方の山です。玄奘三蔵法師は、仏法伝来の道をたどり原点をめざしたのです。シルクロードという通商の道に開けることになる道なき道です。楼蘭、タクマクラン砂漠を越え、そうしてヒマラヤを大きく迂回して釈迦の国インドに至るのです。

 道中の思いは、常に須弥山を目指していたのです。須弥山が、固有の山でなくても、どの山であってもいいのでしょう。平山郁夫は、須弥山をヒマラヤの山々として描いています。そこにエベレスト(中国名でチョモランマ、ネパール語でサガルマタ)の名は書いていませんが、世界最高峰のエベレストを須弥山にしたのです。

 私自身は、仏教徒もヒンズー教徒も崇める聖山、チベット奥地のカイラス山(カンリンポチェ)こそ須弥山だと信じています。五体投地しながら行けるかどうかわかりませんが、まさに冥土の旅として出かけようと思っているのです。もう体を壊しているのですが、それでも、時に、行こうと思うのです。
 カイラス山のことも、ブログに書いています。
<ここクリック>

 ついでに、私もまた、シルクロード・楼蘭への旅に出かけたいと思っていました。<ここクリック>

*右;売店で買ったパンフレット800円、左;平山郁夫と玄奘三蔵法師ものがたり、平成13年1月、生活の友社発行

 薬師寺の売店で買ったパンフレットを読んでいたら、なんと1800年前の玄奘三蔵法師のお骨が、ここに薬師寺の真新しいお堂に安置されていると書いていました。
 遺骨は、先の戦争中に、南京で日本軍が見つけ、日本に送られ、岩槻市の慈恩寺にあること。そこから新しい薬師寺のために分骨したというのです。岩槻市の慈恩寺はウチから車で30分ぐらいの所です。確かに玄奘三蔵法師の遺骨の話は聞いたことがありました。
 岩槻の慈恩寺に出かけたことはありません。近いうちに出かけなければと思っているのです。

  【おまけ】

*玄奘三蔵法師のお骨が岩槻市の慈恩寺にあることについては、お寺のホームページが書いています。<ここクリック> そして、“三蔵法師の所”を選択クリックして下さい。

*遺骨の話、日本での経緯は、もう少し詳しく読んでみよう、と思います。


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