朝日ジャーナル<怒りの復活>号を買いましたが・・・・(2009.5.1)

2009-05-01 20:02:53 | Weblog

*この書棚の前で、立ち読みすることは少々恥ずかしい。2009年4月中旬、TSUTAYA南桜井店で。

 このブログを休載していた間は、ほとんどパソコンも立ち上げず、ひっくり返っていて、寝ているか、新聞を読んでいるか、だったのです。

 新聞、むろん朝日新聞に、朝日ジャーナルの<緊急増刊>の広告が載っていました。発行の日は、いつのことだったか忘れました。4月中旬でしょう、すぐに駅前のツタヤに買いに行きました。

 表紙に<怒りの復活>と印刷されています。未来に夢の持てる社会が崩壊してしまったと感じていて、また<私>の現状の立場もあって、ぶつける相手もなく、メディアが代弁してくれることを期待していたのです。
 <夢が持てた時代>にずっと、私の身辺にあった朝日ジャーナルの<怒りの復活>に期待したのです。

 週刊誌・朝日ジャーナルは、1959年に創刊。60年代、70年代には、<左手に朝日ジャーナル・右手に少年マガジン>と言われたらしいのですが、そんなのは、後になって懐かしんでの言い方でしょう。ましてや、私にそんな状態があったわけではありません。ときどき駅の売店で買うといった程度のことです。
 それでも、社会の動きは、朝日ジャーナルのメリハリのきいた論調から感じていました。

*左;最終特別号(1992年5月29日発行)330円。右;創刊50年怒りの復活号(2009年4月30日号)490円。

 1992年5月29日号で、終刊(休刊)になりました。

 <怒りの復活号>は、たちまち2刷3刷と増刷されたようですが、私を満足させる記事はありませんでした。 この社会、どうして<希望のない>、特に若い世代が<将来の夢を描けない社会>になってしまったのだろうか。
 この半年の間、そんなことを思いながら暮らしてきて、どうやら明確な回答がわかってきたように思えるのです。
 そのことの確認が<怒りの復活号>でできなかったのです。

 振り返ってみれば、大きな社会の変化なのですが、毎日毎日、毎年毎年では、ほとんど変わりのない連続した月日の流れなのです。
 しかし、私ら小市民は気づかないけど、着実に変えていく<大きな戦略><政治政策>が根本にあったのだと、この頃思うのです。
 私らには、振り返ってみれば、<そうだったのか>と思うだけです。

 私の生きてきた時代だから、歴史といえる程の長さではありませんが、振り返って思い出してみることができます。そうすることが大切だと思うのです。

*厚さは6センチ。1993年4月1日発行、3000円。

 振り返ってみる手段のひとつに、<朝日ジャーナルの時代=1959~1992>があります。休刊時に、発行された増刊号です。新聞のスクラップと同じように、当時の朝日ジャーナルの重要記事が、同じ体裁で読むことができます。その時々の、記者・寄稿者の原稿がそのまま読めるのです。
 少しめくってみようかなと思っています。

 どのようして、この社会が悪くなったのか。米国と日本の、ロン・ヤスという蜜月時代の政策がきっかけだったように感じています。
 そうして、社会のすべてに影響を与えた経済戦略の基本にあるものは、結局、私が小学校の頃に学芸会でみた<ユダヤの商人>(原作はシェークスピア)なんだと、思い起させるのです。

       【おまけ】

*朝日ジャーナルの復活号の編集後記。

*朝日ジャーナル<怒りの復活号>には、最後の最後のページになって、やっと朝日ジャーナルらしい記述がありました。副編集長の編集後記です。ここに転記するよりは、写真を載せる方がいいでしょう。 読んでみて下さい。