ホテル・カリフォルニアのホテルへ(ロスアンゼルス3日間・給付金の旅④)(2009.5.7)

2009-05-07 12:30:05 | Weblog

*これがホテル・カリフォルニア。

 サンタモニカは、シカゴから西をめざした<あのルート66>の終点です。
 オムレツを食べて、サンタモニカから東へ、ルート66を東に走ります。ロスアンゼルスのロードマップに、ルート66が明確に書かれているわけではありません。今では、サンタモニカ・フリーウェイが幹線でしょう。寄り道しながらの私らは、<した道>サンタモニカ・ブールバードを走ります。

 サンタモニカ近くに、<ルート66>の表示を見つけて、写真を撮りたいと、あとで探したのですが、わかりませんでした。時間のない旅です、急ぎます。

 <定額給付金は使わなければいけない>という国政レベルの発言の頃、息子がロスアンゼルスに行こうか、と誘ってくれた時に浮かんだのは、<ホテル・カリフォルニア>のホテルへ行ってみよう、だけでした。つまり、この短い旅の唯一の目的は、<ホテル・カリフォルニア>、ビバリーヒルズ・ホテルでした。
 レンタカーでなければ、ちょっと行く気にもならないでしょう。

*ここだ、ここだ、おんなじだ。

 サンタモニカ・ブールバードから、ビバリー・ドライブを左(北)に行けばすぐです。道路端に車を停めて歩きます。レコード・ジャケットと同じ風景です。何しろ超高価ホテルですから、勇気を出して接近します。午後3時頃です。暇そうな数人のホテルマンが、玄関に立っています。

 息子が尋ねます。<シュアー>と笑顔です。
 ロビーに入っていきます。ジャケット裏面と同じロビーです。7,8人の外人(!)のおばちゃん観光客が写真を撮り合っています。
 すぐに<もういいよ>と、写真も撮らずに出ます。

*レコード・ジャケットの中面。

 ホテルマンに、<スピリットというワインは置いていますか?>と聞いてみればよかったと、車が走り出してから思ったのです。
 ホテルマンは、<ホテル・カリフォルニア>の一節を歌ってくれたのかもしれません。

 60年代後半から70年代の初め、カリフォルニアは、夢のカリフォルニアだったのです。若者は、自由とPeace&Loveを求めてカリフォルニアをめざしたのです。
 私もまた、1978年に、初めてアメリカに出かけました。その年、ヒットしていたのが、イーグルスの<ホテル・カリフォルニア>だったのです。

 その歌詞が泣かせるのです。<今ごろ、自由と愛を求めて来たって、もうそんなスピリットなんて、何にもないよ>なのです。
 <ようこそ、ホテル・カリフォルニアへ。“1969年からというもの、スピリットというワインは、一切置いてございません”>

 それから、息子の希望の<店>に2、3軒よりながら、今夜の宿泊地、パサデナ(Pasadena)に車を走らせます。ルート66を東に、なのです。

 夜、食事に街を歩きました。古きよき時代の街並みでした。パサデナも、ルート66の宿場街なのです。

*夕刻のパサデナに、パタゴニアがありました。

*食事の後、Cofee-and-Booksの看板を見て入ってみました。ギターの弾き語りをやっていました。

 息子の目的は、パサデナのローズボールで開かれる、全米最大のフリー・マーケットに行ってみることだったのです。開催日は、毎月第2日曜日、いよいよ明日です。