この週末11月7日(土)はジャズディ春日部の第10回記念に期待(2009.11.5)

2009-11-05 20:35:15 | Weblog

 ジャズディ春日部、今回は10回記念で、スペシャル・ゲストがビッグバンド・ジャズになります。しかも、エンターテイナー・トランペットの木幡光邦さんがビッグバンドを率いて登場です。

 11月7日(土)は、お天気も良さそうです。開演は12時~5時。会場は、春日部市の中央第4公園(春日部駅西口徒歩5分)です。

 もう10年も前、旧庄和町の正風館で、角田健一ビッグバンドに来てもらったときのリード・トランペットが木幡光邦さんでした。その後、原信夫とシャープ&フラッツなど参加、私も出かけていました。ジャズディ春日部でも、コンボバンドで出演してくれています。
 今回は、ビッグバンドを率いて登場です。木幡光邦&923ビッグバンドです。構成メンバーも楽しみです。誰が入っているんだろう。豪快かつ陽気なステージになるでしょう。

 ホストバンドのドリーム・スイング・キングダムもますますの自信のステージでしょう。

*朝日新聞2009年10月26日付朝刊

 地元の春日部共栄高校吹奏楽部も、この秋、吹奏楽部の甲子園=全国大会=普門館(ふもんかん)で金賞を受賞して、その凱旋公演にもなります。とはいっても、層の厚い共栄吹奏楽部です。コンクールを目指す**組と野球応援の**組の二層構造のようです。3年生は引退時期でもありますが、格調の高い演奏を期待しましょう


ウィーンへ向かう列車からの絵はがきは、サウンド・オブ・ミュージック(2009.11.5)

2009-11-05 11:09:41 | Weblog

*メールより絵はがきがうれしい。

  見知らぬというか、地球旅人・まゆみさんから、旅日記が届きました。10月21日発信で11月2日受信です、10日もかかっています。
  アメリカ・サンフランシスコからカナダ、アイルランド・イギリス・イタリアから旅の途中に、日本語環境のパソコンのある所からは、このブログへのコメントで、ない所からは、絵はがきが届きます。
  いつもなんとまあ、自由な日々、羨ましき地球旅人と思いながら、楽しみに読んでいます。このブログにコメントをもらって、まゆみさんを知ったのは6月頃だったから、もう5ヶ月以上も旅を続けていらっしゃいます。

 2009.10.21(水);ザルツブルグ→ウィーンに向かう列車の中で。
*この映画はテレビでみました。

  <全く日本語が読めない環境になりました。ザルツブルグの街に入るまで、サウンド・オブ・ミュージックの映画の舞台だったことをすっかり忘れていました。ユース・ホステルの上映会で毎晩みることができ、ザルツブルグの街のあちこちが映画のシーンに次から次にあらわれ、みんなエーデル・ワイスやドレミの歌などを口ずさみながら鑑賞。アルプスの山々も雪景色となり、私も地元の人達の仲間入りして、帽子と手ぶくろを身につけ、街を歩き回りました。
  白くてかれんな花エーデル・ワイスをはじめて知りました。どんな花か知らずに歌っていた自分がはずかしくなりました。それ程、私のイメージとかけ離れた花だったのです。
  モーツアルトの生家と住居のある街でもありまして、チョコレートの包み紙までモーツアルトです。オーストリアの人々は英語を話すのでとても助かっています。私のおすすめの街・ザルツブルグと、インスブルッグのイタリアとの国境を越えたら季節が冬に変わりました。次は、ヘルシンキです>中村真弓。

   【おまけ】

* この間、春日部市立図書館で<地球の歩き方・ヨーロッパ編>を借りたのは、この絵はがきの影響ではありません。私が図書館に向かったと聞いて、息子がケイタイに電話してきて<借りてきてくれ>だったのです。息子の貧乏旅行には、ヨーロッパは、今寒いだろうな、と思います。着るものをもって行くだけでも大変です。長い冬の夜、を、モーツアルトの音楽会とあったかい食事で過ごす、ヨーロッパの習慣は、貧乏旅行の息子には似合わないでしょう。

* ちょこっと自慢?およそ1ヶ月ほどいたヨーロッパは、英国・ロンドン、オランダ・ヘーレンです。ハードな(?)仕事の日々でした、念のため。

*10年ぶりに出してみました。

* 自称山好きでした、ヨーロッパ・アルプスも見ています。スイス・ツェルマットに2泊。マッターホルンを見ながらハイキング。登れるなと思っていましたが、そんな休みのとれる時代ではなっかったですね。とにかく<やってきた証拠に、山小屋できれいなバッジを買いました>、日本アルプスも山バッジを買うのが目的で登っていました、たぶん。自慢?のコレクションは、<ここに書いています>


秋晴れの春日部庄和の田んぼ道を歩きながら、農家はいいなあと(2009.11.3)

2009-11-03 10:40:24 | Weblog

*ウチの近所の農家さんは、どこもこんな感じです。

 ちょっと事情があって、町の社協(正確には?社会福祉・・?)に出かけ、ついでに最近サボっているリハビリにまわりました。町のはずれにあるのですが、今日はクルマでなく歩きました。

 秋晴れです。稲刈りは9月中旬には終わってしまっています。稲かぶ、機械で刈り取るから、<雑な>刈りあとです。私ら、すでに戦力であった小学校高学年時代から、もっと地面すれすれに、ザクッと刈っていました。その頃は、稲わらも重要な資源でした。

 のどかな田んぼ道を歩きます。もうあぜ道とはいえない舗装道路です。農家のおうちは、大きなオウチです。周囲に繁った木々です。このぐらいの広さがあるといいなあ、です。まあ、私ら、新興住宅民は、そんなオウチの敷地の一部を買ったのです。がんばって生きてきたのですが、しようがない、のです。

 道々、野の仏など見ながら、のんびり歩きます。もう急ぐ必要のない、急ぐ意味もない日々なのです。

 この地に、家を買って30年です。ご近所、田んぼや畑だらけだったのですが、そこで採れる野菜もいったん東京に出て、戻ってきたのをスーパーで買っていたのです。たぶんそうでしょう。直接、買うことができたら、鮮度もコストもいいのになあ、と思っていました。でも、まあしょうがないのです。

 この頃、この2,3年でしょうか、農家のオウチに、農作物の直接販売が目に付くようになったのです。農協制度でも崩壊したのでしょうか。農業委員さんたちとか、国の農業政策の考えが変わったのか、よくわかりません。

*もう、有機肥料の栽培は普通のことのようです。

*元、ウチらの区長さん、町会議長さんのオタクも、最近お米の直接販売所を始めました。

     【おまけ】

*もっと小さい農家さんの庭の端でも、無人野菜販売です。1束100円。どのうちでもやっています。おばあちゃんのお小遣いになるのでしょう。

*春日部市役所は、今、庄和地域の市街化区域内の生産緑地地区指定をはじめています。税金が関係するようですが、なんのことかよくわかりません。生産緑地地区は、災害の防止や、農業と調和した都市環境を計画的に保全することを目的とした制度、と市役所は発表しているようです。


この娘は面接試験ではねられると春日部市立図書館で思った(2009.11.2)

2009-11-02 09:48:22 | Weblog

*春日部市立図書館で、地球の歩き方<ヨーロッパ編>などを借りました。ほんとにヨーロッパに旅するなら買います。

 昨日(11月1日)、日曜の朝、久しぶりに春日部市立図書館に行きました。とり急いで借りる本があったからです。

 入り口近くに、<図書館の本を大事にしよう>と、注意するコーナーがありました。本を痛めている例、傷められた本が陳列されていました。ひどいなあ、とほんとに思いました。

*ずばり<こんなことはしないで下さい>と書くべきでした。

  その気分で、<図書館の本は大事にしましょう>を、皆さんに伝えます。

*一番ひどいなと思ったのがこれです。必要なページをビリビリと<わからぬように>切り取る例は、ここにも展示されていましたし、遭遇したこともあります。いいことではありません。がもっとひどいのがこれです。わかりますか、右下の本の柿の写真がひとつだけ切り取ってあります。私らと同年代の<元紳士>を想像します。いい大人のすることではありません。

*次がこれです。ピンクのフェルトペンで線がひいてあって、書き込みがあります。ここでは読めませんが、この本、履歴書の書き方、自分の魅力をアピールする方法、にマーキングです。書き込みの書体から思うに、きっと、きれいな女子高生か女子大生さんでしょうか。就職きびしい状況だから大変でしょう。でも。心が美しくないから、笑顔を作っても、面接者は見抜きます。

  それにしても、こんな話は、1回読めばいい話でしょう。わざわざ線を引いて、書き込みまでしています。レポートにまとめる宿題もないでしょうし、試験に出るわけでもないでしょう。
  きっと、なかなか就職が決まらないのでしょうね。

    【おまけ】

*図書館もすっかり寒々しい季節です。

*この頃、本を読むということが変わってきたのだと思います。ちゃんと机に座って、表紙からゆっくりめくって、最後まで読んでいく。そういう風でなく、あんちょこに、必要な記述だけを探し、ちょっとした情報にする、まる写ししてレポートとして提出する。他人のことはいえません。私もだんだんそうなっています。

*だから書物がインターネット検索に負けるのです。大学の授業レポートに書物はいりません。インターネット・コピペで十分です。考えることもいらないかも知れません。

*書き写すなんてことは、バカバカしい。図書館にも10円コピーがあります。A3版10円ですから、2冊を同時平行にコピーすれば、4ページが10円、2冊の本を各10ページコピーしても50円です。コピーできるコンビニはどこにでもあります。それでもなお、図書館の本を切り取ったり、書き込みをするのかー、と思います。

*書店で、本をケイタイで写真に撮ることが問題になっていましたが、図書館ならOKでしょう。実はダメなようです。図書館内でのコピーはOKですが、写真はだめなようです。


2日続けて遠路のヨコハマに、お昼の伊勢崎町ブルースぶらぶら(2009.11.1)

2009-11-01 09:50:32 | Weblog

*伊勢崎町モールを歩きます。

 昨日(10月31日)に、またヨコハマに約束を持っていたのです。そもそも、2つの約束が、同じ日の午後と夜だったので、OKしたのですが、開けてびっくり別の日だったのです。
 今日もせっかくヨコハマまで出かけるのだから、名所旧跡、観光見物と思っていたのだが、目的がないものだからズルズルしていて、横浜関内駅についたのが、2時頃。

*伊勢崎町ブルースの歌碑があった。ピアノの形、楽譜もあって青江美奈さんも永遠に記憶されます。

 別にどこに行くあてもなく、今日は昨日と逆に裏手、伊勢崎町側に出たのです。伊勢崎町ブルース=青江美奈の伊勢崎町です。忘れたほど昔に一度歩いたことがあります。その時は夕刻でしたが、今日はお昼。ともかく伊勢崎モールを歩きます。
 かすかな目的であった<かすかな記憶の古レコード屋>は空き地になっていて、その先にあった、なかなかよかった古本屋をのぞき、一本裏の道をもどる。ややピンク色な通りなのだが、土曜の日が高い時間、けだるさが漂います。

*古書店・なぎさ書房

*懐かしいたたずまい映画館<JACK-&-BETTY>

 ついでに、野毛の方も歩いてみる、誰でも知っていたジャズの店<ちぐさ>がクローズの新聞報道されたいつだったでしょうか。去年だったかなあ。なんとなく、今、シカゴで歌っているブルースシンガー野毛洋子さん(私のいた新聞社で仕事しながら歌っていました)を思い出します。

 ここは、やはり夜の街です。そして、あの<ロンドン>の所から、昼の桜木町駅に出ます。

 まだまだ時間がある。連休のにぎわいに乗って日本丸の方に歩きます。帆船日本丸全貌の写真を撮ろうとしたのだが、どの方向からレンズを向けても必ず周囲のビルが入ってしまう。前に来たときはそんなことはなかった。巨大なビル群がいつの間にか建ったのでしょう。太平洋に乗り出す日本丸の雄姿のイメージは消えてしまった。
 その一つ、ランド・マークタワーに入る。初めてです。ハローウィンの仮装をした子ども達がちらほら、仮装してくると<おみやげ>がもらえたらしい。

*一曲だけ聞いていきました。いつも、がんばれ・・・・・君の心境です。

 今日の約束は6時、横浜駅前の居酒屋です。まだ時間がある。どこかでコーヒーでも飲めばいいのに、そんな気持ちになれず<タワーレコード>と<黒沢楽器>で買う気もないのにギターを物色しながらつぶす。


何年かぶりでヨコハマに。ニュースパーク界隈をぶらぶら(2009.10.30)

2009-10-30 21:52:14 | Weblog

*横浜情報文化センターにある新聞博物館。関内駅そばの横浜球場から日本大通りを海のほうに歩いて、右側です。

 横浜で会う約束をしてしまって、遠路、ヨコハマへ出かけました。
 日本の新聞の発祥の地はヨコハマです。
 10年~15年ぐらい前に、仕事というか、あるプロジェクトで、かなり頻繁に横浜にでかけていました。
 約束の時間を1時間ほど早めについて、その頃にでかけていたニュースパーク(新聞博物館)界隈をぶらぶらしてきました。

 今日は、そのカメラ・スケッチです。

*1階ロビーにある、その昔に静岡新聞社で使われていた新聞輪転印刷機、正確には、その一部。

*いつも見なれていた光景です。

*今日も、ここでランチ、洋食の梅香亭(ばいこうてい)。ガラスに、English Spokenの文字。

*ハヤシライスが定番でしたが、今日は、オムライス。この頃、よくオムライスを食べます。でっかいオムライスでした。大正時代から変わらない洋食屋さんです。決してスマートではないけど、ほっと一息つけます。

*パタゴニアにも、よく寄っていました。今日も、何にも買うつもりもないのに、ぶらりと立ち寄ります。

*ずーっと前から、ここで、米国の環境保護運動や日本で<エコ活動>を続ける皆さんの行動のパンフレットやチラシを拾って、刺激を受けてきました。今日も<川辺川ダムはいらん!>です。

 今日、界隈ぶらっと、オムライスも食べて、たったの1時間の横浜散歩でした。


春日部グルメ情報;秀子食堂という名もいい、ちょっといいお食事処(2009.10.29)

2009-10-29 16:19:36 | Weblog

*駐車場の心配もいりません。

  日々の行動範囲が限られていると、どこかいいレストランはないかなあ、と思うことがあります。むろん、その時シチュエーションもいろいろです。
  ただしこの年齢になると、おしゃれして、きどって食事なんて残念ながら、もうない。

 昨日(28日)、いつもの<家人>と、先を急ぎながら<どこかで>食べようということになったのです。
 ずっと前に、知人Rikaさんがブログで紹介していたことを思い出して、やまだ電気で<プリンタのインク>を買う必要もあって、そこに車を停めたまま、でかけたのです。

 秀子食堂です。名前が実にいいのです。
 この気取りのなさが最高です。田舎の船乗り場、波止場近くにありそうな名前です。郷愁を誘います。
  春日部市場の隣です。市場食堂の名も持っています。市場食堂の名には、新鮮な魚が思いうかびます。

*営業時間午前6時ー午後2時までに注意が必要です。

  ガラガラと引き戸を開けて入ります。 12時すぎで、テーブルは、ほぼ満席状態です。合い席に遠慮はいりません、当然です。はばかるようなカップルはいません。
  タオルのねじり鉢巻にいちゃんやネクタイさん、みんな労働者諸君という風情です。

 回転が実に速い、ちょっと待っているとすぐに出てきます、カサカサッツとかき込むとすぐに席をたちます。さあ仕事!でしょう。
  ドリンクバーで夕方までねばっている最近のわが身が、わびしくなります。

 お茶も、お水もセルフです。嬉しいのは、新聞が日経以外の全国紙が揃っていること、スポーツ紙だけではないのです。

 メニューがまたすごい!<写真をとってこなかった!!>のです。
 ○○定食という、ごはん・みそ汁・漬物・それにメインの定食がずらっと並んでいます。焼き魚でも、お刺身でも、野菜炒めでも、なんでも○○定食になるのです。
 壁に貼ってるメニューをみると、すごい!と感じますよ。皆7~800円です。丼物OK、麺はなんでもOKです。
  まぎれのない春日部を代表するグルメ食堂です。 

 私らは、マグロつけ丼定食。すばやく食べて、すぐに立ち上がりました。


樹の上にも茶席のある春日部の茶会は11月14日。下見して思うこと(2009.10.28)

2009-10-28 19:14:10 | Weblog

*欅庵という名のツリー茶席

 今日も秋の空、柿の空です。樹の上にも茶席ができるという<丘の上チャリティ茶会>に席を持つ家人のお伴で、春日部の北側の丘を山を登っていきました。

 木の上に暮らす、ツリーハウスは、子どものころからの<田舎の男の子の夢>です。寝泊りこそしなかったけど、秘かに<俺の木>も決めていました。
 最近では、アウトドア雑誌とか、環境をうる雑誌なんかのグラビアページに、美しいツリーハウス生活が紹介されています。長野県だったかツリーハウス団地も不動産屋さんから売り出されています。いいなあ、と雑誌をながめていたことがありました。

 ツリーハウスと聞いて、一も二もなく出かけたのです。
 茶道は、芸術のかたまり、自然と溶けあうことが真髄でしょうか。
 清里近くの清春芸術村には、木の上の茶室があります。息子がバイク・ツーリングのおり、写真を撮ってきてくれています。

*清春芸術村のツリー茶室。

  木々と空にとけあって、茶を一服飲むのもいい感じでしょう。

 樹の上の茶席は、丘の上記念教会の中庭にありました。
 思っていた高い木の上ではありませんでしたが、欅(けやき)の木の中ほどにありました。

*盆踊りのやぐらみたいでしたが。
*影は私です。着物では上がってこれないかもしれません。

 第12回<丘の上チャリティ茶会>は、11月14日(土)9時30分~4時です。
 薄茶席(立礼席)を家人が受け持ちます。他に、濃茶席が2席あって、ツリー茶席もあります。教会ですから礼拝堂があります。そこでは、パイプオルガンやヴァイオリンの演奏もあるようです。

 11月14日は、埼玉県民の日です。この地域でも、同じ日にたくさんのイベントがあります。知人がやっている春日部おやこ劇場も親子向けのイベントがあります。
 私は、江戸川べりのイベント(彩龍の川まつり)の音楽係です。ネイチャア・ミュージック・カフェを担当します。
  そのイベントのことは、
<ここに書いています>

  【おまけ】

* アメリカ西海岸の若者に影響(?)を受けていた話をふたつ。

*左;一本の樹が遺したもの(The Leagacy of Luna)ジュリア・バタフライ・ヒル著(きくちゆみ訳)2003年1月、現代思潮社発行)・右;宇宙船とカヌー、ケネス・ブラワー著(芹沢高志訳)、1984年9月、JICC出版局発行。

*(左)は、22歳の女性が、樹齢1000年の木が切り倒されることに抵抗して、2年間、738日間、地上55mの樹上のテントで暮らした話です。1997年頃のことです。その行動が大きな反響を呼び森林保護運動に新しい歴史を開いたといわれています。

* (右)は、親子のお話。父フリーマン・ダイソンは、量子電気力学の数学的完成者で、巨大な宇宙船の建造を夢見ます。息子ジョージ・ダイソンは、ドロップ・アウト後、巨大なカヌーの建造を夢見ながらエコロジストとして生きています。実在の親子の生き様を縦糸に、人類の宇宙進出、エコロジカルなライフスタイル、惑星地球、海、テクノロジー、クジラ、地球外知的生命との交信等など、のトピックスが折り込まれ刺激的でした。息子がツリーハウスに暮らしている話の本を、ウチの本棚に探したのですが出てこないので、この本を載せました。


がんブログの戸塚教授の本を読了、次は<免疫生活のすすめ>の本(2009.10.27)

2009-10-27 21:47:44 | Weblog

*台風一過の秋晴れの今日の夕暮れ、まるでローカル鉄道です。ウチの近所です。

  この頃、本を読むスピードが落ちました。というか、本を読む時間を失くしました。いつも暇している、ひきこもり生活なのですが。
  現役時代は、毎日の往復通勤3時間が決まった読書タイムでした。人生をリセットしてからは、寝る前にひっくり返ってからが無限に続くのが読書時間でした。

  今年の初めに<割腹>してから、そして、それに続く左肩・左腕の不調から、ベッドに寝転がって、左手で本を持つことができないのです。そういう生活を続けていると、ひっくり返ったら、すぐ眠る(健康的?)な生活に入ってしまって、読書量が、がくっと落ちてしまったのです。

*講談社、2008年10月第一版発行

  <戸塚教授の「科学入門」>は、10月初めに買ったのですが、読み終えたのは、やっと今日なのです。

  今年の6月頃、テレビ番組を見て落ち込んだ話をブログに書きました。
  がん闘病生活を克明にブログで報告しておられた戸塚洋二さんのドキュメンタリ番組でした。
<ここに書きました>

  今日、読み終えた本の腰巻にはこうあります。
  <ノーベル賞に最も近かった物理学者が、迫りくる死を前に伝えたかった「科学はこんなに面白い」。PCに残っていた未公開原稿を含めた「最終講義」。追悼出版!>

  奥様が、巻頭に書いておられます。
  <死の間際まで、夫が自分のブログに書きつづけていたのだが、ここに収録されています「科学入門」の記事でした。・・・・抗がん剤の副作用のため、いつも執筆できる状態ではありません。調子のいいときに書きためた原稿を、気分がよいと投稿していました>

  むろん、先進的な光学、量子力学の話であり、けっして平易であるわけはありません。しかし植物の仕組みなど自然現象を解いてくれ、科学への興味をつないでくれ読み進めることができました。
  とくに興味を持ったのは、戸塚さんが、学部を終え研究者に踏み出した1965年で未知の状態であった素粒子世界が次第に明らかになっていく過程でした。
  世界的な発見をされ、2004年62歳で文化勲章を受章された、実験物理学者・戸塚さんの第一線の人生そのものを追っているようでもあるのです。
もうしばらく本棚に入れず、何度も読み返していこうと思っているのです。

*逝去されたのは、2008年7月10日のことです。

    【おまけ】

*中経出版、2007年発行

* 先日、プリメリアさんから、<病気にならない免疫生活>という本をいただきました。家人は、もう読みきったようです。私は、これから読んでいきます。

* 私が割腹した後に、手紙で、免疫力をつけることを書いてくれた人、ブログのコメントに免疫力を指摘してくださった人もいます。そのまま流していただけなのです。

* どうも私の知っていた免疫という言葉や、テレビなどでの伝染病の免疫とか、インフルエンザの免疫などという言い方は、間違っているのかもしれないと思い始めています。<心が暗くなって落ち込んだり、怒ったりすると、精神状態が不安定になり免疫力が低下します>が理解・説明できないのです。


ダンス・パーティ、フロアには、車椅子ダンスの越谷の人たち(2009.10.26)

2009-10-26 10:31:27 | Weblog

  昨日(25日)一日中、春日部中央公民館、屋内にこもっていたら、外は薄ら寒い晩秋になっていました。ストーブをつけたくなります。

  ダンス・パーティ会場にいました。車椅子でダンスする人たちもいらっしゃいました。 越谷の人たち、越谷中央公民館に集まっているサークルさんです、と紹介のアナウンスがありました。サークル名もあったようですが、聞き逃しました。 車椅子ダンスを初めて見ました。こういう言い方はまずいのかも知れません。ちょっと、車椅子が身近になっているので、じーっと見ていました。

  その日のダンス・パーティで、皆さんが一緒に踊っていたわけではありません。一緒に踊るパーティなんて、まだまだ先のことなんでしょう。


広田尚敬さんの汽車の写真。70年代初めの札幌暮らしには蒸気機関車(2009.10.23)

2009-10-23 16:13:05 | Weblog

*広田尚敬さんのC62、子ども向け<絵本;れっしゃ>より。

  昨日(9月22日)の日経文化面に、鉄道写真家の広田尚敬さんの原稿が載っていました。
 最近、<ニコンFで撮った蒸気機関車の写真集「Fの時代」>の出版広告を見ていて、たぶん買うだろうな、と思っていたところだったのです。

*左;日経09年10月22日付文化面。右;こども向け<れっしゃ>広田尚敬著、1969年、フレーベル館発行、300円。中;広田尚敬さんの写真展で配られた豆本(1973年11月)。

 1970年7月から北海道・札幌の大通り公園のすぐそばに、3年ほど住んでいました。 その頃生きていた人は、誰でも、大なり小なり、汽車、蒸気機関車に特別な思いを持っていました。
 あの汽笛もそう、コレに乗れば遠くへいける、遠い旅への思いみたいなものです。SLマニアだとか、女の子の鉄道好きへの最近の呼び方<鉄子>だとか、そういったわざとらしくなくても、昔は、誰でも鉄道好き、汽車好きだったのです。

 日本中を走っていた蒸気機関車が、ディーゼル機関車や電気機関車に取って代わられ、まさに最後の地、最北の北海道だけ、走っている状況だったのです。
 そういう時、北海道に住んでいて、カメラ=ニコンFをもっていて、ずっと北海道内を旅していた私は、蒸気機関車を見るとシャッターを切っていたのです。

 C62が好きでした。蒸気機関車も明治以来、だんだん大きくなってきて、その最後、最も大きかった蒸気機関車、C62型でした。私が札幌に住んでいた頃、C62は、函館=札幌間で、<急行ニセコ>ひっぱっていました。
 それより、ずっと前、私が子どものころには、山陽本線を走っていました。私には遠くから眺める汽車という風景はありません。汽車なんか走っていない山の中に育ったのです。
 山の中に暮らし1年に1度くらい、山陽本線笠岡駅のホームで、接近してくる見上げるほど大きなC62蒸気機関車、その大きさ、力強さ。夢幻に引き込む真っ白い蒸気に包まれて、憧憬の思いを持っていました。

 蒸気機関車写真集が何種類も本屋に並んでいても買うことはありませんでした。
 ただ、雑誌に登場する<広田尚敬さんの汽車の写真>は好きでした。ちゃんとした広田尚敬さんの写真集は持っていませんが、その頃、広田さんの本は2冊買っています。唯一私の思いに近いような、写真だったのです。

*SL夢幻、広田尚敬著、1975年、読売新聞社発行、3000円。
*前;SL賛歌、広田尚敬著、1975年、蝸牛社発行、1500円。

     【おまけ】

* その頃、東京の大学生の夏休みの過ぎし方に、リュックを背負って北海道を列車で移動し、駅で寝泊りする旅がありました。リュックが横長のキスリングであったこともあって、蟹のように横になって歩いていたので<カニ族>と呼ばれていました。ユース・ホステルなんかで、こちらが<札幌から>と話すと、皆、羨ましそうでした。

* 年中、道内を旅していました。それから30年たって、息子が、夏休みにバイクとテントで北海道一周20日程の旅に出るとき、推奨見物先、テント地、ユース・ホステルなんて、計画にも得意満面で参加できました。

* 今、そんな貧乏旅行を考える学生もいないでしょうか。北海道が遠くでなくなったのです。国内には、遠い旅がなくなってしまったように思うのです。


加藤和彦さん死の報に接し、60年代の京都・大阪暮らしを思います(2009.10.21)

2009-10-21 12:19:13 | Weblog

*ふさわしい写真がないのです。同志社大学隣に<ほんやら洞>。一冊は、埼玉県立図書館の廃棄本。

 悲しくてやりきれない、と思ったのです。60年代の学生時代のフォーク・クルセダースだけでなく、その後もずっと時代の中心にいた加藤和彦さんの死、自死の報に接し、大きな寂しさを思いました。

 むろん面識はなく、レコードの一枚も買ったこともありません。
 私ら世代のトップランナーの寂しい死を思うのです。
 どうして?なんて、理由はないのです。回答はいらないのです。
 時代が終わったと感じるのです。

    【おまけ】

*1967年10月11日、大阪フェスティバル・ホールでの、ピート・シーガー・コンサートのプログラムです。

*私は、その時代に、京都と大阪の真ん中あたりの安アパートに暮らしていました。同じ世代と一緒で私もまた、ギターを持っていました。質屋が1000円貸してくれるギターです。その後に続く関西フォークなんて、はるかに越えていたメジャーなフォーク・クルセダースになっていったのです。私は、1970年6月30日、7月1日の1日前に、まるで外国のように感じていた北海道に住まいを移しました。

*イムジン河、イムジン江、は忘れられない60年代大阪暮らしの<歌>です。フォーク・クルセイダースが歌っていました。そのことを2年ほど前に、ブログに書いたことがあります。今でも、そこへのアクセス数が目立ちます。<ここです>

*イムジン河は、放送禁止だったと書いたら、読者から、放送局の方での自粛であって、禁止されていたわけではない、と注意を受けました。そんなこともありうる時代、60年代です。まあ、貧しい日々だったわけですが、今より数段よかった時代のように思えます。

*30年もたって、息子が京都で学生生活をおくっていた頃によく京都に出かけていました。今もやってる<ほんやら洞>(トップの写真)を覗こうかと思っていましたが、結局、行かずでした。


私の住む春日部市は、引き続きクレヨンしんちゃんの町で売り出します(2009.10.19)

2009-10-19 21:51:39 | Weblog

*くれよんしんちゃんは、正式に<春日部市に住民登録>をしているのだそうです。

 昨日(10月18日)、春日部市長選挙が終わりました。現職市長さんの連覇です。
 気にしていた投票率も39.01%と、前回4年前の、庄和町との合併直後の市長選挙の38.04%より、ほんのわずかながら上昇しました。下がっていたら衰退ですから、まあ良かった。

 それで、いつだったか市長さんに、市役所で<遠め目に>お会いした時、クレヨンしんちゃんのマンガを胸につけておられました、また、あちこちでご挨拶される時には、よくクレヨンしんちゃんを話題にされていましたし、2期目も、クレヨンしんちゃん政策は継続されるでしょうから、今日のブログは、クレヨンしんちゃん写真特集です。
 選挙も終わったし、もう問題もないでしょう。

 クレヨンしんちゃん=春日部、というのが、正確にはよく知らないのです。
 わたしゃ、マンガも、テレビアニメも、みたことないのです。 いつか聞いた市長さんのご挨拶によると、日本国内だけでなく、スペインでも、春日部=クレヨンしんちゃん、なのだそうです。

 クレヨンしんちゃん、は、私ら世代には、お母さんだったか、PTAだったかが、<最も子どもに見せたくない番組>に指定していたことを思い出させます。

 時代は、すっかり変わったのです。今、そんなことをいうPTAさんはいないのでしょう。マンガの内容が<よくなった>のか、世間が悪くなったのか、読み比べていないので、評論家みたいにはいえません。いい悪いは、時代時代で変わるものなのです。

 春日部市、特に旧春日部の街を歩くと、すぐにいくつか、クレヨンしんちゃんが目に入ります。

*春日部市役所の掲示板にもあります。

 市役所の中の掲示板です。
 いったいこれで、誰が<読むのか>と思うほど、たくさん貼ってあります。
 そこに、映画のポスターです。なんで、ここに映画のポスターなんだろう。クレヨンしんちゃん、のポスターだったのです。市役所バックアップ映画かなあ。

*朝日新聞2009年9月18日付朝刊
*広報かすかべ、2009年10月号

 その日には、クレヨンしんちゃんの作者が、行方不明になっていたのです。朝日新聞は、それもまた伝えています。そして、その後、登山中に転落死された、と続報がありました。クレヨンしんちゃんの木を植えた南公園(私はどこかよく知りません)は、新しいクレヨンしんちゃんスポットです。

*GE-SENと書いてあります。

 春日部市の、もっとも(?)賑わいのある所は、春日部駅近くの、ショッピング・モール<ララ・ガーデン>です。その3階に、クレヨンしんちゃんファンのための、スポットがあります。春日部市の目玉施設として鳴り物入りで作られたのです。
 私は、入ったことがありませんからルポは書けません。入り口は狭く、市民に開かれている雰囲気はしません。ミュージアムではなさそうです。ゲームセンターなんでしょうか。無料のようでもあり、有料のようでもあります。

*作者は、亡くなってしまいました。さすが春日部の本屋(リブロ)さんのディスプレィです。

 同じ3階の本屋さんは、私でも入れます。ひょっとすると、この本屋(リブロ)さんは、隠れスポットかもしれません。クレヨンしんちゃんのマンガのバックナンバーの揃いが充実していそうです。
(私のよく行く春日部中央図書館にも、全べて揃っていると聞きましたが、どのあたりにコーナーにあるのか知りません)

 旧庄和町の私が、一番初めに、<春日部市民になった>と意識した、させられたのは、この看板です。

*春日部駅野田線ホームでみる風景。

 春日部駅の野田線ホーム、庄和町(南桜井駅)方面側、帰宅の電車を待っていると、目に入る所にある看板です。

 <おらも、春日部市民だぞー>、<お前も、春日部市民だぞー>と、嫌みなクレヨンしんちゃんの看板だなあと思っていました。従来からの旧春日部市民は、まず見ない所です。合併にタイミングを合わせた時期に建てられ、旧庄和町民へ決め打ちの看板のようでした。

*春日部市の<日本一の子育て>の、子育て応援キャラクターがクレヨンしんちゃんになりました(旧庄和町役場で)。

 もう、合併後4年もたちました。私も、一人前の春日部市民です。もう、どこででも、クレヨンしんちゃんに接することができます。

  【おまけ】

*マンガ・らき☆すた(これもみたことありません)に登場するから、女子高校生が集まる鷲宮神社のある鷲宮市。コスプレ娘(この意味も知りません)がやたら集まる<進修館>のある、お隣の宮代町。これらは、どうも自然発生的な現象のようです。それとも役所の政策課がしくんだ<まちづくり>の方策なんでしょうか。春日部市も負けられないのでしょう。負けるな春日部市です。

*クレヨンしんちゃんのマンガの中に、春日部の隣町、私らの庄和町がどのように、描かれているのでしょうか、知っていますか?それは、またいつか、このブログで書きましょう。

 


近所の公園も秋だから、おじさんがギターでボサノバです(2009.10.18)

2009-10-18 22:27:51 | Weblog

 *徒歩15秒のご近所公園

 ついこの間、夏だと思っていたのに、もうすっかり秋になっていました。近くの公園も、ぼつぼつ<枯葉~~♪>の季節です。もっとも、うちらのバンドは、春でも、枯葉♪をやっていますが。

 わが町に、ちょっといいカフェがないのです。しかたなく、正風館(なんでも公民館)で、ということになるのです。昨日、<じゃあ正風館でね>ということにしたのですが、<何かしらの行事があって、人がいっぱいで、駐車もできなかった>と。

  それで、おじさん二人が、近くの公園のベンチに腰掛けて団欒です。
  11月14日(土)の<彩龍の川まつり>での、イベント<ネイチュア・ミュージック・カフェ>のプランを話していたのです。
 こんな感じかなあ、と、ギター弾きだしたのです。車にいつもギターを持っているんだよ、と。
  いい感じの秋の公園のお昼下がりになりました。

*時々、ご近所公園ライブをやるのもいいなあ、と思ったのです。

  そのおじさんは、ギター一本で、女性ヴォーカルのバックを勤めるつもりです。ボサノバ・ジャズのセッションになります。
  いい<ネイチュア・ミュージック・カフェ>になりそうです。

    【おまけ】

*その日(10月17日)の正風館は、同じ町の飯沼中学校の合唱祭だったようです。客席の全校生徒さんは、全員マスク姿だったようです。ちょっと異様な雰囲気だったよ、と知人。 怪人20面相の舞台背景を想像しました。

*隣の市、越谷市には、宮内庁鴨場があります。昔から、皇族さまが猟を楽しまれる施設だそうです。そこに<飼っておられる合鴨(?)>が、鳥インフルエンザにかかった、と新聞報道されていました。近くの学校の、わが孫の学級が閉鎖されたら、ジージーも困ります。


明日(10月18日)の春日部市長選挙の投票には行った方がいいかなあ(2009.10.17)

2009-10-17 10:50:09 | Weblog

*夕暮れ時、人目を気にして写真を撮っていたら、車が疾走していきました。

 ごくごく微小なミクロン・メディアなブログです。ご近所情報、おちゃらけブログです。
が、市長選挙に触れると、公職選挙法(だったかな?)違反か、別件逮捕につながるかもしれません。

 ブログ・メデイアの皆さんは、非常に慎重な書きっぷりです。
ただ投票率の低さが気になるのです。それは、春日部市民の***度の低さの数字かもしれません。**への市民参加の第一歩は、投票に行くことでしょう。
 投票率の高上努力なしに、市民参加をうたうのは、チャンチャラおかしい。・・・このあたりまでは、問題なしでしょう。

 国政選挙の場合、高い投票率を狙って、あるいは低い投票率を狙って、告示・投票日が慎重に決められるようです。<投票よりお出かけ>、<投票より農作業>などなどと。

 誰か春日部投票率アップNPOを作ってくれないかなあ、何にもないけど<投票率が高い町>というのもいいなあ。ただし、この目的ではNPO法人には認可されないでしょう。
 越谷市の市長選挙<投票にいったら、ラーメン割引>なんてのも楽しいと思いますね。 越谷市民の何かしようという気持ちに敬服するのです。