「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

近眼は、メガネをかけて 初めて老眼になる

2008年03月16日 21時57分25秒 | Weblog
 
 新しく メガネを作りました。

 僕は元々 近眼が強く、この年になっても まだ近視が進んでいます。

 そして、とうとう 老眼も入ってきて、

 新聞などを近づけると 見にくくなってきました……。(- -;)

 今まで僕は、近眼用のメガネを 強弱ふたつ持っていて、

 近くを見るときは 弱いメガネの方が楽なので、それをかけていました。

 その弱い方のメガネを 過日なくしてしまい、

 強い方のメガネで 近くを見ていると 疲れてしまいます。

 また、強いメガネも 遠くを見るには 大分弱くなっているので、

 今回メガネを 作り変えることにしたのです。

 近視のための 遠場用のメガネと、老眼の近場用のメガネと ふたつ。

(遠近両用は 使いにくいと聞いたので やめました。)

 普通の人の老眼鏡は 凸レンズですが、近眼の人間が 老眼用のメガネを作るとき、

 元々の凹レンズに 凸レンズを加えるのだとしたら、

 一体どうなるのだろうと 疑問に思っていました。

 すると メガネ屋さんは、老眼用は 近眼のレンズの度を 弱めたものにすればいい、

 というのが答でした。

 しかし よく考えると、それはどういう理由なのか、

 老眼のメカニズムと合わせて 詳しく質問していていくと、

 どのメガネ屋さんに聞いても なかなか答えられないのです。

 また、近視は 遠くがだんだん見えなくなり、老眼は 近くがだんだん見えなくなり、

 近視と老眼が進んでいくと、遠くと近くが だんだん見えなくなって、

 見える範囲が なくなってしまうのではないか、という疑問もありました。

 そして 何軒ものメガネ屋さんに 聞いてみて、

 最終的に メガネを作った店で やっと答えてくれる人がおり、

 文字通り 目から鱗でした。

 曰く、近視の人は メガネをかけて初めて、老眼になるというのです。

 確かに、僕はメガネを外せば、うんと近く (眼前数センチ) が見えるので、

 近くが見えない 老眼の状態とは異なります。

 メガネをかけることによって 普通の人と同じ目になり、

 焦点が合う距離が 遠くなる (=普通になる) ので、

 老化で 手元が見えにくくなるというのです。

 それで、凹レンズをかけた状態が 普通の目ですから、

 そこに 老眼鏡の凸レンズを かける状態を考えると、

 凹と凸が差し引きされて、凹レンズの度を弱くすればいい

 ということに なるわけでしょう。

(続く)
 
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「4ヶ月、3週と2日」

2008年03月15日 23時06分23秒 | 映画
 
 今から20年前、チャウシェスク政権下のルーマニア。

 労働力確保のために 妊娠中絶が禁止されている中、

 女学生のオティリアが、ルームメイト・ガビツァの 中絶のために

 奔走する姿を描きます。

 タイトルは、妊娠期間を表しているということです。

 監督は新鋭 クリスチャン・ムンギウ。

 2007年 カンヌ国際映画祭で、パルムドール賞を 受賞した秀作です。

 劇的な演出や 音楽までも一切排し、

 カット割りのない 長回しの手持ちカメラで、オティリアたちの 動きを追います。

 彼らの生々しい息づかいが 緊張感を伝え、

 リアリティ溢れる映像が 映し出されていくのです。

 ガビツァは頼りなく、むしろ自分勝手で、いい加減な嘘を ついたりもします。

 ホテルの一室で 闇医者に堕胎手術を 依頼するのですが、

 ガビツァの不手際のために オティリアは、著しい犠牲を払うことになります。

 オティリアは 友達のためというよりも、

 暗鬱な空気の中で 何かに抵抗するように、突き進んでいきます。

 それは 束縛された社会の 支配に対して、

 一人の女性として 生きる姿勢を貫徹する 行為なのかもしれません。

 静かで 息詰まる展開が 最後まで見る者を引きつけ、

 ルーマニアの新しい力を 見せてくれました。
 
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「ジャンパー」

2008年03月13日 23時35分08秒 | 映画
 
 テレポーテーション。

 瞬間移動 (=ジャンプ) する 超能力を持った青年の話です。

 15才のとき この能力に目覚めたデヴィッドは、

 一晩で世界中の景勝や モニュメントなどを堪能したり、

 “究極の自由” を謳歌していました。

 手にしたものも 一緒に移動できるので、

 銀行の金庫にジャンプして 大金を手に入れたり、放埒なこともしています。

 ところが、実はジャンパーは デヴィッドだけではなく、他にも存在していました。

 そして、ジャンパーを 悪の存在と見なして、

 抹殺を使命とする 「パラディン」 という組織が、彼らを追っていたのです。

 パラディンは、ジャンプを封じて感電させる 特殊な武器を手に、

 ジャンパーを追い詰めます。

 ジャンパーとパラディンの、追いつ追われつの 攻防が繰り広げられます。

 デヴィッドは 恋人ミリーには、この超能力を 明かしていませんでしたが、

 ミリーをも巻き込んでいくのです。

 ジャンパーは その能力が高まるにつれ、

 自分が接している より大きなものを、共に移動させることが できるようになります。

 能力の増大に伴って、アクションシーンは 大掛かりになっていきます。

 渋谷でのカーアクションも 見所です。

 スピーディなVFX、世界の観光地、スリルと葛藤、単純に楽しめる映画でした。

 そしてラストに、デヴィッドの母親の 秘密が明かされます。

 続編ができそうな 新たな作品でした。
 
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京大・東大剣道部 同期会

2008年03月12日 23時42分20秒 | Weblog
 
 僕は大学 (京大中退 (^^;)) で 剣道部に入っていました。

 京大と東大の剣道部は、日本で一番古い 伝統の定期戦があります。

(早慶戦よりも 1年古いという。)

 毎年11月に 1年の総決算として、2日間にわたり、

 約30人の 対試合と抜き試合が 行なわれます。

 また 夏には 「七帝戦」 と言って、旧帝国大学7校の 運動部の総合大会もあり、

 京大と東大は 特に因縁の戦いでした。

 そんなわけで 東大と京大の剣道部員は、試合後も飲みあったり、泊まりあったり、

 特に懇意の 付き合いがありました。

(σ (^^;) は剣道は弱かったし、試合に出たこともないし、

 ミソッカスみたいなもんでしたが。)

 最近、東京在住の京大剣道部員とは、年に2回ほど集まりますが、

 東大の剣道部とは、僕は中退後 ほとんど会う機会も ありませんでした。

 しかし昨日、本当に久方ぶりに、京大・東大剣道部の 同期の集まりがありました。

 大方30年ぶりの再会でしたが、みるみる記憶が蘇ってきて、

 色々な話で盛り上がり、3時間あまりが あっと言う間に過ぎてしまいました。

 概して東大の連中は 当時と変わらず、若かったですね。

(京大の同級生は、頭の方が 風前の灯火になっている奴も

 2~3人いるのですが。 (^^;))

 拙著 「境界に生きた心子」 の紹介もし、

 早速何人かの人が 購入すると言ってくれました。

 ボーダーの話にも 関心を持ってくれ、あれこれ話題に上りました。

 また理解が 一人でも広がればと思います。

 学生時代の繋がりというのは、全く何年経っても 変わらないものです。

 誠に 楽しいひとときでありました。
 
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「接吻」

2008年03月10日 21時14分36秒 | 映画
 
 一家惨殺事件を起こして、マスコミに 自分が犯人だと

 名乗り出た 坂口 (豊川悦司)。

 その逮捕現場を テレビの生中継で見た OL・京子 (小池栄子)。

 その瞬間 京子は、坂口と自分は 同じだと直感します。

 京子は常日頃、周囲からの疎外感を感じており、

 坂口に猛烈な共感を感じて 惹かれていくのです。

 京子は 坂口のことを徹底的に調べ、裁判を傍聴し、

 弁護士の長谷川 (中村トオル) を通じて 坂口に差し入れをしたりします。

 坂口は 法廷でも弁護士の接見でも、終始 無言を貫き通しますが、

 京子は坂口のことなら 全て分かると言います。

 狂気と隣り合わせの愛情に 身を委ねる京子。

 京子と坂口は 手紙を交わし、ついに獄中結婚をし、

 そして 驚愕のラストシーンを迎えるのです。

 万田邦敏監督から 出演を依頼された小池栄子は、当初 断ったそうです。

 何回脚本を読んでも、京子の言動が理解できず、好きになれないからと。

 しかし プロデューサーに説得され、また脚本を 10回くらい読み直して、

 少しずつ 京子に惹かれるものも 感じていったということです。

 それでも、ラストの京子の行動の意味が どうしても分からず、

 万田監督に聞いても  「意味って言うか……」 としか 言ってくれなかったと。

 そして、人間は 常に意味のある行動だけをするものではない、

 と思い至って 臨んだのだといいます。

 
 試写会上映後、会場で 万田監督との質疑応答がありました。

 試写会で 出演者の舞台挨拶が あることはありますが、

 約40分も時間をとって、監督と会場が じっくり語り合う機会は 普通ありません。

 万田監督は、頭が禿げて しょぼくれた、にこにこしてる おじさんという感じでした。

 僕は 例のラストシーンの意味を 尋ねてみました。

 監督は、意味は 京子がこれから考えていく,全て意味が あるものでなくてもいい、

 などと言いながら、こうして自分は 質問に答えて 納得してもらおうとしていると、

 自己矛盾を 吐露していた次第です。

 「作る」 という作業は 「意識的な」 作業です。

 現実の人間の 無意識な言動とは 根本的に異なります。

 脚本家や監督は、スタッフに質問された場合、

 全て 「言葉で」 説明できなければいけない と言われています。

 “理由” を求める僕としては やはり釈然としませんが、

 監督は憎めない人であり、強烈な印象に 残る作品でした。
 
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保全管理人から通知

2008年03月08日 22時07分18秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 新風舎 保全管理人 (破産管財人)・川島英明弁護士から、

 事業譲渡の報告が 郵送できました。

 HPへの掲載以外で、保全管理人から 個別に連絡があったのは これが初めてです。

 既刊書籍の情報を 文芸社に移転するのに、約2週間かかるとのこと。

 それから、準備期間 約1ヶ月を経て 同社から、

 まず 仕掛かり本についての 役務 (サービス内容と費用) が提示され、

 その後、(既刊本の) 再流通に関する 役務が提示されるそうです。

 著者が これに同意した場合、役務が提供されるとのことです。

 文芸社側からの連絡を 待ってくれということで、

 同社の体制が整うまでは 電話連絡などで 業務に支障を与えないように、と。

 我々は弱い立場で、自分の本がどうなるのか (どうするべきなのか)、

 詳しい情報や 説明がほしいのに、余りにも受け身のみで 手足が出ません。

 再流通(再出版) についての 条件などが分かるのは、

 まだ数ヶ月先ということに なってしまうでしょうか。

 「境界に生きた心子」 の印刷データが 存在しているのかどうかも、

 それまで分からない? 

 それが分からなければ、色々な方途を 鑑みる術もありません。

 何か善後策はないものか……。
 
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境界性人格障害の治療(3)

2008年03月08日 14時12分33秒 | BPDの治療について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/39580737.html からの続き)

 治療の成績は 重症や軽症のケースで まちまちでしょうが、

 色々な文献があるようです。

 ボーダーの人は 治療を継続していくこと自体も難しく、

 治癒の率は 必ずしも高くないとも言われます。

 何が「治癒」かというのは 実は単純ではないのですが、

 アメリカでは 治療を始めて治癒にまで至るのが 1割程度というデータがあります。

 他方、10年で 3分の2から4分の3が 社会適応していく という数字もあります。

 人格障害とは 性格の極度な偏りですが、性格は年を取れば丸くなる というように、

 ボーダーの人も 年齢を重ねるにつれて 次第に落ち着いていくと言われます。

 ただし、「途中で自殺しなければ」 という のっぴきならない前提が付くのですが、

 そこを切り抜ければ 再びやりなおしていくことができます。

 時間がかかっても、自分の感情に戸惑いながらも、

 40歳くらいを過ぎれば、自然治癒を含めて

 ゆっくりと安定していくことが 多いのだといいます。

 それを信じて、ぜひとも将来に 希望をつなげていきたいものです。

 共に 生き合う日を求めて……。
 

〔注:以上は 拙著 「境界に生きた心子」 からの写しで、04年頃のデータです。

 現在は 欧米を中心に 治療は進歩しています。〕
 
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文芸社に事業譲渡

2008年03月07日 23時59分03秒 | 新風舎から星和書店へ、新たな歩み
 
 新風舎管財人から、HPに久々に 書き込みがありました。

 新風舎で 制作中だった本 (仕掛かり本) や、既に発刊されている本の 事業が、

 文芸社に譲渡されることになったということです。
(新風舎の負債を引き継ぐものではない。)

 仕掛かり本や既刊本のデータを 文芸社に移行し、

 著者が同意した場合、出版,再出版する ということになります。

 ただし、データが存在する場合であり、また、著者には 新たな出費が生じます。

(拙著のデータがあるのかどうか、確認しなければなりませんが、

 新風舎との連絡は、急を要している仕掛かり本が 優先されるそうです。)

 文芸社も新風舎と同じく 共同出版を手がけている出版社で、

 やはり問題も噂されていますが、

 新風舎よりはまともに 取り組んでいるのだろうと思います。

(倒産した場合、著者に被害が生じない 補償制度を設けるなど。)

 文芸社から 「境界に生きた心子」 を 再出版ということにするか、

 他社からの再出版の方途を探るか、充分慎重に 検討していかなければいけません。

 とにかく、心子の本にとって 一番いい道を 求めていきたいと思っています。
 
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境界性人格障害の治療(2)

2008年03月05日 22時54分12秒 | BPDの治療について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/38603280.html からの続き)

 臨床の治療現場は手探りで、悪戦苦闘の累積だといいます。

 ボーダーの人は 相手を見透かす目にたけ、感受性もさといので、

 治療者の一挙手一投足も 手加減なく突いてきます。

 治療者を 完璧な救世主としてあがめたり、

 一転して 最低の無能者だとおとしめたりします。

 猛烈な情動や依存で 治療者を翻弄し、その巧妙さは 見事なまでのものがあります。

 もちろん当人は 全く無意識の行ないですが、

 専門家の治療者でも 感情的になって 巻き込まれてしまったりします。

 患者は 治療者を信頼すると 診察時間を切りなく延ばしたり、

 時間外にも 会うことを懇願したり、要求が どんどんエスカレートしていきます。

 それに堪えかねて 治療者のほうが 燃え尽きてしまうこともままあり、

 自殺してしまった例もあるそうです。

 治療者が ボーダーの人の不思議な魅力に捕われ、

 治療に入れ込んで 自滅してしまうこともあります。

 ボーダーの治療には 苦労をしいられ、

 それに比べて 目ざましい効果が期待できないため、

 ボーダーの患者を 受け持つことを敬遠する 治療者もいるといいます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/39618516.html
 
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境界性人格障害の治療(1)

2008年03月05日 22時52分27秒 | BPDの治療について
 
 ボーダーの治療には 長期のカウンセリングが必要です。

 支持療法,力動精神療法,認知行動療法 などもあります。

 しかし それを専門的に実施できる医師は、日本にはまだ少数だといいます。

 薬による治療は 抗鬱剤や安定剤などの 対処療法だけで、

 根治療法は 現在は少ないと言われていますが、研究もされています。

(ちなみに心子は、眠剤や痛み止め,腰痛の湿布などを含めて

 14~5種類の薬を処方され、精神科の診察を受けたあとは

 毎回 大きな袋をぶら下げて 帰ることになっていました。)
 
 欧米では、弁証法的行動療法が とても有効な治療方法として 行なわれています。

〔参考記事: http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45269689.html〕


 ボーダーの人の感情や見方は、客観的な実態との間に ずれがあります。

 この 「認知のゆがみ」を 修正していかなければなりません。

 でも 自己のゆがみに 目を向けるということは、

 蓋をしておきたい醜い部分を 覗きこむことになります。

 当事者には 堪えきれないことであり、

 治療の途中で 病状がかえって悪化することもあります。

 しかし ときには、怒りや行動化(アクティング・アウト)の

 背後にあるものを 探っていくことが必要です。

 不合理な感情を自覚して 徐々に 手なずけていくようにし、

 分裂した認識を 順次 統合していくのです。

 紆余曲折を繰り返し、何年にも渡る格闘を 余儀なくされるでしょう。

 そして、不安や苦しみを 取り除くことが目的ではなく、

 不安や苦しみを抱えながら、

 持ちこたえられる自分を 作ることを目指していきます。

 「悩む力」を 身に付けていくのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/39580737.html
 
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「ラスト・コーション」

2008年03月02日 23時55分18秒 | 映画
 
 「ブロークバック・マウンテン」 の アン・リー監督、禁断の愛の衝撃作。

(「ブロークバック・マウンテン」
  http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34019511.html)

 舞台は 1940年前後の、日本占領下の上海。

 傀儡政権は 自国民の抗日運動を 弾圧しています。

 大学に入学して 演劇部に入った ヒロイン、ワン(タン・ウェイ)、

 劇団員に誘われ 抗日運動にはまっていきます。

 弾圧側の顔役、イー (トニー・レイン) に近づいて

 ハニー・トラップを仕掛け、暗殺の機会を伺うのです。

 演劇の延長で、殺人の謀略にまで エスカレートしてしまう学生たち。

 しかし 色仕掛けをしようにも、劇団員たちは一人を除いて 全員性体験がありません。

 しかもその一人も 娼婦相手だという。

 ワンは その男を相手に、床入りの練習をするのです。

 当時の抗日運動の 実態は知りませんが、ただの学生が そこまでするのかと……。

 一度は 殺害計画に失敗して 挫折するものの、

 3年後、ワンたちは再び イーに接触を図ります。

 今度は 本物の女スパイとして。

 ワンとイーは、虚々実々の駆け引きの中で、危険な情欲の逢瀬に 身を投じます。

 このベッドシーンが 極めて激しくて挑発的です。

 ぼかしが入っていますが、本当に“実演”をしているのではないか と思えるような。

 この刺激的なシーンに、タン・ウェイが 文字通り体当たりでぶつかり、

 見る者の 感情を揺さぶります。

 童顔のタン・ウェイは、女学生役も 難なく演じていましたが、

 一変して 妖艶な眼差しを見せつけ、大胆な濡れ場に挑んでいます。

 そして、相手を欺くための 手段だったはずが、次第に真実の愛に……。

 タン・ウェイはテレビドラマで 活躍していたそうですが、映画出演は初めて、

 1万人のオーディションで アン・リー監督から大抜擢されました。

 作品はヴェネチア国際映画祭で 金獅子賞を射止め、

 タン・ウェイは一躍 世界的な女優に名を連ねました。

 僕にとっても 非常に印象に焼きついた女性でした。

 「ラスト・コーション」 の原題は 「色戒」。

 「Lust」 は仏教用語で 「色」 「欲」 「感情」、

 「caution」 は 「戒め」 の他に、 「誓い」 の意味があるそうです。
 
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「明日への遺言」

2008年03月01日 23時36分08秒 | 映画
 
 第二次大戦の B級戦犯・岡田資 (たすく) 中将が、

 戦犯裁判にかけられて、自らの信念を携えて 堂々と戦い、

 部下を守って 全ての責任を背負っていく 実話です。

 米軍爆撃機の搭乗員を 日本軍が捕え、

 岡田資は 米兵を死刑に処すよう 命令しました。

 その罪を問われますが 岡田中将は、

 米軍機は 国際法違反である無差別爆撃をしたと 主張します。

 そして責任は、米兵処刑に直接手を下した 部下ではなく、

 命令した自分に全てあると訴えます。

 法廷の誰もが、岡田中将は部下を救うために、

 自分だけが 死刑になろうとしていると察します。

 弁護士だけでなく、ある時期からは 検察や裁判官までもが、

 岡田中将に 有利な答を促すような 質問をしますが、

 中将は断固として これを拒むのです。

 アメリカ人の弁護士と 岡田中将は心で結ばれ、

 検事も中将に 好意を感じるようになっていきます。

 そして 傍聴席から連日 中将を見守る家族は、

 誇りを持って 中将と気持ちを交わします。

 最後に中将は 公正な法廷に感謝をし、「本望である」 と述べて、

 粛然と死刑を 受け入れていくのです。

 中将以外の被告は、全て懲役刑 (重労働) でした。

 これほど毅然として、重い責任感を抱き、部下を思いやる人間が、

 戦争という 時代状況であったがために、死んでいかなければならない。

 それは 無名の兵士たちも同じですが、

 もし通常の時代に 岡田資が生きていたら、

 どんなに優秀で立派な 上司になっていたことでしょう。

 現代は、無責任で 社員や消費者のことを考えない 経営者も多いなか、

 我々は岡田中将のような 過去の偉人に、

 理念を学ぶ必要が あるのではないでしょうか。

 自分の運命から逃げずに、背筋を伸ばして対峙し、

 誠実に、愛情と気概を持って 生ききった、

 清廉な男の言葉が 心に残ります。
 
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