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てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

なぜ、哲学カフェに集うのか?【その1】

2015年02月11日 17時25分49秒 | 参加者感想
最近、哲カフェ後に感想をお書きいただく方が、めっきり少なくなってしまいました。
たしかに、哲カフェの思考と対話の余韻を味わうのに、あるいはやっと終わったという開放感のさなかに感想文を書くというのは、ちょっとした拷問かもしれませんね。
というわけでもないのですが、ただいま哲カフェの常連の方々を中心に、「なぜ、哲学カフェに集うのか?」という質問を尋ねさせていただいております。
哲学カフェの世話人をさせていただいておりますが、その意義が何かについては、実はこちら側からではなかなかわからないところが多々あります。
むしろ、ご参加いただいている方々の方こそ、この活動の魅力が何か見えているのではないか。
そのような思いから、不躾ながら皆様に聴いてまわっている最中なのです。

と、さっそくお一人の常連さんからレスポンスをいただきました。
読ませていただきながら、たいへん面白く、かつ興味深い内容でしたので、ご本人の承諾を得てブログにアップさせていただくことになりました。
ご一読ください
これをお読みになり、自分も哲カフェに一言物申したいとお感じになられた方は、遠慮なくメッセージやメールをお送りください。
哲学カフェの何に魅力があるのか?
なぜ、私/我々は哲学カフェに集うのか?
どなたでもけっこうです。
どしどしお受けいたしております。



***************
「なぜてつがくカフェに行くのか。」
***************

なんででしょうね?
趣味です。
マイブームです。(結構長いよね。)
もしかして飽きることもあるかもしれません。(そしたらごめんなさい。)

何を話しても受け入れてもらえる(もしかしたら「ちゃんと聴いてるフリ」をしてもらえている?それでもOKです。)。
反対意見がでたとしても、それほどがっかりしたり、プライドが傷ついたりしません。

いろんな考え方、捉え方があることを知るのは単純に楽しい。
知らない事実や情報(噂かもしれませんが。)を知ることができる。
人っていろいろなんだ。と改めて知ることができる。
(てつカフェに来る人たちは、私も含め偏ったサンプルかとは思いますが。)

お酒の入っていない飲み会。

「シティズンシップ(市民的資質)」初めて聞いた。
てつがくカフェは、冷静な話し合いの訓練にはなると思います。

だからといって、私がてつがくカフェに集うことによって世の中が変わるとは思っていません。
それよりしっかり自分の仕事をしっかりすることの方が世の中に良いこと?を訴求できると思っています。
(↑ならちゃんとやれよ。)

ただ、人は良いことを考えたり、(本などで)得たりしてもそれを行動に移す訓練?
が出来ていないと、いざという時に、(または小さな行いもそうですが、)うっかりそれまでの慣習に従って動いてしまうと思います。
なので、てつがくカフェのようなアウトプットする場所があると、自分が思ったことをみんなの前で発言する訓練ができて、何かが違うと思ったときに同調しづらくなるのではないかな?
または、「偉そうなこと言ってたよな。自分。」「そう思ってたんだね。自分。」ってことで、自分が思っている行動をしやすくなるのではないかと思います。

子どもときからこのような授業や習慣があれば変わるとは思います。
先にも述べたように、ここに来ること自体、現時点の日本では特異なことなので、無害な状態?で、人に自分の考えを伝える環境の場がもっと増えれば良いなと思います。

とはいえ、やはり日本人にその習慣を広めるのは時間がかかる気がします。
というのも、震災後、心のケア?という名目で、大小様々な話し合いの場、「どんなことを言ってもいいからね~」という掛け声の下でいろんな考えのお母さんたちの場が持たれましたが、やはり違う考えが明らかになって、余計ストレスになってしまったり、不安なお母さんたちは彼女たちで集まって勉強会等を開いたりしていましたが、人は自分が思った方向の情報を集めるので、結果、更に自分の考えを強化していくだけだったりします。

今回の震災の場合は、本当に自分の生活がかかった死活問題なので、いくら話し合いを持ったところで、なかなか全体としてのいとぐちは見つけられないかと思います。

じゃあ、震災前から人々が話し合う訓練をしていればよかったのか?
おそらく、人間は切羽詰らないと行動に移さないので、それはなかったでしょう。
そういう意味では、今回の震災で、「シティズンシップ(市民的資質)」は他県にくらべ、アップしたと思いますが、代償が大きすぎますよね。
疲れた。
でも本来、生きるというのは辛いものらしいので、その中で、楽しみや歓喜を見つけ生き延びるのだ。


全然話は変わるけど、今『モモ(ミヒャエル・エンデ)』を読んでいます。(まだ途中だけど、)
てつがくカフェに集う人たちは時間(生活)に余裕がある人たちなのではないかなと思います。
毎月てつがくカフェが開かれ、そこに参加できる幸せを噛み締めて今日も生きていこうと思います。

第23回てつがくカフェ@ふくしま・参加者感想

2014年05月28日 17時43分25秒 | 参加者感想
シネマdeカフェの感想に続いて、
今月5月17日に開催された第23回てつがくカフェの感想もアップします。
てつカフェのあと同じ会場agatoで打ち上げも開催されたためか、
シネマdeカフェのときよりもたくさんの感想をお寄せいただきました。
どうもありがとうございました。


●人生をやり直すことは可能か考えさせられました。いろいろな要素やポイントを洗い出す作業が興味深かったです。人生やり直せたら面白い……のでしょうね。

●言葉だけではわからないこともあったような…。理解することはいつも難しいです。アガトさんありがとうございます。すてきな場所だと思います。

●ざせつしたことがないという人がけっこういたのでショックだった。そういう人生に産まれたかった。自分のことで精一杯で原発の話はついていけなかった。やり直したいことはいっぱいあるけど、話をきいているうち内容があんまり難しいので、やり直すこともできないと思った。ざせつしたことがない人に、何が起きたらざせつかと思うのか聞いてみたかったです。おもしろかったです。

●初めて参加させて頂きましたが、日常一人で考えることのあまりないテーマについて深く考えさせて頂くことのできる良い機会となりました。また、皆さん様々な立場から思い思いの考えを述べられていて、私のなかでもやもやしていた気持ちや考えにしっかりとした言葉や答えを見つけることが出来、とても楽しかったです。また是非参加させて頂きたいと思います。ありがとうございました。

●多角的にテーマを論じていると思いました。欲を言えば、もっと対立とか批判とかあってもよいと感じました。(自分でもなかなか実践できないのですが…。)

●何をテーマに話しているのか、途中で迷ってしまいましたが、他の方の意見に耳を傾ける姿勢を保ちたいと感じました。言葉の選択の厳密性に、より意識的になれればよいですね。

●ありがとうございました。いつもテーマの設定、場所の確保からありがとうございます。(人生を) やり直したい、と思ったことがない、という意見が複数出たことが、自分にとっては驚きでした。多くの人が思うことだと思ったので…。でも自分の中では 「(人生の) やり直し」 ⊃ 「方向転換」 です。おもしろかったです。agatoさん、ありがとうございました!

●今日のテーマは 「人生をやり直すとは?」 でしたが、発言した後 「ペシミズムみたいな人」 と捉えられ、「それでも生きる」 などと言われてしまったので (笑)、まだまだ自分の言語能力が貧弱な証拠なのだと猛省しております。


今回も新しい方々に参加していただきました。
今後ともてつがくカフェ@ふくしまをよろしくお願い申し上げます。

第4回シネマdeてつがくカフェ・参加者感想

2014年05月28日 17時24分53秒 | 参加者感想
旧聞に属してしまいますが、4月に開催された 『ある精肉店のはなし』de てつがくカフェの、
参加者感想をアップするのを忘れていました。
(というか、荒れた研究室のなかで行方不明になっていました。)
誠に申しわけありませんでした。
遅ればせながらシェアさせていただきます。


●初めて参加しました。とても面白い内容でした。ルールについてあらかじめ説明されてから行われたので、それぞれの方が手短に意見を述べられていたのでよい話し合いの場になっていたと思います。また機会があれば参加したいと思います。本日はありがとうございました。

●とても良い企画だと思います。見なくてはいけないこと、知らなければいけないことがあると思います。さらに見せてあげること (場の提供)、自分をさらけ出すことも大切かなと思いました。福島にも人がつながる祭りがあるとよいなあ。

●タブー (ケガレ) を人間がどう扱うのか。システム上不可欠なのか?

●興味のあるテーマで、シネマの中でうまく取り上げられており、より理解が深まりました。

●学生の時、焼肉屋でバイトをしていましたが 「感謝」 がなかった。今日の映画を観て感謝できる気がします。ますますささき牛乳へ行きたくなりました。やはり顔が見える生産者を知るって大事ですね。

●みなさんの前での発言はできなかったのですが、多くを学びました。初めての参加でしたが、参加して良かったです。「見える・見えない」 の議論では、「見える」 ことが安心につながるという話もありましたが、逆に 「見えない」 ことが麻痺した安心を生み出すこともあると思いました。「見えない」 と何も知らないので何もさらに知ろうとせず、安心なままでいられることもあるかもしれません。「見える」 と、さらに細部まで気になって不安な状態になるときもありそうです。「見える」 を選べば生産者には答える義務、わずらわしい義務が生じる気がします。生産者はそれに耐えるだけの自信をもっているのだろうかと思いました。宣言は細部まで知ることができて良かったです。「汚い」 仕事を与えることで、人間としての誇りを奪ったはずが、逆にその人たちにしかできない仕事を生み出し、それに依存する社会をつくり出し、の人たちの誇りが生まれたことが皮肉であり、光でもあるなと思いました。


皆さん、どうもありがとうございました。
またのお越しを心よりお待ち申し上げます。

〈3.11〉特別編4・参加者感想

2014年03月16日 13時25分02秒 | 参加者感想
昨日、〈3.11〉 特別編4がコラッセで開催されました。
48名の方々にご参加いただき、盛況のうちに終えることができました。
今回は第1部と第2部に分かれての開催となりましたが、報告の方は後ほどアップさせていただきます。
まずは、今回ご参加いただいた方々の感想を掲載させていただきます。


●「線」 による社会・個人の分断の中で、私たちがどう生きていくべきなのか。あの日の震災が 『3.11』 という記号によって分断・省略されてしまう中で、私たちはどう向き合えばいいのか。「持続可能性」 という、一つの課題を取り出して、社会的な思想的な変革を提起してみたものの、「個々人の経験・記憶の扱い方」 という課題の方が 「福島県民=当事者」 としては重要になってくると感じた。「当事者」 としての思考の縛りがあるのだろうか。

●謙虚で真摯な学者さんたちのシンポジウム、哲学カフェでのタブーに踏み込む皆さんの姿勢、本当に刺激的な時間でした。「まとめをしない」 というところがとても好きです。アテナイの学堂のようで面白くもあり、しかし面白がってはいけない差し迫った問題を考えることができました。まとめてはいけない、意味をはみ出し続けなければならない、そう感じました。2部構成、とても良いと思います。

●一つの物事でも捉え方、考え方は個々人まちまちであることに気付いた点と、全体として捉え方そのものの難しさに気付かされた。

●牧野先生の 「お住いのトラブル」 の事例を引き合いに、基盤 (拠って立つ大地) とエンジン (足がかり) そのものを見失ってしまった悩みに対して寄り添うようにおっしゃった言葉がしみました。「不信を和らげることなら可能」 という一言が特に印象に残りました。また、3.11によって学問そのものが「実際」とかけ離れたものになってしまったことを謙虚に問い直されている姿勢にも深く共感した。福島における分断と亀裂を具体的に堀り下げ、深められるような哲カフェのテーマを設定してほしい。

●今回は2部構成で非常に充実した時間でした。初めて参加させていただいたのですが、第2部では様々な年齢、職業の方の忌憚のない意見が飛び交い、勉強になりましたし、参加しやすい雰囲気でした。「忘れる力」について議論しましたが、そもそも 「忘れる」 「忘却」 とはなんなのか、時間がなかったのですが、皆さんの考える 「忘れる力」 についてお聞きしたかったと思っています。また記憶すること、またそれを語ることへの配慮についても考えさせられることが多かったです。

●初めて参加したので、発言はしませんでした。皆さんの考えを聞いて自分の考えも二転三転しました。私は出身が宮城県なのですが、記憶はだんだん薄れているような気がしていました。しかし、今日のような機会を設けて頂くことで、忘れることはないと感じます。

●「3.11」 や 「フクシマ」 という言葉は、聞き慣れていました。今回改めて考え直してみると、その事柄の本質が隠されてしまっていると思いました。「フクシマ」 の商品化や学問の植民地化という言葉は初めて聞いたのですが、さかのぼって考えたり、商品 (例えば本など) を思い浮かべたりするとまさにその通りだなと思いました。福島にいるからこそ感じれることや見れるものがあるので、今、私がここにいる意味は何だろうかと改めて考えました。福島で感じること、実家に帰って感じることは異なります。震災、原発事故は過去の出来事のように扱われ、触れることも少なくなっている気がします。


ご参加いただけました皆様には改めて御礼申し上げます。
また、アンケートにご記入いただけなかった方も、その後お考えになられたことやご感想を改めていただける場合には、こちらのメールアドレスまでお送りいただければ幸甚です。
fukushimacafe@mail.goo.ne.jp
〈3.11〉 の傷痕はまだまだ癒えることがありませんが、また皆様とお会いし語り合えることを楽しみにしております。


第3回シネマ de てつがくカフェ ・参加者感想

2014年01月29日 23時14分17秒 | 参加者感想
去る1月26日に第3回シネマdeてつがくカフェが開催されました。
初めてのフォーラム福島さんとの共催です。
みんなで映画 『ハンナ・アーレント』 を鑑賞したあと、
そのまま劇場で哲学カフェを行いました。
映画を見に来てくださったのは130名近く、
哲学カフェに参加してくださったのもなんと90名あまり。
特別編を含めてもこれまでの最高記録は50名でしたから、
それをはるかに超える新記録の樹立ですっ
その様子は29日の福島民友新聞でも報じていただけました。



それにしてもこの映画にこれだけの人が集まるなんて!
そして、この映画について語り合いたいと思ってくれる人がこんなにいたなんて!
原発事故後初めての衆院選挙以来、
福島の現実とこの国が進もうとしている道がどんどん食い違っていくことにあきれ果て、
寂しさや空しさを感じる毎日が続いていましたが、
久しぶりに1人じゃないんだという暖かい気持ちを取り戻すことのできた1日でした。
お集まりくださった皆さま、本当にありがとうございました
今後ともぜひ 「てつがくカフェ@ふくしま」 をお引き立てのほどよろしくお願い申し上げます。

さて、いつもなら翌日にはアップされているカフェの報告文ですが、
最大規模のてつカフェであったためか作成が遅れているようです。
このところ感想用紙を提出してくれる方がめっきり減っていたため、
感想のアップは控えておりましたが (誰が書いたものか特定されるおそれがあるため)、
今回久しぶりに10枚以上の感想用紙が集まりましたので、
報告文に先立って、皆さまの感想をシェアさせていただきます。
これを読んで、どんな対話が行われたのか想像してみてください。


●いろいろな興味深い意見が聞けて、とてもおもしろかったです。また参加したいです。

●おもしろかったです。沢山の人が参加されていたのに、おどろきました。こうした会は大切だと思います。

●とても良かったと思います。議論が絶えずに続くことが驚きでした。一つのテーマについて真剣に考えることができる、大変貴重な機会だと思います。

●二項対立的な雰囲気や多数派の意見に流されないためには異端であることを主張できる環境と勇気が必要であるとわかりました。

●刺激がたくさんあり新しい発見がたくさんありました。いろいろな意見が聞けてよかったです。

●今回初めて参加しました。今回が特別かもしれませんが他の発言者に対する、反論や反対意見がない。期待とは違ってました。ディスカッションを想像してました。

●皆さんのお話しを聞かせていただき、いろいろな考え方があり心の内をかい間見たような気がしました。皆さんしっかりした思考がおありだと感じました。

●一つの映画を観ることで、たくさんの人の意見や思考に触れる機会が得れてとても面白かったです。誰かの言葉が自分の理解を助けるんだと知りました。

●私も〇☓思考では、何も生まないと思います。まず、人の話を聞くことは、最も高いスキルが必要だと思いました。愛ある行為。

●参加者の方々が実際にアウシュビッツへ行っていたり、起業家だったり原発事故に向き合っておりすごいと思い、詳しく話してみたいと思いました。ハンナ・アーレントが一つの民族を愛したことはない、私が愛するのは友人だと言っていた場面いいなと思いました。ハンナ・アーレントがアイヒマンを理解しようとしたように、自分もハンナ・アーレントを理解したいと思いました。

●哲学者は常に自分の経験を基に、自分との対話の中で考える方法を持つ人々なのだと、初めて知りました。考える行為は、人類の美徳だし、誰でももってる習慣です。もっと哲学を身近におきましょう。米国人の小説家との軽口は笑えました。同情もしました。

●自分はこのような場に参加するのは初めてだった。てつがくというのは難しいもので、考えたくなくなってしまってつらいことがあるが、そうではなく、少しずつ身の回りのことに目を向けるべきだと思う。そして、考えていくべきだと思う。考えることは、冷静になって自分を見つめていくことと、みんなで話し合ってよりよいものにしていくことだと思う。

●自身には思いの至らない所や、思いが言葉としてまとまらない所が他の方々の御意見をきいて、新しい思考を得られたり、形になったりして、非常に有意義な時間でした。

●楽しかったけど、消化不良。いや、消化不良だから楽しかったのかもしれない。個々人が思い思いに言える場は新鮮。大事なことだとも思う。でも 「思考」 の定義が一人一人異なることで、対話が成立しずらかったような気がした。「思考」とはどのような状態か。「思考」 の対象は何か。アーレントの考えた 「思考」 について迫りたくなった。

●人の考えが聞けておもしろいです。人の考え、単語から自分の思考の枝が太くもなるし、広がっていく。『知ろうとしない事が罪』。これは深く、そうだなと共感できるとともに、新たな視点でもあったし、自分の心に置いておきたいと思った。こういうこころみができるフォーラムという映画館の素晴らしさ。


皆さま、本当にありがとうございました。
次回は2月15日 agato にて、
そしてそのあとは3月15日に特別編をコラッセ福島にて開催します。
またのお越しを心よりお待ち申し上げます。

第13回てつがくカフェ・参加者感想

2012年10月22日 20時53分47秒 | 参加者感想
いかんいかん、また忘れるところでした。
第13回 「てつがくカフェ@ふくしま」 の参加者の皆さんの感想をご紹介します。


●今日も楽しかったです。

●お金とフィクションの話がおもしろかったです。

●お金のとらえかたは、他の議題よりも生き方とか性格とか価値観とかその人の考え方が強く出るなあと感じました。面白かったです。

●最初はおカネはそんなに大切じゃないと思っていたけど、幸せだけでは生きていけないと思い、やっぱり大切だと感じました。でも、やっぱり必要以上のお金はいらないかな~。

●「精神とお金が結びついている」 という話で、会津若松でパチンコ屋が儲かっているという話がありました。その話で 「依存」 という言葉が出ましたが、そうなってしまう気持ちはよくわかります。私も若松で60~70代のおばあちゃん達が、パチンコ屋に並んでいた人たちの話では 「金なんかもらうより、早く地元に帰って農業やりたい」 とのことでした。労働の対価=金という図式がなりたっているなら、生活が崩壊していて働くことなしに金をもらっているのでバランス崩れるのだろうなぁと思いました。今日の2時間参加していて、やはりお金で買えないものの大切さ (それが何かははっきりしなくても…) にこだわってしまいました。

●価値観の変容により常識が変わる、制度の新設により価値観が変わるという所にうなづきました。「お金ないとすさむ」 もすごく納得する反面、「あってもすさむ」 とも思います。お金が必要だからといって、お金があれば幸福か?はまた別の話だなぁ、と思いました。


お金というテーマはけっこう深かったですね。
またいつか取り上げたいと思います。
皆さん、どうもありがとうございました。
さて、今週末は第3回 「本 de てつがくカフェ」 です。
課題図書は 『動物農場』。
簡単に読めるけど、なかなか風刺の効いた好著ですよ。
情報操作によってみんながマインドコントロールされていくところなんて、
今の福島や日本全体の状況をまさに先取りしている感じです。
今から取り寄せて読んでも十分間に合いますので、ぜひどうぞ!

第12回てつがくカフェ・参加者感想

2012年08月26日 12時02分37秒 | 参加者感想

昨日、第12回 「てつがくカフェ@ふくしま」 がA・O・Zにて開催されました。
参加者は15名。
夏休み中ということもあってか、常連の皆さんからもけっこう不参加の連絡をいただきましたが、
県外から新たな参加者にお越しいただくなど、少数精鋭、熱い議論が交わされました。



テーマは 「愛と恋は何が違うのか?」。
このところ堅いテーマが続いていたのに対して、
もうちょっと取っつきやすいテーマをというご要望にお応えして、
久々の艶っぽい論題となりました。
最初のうちは皆さん様子をうかがう感じでしたが、最終的には非常に突っ込んだ討論ができました。
毎度のことながら結論が出たわけではありませんが、
世話人的には、恋と愛について相当頭のなかを整理できたように思っております。
今回も少ないですが、参加者の皆さまの感想をご紹介しておきます。


●私は恋を一面でとても良いものだと思うし、愛はそんなに絶対的とも良いものとも思ってなかったのですが、色々な方の様々な考えを聞いて、考えが広がったように感じます。

●初めてこのような会に参加いたしました。哲学ということで、どんなことをお話しするのかなーと思っていたのですが、身近な話題で考えやすかったです。おもしろい会だと思います。県外に住んでいるのですが、このような会がいろんな所であったらまた参加してみたいです。

●恋は相手にやられてるに一番共感しました。

●全然てつがくでないことばかり考えてしまって、今日はダメです。執着したいです。つまる恋がしたくなりました。

●恋と愛はやっぱり違うと思います。いろんな意見を聴いて、恋と愛の時間的・空間的な広がりを感じました。でも、どちらも感覚的なものな気がするので、定義するのは難しいかもしれません。


皆さま、今回も熱い討論をありがとうございました。
討論の中身は近々アップさせていただきます。
今後は、9月29日10月27日11月23日12月23日に開催予定です。
9月と10月についてはA・O・Zを取れなかったので会場未定ですが、
テーマや会場が決まり次第、またご連絡させていただきますので、
今回参加できなかった皆さまもぜひお越しくださいますようお願い申しあげます。

第11回てつがくカフェ・参加者感想

2012年07月22日 08時04分33秒 | 参加者感想
昨日の第11回てつがくカフェ@ふくしまは20名のかたにご参加いただきました。
テーマは「教育を再生するとは」。
今回もまたどのような展開になるか先の読めないテーマでしたが、ご参加いただいた方々には次のようなご感想をいただきました。

●視点がたくさんでおもしろかった。教育ということで、みんなそれぞれの立場でよかった。教育する側、受ける側、これからする側がいたことでよかった。

●今回のテーマは話しやすいテーマでした。また同じテーマでもう少し話し合いをしたいと思いました。

●教育学部に希望して、入り、だけど、教師にならなかった自分(なれなかったとも言える汗)の学生時代のもやもやを思い出しました。

●やっぱりモヤモヤした。でも何か1つの答えはそんなにすぐに見つかるものではない、と思った。誰かが言っていたように、教育は「不完全な人間に対して行うもの」であると思ったので、歴史学がずっと真実を追い続けているように、教育学もずっと「よりよい教員」を目指すしかないと思う。

●初参加だったが、あまりにレベルが高くて面食らってしまった。でも自分にはない思考を感じることができてとても楽しかった。また来たいと思う。

●答えはないのでモヤモヤしますがおもしろかったです。考えさせられるテーマでした。

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
次回もまたよろしくお願いします。

第2回本deてつがくカフェ・参加者感想

2012年06月29日 12時15分53秒 | 参加者感想


6月23日に 「第2回本 de てつがくカフェ」 が開催されました。
参加者は13名。
話し合うにはちょうどいい人数で、難解な課題図書であったにもかかわらず、
議論はたいへん盛り上がりました。
議論の内容はすでに、勤勉なファシリテーターによって翌日にアップされておりますので、
遅ればせながら参加者の皆様の感想をご紹介いたします。


●本の選び方がよかった。結論が出ないくらいでちょうどよいと思った。

●参加者の話、意見の数々を聴いていると、色々な考え方 (物の) があって、おもしろいなと思い、大変勉強になります。できるかぎり参加して、勉強していきたいと思います。

●前半は様々な解釈を聞きながら、何度も 「もう一回読み返してみたい」 なと思いましたが、「カフカの私小説」 という話を聞いた瞬間に興味を失ってしまった。

●この感想を書くこと自体が断食です…泣

●皆さんの解釈がとても多様で、人柄とか考え方があらわれているようで、とても面白かったです。

●書き始めると長くなるので別の機会に。


以上です。
本 de カフェの参加者は常連さんが多いし、
またサイトウ洋食店さんで開催し、終了後はそのままそこで飲み会に突入してしまいますので、
どうもふだんのてつカフェに比べて、感想用紙への記入が疎かになっているような気がします。
本 de カフェを盛り上げていくためにも、意見や感想をどんどんお寄せくださるようお願いいたします。
次回は7月21日 (土)、A・O・Z でフツーのてつカフェを開催します。
テーマは現在鋭意検討中です。
近々告知いたしますので、またのお越しをぜひお待ち申し上げております。

第10回カフェ・参加者感想

2012年06月22日 18時42分47秒 | 参加者感想
どうもこのところダラけていていけません。
明日はもう第2回 「本 de てつがくカフェ」 だというのに、
先月の第10回カフェのときの参加者の皆様の感想をまだアップしていませんでした。
前回に引き続く失態です。
てつカフェの日にいやというほど打ち上げたあと、翌日にもさらに飲み会が入ってしまうと、
いろいろな業務がパーッと頭から飛んでしまうようです。
明後日も飲み会の予定が入っていますので、今度は同じ轍を踏まないよう気をつけたいと思います。


●〈公〉 と 〈私〉 どちらを優先すべきか?? 〈公〉 と 〈私〉 を選択する自由があると思いました。今日も、とっても楽しい 「てつカフェ」 でした。

●家族内でこのような話題について話し合ったことはありましたが、今回のように本格的に議論をしたのは初めてだったのでとても刺激的でした。勉強になりました。

●自分の考えはいかに自分1人にしか通じない独りよがりな考え方だった事がわかりました。又おじゃましたいと思います。

●せっかく発言するなら皆さんの意見を深く多く実感としての言葉でいただけるような発問を、と思いましたが難しかったです。私としても、大体の解答を持って臨んだのですが、やはり皆さんととらえかたが異なっていて面白かったです。あとはおいしくごはん食べたいと思います。

●公と私、どちらを選択しても何かしらの悩みを抱きながら生活していくのかなと思いました。どちらか一方が ”幸せ” なのであれば苦労しないのかなと思います。だからこそ今回議論するのがおもしろかったです。

●進行が先生っぽかったです。進行役の方が求めている発言を参加者に求めているのかな?というシーンが垣間見えました。もっと場を信頼し、参加者にある程度は流れをまかせてもいいのでは?と少し思いました。ちょっと話しにくいテーマでした。”どちらを優先すべきか” というと、どうしても二者択一に流れやすいと思います。〈私〉、〈公〉 というのも抽象的で、少しイメージがわきにくかったです。

●いろんな方がいらっしゃって楽しかったです。

●今回のテーマが、「私」 と 「公」 の話し合いですが、皆さんの意見を、いろいろなことがあるなと思いながら聞いていました。今回は全員の話が 〔3.11〕 に関する話に集中していましたが、「私」 と 「公」 の問題は一般的にもっと広くあると思うけど。別のいろいろな 「私」 「公」 の問題に関しても話を聞いてみたかった。「政治」 とか 「一般社会生活の中」 「経済問題」 など。

●18さいは 「子ども」 ではないと思います。(哲カフェのテーブル上では 「対等」 であってほしかったと質問した人に言いたかったです。) テーマとはずれてしまいますが、「教員@学校教育 (もしくは公立 or 私立) とは専門職であるのか、それならどういう 『専門』 をもっている/いるべきなのか」 を切実に話してみたいと思いました。ちなみに、内田樹いわく、「教員はだれでもなれるしなれねばならない」 とかいっていた気がしますが。



明日の第2回 「本 de てつがくカフェ」 ですが、まだ数名分の残席がございます。
今からでも 『断食芸人』 を読んで当日ご参加いただければと思います。

第9回カフェ・参加者感想

2012年05月19日 10時52分13秒 | 参加者感想
今日は第10回カフェですが、今ごろになって忘れ物に気がつきました。
第9回カフェのときの参加者の皆さまの感想をアップするのを忘れておりました。
第1回本 de カフェのときは感想用紙を回収すること自体を忘れてしまいましたが、
それに次ぐ大失態です。
遅ればせながらアップさせていただきます。


●悪法ということで、参加前はとてもハードルが高く感じたが、身近なことなのだと思った。

●「法」 がテーマの主軸でしたが、自分ととらえ方や感じている距離感が皆さんちがって面白くきかせていただきました。

●みんなが平等で、楽しい会だと思います。

●議題に対する発見、気付きが多少あった気がします。

●今回の参加者のイロが左右東西南北 (?) だったのでいらだちながらも、むしろだからこそ考えが深まり、次への学びの活力になったと思いました。

●自分の生活 (人生、生き方、家族他) を守るためには、法に従うべき時と従わずにいるべき時があって、それを決めるのは個人なのだろうと…思った。

●やっぱりおもしろいです。遵守意識が薄れていいの??という話があって、すごく納得しました。なぜかわからないですが、守らなくて良いと言いきれなくて、もちゃもちゃしたまま今日は来てしまったのです。(守らなくて良い法もあるとは思っているのに、言いきれないと。)

●「普遍的価値」 なるものは存在するのかという難しい議論になってしまいましたが、それが時代的なものか普遍的なものか証明できないですよね? これを哲学的に論じた方を紹介してください。

●今まで自分が当たり前だと思っていたことが、実はそうではなかったということがとても感じられました。しかし、誰が何と言おうと、人間には普遍的な何かがあると思う。もし、そうでなければ、私たちは歴史的なものは何も考えられないと思う。「歴史的事実から学べ」 ということは間違っていることになってしまうと思う。

●悪法は私にとってはあると思い、それに従えないという思いで参加しました。その基準が何だろうと議論の間改めて考えていましたが、私にとっては、良心の問題だと思っています。自分の意志ということはもちろんだし、私が直接被らない害だとしても、誰かが犠牲 (思想・信条の自由や基本的人権などを) になるようなものが法律となったら、それは悪法だと感じます。あまり論理的ではないかもしれないけれど。だから罰則があるかどうかということでは、法に従うかどうかということを、私自身は判断できないと思います。今日は初めに立ち上げられた議論が抽象的すぎて、難しくて、どのように参加したらよいか悩みました。もう少し具体性のあるものから (拾って) とりかかってもよかったかなと思います。

●新聞などマスコミ等で 「てつがくカフェ」 があることは知っていましたが、小野原先生を見かけたので初めて参加してみました。多少の発言もしましたが、なれないので緊張しました。色々な意見を聴くことが出来たのは参考になり、たいへん勉強になりました。これからも見つけたら参加してみたいと思います。場所も良いです。


皆さま、どうもありがとうございました。
本日の第10回もよろしくお願いいたします。

てつがくカフェ@ふくしま特別編2・参加者感想

2012年03月11日 11時15分55秒 | 参加者感想
昨日3月10日、「てつがくカフェ@ふくしま 特別編2」 が開催されました。
10月22日に行われた第1弾と同様、ビューホテルの披露宴会場、
まばゆいシャンデリアの下でにぎにぎしく、3時間にわたって対話が交わされました。



テーマは 「あれから1年 〈3.11〉 で何が変わったか? ―震災・原発をめぐって―」 です。
参加者数は前回を上回る54名。
福大生の動員はまったくできなかったにもかかわらず、
これだけ多くの方々に来ていただけたことに世話人一同たいへん感激いたしました。
新聞記事の効果か、初めて参加してくださった方、
特に関東や京都など他県から参加してくださった方が半数近くいらっしゃいました。
まずは、世話人代表の牧野から今回の主旨説明がありました。



そのあとはまず前半で、3つの班 (ちょうど18人ずつ) に分かれて、グループごとに話し合いました。
前回の特別編では、50人がいっぺんにマイクを使って話し合ったのですが、
そのやり方では十分に話すことができなかったという批判をいただいたため、
今回はこの新しいスタイルに挑戦してみました。
なかなか好評だったように思います。



グループでの話し合いを2時間弱行ったあと10分間の休憩に入ります。
その後、各班のファシリテーターが、それぞれでの議論を簡単にシェアしました。



そして、最後の1時間はマイクを使っての全体討論になります。
グループ討論を踏まえてさらに新しい論点も出され、議論が深められていきました。
今回は今までで最年少、13歳の中学生が参加してくださっていましたが、
大人たちの中で臆することなく自分の意見をはっきりと述べていたのが印象的でした。



それでは、いつものように参加者の皆さまからいただいた感想をご紹介していきましょう。


●様々な意見や考え方に触れて参考になった。

●対等に発言できる 「場」 という存在は、単純にワクワクドキドキするなあと感じました。

●参加してよかった。このように語る場がはじめてだったのでよかった。話のどこがよかったかというより、このプロセスがよかった。

●この一年色々と自分なりに考えていたが、このテーマで自由に議論できる場はなく、とてもいい時間になった。東京に戻って今日の事をshareしたい。

●議論というのは難しいなと。論点の設定など。そもそも討論とは何の為にするのでしょうか? 自分の考えを深めるためのものなのですか?

●原発で多くの命がなくなりました。時間が解決するのではなく、責任者の責任を刑事事件にして命を保障すべきです。

●参加できて良かったです。サイトに後ほど感想書きます。

●最後に先生が言われた 「熱を共有する場」、なるほどなと思いました。参加して良かったです。

●とても良い機会をいだきました。ありがとうございます。横浜に住んでいるのですが、3.11/原発問題、日常の中で実感することはほとんどありません。こうやって考える機会にめぐりあえたこと、そこで感じたことを大切にして、自分のできることから何か行動しなければと思えました。

●女性目線からの意見 (結婚、子供) についての改めてふれる部分が再発見できた。この様なディスカッションする場に参加でき、現地 (福島) の方と他県の方の思いが違ったことに少し驚いた。

●震災や原発について福島の人間だけではなく、全国各地の人がこんなにも考えて、思いをめぐらせているのかと驚きました。「3.11以後何が変わったのか?」 「責任はどこにあるのか?」 といった議論から、「正しい情報とは?」 といったものまで幅広いテーマで語られていて、自分の考えもしなかった分野にまで及んでいたので非常に充実した時間でした。また参加したいです。

●私自身は、精神的に被災者であることを、時がたてばたつほどに思い、何か対象化して考えることが難しくなっていたこの頃でした。今日は、一番疑問に思っていたことで、なぜこれほどひどいことをされて (と私は思っています) 福島の人々はだまっているように見えるのか、ということで、そのことについて語ってくださったことをきけて、少しずつ見えてくるものがありました。私は最後に渡部さんがまとめてくださったように、考え続けるということが、何か新しいものへとつながる道ではないかと思っています。それを哲学カフェを通じて、あるいはお一人おひとりが続けてくださることを切に願っております。

●震災以降に東北地方に来たのは初めてでしたが、語る内容以前に、現地の方々の気迫の凄まじさを感じました。内容に関しては、やはり震災に関連した問題があまりにも多岐にわたるため、ある人が良かれと思って起こした行動が、別の人の望みに反するという現実を知りました。今後私自身が何をすべきか、ますます分からなくなったというのが正直なところですが、何よりもまず 「考えること」 を忘れないようにしたいと思いました。

●福島にて、原発、放射能というテーマで話しができたことに、大変満足しました。埼玉在住で、現地or原発に近いところの情報、また住んでいる人々の感じているところを聞けてよかったです。そして、変える、変わるというテーマで、考え、意見を交わせたことが非常によく、私も自由に話せる場が必要だと思っているので、よい意見交換ができたと思います。

●とても良い企画 (?) に参加できて光栄です。こうやって自由に話し合える場所 (しかも素晴らしいファシリテーターの方々) を提供して頂き感謝しています。正直、悲観的な考えもたくさんあってショックを受けましたが、最終的には希望もふつふつ見えたと思います。ここで討論したことを地元や家でも続けて討論し、考え、問い続けたいと思います。

●テーマがテーマなだけに、いつも以上に論点がふわふわっとしていましたし、法政大の方が 「こういう方向にもっていきたい」 という思惑が見え隠れしているように個人的に感じました。そういう点も含めて、「フクシマ」 を考える要素を得られて実りがありました。

●大なり小なり皆思っていることがあるということが確認できます。しかし、発表する場所が無い。後、発表の仕方が分からないというのは、やはり教育の結果と感じられる。教育を考えて変えるべきと思いました。

●班での討論の時間が長過ぎて、全体の時間が足りず残念でした。もっと全体での討論が欲しかったと思います。「3.11で何が変わったか?」 で最後に 「形式主義・立場主義」 の話が出ましたが、その根源には 「わからないことやイレギュラーな事に対する不安」 があるのではないでしょうか? 「未知に対する備えや想像力」 が日本人に欠如していた事が今回わかったので、そういう事ができるようにわたしたちが変わっていく必要があると思います。

●京都からいらしている方が、率直に福島について語られていたことが印象的でした。(実感がわかないというような内容 → 思ったより福島が普通。) → 住んでいる方は、ある程度普通にしていなければ暮らせない。住む以上、普通にせざるをえないのかと (見た目上)。東京の方が、生きてきてはじめて 「日本が好きだ」 と感じたとおっしゃってて、国を愛するというより、国民を愛しているのか? 国土を愛しているのか? 私は日本が好きか? 3.11を経験して、日本が好きか?考えてみたいと思いました。

●1年経って、3.11直後よりもさらに地震や原発のことを深く考えるようになった。復興が進んでいるとニュースで報道されているが、実際のところ、人の心は全く復興はしていないと思う。むしろ、1年経ってさらに深く人の心は傷ついていると思う。今回も3.11以後に変化したことはたくさんありすぎて言いきれないが、誰かが言っていたように、ただ単に変わっていくことを見つめていくだけでなく、行動を起こし、変えていくことが必要なのだと感じた。

●来てよかったです、心から。実際に福島の方達と、県内外問わず対等な立場で話し合えること、話/声を聞けること、とても有意義でした。何よりも、肩肘はった感じでないこと (世話人の方達の 「場の演出?」 のおかげだと思います) が、とても話しやすい空気を作っていると思いました。実際に色々な声を聞いた上で、またじっくり自分の中で考え続けて、また参加したく思います。


皆さま、本当にありがとうございました。
終了後、「サイトウ洋食店」 を借り切って行った打ち上げには、
今回の参加者の半数以上にのぼる35名の方々にご参加いただき、
初対面どうしの人々がさらに対話を深めていきました。
皆さんとまた語り合えることを楽しみにしております。
どうもありがとうございました。

第8回カフェ・参加者感想

2012年01月22日 08時55分57秒 | 参加者感想


昨日、大雪が降りしきるなか第8回の 「てつがくカフェ@ふくしま」 が開催されました。
参加者数は21名。
報道関係の方も3名もいらしていて、このイベントがだんだん世間に広まりつつあることが感じられます。
場所はいつもの 「サイトウ洋食店」。
毎回この会のために、夜の営業の前の貴重な時間を使わせてくださって、感謝の言葉もありません。
人気店ですから、てつがくカフェが終了した午後6時にはすでに予約のお客様が何組も到着していました。
早くお店を出なければいけなかったため、
参加者の皆さまに感想を書いていただく時間がほとんど取れませんでした。
それでも何人かの方が大急ぎで書いてくださったので、それらをご紹介したいと思います。


●色々な考え方を感じられるのがとても良いです。

●幸せって難しいような簡単なようなよく分からないなぁと思いました。色々考えました。

●幸せは自分が決める物だと思っていましたが、そうでは無い考え方の人もいて新鮮でした。

●基本的に、人は 「幸せ」 でも 「不幸」 でもないと思います。積極的に 「幸せだ」 「不幸だ」 と考えなければ、どちらにもならないような気がします。私は、「幸せだ」 とも 「不幸だ」 とも思ったことがありません。普段、人は 「幸せだ」 「不幸だ」 とよく思うものなのか分かりませんでした。ただ、今回のてつがくカフェで、それぞれが 「幸せ」 について考えているのが分かり、おもしろかったです。

●「幸」 と 「不幸」 が表裏一体という言葉が印象的でした。幸せをつかんだ瞬間に不幸に戻される。プロセスに幸せを感じる。自分の幸せ感確立できそうな気がします。


皆さま、どうもありがとうございました。
私も幸せについてこれまで以上に考えさせられました。
いつものように結論は出ませんでしたが、さらに考え続けていきたいと思います。
次回は第1回 「本 de てつがくカフェ」 でお会いしましょう。

第7回カフェ・参加者感想

2011年12月26日 03時54分13秒 | 参加者感想
去る12月23日に第7回のカフェが開催されました。
久しぶりのA・O・Z (アオウゼ) での開催です。
会に先立って世話人たちは毎日小学生新聞の記者の方に取材を受けました。



1月5日の新聞に記事が載るそうです。
今回のテーマは 「〈対話〉 と 〈和〉 の精神」 でした。



震災がらみで話し合った第6回のときに出されてきた論題ですが、
震災とは独立して話し合うこともできるようなテーマです。
前回を超える29名もの皆さんに参加していただくことができました。
もう写メでは全体像を捉えきれないくらいの盛会です。





皆さん、本当にありがとうございました。
今回もさまざまな論点が出され、立場の対立もあったりして、
けっこう問題を掘り下げていくことができたように思います。



話し合いの内容は近々ご報告させていただくことにして、
まずは参加者の皆さんの感想だけシェアさせていただきます。


●はじめは、〈対話〉、〈和〉がどういうものなのか自分自身はっきりと定義することができていませんでした。みなさんの意見を聞いて、身のまわりにたくさん対話があったことに気づきました。

●自分なりの「対話」や「和」の定義が明確になってきたので良かったです。

●「対話」「会話」「議論」についていろいろな考え方があるのだと思いました。

●「対話」の定義が自分の中で曖昧だったので、それについてよく考えられたのがよかった。自分が考えていないジャンルについて多くの人の意見がきけるのはとてもいいことだと思う。

●発言はしませんでしたが、皆さんの話を聞いているだけでも、面白い発言・意見にとてもよい刺激を受けました。

●初めての参加でしたが、すごくモヤモヤしました! 哲学的な思考ができたような気がします。特に存在についての対話はおもしろかったです。

●テーマの意味があまり分からなかったが、最後までよく分からなかった。ただ、みなさんの考えを聞いて、自分の中でモヤモヤしたものができた。

●対話について、目的がクリアであることなど、自分の中でモヤモヤとしていた「対話」や「和」について、無関係だと思っていたが、自分の中でも結びついていった。対話について考えると、まだまだ深くなるとも感じた。

●色々な方の考えを知ることができてよかったです。場から自然に「対話」がはじまる感じがとても新鮮でした。この場づくりはみならいたいです。楽しかったです(^0^)

●2時間では時間足りませんでしたね。

●原発問題や会社の会議とか意見が合わない会議は多々あり、どうしても受け入れられない場面は必ずあります。そして人間関係は多少悪くなるけれども、言葉をかわすことで必ず人間関係は回復します。なので、対話をする時は、相手を尊重する気持ちや対話の時のマナーを常にたずさえて議論をすすめることが大切だと感じます。本当に対話は大切ですネ。今回本当に若い方々とまざって勉強になりました。

●てつがくカフェに参加するのは3回目ですが、毎回、色々な意見があるな、と思います。参加して、一度も意見を述べたことがなく申し訳ないのですが、色々な意見があると思えるので無意味ではないと思っています。対話は、主題があってそれについてやりとりがあれば良いと思っています。また、絶対はないと思っていないとやりとりは難しいのではないかとも思っています。

●今回は人数がかなり多かったです。まさおさまの誕生日効果でしょうか? 自分も比較的少数派となることが多いのです。今回はいろいろな考えを完全に聞く気で臨み、そのようになりました。人数が多かったと思ったことがその原因かもしれません。

●対話は、おしゃべりとも議論ともちがうと考えていたので、対話の定義がひとそれぞれだったのが新鮮でした。それと同時に”分かっているつもり”という危うさはどの場でもあるということを実感しました。

●音楽の話が途中であって、とても興味深かったです。対話というと「話」という部分にとらわれていて、他の分野からの着想がなかったので新鮮でした。


感想用紙が足りなくなるくらい多くの方々に参加していただき、本当にありがとうございました。
世話人の側が今回のテーマに込めた意味をきちんと説明することなく会を始めてしまったので、
ちょっと皆さんの思考を混乱させてしまったかもしれませんが、
それはそれで、様々な立場からの意見を話していただくことができてよかったのかなと、
反省半分、満足半分で受け止めております。
皆さん、熱心な対話を本当にありがとうございました。
次回は1月21日 (土) に開催予定です。
さらに2月18日 (土) には福島初の 「書評カフェ」 も開く予定です。
またのお越しを心よりお待ち申しあげます。

第6回カフェ・参加者感想

2011年11月27日 22時06分24秒 | 参加者感想
第6回てつがくカフェ@ふくしまが開催されました。
参加人数はこれまで最多の27名です。
サイトウ洋食店が満席状態のなか、とてもとても活発な対話が交わされました。
今回のテーマは「〈安心〉は共有できるか?―放射能をめぐる〈温度差〉とは何か?―」。
前回の特別編で挙げられた論点の一つです。
その内容については別に報告としてまとめさせていただきます。
まずはご参加いただいた方々の感想を掲載させていただきます。

●話の中で「日本的=世間」という言葉が一番印象的でした。多くの人が自分の意見を持ち、不安を抱えつつも、みんなの前で意思を表明できない難しさがあると思います。日常の人間性を壊す危険性と新たな人間関係を構築することの大切さを個人として同バランスをとるか…。ぜひ考えてみたいテーマです。原発災害について、できれば戻りたくない気持ちもあると思いますが、「語ること」「記録すること」は当事者であり私たちがやらねばならぬことだと思います。

●これから何か新しいことをはじめては行きたいと思うが、私もデモなどには、しょっちゅう参加できないと思う。でも、ある参加者が言っていたように、自分の身近な場で、きちんと自分の考えや意見を表明するということはできるし大切なことだと思う。「和を以って尊しとなす?!」ってことわざ?があると思うが、友人同士では、ウラでは色々なことを考えるが、ちょっと大きな空間や偉い人に対しては、自分の意見等を表明しにくいのかな~って思います。私はけっこう、はっきり何でも言うんですが…この日本的な感じは何なのか、次回のテーマにして下さい。

●ゼミ以外でこんなに大規模に一番議論しなければいけないけれども、みんなが話をしないクリティカルな話をできているという現状をしっかり見れたこと自体がとても新鮮でよい出来事だと思いました。ノートをとってみたのでまた自分で深く考えたいと思います。いい話し合いの形を見れました。頭の回転が重要(?)なので疲れました。

●「知識の差」、「地域の差」、「価値観の違い」など、温度差の要因となるようなものを自分の頭の中で整理できたように思います。これから人間関係をもう一度どうつくって考えるのに非常に参考になりました。

●今回2回目の参加になりますが、以前より主体的に参加できたと思います。どうしても答えが出ない問題ですが、他の方とのお話を聞いたりしているうちに、自分の中で、更に様々な問題や考えが生まれてきて、今この状態では少し混乱しています。しかしこの混乱も含めて、非常に有意義な時間だったと感じました。足りない部分は、自身でも考えていきたいと思います。ありがとうございました。

●「考えたくないけど考えなくてはいけない」と思っていても、やっぱり考えたくはないんだと思いました。こうして、みんなが「考えたくないこと」を一生懸命考えていると思うと、そこから逃げようと思っている自分に、やはり後ろめたさを覚えずにはいられません。

●様々な意見が出る中で哲学的な答えや、哲学的にはどのような問いがあるかなどを知りたかった。

●誰もが「考えたくない」ということだからこそ考えることが必要なんだなと改めて思いました。

●当時と今では人の価値観も変化するよなぁっていうのが、当然だけどあらためて感心したことでした。ただ、価値観が作られる基準が、今は十分じゃないから食い違うのも仕方がなくって、やはりつきつめていくと、人と人とのつきあい方の原点というか、相手の尊重しかないのかーとも思いました。

●途中からの参加でしたが、みんな悩んだり、考えたりされているのが伝わってきました。答えはないかもしれないけれども、自分ではない人ともお互いを尊重するということを大切にしていきたいと思います。それぞれが考えて選択していることなので尊重したいと心から自然に思います。

●充実していました。結論は出ませんが、話したり、他の方の意見を聞くだけで気持ちが落ち着きます。

●こんなに人が集ってると思わなかったです。すごい!ドキドキして発言できなかったのが残念です。私も一番の友達と今回のことでギクシャクして連絡がとりづらくなっています。そろそろ会いたいなと思っているのですが、なぜまだ福島にいるのか心配されそうで、なかなか思い切って連絡できません。

●価値観の相違による温度差。原発以前の日常生活でも時々感じることですが、3月11日以来、いつ直面するかドキドキしてしまうくらいです。私自身は県外に住んでいるので、福島の知人と必要以上に原発の話をしないようにしていたところもありました。話が盛り上がって、自分の考えが整理できず発言できませんでしたが、充実した時間をすごせた気がします。

●温度差は価値観の違い、そして想像力の違い。集団のなかで自分の判断力に自信が持てないのは国民性。仙台から来ました22歳。楽しかったです!!

●はじめて参加しましたが、若い方が真剣に討論されている姿に希望を持てました。


ご参加下さった皆さん、本当にありがとうございました。
皆さんのご感想や要望を踏まえて次回のテーマを決めさせていただきます。
ぜひ、また額を寄せ合って考えあいましょう!