てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

シネマdeてつがくカフェ報告2022.4.23『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』

2022年04月28日 12時31分43秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
4/23(土)に開催されたてつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。


今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

当日の会場には9名、オンラインでは2名の計11名の方にご参加いただきました。


13時から課題映画の鑑賞会、

15時から映画の感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」を行いましたが

その発言の一部をまとめてみました。


【映画の感想】
・原作の漫画やアニメの知識は無いんですが、出席理由としては参加された皆さんがどういうご意見を持っているのかお聞きしたいというところがあって。ただ、もっと若い人たちが参加するのかと思っていたので、あんまりいないんでどこまでお聞きできるかなと

・僕はテレビアニメで『鬼滅の刃』を観てまして。子どもがグッズを欲しがったりなどあったんですが、家族が殺されたりとかのシーンで子どもが観なくなってから自分も途中から見なくなった。けど映画が公開された時たまたま上映作品を観て、そこから煉獄さんに惚れ込んでしまって大好きなものになった。映画を改めて観るとこれは煉獄さんの物語だなと。彼の言葉は最初から最後まで力強く温かい。心の深いところに留まるというか。すごく好きな言葉をたくさんあって、大好きな映画です

・自分は漫画も全巻読んで、アニメも全話視聴したうえで語るんですが、この作品は色んな所に影響を与えたと思います。出版業界やアニメ業界、コロナ禍で客足が遠のいていた映画業界、缶コーヒーやお菓子におもちゃ、柄物の着物までコラボや関連グッズで業績を上げた企業にとってまさに救世主のような作品だったなと。ただこれは作品の持つ魅力がなければそもそも生まれなかった現象だったと思います。それで鬼滅の刃の魅力は何だろうと考えた時、「愛」というか『鬼滅の刃』は優しさや慈愛に満ちているんですよ。主人公が泣きながら「辛かったろう、痛かったろう」という退治した鬼にも同情して、痛みを共感する。これが長引く不況と震災で疲弊し、傷ついていた人々の心に癒しを与えたのかなと。「失っても失っても生きていくしかない」というセリフがあるんですが、震災後に生き残った自分にとってはすごく心に響きました

・僕は正直なんや分からんというのが感想。テレビからポスターから色んなところで目にしましたが。あと気になったのは、(主人公の)イヤリングが旭日旗に見えた。それと道徳的な話が混じっているなと。人間的なことを忘れてるんじゃないかみたいな
→あの主人公が着けている花札風の耳飾りは「太陽」が模様で。父親が身に着けていたものを息子が継承していて、主人公の家で代々受け継がれている耳飾りで物語の重要なアイテムなんです

・自分がおっと思ったのが、出会いと成長の部分というか。煉獄さんが亡くなって涙をそそぐわけですが、(主人公たちが)成長しながら最後に亡くなるところに感動した。出会いと別れを描いたというか
→これ言おうか迷ったけど『宇宙戦艦ヤマト』というアニメが映画化された時、僕は学生で映画館へ友達と観に行ってみんな泣いていて。すごい感動していると思ったとき、大人びた一人の友達が、「みんな死んでいるから悲しいだけだ。あれを感動したと思っちゃいけない」と言っていて、僕はそれにすごく感心したのを覚えてます

【社会現象としての鬼滅の刃】
・自分はこれまで社会的な流行に背を向けて生きてきたわけですが。(鬼滅の刃を上映する)映画館の駐車場がいっぱいになったのを覚えていて。知り合いが子どもを連れて観に行っていて感想を聞くと「良かった」と。映画で「鬼とは価値が違う」「一人も死なせはしない」というセリフがありましたが、何か焚きつけるものがあるんだろうなと。逆に鬼に近い心情というか面映ゆいところもあって。映画がヒットしたのは人が(心に)引っかかるものに陥っているからかなと思いました

・質問なんですが、これっていつ上映が始まったんですか?
→2020年に公開されてます。漫画は週刊少年ジャンプから2016年に連載されて、アニメの放送は2019年です

・僕の子どももグッズが欲しいとなって。ただアニメ観ると子どもは怖くて見られないんじゃないかなと思うところもあって。でも幼稚園とか保育園で流行っている。鬼滅の刃ごっこしたりとか、柄のマスクしたりなど(鬼滅の刃が)子どもに浸透している。けど本当に小っちゃい子には殺戮シーンが多いから大丈夫かなと

・社会的な側面で『鬼滅の刃』を言うと、芸能人にファンが多い印象で。(退治される)鬼にもストーリーがある。練りに練って作られた仕組みがあるなと感じました

【映画のテーマについて】
・『無限列車編』のテーマは何かと考えた時、僕は「夢から醒めろ、現実と戦え」ということかなと。「列車」は産業革命の象徴というかテクノロジー(文明の利器)で、乗客に夢を見せるというのが人の夢に付け込んで騙して食い物にする、例えばアイドルやミュージシャンになりたい夢を持った人を騙すプロデューサーやスカウトにも見えてしまって。その鬼を退治する(鬼に対抗する)要素として刀を使ったり、呼吸があったりして。刀は(日本の)伝統的な旧来の武器で、呼吸はヨガというか東洋的な集中というか。そうした伝統や昔からの文化(技術)でテクノロジーを使った鬼と戦うわけで。あと作中で「心を燃やせ」というセリフがありましたが、身体能力で劣る人間が鬼と戦うために「心を強くしろ」というのがグッと来たというか。こういった仲間や自分を鼓舞するセリフが『鬼滅の刃』にはたくさんありまして。「頑張れ、やれる、できる、怯むな、落ち着け、集中しろ、諦めるな、喰らい付け、負けるな」という力強いセリフが多い。これって(全部自分が)誰かに言って欲しかったメッセージだなと気づいて。上司とか先輩とか。(こうしたセリフが)不況とか震災、コロナで折れてしまった人々の心に火を付けたから大ヒットしたのかなと

・漫画を読んだ最初の感想はこれってジャンプの王道だなと。構造が似ているというか。主人公がとにかく素直でいい子が段々と成長していく。そして敵にもストーリーがあってという。面白くは読んだが、ここまで社会現象になるかと驚いた

・煉獄推しというか、コスプレしている人もいてそれだけ人気なんだなと思いました

・煉獄さんが映画の冒頭で弁当を「美味い!!」と言っていたが、それに感銘していて。ありがたく意識して食べると食材も体も喜ぶし、楽しく食事ができるということをあのシーンに感じた

・僕は『無限列車』しか観ていないんですが、デジタル化社会に突入して人間の本質が表現されているというか。共感して分かち合うみたいな人間味、前に慈愛という言葉が出てきましたが、近代化されてきた時代にコンピューターの無いの昔の時代を描くことで見直したいというのがあるのでは。夏目漱石が大量生産、大量消費を嘆いていましたが。
ただ子どもたちに(作品の)残虐さが受け入れられるのかと。どちらかというとドラえもんとかが好んで見るんじゃないかなと。大人たちが愛情表現が薄れている時代に大人が観て面白いものが子どもたちにも影響されているのではと思った

【ヒットの要因】
・うちの子どももテレビでやってるのを観てたが殺戮シーンは怖いと。子どもには何となく怖いんだろうなと。どの世代にファンが多いのか分かりませんが、 20代~30代なのか。あと自分の生き方について考えるというか、映画の最後のシーンで母親に救われるところが、現代の生きづらさとかそういうのにマッチしてヒットしたんじゃないかなと思いました

・なぜ流行ったのかを考えると時代のニーズにマッチしたからかなと。これまで色んな作品、ドラゴンボールやセーラームーン、エヴァンゲリオンといったアニメが流行りましたが、これらに共通しているのは例えて言うなら「乾いた心に火が付いた」からかなと。例えば1970年代の映画は、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる暗い映画ばっかりだったところに、明るくてポップな『スターウォーズ』が出てきたからみんな食いついた。あと王道という話が出てましたが、『鬼滅の刃』もこれまでジャンプで流行った漫画を踏襲しているというか。それこそ里見八犬伝とか新選組といった要素もあるだろうし、鬼なんてまさに吸血鬼物から来ていると思いますが、そうしたこれまでヒットしたものを集めてそれを独自のものにアレンジしたうえで、今の時代のニーズにチャンネルを合わせたから流行ったのかなと

・鬼滅の刃が流行ったのは聞いた話では、アニメのエフェクトとアクションシーンがすごいというのが広がったからだと
→アニメ化されたことによって流行ったというのは僕も聞きました。新人漫画家の作品がデジタル化の波によってむしろ成功したみたいな
→漫画については新聞記事を見たんですが、(アニメで)カラー化されてから漫画も売れて急激な社会現象化したと。これはなぜなのか?(作品の)テーマに色んな複雑なことが入っているのなかなと。ただみんな見ていると言いますが、女の子は見ているのかな?というのが疑問
→女性のファンも多いと聞いてます。作品のキャラクターを自分の子どものように見ている母親層もいて、女の子もヒロインの禰豆子(ねずこ)の恰好をしたりと男女問わず人気なようです。ちなみに『鬼滅の刃』の作者の吾峠呼世晴先生は女性ですよ

・売れる作品(の傾向)を分析しているから流行ったのかなと。ただ多くの場合当たっているわけではないですけど

・急激な社会現象化したのは先ほど「乾いた心に火が付いた」と仰いましたが、今の社会に欠けているところに別の面を提示したというのはその通りかなと

・自分は(作品に)目新しさは感じなかったが、一方で成長を助ける存在というか現実世界においては尊敬すべき師がいない、大人がいないというのは問題だなと

・現代は乾いた時代と言われ、デジタルが発展したことで心が荒んでいくと考えられているが、果たしてそうかと。だから心が荒むか?と思うことがある。逆にインターネットで心が潤うこともあるのではないかと。ネットが発達したことによって偉人の言葉や昔の書籍がいつでも読める。本の内容を耳で聞くこともできる。僕はデジタル化で学びを得る時代になったと考えてます

【印象に残ったシーン】
・映画の話で自分だったらどうするかという場面があって。下弦の壱の魘夢(えんむ)が覚醒して主人公たちに襲い掛かるシーンで、煉獄さんが経験が浅い新人にいくつか車両を任せるのは、新人の力は未知数だから任せられるかなと考えてしまった。どういう風にしたらよいか考えながら見ていた
→あの場面は僕も確かに同じこと思って。ただ後から見返すと下弦の鬼がやっていたことだから成長のために任せたのかと。終盤でもっとすごい鬼を受け持つことになったのを観て、あの程度の鬼だから任せたのかと納得した

・上弦の参・猗窩座(あかざ)との戦いで「鬼にならないか?」と誘いを受けるところが印象的というか。彼は武人というか強くなること、煉獄ともずっと戦いたいから鬼になるよう勧めるわけですが

・殉職というか「散る美学」みたいな感性の話なんですが、生き汚さとは対極の誇り高く死ぬというか。煉獄さんの「責務を全うする」「若い芽を摘ませない」「胸を張って生きろ」「俺は信じる、君たちを信じる」というセリフは、下の世代を肯定して、信頼して、守る存在というか。また彼が息を引き取る直前、自分に問いかけるわけですけど「俺はちゃんとやれただろうか。やるべきこと、果たすべきことを全うできただろうか?」と。その時母親から「立派にできましたよ」と笑顔で褒められて、嬉しそうに亡くなるわけですが、このシーンは下の世代を導いてくれた人にも、上の世代に褒めて導いてくれる存在がいたというか。上の世代から下の世代にかけた、世代を繋いで受け継がれる心を描いているのかなと。辛い時代だからこそ(世代を超えて)助け合って生きていくことが大事というふうにも受け取れた

・世代間の引継ぎの話で煉獄のお母さんが言った「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません」という言葉を聞いたとき、上野千鶴子の「官僚になる人は~」と重なった。今の社会だと上の世代が若い人たちのためにというよりも、自分さえよければみたいな。下の世代に頑張りなさいという人がいないのかなと。自己中心的な人が蔓延る世の中で(このセリフがみんなに)響いていたのかなと

・鬼にはすぐ成れるのかなと。「鬼とは価値が違う」と言っていたけど、それほどは違わないのかなと思った。中々慈愛とか日常生活で言葉にはならないんですけど。なぜ大ヒットしたかと考えると、どこか押せば人間の特性というか、そういうのにあまりつられない方ですけど制作した方は分かっていて突いてきているのかなと。それで毎回当たるとは思いませんけど

・人間にスポットを当てると人の苦しんでいる様を喜ぶというか、「人間の欲求はすさまじい」と鬼のセリフがあるましたが、それはある意味人間の特徴を捉えたシーンだなと

・どんな物語でも成長するわけですが、炭次郎(たんじろう)が「乗り越えても分厚い壁が来る」というセリフはどんなに辛くても生きていかなければならないということかなと

【鬼とは何か?】
・一体全体鬼とは何か?ということをお伺いしたいなと。鬼の存在は、(人に)恨みを持ったりとかそういうのかなと

・鬼って何だろうなと思ったときに現代でも生きてる中で鬼に遭遇していると思います。人の形をしているだけで。「恨み・妬み・嫉み」みたいな自分にとって苦しいものが大きくなって深くなって、彼らは鬼になったのかなと。人間自分一人で生きていたら悩みは無いのかなと。ただ誰かと相対するから苦しむわけで、自分の欲求が満たされないから鬼化するのかなと

・『鬼滅の刃』の鬼は、不老不死の元人間で人間を喰う存在。また鬼は何を意味しているのかそのメタファーについて考えた時、自分さえ良ければいい、他者の痛みが分からない、他人を食い物にする、理性がきかない、非常な生き物なのかなと。「鬼にならないか?」と誘われるわけですが、自分にはこれ人を騙して不幸にする詐欺グループや半グレ集団からの勧誘にも見えて。鬼は人に危害を加えることに躊躇しない人間というか、共感性の欠如や他人の心を理解することをやめた時、人は鬼化するのかなと。また申し出を断ってますが、自分のための強さと誰かを守るための強さという価値観の対立構造にも見えました

・人間を食うのが鬼という話で、人を食った話というのは馬鹿にするということですが、人は鬼には簡単になっているのかなと。人を虐めるというのも鬼的な行為だなと

・鬼といっても禰豆子(ねずこ)のような良い鬼もいるので、一概に鬼全部が悪いというわけではないかと

・禰豆子(ねずこ)は何を象徴しているのかなと。鬼化はしているが特別な鬼で人を食べない。物語の展開の大きなところで。作品は兄弟の愛というか鬼化した妹を何とかしたいという想いがあって、それが作品の目新しさというか。ただ彼女は何を象徴しているのか疑問に思った
→個人的な意見から述べさせて頂くと、禰豆子(ねずこ)は「女性の象徴」なのかなと。現代の女性を表しているというか、ワイルドで強く男性に守られるだけの存在ではなく一緒になって戦うというところからそう感じました

・炭次郎(たんじろう)が主人公というが、『無限列車編』だけ見ると煉獄さんが主人公に見える。それほど煉獄さんの言葉に重みがある
→こういう作りが今の王道なのかなと。別の作品ですが、『スラムダンク』はバスケ初心者の花道が主人公ですが、チームメイトや相手チームが魅力的で、主人公よりも活躍する話も多い

・僕も漫画は全巻読んだんですが、気になるのが鬼の存在で。討伐相手として色々な鬼が登場しますが、なぜ鬼になったか知ると、元はといえば無惨(むざん)という鬼が太陽を克服する目的で鬼を増やしていて、その中には理不尽に鬼にされる人もいて。腹がすくから人を食べざる負えない鬼もいて。現実世界でも理不尽にというか環境のせいで悪者扱いされる人もいて。個人のせいにするのはそっちの方が鬼ではと思うこともある

・もし次も映画されたら、またしても爆発的なヒットになるんじゃないかなと思いました

・煉獄さんはインパクトがあるキャラクターの設定で、強い信念を持っているわけですが主人公が質問しても「知らん」と即答して話を終わらせる。そのあと「考えても仕方のないことは考えない」と言っていて、アドラーの思考に似ていて好きになりました。母に褒められるシーンでファンになった方は多いだろうなと思いました

・質問というか鬼に夢を見させられた時、自分にとって心地いい夢をみんな見ているわけだけど、なぜ煉獄さんの夢は現実に即したものだったのかと疑問に思いました
→煉獄さんの夢は現実に忠実だったのは、個人的な解釈としてはあの夢こそ「煉獄さんの幸せ」だったのかと。炭治郎(たんじろう)には失った家族との思い出を、善逸(ぜんいつ)には禰豆子(ねずこ)とのデートという幸せな夢を見せているわけですから、煉獄の幸せな夢は「現実」であったと。「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」「老いるからこそ、死ぬからこそたまらなく愛おしく尊いのだ」というセリフからも現実を受け入れてあるがままを肯定しているのが分かるので、煉獄の夢が現実なのは納得できるものだった


上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓







さて、次回のてつがくカフェは、

5月14日(土)15時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「私はどう介護されたいか?」です。


なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。


そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

シネマdeてつがくカフェ報告2021.8.22. 『おもひでぽろぽろ』

2021年08月23日 20時54分05秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
8/22(日)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。




今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

会場には5名、オンラインでは2名の計7名の方にご参加いただきました。




映画上映会が14時から、

シネマdeてつがくカフェは上映会後のセッティングもあり16時15分から始まりました。







ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。



【映画の感想】

・観終わった感想として、「若いと縁談があっていいわね」と思った

・題名がなぜ「おもひでぽろぽろ」なのか?旧仮名遣いである理由は何だったのか?思い出がぽろぽろ出ているのかな?という疑問が浮かんだ
→「おもひで」という字に時代錯誤な印象を受けた

・山形の自然や教育の在り方に対して、特に教育に関してはギョっとした想いで、まさに「昭和の教育だな」と感じた

・田舎の(百姓が)田畑を作った話で、(人間の手を入れて作ったという点から見れば)「都会のビルとかと一緒」というところは、確かに田舎も都会も同じだと感じた

・結論的にはハッピーエンドになったという理解で、それでいいんだなと思った。またタエ子さんが最後バスに乗って子ども時代の(10歳の)自分が(今の自分の)顔を伺う様子も印象的だった

・それぞれエピソードで「昔のはこうだったんだな」と思うし、細かいディティールも作りこまれていると思うが、個人的には星一つ以下の評価の映画。「握手してやんない」という阿部君のエピソードは、(タエ子という人物を紹介する導入として)最初に持ってくるシーンでは?(作品の構成が)安易というか、私はこういうのを抱えているという部分であるのに。あと、オーラスをかっこよく作るのは実は簡単で、人物も浅いし、ステレオタイプ。はだしで出てきたタエ子をお父さんがひっぱたくシーンは意外性もあって良かったが、トシオなどはありがちな田舎のキャラクター設定。テーマ性にしても、自然の話を入れて「どこまでが自然か」というのも掘り下げが浅い。これだれが褒めてるんだろう?というのが正直な感想
→阿部君の話は、彼から受けた言葉の傷が本家から結婚の話を持ち出された時にやっと思い出すことが出来たと解釈すれば、(序盤など)別の場所では出せなかったのでは?縁談を進められた際に自然や田舎で暮らすという覚悟もなかったわけで、この映画はこうとしか描けなかったと思うし、あれ以上掘り下げられないのでは?

・映画の評価として、王道中の王道という話で、ラストもセリフなしに観客に訴えるところを見ると(その後の展開は観客に)丸投げという印象

・あの後二人が結ばれるとして、その後の二人はどうなっているのかなと。あと(舞台が山形なので)山形の人が見たらどういう感想なんだろうと。自分の地元と都会を対比した場合、どういう感想だっただろうかと思った
→「なんで山形が舞台なんだろう?」と考えた時、紅花摘みの話を描きたかったのかなと(山形特有の体験)
→東日本大震災でもコロナでもあまり影響がなかった土地で(山形は)「運がいいなぁ」と感じた
→紅花と女性が着飾る話などは深く考えていけば、考えさせる話にもなるが、一つずつ突っ込んで行くと作品として散漫になる

・制作意図として、色んな事を通じて変わっていくということを描きたかったのではないかと。それが良くなることもあるし、悪くなることもある。ようは人格の形成の話かと

・正直終わった後の感想は、あっさりしていたなと。登場人物の葛藤があまりないというか軽いものに感じた

・映画の中で各エピソードを懐かしんで、そして(1991年の上映から)現代でさらに30年たっていて、という時代性が何層にもなっていく映画だなと思った

・この映画が好きなコアなファンはいて、(映画に対して批判的なこと言うと)全てを弁護してくるという体験をした。ただ「昔の映画だし、さらに昔の話をしているな」では済まない何か普遍的な話として捉えられるかなと思う
→作品を擁護してきた話の中で、「なるほど」といった意見はあったんですか?
→「その人から見たらそう見えるのね」と思うことはあったが、「あなたの意見はそうなんですね。ただ僕の意見はこうです」みたいな対立点は対立点のままで。とくに家庭教育の中で理不尽なのは、学芸会の演技から大学の演劇から出演依頼が来る話で、今だったらあんな潰し方ないなと批判したら、「いや演劇というのは大変なんだから生半可な覚悟で…」と擁護されたが、子どもの演技でオファーがあったのだから、役者になるとか関係なく(タエ子さんの)人生における豊かな経験になったのではないかなと思った
→大学から舞台に誘われる話も、今の時代(YouTuberなど)インターネットで顔出して「動画配信なんて」と親に潰されることもあるので、そこは各家庭の意見であって、時代性とは違うと思う

・子どもの頃の思い出が嫌なものばかりで、都会=悪いものみたいな、都会からタエ子を解放する話にも思える

・古いエピソードだからだめではなく、「あの時代を描いているな」という感想

・ウィキペディアを見ていたら、週刊誌に半年連載した話を映画化したということなので、かいつまんで映画にしたから広田君(野球少年)との恋話も、とてもいい子なのにそれっきりで肩透かしを食らった
→漫画のエピソードを取り上げるがただ並べているだけで、誰かの思い出話をただ聞かせられているように感じた。強弱付けてエピソードを展開していけばいいのに話がバチっと途切れているので、何がメインなのか分からないし、(話同士の)繋がりもなく全て平坦にしてしまっている

・登場人物の出し方が極端に感じた。タエ子の家族も回想でしか出てこない


【時代背景】

・当時の風土が色々出てくるが、「生理」の話は体育館に女子だけ集めて教えるというやり方ではだめでは?また、野球も男子だけが参加して、女子は見学という授業風景にも疑問。昔の方が男性と女性ではっきりと区別されているというのが分かった
→性教育の話も、その時代性を描き出しているだけでは?

・映画の序盤、タエ子が会社に10日間の休暇を申請した時に男性の上司から「失恋でもしたの?」という発言に、今の時代だったら問題になるだろうなと思いながら観てた

・「こんな時代だった」と(リアルに)描いているので、現在の価値観で色々と批評するのはどうかなと思う

・山形についてトシオが有機農業について語っていたが、人が手を加えないのが「自然」ではなく、人が手を加えて生活を営みながら創り上げているのが「自然」だという主張には賛同
→人間観と自然観の話を対立的にとらえると、「手つかずの自然」という純粋な自然は人の目に触れるものとしてそうそうない。どの自然(や田舎)も百姓の手が加わっている。昔、模擬授業で自然の大切さを伝えたいという学生がいて「安積疏水(福島の状水路)」の授業案を作ってきたが、学生からしたら緑豊かな場所だから自然という解釈だったのだろうが、「それって自然じゃないだろう」って思った。自分は人工物という解釈で、ただ彼からするとそれが自然と捉えている。単なる二元的なものではないというところは「なるほどね」と、「そういう風にとらえているのね」と感じたのを覚えている
→人が生活する場所で、そんなに(自然として)ピュアなところはないと思う。「人が手を加えたら自然じゃない」と言ってしまえばそれは人類が滅んだ後の話になってしまう

・今東京で暮らしていて、東京以外住んだことがないので分からないが、(個人的に)田舎にあこがれを持ったことがない。あと舞台が山形である必要性は無いのではと感じた。また、最後に二人がどうなるかわからないが、都会と田舎の人間関係は全然違うと思うし、時代背景として「恋人出来たのか?」なんてプライベートなことを(遠慮なく)質問してくるわけで、田舎暮らしは生易しいものじゃないし、リアリティがなく白々しく感じる

・お父さんの在り方というか、昭和のありがちな姿で描かれていて、あれは「躾」という名の暴力。お父さんはその後どういう風な年の取り方をしたのか気になった
→お父さんが娘を叩いたシーンは不思議に思った。凄く間があるシーンで、これまでタエ子は色々とわがままを言ってきた中で、何であそこではたく必要があったのかと。唯一タエ子が父親に手を挙げられた体験だったわけだし
→あのシーンはお父さんの何かの琴線に触れて叩いたと思う
→女の子が靴も履かずに外に出ることが許せなかったのでは?「女の子らしくあるべき」とかそういった父親が持つ価値観から外れたから叩いたのだと解釈したが、ただ叩いた後のことまで考えていない衝動的な行為に感じた(叩いた後のフォローもなくばつが悪そうな佇まい)
→父親が(タエ子のわがままを)受け止めてあげなかっただけかなと。また、そこだけで終わったので勿体ないなとも感じた。しかも叩かれたのはその一回きりで、もっとタエ子がわがままを言ってきたこともこれまであっただろうし、突発的ではなくじんわりとこみ上げて手をあげたシーンだと思うが、だとしてもいつも甘やかしているお父さんがなぜ?と思う。あの一連の流れで子どもが駄々をこねるのは(子を持つ)親として理解可能だが、あそこで父親が叩いた理由がいまだに不明だし、納得が出来ない
→作劇上の話として、なぜそのシーンを大事にしないのかと思う。なぜ話の軸に添えていかないのだろうか
→おばあちゃんがタエ子に「わがままだよ」といって渇を入れているシーンもあり、単にわがまま放題で育てられたわけではないと思う

・分数の割り算もタエ子が図を書いて「なぜ?」と疑問に思ったことを家族が潰した。もしかしたら論理的才能が目覚めていたかもしれないのに
→「将来分数の割り算がすんなりできた人は、そのあとの人生もすんなりいくらしいのよ」というセリフは確かに納得できるところもあるが、「なぜ?」という疑問を持つことは素晴らしいことで、あれを説明しろと言われて説明できる大人は中々いないよなとも思う

・演劇のシーンもセリフに無いことを加えたりしたことが周りに潰されたりしたが、クリエイティブなことで評価されるべきだが、いかんせん作品がそれをつまんなくしている。なぜ面白いところを深く掘り下げないのか疑問。父親がタエ子を叩く場面も逆に一番いいシーンで、あそこで予想できた人はいないはず。だからこそいいのに、そこでやめてしまう。なにかの沸点に達して切れただけに見える。だったらもっと掘り下げろよと言いたい

・新しいなと思う場面もあり、移住とか80年代に田舎に行くという姿勢は今の人に通じるなと思った

・作品に出てくるファッションで気になったのは、時代考証をしていてその時代に無いデザインは出てきていないのか、それとも今の感性に合わないものは出してないのか。ダサいとは感じなかったので、今見て不自然な服は省いたのかと疑問に思った
→当時としては、人々のファッションへの関心も高まってきたのでよくなってきつつあるのかなと
→アニメなのでみすぼらしい姿を描くのは難しいのでは?
→スタジオジブリなので時代検証はしっかりやっていると思う。(ファッションなども)多分間違いないと思うし、寝台列車の描写はしっかりしていた

・違和感を覚えたのは、タエ子と姉妹や母親との関係が現代的すぎるところ。もっと封建的な感じではなかったかと。当時はもっと暗かったし、もっと「我慢しろ」の時代だったのでは?
→反対意見として、別の漫画で考えると「サザエさん」に出てくる子どもたちも格好がみすぼらしかったり、暗い感じではないのでそれが全体ではないのかなと
→自分の兄弟関係を思い起こしてみるとやっぱろ違和感があるし、もっと貧しさがあっても良かったのでは?
→オリンピックの翌年(1965年)の話で、経済成長の中でも格差があったので、(貧しさとは無関係の)全然違う家庭環境はあったと思う。ただ(家が貧乏だったという)阿部君はもっと丁寧に扱ってやれよと思う

・「ひょっこりひょうたん島」は自分も見ていたし、タエ子の年齢と大きくは離れていないが当時らしい偏見も見受けられ、「あの頃はああだったよな」と思う。今じゃ考えられないような、セクハラの概念もないし、(映画が公開された)90年代前半でも禁煙車両が2両しかなくあとは全部喫煙車両みたいな。そう考えると今はだいぶ変わったなと
→タバコも子どもの前で平然と吸っていたし

・給食のシーンにもあるように「食べ物を残してはいけない」とあの当時は今よりももっと食べ物を大切にしなければならない時代で、そう教わってきた世代の高齢者が、今は(メニューも豊富で自分で選んだのにも関わらず外食などで)「高齢者だから」という理由で食べ物を残す姿を目にすることが多いので、そこに疑問を覚える(高齢者の「食品ロス」の認識に疑問。高齢者だからといって許される問題なのか?)
→食料が豊かな状況では仕方ないのかと
→昔の給食は全部食べるまで帰れないみたいなひどい話もあり、アレルギーなどの話はなかった

・風邪でも学校を休まないというのもあの当時の話で、今は(コロナもあり)熱や咳など体調不良であれば休まなくてはならない

・パイナップルはなんでまずかったのか?千疋屋の果物なのだから不味いことはないと思うが
→熟していなかったのでは?
→缶詰で慣れていると違いに驚く
→バナナが果物の王様というのは同感



上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓







次回のてつがくカフェは、

9月18日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「死刑は有りか?無しか?」です。



なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。



また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。



そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。


第9回シネマdeてつがくカフェ報告―『FAKE』 

2016年07月31日 14時22分38秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
第9回シネマdeてつがくカフェ記録:『FAKE』 2016年7月29日 フォーラム福島


森達也監督を招いてのシネマdeてつがくカフェが、フォーラム福島で行われました。
視聴作品は、佐村河内守氏をめぐってのドキュメンタリー映画『FAKE』です。
参加者数はこれまでの「ハンナ・アーレント」の最多記録を抜き約110名です!
ほとんどの方は森さん目当てだったと思いますが、それにしても驚異的な数字ですね。
今回は、館内で「SAKAMOTO COFFEE」さんと「RIVER BEACH COFFEE」さんに出店いただき、本格的なコーヒーを淹れていただくことができました。
また、聴覚障害の方々も参加されて、手話通訳付きという哲カフェ初の試みも為されました。
参加された方の中には、健常者の方々の考えを聞くことができてとてもよかったというご感想をいただくと同時に、今回に限らず字幕スーパーによる上映がもっと増えれば聴覚障がい者の世界がもっと広がるので、その機会を増やしてほしいとのご要望もカフェの中で提起されました。
色々な意味で初の試みとなった哲カフェでしたが、議論もまた刺激的なものになりました。

カフェの冒頭、森さんより昨今の正邪、白黒をつけて二項対立的に流布されるメディアの言説への危うさにふれながら、しかし、「この映画のテーマは何か」ということについては自分では答えられない、それは映像の中にあり、観る側に判断してもらうしかないということを語っていただきました。
この映画を撮るきっかけについては、はじめは佐村河内問題について本の出版のオファーを受けたのだけれど、佐村河内氏本人と話す中で「映像向きだな」と思い映画化することにしたとのことでした。
では、その映像の中から哲学カフェの参加者たちは何を探り当てていったのか。
以下、ネタバレに注意しながら世話人から「見えた」対話の過程を記します。

森さんの挨拶の後、30分程度映画に関する質疑応答が交わされました。
「佐村河内氏を信じていたか?」という質問に対しては、森さんは信じるか信じないかは、どちらか100%ということはありえず、そのあいだを絶えず揺らいでいたとおっしゃいます。
たとえば、彼の聴こえ具合もその日の体調によって変わることもあるし、口の動きで言葉を読み取るのも、日常をともにする香さん(佐村河内氏の妻)であれば可能だけれど、他人であればわからないということもある。
聞こえているのかと思えばそうではないかもしれないと思う信と不信の「あいだ」があり、悩みながらどちらでもないと思ってくれてよいとの答えが出されます。
今回の対話の中では、この「あいだ」はしばしば「グラデーション」という言葉にも置き換えられました。
別の参加者から、「映画の冒頭で森さんが佐村河内氏の『悲しみ』を撮りたいと語っていたがそれは達成できたのか」と問いかけがありました。
それに対して、森さんは逆に「撮れていると思いましたか」と問い返すと、「撮れていなかった」という答えがあり、基本的には森さん自身それに同意するとのことでした。
では、この映画では何が撮れていたのか?
この森さん自身の観客への問い返しから、『FAKE』の中にある哲学的テーマを探り当てていくことに移っていきました。

この映画では、嘘か本当かを問うことの中で「失われた想像力」がテーマになっているという意見が挙げられます。
また、この映画のメインは実は妻である香さんであり、彼女と佐村河内氏との関係を観るにつけ、人は根拠があって人を信じるというよりも、むしろ「覚悟を決めて信じる」ということを考えさせられたという意見も挙げられます。
さらには、「自分自身で判断すること」を観る側に突きつけている点が、この映画のテーマではないかという意見も出されました。

想像力、信じること、自分の判断力。
これらの真偽を定める上でのキーワードは、「客観的」に証明されるとされる、いわゆる科学的な真実(事実)とは別の位相を言い当てています。
しかし、これに対して別の参加者は、むしろこの映画はそれらの限界を超えた「平面」においてこそ、拡がりがあるということを表現しているのではないかと述べます。
なるほど、真実は想像力、信じる力、自分自身の判断力に基づくのかもしれないけれど、実は真実はむしろそれを超えるほどに奥行きがある。
逆に言えば、それらをもってして真実と判断してしまうことは、「実は本当はわかっていないんじゃないか?」という自己反省を失っていることになるというわけです。
これについて別の参加者は、「FAKEって悪いの?」と問いかけながら、世にFAKEがいっぱいあるのに佐村河内氏だけがなぜ叩かれるのか、この社会にどれだけ本物があるのか?と問います。
この問いの前提には、偽物に対する「本物」があることが仄めかされています。
「本物」はあるのか、それともFAKEだけで現実は構成されているのか。

すると、「FAKEが真実になるのは何によってか?」という問いが提起されます。
それは私たちの中に「真実めいたもの」を「信じたい」という心があって、それが真実や事実を成り立たせているのではないか。
それを得られなければ、私たちは不安に駆られてしまうし、それが現代社会においては狂気に結びついてしまってはいないだろうか。
だから、真実をファッションのように身につける仕方が、現代社会において蔓延しているという意見も出されました。
これに関しては、やはり「香さんの愛は100%で、本物である」と思ったという参加者から、みんな何かを愛したいから偽物でも真実であると見なすものだと思えたし、そう考えると、結局は嘘でも本当でもどちらでもいいんじゃないかと思えてきたと言います。
そして、「最終場面で流れた音楽」を聞いて涙が出たときにそれを確信したと言うのです。
この「香さんの愛」や「最終場面で流れた音楽」は、今回の対話の中でしばしばキーワードとして登場したものです。

一方、この「嘘でも本当でもどちらでもいいんじゃないか」という意見に対しては、それはそう思うところもあるけれど、嘘にまみれた福島で生きている身としてはどこか違和感があるという意見も出されます。
たしかに、いま生きている世界に嘘も真実もないとなったら…、実は後でだまされていたと知ったら…、果たしてその世界に生きている価値はあるのか。そんな疑問も払拭できません。
しかし、これに対して佐村河内問題のように被害者がいない事件のレベルと、原発事故のように国家の嘘によって被害者が出た事故のレベルを混同すべきではないという意見も出されます。
真実を明らかにする必要があるケースもあるけれど、様々なレベルがある。
その手前でいったん考えよう。
果たして、それは真実なのか、と。
森さんはこのように応えられました。

映画撮影に関わる別の参加者は、映画を観る側としては信じたくなるけれど、ドキュメンタリーを撮る側の立場としては嘘をつきたくなると言います。「ドキュメンタリーは嘘をつく」とはまさに森さんの言葉ですが、編集作業それ自体が嘘になるということでしょうか。
これに対して森さんは、真実は100人いたら100通りあると言います。
観る立場の分だけ真実はあるのであり、全てが真実だったら世界はつまらないというわけです。
ここで、解釈された事実と科学的事実という、二通りの真実が混同されていることを指摘する意見が挙げられました。
今回のテーマに関して言えば、それは前者に関して議論してきたことになるはずです。
そうであるがゆえに、真実を決めるのは自分の判断であり、そこに責任が伴うという意見も出されます。
森さんはドキュメンタリーの演出は、撮る側と撮られる側の相互作用で生まれる化学実験のようなものだと言います。
そして、映画という手法へのこだわりについて、活字は直接話法だけれど、映像は多義性を持つ間接話法だという点を重視します。
つまり見る側に解釈や判断の余地を与えることで、まさに自ら考えさせることを要求するのが、映画等の表現だというわけです。
自ら考えるとは疑うことだと言ってもよいでしょう。
そして、それが真実の前提にあるのではないか。
それに関して、3.11前に原発を100%信じていたという参加者が「だまされた」という怒りをもってあの出来事を捉えたと語りました。
私自身は、3.11以前から原発の安全性を疑わしいと思っていたにもかかわらず、あの出来事に直面したときに覚えたのは「ありえないことが起こった」というものでした。
すると、これは自分で考える=疑うということに値しなかったと言うべきか。
今回、参加された聴覚障害者の方からは、感音性難聴を持つ人が、果たして音楽を創れるのか疑問に思うところもあるというお話をいただきました。
佐村河内氏と同じ感音性難聴を持つ立場から、そうした意見を聞かせていただけるのは、また新しい視点を持てた気がします。
そして、それはやはり誰も証明できないという点では、「わからない」ということでもあるのでしょう。
この「わからなさ」と「疑う」ことのあいだに佇むことの難しさもあらためて感じさせられました。

さて、終盤、私の方から佐村河内問題に被害者はいないというのは果たしてそうなのか、という疑問を呈しました。
問題が起こる以前に彼を扱ったNHKスペシャルの中に登場する人物たちを指してのことです。
これ自体は今回の映画とは関係ないところでの話なので、取り上げることも不適切な面もありましたが、それ以上にある参加者の方から痛烈なご批判をいただきました。
この問題は「佐村河内氏の音楽」が美しいということだけでいいだけのはずなのに、それを後から嘘をついていたとあげつらうのはお門違いだ。少なくとも、彼らは傷ついていないにもかかわらず、「差別的でおかしい」人間が彼らを傷つけるのだというわけです。
残念ながら時間もなかったので、それに対する応答はしませんでした。
録音からも聞き取れないほどの激烈な彼の批判を聞くにつけ、なるほど、私の方に本人たちの与り知らないところで、安易に「被害者」と名指す迂闊があったかもしれないと反省させられたものです。
それにしても私の偽善的な発言を批判しながら、この場面において、彼が「差別的でおかしい」人間というあげつらい方を彼自身に許すのはどういうわけなのか。
真実のグラデーションにおける「他者」との「対話」の難しさを痛感させられるばかりでした。

最後に森さんに議論をふり返っての感想をいただきました。
東北の人たちは寡黙だというイメージとは裏腹に、こんなに福島の人たちが語ることに驚かれたとのこと。
また、自分では気づけなかった『FAKE』のテーマがいくつも提示されたこと。
はじめは「哲学カフェ」と聞いてもピンと来なかった対話の展開に、今までにない新鮮さを感じたという最大級の賛辞をいただき、今回のシネマde哲学カフェを閉じることができました。
私自身、カフェを終えてから森さんに尋ねたいことがいくつも出てきました。
それはおそらく参加された皆さんも同じでしょう。
それだけ『FAKE』の奥深さに感嘆しながら、なお私たちの思考は森さんの問いかけに刺激され続けていくわけです。
どうでもいいことですが、初めて森さんにお会いした瞬間、予想に反するほど背丈がありながらも少年のようなハーフパンツスタイルに、一瞬驚きましたが、やさしい語り口の中にある鋭い思想に参加者一同魅了されたものです。
遠路福島までお越しいただいた森さんにはもちろんのこと、長時間にわたって手話通訳をしていただいたお二人の方々には感謝の念に堪えません。
また、今回初めて聴覚障がい者の方々にご参加いただき、健聴者には理解できないことをいくつか教えていただけました。
今後、こうした機会をまた設けていただき、相互に「他者」理解を図れれば望外の喜びです。
フォーラム福島の阿部さんには、いつもながら会場の提供、監督とのコーディネート等並々ならぬご配慮をいただきましたこと、あらためて御礼申し上げます。これを機に、これからてつがくカフェ@ふくしまは、ますます「他者」との交流の機会を企画していきたいと思います。
次回は県立図書館で「図書館とは何か?」を問います。
多くの方々にご参加いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

なお、今回参加された皆様からいただいた感想を、氏名を伏せて「コメント欄」にアップさせていただきました。
当日、ご意見・ご感想をお書きになられなかった方でも、よろしければぜひコメント欄にお書きいただければ幸いです。



第8回シネマdeてつがくカフェ報告―『天皇と軍隊』―

2015年11月23日 14時49分09秒 | シネマdeてつがくカフェ記録


遅まきながら、第8回シネマdeてつがくカフェ・『天皇と軍隊』の報告をさせていただきます。
当日は、ゲストに渡辺謙一監督、藤野美都子さん(福島県立医大教授)、二瓶由美子さん(桜の聖母短期大学教授)をお招きしてのてつがくカフェとなりました。
時間も短かったため、十分な対話はなかなか難しかったのですが、渡辺監督の貴重なお話や、藤野さんと二瓶さんの熱い思いを聞かせていただけただけでも、充実した時間を過ごさせていただけました。
遅きに失してしまいましたが、御三方には、心より御礼申し上げます。 



観客:「天皇のことですけれど、私の父も兵隊に行ったんですが、同じ部隊が朝鮮に送られたとき背が小さいということで、父は行かずに済んだけれど、その部隊は全滅したそうです。天皇に戦争責任があると父から聞かされていたから、天皇が象徴として残っているのは幼いころからおかしいなと思っていた。けれど友達の家に行くと天皇と皇后の写真があったりして、おかしいなと思っていて、それと大きくなってから天皇に対しての批判の話をすること自体があまり言いにくい雰囲気があると感じていました。」

ファシリテーター:「天皇のタブーに関して話が始まったのはいいですね。」

観客:「私は小学校3年生の時に玉音放送を耳にしたけれど、何を言っているかわかりませんでした。神官の後継者が減っているという中で、明治維新の時に神仏分離を行いない、仏寺が壊されたという運命をたどった寺社が多いと聞きますが、(神社である)私の家でも妹しか後継ぎしかいません。福沢諭吉が天は人の上に人をつくらずといえりと紹介したそうですが、今、美智子さんや雅子さんがどんな思いをしているか。人間らしい生活ができているでしょうか。いかにヒエラルキーのために天皇制を必要としたか。ノーモアフクシマ・ヒロシマを感じながらこの映画を観ました。誰が責任がとるのかという問題は放射能の問題と同じです。戦時戦後を生き、ここに立っていること皆さんに知ってもらいたいと思いました。」

ファシリテーター:「福島のことと絡めたお話でした。」

観客:「古事記がとても好きで、全国に神社で御朱印をもらうことを趣味にしていましたが、この映画を見て、あまり見せびらかせないようにしようと思いました。」

観客:「前々から思っていたのですが、徳川慶喜も責任を問われなくて、今度の天皇もそうだし、福島原発もそうだし、旭化成の問題もそう。モラルハザードですよね。日本はめちゃくちゃ。それは日本人の特質なのでしょうか。フランス革命と全然違い、寄らば大樹の陰という感じです。もう少し日本人は徹底して責任を問わなければいけない。天皇は裁判の被告人にもならないで済んでいるわけですよね。それがなんともなぁという感じで、映画を観ていました。」

観客:「ちょうど明治維新の肖像を思い出しながら、映画を観ていました。何か日本人の権力は二重構造というか、あいまいさを残しているなと。天皇の名を語って実権を奪うことをやってきたのが明治維新だったし、その延長戦で軍国主義をやってきた人たちの子孫もそうだし。国民もまた天皇の名において、偶像崇拝的なことなのかもそれないけれど、喜んで死んでいく。この二重性がこの映画でも痛感して、天皇と軍隊は通史の映画だなと感じました。迫力のある映画だった。なぜ、いつも外からしか来ないのか。原発もそう。こうした構造が根づいたのは江戸時代から延々と国民性をつくってきて、世にも不思議な心性を持っているなぁと感じました。」

観客:「監督に質問したい。この映画で、すべての要素を盛り込みえた実感はあるのですか?」

監督:「通史だからチョイスしなければいけないですよね。たとえば、戦後処理の中で憲法草案のくだりでいえば、いましきりに憲法改正は押しつけられたと言いますよね。ベアテさんはたった一週間で憲法草案を作れと言われ、それを我々は押し付けられたと言われます。けれど、実はそれは日本人も作っていて、自民党憲法草案や社会党草案などがありました。GHQはその自民党案にバツをつけて突き返し、国会で議論する逃げ道を作ってあげたわけで、その上で国会で承認し、採決して通したものなのだから、決して現憲法は押し付けられたものではない。そういうことを検証していくと時間的に足りなかったと言わざるを得ません。東京裁判と憲法と天皇の広島巡行は三つ巴になっていて、あの当時は、日本のジャーナリストが広島・長崎に入るためには許可が必要だった。つまり、広島・長崎は禁域にされていた。そこへ天皇が行く、それはGHQの政策として行くように仕向けられのだけれど、47年の12月というのは、憲法は国民の総意とされていましたが、東京裁判はまだ途中でした。その中で、天皇が12月7日に広島に行くというのはシンボル的な意味がありました。それは真珠湾の屈辱の日なんです。その日に天皇を広島に連れていく、これは計画的でした。映像の奥には原爆ドームが見えるけれど、あれはアメリカにとっては最後のピリオド。その前で万歳をする広島市民がいる。それが同じ画面に同居する。そこに喝采する市民が映っている。それは、確実にアメリカの視線で見ると、君たちを僕らの手の内に収めたよという意味になる。東京裁判が48年11月に結審すると、A級戦犯の処刑を皇太子(現天皇)の誕生日12月23日に執行するわけです。日本国民が彼の生誕を祝うたびに、A級戦犯を思い出すような仕掛けになっている。起訴状の提出は4月29日の天皇誕生日、開廷は憲法記念日の5月3日。こういう仕掛けが潜んでいる。」



観客:「天皇と軍隊の関係をつなげた映像を見ることは、今まで経験上なかったので勉強になりました。この映画が責任問題に終始しているなかで、気になった点があります。1つは、なぜ渡辺監督はフランスにいて日本人としていることの意味です。2つ目は、天皇だけでなく石原莞爾も満州事変を起こしたのに責任を問われなかった。脳と身体との関係で見ると、みんなの体は血筋でつながっているけれど、脳の中ではみんな平等だよねという文化的な考え方と文明的な考えがあって、戦争反対的な要素をからめてみると、身体と脳の葛藤のように見えるのですが、この点に関してはいかがですか?」

監督:「私は97年にフランスへ行くわけですが、神戸震災とサリン事件は大きな原因であるけれど、プロフェッショナルとして向こうへ行く意味は、91年以降、イラク戦争などがある中でナショナリズムが非常に高まっていて、それは世界的な傾向だったけれど、一緒に働いていた隣のチームが、女性戦犯法廷のNHK改ざん問題でものすごく叩かれる様子を横で見ていて、そういう傾向から制度的に日本じゃ自由な番組作成ができないなと感じていました。日本のテレビ局は自分で作って放送するシステムになっているけれど、フランスでは放送局は放送権しかもっておらず、放送局は外部のニュース放送権を買い上げるだけで、番組を作った人間がどこで放送するかは自由。それがないとディレクターが自分で番組を作っても、そのディレクターには何もできない。日本のテレビ界にはそれがない。そうであれば、新たな挑戦をして向こうへ行くことにした。現地にいる強みを生かして、日本を向いて、しかも、日本人として日本人のアイデンティティを保ちながら、ドイツ人やフランス人に通じるものを作ろうとすれば、一度そこに反射させて日本を見るのでプリズム効果を生かしながら、それでも僕は日本人なのだよと思いながら作っています。
二つ目の質問に関して言えば、天皇には4つの顔があります。古層としての古代中世神話の時代の顔、近代天皇国民国家が明治維新から大変動なんだけれど、そこでプラスの効果を出したのは士農工商というカースト制度をひっくり返すわけですから、一君万民の下で士族も農民も地ならしして国民皆兵を可能にした。その点で、絶対君主としての天皇制に変わるのがその時期。その時代に対する反省から祭政一致・絶対君主を解体し、政治権力を剥いで「象徴」という曖昧な形に、定義しえない形にしながら、天皇は祭主としての顔はずっと保つ。これに対しては語ってはいけないとされているけれど、いま政治を動かしている人たちの中には、強烈な意思で天皇を元首に位置づけようという意思が働いているし、自民党憲法改正草案にはそう書いてある。そうすると、天皇の世継ぎの危機感というのは深刻ですから、女系天皇制容認に反対したのは安倍晋三ですが、男系を保つためには皇籍離脱をやめ宮家の復活をするしかない。マッカーサーは天皇を救済し存続させたけれど、側室制度がなければ一家族が続くはずがない。明治天皇も大正天皇も側室の子。男系は維持できないとわかって側室制度をなくした。ですから、現在の天皇制というのは、マッカーサーが仕掛けた時限爆弾だったわけです。貴族制の復活。それは遠からず突きつけられる。だから、今から天皇制をよく考えておいた方がよいわけです。」

観客:「くり返し使われる映像と、そうでない映像があることが不思議です。広島巡幸の映像は、広島市民の犠牲を肯定する映像であり、これはひどいと思った。天皇制は、私はいらないと思っているけれど、個人としての天皇が原爆投下の犠牲者に就いて考えを問われたとき、「仕方がなかった」と答えた場面は、絶対に個人の責任として許せないと思った。この他にも、タブー視される映像はあったのでしょうか。」

監督:「天皇に関する映像のタブーはあります。NHKはもっていますね。実は、この質問の前に天皇が「ご自分の戦争責任をどう思われますか」と記者に質問される映像があるのですが、このシーンをどう使うかについては、かなりフランス人スタッフとの間で議論しました。というのも、この記者会見での質問に対して、昭和天皇は「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と拒否するわけです。「文学的な質問」という答え方は、何回か見ているとわかってくるんだけれど、一見でフランス人とドイツ人が見てもわからないだろうと判断して採用しませんでした。NHKでは「天皇」というタイトルが引っかかります。そのタイトルがあるだけで放送できない。それほど日本のメディアは本当に神経質。ますます最近はひどくなっています。」

ファシリテーター:「時間も無くなってしまいました。最後にゲストに一言いただきましょう。」

藤野:「映画を見ていて、一方でマッカーサーは天皇を利用したというのは強烈に印象に残りました。とはいえ、なぜ日本が戦争に突入していったのか、という自覚的な反省がなかったから今に至ってしまったのではないでしょうか。天皇の葬儀を出す際に、憲法学者として異議を唱える主張をしていると、そんなことに関わると殺されるよと母親に言われたのが印象的でした。割と権力に懐疑的な親ですら、そんな政治権力に対する意識があるところに根深さを感じたものです。」

二瓶:「戦後50年たった時にベアテさんの『1945年のクリスマス』という本に衝撃を受けた覚えがあります。押しつけ憲法論というのは、脈々とあるのですが、小高出身の鈴木安蔵の役割とか、GHQのメンバーは軍人だけれど、ほとんどが弁護士の資格をもった人々だった。一つ一つを丁寧に見ていくと誤ったイメージが正されていくことがわかります。自分の学生たちには正しいもの、真実を見つめる学び方を伝えたい。事実は何かを学生たちは自分の心で考えてくれるものです。」

監督:「僕は、こういうイベントを来週の土曜日にパリでフランス人を相手にやりますが、彼らは、いま福島はどうなっている?と、とても気にしています。福島の人たちの声には政治性があるので、どんどん発言してほしい。はっきりしていることは、日本は今、ナショナリズムに覆われていて、ほとんど全体主義的民主主義的という、相反するような状態にあります。この自由の軽視と殺すことが、ほとんど強要されかかっている社会状況の典型が、福島の原発であり、沖縄基地の問題です。いまの日本は、個人主義やメディアがどんどん社会全体が委縮しているのです。」

第6回シネマdeてつがくカフェ報告―「悪童日記」―

2015年01月10日 19時59分47秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
昨夜、映画「悪童日記」を鑑賞した後に、そのままフォーラム福島館内を会場に、第6回シネマdeてつがくカフェが開催されました。
参加者は41名です。
平日の夜に、しかもマニアックな作品としては、かなりの入りだったのではないでしょうか。
しかも、今回は数名の高校生も参加し、大人顔負けの発言で会場を唸らせました。
初参加の方もかなり多かったにもかかわらず、議論の内容はかなり高度だったように感じました。



「魅力的だと思った部分と疑問だなと思う部分がありました。冷酷だったり道徳的だったり。そこにもどこか彼らなりの基準というのがあるように感じましたが、それはどこにあるのか。そんな疑問を持ちました。」

「私は今の意見とは逆のことを考えていました。戦争が人間をこのようにさせるのか、人間の本質がこうなのか。悪という言葉とは違うかもしれないけれど、監督は人間の本質を表現したかったのかと悩んだというか、興味を持ちました。」

「戦争という背景は大きいファクターだと思いますね。」

「感想は、彼らは彼らの中での正義があって、それに従って動いている気がしました。」

「その正義ってどんなものだと思いましたか?」

「最後のおばあさんを殺してしまうシーンとか、たしかに本人に頼まれたこととはいえ、彼らには自分たちの意思があって、その時の感情ではなく、行動の『基準』があった気がします。」

「修道院の女中を殺した場面や、お父さんを踏み越えていく場面にも彼らなりの『基準』があった気がしますね。」

「あばあさんに興味がありました。あのおばあさんは魔女ではなくて、実はおじいさんの死を幇助したのかなと思いました。勝手な解釈ですが、この映画は「生きる」というのがテーマで、死にたいという思う人は死なせるし、生きたいと思う人は救っていたのではないでしょうか。」

「基準に関して「生きる」というキーワードが挙げられましたね。」

「おばあさんは自分の娘を「雌犬」と呼んでいる。もしかしたら父親はその娘に性的虐待をしているから父親を殺したのかな。結婚写真を悲しそうな顔で観ている顔からそんなことを感じました。とにかくクエスチョンが多い映画でした。どうしてあの双子が別れられたのかなと思いました。ああいう世界を生きるためにいくつか試練を作っていましたが、やっと生きる力を身につけられたからこそ二人は別れられたのではないでしょうか。皆さんの話を聞かないともやもやしていたものが落ち着きました。」

「私は、皆さんの話を聞きながらますます疑問が深まりました。この映画の中で、靴屋のおじさん以外にイイ人はいたんだろうか。彼以外の人々の姿こそが人間の本質かなと思いました。」

「おばあさんは?」

「おばあさんは映画の中ではおじいさんを殺している設定でしたよね。」

「この映画の中で愛情はどこにあったのでしょうか。あの双子からしたら靴屋のおじさんに対するものは愛情だった。おばあちゃんの愛情も深いものあったけれど。あのお父さんが国境を越えようとしたとき、初めは子どものために自分の屍を超えさせようとしたのかなと思いましたが、お父さんが子供に対する愛情はあったのか、と思うとまた疑問がわいてきてわからなくなりました。」

「お父さんが子どものために自分の屍を超えさせようとしたのではないか、という意見は驚きです。」

「彼らはお母さんが迎えに来た時、なぜ一緒に行こうとしなかったかという疑問もありました。」

「救われない映画だなと思いました。家族って何だろうなということをすごく感じていました。お母さんの愛情というものを信じていたけれど、戻ってきたら違う男や腹違いと思われる妹がいて、お父さんが戻ってきたときは、「本当に戻ってきたのかな?」という不信感があったのではないでしょうか。だから、お父さんが自分たちを捨てたという確信を持った時、父も母にも捨てられた以上、一人ひとりが本当に自分で生きていかなければならないと確信したのではないでしょうか。」

「悪童日記というくらいなので少年の成長物語だとおもったのですが、双子が別れるのは死ぬより辛いとあったのに、最後は別れた。人間は最後はひとりで生きるものなのだということを表現していたのではないでしょうか。」

「人にこの映画はなんですかと聞かれたときに説明しにくい映画だなと思いました。感想としては、聖書と本を持っていたと思うのですが、場面場面で協会などの宗教的なものが映し出されていましたが、実際、この映画では「神」はどのように扱われていたのでしょうか。皆さんの意見を聞きたいと思います。」

「今の質問に答えるわけではありませんが、戦争で人生を狂わされていく人々について考えさせられました。戦争の狂気に巻き込まれていく中で、少なくとも自分は訓練はしないと思うのですが、その中で人間はどう生きるのかなと考えさせられました。皆さんはその辺のことをどう思っているのでしょうか。」

「狂気という言葉を使われましたが、あの映画の中で正気だったのは、子供たちだけだったのではないでしょうか。彼らはその状況に応じて理性的に判断していました。冷酷というよりは狂わずに正気で、今何をなすべきか選び取っていたものではないでしょうか。「神」、「教会」、「聖書」という言葉を出された人がありますが、そこでほのめかされたのは「偽善」ではなかったでしょうか。神は直接には何もできないわけで、人間そのものの偽善が示されていたのではないでしょうか。哲カフェ前には何を話せばよいかわからなかったけれど、皆さんの意見を聞いているうちに「そうそう」といえるようになった。」

「神に関して問いかけがありましたが、映画の中で聖書を勉強の道具として使っているだけで、宗教的な神なんて存在していないと思います。『汝殺すなかれ』なんて意味がないし、司祭もわいせつなこともするし、この世には完璧なものがない。倫理も道徳もない戦争の中で、彼らが自分たちの中で基準を作ろうとしている姿なのではないでしょうか。」

「テーマは『生き抜く』ということ。生きようとしている兵士は救おうとし、死ぬ意思を表示した人には手を下した。70年前のことなので、現代のような情緒的な家族観とは異なる時代だったでしょう。父や母も切り離したし。宗教的なことに関しては、聖書はテキストでもあるし、司祭はカトリックのゆがんだ形式主義的なこととか、婚姻の許されない文化に性虐待なども描かれているのかなと思いました。」

「始めから子供の強さに触れられていたけれど、むしろ逆に感覚を麻痺させていっているように思えた。そうでなければ生きられず、最終的に二人でいることは束縛になるので、別れざるを得なかったのではないでしょうか。それと戦争が終わった時点で、彼らの正義感は通じるのかと疑問に思いました。正義感や強さを保ち続けるのは難しいなと思いました。」

「感覚的に麻痺させるという話はその通りだなと思いました。学生時代に学んだ養老孟司先生にこの本を勧められたとき、「論文ってこう書くもんなんだよ」と教えられました。私たちは成長するうえで感情を殺しながら成長していくんだよといわれた。解剖学を学んでいましたが、まさにそれは感情を殺して俯瞰的に見ることが大事なんだ、この本の中に書いてあるんだよ、と。」

「『僕ら』という言い方に関して、固有名詞ではなくて、名前でそのキャラクター付けする自分としては入り込みにくい映画でした。なぜ二人が別れていくのがなぜなのかという質問がありましたが、実はそこにキャラ付けが唯一あるところなのではないでしょうか。」

「感情を殺していく中で学んでいくことで理性的な存在となる点はそうだなと思いました。双子のキャラクター、そもそもなぜ主人公はひとりじゃなかったのでしょうか。」

「今、理性と感情という言葉が出ましたが、あの二人の目が野生の動物に見える瞬間があって、お母さんと再会した場面で、二人は言葉を交わさないんだけれど、分かり合う瞬間があって、それが野生的なものと感じました。戦争というものは、日常では覆い隠されているようなもの道徳や偽善がむき出しになるような状況、その中であの二人は理性的といえば理性的だけれど、彼らは強く生きるぞという意志も感じられないくらい自然でした。だから野性的なものを彼らから感じました。」

「いま野生的な目ということでしたが、かつて哲学の授業で聞いた自然状態だなと思いました。あの映画の社会の中で、戦争という状態の中で秩序のない状況を上手に考えていると思いました。じゃ、戦争がなくなって理性的な状態になれば素晴らしいかといえば、偽善とか抑圧のある社会になってしまうのかなと思いました。善悪の問題に関していえば、靴屋さんだって悪さをしていることだってあるだろうし、一人の人間の中で善悪が混在しているんだろうなと思います。」

「自分の生い立ちと映画の内容が重なったのでさほど驚きもせずに見ていました。先ほどから挙げられている、双子に独自の『基準』があるということは感じませんでした。水汲みと槇わり以外は、割と周りに感化されていたのではないかな。反抗期だったのでは。彼らの訓練と呼んでいるものは自傷にしか見えなくて、その行為によってぎりぎりの理性を保とうとしたのかなと思いました。意外と弱いなと思いました。」

「この双子というのは小学生くらいかなと思いました。彼らはただ学ぶというか、欲求を自覚しているわけではなく、周りを見ながら学習していた気がします。」

「最初は子供と親の視点で見ていましたが、最後は親の視点で見ていました。震災の時、子供を疎開させた親もいて、親は子供を疎開させる方が幸せだと考えるのでしょうが、子どもの方は必ずしもそう思っていません。親はなくとも子は育つし、思うように育たなくてもありかなと思った。すがすがしい映画でした。」

「色々なものがそぎ落とされていて、感情的なものがそぎ落としていて、たとえば愛とはないかとか戦争とは何かとか誘導するものが全くない。だからすごくすがすがしい。ストレートで骨太。疑問もあるけれど、作家の言いたいことは見るものに任されている、生の形自体が放りだされていることがすがすがしいと感じるのだ思います。この作品が書かれているのも80年代から時間も経っているけれど、戦争の時代を伝えるのには、そのくらいの時間が必要なのかなと思いました。」

「解説の方には価値判断を除いて事実のみと書いているんだけれど、それではたして小説が書けるのでしょうか。映画が書けるのでしょうか。」

「離れに兵隊さんが招かれたとき、和解将校がなぜ嫉妬したのですか?」

「映画全般にホモセクシャルな部分も出ているし、強姦の話も出ているし、母親も別な男を作っていたり、母親が性的虐待を受けていたということをにおわせていたし、セクシャリティの観点から描かれている部分が見られました。」

「見ることと聞くことを分けた訓練が重要何だと思いました。言葉がないと相手に伝えられない、見ることだけ聞くことだけでは不十分で、最後は言葉によって結びつく学習をして完成した形で別れたのではないでしょうか。感情的なものを書かずに理性的なもので書くことで、狂気的な理性が完成されたと感じました。」

「映画で描きたかったのは、善なのか悪なのか。」

「善悪を超えて、人間とはこういうものだということをできるだけ正確にありのままに描き切ろうとしているのではないかな。」

「その点で、いまの日本社会に生きる私たちの状況はこの小説の状況に近づいているのかもしれませんね。」

「すごい映画だったな。死がずっと思い出される。色々な死が出てくるけれど、それをたどると人間の本性をざっくばらんにぶっちゃけている。死ぬということを色々な形で物語っている。」

「最後に双子が別れるシーンがあるけれど、一人は今までの場所に残るけれど、一人は過去のことが書かれたノートをもって国境を越えていく姿は、けっきょく過去に縛られているのではないかと思いました。前に進んでいるわけではない。感情がないから、悔しいから前に進もうということがない。もしかしたら彼らは過去に縛られているのではないでしょうか。」


最後に高校生から問いが提起された時点で、残念ながらタイムアップとなりました。
映画を観た後はその映画について思い思いのことを語りたいものですが、とりわけ今回の『悪童日記』は見終わった瞬間に呆然として言葉にすることができないという参加者が多かったように思われます。
けれど、興味深かったのは、今回ほど他の参加者の意見を聞くことによって自分の言葉を見つけることができたという声が挙げられたことはなかったのではないでしょうか。
その意味で、あらためて他者の言葉によって自らの言葉が引き出される力があることを認識させられたものです。
まだまだ話し足りなさそうな方もいらっしゃいましたが、また次回、ぜひ多くの方々にお集まりいただきたいと思います。
フォーラム福島の阿部さまにはあらためて御礼申し上げます。

第5回シネマdeてつがくカフェ報告―DANCHI NO YUME―

2014年11月14日 20時58分31秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
「DANCHI NO YUME」を鑑賞しての第5回シネマdeてつがくカフェが、昨夜フォーラム福島で開催されました。
同映画は、本邦初の本格派ヒップホッパーANARCHYのサクセスストーリーを映画化したドキュメンタリー作品です。
そして、なんとなんと、既にお知らせしたとおり、映画の主人公であるANARCHYご本人を迎えての哲カフェです!
写真は左から今回の上映企画者ゆうたまん=平井、DJ AKIO、ANARCHY、渡部、小野原。

観客も90名を超える大盛況ぶりです。
立見席まで出るほど予想以上の入場者に、フォーラム支配人阿部さんも大わらわ。
ANARCHYが登場すると同時に、一気に観客の興奮も高まります。



このありえない哲学とヒップホップの異種格闘技戦は、ゆうたまん平井さんの無茶ぶりと渡部の安請け合いから始まったものですが、実は企画が決まってからというものの、けっこうブルーな気分になっていきました。
というのも、先に視聴させていただいたDVDで、自分が生きてきた世界とは完全に異なる世界での生き方に引いていってしまったし、
さらに、ANARCHYの自伝『痛みの作文』(ポプラ社)を読んで、その半端ないヤンチャぶりにドン引きしてしまったのです…
うーん。
下手にANARCHYにツッコミ入れたらファンにディスられるんじゃないか…
等など不安の種がつきません。
しかも、当日は上映前に打ち合わせをする予定が、タイミングが合わず、けっきょく哲カフェの場での初対面となりました。
いったい、哲カフェなんて成り立つんだろうか…
こんな感じで、ついにヒップホップ×哲学の異種格闘技戦が始まったのです。

・・・・・・・・


渡部:「はじめまして。当初打ち合わせをするはずが、タイミングが合わず、とうとう哲学カフェ本番での初対面となりました。哲学カフェって何をする場だと思っていました?」

アナーキー:「なんですかテツガクッて?考え方?」

渡部:「会場の皆さんもANARCHYのトークショーだと思って来られた方の方が多いのではないでしょうか。ただ、普通のトークショーとは異なって、むしろ皆で「ヒップホップっていったい何?」というテーマで、むしろアナーキーさんに向けて映画をご覧になった会場の皆さんが「ヒップホップってこうだよ」と語って、それに応じていただける形式で進めたいなと思います。もちろん、真逆の考えがあっていいし、むしろ色々な見方が出てきた方が面白くなります。それが哲学カフェだと思っていただければいいと思います。そもそも僕も小野原さんもヒップホップがよくわかっていませんので、僕らに教える感じでお願いできればありがたいですね。」

観客A:「映画を見て、仲間と本当に楽しくやっているし、現代のいい音楽というより言語という感じがしました。これから何を伝えたいですか?」

アナーキー:「常にどんなことを歌いたいのかを考えているのですが、仰るように言葉がやっぱりヒップホップでは重要だと思っているので、他の音楽にはない良さがヒップホップにだけにはあると思っています。育ってきた環境から滲み出てくるものだと思っているので、これから生きていって俺がどんなこと考えたり、どんな人とつきあったりするのかによって僕の歌いたいことが出てくると思う」

渡部:「言葉が重要だとおっしゃっていましたが、民謡とかとは違うんですか?」

アナーキー:「僕はあんまり民謡を聞いたことがないからわからないけれど、一緒やと思います。落語とか漫才もそうだと思うし、何もないところから自分の言葉を表現して、自分のいる環境から抜け出そうとしたり、何もないことを武器にすることがヒップホップだと思っていて、その辺は一緒やと思います。」

小野原:「言葉という点から行くと、イメージとしてヒップホップは戦闘的なのかなと思っていました。対立的というか、言葉を武器にして闘う、銃弾として使うというイメージだったのですが、アナーキーさんのリリックを聞いていると「仲間」とか「出自」とか、むしろ対立を乗り越えていく言葉に聞こえるのですが、それがヒップホップなのか、それともアナーキーさんのヒップホップが特別なのでしょうか?」

アナーキー:「そうです(笑)。もともと10代の頃なんかは対立的なものだと思っていたのかもしれないけれど、フリースタイルバトルなんてのもあるし、でもどんどん音楽としての良さも出てくるし、今ではそういう意識はあまりないですね。人との対立というのは表現法の一つだと思っています。」

観客B:「ロックが最初好きだったんですけれど、ハイスタみたいなパンクから入って、ライブから入りました。『痛みの作文』とか読ませていただいて、僕が育ってきた環境とか全然違うんですけれど、「仲間」とか「夢」とかかっこいいなと思って聞いていました。明日ライブ行くのででよろしくお願いします。」

観客C:「自分はアナーキーさんのすげぇファンなんでよく聞かせてもらっているんですけれど、映画ではあまり出ていなかった曲の部分での今後の目標を教えて下さい。」

アナーキー:「やりたいことはいっぱいあるんだけれど、ヒップホップって色々ある音楽の中で一番好きやから選んでまして、すごくいい音楽だと思っていて、もっとこの文化を広めたいし、ふつうに子どもから大人まで聴ける音楽にしたいと思っているし、いまおじいちゃんおばあちゃんラップきかないけれど、俺がじいちゃんになったらラップ聴く時代がくると思うし、今までアメリカのヒップホップ見ていたからそう思うのかもしれないけれど、その空気が好きでみんなが育ってきた環境とか、みんなの気持ちをステージの上で歌うのがラッパーやと思うんですよ。それをこうやって、ちょっとずついろんな町に行って、いろんな人に声を届けて一人一人の生活の一部になって、一歩踏み出せる勇気になればなと思って、それを俺は日本中マジ選挙活動しているのと一緒で、いろんな人たちに届けていけば一人ひとり、一票一票増えていって、ヒップホップ文化がすごくでかくなっていくんじゃないかなと思っています。それが今の目標かもしれないです。一票お願いします。」

観客:「アナーキーさんが世間に認められた時どんな思いがしましたか?」

アナーキー:「認められたとかいう感覚はなくて、あの(ファースト)アルバムをきっかけにこれでご飯食べていこうと思った時でもあったので、自分でいうラッパーに初めてなれたかなと思ったくらいでした。」

渡部:「さきほどから「環境」とか「仲間」という言葉が出てきますが、それは重要なタームなのでしょうか?」

アナーキー:「映画を見てもらってわかるように、僕らああいう感じのところに暮らしているんですけれど、それぞれの皆もあるじゃないですか。お金持ちとか貧乏とか治安がいいとか悪いとかじゃなくて、自分の前にみんな壁があって、みんながその環境と戦っているわけじゃないですか。僕はそれをヒップホップで闘っているわけで、みんなそれに置き換えてほしいなと思っています。」

観客:「ヒップホップは韻を踏みますよね。その韻をふむときに、アナーキーさんはインスピレーションなのでしょうか。それとも最初に言葉があってそれに合わせて韻を考えるのかどちらなのでしょうか?」

アナーキー:「両方あるんですけれど、言葉がぱっと浮かぶときもあるし、流れで出てくることもあります。自分の中からどうやって言葉が出てくるのか、どうやってリリックがひらめくのか、まだ自分でもよくわかっていないんですよ。感覚で覚えて来たものなので、教えられるほどのものではないです。」

渡部:「映画の中ではアナーキーさんのリリックに惹かれるという場面がありましたが、ほかのラッパーとどう違うのでしょうか?ファンの皆さんはどうですか?」

アナーキー(ここは手ぇ上げとこうや(笑))

観客:「アナーキーさんは他のラッパーと違ってリアルなリリックを書いていると思っているんですけど、今回「ニューヤンキー」で「もう夢は叶っている」というリリックがありましたが、どういう夢だったのですか?」

アナーキー:「さっき言ったみたいな夢です。「願うことで叶っている」と俺は思っていて、これを願い続ければ叶うと思っているんですよ。願っていればかなっていると、そういう意味のリリックなんですよ。僕は東京ドームや武道館でライブできたわけじゃないけれど、俺、武道館でライブやると思っているから、その夢はかなっている、そういう意味です。」

(やや沈黙)

アナーキー:「いつも哲カフェってこんな感じなのですか?」

渡部:「こんな感じです。この沈黙の時間が一番大事なんです。」

小野原:「みんな考えている時間だからね。」

アナーキー:「よかったー。そうっすね。僕も恥ずかしいし。この映画も上映するって言われた時に、7年も8年も前のものやし、恥ずかしいものもあったし、ゼッタイ嫌やって言い張ったんですけれど、やっぱそういうルーツ、今までの自分を見せることもヒップホップやって、自分のお兄ちゃんみたいなリューゾーっていう人に言われて、映画見せることも本を見せることも、今までのことを恥ずかしがっているようじゃいけてるラッパーじゃないよね、って言われたから、やろうと思ったんですけれど、ほんとは心の中、マジ恥ずかしいです」

渡部:「いまルーツと仰いましたけれど、「ルーツ」とか「地元」とか生い立ちとか、そういう部分を見つめていることが印象に残っています」

平井:「ヒップホップの大きな特徴は地元を「レペゼン」するということがありますよね。つまりリプレゼント、代表する、誇りに思う、自慢するという意味ですね。そのときに、何もない広大な団地しかない向島という地域を自慢する、誇りに思うというのは、どこにそういうものを見出したのでしょうか?」

アナーキー:「見てもらった通り、地元に何もなかったから、こういう仲間がいたわけじゃないですか。それがヒップホップだと思っていいて、何もないところで、みんな集まってラジカセ囲んでラップくらいのことしかないというところから始まったんですけれど、そうやって自分らの街のことや仲間のことを歌って、レペゼンしている自分たちが格好いいと思っていて、そういう自分たちを自慢しようよとっていう感じしかなかった。だから仲間仲間って歌っているのだと思う。でも、仲間ってすごい大事やと思いますよ。これはたぶん歌い続けると思いますけれど、福島もいろいろ原発放射能大変なことがあると思うけれど、けっきょく一番最後に助けてくれるのは隣にいる仲間やってことだけはみんなに思っておいてほしいなと思います。」

渡部:「レペゼンって、ヒップホップ用語ですか?」

アナーキー:「レペゼン!」

渡部:「福島でヒップホップされている方が何人かいらっしゃいましたが、地元を意識されてされているんですか?」

観客:「地元を盛り上げるというのは前提です。」

観客:「向島は歴史が浅い地域のように見えたけれど、伝統のないそんな地域にラップの文化がどうやって根付いたのでしょうか?どっから来たのでしょうか?」

DJ AKIO:「僕ら何もなかったので、なんでもよかったというか、友達と一緒にいるスケボーとかをやり始めていて、アメリカの文化を取り入れて入ってきたというところですかね。地元にただ単になんもなかっただけなんすけれど、みんなで集まれる理由がヒップホップだったということです。」

観客:「映画のテーマで仲間とか、ヒップホップって横のつながりを大事にしていると思うんですけれど、逆に孤独っていうものを大切にしたりしないのですか?」

アナーキー:「でも、制作しているときは孤独です。自分でもの作っているときは誰ともしゃべらないし、家から出ないし、ご飯も食べないし。でも、孤独は絶対重要やと思っていて、独りで考えるときやもの作るとき、孤独で生まれるものはたくさんあると思います。俺は子供の頃、母親がどっか行ったり父親がどっか泊まったり、小学3年4年から独り暮らししていたんですけれど、家帰って自分で食事を作ったり夜中まで遊んだり、その時孤独でいろいろ考えて俺っていう人間が生まれたし、この孤独がなかったらラッパーに多分なっていないと思うんです。孤独ってそんなに恐れるもんではないと思うんですよ。孤独はあった方がいいですよ。孤独になったとき、大きくなったり強くなったりできると思うんです。」

渡部:「孤立しすぎる人もいましたか?」

アナーキー:「いましたね。かわいそうだと思いました。でも、俺はそういう子もみんなラッパーになればいいと思っていて、みんなでやれば面白いと思ったので、お前もラップやってみろって。みんなでやれば面白いんじゃないか、鬼ごっこと同じですね。それに入れない人もいましたけれど、でも、その人はその人で俺に押し付けられないいい人生を歩んだと思うし。」

渡部:「逆にアナーキーさんから皆さんに問いかけたいことはありませんか?」

アナーキー:「皆さん福島が地元ですか。そうですよね。よくわからないんですけれど、災害の後、街でいろいろ大変なことがあるじゃないですか。たとえばこの街で放射能を浴びたりして、子どもたちが大変なことになるとか、この街をでなあかんとか、いろんなことと戦っていると思うんですけれど、実際、街に住んでいてどう感じたりして、どうしてほしいとか、どう動きたいと思っているとか、俺福島に住んでいるわけじゃないので、わかないんでこうやって話せる機会があったら、どんなことを考えて生活しているのか、僕何が正解かもわからなくて、さらにニュースでも難しいことばかり言っていて、何がいいか悪いかもわからなくて、でもみんなも一緒だと思うのですが、みんな実際心の中でどう思っているのか聞いてみたいなとは思っていました。」

渡部:「いかがでしょうか?福島に住んでいて皆さんどう思っているのか?」

観客:「頭にきまくって、悲しみまくって、どうしようもないです。でも、わからないようにごまかされている人が多いので大人しくしているだけです。元々大人しい県民ですから黙っているのだと思っているのだと思います。私も騙された口だったのですが、最近になって色々なことがわかってきました。」

アナーキー:「なぜ騙されたってわかるんですか?」

観客:「勉強したからです。」

アナーキー:「誰が真実を知っているのですか?」

観客:「自分がこの人だったら正しいなという人の本を読んだり、講演を聴きまくりました。」

観客:「いろいろあると思うんですけれど、福島のコメと果物はサイコーに美味しいので、ぜひ食べてみて下さい。よろしくお願いします。」

観客:「僕は洋服屋で働いているものです。その当時、僕は洋服で元気をもらったので、今は仕事を通してお客さんを元気にしたいと思っていて、離れたくても離れられないです。福島に店があることによって、またみんなで新しく向かっていこうという思いでやっています。」

観客:「逆に、いま東京や京都では福島のことは話題になるのですか?」

アナーキー:「関西になれば薄くなると思うのですが、東京では全然皆話しているし、実際のところはどうなんだろうとはしょっちゅう話しています。実際福島どうのこうのって言っても東京も同じかもしれないじゃないですか。話題にはなっているんですけれど、でも答えが出ない問題というか、僕らなんかでは最終的に答えは出せないとおもっちゃいます。だから、真実をだれが知っているのか教えてほしいです。真実を知りたいのかどうかわからないのですけれど。でも、みんな真実を知ってこの町に住んじゃダメって言われたら、ここを出ていくんですか?」

小野原:「多分、この問題に関しては真実があるのかどうかわからない。そもそもこんなことが起こってはならなかったわけで、検証しようもないし、どうなるかがわからない、答えがないというところで「どうしようか」というのが、我々に突き付けられた選択なんだと思うんですよね。だからもちろん出て行った人もいたし、残った人もいるし、残らざるを得なかった人もいます。その方が多いと思う。生活の場だったわけですから。つまりここで生きるしかないから生きているけれど、本当に大丈夫なの?と言われればみんな知らずに生きているんだと思うんです。でも、いまは真実よりも、対立という問題で、福島に残った人たちと出て行った人たちの間でも対立が起こっていて、中に残っている人たちの間でも不安に思っている人や、もう大丈夫だよと言っている人たちとのあいだで対立があり、福島の外の人たちが「フクシマなんて関係ないじゃん。大丈夫だよ。だからはじめちゃおう」と言っていて、どんどん風化され忘却されていく中で、すごく溝を感じるし、日本の中でどんどん対立が大きくなっていて、福島が捨てられいうとしている感じがします。だから、アナーキーさんに歌ってほしいとは言えないけれど、さきほどヒップホップが対立を乗り越えていく音楽になっていってくれたらと思うんです。」

アナーキー:「福島のラッパーの人たちは、今いっぱいあると思うんですよ。さっきのレペゼンじゃないけれど、誰かが代表して言わないとわからないことがいっぱいあるじゃないですか。福島のラッパには頑張ってほしいと思います。がんばってください。」

渡部:「福島のラッパーの人はお一人だけですか?」

観客:「マイナスのことを言っても仕方がないので、それをパワーに変えていきたいと思います。」

アナーキー:「そのメッセージをみんなに伝えて、みんなを元気にしてくれたら俺は嬉しいです。」

観客:「僕の地元は富岡町というところで、震災以降中通りに避難して暮らしているんですけれど、福島の僕たちが何か行動を起こしてやっていかないと、状況は変わっていかないという思いがあるので、映画にも合った通りヒップホップは僕の中ではネガティブな部分が武器になるような音楽だと思うので、僕は今3年半が経って、ようやく震災などの状況を武器にできるようにいい環境や仲間もできて、落ちた時もあったけれど、今は震災後でもいい環境ができました。」

渡部:「映画の中でラッキーさん(父親)が、アナーキーさんのすごいところはいろんな修羅場を乗り越えてきたけれど、そのときのマイナスをあいつは武器に変えていけるところだとおっしゃる場面がありましたが、そこと重なったということでしょう。」

アナーキー:「そうですね。マイナスを武器にできるのもヒップホップやと思っているので、福島の環境も状況も同じやとおもので、もっと人の心に刺さるような歌も歌えると思うし、何かが生まれようとしているのも間違いないと思うんですよ、この街で。今まで考えられなかったことも考えられるようになったし、若い人たちが政治に意識を向けられるようにしてくれたのもフクシマなんだと思うし、これからどんどん俺らみたいな若い人たちがどんどん意見言ったら動いていくと思うんですよ。今まで俺らは静かにして、俺らがなんか言っても変わらないと思って生きてきたから、いきなり目の前に理不尽なことを突きつけられただけで、初めからそれを意識できていれば原発爆発する前から「原発作るな」ってデモ運動していたわけじゃないですか。爆発してから文句言っているだけじゃないですか。だから俺はその意識、せっかくマイナスになっちゃっているんだから、それをプラスにするためにはみんなの意識を高めて、この街からこの国全体を変えていけるくらいのパワーにつながっていくと思うので、ラッパーだけじゃなくてみんなの意識を高めてほしいなと思っています。」

観客:「共感できる部分としては、やっぱりカッコイイっす。今この場での一言一言が、私の思ったことを代弁して下さっていますし、恰好いいです。今になって反骨精神がすごく出てきて、センセイとか親の世代に対して「なんだよ、お前らもうちょっとちゃんとやっとけよ」という気持ちが出てきまして、先ほどは溝を超えるという話もありましたが、ぜひヒップホップで勝ってほしいんですよ。で、その勝つ形というのを聞きたいのですが、自分としては、たとえば(小野原)先生に明日のライブで最前列で両手を振ってくれれば、自分は勝ったなと思うのですが。ヒップホップってどうしても上の世代は聞いてくれないのですよ。そうじゃなくて聞く努力をしてほしいと思います。」

アナーキー:「興味持った人がきけばいいんだと思う。」

観客:「でも、成功するためには、勝つためにはそういう人たちにも聞いてもらわなきゃいけないし、そうなってほしい。聞きたい人だけが聞けばいいじゃなくて、お前ら聴けよという部分が必要ではないでしょうか。」

平井:「小野原さんの最初のはなしにあったように闘うとか、勝ち負けというのは、どっちが上どっちが下という話になってしまうのではないでしょうか。デビューアルバムにも仲間と一緒にここまできたというリリックがあったし、あまり勝ち負けという気持ちがアナーキーにはないのかなという印象がありました。もっとみんなを一つにしたいという感覚かな。」

アナーキー:「たしかに勝ち負けだけがすべてではないし、成功が何かもわかっていないし…。一人でも多くの人に届いたらいいと思うし、誰かに勝ちたいと思ってやっているわけではないし、強いて言うなら自分にだけは勝ちたいなと思ってやっているし、それができなくなったら俺はラッパーをやめます。」

渡部:「さて時間が来てしまいました。今日はアナーキーさんが「誰が真実を知っているのですか?」と問いかけていましたが、それこそがまさに哲学なんだと思います。これで何が残るかと言われても、たぶん何もまとまりません。まとまりませんが、しかしこの会が終わった後で皆さんが、アナーキーさんの言葉や色々な方々の発言を思い出して、各々持ち帰って考えていただくことが哲学カフェの目的になります。最後にアナーキーさんから一言いただきたいと思います。」

アナーキー:「そうですね。どんなところでどんな人たちの前で話すのか知らずに来てしましましたが、こんなにいっぱい地元の人たちと言葉のキャッチボールができたと僕は思っています。映画を見に来ていただいてありがとうございました。僕が全力だしたり表現できるのはライブだと思うので時間のある方はライブを見に来てください。本日はどうもありがとうございました。」



終わってみれば、ものすごく哲学的な対話が成立したのではないでしょうか。
ANARCHY自身がとても哲学的な考え方の持ち主だからですね。
「レペゼン」なんて、まさに「代理/表象」といった哲学用語ですし、彼の「真実は誰が知っているのか?」という問いかけは、まるでソクラテスの問答のそれのような気がしました。
考えてみれば、それは当たり前と言えば当たり前のことでした。
というのも、自分の言葉を常に孤独のうちで自ら生み出そうとする姿勢は、まさに哲学者のそれに近いものだからです。
そして彼自身も感じたように、彼が福島の現状を教えてほしいといった瞬間、会場の空気が変わったというのは、この場が哲学的緊張感に満ちた瞬間であったことを示す出来事でした。

準備までにはゆうたまんこと、平井さん始め、フォーラム福島の阿部さん、エイベックスの平川さんにはたいへん世話になりました。
何より、当日遠路、哲学カフェ@ふくしままで駆けつけて下さったANARCHYとDJ AKIOには感謝の言葉もありません。
今後のご活躍を心からお祈り申し上げるとともに、またいつの日かお会いしてテツガクすることを夢見ています。
夢見る限りそれは実現したことになるのですから。
この会にご参集いただきました皆様にも御礼申し上げます。
今後ともてつがくカフェ@ふくしまをよろしくお願い申し上げます。

第4回シネマdeてつがくカフェ記録―「ある精肉店のはなし」―

2014年04月28日 22時30分24秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
昨日、フォーラム福島さんのご協力を得て、映画館内での第4回シネマdeてつがくカフェが開催されました。
作品映画は「ある精肉店のはなし」です。
今回の映画上映に際しては、(有)ささき牛乳の佐々木光洋からのアツいオファーがあって実現したという経緯があります。
しかも、今回は佐々木さんがご提供下さった「ささき牛乳」をいただきながらのカフェです。
美味しい牛乳をいただきながらのカフェは、カフェというよりもミルクバーといった方がふさわしいかもしれません。
フォーラム福島支配人の阿部さんと佐々木さんには感謝してもしきれません。

今回は発言内容を記録できたので、可能な限りそのままアップさせていただきます(とはいえ、やはり話言葉は書き言葉に変換しないと文脈が取れないので記録者の解釈が入り込まざるを得ないのですが…その点はご容赦ください。)

さて、今回の哲学カフェはまず、佐々木さんがこの映画に抱いたアツい思い語っていただくことからを始まりました。

佐々木
「こんにちは。佐々木光洋です。お手元の牛乳ですが、自宅の牧場で絞った牛乳です。
この映画にビビッときたのは、昨年この映画の予告編をフェイスブックで見たのですが、見た瞬間にウチの牧場と同じだなとすぐに思いました。
北出さんのところは牛を育て、屠畜し、精肉店で売ることを家族で生業にしていますが、ウチは乳牛を育て、搾乳し、殺菌して宅配するところまで家族で取り組んでいます。そこがすごく自分のやり方と近い関係だと思って、北出さんたちのやり方に魅かれました。
一方で、県内では郡山市に一つしか屠畜場がありませんし、酪農家が多い牛乳と比べると肉牛はハードルが高いなとも思いました。
屠畜して解体して枝肉にしていくという作業は、北出さんたちが代々受け継いできた技術であって、纐纈監督もこれができるのは北出さんだけではないかと言っています。
この肉牛と乳牛を扱う違いと、肉牛を扱うハードルの高さをぜひ映像で見てみたいと思い、フォーラムの阿部さんにこの映画の上映をお願いしたわけです。
酪農の場合は牛を長く買い育て、出来るだけ長く乳を搾るが、肉牛の場合数か月で屠畜するために育てるのはどういう感覚なのだろうと思っていましたが、この映画を見て、二男の北出昭さんが言っていた「食べた人がおいしかったねと言われれば牛も浮かばれるね」という言葉が、自分の考え方にも近いなと思いました。
牛と人とのやり取りがあって、肉に限らず、牛乳に限らず牛と人間の関係を重視する生きざまに共鳴しました。」

ファシリテーター(小野原)
「牛の生命を絶つときに「割る」という言い方をしていましたが、今日ではそれとは別に、牛を一生懸命育てる部分も社会的に目に見えなくなっていますね。
ところで、この映画を観て僕や佐々木さんや渡部さんは焼肉を食べたくなったのですが、それはこの人たちが精肉店を営む姿を見る中でそう思った部分が大きいのではないでしょうか。
家族で牛を育てることから屠畜、販売まですべてをやっていると事を映し出しているのが、この映画のすごく大きい意義だと思います。
それから、3.11以降、福島では食の問題が大きく取り上げられるようになっていますが、そのことと結びつけながら映画を観ることができたのではないでしょうか。」

佐々木
「原発事故の後、約1か月間は牛乳を捨てていました。
牛乳を出荷しても大丈夫だとなってはじめて、ウチが気持ち的に救われたと思ったのは、牛乳を届けているお客様の反応が直接くるのだけれど、「よくぞ再開してくれた」とか、「佐々木さんの牛乳は飲みますので生産を続けて下さい」という反応があったことがすごく励みになりました。
ふつうは生産者と消費者のあいよりだに様々な業者が入り、消費者の反応が見えなくなるものですが、その反応が見える関係を継続してきた結果、お客さんに救われた体験だったと思います。」

ファシリテーター
2月のてつカフェでは、大量生産の目的で近代化・工場化して見えなくなっていることが不安や安心と関係するのではないかという話題になりました。
零細規模で酪農をやっていくのはすごくたいへんな気がするのですが、佐々木さんはどうですか?」

佐々木
「ウチの牧場は県内でも最小規模になると思います。現在県内の酪農家は40頭~100頭を飼育するのが主流ですが、牛を飼いつつ牛乳を販売する煩雑さは半端ではないですね。
どうしても大きくなっていく方向性は変わらないし止められないでしょう。
福島だと放射能の問題で牧草が使えるかどうかという問題があり、県外地域で続けられるのに、このタイミングで辞めざるを得ない県内の酪農経営者もいるのが現実です。
今度、福島市の西側に乳牛500頭規模の復興牧場ができますが、今後福島での牧場経営は、そのような方向でしかできないというのが県内酪農家の共通した認識でしょう。」

(ここから会場を交えた対話に入ります。)



「牛乳ごちそうさまでした。この映画を観てまず思ったのは、牛に向かって「いただきます」と心の底から言えるようになったかなと思います。
子供の頃から牛舎もあったけれど、屠畜をみたことはなく、あらためてストレートに言えるようになった。
この映画の中では北出さんの生き方を通してたくさんのことが示されていたけれど、ああいう仕事をされていた方々には昭和30年代くらいまでは差別というものが生きていた。
そういう中で宣言―日本初の人権宣言があったけれど―のすばらしさが描かれていた事が印象的です。
TPPなんかともダイレクトに関わっている問題だなと思ったし、あの仕事を生業として生きていることなど様々な切り口があり、どこから話していいかわかりません。
ただ、涙が流れた瞬間はあの家族がみんな一緒にいる様子でした。
あまりに多くのことが描かれており、どこから語ればいいのか迷います。」

「大変面白いと思ったのは、いまBSで放送されているNHK朝の連続ドラマ小説の「カーネーション」と重なった点です。
あのドラマでも岸和田のダンジリ祭が描かれますが、祭は生命をいただくことと関係があるのではないでしょうか。」

「ただ今の意見は、地域の祭や盆踊りなどの地域社会というテーマでの切り口になりますね。たしかにあの映画の中で描かれる地域とのつながりはすごいなぁと思いましたね。」

「私は食に携わっている仕事をしているので、食の観点から北出さんが屠畜するのが普通の仕事なのに、差別で見えなくしてきたのだと思いました。
「見えなくしてきた」という問題は、3.11以降のふくしまとも関係があるし、あの出来事によって現場に行ってその人と会って信頼関係をつくりたいという福島の消費者の声が湧き上がっているのではないでしょうか。」

「とにかく福島の食品の方がとっても安全だと発信できないのが残念です。
福島の食品検査が徹底しているのに対して、関西の方が放射能による土壌汚染の酷いところもあるのにカタカナの〈フクシマ〉ばかりが強調されすぎています。」

「私の実家も肉牛の畜産をやっているんですが、実際にを見たことはなかったです。
スーパーで売られるお肉の生産過程が見えなくされて綺麗にパックされていることからつなげて考えると、大規模経営の中で食品加工のライン作業で働いている人たちはどういうふうに感じているんだろうと思いました。」

「誰が何しているかわからないものを食べているのに、その生産過程がますます見えなくして、消費者の目から遠ざかっているのが残念な気がします。」

「私の育った家では5,6年生の頃まで正月に業者さんが鶏を数羽もってきて、どれにするかと家族に選ばせてから水道に行ってしめて、裁いて、羽を焼いて川をむしって、一羽いくらで販売していました。
その過程を子供だったのでとても興味深く見ていたのだが、お肉は美味しく食べていました。
さばいた鳥から出てくる小さな卵なんかはお鍋にするとおいしかったなぁ。
いまは、自分が食べている豚肉がどこで生まれ育てられるか見えるように、生産者からそのブタの生育記録や写真が送られてきます。
食べている豚の写真をみて、「トン吉」という名前をつけましたが、どこで育てられどういう人たちが作っているかわかっているので、100%おいしいと思って食べている。
その肉の元々の姿をを知っているからと言って、豚を食べなくなることはありませんでした。
でも、実際に自分でそのブタを育てたら食べられなくなるのかなぁ。
実際に現場を見ただけでは食べなくなることはないかなと思います。
この映画をとても冷静に見ている自分がいましたし。
出演していた方々がとてもいい感じの人たち。じんわりと涙が出てきてしまった映画でした。」

「食の工業化で見えなくなっている話があったけれど、スーパーで生産者の顔が見える野菜が販売されていたり、工業化が進む一方で知りたいとか信頼したいという動き自体は起こっているのかなと思います。」

「先ほどの「トン吉」のお母さんの気持ちに共鳴します。
最近では、外食で一緒に食事をした人が食べ残しをすると、二度とその人と食べに行くたくないとさえ思うようになっています。
生命をいただくという点では、食用の動物のみならず、動物を実験のために命をいただかないといけない問題もあります。
その問題を考える倫理委員会で、「いまのは動物に電気でコロンと行くんだよ」との話を聞かされるのだけれどもと、電気でするのと映画で映されていたような手作業のノッキング(ハンマーで牛の頭を叩き気絶させる作業)との違いはなんなのかと思います。
実際、ライン作業では電気でパタンと倒れ、生命がなくなるまでの瞬間を見ているのは見学者くらいなもので、作業者がそれを見てどう感じるかなんてこともないようです。」

纐纈監督にインタビューをしたライター小久保よしのさんの話によると、ノッキングをするときに一番気をつけることは、いかに牛に苦痛を与えないかということだったそうです。
だから電気ショックのノッキングという方法になったのではないでしょうか。
猟師も最も気を遣うところはそのしめ方で苦痛を与えない技術だとも言いますし。」

「電気ショックの方法が倫理的なのでしょうか。たしかに、手作業のノッキングでは一発で仕留められず、映画では2度もハンマーで叩くという場面もありましたが、しかしその一方でベルトコンベア式に電気によって機械的に生命が奪われていくことには、どこかザワッとする違和感があります。」


「ヨーロッパではノッキングをせずに屠畜を行っていた場面を見たことがありますが、屠畜の方法はいろいろあるし、違うやり方を観れば見方が変わるかもしれません。」

「屠畜の方法論の問題なのでしょうか?」

「内澤旬子さんというライターが、自分で育てた豚を自分で食べるという徹底したことをやっています。
これは、前回の哲学カフェのテーマだった「食べていい命と食べてはいけない生命はあるのか」という問いにもつながっていると思います。
殺し方を苦痛のないようにという気遣いは、最低限の生命をいただく際の礼儀のようなものでしょう。
倫理とは、一つの文化の中で決められたルールに過ぎないのではないでしょうか。
その地域の中で形作られてきた是非なのではないでしょうか。
いつも屠畜の場面が見えている必要はないけれど、一度は真相を見て知るということは必要ではないでしょうか。
放射能の風評被害というのも、見せることが不十分なのではないかと思うところがあります。
食品の販売過程を見せる。
「見せる」ということがキーワードではないでしょうか。」

「倫理は地域文化的なものというのはその通りだと思います。
すると、我々はいよいよ鯨絵を食べられなくなるようですが、国際的に捕鯨が禁止にされる問題とも関係します。」

「電気ショックで牛を屠畜するのが倫理敵かどうかという点に関して、「食べられる側」(牛や豚)への配慮は必要だと思うけれど、一方で「食べる側」の倫理という観点からみれば、ライン作業で何も考えずに、当たり前だと思って食べられていくことが問題性を感じます。
「食べる側」もいろいろ考えた上で食べるという点が重要ではないでしょうか。
つまり、「食べる側の倫理」というのも大事なのではないでしょうか。」

「生産過程を見せる、見えるという点について。
貝塚市の屠畜場を廃止するのはなぜなのかと思ってしまいました。
映画の中で岸和田城で結婚式を挙げるシーンがありましたが、これも行政の手法かもしれないのに、
屠場に関しては見せるとか見えるの方向性と反対を行くのは、なぜなのでしょうか。」

「福島市のある地域にも加工場があったと聞いています。
かつては、その地域地域に食肉加工場はあったのだけれど、そこに職員がついたりするのは経費の面からも負担が大きく、センターをつくって一か所に集約して合理化していくというのが一つの流れなんだろうなと思います。
確かに、地域にあの施設があれば見る機会もあるけれど、それとは反対の方向で進んでいる全体の流れからしても、でもこの映画の映像は貴重です。」

「生協に入って肉を購入しているのだけれど、生協自体の取り組みで見学会も実施しています。
突然の出来事に生産者を助けるために会員たちによる基金をつくろうという動きがあるのは、相手が見えるようになっていくのは安心安全や信頼をつくっる上で大切だと思います。」

「いままでの議論の流れを聞いていると、どこかその生産過程を見せれば安心や信頼がつくられるという意見が多いように思いますが、果たしてそうなのでしょうか?
先ほどの意見の中に野菜販売や生産者の顔などの公開が進んでいるように思われますが、実際の屠畜の過程を公開するという流れにはないでしょう。
むしろ、肉を裁いたり解体することがどこか惨(むご)いというイメージと「穢れ」の意識とが結びついて、被差別の生業とされてきたことは、野菜の生産とは異なるレベルの問題なのではないでしょうか。」

「私もそう思いました。
怖がりの私は、できればそういう場面を観たくないという気持ちがあります。
「見える/見えない」という点に関して言えば、この映画からはあの屠場の「湿度」や「臭い」というものは伝わってきませんが、実際にその場に立って、そのような感触を覚えながらノッキングを観たくないという気持ちはあるんだろうなと思います。
屠場がなくなるのも、そういうのはあまり見たくないんだという部分があるからではないでしょうか。
だから、屠畜の過程が見えれば全部安心できるかと言う意見には違和感を覚えます。
ただ、最後にもう一回ノッキングをする場面がありましたが、最初のノッキングの場面ほど2回目の場面はショックを受けませんでした。
なぜかというと、弟の昭さんが皮を太鼓にする作業の場面で、「生命をつなげたいんだ」というセリフを聞いて、屠畜の過程が見えるからというよりは、あの人の考え方や生き様が見えたからなのだと思いました。
その人の食に対する考え方を知ることで、スーパーよりも食肉店で買いたいなと思うようになったということです。」

「たしかに、解体の様子を見ながら、屠場の白いコンクリートを見たくないなという気持ちもありました。
けれど、その一方で子どもたちが吊るされた枝肉に驚きながら、「これ何?」と興味津々に聞いたりする場面が印象に強くあります。
被差別の歴史を知らずに子供たちは見ることができるのかなと思うのですが。」

「最初のノッキングのショックはなかなか拭い去ることができません。
しかも、私は2回目ののノッキングの一発でうまくいかなかった場面にぞっとした。
それは、あれが2回目3回目でうまくいかずに牛が暴れだしたら、ハンマーで叩く人間に身の危険がふりかかります。
食べる肉は必要だけれど、そのリスクを避けるために電気ショックの方法が必要なのではないでしょうか。
私は養鶏で卵と肉もおいしく食べられる種を育てながら、卵や鶏肉の配達していました。
最初は50羽を扱っていたのですが、売れたり要望が増えるにつれ850羽まで増やしていったら夫婦で対応し切れなくなりました。
それを実現しようとすれば、巨大企業化せざるを得なくなっていくわけですが、実は、そこで大量生産の効率化を進める過程でモノが余るという問題が生じています。
けれど、生産過程が見えない一方で、食の大量廃棄という問題も見えなくなっています。
つまり、「見える/見えない」という話は、その過剰なモノ余りの過程で出てくるのではないでしょうか。」

「今までの議論は大量生産の話には否定的な話が多かったけれど、世界には飢餓で苦しんでいる人が多い中では大量生産が問題なのではなくて、大量生産によって再分配されていないことが問題なのではないでしょうか。」

「生命をいただく上で屠畜や生産過程が見えることは大事ですし、屠畜方法に電気ショックを用いるのは動物に対する礼儀からだという話は理解できるけれど、一方で人間がショックから自分を守るという精神衛生上の問題を考えてもよいのではないでしょうか。
だから差別のような問題が生じるのではないかとも思うのですが。
関西から来た知人が、「福島は差別を感じなくて済む地域だ」と話していたことがありましたが、確かに自分自身もその問題を気にせず生活してきました。
ただ、北出さんたちが誇りを持って仕事に取り組んで、地域と密着して生活している姿に感動しました。」

「会場の中で、この映画を見て自分自身が差別を受けてきたという記憶を思い出された方はいらっしゃいますか?
私は庭坂という地域に住んでいますが、そこには「在庭坂」と「町庭坂」という区分がありました。
そこで私は幼い頃に「在郷、在郷」と馬鹿にされたことがあった経験を、この映画を観て思い出したんです。
地名や住所でバカにされるというか、差別された、区分されたことがあったんだなぁと思い出したのです。
これは50年来の私の重い思いだったのです。」

「福島の住所に「字」、「大字」が多いですよね。
私は「字」を撤廃しようとしたこともあるんですけれど、一方で「あるからいいんだ」という思いの人もいました。
私は福島の外部から来た人間ですが、「字」の住所を知らせるとかつての友人たちから辺境に行ったと思われるのです。」

「昔から差別というか、区別は日常的にあったでしょう。
旧市街地の人ほどプライドが高いのは周辺地域に住む人間からすると感じることでした。
「橋向こう」なんて言いまわしもありますし。
東北は差別が残っておらず、関西と比べればよほどいいけれど、戦前の人たちは差別意識は持っていましたね。」

「私は会津若松の出身ですが、ひょんなことから市内に実は差別の地域があったということを知り、自分の親に尋ねたところ、その地域の存在を教えてくれました。
私は40歳ですが、私の世代には全くそう意識はないけれど、実は親世代には確固としてその事実を知っていたということに驚いたものです。
そういわれると、たしかにその地域には馬刺しや馬肉の名店があるんですね。
ひょっとしたら積極的に差別や区別するような言い回しは残っていないのだけれど、これはいいことなのか。
露骨に「在/町」と区別する差別意識よりもたちが悪いのではないでしょうか。
過去の被差別の事実をみんなが忘れ去っていくうちに差別意識も消えていくことは、結果的に差別をなくしていくことになるのでしょうが、どれはどこか「寝た子を起こすな」と言いますか、そうした過去の記憶の自然淘汰は記憶を抹殺するという言うことにならないでしょうか。」

「関西出身です。監督は関西の方じゃないですよね。だから、この映画の撮影が実現できたのだと思います。
結婚することになった新司さんの息子さん夫婦への質問(いわゆる「」だということを結婚前に教えていたのかという質問)も、関西の人間にはできないものです。
そこに監督が通い詰めて努力し、信頼を得て撮影が成功したことを大いに感じました。
屠畜のプロセスで人柄を知ると、2回目のノッキングにショックをそれほど受けないという意見には賛成します。
2回目のノッキングの後のシーンは心臓も動いていたり、けっこう細かい解体作業を映し出していますが、おそらく1回目のノッキングの時には意識的にそのような細部を撮っていないのでしょうね。
あの北出さん兄弟は理論家で言葉をもった人たちだといいう印象があります。
弟の昭さんはなどは、太鼓つくることでPTA活動で父親を引っ張り出してミニ太鼓づくりの地域活動までするけれど、の出身者がPTA会長になること自体、とても大変なことのはずです。」

「この映画を通じて人間が見えてきた、あの一家が見えてきたということが言えるのではないでしょうか。
纐纈監督は映画の中で匿名を入れたくなかった、あくまで固有名詞にこだわったとおっしゃっていましたが、これもやはり相当高いハードルだったはずです。
通い詰めて了解が取れるまで相当苦労されたことは、先週行われたトークショーと懇親会の席で伺うことができました。
その中で、一番厳しかった解放同盟の会長さんが、初上映を観終わった際に「この映画はこれからこれが私たちの武器になる」と評価して下さったことで監督は肩の荷が下りたとおっしゃっていました。
被差別問題を「さりげなく」映画の中に織り込んだ作品への最高の賛辞だったでしょう。」

最後に佐々木さんより一言いただきました。

「ささき牧場では牧場見学会を実施します(日程:①5月11日(日)、②6月4日(水)、③7月5日(土)いずれも10時~12時、大人200円、子ども100円 申し込み先(有)ささき牛乳 070-5473-8372・mail:moo.icot@gmail.com)。
牧場に実際足を運んでもらって、牛を見てもらう取り組みです。
この映画を見たことで実際にお肉を食べたくなったように、実際に生産と消費者をつなげることでで牛乳を消費者に飲んでもらえるように取り組んできたことに確信が持てました。
実際の見学会では、この会場で飲んでいただいた牛乳よりも美味しいと感じるはずです。
本日はどうもありがとうございました。」

佐々木さん、阿部さん、このような機会をてつがくカフェ@ふくしまに与えて下さいまして本当にありがとうございました。
これが福島という地域の新たなつながり、つまり映画―牛乳―食―哲学という新たな結びつきが生まれたことに感謝申し上げます。
また、ぜひ新しい出会いが映画や牧場を通じて実現できることを期待したいと思います。
牧場で哲学というのもいいかもね。
今回のシネマdeてつがくカフェにご参加いただけた方は、映画鑑賞70名、哲学カフェ参加48名でした。
ご来場いただきました皆様には貴重な対話にご参加いただけましたこと、合わせて感謝申し上げます。

第3回シネマdeてつがくカフェ報告―映画『ハンナ・アーレント』―

2014年02月01日 19時02分14秒 | シネマdeてつがくカフェ記録

去る1月26日、映画『ハンナ・アーレント』を鑑賞後に、フォーラム福島さんの会場でそのままシネマdeてつがくカフェを開催させていただきました。
てつがくカフェの参加者数は、なんと驚きの97名です
映画鑑賞者数も約130名と、これ自体スゴイ数字です!
上映開始前には、すでに館内に入りきれない人で行列ができています。
   
 
配布用のてつがくカフェの趣意書は100部しか用意してこおらず、ヒヤヒヤものでした。

   

それにしても、『ハンナ・アーレント』のいったい何が惹きつけるのでしょうか?
映画ではアーレントの生涯すべてにわたって描くというものではなく、1960年代に巻き起こったいわゆる「アイヒマン問題」に焦点が絞られています。
登場人物も絞られており、それだけ問題が拡散されないよう努力が払われていることを窺わせます。
ちなみに、劇中ではアーレントが美味しそうに煙草を吸う場面が多々描かれますが、主演のバルバラ・スコヴァは大の嫌煙家だとか。
それはともかく、カフェでは皆さんアーレントの思想をどこかで学ばれてきたのかと思うほど、見事に彼女の思考を辿るような発言が目立ちました。

まず、アイヒマン裁判をめぐって、「彼一人に罪をなすりつけスケープゴート化することで事なきを得ようとするのは、ビンラディン殺害のときと何ら変わらない」との意見から始まります。
これは、「佐藤栄作前福島県知事の抹殺と重なる」という別の意見とも重なりますし、映画の中で問題化された「ユダヤ人(評議会)の共犯性を封じ込めている」ことへの批判的意見とも重なるでしょう。
こうして、まずはホロコーストという大量虐殺に対する<責任>を、一人の人間に還元することでなきものにしてしまおうという民衆の欲望への批判的視線が投げかけられました。

また、昨年10月にアウシュヴィッツへ訪問したという方からは、「この映画とアウシュヴィッツ体験とが重なり、多数者の中で見失われる善悪の区別の危険性」が指摘されました。
いくら正しい判断でも、少数者である限り通用しない無力感をどう考えればよいのか。
それでも「一人ひとり自分で考えて行動することで、そうした全体主義傾向を止められることを若い人に期待したい」とされました。
一方で、なぜドイツでこのような悲劇が起きてしまったのか。
「歴史をふり返ればその原因がわかるのだろうけれども、それでもなぜあのような二度とあってはならぬことが起きてしまったのかという重い問いを抱かずにはいられない」との意見も出されます。

それに対して、やはり福島でこの映画を見る以上、「なぜあの原発事故を事前に止められなかったのかという自責の念に駆られる」という意見も挙げられました。
ここにはやはり誰か一人のせいにして糾弾するだけでは、けっきょく何も変わらない。
「考え続けるのはつらいけれど、そこにおいてこそ出来事以前の責任が問われるのではないか」という問いが投げかけられています。

このようにカフェの冒頭では、ホロコーストにおける<責任>と、原発事故における〈責任〉を重ね合わせた議論が展開されました。
一見、無関係にあるかのように見られますが、実はそこにはスケープゴートとしてのアイヒマンと、原発の責任を東電などのように特定の「悪」に還元することで感情的な浄化を期する大衆の欲望を批判的に検討する議論だったと言えるでしょう。
実際の裁判の舞台では、アイヒマンを残虐で冷酷非道なイメージで仕立て上げようとするハウスナー検事の背後に、ベン=グリオン首相の若きイスラエル国家の統合に、この裁判を利用しようとする意図が孕んでいました。
まさに、アイヒマンはイスラエルの国家統合の生贄に宛がわれたわけです。
アーレントは、この裁判の公正さを損なうような検察側の態度を『イェルサレムのアイヒマン』において批判したわけですが、国民的人気を博すベン=グリオン首相へのこの批判は、彼女がユダヤ人社会を敵に回す要素の一つでもありました。
もちろん、彼女がアイヒマンに責任がないといったわけではないことは自明です。
アーレントは、あくまでこの裁判はアイヒマン個人の犯罪行為を裁くべきであるのに、過剰な裁判ショーと化し裁判はまるでユダヤ民族に対する罪をすべてアイヒマンに還元することでスケープゴートにしようとしている。
その結果、ユダヤ人評議会によるホロコーストへの加担責任は有耶無耶にされてしまったわけです。
それではこの出来事が何によって引き起こされたのか見失うだけでしょう。
カフェ冒頭で挙げられ意見には、このように大衆のスケープゴートへの欲望が大量殺戮の責任を無化させてしまうことへのアーレントの批判と重なりますし、何よりこうした批判的視線は原発事故の経験を端緒としているように思われました。

さて、議論は人間の思考力の問題へ移っていきます。
「この映画を観たことで「われ思うゆえにわれ在り」という言葉を思い出し、思考力が人間の特権であることをあらためて認識した」との感想が挙げられました。
しかしその発言者は、その一方で「上からの命令に黙々と従った戦時中の特攻隊を思い出した」と言います。
「太平洋戦争時、アメリカの工業力が日本の20倍あるという事実を知っていた指導者層もいたにもかからわらず、なぜそんなことができたのか。果たして、それはみんな考えていなかったからなのだろうか?」

これに関しては、「映画の中でアーレントを批判していた人間たちも考えてはいただろう」という意見が出されました。
ただし、それは「共同体の思考」ともいうべきものだったとのことです。
つまり、それは「『仲間の論理』でしか物事を考えられないということであり、アイヒマンの「思考停止」とそれほど大差のない思考法なのではないか」と言うわけです。
映画の中でアーレントを批判する者たちは、彼女の著書を読まずにヒステリックに批判している様子が描かれます。
すると、「こうした読みもせずに批判したり、「知ろうとしなかったこと」にこそ「凡庸な悪」の罪深さがあるのではないか」という意見も出されました。

映画の中ではこのことを「理解」という言葉で表現されています。
「理解することと赦すことは違う」
アーレントは決してアイヒマンを赦したわけではありませんでした。
ただ、なぜあのような虐殺にアイヒマンが加担できたのかを「理解したかった」と言うのです。
その点、アーレントを批判する者たちは知ろうとすること、あるいは理解することへの勇気が欠けていたと言えるかもしれません。
いや、未曽有の事態にあって、その事態を理解する枠組みを持ち合わせていないとき、人々は困惑し、ヒステリックに反応するしかないのかもしれない。
それゆえ、「これはスケープゴートを欲する大衆の思考にも通じているのではないか」。
つまり、「考えていない」というのは、未曽有の事態に対して理解する枠組みがなかったり、あるいは宛がう言葉を持ち合わせていないときに、ひたすら常套句を唱えるしかないことを指すものと言えるかもしれません。

一方、アイヒマンはどうでしょうか?
たしかにアイヒマンと言えども、官僚としての事務処理能力という意味での思考力はあったはずです。
アイヒマンだって自分の移送許可を出したユダヤ人の行方は当然知っていたはずです。
すると、「彼だって考え尽くした上で判断した行為だったのではないか」。
そのような疑いが参加者から提起されました。
実際、映画中でアイヒマンは検事に「考えたか?」と問われると、「ええ、もちろん」と答えています。
しかし、これをもってアーレントが「アイヒマンは考えていた」と見なすはずもありません。
すると、彼女の言う「考える」とは、いかなる水準をもって評価できる営みだったのかという問いを避けて通るわけにはいきません。
ここには、アーレントがアイヒマンに見た「無思考」とは何かについて考える必要が求められています。

仮にアイヒマンが「考えていた」としても、彼が一つの民族を絶滅に追いやろうとした事実は否めません。
大量殺戮に加担した最高度の責任者として裁かれなければならないでしょう。
議論は、この思考の問題から次第にアイヒマンの犯した「人類への罪」の問題へ移っていきます。
映画の中では、若い女学生(エリザベス)が「迫害されたのはユダヤ人ですが、アイヒマンの行為は“人類への犯罪”だと?」という質問に対し、アーレントは「ユダヤ人が人間だからです」と答える場面があります。
この言葉の意味についてある参加者から、「なぜ一つの民族を絶滅することが人類に対する罪になるのかというと、それは人類の多様性を否定することへの罪だということではないか」との解釈が提示されました。
また、別の参加者によれば、「「考える」ことが人間性を意味するのだとすれば、「考えることを放棄した」ということがそのものがアイヒマンにとって人間であることをやめるということだったのではないか」とのことです。
ここには「人間とは何か?」という問いと結びつけた、人類に対する罪への解釈が提示されたわけですが、その責任が何に根差しているか考えるうえで興味深いものでした。

もう一点、ここには法的な難問が潜んでいます。
一つは、数百万人の大量虐殺を刑法レベルでは対応しきれないという問題と、第三帝国の法とはいえ、法に従っていた官僚アイヒマンの合法的行為をいかに違法行為として裁けるかという問題です。
つまり、こうした空前の大量虐殺に見合うだけの法概念が未整備だったわけです。
その点で、「アーレントはこうした未曾有の出来事に対しては、新しい法概念でもって裁くしかないとの問題を指摘している」との意見が挙げられました。
ちなみに、「人道に対する罪」という法概念はニュルンベルク裁判において導入されています。
ただしここには法の遡及効果を認めない刑罰不遡及原則に反するとの問題が指摘されてきましたが、アーレントならば人類が予測できなかった出来事に対しては、こうした新しい法概念で裁くことを肯定したでしょう。

そして同様に、「悪の凡庸さ」という概念も全体主義という未曽有の事態を「理解」するための新しい概念だったわけです。
しかし、映画では大量虐殺という事の甚大さと、その動機の凡庸さのギャップを受け入れられない人々が、まさにこの新しい概念を受け入れられないことでアーレントをアイヒマンの擁護者とみなしたわけです。
アーレントの独特な思想というのは、こうした「新しい概念」を見つけ、名指すことに見出されますが、この「新しさ」こそ人々の理解の枠組みを破砕し、戸惑わせるものなのです。

さらに別の参加者は、東京裁判で裁かれる日本人戦犯の態度との比較から、アイヒマンらドイツ人たちは主体的に思考する態度が窺えると言います。
すなわち、日本人戦犯の多くが「私は内心では望んでいなかった」と動機と行為の乖離がみられるのに対し、アイヒマンも含めドイツ人戦犯の多くは内面化された「命令」や「上司」、「法律」に服従した行為として一致しているというわけです。
すなわち、前者が「空気を読む」という文化に代表されるように、周囲の動向が行動基準となっているのに対し、後者は少なくとも「命令」や「法」を内面化することで内面の命法と行為とが一致するという点で、責任を問える主体として成立するということでしょう。

これについて想い起すのは、アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムが行った、通称「アイヒマン実験」と呼ばれる心理実験です。
この実験は、学者の権威に一般市民がどれだけ服従して残虐な行為を行ってしまうかを検証した心理実験です。
驚くべきことに、この実験の被験者のほとんどが、自らの良心に目を塞ぎ、学者の権威に従って残虐な電気ショックを相手に与え続けてしまうことが立証されてしまいます。
ここで注目したいのは、途中でこの実験を拒否する被験者もいたわけですが、ミルグラムによるとその中でも自分の信仰に基づいて拒否するなど、自分の考えで拒否した事例は少数であると言います。
つまり、彼によれば内面化された神の声に従う場合でも、それは権威に従うという服従の構造と何ら変わりはないというわけです。
これは普遍的な道徳法則に服する良心という点では、有名なカントの定言命法にも言及できるかもしれません。
実際、裁判中にアイヒマンは、カントの定言命法の定義について明晰に答えられたと言います。
それがカントの道徳哲学の曲解、誤読、誤用だったとしても、「主体的」という点で彼の行動と奇妙に重なったりもします。
すると、主体的に考え、判断、行動するというのが、いったい如何にして可能であるのかという問いは、ここでもまた留保されるわけです。

また、別の参加者からは、「人類に対する罪に関して「ドイツ人対ユダヤ人」という二項対立の構造で論じているが、実はその単純化がタブーを生み出しているのではないか」との問いが投げかけられました。
これに関して、原発立地自治体に生まれ育った参加者から、事故前に原発を受け入れていた悔恨が示されながら、「実は被害者の中にある加害者性と加害者の中にある被害者性という問題あるのではないか」との指摘がなされました。
これは先に挙げられた「知ろうとしなかった責任」と関連づけられながら、いわば原発被災者の「知らなかった責任」という加害性に言及しながら、アイヒマンという巨悪への加担者の中にある被害者性をも見出そうとする視点です。
我々の問題からすれば、それは東電の中にある被害者性ということになるでしょうか。
後者に関しては心情的になかなか許容しにくいかもしれません。
しかしながら、ここには実はそうした二項対立的でもって物事を単純化して理解しようとする態度が、タブーを生み出し、真実から目を背けさせるのではないかという問いかけが含まれているのです。

これは映画の中でいえば、ユダヤ人評議会の責任問題に関係するでしょう。
心情的には、誰もが被害者であるユダヤ人の中に虐殺の協力者がいたとしても、当時はそうしなければ殺されていたかもしれない立場の同族仲間を責めることはしにくいものです。
しかし、事はそんなに単純ではない。
むしろ単純化することで、ことの真相や責任を有耶無耶にすべきではない。
アーレントはこうした仲間や同質集団に閉じた思考態度を解体しようとします。
だからといって、アーレントの思考や態度が世界市民的だというわけではないでしょう。
彼女は自らユダヤ人として攻撃されたときはユダヤ人として抵抗するけれども、ユダヤ人が誤った行動をとったならばユダヤ人として自らの民族を批判すべきだ、という立場を取っていたと個人的には理解しています。
つまり、彼女は「ユダヤ人」というアイデンティティの境界線上に立ちながら、内にも外にも閉じない思考態度を貫いた思想家だったと思うわけです。
そのことがアーレントの立場のわかりにくさだったのでしょう。
その結果として、アーレント自身がユダヤ人の敵とバッシングされていったわけですが。

では、こうした思考に閉じないためには何が必要なのだろうか。
これについて、「政治参加意識(投票率)の向上が考える人を増やすのではないか」との意見が挙げられました。
ただし、これについてはナチスやヒトラーもまた投票によって選ばれた事実から、必ずしも政治意識の向上と思考の深さが結びつくかどうか、留保が必要であるように個人的には思われます。
また、「ある集団を外れると糾弾されような全体主義的環境はどこにでも生み出される」との指摘から、「空気」の問題を指摘する意見も挙げられました。
日本人が「空気を読み」行動し、「水を差す」ような集団の流れに異を唱えることを苦手とする文化と関係づける意見です。
これ自体はナチス政権化のような特別な状況ではなくとも、私たちのふだんの日常に潜む全体主義的要素だというわけです。

さて、カフェ開始から1時間を経たところで世話人・小野原から「思考するための勇気とは何か。思考し続けるためには何が必要か」との問題提起がなされました。
これに関しては「思考の孤独」という言葉をキーワードに、「孤立しすぎると思考停止してしまうのではないか」という意見が挙げられます。
これは仲間と語り合える空間が思考の条件だということを示しています。
たしかに思考は孤独な営みです。
しかし、これを起動するためには他者の存在が必要だということになりそうです。
何より、「『考える』ことが必ずしも正しい答えを導き出すわけはないのだから、その時他者の存在がなければただの独善的な思考に陥るのではないか、そうだからこそ、よりいっそう思考や判断に対して他者の存在は要請される必要がある」という発言が加えられます。
これに関して別の参加者からは、「世間からバッシングを受けながらもアーレントが思考し続けられたのは、ハインリッヒとの夫婦愛があったからだ」とする意見も挙げられました。
このように、思考は他者の存在によって担保されるという考え方がいくつか示されました。

それに対し、集団内で孤立しやすいタイプだと自認する参加者からは、「自分を貫いて心折れそうな時もあったけれど、強い信念と覚悟を持って訴え続けた結果、周囲も受け入れてくれるようになるものだ」という経験談が示されました。
たしかに、映画ではアーレント自身が信念の塊のような人物として描かれています。
しかし、それは自分の考えに固執するという意味での信念というのと、別の意味があるのではないかという意見も挙げられました。
すなわち、その意見によれば「多数派であった自分の意見を少数派の意見へ変えるという意味での『勇気』もある」のではないかと言います。
これに関して言えば、映画の中ではナチスを支持したハイデガーが、戦後、私的には自分の過ちを認めつつ、それを公言できないシーンが想い起されます。
そのハイデガーに向かってアーレントは、「なら、なぜ世間に自分の考えを世間に言わないの?」と問い詰めています。
ここには自らが正しいと思い込んでいた過ちを素直に認めることが、いかに難しいかが示されています。
そしてそれは言い換えれば、「他者の意見を受け入れる勇気」と言ってもよいでしょう。
すると、「考える」とは、自分の信念を貫くという面と、その信念の過ちを認めたらその変更を潔く受け入れられるという面の両極をもつ営みだということでしょうか。
さらに、「この思考の強い人を黙らせてはいけないという意味で、表現の自由が保障されていない社会では思考の強さも担保できないのではないか」との意見も出されました。

これに対し、こうしたある種「思考」の強さを強調する意見に対して、「考えられない人を排除してはいけない」という意見が出されました。
誰しもアーレントほど強くはない。
これは、ユダヤ人評議会の責任追及に対する批判の根底にあった不満でもあったでしょう。
倫理(論理)的にはあり得るかもしれないが、実際その場にいたならば、服従を拒否できたのか?考え続けることはできたのか?
そんな人ばかりではないだろう。
厳しすぎる。倫理的過ぎる。
実際の論争において、アーレントはその場にいなかった者にそんな批判を許す余地はないとも批判されます。
この種の批判は、「戦争経験者でないものに当時の戦争責任を問う資格はない」という形で我が国の戦後責任論で問題化されたこともあります。
さりながら、当事者しかその責任は問えないのでしょうか?
この問題は別の機会に譲らなければなりません。

それはそれとして、「考える」強さをもったものだけに通用する理屈というのは、やはりどこか強者の論理ではないかという疑問は払しょくできません。
ならば、「考えることが苦手である人をどうサポートするかが重要なのではないか」
そうした建設的な意見が提起されました。
こうした問いかけは、それまで考えることの大切さを説く意見が多かった中で、異質な問いかけでありながら、重要な問題を提起しているように思われます。
「考える」ことが人間の尊厳だとしても、しかし実際に考えることが苦手だと感じる人にとって、けっきょくそれは単に責任を課すプレッシャーにしかならないのではないか。

この意見を聞きながら、私はかつて同僚だった教師から言われた一言を思い出しました。
「自分で考えるということができない生徒にとって、君の「自分で考えるのが大切だ」という主張がどれだけ意味あるのかね?それよりも人並みの仕事に適応することに精一杯の人間にとっては、その適応の仕方を教えれば十分なのであって、徒に君の言うような要求をしたら、彼らは混乱するしかないだろうし、そうなれば不幸な人生になってしまうじゃないか。」
この問いに対して、いまだ明快な答えを持っていうわけではありません。
しかし、教育に携わる者にとって、この問いは避けて通るわけにもいかず、実際、教育現場では常に躓きの石になっていると思います。
いったい考える強さ/弱さとは何か。
それは万人に求めるわけにはいかないのか。
「考えない自由」だってあるじゃないか。
実際、3.11直後からしばらくは被災地の人々にとって考えることを強いられるのは、一種の暴力を振るわれることに等しい思いがしたものです。
すると、考えることに人間の尊厳を見出してきたこれまでのカフェの展開を、一度根底から転覆させる必要があったかもしれません。
残念ながら、この疑問はカフェの中で思いつくことができませんでしたが、いずれ別の機会に問い直してみたいものです。

さらに、「自分はいいとして家族に危害が及ぶ可能性がある場合には、どんなに思考や発言を強くしようとしても、その力を奪われざるを得ないではないか」との意見も出されます。
この選択肢のない状況下でのジレンマを、原発事故後の福島に生きる人々に還元してながら、「ここに留まらざるを得ないという選択肢のない状況下で、どうやって思考の強さを持続できるのだろうか」という切実な問題と結びつける意見も出されました。
考えることで疲労困憊。
もう、放射能や原発のことは忘れたいよ。
もっと明るい話をしようよ。
そうした被災の痛手に参っている被災地の3年目は、思考の体力を悉く奪われた段階に差しかかっているのかもしれません。
そこでなお、考える勇気を求めることは酷なのでしょうか?
忘れる力も必要ではないか。
果たして、アーレントならばどう応えるのでしょうか?

こうした思考の強さと弱さをめぐっての議論が深められそうなところで、今回は残念ながらタイムアップとなりました。
当初、100名弱の参加者によって対話を執り行うことはほとんど困難であろうと予想されましたが、しかし初参加の方々ばかりであるにもかかわらず、ご発言いただいた方の多くは、ほかの発言者との異同を踏まえ、言葉同士をつなぐ努力をしながら対話をお楽しみいただけたとの印象を受けました。
まさに、カフェの中でご提示いただいたように、「思考の酵母」は他者によって触発され醸成されるものなのでしょう。

最後に、アーレントの政治思想の核にある「活動action」は、まさに他者とのこうした対話空間での発言speechや行為deedsはによって人間の自由は発現されるものであるし、全体主義とはこの領域の喪失とともに出来するというものです。
その意味でいえば、てつがくカフェのような空間は、まさに全体主義が社会を浸潤することに抗して取り組まれているものともいえますし、そこにおいてできる限り多様な市民の方々にご参加いただけることが、この社会の自由度のメルクマールになるものと考えています。
ハンナ・アーレントは筆者にとって、特別な思いのある思想家ですが、この福島という場において彼女の思想をめぐっててつがくカフェが開催できたことは、個人的にもたいへんうれしい出来事でした。
その意味で、フォーラム福島支配人の阿部さんには感謝してもしつくせませんが、なお今後ともてつがくカフェ@ふくしまは、可能な限りフォーラム福島さんのお力をお借りしながら映画でてつがくできる醍醐味を味わえる企画を実現してまいりたいと思います。
ご参加いただけました皆様には、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

第2回シネマdeてつがくカフェ報告

2013年06月24日 23時53分08秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
    

昨日、アオウゼにて第2回シネマdeてつがくカフェが開催されました。
参加者は23名。
今回、鑑賞した作品映画はロコ・ベリッチ監督の『happy-しあわせを探すあなたへ』。
脳科学者や心理学者らの研究成果から、世界各国各地域に住む人々の幸せをめぐる悲喜交々のエピソードから構成されたドキュメンタリーです。
今回は映画上映にご協力いただきましたmusubiteの塩谷朋さんにもご参加いただき、この作品制作に関するお話などもご紹介いただけました。

さて、今回は定例より早い15:00より開始し、70分間の映画鑑賞の後に議論が開始されました。
映画は印象的な場面が次々と流れます。
まずは、およそ小屋ともいえない建物(?)に住む男性が、その住居の快適さに幸福を語る場面から始まり、
車に轢かれて顔面が崩れた女性の不幸が幸福へ変化するエピソード、
日本の過労死の問題は物質的豊かさと比例しない幸福度の問題を象徴的に描くのに対し、
それとは対照的に沖縄の長寿とゆったりした暮らしが幸福の象徴であるかのように描かれます。
この点は、アメリカ人の所得収入が数十年前の2倍に増えたのに対して、幸福感の伸び率が止まっているデータとも重なるでしょう。
一方、こうしたエピソードやドラマに科学の成果が重ね合わされます。
幸福感を得る瞬間は脳内ドーパミンが放出されており、これは子どもの頃から放出しやすくしておくとよいこと、
幸福度の研究から幸せを感じる要因の50%が遺伝であり10%が社会的な地位など外的要因にあるが、40%はまだ余白のように変化する余地が残されていることなどは、脳科学心理学の成果だそうです。
これには瞑想などの方法の有効性も語られます。
あるいは、北欧の福祉国家を紹介しながら社会制度による幸福の保障も描かれます。
その上で、名誉やカネではなく自分の中にそれ自体で満足できるゴールを見つけること、他者との協力やつながり、慈愛などの利他心、日常に慣れるのではなく変化をみつけること、本当の自分に気づくこと、好きなことをすること等など、幸せになるための条件が随所で示されていきます。

視聴後、10分間の休憩を挟み作品映画から浮き彫りにされる哲学的テーマを議論しあいます。
今回は作品名そのものが「happy」ですから、自ずと幸福を問う展開になります。
まずは感想を述べるところから始められました。
第一声は、日本の過労死を物質的豊かさと対照的に扱う場面に対し,いかにも日本社会=不幸な社会というステレオタイプな表現だとしながら「日本は幸福度は低いかもしれないけれど、それでも幸福な国ではないか」という意見が述べられました。
同様に、沖縄=ゆったりした雰囲気が長寿と共同社会の古きよき伝統が残る幸せな社会との描き方も同様であるとのことです。
事情をよく知らない異国の幸せな場面を見せられると、たしかに納得してしまうけれど、多少なりとも日本社会の光と影という現実を知っていると、一概に幸福/不幸という評価を下しにくいという声も上がりました。
さらにその背景には田舎暮らし=幸せ/都会暮らし=不幸というイメージが付着しているとの指摘もあります。
田舎には田舎の強い同調圧力やしがらみがあって、それを抜きに牧歌的な幸福のイメージを抱くのは片手落ちだというわけです。
イヤイヤ、そうは言ってもやっぱり都会生活を送る人間の疲れっぷりや人のつながりの薄さは否めないじゃないか。
田舎の同調圧力やしがらみだって、状況によって良し悪しが分かれるだろう。
そんな意見も出されました。
また、映画の中では幸せの条件に「変化」というキーワードが挙げられていましたが、それに注目したある参加者によれば、田舎と都会では「変化」の度合いが決定的に異なり、そのことが幸せの相違が関係するかもしれないといいます。

ところで、この「変化」というキーワードは、「差異」という別の言葉でも表せるでしょう。
つまり、他者やある状態との比較によって幸せは現れてくるというものです。
すると、幸せというのは一定の状態がずっと続くものではないのか?
そんな疑問が提起されました。
さらにこの問いに対しては、昨日開催された第2回エチカ福島の会場での発言を引きながら「同じ人間が同じ意識でいられない」のと同様に、同じ人間の幸福に対する価値観は一定であるはずもないとの意見が出されました。
しかし、幸福の価値観が以前と変わったからといって、以前の自分が幸福だったと言う事実は変わりません。
その瞬間瞬間の幸せというのが幸せの在りようであり、したがって人生のトータルとしての幸福というのはあるのではないか。
こうした意見に対して、それを「人生の道筋」という言葉で表現した参加者がいました。
瞬間瞬間としての幸せは、どこか点在しながらも一続きのもので、「道筋」という概念は人生の幸せをトータルとしてみることが可能になるものといえるでしょう。
別の言い方では「めぐり合わせ」という言葉もつけ加えられました。
そして、この幸せの瞬間が持続的になることが「豊かさ」という概念になるのだとの意見も出されました。
また、幸せという概念には「幸福」のほかに「幸運」という意味合いがあることが指摘されます。
遇有性といってもいいでしょうか。
これを「出会うもの」と表現する参加者もいました。

すると、これらの言葉から幸せが自分でコントロールしたり作っていくことが可能であることの対極にあることが示唆されます。
ある参加者は、そのことを「受動性」という言葉で言い表しました。
幸せとは人が自ら生産的積極的に関与しながら得られるものであると言うよりは、受動的に偶然出会う形で生じるものではないか。
これは『happy』という映画作品が、どちらかといえば自分でチャレンジし、自分を変えていくことで幸せの獲得の可能性が広がることに主眼が込められていることからすれば、意外な反応だったかもしれません。
実際、映画の中に登場する脳科学者が、「幸せの50%とは遺伝、10%は外的要因(社会的地位や名誉、カネ)であり、残り40%の余白にこそ自分の「積極的行動」によって幸せを獲得できる可能性があるのだ」との主張には少なからぬ反発がありました。
遺伝で半分も自分の幸せが決定されているのか!
その数値は言ったどんな根拠で割り出されたものなのか!
そもそも幸せを数値的なもので表現しうるのか!
この科学的主張に反発を覚えた参加者たちの多くは、こうした幸せの主体的な獲得へ違和感を表明していたように思われます。
さらには、自己啓発的なこの主張には、個人の努力に幸せの責任を負わせるかのような印象もあったでしょう。
果たして、個人の選択だけで幸せは決定できるのか?
もっと社会制度的な原因を幸せや不幸の要因として追求する視点も必要ではないか。
そのような意見が複数者から提起されました。

しかし、こうした意見に対しては、やはり40%の余白を出来事の受け止め方のように個人のスキルで幸せになる点を否定できないという反論も出されました。
これをすべて外的要因に還元してしまったら、自分ではけっきょく幸せになれないということになってしまうではないか、というわけです。
さらにいえば、このスキルは自分とのつき合い方を獲得できるものであり、それによって平安な幸せが得られることもあるということにもなります。
別の参加者は、「感謝できる」ようになれば幸福度が増すことを述べましたが、それは当たり前のように思えることを当たり前ではないもの(有り難いこと!)として、自分の気づきや受け止め方を変えるように工夫すれば幸福の度合いが大きくなるということを意味します。
また別の参加者によれば、不幸についてはわりと客観的に捉えられるがゆえに、不幸を社会制度的に縮減していくことは可能だけれど、幸せかどうか主観的なものなのだから、それを社会制度的に実現していくのは難しいのではないかとの意見も挙げられました。
これは幸福は主観的であるがゆえに、むしろその多様性を保障していくことの大切さを示唆しているように思われます。
憲法13条の幸福追求権が社会権的であるよりは、むしろ自己決定権的に理解されることとも関係しているのかもしれません。

とはいえ、やはり議論全体の中で参加者の多くが躓きを覚えたのは「50%の遺伝的決定説」のようです。
これを「遺伝子」ではなく別のものとして仮説を提示すれば、視聴者の印象も変わったのかもしれないと塩谷さんはおっしゃっていました。
そのことを「主観と客観とのあいだにある何か」と表現した参加者がいました。
個人ではどうにもできないもの、それが出会いや遇有性と言い換えてもいいかもしれませんし、ひょっとしたら遺伝子とは別の決定論である運命と言い換えられるかもしれません。
しかし、いずれにせよ幸せとは事後的に知りうるものなのかもしれません。
映画の中にはドーパミン物質を多量に出すことやフロー状態が幸福感と相関していることが示されますが、しかしある参加者が発言したように「ドーパミンを出すためにボランティアをするわけではない」のだし、ひょっとすると幸せや幸福は目的になり得ないものなのかもしれません。
行為の目的は別にあって、しかしその結果、意図せず幸せを感じるものなのではないでしょうか。

いや、それでもボランティアのような利他的行為も、けっきょくは自分が幸せになることがなければやらないじゃないか。
だから幸せが主観性にあることは否定できないという意見も出されます。
しかし、別の参加者によれば、幸せはたしかに主観的に見えるものだけれども、その見え方や風景は外部からやってきたものによって多重に見えてくるものであって、決して主観的につり出されているわけではないという意見が対置されます。
つまり出来事や経験の受け止め方は、自分で幸福を生み出すスキルのみで完結するわけではなく、外側の多様性にふれることによって変化させられているのだから、それが主観性に留まるという言い方はできないのではないか、というわけです。

この堂々巡りは以前のてつがくカフェで取り上げた「幸せってなんだろう?」でもくり返された論点です。
ただし、この堂々巡りを繰り返しながらも、どこか深まっていく感覚を覚えたのは筆者だけでしょうか。
皆様の評価を待ちたいと思います。

さて、以上では幸せをめぐる構築的な意見を整理しましたが、実は前半にはこの映画によって幸せ何かわからなくなったとの発言が出されました。
それによれば、映画に示される幸せの条件はシンプルなものばかりなのに、なぜ実現が難しいのだろうとのことです。
たしかに、幸せの条件である人との交流や協調、家族のあたたかさは、一般にも言われることです。
自分の好きなことをすること、それに気づくこと、自分を知ること。
たしかにシンプルなのですが、でも実はこれってけっこうハードルが高いのではないでしょうか。
人づき合いの苦手な人にとって交流が幸せな条件であることはシビアです。
「自分にとって最もよいことは自分がもっともよく知っている」とは、自己決定権の大原則ですが、しかし、自分の好きなことや利益になること、幸せになることを知っている人ってどれだけいるのでしょう。
むしろ、人は別な目的を通じて何かをしていくなかで、結果的に自分に気づかされたり、幸せをもたらされたりするものなのかもしれません。
しかも、多様であるがゆえにそれが外側の評価でも決定しえないものでしょう。
その意味で、議論の最後に塩谷さんがおっしゃった一言が印象的でした。
塩谷さんによれば、幸福感の高さは多様性を肯定する社会に共通しているのことです。
そして、@ふくしまへの初参加の感想として、そのような多様性にあふれる場であったという最高の賛辞をいただいて第2回のシネマてつがくカフェを終えることができました。

ご来場いただきました皆様には感謝申し上げます。
次回は7月20日(土)アオウゼで16:00より定例のてつがくカフェが行われます。
テーマは後ほどブログでご案内させていただきますが、次回も多様な参加者に多くご参加いただけることを期待いたしております。
今回の上映に際しましては、塩谷様にご協力いただけましたこと、あらためて御礼申し上げます。

第1回シネマdeてつがくカフェ報告

2012年12月24日 10時54分02秒 | シネマdeてつがくカフェ記録


 

第1回シネマdeてつがくカフェは、伊藤照手監督作品の『声の届き方』を鑑賞して開催されました。
シネマdeてつがくカフェは映画論や作品論ではなく、視聴する映画作品の中から哲学的テーマを見つけながら対話するものです。
今回、会場には伊藤監督ご自身にお出でいただき、18名の参加者とともに活発な議論が交わされました。

まず、伊藤監督からこの映画を撮影した趣旨について説明をいただいた後、40分間の映画作品を視聴しました。
伊藤監督によれば、2011年11月13日に行われた“「さよなら原発1000万人アクション」Inみやぎ”というイベントで、脱原発市民ウォークというものがあったのですが、こうした運動で思いを伝えようと声を挙げ、街を歩いていても、それを見ていた人たちのほとんどがこうしたウォークに対してほとんど無反応、無関心、もしくは敬遠しているように見えたとのことです。
そこで、この伝わらなさはどうして生まれてしまうのか、街の人たちは原発問題やこうした活動をする人たちのことをどのように考えているのかを知りたいと思い、後日ウォークが行われたアーケードで街頭インタビューを行った映像がこの撮影の出発点だったというわけです。



さて、映画に登場する人々の声はとても興味深いものばかりでした。
「原発反対運動をしている人々は自然エネルギーでは産業をまかなえない現実をよくわかってない」という男性のように、ウォークの主張そのものへ違和感を抱く男性の声。
男子学生3人組はウォークやデモに対して「コワイ」というイメージを持っているため近づきにくいといいます。
20年来デモに参加してきたという男性は「デモ自体が一つの雰囲気を作っちゃうので入りにくいのではないか」といいます。
女子学生4人組の一人は「正直自分の意見がはっきりしていないところで、行動には移せない」といいます。
女性二人組みは「過激派の人もいて参加しにくい」、「いままで原発に依存してきたのに、いきなり脱原発というのもどうかと思う」といいます。しかし、その一方で「行動に移せる人たちはすごいと思う」と評価しながら、日本人はけっきょく「他力本願」だと思うとも言います。
ウォークに共感を示す中年男性は「こういうことをする人が少なくなりすぎ。発言する場やパワーを失ってはいけない」といいつつ、「参加したいとは思わない」といいます。「自分にしっくりする別のやり方をとりたい」といいます。

ウォークに共感を示しつつ参加しにくいという声。
そこにはウォークの「声」は届いているのでしょうか?
まさに伊藤監督自身がウォークに参加しながら「反応の鈍さ」、「届かなさ」を感じたからこそ撮影に取り組んだわけですが、それについて今回は議論が途絶えることなく進行しました。

まずは映画の感想を含めて、映画の中に含まれる論点を見出していきます。
ある参加者はウォークが行われた仙台市中心街のアーケードの映像を見ながら、「あそこでデモができるんだと驚いた」という感想をもったといいます。
デモやウォークをする上で様々な規制があるのに、あのような繁華街でもデモができるという事実を、周囲の見物人が見ただけで十分伝わったのではないかというわけです。
デモに対するイメージのハードルをさげたという点では、「過激な人々」による特殊な行動というものが、3.11以降の「金曜集会」のように誰でも参加しやすい参加形態になったのではないかとの意見も出されました。
「過激」や「コワイ」というイメージが、デモに対して拒否感を抱かせるものであることは、しばしば議論のなかで触れられたものですが、そうしたイメージを払拭した誰でも自由に参加できる新しいデモ形態に可能性を見出す意見はしばしば耳にしてきたことでもあります。
それは1969年にデモという行動文化がつぶされて以来の、新しい政治参加の形態であり、代議制の限界に変わる直接民主制につながっているのではないかという意見も出されます。

一方で、その文化が失われたおかげで、私たちはデモの意義がよく知らないというのも正直なところではないでしょうか。
それについて「そもそもデモって何?」という疑問が投げかけられました。
かつてデモによって何かが変った歴史的事実はあるのか、効果があるのか。
なんのためにデモはするのかその意味を根本から問いたいという問題提起です。
それに対しては高円寺で展開される「素人の乱」のように
、実際的な政治的効果を生んだ事例が挙げられました。
しかし、実はデモというものは、そうした共感者の数を増やして現実状況を権力的に変える目的をもつものではないのではないかという疑問も出されます。
すなわち、「それまで常識だと思われたことに疑いを投げかける手段」であり、問題をありかを指し示す表現手段としてデモには意義があるとの見方がそれです。
むしろ、それは誰かに向けて表現されるわけではなく、自らのうちから湧き出す思いを表出せずにはおれないという情熱そのものではないかというのです。
そこには、「デモは自分たちの主張を周囲に訴えかけることによって政治を直接的に変える手段」という捉え方ではなく、その主張に対する共感や反発両方を含めて社会に何がしかの反応を生み出すことが、デモの存在意義であるとの視点が含まれているように思われます。

一方、デモに参加している人々全員が何か主張を持っているわけではないとの意見も出されます。
金曜集会のように「ツイッターを見てきた」という「ノリ」で参加したという人もかなり多いのではないかといいます。
これを「祝祭性」というキーワードで表現した参加者がいました。
つまり「まつりごと}=「政」=「祭りごと」としてのデモです。
さらにいってしまえば、この「ノリ」こそがデモの本質であり、主義主張の内容をよく知らずともその祝祭性のうちに魅力を感じて参加していく方が多いのではないかという意見です。
むしろ、そうした参加していく中で様々な人々の考え方にであったり、情報をえることで自分の中のアンテナが広がっていくのではないかという意見も出されます。
いくらSNSのようなコミュニケーション形態が変わろうとも、直接顔と顔をつきあわせながら対話を交わすことには、自分の意見を形成する上で重要な要素が含まれることを指摘する意見も出されました。

しかし、そうはいってもデモには「過激」や「コワイ」といったイメージが伴ことがデモ参加への妨げになっているとの意見が数多く出されます。
デモ参加を躊躇させる「コワさ」とは何でしょうか。
その「コワさ」の背景には、かつての学生運動の過激な暴力性や同質集団にとりこまれる恐怖といった類のイメージがあるのは疑いえません。
これについては若い学生からも、主義主張には賛同できても、旧態依然とした特定団体やその動員によって行われるデモには関わりたくないという嫌悪感が示されます。

しかし、実はその「コワさ」の正体とは、その特定団体や集団に関わることで貼られるレッテルによって、自分の人生が狂わされてしまうかもしれないという恐怖も含まれているようです。
30代の参加者によれば、学生時代にデモへ参加すると教員採用試験に合格できないという噂がまことしやかに学生のあいだにあったそうです。
実際には合格することができて、その噂がまったく根拠ないものだとわかったわけですが、その参加者によれば、ある団体の主張に同調してデモに参加することは、ある種の社会的レッテルが貼られることへの「コワさ」があったといいます。
さらに突き詰めると、それは対国家的な「コワさ」であることも明らかにされていきました。
ある参加者によれば、先日郡山市で開催されたIAEA国際会議とともに、一部市内の道路がバリケード封鎖されて一般市民が通行できなくなったところがあるそうです。
そして、その当日、郡山市内で開催される予定だった反原発運動デモがその封鎖によって不可能になり、それで行く場をなくしたデモ参加者が屯する状況が生まれたそうですが、そこに私服警官の監視が見られたというのです。
こうした国家権力に対する「コワさ」がせり出してくるのがデモであるとすれば、それは単純に「デモ=過激派」という構図では「コワさ」を理解できなくなります。
参加した高校生からは、何も正しい情報を知らない中で警察ドラマ(たとえば「相棒」や「ストロベリーナイト」など)など場カリ見ていると、公安や国家権力の恐ろしいイメージばかりが増幅させられるのではないかとの意見が出されました。
また、ある大学では大学当局(事務方職員)が特定の学生運動団体との関わりの注意喚起をすればするほど、その恐怖心はまずばかりだといいます。
すると、デモに対する「コワさ」というのは、かつてあった直接的実体的な国家権力の介入というよりは、様々な手段で増幅されるイメージこそが根源にあるというべきかもしれません。
そのことがより深刻になるのは、国家権力が直接的に取り締まったりすることがないのに、勝手に自分たちで作ったイメージによって自主規制してしまうことではないでしょうか。
先にあげた教員採用試験の事例はそのことを示しています。
そのことを日本人の国民性に見出す意見もありました。
その結果、デモに参加しない理由を色々挙げるけれども、けっきょくは「無駄な努力はしたくない」という「ぬるま湯につかっている」現状を肯定する民主主義文化ができあがってしまっているのだといいます。

さらに、デモ参加に対する躊躇が民主主義の成熟と関係するということを、別な視点で論じた意見も出されます。
その意見によれば、アメリカであればデモで逮捕されても、それほど人生に悪影響を及ぼさない文化があるといます。
そのことが就職活動に悪影響を与えることは許されないとの裁判例すらあります。
いっぽう、日本において前科前歴はその後の人生をすべて狂わせるぐらいの重さを与えます。
とりわけ田舎においては、デモで逮捕されたというのは、そこに住めなくなることさえ意味します。
このように前科者に対する寛容度は民主主義の成熟度の問題であり、その保護がない日本社会では間接的とはいえ、かなり大きな表現行為への萎縮効果を与えているというわけです。

こうした民主主義の成熟度の問題は、さらに社会システムの問題としても提起されます。
アメリカの人口に対する自治体数の多さに比べ、日本の自治体数の少なさはその政治体の大きさを示しており、それによって一人あたりの市民が政治に関われる度合いが小さくなります。
つまり市民の政治的決定権が社会構造との関わりで小さくならざるをえず、それによって政治的無力感も増幅されるのではないかというわけです。
たしかに、アメリカにはタウンミーティングなど顔と顔をつき合わせながら、政治を決めていく文化が制度的に確立されている点も大きな違いでしょう。
あるいは、ヨーロッパが革命を通じて「権利は勝ち取るもの」という文化が根付いているところに比べれば、日本が黒船やポツダム宣言のような外圧によって近代化が進められてきたという歴史的背景も無視できないでしょう。
「他力本願」というキーワードが、まさしくこうした背景を通じて、日本の民主主義の本質を捉えた表現だと指摘する意見も出されました。
あるいは、高校生の参加者からの「デモに参加したくても、どうやって参加していいのかわからない」という声は、社会人も含めてこうした文化的未成熟度を的確に表した声ではなかったでしょうか。

これについて伊藤監督からは、映画撮影に際して「自分で何かをしなければならない人と無関心な人との断絶がものすごい」との意見が挙げられました。
その人によって情報を得る手段も出所も異なれば、そもそも情報量のちがいがあります。
そうした情報格差も含め、一人ひとり考え方も異なる人々へ「声」を届くとはどういうことか。
伊藤監督によれば、一人ひとり伝わり方は異なるものであり、もちろん全員に届くものなどはないだろうとのことです。
しかし、にもかかわらず最低限度共有できるものを見つけるために、できるだけデモの主張が開けたものにすることが重要ではないかと言います。

それに対して、デモの声が「原発反対」というだけでは届かないのであって、デモに違和感を持つ人々が納得する説明も含めた主張が必要ではないかとの意見が上げられます。
いっぽう、「デモがおかしい」という反応を引き出すだけでも、それは「声」が届いている証拠ではないかとの意見も挙げられます。
そもそも「デモ」とは自分たちの「声」が届かない自覚の上で行われるものではないかという意見も出されます。
伊藤監督からは、仙台のてつがくカフェで上映した際には「声の届かなさがすごく届く」と評されたとのことです。

さて、カフェの終盤、そもそも映画のテーマである「声が届くか、届かないか」というのは重要な論点なのだろうかという問題提起がありました。
そのことを突き詰めると、デモでの主張はある「正しさ」をもってそれを届けようとするわけだけれど、その「正しさ」は時代によって変わるものであり、そもそもそれを届けるかどうかというのは重要なのだろうかとの問いです。
言い換えれば、それは届くか否かを問わずとも、単に表現すること自体が目的ということではまずいのだろうか、との問いです。

これに対しては、すぐに結果画でなくても息を長くしながらやはり届けて行かなければ意味がないとの意見が出されます。
また、それに同意しつつも、やはり「正しさ」の伝え方を反省しなければならないだろうとの意見も出されます。
たとえば、3.11直後に反原発派の情報資料質などのサイトを覗くと、とても素人が読めるような情報提供の形態になっておらず、そこには「こちらの見解が正しいのだから、あとは読み手が勝手読め」という上からの目線が伝わってくるといいます。
そうした反原発派の「声」の届かせ方への無反省も気になるというわけです。
最後に、「正しさを強く主張すればするほど、声は届かないものになってしまう」という意見が出されました。
残念ながらタイムアップとなってしまいしたが、最後の意見は伊藤監督の問題提起を直接的に引き継いだ一言のように思われます。
それにしても、正しさを主張すればするほど声が届かないとはどのような意味なのでしょうか?
引き続き検討に値する問いかけであるように思われます。

今回は仙台からわざわざ伊藤照手監督にお出でいただき、その作品の充実振りを示すように、議論が途切れることなく充実した対話が交わせました。
あらためて伊藤監督には感謝申し上げます。
2012年も残りわずかとなってまいりましたが、会を増すごとに参加者の方々の哲学的な対話が充実していくことに、世話人としても大変刺激を受けております。
2013年もますます刺激的な活動になることを期して、今年ご参加いただけた皆様には心より御礼申し上げます。
そして、ご関心をもちながら未だご参加いただけていない方々には、いつでも誰にでもてつがくカフェ@ふくしまは開かれておりますので、いつでもお気軽にご参加いただければ幸いに存じます。
では、来年もてつがくカフェ@ふくしまをよろしくお願いいたします。