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てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

第1回カフェ・参加者感想

2011年05月23日 22時14分14秒 | 参加者感想
第1回のカフェに参加された方々の感想を掲載させていただきます。

●今回は参加者全員にとって難しいテーマだったと思います。
 そんな中でも時々、「あ、それ、もう少し語り合いたい」という萌芽が浮かんでは消えました。
 テーマによってはどんどん活発になっていく予感があります。
 〈出来事〉の捉え方、負い目の問題が心に引っかかっています。

●震災という出来事がすごく小さくなっているという話が興味深かった。
 実際は被災した人やボランティアに参加した人以外にも語ることは許されるべきですね。
 語りづらくなっているって言う現状には私は実感としてわからないが・・・
 それだったらいやですね。
 子供を持っていないと子育てについて語ることを憚れるのと似ているのかな~って思います。
 実際に経験していなくても、自分の考えなど語ってもいいですよね。
 そこを否定してしまうと人間同士わかりあうことは無理な気がする。

●仙台から参加しましたが楽しかったです。
 「てつがくカフェ@せんだい」よりも人数が控え目でよく議論ができました。
 西村さんや渡部さんのご意見が「@せんだい」よりも聞けて良かったです。
 会場がコンパクトで非常によかったです。
 今後も参加したいと思います。ありがとうございました。

●一人も助けられないから何もしないのか?何かしたけど誰も助けられなかったのか。
 パニックになるから公表しないのか?
 公表しないからパニックになるのか?
 ボランティアって何ですか?
 商売人がやったら悪いんですか?的な
 お金が絡むと難しい。
 いったい誰を信じればよいのか?
 他人ですか?自分ですか?情報ってどうなの?

●今日は主催者さんたちが〈3.11〉以降どのようなことを考えている/いたのか、
 直接知る機会があると思ってきました。
 なので、〈哲学〉することを論点として進んだ2時間によって、
 哲学することと今日の震災を絡めて考えねばと思いました。
 また、福島や県外からいろんな「肩書き」の方々と場を共有できたこともよかったです。

●新しい発見があった。
 もっと対話があったほうがよかったが、こういう展開もあってよいと思う。
 テーブルのセッティングを変えては?
 マインド・マップは役に立つの?
 「趣意書」・「カフェの進め方」―よくできていると思う。
 参考にさせていただきます。

●福島で生まれ福島で育った私は、福島から離れないで福島を愛していこうと思います。
 現状が傍から見ると危険であろうとも…
 娘に背中をおされて出席しました。
 次回も機会があれば出席してみたいです。

●私は震災のことに対しては、もう感覚がにぶくなってしまいました。
 最初に考えた 「自分にやるべきことは?」 という問いも、
 「自分の生活をまずしっかりやることだ」 と答えを出してから考えることをストップしました。
 でもこのままじゃ、なんか被災者の痛みを感じられない冷たい人間になるんじゃないかと思い、
 改めて地震に向かうために参加しました。
 このカフェの中で、自分を楽にするため、セラピーの意味合いできたという方が複数いましたが、
 みんなそんなに追いつめられてるのかと意外でした。
 今一番の震災からの逃げ (安心?) は忘れることだと思うのに。
 考え方って人それぞれ。

皆様、貴重なご意見ありがとうございました。

第1回カフェ報告

2011年05月23日 08時13分50秒 | 定例てつがくカフェ記録
「いま、〈ふくしま〉 で哲学するとは?」

3.11以降、「フクシマ」 は特別な意味に変わってしまいました。
その地において哲学するとは、どのような意味があるのだろうか。
そのことを第1回のテーマとして参加者とともに考えてみたい。
まずは主催者側から、そのような趣旨を説明させていただいた上で、
3.11以降の 〈出来事〉 の意味を参加者から意見を出していただきながら議論に入っていきました。

まず、この 〈出来事〉 のさなかに考えようとしても、
誰かと面と向かって話すことができずに頭が整理されないままだったという意見、
自分がこの状況において何もできないことや、なぜあの人が犠牲になり自分が生き残ったのか、
その問いに答えが出ないことがわかっていながら考え続けてしまう自分、
逆に考えることに疲れ、思考停止した方が楽だったという意見など、
この 〈出来事〉 の意味に答えが出せないことの苦しみが出されました。
これに関しては、やはり震災をテーマにした東京の哲学カフェでは、
体験の共有に終始したというお話が挙げられましたが、
そこにもまたこの 〈出来事〉 の意味の捉え難さが示されています。

しかしながら、そのように理解不能な状況であるからこそ、
言語化することによって整理する必要があるとの意見も出されました。
それについては、自助やセルフカウンセリング的な癒しの効果を期待する意見が挙げられました。
むしろ、食糧難に見舞われる被災状況の中では、生命維持や生活のために必要なものとは違った意味で、
この事態を言語化する機会の必要性を感じたとの意見も出されました。
もちろん、言語化すること自体がロゴスを纏う哲学の本質的な部分と関わることは言うまでもありません。
では、「哲学する」 とはカウンセリングや自己確認のためのお喋りのことなのでしょうか?
もちろん、それとは重なる部分があるにしても、それらとは異なる哲学の固有性を析出してみたい、
実はそんな思いが主催者側にはありました。

これについて議論では、単なるお喋りとは区別される 〈対話〉 と哲学の結びつきが指摘されました。
その意見によれば、〈対話〉 とは相手との意見とのぶつかり合いの中で
相互の異質性を際立たせながら展開されるものであるとのことです。
その点で、今回の哲学カフェのテーマは対立点や論点が明確化しにくいとの指摘もありましたが、
たしかに哲学カフェの醍醐味もこうした他者との異質な意見の交錯にあるといえるでしょう。
しかし、これに対しては論争的ではないまでも、多様な意見が出される中で、
各人がそれを受け止めながら自分の思考を深めたり変容させたりする要素として、
他者の意見を聞く意味があるのではないかとの意見も提起されました。
いずれにせよ、哲学カフェの本質や課題を衝く議論であったように思われますし、
この問いは哲学カフェを続ける中で常に問い続ける必要があるように思われます。

一方、この出来事によって 「自分が何をなすべきか」 が明確に認識できたという意見が挙げられました。
このように、この 〈出来事〉 によって日常では気づかなかった目線の変更というものは、
災害によって当たり前のことが当たり前ではないことに気づかされたり、
誰かがそばにいてくれることの有難さをみつけたという意見にも見られたものです。
また、この究極の共通話題として、それまで無関心であった政治に、
本気で向き合わなければならないことに気づかされたとの意見、
国家や社会の根底にあるものが露呈されたという意見も挙げられました。

これらの意見からは、この 〈出来事〉 によって
「本来的なもの」 が見えてきたり認識されたりする様子が窺われますが、
では、人はこうした危機においてしか本来性に目覚めないということなのでしょうか?
いずれにせよ、この 〈出来事〉 をめぐって答えが出ない問いに悩まされる意見と、
顕現する何かに気づかされたという意見とのあいだには大きな振幅があるように思われました。

また、今回のテーマでは、この 〈出来事〉 を意味づける過程で、
〈出来事〉 そのものが縮んでしまったのではないかという論点が提起されました。
つまり、何かこの 〈出来事〉 をめぐっては、
現場にいる者 (被災者、救援者、ボランティアなど) だけが 〈出来事〉 を語る資格があり、
その外部にある者は口をつぐまなければならないかのように、
価値観が一元化されてはいないだろうかという問いです。
そして、それはこの 〈出来事〉 に際して自分は何もできないという
「後ろめたさ」 とも結びついているでしょう。
あるいは、私たちが感じた 「こんなときに哲学などやっている場合だろうか…」 という躊躇感も、
それに関係しているのかもしれません。
しかし、その意見によれば 〈出来事〉 を問うこととは、
そうした目に見えたり経験される範囲のものへの解釈ばかりではなく、
もっと 「見えないこと」 への解釈といった拡がりのあるものだということです。
そして、そこにおいて哲学は即効性のある支援や活動とは異なるスピード感をもった営みとして、
つまり、この 〈出来事〉 の見えない部分を含めた意味づけや思考を可能にする営みとして
役割をもつものではないかというのです。
もし、このような意味において哲学カフェの可能性が開かれているのだとすれば、
私たち、「てつがくカフェ@ふくしま」 の始まりに希望の光が与えられたような気がします。

今回は3.11以後の 「てつがくカフェ@ふくしま」 の旗揚げ的な意味で、
テーマを設定させていただきました。
しかし、テーマの難しさや重さ、何よりファシリテータの未熟さから、
論点を散逸させるばかりで、参加者同士の対話をかみ合わせることが不十分なものになってしまい、
参加された皆様には不満足感が残ったのではないかと反省しております。
とはいえ、以上の報告からも明らかなように、参加者から提起された論点はきわめて興味深く、
今後の哲学カフェを取り組む中で明らかにしていきたいようなものばかりでした。
そのような成果を得られたことは参加いただいた方々のご発言のおかげであり、
世話人としてもカフェ運営の研鑽に努めながら、
今後とも 「哲学/カフェとは何か?」 を追求して参りたいと思います。
参加された皆様におかれましても、これに懲りずまたのご参加を心よりお待ち申し上げます。

第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」 無事終了

2011年05月22日 16時19分42秒 | 参加者感想


昨日、第1回の 「てつがくカフェ@ふくしま」 が無事終了しました。

参加者14名。

話し合うにはちょうどいい人数で、福島内外からいろいろな人々が集まり、

「いま、〈ふくしま〉 で哲学するとは」 いかなることか、

熱心に話し合っていただきました。

話し合いの内容についてはいずれ文章で簡単にご報告させていただきたいと思いますが、

当日の記録係が板書したマインドマップをアップしておきます。

これだけ見ても何のことかわからないかもしれませんが、

参加した方であればこれであのときの皆さんの話を思い出せるのではないでしょうか。

その後考えたことなどあれば、ぜひコメントをお寄せください。



第2回の企画もできるだけ早くお知らせしたいと思います。

参加者の皆さん、本当にありがとうございました。

前日のドタバタ

2011年05月20日 22時30分13秒 | 開催予定
いよいよ明日です。
第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」。
ここまで来るのにとても長かったような、あっという間だったような…。
まあ再開催を決めてからは、やはりあっという間だったんだろうなあ。
だって、まだ準備が全然終わっていませんし。
水曜日 (18日) に最終打ち合わせをし、それぞれが準備するものを決めたわけですが、
前日のこの時間になってもまだバタバタしているのです。

会場の前に掲示する立て看板を巨大プリンタで作成しておくはずでしたが、
その作業が夕方以降にずれこみ、やっとファイルが完成したので印刷に行ってみたら、
インク切れで機械が使えず、事務の方々ももう帰宅されたあとなので、
インクを交換することができず、打つ手がなくなりました。
おそらく明日は、手書きの模造紙が掲示されることになるでしょう。
これがまたとっても素人くさくって、我ながら見るに耐えません。
うーん、最低だぁ

【哲学カフェの進め方】 の草稿はずっと前にアップしていましたが、
その後、どう確定するかを話し合うこともできず、
これも水曜日にやっと話し合い、それに基づく改訂作業を今日やって、
つい今し方、ブログにアップしておきました。
明日は、これと設立趣意書を両面印刷したものを配布する予定です。
まだ印刷はできていません。
これから帰りがけに印刷室で印刷して帰ります

感想用紙も作りました。
これは、中学や高校での講演会のときのものにちょちょっと手を加えてできました。
むろん、これから印刷しなくちゃいけません。

相棒が、メモ代わりのレジュメを作る手はずになっており、
こちらにそのファイルを送ってきて、私が印刷していくことになっていましたが、
今ふと気づいてメールチェックしてみましたが、まだ届いていません。
どうしたのでしょうか?
そして、こんな肝腎な日に私はケータイを家に忘れてきてしまっているのです
ケータイ宛てにいろいろと緊急連絡が入っていたとしても、
私がそれを目にする頃には完全に手遅れです。
うーん、ピンチだ。

というわけで、今頃になって本当にドタバタしていますが、
明日には何とかなっていると思われますので、
皆さまぜひとも御家族お誘い合わせの上、
第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」 にお越しください。
楽しいひとときが過ごせること間違いなしです
(どこから来るのだ、その自信は?)




     第1回 「てつがくカフェ@ふくしま」

テーマ : 「いま、〈ふくしま〉 で哲学するとは?」

日 時 : 2011年5月21日(土) 15:00~17:00

場 所 : パセナカミッセ・地域交流スペース (福島市置賜町8-8)

参加費 : 珈琲代200円

〈てつがくカフェ@ふくしま〉 の進め方 (確定版)

2011年05月20日 21時28分49秒 | 「てつがくカフェ@ふくしま」について

         〈てつがくカフェ@ふくしま〉 の進め方

1.お互いに対等な立場で話し合ってください。

1-1.参加者の中に例えば上司と部下、教員と教え子等がいたとしても、この場では上下関係は忘れて、対等な参加者として話し合ってください。
1-2.そのために 「○○先生」 など敬称をつけて呼ぶのはやめ、お互いに 「○○さん」 とかニックネームなどで呼び合ってください。
1-3.哲学その他に関する専門知識があるかないか、多いか少ないかということを争う場でもありません。知識の多寡ではなく、論拠の正しさによって議論を交わすようにしましょう。


2.聞くときは最後まで聞き、話すときはわかりやすくまとめてください

2-1.他の参加者の意見を最後まで聞いてください。そして、できるかぎり正確に理解するよう努力しましょう。
2-2.皆さん最後まで聞いてくださいますが、自分の話だけで時間を取ってしまってはいけませんので、話はわかりやすくできるだけ簡潔にまとめるようにしてください。
2-3.ただ自分の身近な具体例を述べるのではなく、理由や根拠に基づいて一般化し、普遍的な意見として発言するようにしましょう。


3.独白の応酬ではなく、対話となるように努力しましょう

3-1.他の人が述べた意見と無関係に話すのではなく、関連させながら話すようにしましょう。
3-2.他の人の意見に同意できなかったとしても、相手の人格を全否定してはいけません。相手に対して質問を投げかけ、相手の意見をできるだけ理解したり (相手に同意する必要はありません)、相手の意見の不整合を明らかにするようにしましょう。
3-3.自分の考えと皆さんの考えとの類似点や相違点を確認しながら、思考の流れそのものを楽しみましょう。


4.ファシリテーターは皆さんの哲学的対話が活性化するようにお手伝いします

4-1.ファシリテーターが自分の知識や自分の意見を押しつけたりすることはありません。
4-2.ファシリテーターは、参加者全員ができるだけ対話に参加できるよう気を配ります。
4-3.ファシリテーターは、皆さんの対話が噛み合うよう時々議論の整理をすることがあります。


5.解散後もずっと考え続けていきましょう

5-1.今日のこの場で議論は終わりではありません。解散後もずっと考え続け、議論を継続していただければと思います。
5-2.会の終了後できるだけ早いうちにブログに今日の記録をアップする予定です。この場で言い足りなかったこと、その後考えたことなどをコメント欄に書き込んで、延長戦を楽しんでください。
5-3.メーリングリストにもご参加いただき、そこでも議論を継続していきましょう。