てつがくカフェ@ふくしま

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対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま報告2023.4.22.「この時代をどう生きるか?」

2023年04月23日 10時13分08秒 | 定例てつがくカフェ記録
4月22日(土)に開催された「てつがくカフェ」について世話人から報告させていただきます。


会場とオンライン(Zoom)の同時開催となりましたが、

会場には10名、オンラインでは1名の計11名の方にご参加いただきました。







ここで参加された方の発言の一部を紹介したいと思います。

・この時代は割と発言の自由や表現の自由はあるはずなんですが、なんか忖度しちゃって、あまりこう言えない。今いろんな問題が日本も抱えてて、今崖っぷち状態っていうか?食料問題でも原発問題でも戦争関係でも崖っぷちなんだけど、それがわかってるんだか分からないけど、発言ができないっていう人が多いので、私は幸いなことに年金生活だから割と子供のことでも旦那のことでもしがらみがないんで。福島市っていうのは割とフォーラムもあるし、こういう集まりもあって。実際に見聞きすることができるので、その実際にいろんな人と会ったり、見たり聞いたりして、情報を取って発言したいほうです。そういうふうに生きようかなと元気な時はですけど思ってます。

・まあ、この時代をどう生きるかということなんですが。皆さんそれぞれこの時代という時代の認識というものがあるんだろうと。それによって、それぞれ生き方が違ってくると思います。まあ、これから変わっていくと思います。でもまあ、今の生き方というか、個人的なことを申し上げますと、せいぜいというか、みなさんよりちょっと大人で。皆さん多分これからもまだ50年、60年生きると思うんですが、せいぜい私はまあ10年ぐらいかなという感じなんです。ですから、いかに変わっていったとしても、まあそろそろ私の生活の仕方、生き方はそう変わらないなというのが今の気持ちであります。

・この時代をどう生きるかって言うと、個人的な独白になっていけないって書いてありますけど、僕の考えを述べるのであれば、まずは一緒に暮らしてる家族とか現状繋がってる友達とか血縁とかそういうのを大事にしていこうと僕は思ってますね。そうやって生きてきたいなと思いましたという話です。

・「この時代をどう生きるか?」ってテレビとかの討論番組とかのタイトルとかでも作れそうなタイプではあるんだけれども、だから割と手垢が付いたような言葉に一見感じるんだけども、実はなんか意外と難しいなあとさっきから考えていて。例えば自分が学生時代の時に、学生時代はどういう時代だったかっていうのを定義するのって、意外と難しくて。卒業した後で振り返ってみて、その時代ってなんかその時代だっていうような感じになっていてなので。この時代、今の時代って一体いつからいつまでがこの時代であるのかってと、なんか事後的にしか決まらないようなところがあるような気がして。江戸時代っていうのも江戸時代が終わったから、江戸時代っていうふうに分けられたわけですし。それで、自分たちが例えば昭和に生きていた時。決して昭和時代とは言わなかったですよね?だけど、今の昭和時代っていう言葉が出始めていて、さらには平成時代とかっていう言葉も半分冗談で言ってるような気がするんですけども、何か使われていて。それで、さてこの時代って、どこからどこまでをまとめて一つの時代にされるのだろうか?それ自体がなんかすごい関心があって。でもそこからじゃないとどう生きるかに繋がらないとするならば、なんか実はすごい難しい課題なんだなと。だから喋りにくいなと思いました。

・今おっしゃったことと関連するんですが、この時代というのをどう捉えるか?まあ、捉え方によって令和の時代というふうにも解釈できるし、今の時代というふうに解釈できるわけですが。要するに、私は今という時期、時代どう変わっていきつつあるのか?今後どう変わっていくのか?そこら辺を見通した上で、その変化をどう捉えるかということで、それに合わせてどう生きていったらいいのか、それぞれが違うだろうと。それで私、今の時代で社会の変わりよう特徴的なのは、デジタル化かな?インターネットかな?これはますます進んでいくだろうと思う。最近よくまあテレビなんかぎゃあぎゃあ騒いでるんですけど、チャットGPTなんて言うのはね、これは凄まじい勢いでこれから進んでいく。特に教育分野、あるいは学習分野で凄く変わっていくのかな?例えば世話人にも関係してくるけど、今問題になってるのは卒論の書き方とかということで、チャットGPTに「こういうテーマだけど、これについてどんな風に書いたらいいでしょうか?」とか聞いた時に、聞き方にもよるんでしょうけど、いろいろ答えを並べて出てくるという話なんでね。だから、もう教育の仕方、学習の仕方がずいぶん変わっていくんじゃないかなと思います。あとは小中学校だって、もう今はみんなそれぞれタブレット一人ひとりに与えられて学習できるというようなことなので。教育学習は非常に大きく変わっていくんだろう。それとまあ、最近っていうか前からですけど。ダイバーシティとか多様化ということが言われているんですけど。これは一人ひとりを尊重するというような意味合いで使われる場合もあるんですが。これちょっと考えると、なんか人々がてんでんばらばら分散していってしまうんじゃないかというふうにも考えられるんですよね。だから、これだって多様化=OKというふうには私はいかないな。やっぱり多様化と吸収化というか、分散と収束というか、そういうバランスの問題じゃないかなというふうに思っているんです。それとも関連して、家族の在り方、家族がどうなっていくんだろうかいうことですね、それからこの前、これからの哲学カフェの議題として取り上げてほしいという中にも出てましたけど、要するにお金の問題。これもデジタル化とかということで、現金使わないで済むという決済が進むという。色々そういうことと関連して、今世界的に見ると多様化じゃないですけど、ウクライナやロシアが戦争していて米中の対立、それに関連してEUとか日本とか中東とか様々な国々の関係がどうも混乱しているように思います。これからもうちょっと複雑な混乱しているのかなという気がしないでもないんですけど。そういう中で、我々の日本の社会に私が住んでるこの福島県の社会がどう変わっていくのかなということを考えつつ生きているというのが、今のところ私なんであります。

・今の話にすごく私、あの共感するところがありまして。僕から見た視点だったんですけど、今の時代はあのデジタル化によって情報入手がしやすくなって、誰でも取れると。それも、小さなお子さんからご高齢の方から情報は自分から取りに行く時代。とりやすくなってると思っています。その面で、過去と比較をしてもしょうがないですけど、過去においては情報が統制されたので、ま与えられた情報をもとに過ごしてきた部分もあると思います。もちろんそれだけではないけど、今現在、今日現在で見たらその部分がずいぶん変わってきて。自分から情報取りに行く、能動的に動くことができる時代になったと思っています。むしろあの本当に、小さなお子さんから自分発信もしくはあのご高齢の方も自分を発信するということで、世の中は変わってきていると思います。顕著な例で言うと、昔髪の毛の染めたら、異質な目で見られたけど、今は大半の方が髪の毛を先っぽだけ赤く染めたりとか当たり前になってきて、違和感を抱かないような。その分で、能動化になるとともに自分発信というのが大切な時代が加速していく思っています。なので個性を高めて、個性を他人を尊重するとその部分が多様化だと思っています。

・情報化の話が今出ましたけども。私が一番気にしているのはファクトとフェイク。本当のことか偽物のことか。情報でそれを見分けるのって非常に難しいんじゃないかなというふうに思うんですね。要するに、自分が信じていることを発信していると思ってスマホとか使ってんだとも思うし。また逆に、ちょっとごまかしてやろうということで、情報発信してるのがいっぱいあるわけ。犯罪なんか外国でそうやって捕まったりしてますけど、あれは僕から見ると非常に一部で日本国内もいっぱいあるんじゃないかと。詐欺的な事で情報を発信したりして。ということで、まず気をつけなきゃなんないのはファクトとフェイクをどう見分けるかということ。これはね、ものすごく難しいと思います。

・私の仕事が情報産業なんですからあのお客様からあのやっぱりそういう話もよく聞きます。でも正直難しい。かなり難しいところでまあ。騙されるのも含めて、まあ人生なのかなっていうあの僕の変な解釈です。

・私はあの70代なので、先ほど話にでた昭和時代というふうに言えば、昭和時代が基準なんですね。70年生きてると、ある程度こう俯瞰して流れのようなものが自分的に見えるわけです。そうすると変わってきているし、なんか面白い時代になってきているなあっていうのが、この時代の私の感覚なんですね。人それぞれのこの時代の捉え方っていうのはみんな違っていいと思うんですけど。私の場合は昔は本当に情報がラジオか新聞かその後、テレビがほとんどの情報源だったので。今ファクトとフェイクと仰られたけど、これまで真実だと思ってきたわけですよ。私たちの頃はメディアが流したいものを流しているとか、メディアの都合のいいように編集されているというようなことを全く気付かず知らずにいましたが、最近はネット情報にも触れることができるようになったので。そうするとこう、さまざまな角度からの意見が出るわけですね。コロナにしても、その他の情報にしても、そうすると右だよって人もいれば左だよって人もいるし。それで、発信している人にコメントする人たちも、様々な視点でコメントしていると。結局、自分が翻弄されるってことはあるんですけれども、結局は自分がピタッとくるあたり、ピタッと来なくてもあ、この辺の感じかなっていうのを自分で決めることができる。さっきの話だと、もう昔は、マスコミが情報を流すもの、私はすべて真実だとほぼね、ほぼ真実だと思って生活してきましたけれども、ネット情報の時代になって、様々な意見を検索することによって調べることができるので、自分の内面に問いかけたりしたときに、結局は自分を信じていくしかないんだなという。自分っていうものを、自分らしく大切にしていけばいいんだなあっていうふうに思うようになりましたね。さっき教育の変化とおっしゃいましたけど、多分昔だったら私は全く知らなかっただろう情報が教育っていう分野で日本でも校則をなくしましたよとか定期テストやめましたよとか、制服やめましたよとか制服が多様化になりましたよっていう情報もネットだとたくさん入るし。昔は通信簿ですね、通信表も昔から出していない学校もあるんだっていうのを最近知りまして、それもネットだから得られた情報かなと思うし。そういう意味ではなんかとても自分の可能性が私はこっち好きなんだなと思うし。こういう方がいいなと思うんだなあっていうその可能性の広がりを広げてくれてる今、ネットを使える環境に私は非常にこう面白い時代だなと思っていますし、コロナに関しても右と左の意見があって。私の場合は、マスコミが言ってるのはちょっと違うんじゃないかっていう風に思う様になったのも、インターネットでいろいろ情報が得られたからで。東北や全国で色々発信してるのを読んだり見たりしたら、私はこっちだなっていうことで、結局マスクはいらないんじゃないとかね。ワクチンもどうなのっていう方に、自分のあの立ち位置がこっちなんだなあっていう風になりましたけれども。これテレビなどの既存のマスメディアだったら多分、普通にマスクをして、ワクチンをしっかり打ってという風になったんであろうと思うんですね。そういう意味では、自分に入ってくる情報が非常に多くなったので、自分らしく生きられるっていう。自由さっていうのかなは得られたように思います。

・事実、ファクトを見分けるという点でZoomの方でコメントしたんですけれども。どういうふうに分けるかというところで、私は対話を通じて自分の事実が正しいかどうかを認識することが大切だと思います。

・チャットを読み上げますね。AiチャットGPTに関してですが、この流れは避けられません。わたしは教育分野に属しておりますが、拒絶するのではなく共存が必要だと感じています。自動車、インターネットと技術が発展する過程には必ず反発がありました。それでもルール整備などをしながら、人類がその便利さを享受して来ました。しかし、これまでと違うのは、AIは知識を与えてくれるだけでなく、我々から思考の機会を奪いかねません。この点に関しては注視する必要があると考えております。ファクトを見分けるということですが、多様な方々との対話を通じて、多面的批判的思考を養うことが大切だと思います。また特定のコミュニティ、例えば日本に固執することなく、海外の方との対話対話も重要と考えます。

・今日ここで、ネットで参加されてる方がいて、これもこの時代の特徴であって、地域を問わず自分の参加したいコミュニティに参加出来るっていう側面ですごくいいなと思ってますよね。

・あの情報が取りやすいっていうコメントが出てましたけれども、それに関しては僕本当なのかなってずっと思っていて。結局、情報って言葉をどうやって捉えるか、どう定義するかにももちろん寄ってくると思うんですけれども。結局、意味がちゃんと伝わって、何かその意味内容が理解された時に初めて情報が取れたと考えるのであれば、今みたいに何がファクトで、何がフェイクなのかよく分からないような状況で、色々な情報の種になるようなものは、大量に取れるかもしれないけれども。結果として、それが何か意味が伝わったものとして、狭い意味になってしまうかもしれないけど、情報として入ってくるかどうかっていうのは、なんかだいぶ違っていて。むしろあの昔のように情報と呼べるものが極めて少なかった時の方が、数は少ないけれども、それなりにあの何が正しそうなのかっていうのは理解しやすかったという面で行けば、必ずしも今の時代が情報が取りやすいとは言えないような気がしていて。むしろ、だからファクトとかフェイクの話で、まさに今ここに繋がっていると思うんですけれども。それが色んなものが混在してしまったがゆえに、昔とは違った形で情報が取りにくくなったと見ることもできるんじゃないかなと。

・仰る通り、情報が取りにくくなったと言うか。取れるがゆえに、そのファクトをどうやって見分けるかっていうことなんですけど。私の場合は、よく家族ともお喋るんですけど、50:50だよねと。ここで実際にその人が対話していて、その見たり聞いたり、触ったりしたことなら、自分でこれが事実っていう風に判断してもできるんだけど。ネット上の情報なので常にこう50:50で捉えて、それで自分に響くものを自分の中で構成していくってことかな。情報の中から自分で情報の中から自分の真実のようなものに引き寄せて行くってかな。100%どれかの情報を信じちゃうっていうんじゃなくて、常に50:50で見ようねっていうような姿勢ではいます。

・僕も今の方おっしゃったことと感覚が似てまして。僕の感覚だと世の中に正しいというものと、正義っていうのはないと思ってます。それぞれの人の立場から、その接する順番だったり。入ってくる人だったりで、その人の価値基準が変わると思ってるので。情報はもう色んな物がありますけど、自分で偽物を拾いながら経験して、自分の中の判断基準を整えて行くということだと思っています。一律には言えないのかなと思っております。

・パソコンは少ししかやらなくて、こう必要な情報を探してもた辿り着けないんですね。例えば、こないだ郡山の若い子が東京電力の電気を全部稼働すると840Kwになるっていう話なんです。それを検索してもどうやっても見つからない。本当に必要な情報に辿り着くってのがすごく難しいと思ってます。色々あるけど、私は実際、人と会ったり、本にちゃんとなってる情報を一番信用していて。その本も出版社にを選んでっていう感じなんですけど、例えば外国の生活とか聞いたり知りたいなと思ってもテレビではね街角カフェがちょっとあるくらいで。外国の様子も知りたいけど分からない。そういうの本当にテレビで流してくれてれば、本当に一番いいんだけど、知りたいと思う情報には私は辿り着けない。違う情報だったりが多いなと感じています。

・今のことに関して言いますと、知りたい情報に辿り着けないと仰った。それは昔も今も多分これからも変わらないと思いますね。だって今までだって情報を取る場合、色んな信頼してる人から聞くとかね、本を見るとか、色んなテレビとかラジオとか集めてきた訳です。その中から信頼できる情報を見つけてきた訳だと思うのね。だから、それは昔もそれやってたこれからだって情報はものすごく氾濫してる訳だけど、その中から見つけていくしかないんだろうと。それはもう昔だって、今だってこれからだって変わらないと思いますね。

・さっきお仰ったように、正しいも正しくないもないと私も思っていて。自分で手に入れた情報で、もし間違った自分が判断をしても、人生ってさっき最初の頃、仰ってましたけど、それも人生なのでは。必ず100%完璧にっていうことで人生を捉えなくてもいいような感じで、生きた方がいいかななんて思います。

・1億総中流と呼ばれた時代、私の家とあなたの家と同じようにあの高級品をそろえてとか、いい車乗ってとかってまあ、価値基準が同じ時代は過去に有りましたけど、今はそれぞれの価値基準が時代で変わってると思っています。その中で僕の会社の事例というか、やっぱり昔は役職っていうのがあって、社長とか部長とか課長とか部下とか。〇〇課長とか、そんな風に呼び合うことがあった。今はもう社内で、皆さん付けなんです。新人であっても、年が離れてる新人でも〇〇さんっていうふうに言うような文化だったり。あと上の役職の人でも、あのもうかしこまって〇〇部長とかじゃなくて、〇〇さんっていうフラットな時代に。上から目線で業務指示が下りたりとかではなくて、それぞれが考えて、なるべくやりたいように自分が上手く動けるようにやっていくっていう。まあ、もちろん統制はありますけど、昔とは働き方も変わってきたなというところがあります。

・先ほどの方の情報を見つけていくしかないってことに関しては、まず完全に同意で僕もそう思います。なんだけど、昔と今ででもやっぱり最大に違うのは、探せる範囲が圧倒的に広いですよね。それこそ昔とかだったら、例えば、僕が学生の頃とかだったら、まだネット検索とかできなかったので、卒論とか書くときにその図書館とかで調べれる範囲でしか調べられないし。要するに自分の直接属している分野のその研究論文とか、それなりに大学にいれば読めますから、そこは読んでるけども、お隣さんの分野で実は同じようなことやってるんだけどっていう時に全然そんな情報中々入ってこなくて気づかなくて。だから、ある意味平和にやられたと思うんですけど。今もうネットでキーワード入れたら全部できてしまうから、ちゃんとそういうところに目を向けていないと、ちゃんと勉強してないとかって、いろんなところから球が飛んできたりするので、何かその見つけるためにあのしなきゃいけないこと調べなきゃいけない範囲ってのがめちゃくちゃ広くなって来てて。更に色々自由になってるようになったら、どうなっていくんだろうなって感じがします。やっぱりなんか同じようで違うようなと。

・今の話聞いて自分のことを思うと、気になる情報をネットで調べだすと次から次へと色々出てくるので、もうこれで体力が続けば明け方までやっちゃうだろうなみたいなと。でも、流石にこの年なので眠くなってあもう無理ってなりますけども。確かにそうですよねと思いました。

・何が真実で何が虚構か分からないって話で言うと、さっき地縁とか血縁を大事にしていこうって僕言ったんですけど、実際にここに来てることもそうなんですけど、やっぱり自分で見て感じて考えて、調べて自分の仮説を自分で信じることって仰っていましたけど。自分の仮説を検証するっていうこととして、こう常に生きていくってのがいいんじゃないかなみたいなことを思ったりしましたね。

・情報を取る場合に範囲がものすごく広くなっちゃってて。いっぱい取ることができる。どうしたらいいんだか分からなくなっちゃうみたいな事を仰ったんだけど。ただ、そこで情報はあくまでも、私がおるわけですよ。例えばチャットGPTに対して、こういう質問する訳ですよ、ある事に関して。それで帰ってくるでしょ、答えが。答えがいっぱいあるにしても、それを判断するのは依然として私とかそれを調べた人な訳で。判断するのはこのちっちゃな個人な訳で。だから、どうなっちゃうか分からないというのは、主体性がないかなという感じ。そういう意味で、やはりこの場はてつがくカフェ@ふくしまですけど、やっぱり哲学的な心伝美とかね。善悪とか、こういう基本的なことについてどう考えるかっていうのは、どんなに情報が氾濫していようと基本はそこにあると思うけど、やっぱり哲学は必要だとてつがくカフェ@ふくしまのPRにもなるのかなと。

・今回、哲学カフェに初めて来たんですけど、他のも何回か来たことあったんですけど。やっぱり、哲学的な思考が大事だということだと思うんですけど。答えのない問いに自分で答えを出していくってことだと思うんですけど。それで言うと、例えば生きてるってなんだろうと思ったら、googleに生きてるって何なんだろうって打てば、哲学的なウィキペディアとか出てきて、哲学の世界とかに入ってくるわけじゃないですか。だから多分もう一層、もしかしたら僕がそうだった気がするんですけど、もう一生哲学カフェとかに来なかった可能性があるんですよ。あのiphoneとかインターネットがなかったら。一生自分の趣味範囲内に閉じて、同じことを反復して死んでいった気がするんですよね。だからそう思うと、こういうとこあるってことを、本当に考えた人たちにどう伝えていけばいいんだろうなとか思ったりしますね。

・この時代をということではないんですが、今おっしゃった言葉でちょっとあのピンときたので、大昔の時代から今の時代、それから未来においても必要なことは、自分に与えられたご縁を大切にするっていう事だと思いまいした。

・どう生きるかっていうことで言うと、さっきのとちょっとかぶるんですけども、自分の生きたいように生きるのが一番いいなと思いますね。8億いたら8億の人がみんな違うわけだから。自分が思うようにいるのが、それが個性を輝かして生きること、自分を生きるってことなのかなって思うんですね。私が20代の頃は人生でなんだかなと思った時によく駅前の広場が見渡せる二階か三階のカフェに一時間ぐらい座って駅前を道行く人を眺めていると。いろんな人がいて、一人として同じ人がいないわけですよ。そうすると自分を行けばいいんじゃんっていう風に思ったんですね、20代の頃は。そうだ、じゃあ自分の好きなように自分の思うように生きればいいんだっていうふうになって。そんな気付きをもらってっていう感じだったんですけど、今は先ほど話しましたけど、ネット情報が得られる環境にいるので。もう色んな人がいるので。だったら、やっぱりあの自分を生きれば良いんだなあっていうふうに。かつて駅前のカフェで見下ろして、気が気づかされたその自分の大切さみたいなのを、今はネットで気づかされているっていうところですね。自分の生きたいように生きればいいんだっていうところが、この時代をどう生きるかっていうところの問いの私の答えかなと思います。


上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓






次回のてつがくカフェは、

5月20日(土)15時から福島市市民活動サポートセンターとZoomの同時開催で行います。

テーマは「日本国憲法どう変えるか?変えないか?」です。

オンライン(Zoom)による参加をご希望の際は、

ブログ上にZoomのURLを掲載しておりますので

該当記事の「Zoomミーティングに参加する」の下の

URLをクリックして頂ければZoomに参加することができます。

会場参加同様、オンライン参加につきましてもお申し込みは不要です。



そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。