てつがくカフェ@ふくしま

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対話と珈琲から始まる思考の場

触って、話して、見て楽しむワークショップ報告

2016年11月03日 17時59分09秒 | アートdeてつがくカフェ記録


さわって・話して・見て楽しむワークショップが福島県立美術館で開催されました。
午前中の部には、視覚障がい者の方々5名と美術館友の会の方々5名、ファシリテーター、午後は視覚障がい者5名とてつがくカフェ@ふくしま参加者5名、ファシリテーターによって行われました。

まず主催者である県美の荒木さんから今回のワークショップの趣旨が説明され、参加者同士の自己紹介の後、真下弥生さんからロダンに関する紹介がありました。

「地獄の門」はロダンが37年間作り続けた作品だが、今回触察する「影の頭部」は地獄の門のてっぺんに「三つの影」という題をつけられた3体のうちの一体の頭部です。
実際には、その3体が向かい合って首を下にもたげていていますが、表情はわかりません。
今回扱う頭部の作品は正面を向いているので、表情もわかります。
ダンテの「神曲」は地獄と天国をめぐる話ですが、これをモチーフにした「地獄の門」の入り口には「汝ら個々に立つものは一切の希望を捨てよ」という言葉が書かれています。
また、ロダンの作品はほとんど人間の姿を作ったものばかりだが、想像ではなく必ずモデルを観察して作っていた作家ですが、その彼の言葉に「偉大な彫刻家は画家のように一流の色彩家なのだ」というものがあります。
こうした言葉をヒントにしながら、今回扱うロダンの作品を鑑賞してみましょう。


この後、3グループに分かれ、それぞれ15分ずつブロンズ彫刻の「影の頭部」と「髪をすく女」、さらに県内作家による制作途中の作品を触らせていただきながら、視覚障がい者と健常者とが対話をしながら鑑賞する作業に取り組みました。
そして、鑑賞終了後に30分間の哲学カフェが行われました。

午前の部の記録は県立美術館さんのブログをご覧ください。
http://www.art-museum.fks.ed.jp//index.php?key=jolkinwi1-388#_388

以下は、午後の部の対話記録になります。

 

※【視】=視覚障がい者の参加者 【健】=健常者の参加者 【フ】=ファシリテーター
【視】いつも美術館では触らないで下さいといわれるけれど、最近はレプリカで触れさせてもらえる機会が増えました。大宰府の博物館では手で触れる博物館としてオープンしたと聞いたことがあります。それはどういうきっかけかというと、全盲の奥さんに旦那さんが説明しているという姿を見た館長さんが、色々な人に作品を触れてもらえる博物館として出発させたと聞いています。それ以降、触れられる美術館が増えたました。私は盲学校の教員でしたが盲学校設立100周年の時に、ロダンの作品などを東京の美術館の協力を得て実施しましたが、今日、こういう機会を設けてくださって感謝しています。視覚障がい者は触れないとわからないので、こういう会を開催してもらえればありがたいです。

【視】弱視なんだけれど、その時によって見えることもあります。つい見たくて近づいてみようとすると、注意されるのですが、やっぱりそういうのはダメなんですかね?

【視】私も初めて触らしていただいて、小さい作品はわからなったけれど、大きい作品ははっきりわかってよかったです。親切に教えてもらえたので、本当にありがとうございます。

【健】今、お話ししてくださった方と同じ班だったのだけれど、特別な体験をしたような気がしました。美術作品は目で見てきた自分だけれど、一緒に触ってみて、皆さんと確認しながら自分のものにしていく体験が新鮮で、みんなで共有した感じがします。今でもひんやりした作品の感覚が忘れられなくて、ただ見ただけではその作品はわからないけれど、触ってみることを通しては全然違う経験でした。一緒に触ってくださった方に感謝です。

【フ】「触る」のだと部分から全体に広がる違いもあるかもしれませんね。

【視】私は弱視ですが、触ってわかる場合と見てわかる場合がありますが、触った場合と見た場合が全然違うこともあります。年度は目が開いているのか閉じているのかわからなかったし、粘土で触ったのは初めてです。細い足も、触っただけではわかりませんが、見てわかるものでした。

【健】今までは見るだけだったんだけれど、触ってわかったのは作者の視点で触って、作者になっているんじゃないかなという視点で見ることができたことです。粘土の作品も、仕上がったものではないけれど作者の視点で見ることができました。

【フ】たしかに、作者がつくる過程は隠されている部分ですね。

【視】いつも美術鑑賞では一緒についた方が説明してくれますし、それに近いイメージを頭の中で作るわけですが、しかし何かピンと来ない部分もありまました。今回のワークショップでは自分が納得するまで自分の手で触れることで、そのイメージがより鮮明になった気がします。より立体的にイメージが作られる、これは非常に素晴らしいのではないか。どうしても我々ふれる機会がありません。触れることが視覚障碍者には一番大事なことです。岩手盲学校の桜井さんは手で触れる博物館をつくって、それを視覚障がい者は観に行った方も多いでしょう。それ以来、健常者といっしょに取り組むという企画は、最近こういう風潮が出てきたのではないか。お互いに気が付かないところを補い合えるということで、素晴らしい取り組みをしているのは東京の方で色々な団体や美術館が取り組んでいることは知っていましたが、いよいよ福島にもそれが来たのだなぁと、そう思っていました。福島県の美術館の取り組みは早い方ということですばらしいです。

【健】今、話されたことと関係ありますが、私が視覚障碍者の方に説明をしていて躊躇いを感じた部分があります。僕が感じているのを話しちゃっていいのかなとためらいが生じたことが自分自身の中で新鮮でした。普段は自分の勝手な解釈で、一方的に観ているわけですが、今回は視覚障碍者といっしょでこの説明の仕方でいいのかなと、ためらいを感じながら説明しました。触覚の想像力みたいなものが、ここから膨らましていくのも一つ加わってくるようなそんな感じが、兆しがしました。

【視】触ってみて、ぼこぼこ感とかみたいなのは触ってみないとわからないんですよね。弱視だから、見えることはあったのですが、さわってみて全然違うんですよ、見えている方の意見も大事なんですよ、自分の中で触ってみる想像力もあれば、見える人の意見からも想像力が膨らみます。

【健】過去に視覚障碍者とのワークショップに取り組んだことがありますが、今回は自分の意見を言っていいんだなと逆に思いました。観て触って、自分が言った感覚を、さらに相手に触って確認していただいて、そういうことが見える人が感じるのだなと感じてもらえればいいのかなと思いました。これがお子さんや途中で障害を負った方などは難しいと思うんです。触覚は小さいころから経験を積んでおく必要があるのかなと思うので。

【健】率直な疑問なのですが、目の見えなくなった方は、途中から見えなくなった方は見えていた時の記憶があって像を結びやすいと思うのですが、初めから見えずに過ごしてきた方の触覚の仕方はまた違うのかなと思うのですが?

【視】私は小学校前から見えないんですけれど、展示会とは個人的な趣味でスカイツリーってどんな形しているのかと思うと、デパートでおもちゃを触るのですが、大きすぎるのは把握できない。同じ新幹線なのに、どうしてこんなに形が違うんだろうと思うんです。おもちゃですけれど、自分自身を納得させる。だから私の場合はただのおもちゃじゃないんですよね。みんなに何でこんなに集めているのと言われるんだけれど、知るためにはどうしても必要なので、けっきょく全部集めたくなるんです。だから機関車と客車が違うとか、だんだん覚えているんですよ。ロダンの場合は、前に全身像を触ったことがあります。全身像、特に裸の像なんかは、たくさんのイメージが生まれるんだけれど、今回の作品はイメージがわかりにくかった。今日見たのはどれ見てもざらざらのが多く、同じロダンさんの彫刻でも違うんだなぁと思いました。


午前の部の話し合いも興味深い内容でしたが、今回は哲カフェ参加者が参加された午後の部の記録のみにとどめさせていただきました。
会の終了後の反省会では、健常者視覚障碍者の方々から、この経験を両者で共有できる機会があったことに意味があるというご意見をいただきました。
まだまだ健常者と一緒に何かを共有するという場が少ないという視覚障がい者の方々からの生の声は、ふだん意識しないバリアがごく当たり前に存在していることに改めて気づかされたものです。
また、健常者に親切にしてもらえることはありがたいのだが、しかし視覚障がい者の立場からすれば、健常者ができることを当たり前のように自分で選べる環境の実現を望んでいるという言葉も心に残りました。
これは親切が不必要だということではありません。
そうではなく、そうした親切な手助けを必要としなくてもお互いに、負い目なく自分で自由に選択できる社会環境を築いていこうとすることです。
こうした話も情報としてはどこかでしっているのかもしれませんが、実際にお互いに顔を突き合わせて初めて伝わり、理解を進めるものになります。
今回、こうした機会にお誘いいただいた県立美術館の皆様にはもちろん、色々な形で関わって下さった皆様には心より感謝申し上げます。
この貴重な縁を引き続き大切にしてまいりたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。