てつがくカフェ@ふくしま

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第37回てつがくカフェ@ふくしま報告―「〈不倫〉はイケナイのか?」―

2016年06月06日 09時39分15秒 | 定例てつがくカフェ記録
2016.6.4 「不倫はイケナイのか?」 参加者19名

まずは「不倫」とは何かと共通認識を図るところから会は始められました。

「結婚している男女が他のパートナーや異性と恋愛関係になるのが、いわゆる「不倫」です。肉体関係を含むと性的サービスのお店に行くのとどう違うのかという問題があるので難しいけれど。」

「肉体関係があるのは「不倫」です。不倫は結婚していることが前提で、結婚は「一生、君だけ」という約束があるものですが、そういった約束を交わした相手と違う人と同等の関係を結ぶのが不倫です。」

「何が「不倫」でそうではないかというのは、異性間かどうかは関係のないことです。結婚をしていようがしていまいが、合意の上でステディの関係にあった場合にそれ以外の人と関係を結んでしまうことが不倫です。ただし、パートナーが「自分以外の相手と寝ても構わない」と許したものであれば不倫と呼ばないのではないでしょうか。相手に秘密にしているということが不倫の不倫性を際立たせるものだと思います。」

「最近の女性誌に「セカンドパートナー」という言葉をよく見つけます。これは夫婦同士でも自分のパートナー以外に、色々な面でのパートナーがあって、家族に相談できないような話や、家庭に持ち込みたくない話などを交わせる心の許し合える相手のことを指すようです。ただし、その関係には肉体関係を持ってはいけないよという約束があります。なので、「不倫」には肉体関係の有無が関わってくるんじゃないでしょうか。」

「秘密性というのが「不倫」の条件に挙げられましたが、セカンドパートナーについては、結婚相手に明かすものなのでしょうか?」

「できれば、公にしておこうという風に言われるようです。結婚相手に公にしている肉体関係のない恋人と言えばいいでしょうか。」

「「不倫」の定義的には配偶者がいることが前提にあります。昔は不義密通と呼ばれました。人によっては肉体関係だけではなく精神的な浮気も不倫と捉えるでしょう。その相手に会って「大好きだよ」というだけでも「不倫」。肉体的かつ精神的な関係をもつのも許せないという人もいますから。結婚相手の感情次第で「浮気」なのか「不倫」なのか「遊び」なのかが決まるのだと思います。」

「昔は「不倫」という言葉はなかったはずです。私が子どもの頃は、皆さん堂々とやっていました。お妾さんと本妻が一緒の家で生活していたという形もあり、独り身の女性の家に男性が通っているというのが、緩い関係として割と日常的にみられる時代がありました。誰が「不倫」って決めたんですかと思っています。誰目線で「不倫」となるのでしょうか。」

「誰の目線かというのは二つあって、当事者同士の目線でと、法的な視点で「不倫」とか姦通罪というのがあるのですが、肉体的な関係か精神的な関係かはそれほど関係ないと思います。」

「「不倫」と「浮気」の違いは結婚の有無が前提になっているけれど、いま話題に上がったように、社会制度や時代が違うとその意味も変わるので「不倫」は普遍的に定義できないと思います。人の気持ちの部分なのかな。法律上は不貞行為には肉体は入るけれど、肉体関係を一度もったくらいでは認められないのが通例です。」

「「いまの日本において」という風に限定して考えてみた方がいいのではないでしょうか。浮気と「不倫」は違うかというと、浮気は個人と個人の裏切り関係に近いのかな。「不倫」というと世の中に共有される倫理から外れているというイメージです。法律的に「不倫」という言葉はないので、そのときの一定のこうすべきという約束事から外れるものに過ぎないのではないでしょうか。」

「浮気と「不倫」の違いはほとんどないと思います。一夫一婦制の結婚制度下で恋愛関係も一夫一婦制を規範のモデルにしているに過ぎないのだと思います。」

「法律的に絡めば結婚制度の問題になるけれど、浮気も恋愛関係でもやられた方はダメージはある。お互いが合意していれば、裏切られると傷つく点では結婚の有無は関係ないと思います。たしかに浮気は個人間の問題で済ませられ、結婚していて不倫する場合は社会的に影響はあるという点で違いはあるけれど、裏切られて傷つくという点では本質的には変わらないと思います。」

「これまでの議論を聞きながら「不倫」を定義できるかというと、やっぱり無理だという風に思いました。どこか他人を責めたいときに「不倫」が発生したり、あるいは自分の振る舞いを律しようときに「不倫」の定義が必要になるのではないでしょうか。そうであれば、「不倫」とは何か?」と問うよりも、「もし「不倫」を責めるんであれば、何を根拠に責められるのかと問うた方が見えてくるものがあるのではないでしょうか。」

「たしかに、「不倫」を定義するのは難しいという気がしていますが、そもそも不倫は1983年の金曜日の妻たちというドラマ以来生まれた言葉で、それほど古くないんです。マスコミが新しい言葉を作ったときにきちんと定義していればよかったのでしょうが。ただ、法律的には不貞行為として法的に責任は問えることになっていますので、言葉の定義というよりは、結婚も恋愛も一対一の関係にあるべきだという規範をどう考えるのかと問うことはできるのではないでしょうか。」

「日本の場合、結婚は一対一に向き合うことになっていますが、私自身は結婚していても別なパートナーを選んでもいいんじゃないと思っています。結婚する前には、複数の人とオープンにつきあうことを認めようというポリアモリーという考え方は素敵だなぁ、と思っていたのですが、いざ結婚すると夫との関係性が枷になりました。つきあい方には多様性があってもいいと思っています。」

「結婚するときは相手を束縛したいし、相手にも束縛もされたい、そういう人と結婚したいものです。その感情をお互いフラットにしようというのは、なかなか一致せず、無理があると思います。」

「僕もデーティングピリオドという欧米にあるやり方はいいなと思ったことがあります。これはステディな人をみつけるまで肉体関係を含めて色々なパートナーシップを試していくシステムですが、一人に絞りたいというか、相手も自分も複数の相手とつきあっていけるかというと、そうではなく束縛したいという感情をもつのが自然だとは思います。問題は、問題はこれが長続きしないかもしれないという点です。結婚は制度的にこの感情を縛ってしまっているけれど、一対一になりたいというのは感情的にある一方で、それが続かないという問題をどうするかということを考えてみる日打つ用があると思います。」

「その感情はなんと呼べばいいのでしょうか?」

「独占欲。」

「縛りたいという感情は嫉妬と呼んでもいいかもしれませんね。」

「じゃあ、イスラームや英語圏、アフリカ世界でも「不倫」はあるのか。一夫多妻の人たちにもそういう感情は持ち合わせているのでしょうか?イスラームは一夫多妻制を認めているでしょう。」

「イスラーム世界において一夫多妻は無条件に認められているわけではなく、セックスでも経済的にも愛情的にも、すべての奥さんを等しく満足させなければいけないとコーランで規定されているので、相当厳しい縛りがあり、実際は複数の妻を持つムスリムはいないというのが実態です。」

「江戸時代には夜這いをして一人の女性に対して複数の男性と交わって、誰の子かわからない。一妻多夫の世界だと財産を持っていないから、父親誰だかわからない社会では逆にみんなで育てようということになることがあります。」

「戦前の日本では事実上、女性のみ姦通罪の対象となり、戦後は民法上不貞行為が離婚の理由になっています。」

「私の前の夫もおつきあいしている女性がたくさんいらしたのだけれど、私は嫉妬というのがなくて、夫が第一婦人という地位を確立してくれていたことに満足していました。家族を第一に考えてくれていれば、特に嫉妬とかそういう感情は生まれませんでした。」

「そもそも「不倫」はいけないことなのかと考えると、何が「不倫」で何が「不倫」じゃないかと考えた時に、その人の行動を制限することだと思うんです。でも、それこそ人の行動制限することなんて、世の中様々だし、個人レベルでも様々でしょう。「不倫」の多様性があって、「不倫」の定義が多様化した方が彩のある世の中になるんじゃないかな。だから「不倫」は悪いことなんだけれど、いいことなのかもしれない。」

「自分に「不倫」という感覚をもてないのはなぜかというと、みんなとつきあえたら最高だなと思っているからなんだと思います。もちろん、若い頃には独占欲も味わったりもしました。年とっても一緒になれているのは最高だけれど、そこまで感情が持続しない問題をどうするかというのと関係しますが。私の場合、友達結婚だったので、始めから一緒に添い遂げなければいけないという義務感は薄かったと思います。だから、子育てなど義務を果したらいったん夫婦は解散した方がいいと前回発言したのはそのことと関係します。みんな幸せになりたいと思って生きていると思っているんだから、お互いが納得できる選択を尊重できる社会になればいいんはないかな。」

「性交渉の話も含めて、性風俗産業の利用に関しては「不倫」に当てはまるかもしれないのに法的にはそうはならないのが気になりました。もう一つ、男性のマスターベーションも嫌だという不倫感覚をどのように考えるべきでしょうか?」

「性風俗はその時の性衝動を処理したいという問題であって、心の交流を求めていくのは、人の道に外れた感じがするということではないですか。風俗嬢に性衝動の処理を求めていくのは許せるけれど、個人的な愛情を求めに行くのは許せないという感情の問題だと思います。」

「日本には売春防止法があるので法的に認めているわけではないですよね。表向きには認めていない。けれど、実態として風俗産業を認めています。」

「相手に秘密にしているという問題があったけれど、先ほどの第一婦人の話はオープンにしていたから問題が生じなかった。やはり、オープンか秘密かというのは重要な要素なのかもしれません。」

「恋愛の独占とか排他性が出たので、聴きたいのですが、自分が第一婦人であるという自信がなければ語れたでしょうか。」

「そうですね。でも、二度目の夫のときは結婚していたにもかかわらず、私の位置は二番目だったので、そのときは悔しい思いをしました。」

「パートナーの人がどう思うのかが大事だと思います。絶対にお互いに相手はひとりと誓い合ったわけではないけれど。」

「「不倫」はどっからがいけないと決めるのは、所詮、第三者的なワイドショーネタでしかないでしょう。」

「乙武氏のケースを見てもパートナーの考え方次第で世間の納得の仕方が変わりましたよね。だから、相手の考え方次第という側面はあるのではないでしょうか。」

「でも、ベッキーのケースを見ていても、いつも女性ばかりが「不倫」を責められる構図になっています。乙武氏の「不倫」問題のケースのように、男の場合は妻が納得すると世間も納得する構図がありますが、それはフェアとは言えないと思います。」

「けっきょく「不倫」を定義するのはワイドショーだけではないでしょうか。」

「問題はマスコミの質なのではないかというのは、そのとおりだと思います。むしろ、「不倫」は当事者間で問われることで、社会の倫理を犯したとかそういうレベルの問題ではないと思います。だから、お互いが納得している関係であれば問題にはならない。むしろ、それをお互いに尊重し合うことで多様なパートナーシップが実現する社会にならないかな。」

「マスコミが不倫を取り上げるから実際以上にみんなが騒いでいるという理屈は、半分はその通りだと思うけれど、そうとも言い切れない面も残るのではないでしょうか。私自身は「不倫」を責める気も関心も全くないのだけれど、しばらく考えていたのですが、もし僕の親友が配偶者の「不倫」によって辛い思いをしていると知ったときには、私は親友の妻に対して悪感情を持ってしまうと思います。こうなってしまうのは、なぜなんだろうと思うのです。」

「最近読んだ本の中で、アナーキストの大杉栄と伊藤野枝のような関係が友情とも情愛とも混在している複雑な関係性が表現されていました。一概に夫婦だから愛情をもって接しなければいけないとか、友情だから性愛関係を抜きにしなければいけないとか、そんな単純な関係性では割り切れないのが人間であることを考えさせられたものです。その相手とのかかわり方が大切。婚姻以外の恋愛は宿命的に誰にでもあるんだろうな、友情に近い感情で結びついたのは配偶者はつらいだろうな。そんな風に考えました。その昔、映画「マディソン郡の橋」が多くの主婦たちの共感を集めましたが、彼女たちはふだん人格が認められない女性たちばかりだったように思います。そんな女性たちが夫以外に自分の存在を認めてくれる男性に惹かれるのは、単に性的な魅力だけで引かれるのではなく、人間の存在として認めてほしいという願望がシンクロしたのだと思います。一方、男性には「不倫」がないわけですよ。ベッキーもそう。理想としては婚姻に縛られない社会になった時に男女ともに生きやすいパートナーシップになるんじゃないかな。」

「オシドリ夫婦は二人だけの世界に閉じて、人間関係に対して貧しいといっていたラジオ番組のことを思い出しました。そういう意味で言えば、浮気は人間関係が豊かといえるのではないでしょうか。SNSのように「ともだち」の数が多い方が人間としての価値が高いと認める社会になれば、そんな浮気な関係も人間関係が豊かだという指標になって認められていくかもしれません。」

「色んなつきあい方の形があった方がいいと思いました。これが一つのつきあい方だという形を卒業して、個人でこう思うからという生き方を選ぶ方が豊かな社会になるのではないでしょうか。」

「個人の独立性とか自分が持っている自由とか、自分が幸せになっていく互いに尊重し合えるからこそ許し合えるという縛らないという関係の理想像があるんじゃないかな。共同体の中でみんなで育てるというコミュニティのように、お互いの自由独立性を尊重し合う中で人を育んでいく世界がいいな。」

「社会的に見て「不倫」のいい悪いは決めないけれど、親友の妻の「不倫」問題をどう考えるかという場合ですが、たしかにメディアがマイノリティや弱者の立場に立ったつもりで書くから極端な批判をしている姿に対して、「世の中そんなに割り切れないよね」と思いたくなる。けれど、関係の近しい人には、その悪感情というか攻撃性が働いてしまいます。」

「なぜでしょう?」

「近しい人の方が感情を移入してしまうからではないですか。友達側の情報量がたくさん入る一方で、不倫してしまった妻側の情報は入らないから、なおさら親友の側に立って攻撃的になってしまうということです。」

「子どもがいると、両親には「不倫」してほしくないと思います。「不倫」するしないという場合、当事者だけの問題だけではなく、第三者として「子どもの」存在が大きな比重を占めるのではないでしょうか。」

「たしかに20年前に離婚の危機があった時、娘に「学校を卒業するまでは離婚しないで」と言われたときには、その選択はやめましたね。」

「これまでの話をまとめると、「不倫」は当事者間の問題であり、世間がどうこう批判できる問題ではないことがおおむね了解されていたかと思います。その際に、結婚の有無や秘密にするかオープンにするかという要素が「不倫」を規定する条件として共有されていた気がしますが、最後の方には、むしろ自分とのパートナーシップ以外の関係性をお互いに尊重し、認め合うことで多様な関係や社会性が形成されることを望む声が多かったと思います。では、その多様な関係性を認め合うことを求める方々に聞きたいのですが、自分のパートナーに「それは傷つくからやめて」と言われたらどうするんですか?」

「私の場合、それは夫との関係が冷えたときに別の魅力的な男性が表れて、そのことを率直に夫に伝え、だからあなたも別の素敵な女性が現れたらお付き合いしていいよと伝えました。すると、不思議なことに夫にも別のおつきあいする女性が現れたんですね。だから、個人的な体験から言うと、それはそうなればうまくいくというか…うーん、何をいいたいかわからなくなりました。」

終了時間になったため、議論はここで終了となりました。