てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

第32回てつがくカフェ@ふくしま参加者感想

2015年09月23日 11時25分38秒 | 参加者感想
第32回てつがくカフェ@ふくしま―「〈メメント・モリ〉(死を思え)とは何か?」にご参加いただいた方の感想です。


● 若い人の死に対しての感覚がわかってよかった。自殺は心の病気の結果では、と思ってます。最近、友人の親せきが20歳で亡くなりました。彼が死をどう受け止めていたかを少しでも知りたくて来てみました。若い人の話が聞けて良かったです。

● 2時間も同じテーマで話すことがいままでなかったので、とてもスリリングで、また来たいと思いました。もっと多くの人の意見を聞きたいと思いました。少し話をされていない人に一言振ってもよいかなと思いました。

● メメントモリは自らに向けてしか使えないと思うのです。常に死が隣にあることを考えている気はします。

● 飛行機が墜落する30分の間にものすごい生きる力を発揮するという話を聞いた。その30分の生きる力、私はそれを残りの人生ですべて使っている数少ない(?)人間であろうと思った。

● 初めて参加しました。一つのテーマを掘り下げて話ができて楽しかったです。2時間では不足に感じました。もう少し時間を増やしていただきたい思いです。

● 私の父は、64歳で、50年前に癌で亡くなりました。一言でいうなら、「壮絶な死」でした。とても書ききれません。若い時ほど生命を粗末にするの(が私だ)と思いました。学童疎開時は神風特攻隊に志願しようと思い、キューバ危機では、キューバを守るために、モスクワで外人部隊に入隊しようとすら思ったほどですetc…。

● おもしろかったです。自由に多様な意見(対立するものも含め)が出て、時間について考えました。量なのか質なのか。それと人間の力を超えた何かの存在。



皆さん、死をめぐっては身近な死から特攻隊の思いまで、ほんとうに様々なご経験がおありだったのですね。
さらにもっと皆さんの聴いてみたい思いに駆られました。
しかも、新しく参加された方々のご意見、ご発言というのは本当に場を活性化させますので、またぜひご来場いただければ幸いです。
次回のシネマdeてつがくカフェは「家族」がテーマです。
映画を見た後に、また色々と語り合いましょう!



第32回てつがくカフェ@ふくしま報告                「〈メメント・モリ〉(死を思え)とは何か?」

2015年09月20日 06時10分25秒 | 定例てつがくカフェ記録
                 

昨日、第32回てつがくカフェ@ふくしまが、「〈メメント・モリ〉(死を思え)とは何か?」のテーマで開催されました。
今回は「死」という、とても暗いテーマであるにもかかわらず(いや、だからこそのなのか)23名の参加者に恵まれました。
しかも、今回は数年ぶりの参加という方や、初めて参加された方もかなりいらっしゃり、懐かしさと新鮮さが入り混じった雰囲気の中で始められました。

さて、今回のてつカフェは【現場/当事者から考えるシリーズ】という新たな試みで「死」を取り扱いました。
このシリーズは、いつもの抽象的な問いから哲学するというのではなく、ある具体的な事例の経験談から哲学的問いを立ち上げていこうというものです。
いみじくも、てつカフェ最初期に参加された方が、「あの頃のてつカフェとは違って、落ち着いた雰囲気で成熟した感じがした」と、今回の感想を2次会で述べられたのですが、まさしくその通りだと思うと同時に、この場が抽象的な議論にこなれてきた一方で、あの当時のヒリヒリとした感じが物足りなくなりつつあるかなと思っていたところでした。
ヒリヒリ感というのは、具体的な経験や事例が内包する切実感といったところでしょうか。
それをどうにか工夫できないかなぁと思っていたところで、7月に小野原さんと一緒に参加してきたネオソクラティクダイアローグからヒントを得て、今回のシリーズを試みてみたわけです。

というわけで、第1回目の今回は、ワタクシの死をめぐる経験談から提起させていただきました。
こんな感じの話です。

僕は先週で42歳になりましたが、この間、様々な人の死に出会ってきました。
家族はもちろんのこと、親友や教え子の死に直面してきたこともあるのですが、今回はとりわけ父の死をめぐって印象的だったことをお話しさせていただきます。
父は肝硬変で亡くなったのですが、その病状が余命3か月とわかった時点で、そのことを本人に告知すべきかどうかという話が家族の間で交わされました。
僕は父親との折り合いが非常に悪かったので、これを機に和解というか修復というか、残りの生きる時間が少ないという事実を本人に知ってもらうことで、死を自覚しながら、これまでのお互いの関係に向き合ってもらえる最後のチャンスではないかと考えました。
まさに父に「死を思え」ということを求めたかったわけです。
ところが、父親の脆い部分を知っている母親は、そんなことを知ってしまったら3か月すらもたなくなってしまうと言います。
なんとか、半年後に予定されている弟の結婚式まではもたせたいという母親の思いもあり、結果的には本人に知らせないことでまとまりました。
そこからは、週末だけとはいえ、父親の病床に付き添いながら介護をしていたわけですが、脇に寄り添いながらも会話らしい会話はできませんでした。
結局、父親はほぼ診断通りの時間を経て死に至ったわけですが、いまでも告知しなかったことがどこか心残りになっています。
とはいえ、余命いくばくもない父親に対し「死を思え」というのは、やはりどうなのかという思いもあります。
死を目前にした人間に対して、「死を思え」と要求することはいかがなものなのか?
さらに、そうした死の自覚を求めたところで、そもそも何かが変わるということはありうるのだろうか、という疑問もあります。
今回のてつカフェでは、そのあたりのことを皆さんと一緒に考えたいと思う次第です。


今回の報告は、ワタクシ自身が当事者として問題提起させていただいたこともあり、なかなか客観的に記述できない面がありますが、以下私が参加者の皆さんとの対話の中で考えてみたことを、つらつら記述してみたいと思います。

問題提起のあと、ファシリテーターからは、一般的には「メメント・モリ」は本人の死の自覚を促す警句として用いられるのだけれども、今回の事例では他者に対してそれを要求するという点で特異であることが指摘されました。
その上で、まずはこの事例に対する質問から対話は始められていきます。
死の自覚を促したところで、父親本人からどんな言葉を引き出したかったのか?
もし、それによって父親の何かが変わったら、問題提起者自身が安らかに死を看取ることができたのか?
いずれも、仮定の話ばかりなので、何とも答えにくいものがありましたが、率直に言うとそれは「わからない」としか答えられません。
これまでしてきたことに対して、「悔い改めよ」と要求したいわけではありませんでしたし、それはその場になってみないとわからないけれど、それまでの関係性を変えるような、思いがけない父親からの言葉の生起というか、出来(しゅったい)を期待していたようには思います。
それは、あらかじめどんな言葉か特定できるものではないという点では、これまでにない父親の側面を見出したいという思いがあったのかもしれません。
それゆえ、それで父の死を安らかに看取れるかということもまったく予想不可能のはずでした。
やはり、告知によって絶望の淵に立たされれば、むしろ茫然自失となる可能性の方が高かったことは、大いに予想されたことですし、とても残酷なことです。
だから、あのときの告知をしないという判断は、常識的に見て、やはりやむを得なかったことなのだろうなと思ってはいます。
けれど、そうであるにもかかわらず、この残念感はなんなのか。

ある参加者は、小学校2年生の時に実母を亡くされたときの後悔を語ってくださいました。
それは、その方が学校で「大きくなったらお母さんを幸せにしたいです」と作文に書いたことを知った母親に、「本当かい?」と聞かれたとき、照れくささとともに「ウソだよ」と答えてしまったというエピソードです。
その後、わずかな期間でお母さまが亡くなられたとき、子どもだから死の意味をわかっていなかったとはいえ、「なぜ、あの時あんなことを言ってしまったのか」と心残りがあるというお話でした。

その話を聞きながら、僕も最期に父親と交わした言葉は何だったかなと考えてみましたが、
母親からは、死の直前に語った父親の言葉をいくつか聞いてはいたものの、僕自身はけっきょく何も聞いていなかったことに改めて気づかされました。
いや、おそらく日常会話くらいはしたはずですが、何も覚えていないのです。
そのとき、病床の傍にいて何か苛立ちや不快感を感じていましたかという質問もいただきましたが、おそらくは淡々としていたのではないかと思います。
それこそ、変な話題でも出そうものなら、本人に余命いくばくもないことを悟られてしまいますから。

父親を脳腫瘍で亡くされた別の参加者からは、周囲の同じ病気を患う子どもや若い世代の患者たちが、淡々と自分の死を受け入れていく様子が不思議だったという話が出されました。
むしろ、高齢になっていけばいくほど生に執着していくのはなぜなのか。
これは介護現場で働く参加者も賛意を示していました。
それに対し、若者にとって死はフィクションの世界の話で、美化されやすいものだからではないかという意見が出されます。
さらには、死の体験の数の多寡も関係するのではないかという話も出されます。
では、生への執着が希薄で死を受容しやすい若者の方が、死と向き合いやすいということなのでしょうか。
必ずしもそういうことではないでしょう。
死のイメージと自覚は必ずしも一致はしないはずです。

別の参加者からは父親が全く死を予期していなかったのかという質問も受けましたが、実はそれもよくわからないのです。
たしかに、あれだけ肉体が痩せ衰えてしまえば、否が応でも死期を悟るのではないかと思うのですが。
うーん、それでも死に関して話題に上がることはありませんでした。
もちろん、それを話題にすれば死を直視せざるを得ないでしょうから、その不安以上の恐怖を覚えることは想像に難くありません。
それゆえに、あえて自分の病状や死の可能性に触れようともしなかったのかもしれません。

だからこそ、死を目前にした人間に対して「死を思え」という要求は、生者の身勝手ではないか。
そのような指摘が、ある参加者から出されました。
まったく、その通りだと思います。
だからこそ、それが不当な要求なのかどうかを今回のてつカフェで議論していただこうと思った次第です。
ある参加者からは、この警句自体が誰かから誰かへの問いかけの形式になっていることに注意が投げかけられました。
おそらく、この警句は神から人間への問いかけなのでしょう。
では、それを人間から人間へ投げかけることは権利上認められるのか?
この問いは、まさしく今回のテーマの核心をついていると思います。
念のため確認しておきますが、僕自身はけっきょく父親にその要求を突きつけることはできなかったわけで、それはやはりその要求にある種の傲慢さを感じていた部分があるからです。

別の参加者からは、死への意識は誰しも心の片隅にあるものだけれど、それにとらわれている生き方が人間らしいとは言えない、死にとらわれないでのびのびと生きる方が人間らしい生ではないかとの意見があげられました。
「自由な人間は何より死について考えることがない」と言ったスピノザを想い起します。
それに関して、死刑囚の例を出された方もいらっしゃいます。
毎日24時間差し迫る死の恐怖と戦う精神的苦悩は、やはり人間らしく生きている状態とは言えないだろうというものです。
ただ、一方で加賀乙彦の『死刑囚の記録』を読むと、そこに描かれる死刑囚の姿は、必ずしも悲惨なだけの生を送っているわけではないことに気づかされます。
死刑執行が明日をも知れぬ中、自分の行いや罪と向き合うことで、生の意味を問うことに勤しむ死刑囚の姿は、むしろ生の充溢というにふさわしい姿であるともいえるのです。
けれど、人間は誰しも生まれた瞬間に、ある意味で死が宣告された存在でもあります。
言い換えれば、人間である以上、誰もが死刑囚と同じ境遇であるはずです。
それを自分の問題として考え続けることは、この警句の一般的な理解ですが、それを死を目前とした他者に告げ知らせることは、単なる身勝手なことでしかないのでしょうか。

ジャンケレヴィッチという哲学者は、死を一人称の死、二人称の死、三人称の死に区分しています。
その区分に従うならば、僕自身はそれほど一人称の死にあまり関心を寄せられません。
いや、まだピンと来ていないというべきでしょうか。
自分の死を思うことは、しょっちゅうあるのですが、それはまだよくわかっていないのです。
そんなよくわかっていないことを、他者に向けて要求することは、確かに身勝手なことでしょう。
にもかかわらず、なぜそう思ってしまうのか。
自分の死はけっきょくのところ経験できませんし、自分が死んでもそれは究極的には自分の問題ではなく、残された他者との関係の問題ではないのか。
これは、これまで遭遇してきたいくつかの他者の死を通じて考えてきたことです。
(だからと言って、一人称の死が問題にならないということではないのですが。)

明日死ぬかもしれないとしたら…
それは本来の自己に目覚めて自分らしく生きよ、ということを促します。
世間に気兼ねした生き方ではなく自分本来の生き方を。
陳腐なまでにハイデガーっぽい言い方なのですが、では、果たしてその自己への配慮とは他者関係を抜きにして成り立ちうるのか。
僕にとって「二人称の死」が切実なのは、この点に関してなのです。

ある参加者からはキング牧師が死の直前行った演説が、死を自覚した語りであったことを看取できるというお話を上げていただきました。
彼自身が常に殺されることを自覚しており、そうであるがゆえにあのような勇気ある思想を貫けたのではないかと言うのです。
これは、別の参加者から挙げられた「覚悟」というキーワードと結びつくように思われます。
自分の有限性を自覚したらスマホで無為な時間を過ごすことなどしている場合だろうか。
もう、死は目の前に迫っているかもしれないんだぞ!と。

それでも、やはり「メメント・モリ=死を思え」という言葉に抵抗を覚える参加者からは、日本の言葉でいえば「一期一会」がそれに当たるのではないかと言い換えが試みられました。
むしろ、なぜ死を前提にしなければ親子関係が修復できないと思うのか。
死などを抜きにして、それ以前に為されるべきことではなかったか、と。
別の参加者からも、なぜ死を目前にして「死を思え」と他者に要求する思いが芽生えたのか、という問いが投げかけられます。

なるほど、そのとおりでしょう。
死を目前にして初めてそのこじれた関係をどうにかしようなんてムシが良すぎる話だと、自分でも思います。
けれど、拗れた人間関係を、それまでの日常が継続する中で、簡単に修復できるというのも現実的ではない気がします。
拗れた人間関係をより拗れないように続けていくためには、腫れ物に触れずにやり過ごすしかないことの方が実際ではないでしょうか。
今思えば、おそらく自分で修復を主体的に仕掛けるのではなく(というか、修復する気は全くなく)、ありうるとすれば、何か修復のきっかけが訪れることだけを待っていた気がします。
ふつうの(って何だ?)家族関係では、孫が生まれるという出来事が大きな変化として、大きくその関係性を変えると聞きます。
しかし、子どものいない僕にはその可能性はありませんでした。
したがって、その拗れた関係は、ただただ先延ばしにすることしかできなかったわけです。
(くり返しますが、僕は修復したいという気持ちも働かないほど、その存在を毛嫌いしていたので、実家にもほとんど近づませんでした。)
それが残された時間がわずかだと知ったとき、ある意味で僕自身が「このままでいいのか?」という問いの地点に立たされたわけです。
しかし、それは関係性の問題である以上、僕自身が一方的に自覚したところで何も始まりません。
父親の側にも自覚してもらうことで、それは開始されるわけですから。

ある参加者は、そんな風に父親に死の自覚を求めることを「優しい態度だ」と評してくれました。
それによって本当は父親にしてあげたいことを、もっとしてあげられる関係性を取り戻そうとした態度だからと言います。
身に余るありがたい評価ですが、残念ながらそれは誤解です。
(そんな温いヒューマニズムを持ち合わせていれば、哲学などに興味など向けず、もっとまっとうな道を歩んでいるはずです。)
父親のために、というのではなく、あくまで僕自身の納得の問題でしか考えていなかったというのが実際だと思います。
その点でやはり生き残る側の「身勝手さ」というのは、まったく正当な評価です。
すると、書きながら思えてきたことは、父親に本来的な生き方に目覚めてほしいというのではなく、僕自身が本来的に生きるためには父親との関係の修復が必要だった、ということではないかということです。

余命3か月という宣告は、だからもはや先延ばしのできないゴールが見えた時に焦って見えたものだということなのでしょう。
その意味でいうと、「一期一会」は常に相手とは二度と会えないかもしれないことを自覚せよ、という点で今回のテーマを言い換えるにふさわしい言葉だと思いました。

一方、「メメント・モリ」を「諸行無常」という言葉で言い換える意見もありました。
これに関しては、関根正二の「死を思う日」という絵画作品が印象深いという話をされた参加者がいます。



そこには、「死を思う日」と言いながら、森林に囲まれた中にただ一人の人間が小さく描かれているだけで、森羅万象の循環の中に人間の死があるということイメージさせられたと言います。
この日本的な死のイメージからは、やはり死を自覚して自己の生に向き合わせる西洋的な「メメント・モリ」の発想とはズレがあるようです。
人生は生まれ変わるという死生観をお持ちの参加者からは、死は怖くないという意見が出されましたが、この循環や生成流転という概念とどこか親和的なように思われました。
ただし、そこがよくわからないのですが、どうせ生まれかわるのだったら、別に今の人生を精いっぱい生きる必要はないのではないか、と僕などは思うのですが…そこにはおそらく色々な理論があるのでしょう。
ともかく、死生観が異なれば自ずと「メメント・モリ」への評価は異なるということです。

すると、ある参加者から、これまでの議論を聞いていると、なんだか無条件に生きることが肯定されているようだが、そんなに生はよいものかというニヒリスティックな問いが投げかけられました。
ここから自死の問題に議論は展開し、ある参加者は生も死も公平なものであり、善悪の価値を当てはめる必要はないという意見が飛び出します。
つまり、自死を選択したその人の行為は肯定できるというのです。
この議論の前提には、尊厳とは何かということに関して、忍耐、公平、癒しという3つのキーワードを挙げて説明された発言が端緒となっています。
これを別の参加者は、死は万人に訪れるという点で公平だし、だからこそ人生がどんなにつらくても、誰にでもいずれ死は訪れるのだとすれば、余裕をもって他者に尊厳を与えられるような生き方ができると解釈できるとしました。
この場面は、議論が若干錯綜していてよく理解できなかったのですが、それを踏まえて先ほどの自死肯定論が飛び出したわけです。
ただし、これに関してはファシリテーターの方から、テーマとは別の論点だし、テーマが大きすぎるという指摘があり、再び「死を思え」と他者に告げ知らせることの是非に話は戻されます。

すると、ある参加者から、本人の最期の挨拶や心の整理という点では、やはり告知は認められてもよいとの意見が出されます。
むしろ、末期であるにもかかわらず本人には「治るよ」と嘘をつくことほど残酷なことはないのではないか、と言います。
「嘘も方便」という考え方もあるけれど、周囲が真実を知っていて本人だけ知らされないことはフェアじゃない、自分は真実から何かを積み上げたいという意見があげられました。
かつて「知らなくてよい真実はあるか?」というテーマで、てつカフェを開催したこともありますが、これはその人の生き方の問題なのでしょうか、それとも万人に通用する問題なのでしょうか。
それに関してファシリテーターから、やはり末期がんの父に対して告知すべきかという問題があったという自身の経験談が切り出されました。
その時は、結果的に僕の場合と同様、告知しなかったそうですが、やはりどんなに絶望的な気持ちになっても、やはり知らせてあげることで別の死に方、あるいは別の生き方ができたのではないかと思うところがあると言うのです。
これはパターなリズムなのかどうか。
やはり、ことが重大事になる前の段階で、この告知の有無は家族内で確認しておくことが重要だということが改めて確認されます。

終盤に入り、「言葉」と「時間」の問題が取り沙汰されます。
ある参加者から、「もし、余命が3か月ではなく、1か月、あるいは1年だったらどう変わっていたのか?」という問いが投げかけられました。
これも「たら、れば」の話なので何とも言えないのですが、どうも時間の客観的な長さではなく質のような気がすると答えてみました。
それは「余命X時間」と聞いた瞬間に、ギュッと時間が一気に凝縮されたかのような感じがして、そこに焦りを覚えたといってもいいかもしれません。
でも、それを引き起こしたのは何なのかと言えば、実のところよくわからないところがあります。
ああ、もう時間がないんだ、と目を覚まされた感じと言いますか。
それに気づいた瞬間に、時間がギュッとなったのであって、それが1か月、3か月、1年という客観的時間の問題ではない気がするのです。
もっとも、「残り1年」と言われれば、逆算して「まだ余裕があるな」と思ったかもしれませんが。
でも、あらためて問いたいことは、誰しも「余命X時間」であるはずです。
これに気づいて、焦って、驚いたら今までのように生きていられるのか、それともやはり変わらないのか。
僕自身、ほとんど毎日自分の死について考えることがありますが、だからと言って「自分は死ぬ」という避けられない命題に必ずしもピンときているようには思えないのです。
すると、いったいそこにいたるきっかけというのは何なのか?
僕の場合、それは今のところ「二人称の死」にしかピンとこないのです。

この問題に関連して、御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機から、墜落30分前に書かれた犠牲者の手記が見つかった事例を取り上げた参加者がいます。
それを読むにつけ、やはり生き残った側としては、死者の最期の言葉を知りたい、メッセージを知りたいという思いがある事実は否定できないと言います。
ある参加者からは、「父の死に際して何を引き出したかったのか」という問いが投げかけられましたが、皆さんの意見を聞きながら、それが「死にゆく者の言葉」であったことが確認できていったように思われます。
親子関係の修復とか言いましたが、それは別に仲直りとか謝罪とか、そういう類のことではなく、なにがしかこの「私」が世に生まれた原因者が最期を自覚して残した言葉によって、最後の未知の関係性を創り上げることができなかったのか、ということなのかもしれません。
あるいは、こちらの見えている世界観が変わる言葉を期待していたのかもしれません。
くり返しますが、それはどんな言葉かなんて予想もできません。
自ずと生起しつつあるものでしょう。
もちろん、それは陳腐な言葉かもしれませんが、それでも生き残る側の記憶に留める言葉を引き出せることは、なにがしか生き残る側の生に変容を与えるものなのではないでしょうか。
そして、それはとりもなおさず、死者と生者の関係性の変容する最後の可能性ではないかと思うわけです。

今回は、こんな感じである種の自己開示というか自己暴露というか、ある部分で裸になる必要がある話でしたが、ここまで開示していいかどうかは別として、このような様々な「現場の当事者」のお話から哲学的問いと対話を立ち上げていこうというのは、けっこう面白い試みではないかと思っています。
今回の試みがうまくいったのか、もうやめた方がいいのかは参加者の皆様のご意見を伺わないとわかりませんが、もしこの【現場/当事者から考えるシリーズ】で問題提起にご協力していただけそうな方がいらっしゃれば、ぜひご連絡ください。
それが哲学的問いになるかどうか相談しながら決めさせていただきたいと思います。
次回は、フォーラム福島でシネマdeてつがくカフェです。お楽しみに。

第32回てつがくカフェ@ふくしま開催のご案内           「〈メメント・モリ〉(死を思え)とは何か?」

2015年09月05日 13時46分36秒 | 開催予定
【テーマ】 「〈メメント・モリ〉(死を思え)とは何か?」
【日 時】 9月19日(土)16:00~18:00
【場 所】 イヴのもり
     (福島市栄町6-4 南條ビル2F・TEL 024-523-5055)
【参加費】 飲み物代300円
【事前申し込み】 不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】 fukushimacafe@mail.goo.ne.jp



P.ブリューゲル「死の勝利」(1562年)

ようやくテーマが決まりました。
テーマは「〈メメント・モリ〉(死を思え)とは何か?」です。
メメント・モリmemento moriとは、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句のことです。
西洋文化の言葉ですが、もちろん死はいずれ誰にでも訪れるものであることからすれば、その意味を私たちの社会で問い直すことも無意味ではないでしょう。
この問いにはもちろん、「死とは何か?」という大きな問いを踏まえなければなりません。
それだけでも大変なのに、今回はそれを含めて「死を思え」という警句の意味を問いたいと思います。

ただし、今回は【現場/当事者から考えるシリーズ】という新たな試みを導入したいと思います。
たとえば、哲カフェ参加者の中には学校現場、病院現場、子育て現場、介護現場…など、それぞれの現場をお持ちの方がいらっしゃいます。
それは当事者といってもよいかもしれません。
そうした現場や当事者としての生の事例を紹介していただきながら、その中から生まれる哲学的問いをめぐって議論するという形式です。
もちろん、ただ現場の話をしてもらうお悩み相談にとどめず、そこで生じる哲学的問いに対して、普遍性へ開かれた答えに練り直していこうという目論見です。
今回は、初の試みということもあり、世話人からテーマに即した事例を当事者として問題提起させていただきます。
内容については、ライブ感を出すため、当日お話しさせていただきます。


お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。

≪はじめて哲学カフェに参加される方へ≫

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てつがくカフェの進め方については⇒こちら

「天空の蜂」ディスカッション会 無事終了!

2015年09月01日 22時01分58秒 | メディア掲載

てつがくカフェ@ふくしまが協力させていただきました、映画「天空の蜂」ディスカッション会が、無事終了いたしました
県内外から福島出身の若者が集い、大いに語り合いました
迫力満点かつ原発問題を深く考えさせてくれる、とてもいい映画です
小説にまったく引けを取りません
さすが堤幸彦監督!脱帽です
この日の詳細は映画「天空の蜂」の公式HPのレポートをご覧ください。
いや~、それにしても江口洋介さん、超カッケー
惚れなおしました
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