てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま2021.11.13. 「運命は甘受すべきか?」

2021年10月23日 20時35分00秒 | 開催予定
11月は「運命」がテーマとなります。

てつがくカフェ@ふくしま2021.11.13.
【テーマ】「運命は甘受すべきか?」
【日 時】2021年11月13日(土)
     16:00~18:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】会場参加:不要 (直接会場にお越しください) 
        オンライン参加:要(問い合わせ先までメールをお送りください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp







今回も会場とオンラインの同時開催となります。

会場参加をご希望の方は、お申し込みは不要となりますので、直接会場にお越しください。

また【「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針(2020年7月10日現在)

の記事をお読みいただき、マスク着用等のルールを守ったうえでご来場いただければ幸いです。



オンライン(Zoom)参加をご希望の方は、

オンラインミーティングにアクセスするためのURL等をお送りいたしますので、

問い合わせ先まで参加申し込みのメールをお送りください。



さて、今回の「運命は甘受すべきか?」ですが、

こちらはコロナの前に参加者の方からリクエストを募った際に

提案されたテーマとなります。



「運命」という言葉については

何かしら自身の体験を踏まえて語れるかと思いますが、

その問いが「甘受すべきか?」という

あまり日常的に使われない言葉による問いになりますので、

まずは言葉の整理からさせていただきます。



「甘受する」を辞書で引くと

「あまり好ましくないことや条件などについて、そのまま甘んじて受け入れること」(実用日本語表現辞典)

と記載されています。



つまり「運命を甘受すべきか?」というテーマは前提として

「運命=あまり好ましくないこと」であるという認識からの問いであり、

テーマを分かりやすく言えば「どんな運命でも甘んじて受け入れるべきか?」ということになるかと思います。



また、この「運命」という言葉をどう考えるかによって、

色々と意見が分かれるかと思います。



例えば、運命について質問された時、

「運命はある」と信じている方と

「運命なんかない」と否定される方がいるかと思います。



ここに二つの異なる考え方が生じていますが、

「運命を信じている」という人の中でも色々な意見があり

「一切の出来事は、人間の意志にかかわりなく運命によって決定する」

という考え方(運命論=宿命論)をする方もおられます。



この運命論は、占いや宗教などにも見受けられ、

生まれた年や月で自分の運勢や運気を見たり、

星の動きなどで神や天の意志を知ろうとするという行いも

「未来はあらかじめ決まっている」「人間の力では運命を変えられない」

という運命論がベース(基底)にあると考えられます。



一方で、「運命なんかない」

「人間は自由意志のもとで未来を自由に選択している」という主張の方もおられます。



そして、運命を甘受し、それでも心挫けない人もいます。

視覚と聴覚の重複障がい者でありながらも

障がい者の教育・福祉の発展に尽くしたヘレン・ケラー(1880~1968)氏は

「世の中はつらいことでいっぱいですが、それに打ち勝つことも満ち溢れています」

という言葉を残しています。



また、2021年に「隻腕」の高校バスケ選手として注目されているのが、

ハンセル・エマニュエル(2004~)さんです。

6歳の時、事故で片腕を失った彼は

「あの事故は神様の僕に対する試練だと思うんだ。

 人より厳しい道を与えることで短期的には苦しくても、長期的には他人より一層努力ができ、
 
 物事に一生懸命になれる人間に成長することを神は期待しているのだと捉えたよ」

とキリスト教の信仰心の厚い彼は片腕というハンデを乗り越え活躍を続けています。

(YouTubeで彼のキャリアやプレーを紹介している動画もあります)



上記以外の話でも

当日は「運命」について皆様と一緒に考えたいと思います。



「てつがくカフェ@ふくしま」は

運命を信じている人もそうでない人も

誰でも気軽に対等に、

安心して何でも話し合える場です。

初めての方もお気軽にご参加ください。


てつがくカフェ@ふくしま報告2021.10.16「お酒を飲むことは必要か?」

2021年10月17日 12時17分39秒 | 定例てつがくカフェ記録
10/16(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。



今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

肌寒い季節となり、当日も雨が降るなど天候には恵まれませんでしたが、

会場には11名、オンラインでは1名の計12名の方にご参加いただきました。







定刻通り16時から始まりました。

ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。

【お酒を飲む意味】
・お酒を飲むこと自体は必ずしも必要というわけではないのでは?
→人間関係を円満にする中で「飲む」「飲みに行く」という選択肢は必要なのでは?お酒の場が好きだとか、趣味が一緒の人と飲むのが楽しいなど(お酒を飲むことで生まれる二次的な要素として)
→(必要かどうかは)時と場合によるのかなと。どんな時に必要なのかの話を聞きたい

・個人的に、テーマの答えとしては必要、不必要、どちらでもないの三択になるのかなと。また、(テーマに)誰がという主体が入ってこないと意味がないと思う。私自身お酒を飲むということは、いまの状況では必要としている。昔は仕事の終わりに飲み屋に直行していたが、今はほとんどないし、飲むとしても家で晩酌するぐらい。昔は、飲み方としていろんな仕事上の人間関係を構築したり、ストレス発散のアシスタントとして飲んでいたので、(飲酒は)毎日少しは必要かな?と思う。必要かどうかは、立場や状況によって変わってくるのでは?

・主体によって変わってくるという話かなと。人間そのものとしては、水さえあれば(お酒は)絶対必要ではないと思う。生命維持だけなら水で十分。ただ、気持ちをリフレッシュしたり、人間関係を深めるツールとして考えると社会的に必要なのではないかと思う。養命酒などお酒にもいろいろあって、適量なら良い面もある

・仕事上お客さんと仲良くなるため、また上司と仲良くなるためのツールとしてお酒を飲んでいるので、「誰にとって必要か」というのが大事なのかなと
→必須ではないが人生にとってあった方がいいと思う。先ほどの方もおっしゃられてましたが、お酒は誰かと心を通わせるツールとなっている

・話をスムーズにできたり、コミュニケーションを円滑にするという話の流れだが、それは、お酒でなければならないのか?お酒である必要性はあるのか?というところが疑問


【飲み会というシステム】
・これまで仕事においてお酒を飲むことが強要されることが多かった。そうした文化は果たして今後も必要なのかと。社会の中で「飲み会」という仕組みが出来上がっていたわけだが
→テレワークの時代において、オンラインで仕事ができる、会社に毎日出社することもないという世の中になったので、そうした仕組みや文化も変えることはできると思う。ただ、誘いやすい文句として、「飲みに行こう」は使いやすいツール(フレーズ)でもあった

・時間と空間を共有する特別な場として、飲み会は必要だったのではないかなと。お酒で深い話をするというか、(人間関係を)作り出すもの、演出としての飲み会という場だったのかなと

・コロナ化で歓迎会など中止となったが、正直なくなってうれしい、ほっとしたという気分になった。考えたらお酒がある場だからうれしいのではなく、人と一緒にいられるから楽しい、友達同士で話が弾むということだったので、お酒は絶対に必要ではないと思う

・オンラインで飲み会する機会があった際に思ったことが、普段一人で飲まない自分は、飲み会がないと人と会わなくなるなと。またそのオンラインの飲みが始まるとタガが外れて、気づいたらあっという間に予定の時間を過ぎていた。お酒を飲むと時間が過ぎるのが早い

・ジェンダー論の話になってしまうとあれなのですが、女性はコミュニケーション力が高い。一方男が集まっても早々話さない。お酒があって初めて語り合うというか。ただ飲む過ぎると何しゃべったか覚えていない。飲みながら語り合うとか盛り上がるというか、お酒がないとつまらないというか。お酒があると意外とまじめな話もできるようになるのかなと

・コミュニケーションツールになっているというのはその通りで、オンライン飲み会はあるがオンライン食事会はない。飲みニケーションが嫌という話は、お酒自体や飲み会自体に問題があるわけではなく、「強要されている」というところに問題がある
→お酒があるからいい悪いの話ではなく、今の若い人は必要以上に先輩や上司と関わりたくないというのが本音かなと。昔の文化を疑問視する若者が増えていて、自分の時間を大切にしている。飲み会は意味がないというか必要なんだろうかという空気があって、必要以上に仕事の人間と関わりたくないというか。関連付けて飲み会まで嫌いになっているのでは?

・考えると節目の時に飲んでいたなと。結婚式や葬式などの行事といった大人の世界に必要なこととして飲んでいた気がする
→お酒の意味というか、別れや祝いの席で飲むことは必要だったという話なのかな?

・楽しいのは飲める人たちだけで、飲めない人にとっては会費は一緒だし、酔った人を最後まで介抱したり、車で家まで送ってあげたりなど飲み会は飲まない人への負担が大きい


【お酒の必要性】
・お酒を飲むと体に影響が出る。メリットもデメリットも、いわゆる功罪がある。また飲むとその人間の本性が出る。昔は女の人は飲まなかったが今は飲む人が増えたように感じるようになった。お酒の効果効用として、現実から離れられるということもある

・酒は世界中で神様への捧げものとしてある(世界中に需要・多くの人が必要と思っている)

・酒はどうして飲みたくなるか自分でも理由が分からない

・自分は日頃は水とお茶の生活で、別にそれで自分自身は満足している。ただ飲んでる人を見ると楽しそうだなと思うので、人生にメリハリというか気持ちが元気になったりすると思うので、必要ではあるのかなと

・普段は自分も牛乳しか飲まない生活で、ビールは味が苦手というか、一人で飲むと美味しく感じない。ただ飲み会ではなぜか美味しく感じるのが不思議

・自分もお酒は苦手な方だが、お酒を飲める人がうらやましいと思うのは、ご当地のお酒を楽しめるところがいいなと

・酒飲みの習慣として、酒と離れられない。気持ちをほぐしたい、飲むとぐっすりと眠れる。日本で酒造業がなくなったら失業率が大変で、経済面の功がある

・酒は毎日飲むが、手が震えるなどもないので、自分はアル中だとは思っていなくて。お酒を飲むのは食事を楽しむためで、餃子にはビール、チーズにはワインみたいな食事とのマッチングを楽しむために飲んでいる

・普段お酒はおいしいと感じないが、友達と飲んだ時はおいしいと感じる。雰囲気やシュチエーションを楽しむというか、お酒によって高まる効果があるのでは?
→お酒が持つ力というかコミュニケーションが進むというのはあるのかと
→一方で、人間関係を壊すというか人間の機能を壊す側面もあるので、そこまでして飲む必要があるのかとも思う

・「酒は百薬の長」というのは本当ですか?
→全くのデタラメらしい(中国の「新」の時代の皇帝・王莽が考えた民から酒税をとるために広めた言葉で、何ら医学的な根拠がないただの宣伝文句)

・酒の席でのセクハラやパワハラが横行していた時代もあった。それらがお酒の失敗ということで許されていたらしいが、それはただの自分の失敗であって、お酒へ責任転嫁してるだけ。昔はお酒を飲めない、タバコを吸わない人にとっては飲み会は決して楽しい場所などではなかった

・「酒は飲めた方がいい」など飲めない人へ無理やり飲ませたり、日本は特にそういった同調圧力が強い。お酒が飲めないやつ= 付き合いが悪いという文化

・酒は心の重荷と取り除くという作用もあると思うが…

・お酒が仲良くなる手段で、飲めば解決ということもあったと思う

・マイナス面というか、使いこなせるかどうかがお酒というツールで、中にはお酒に飲まれる人もいる

・酒が嫌いな人については、社会的な飲み会という場・空間にいること、飲む人も飲まない人も一緒にその時間を共有することが求められていたと思う。調子に乗って暴言を吐くなどもあるが、楽しんで飲めればいいと思う

・お酒を良いものにするのも悪いものにするのも人次第で、飲めるから偉いみたいなことではなく、特性の違いとして認識しておくべきで、飲むように圧力をかけない、飲む人と飲まない人がお互い批判しないで、それぞれ楽しめる社会になればいいなと思う

・奥さんが全く飲めない人で、けど友達との飲み会は楽しかったというので、女性同士なら自分のペースで飲めることや強要されないということも大きいのかと

・酒の強要は個人の尊重によるところが大きく、いわば基本的人権を無視している。個人を大切にする環境であれば美味しく楽しくに通じるのではないかなと

・酒を飲めない人と下戸といい、飲める人を上戸というが、(上下を付けずに)なくなった方がいい言葉だと思う

・素面では話せないというのであれば、普段の付き合い方から考えるべきではないかなと。やりづらいとかそういった印象を与えているというか。また個人的には飲めなければ言えないことは(飲んでも)言うべきではないと思うが

・楽しい酒ばかりではないが、恥ずかしい思いを繰り返してもまた酒を飲みたくなってしまう
→飲みたくなる心境を知りたいのですが?
→(飲むと)心穏やかになる。ただの習慣とは思えない
→もし、偶然今日家にお酒がなくなったらどうしますか?どんな心境になるんですか?
→しまったな(という気持ち)

・依存的というか、溜まったものを発散したくなる。一日の疲れ、ストレスなど。ただの(食事との)組み合わせや(飲む習慣としての)積み重ねというわけではないと思う
→それって、パブロフの犬現象というか、条件反射みたいな気が。自分もイライラしたらお酒を飲むという習慣から、イライラしたら炭酸を飲む習慣に変えていけたので、条件を見直すということも大事かなと

・ノンアルコールの商品が増えているが、それで誤魔化すことはできないのかなと。雰囲気は飲んだ気分になれると謳っているので、そんなに変わらないのかなと。同じ高揚があるのでは?
→お酒は酔い心地というか、酔い心地がないノンアルは全然違う。気分になるのはプラセーボ効果だと(偽薬を処方しても、薬だと信じ込む事によって何らかの改善がみられること)
→ノンアルは、はっきり言ってまずい。味が再現されてない。味が大事ということを考えると、自分的にはアルコールのパーセントははどうでもいいのかな?と感じる。あと偽物なら正直食べなくてもいいかな?とも思った

・アルコールが入ってないものはたくさん飲めないので、たくさん飲むにもアルコールは必要かと

・美味しい食事と美味しいお酒をセットで楽しみたいという考えで、ノンアルでも味が再現されてれば昼から飲みたいかなと
→味よりも高揚感を上げたい。個人的には強い酒をガンガン飲みたい、飲み会でみんなの輪の中に入りたいという思いがある

・お酒に代わるものはないのかなと疑問に思う


【コロナの時代における飲酒】
・コロナで夜の酒の提供禁止になって、人との接触を避けるようになった。また食事中にマスクを外すので、感染症対策としては昼から飲むべきではないという意見で、また仕事中飲んでいいのか?とも思う

・コロナでお酒が悪者になっている時代ですが、それはひどい話だなと。飲み方が悪い人がいると酒まで悪者にになるように、マナーやルールを守って飲酒すればいいのかなと

・コロナで学校の先生が飲酒運転して事故を起こしたというニュースもあったが、今の時代の話なのかと驚いた
→コロナ禍において「飲酒」という行為自体が、昔よりも風当たりが強くなった(特に公務員)

・酒が人間の機能をおかしくしてしまっている。ただ飲んでる人にルール守れは酷かなと。飲んだ状態では中々守れないのはあるなと。じゃあ守れない前提でどうするのかと

・道具でも使う上での注意事項というか、使うときは気を付けるというか、お酒を飲んだらどうなるのかも考える必要があるかなと

・飲み会のルールを作る必要があって、飲みすぎる人は飲酒運転しないようにといった集団で守る風土を作るべきで、飲み過ぎて学生が死ぬという事件はあるので、飲めばモラルやルールが守れなくなるというのではいけない

・日本はタガを外せない文化なんじゃないかなと(本音を言えない建前の社会)

・大人になってからでは遅いというか、若いうちから飲酒について学ぶ機会だったり、てつがくカフェのようにみんなで議論できる場が必要かなと
→てつがくカフェはお酒がなくても話せる。ほかの場だとお酒がないと話せない。真面目な話というのは普通はできない



上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓







次回のてつがくカフェは、

11月13日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「運命は甘受すべきか?」です。



なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。



また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。



そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。