てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま〈3.11〉特別編6のご案内

2016年02月29日 04時43分14秒 | 開催予定




てつがくカフェ@ふくしま 特別編6
東日本大震災・福島第一原発事故から5年が経とうとしています。
あの日、私たちの<たましい>と生きることの根源が揺さぶられました。
あの日に福島にいた者、いなかった者。
その後、福島にとどまった者、去った者、訪れた者、帰ってきた者。
誰もが傷つき、誰もが試され、何らかの選択を迫られました。
あの巨大な経験が時とともに風化の危機にさらされています。
あの日から5年、今一度あの経験を胸に刻む時間を共有したいと思います。


【テーマ】<揺れるたましい>と生きることの根源
   ―震災・原発事故から5年あの日を振り返る―

【日 時】3月6日(日)
     15:00~18:00
      
【場 所】ホテル辰巳屋 8階 瑠璃の間


参加費無料・飲み物代無料
事前申し込み不要(直接会場へお越し下さい)
問い合わせ先:fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


【第1部】 ゲストスピーカーとともにあの日を振り返る
15:00~16:00

ゲストスピーカー 中間玲子(元福島大学、現兵庫教育大学准教授)
元福島大学・心理学准教授で〈3.11〉当時は兵庫教育大学に転出されていた中間玲子氏をお迎えし、論文「「揺れるたましい」と「死の欲動」 ―被災しなかった私の震災体験」を手がかりに、特別編世話人の6名とともにあの苦しかった日々を振り返ってみたいと思います。

中間さんの論文はこちらから閲覧できます。
「揺れるたましい」と「死の欲動」 ―被災しなかった私の震災体験
 (山中康裕監修『揺れるたましいの深層 こころとからだの臨床学』創元社、2012年)



【第2部】 哲学カフェ「<揺れるたましい>と生きることの根源」
16:10~18:00

震災・原発事故から5年が経ち、すべてが忘却の彼方へと葬られようとしている今、会場の皆さまとともに<たましい>と生きることの根源を揺さぶられたあの日々を振り返り、もう一度心に刻む時間を持ちたいと思います。

【テーマ設定の趣旨】

2年前のことです。
ワタシは県立図書館の震災コーナーで、偶然、手にした中間玲子さんの論文「「揺れるたましい」と「死の欲動」―被災しなかった私の震災体験」に衝撃を受けました。
中間さんとの面識はなかったものの、ワタシはいろいろな偶然から震災・原発事故のさなかに、彼女から放射線に関するさまざまな情報をメールで教えていただいていました。
その当時、とても冷静かつ的確な中間さんの対応に「さすが研究者だなぁ」と感嘆していたものですが、その彼女がまさか被災地外で自分を責め苦しんでいたという事実を、その論文を通して知り、とても驚いたのでした。

中間さんは、かつて福島大学に勤務されていたのですが、その地が原発事故で苦しんでいるとき、そこに自分がいないという「負い目」に苛まれたというのです。
原発事故の被災地から避難した人々の「負い目」について耳にすることはあったものの、まさか被災地の外部でそのような「負い目」に苦しむことがあるとは、想像もしませんでした。

たしかに、その当時、被災地の内部と外部とのあいだでは様々な混乱と対立が生じていました。
あのとき、ワタシ自身も色々な人と対立しましたし、引き裂かれた人間関係もありました。
原発事故が進行する中、やりきれない怒りの矛先を色々な立場の人に向けたものです。
あれから5年を経てもなお、いまだにその相手を赦せない自分がいます。
けれど、その一方で、5年近くも経つのに、その相手を赦せない自分とはいったい何なのかと、虚しくなるときもあります。

あれだけの出来事の後に、のうのうと教員として働き続けている自分自身をもてあますこともあります。
あのときに、未曾有の状況の中をともに格闘した当時の同僚たちとは、あれきりあの出来事について何も語ることもなくなりました。
いまだ整理できないそれらの思いが、中間さんの論文とどこか重なり合ったのです。
読んだ当初は、世話人の小野原にもその論文の内容を伝えることができませんでした。
おそらく、直感的にあの論文を咀嚼するには、それなりの時間を要すると思ったのでしょう。

そして、あれから、ある程度の時間が経ちました。
そろそろ、あの当時の自分に向き合えることができるかもしれないし、向き合わなければいけないと思えるようになりました。
あの時の自分の判断や為したこと、考えたこと、あのとき共に闘ったり、分断した他者との関係のこと。
あのときの自分にいま何が言えるのか。

震災・原発5年目を迎える今回の〈3.11〉特別篇では、
第1部で中間玲子さんの論文をもとに、ご本人をお招きしてのトークセッションを行います。
第2部では、第1部での議論をもとに、参加者それぞれが5年前に「揺れた魂」を見つめ直す哲学カフェの時間としたいと思います。

どなたでも参加は自由です。
震災・原発事故に向かって思いのたけを語りあいましょう!




〈3.11〉特別編6・懇親会について【申込受付終了しました!】

2016年02月23日 20時56分50秒 | 開催予定
過日お知らせいたしましたてつがくカフェ@ふくしま〈3.11〉特別編6終了後に開かれる「2次会」(懇親会)の申込受付ですが、定員に達したため受付を締め切らせていただきます。

なお、当日の哲カフェ特別篇6には多くの皆様にご参加いただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。


てつがくカフェ@ふくしま 世話人一同


第35回てつがくカフェ@ふくしま報告―「〈名づけ〉とは何か?」―

2016年02月14日 10時27分09秒 | 定例てつがくカフェ記録
世話人・杉っちの長男誕生を祝して開催された第35回哲学カフェは、「〈名づけ〉とは何か?」をテーマに15人の参加者による対話が交わされました。

まずは、そのご本人から息子の名づけにまつわるエピソードの紹介から始められます。
杉っちによれば、当初、名前には大して意味はないのだから、男の子だったら「太郎」、女の子だったら「花子」にするつもりだったと言います。
名前を重要視しない理由について彼は、名前で人生が決まるものでもないし、むしろ名前はその人の成長や生活の過程で意味づけられていくものであるからだと言います。
ただし、あまりにも変な名前を付けては、その子がかわいそうなところもあるので、適当にはつけられないという思いに至り、最終的には「陽樹」と名づけたとのことでした。
呼び名は「はるき」です。
これに関して、別の参加者から名前は亡くなった後にも継続して使われたり、「名を残す」という意味ではその人の生き様や生前に築き上げたものを事後的に表すものとして、やはり初めの意味付けはそれほど重要ではないとの意見が挙げられました。

これに対して、最近の流行の名前というのは実際にあって、有名人にあやかるケースにせよ、「親の期待」が賭けられていることがあるのではないかとの意見も挙げられます。
名前に意味はないとうそぶいていた杉っちでさも、「陽樹」には明るく、樹木のようにどっしりした人に成長してもらいたいという願いが込められていると言います。
その意味で「名づけとは、親がその思いを子どもに託す行為である」との定義が挙げられました。
「リポビタンD」等の商品名や「ミッキーマウス」といったキャラ名、会社名にも名づけの際には願いが託されているものです。

その一方、名前は他の子どもがいるから張り合いの中でつけられるという意見も挙げられます。
いわゆるキラキラネームは、他の子どもとの違いを際立たせる「オリジナリティ」をその子に与える「愛情の現れ」だというのです。
キラキラネームの奇抜さが話題に挙げられることも珍しくありませんが、かつて昔はもっとひどい名前(「トメ」や「シメ」には、「これで最後の子どもであってほしい」という願いが込められていたとも言います。)があったことから比べれば、意外とましなのかもしれないとも言います。
この名前の「オリジナリティ」を「アイデンティティ」と結びつける意見もありましたが、しかし、そもそも名づけは単に他の子どもと区別するための記号であることが原点にあることも指摘されました。
こうした個性と名づけを関連付けるのは近代特有の行為ではないかということに関しては、『徒然草』の時代から名前に個性を付与する習慣があったことが示されており、必ずしも近代特有ではないだろうという意見も挙げられました。

この何某かのオリジナリティといった「意味」と区別のための「記号」が重なるのかのような論点に至ります。
たとえば、世の中には漢字も名前もまったく同じ人が存在することがあります。
その関係性においては、区別をどうつけるのか、その人の固有性をそう識別できるのか。
それに関して、「ワタナベ」さん同士は、お互いが同じ名前だからこそ、自分の固有性をアピールし合うようになるものだという意見が挙げられます。
たとえば、「邊」なのか「邉」なのかから、住んでいる場所や屋号などのように相手と同じ呼び名だからこそ、お互いの違いを示し合うのだそうです。

このように「名づけ」が他者と区別するために用いられようと、個性を示すものとして用いられようと、その社会の常識や慣習を完全に無視するわけにはいかないようです。
そもそも、名前に対して意味はないという杉っちですらも、既に「男の子だったら「太郎」、女の子だったら「花子」」と決めていた段階で、従来のジェンダー意識に規定されています。
ジェンダー問題に敏感であるはずの杉っちですら、「名づけ」にこのような意識を働かせるのはどうなのか。
たとえば、なぜ男の子であった場合に「花子」ではだめなのか。
これに対しては、やはりその子が名前でいじめられては困るという親としての配慮が働いたと言います。
昨今の子供のいじめの8割は「名前」に関係するという話題も挙げられました。
いかに個性や親の願いを込めて「名づけ」ようとも、まったく社会で流通する記号性を無視するわけにはいきませんし、それは親のコモンセンス(常識感覚)が問われるというものでしょう。
名前でいじめられるような社会なんてあっていいはずもありません。
その意味で言うと、名前の中性化というのも視野に入れていく必要があるのかもしれません。
外国語には男性名詞・女性名詞・中性名詞という、ややこしい区分がありますが、これにもやはりジェンダー的なイメージが付与されていると言いますが、そのような名前の中性化という研究は世の中にあるのでしょうか。
たとえば、「純」という名前は割と女性でも男性でも汎用性があります。
その点、杉っちはおじいさんの名前をとって「かおる」という名前も考えたそうです。
でも、これは微妙なところなのかもしれません。
しかし、名前のジェンダーフリーを目指す教育は検討されてしかるべきでしょう。
「小野妹子」も存在したことですし。

すると、これまでの議論が「名づける側」の視点で議論されていたわけですが、「名づけられる側」からの視点に移して議論が展開しました。
これに関しては、実の息子から名づけに関して反発されたことがあるという経験談を挙げて下さった参加者がいました。
そこにもやはり、子ども同士のからかいや嫌がらせの背景があったようです。
また、名前がその子の性格に与える影響についても話題に挙げられました。
もちろん、その名前に合った性格に成長する子もいるでしょう。
でも、その一方でその名前のイメージとは異なる正確に育ってしまった場合はどうなんでしょう。
その名前は重荷でしかないのは想像に難くありません。
その点、その人自身を表す「名づけ」としては「あだ名」の方が適しているかもしれません。
もちろん、「あだ名」なんて、たいてい適当につけられるものですが、親近感やその人をなじみ深い存在として名指す際には、「あだ名」の方を用いるものではないでしょうか。
あだ名とは、自分の正しい名に、その周囲の人たちとの関係性がプラスされた名前であるという意見も挙げられました。
さらに、「襲名」についてもその家の歴史などのエネルギーがプラスされるものだとも言います。

また、「名づけ」に関しては漢字の意味に由来を求める意見がある一方で、音からその人の本質を言い当てようとする作用があるという意見も挙げられました。
「ア」、「イ」、「ウ」といったそれぞれの音には、その人ふさわしいエネルギーが現れているとのことです。
これに関しては、別の参加者から音にはそれぞれのイメージを与える力があるとの意見も挙げられます。
別の参加者もまた、「ガンダム」を例に上げ、このことを立証しようとします。
それによれば、「ガ」や「ダ」などの濁音が入る音には「力強さ」があり、「ム」には「ママ」というイメージに近い包容性があり、それが小学生に魅力的な名前として浸透したと言います。
実際、その制作者もあるインタビューで、「ガンダム」のネーミングに関して、「銃(ガン)と自由(フリーダム)」を組み合わせた意味が込められていると、深読みした評論を差し出されたときに、そんなのは事実無根だとして猛反発したことがあるというエピソードも紹介されました。
「名づけ」がその対象に潜んでいる本質的な何かを言い当てるものだとしたら、しかもそれが「音」と連関しているかもしれないという仮説は面白い視点だと思います。
これは、「名づけ」に対して意味はなく、その名前に意味を与えていくのは、むしろその本人の生きざまだという仮説からすれば、真逆の仮説とも言えるでしょう。
というのも、制作された「ガンダム」には、「ガンダム」としか言いようのないその存在を言い当てた「名づけ」であって、それが「ダグラム」や「コンバトラーV」であってはいけないわけです。
モノに対する固有名というのは、このようにそれ以外の何ものではない「名づけ」という意味で、単なる分類のために機能的に用いる「名づけ」とは別種の見方を提示しているように思われます。
ただし、「ガンダム」がモノであるのに対し、人間の名づけがこうしたモノに対する仕方と同じにできないのは、人間は成長する過程で変化していく存在に他ならないからです。
だから、途中で自分の名前が気に入らないから改名するケースも出てくるでしょう。
これを人間の「被投機性」という観点から、自分の名前は自分で名づけられない以上、それを背負いつつ、そこから自分の存在を自分で新たに切り開いていくのが人間であるという意見が挙げられました。
人間は両義的で与えられた名前を生きなければならないけれど、同時にそれを請け負いつつ、自分は自分だとして、自分で自分の名前を自分のものにならしめていくということです。
その点、襲名というのは先祖代々の名前を、その家の歴史を背負わされつつ、それに拘束されるだけでない自分自身の性を生き抜くことはいくらでも可能であるということです。

ただし、これに関しては「姓-名」の両方をアイデンティティにしているのか否かという質問が挙げられたことと関連しますが、男性と女性の性に対するアイデンティティのとり方は、それぞれの生き方において大きく異なるものになりそうです。
ある参加者は、社会に出て働く際に、突然夫の姓を名乗ることに抵抗感を覚え、旧姓を用いることにしたと言います。
そして、その時に自分自身を名づけたことで本当の自分に戻った感覚を覚えたと言います。
これに関して、ペンネームのように、その場面場面に応じて自分の人格や役割を振り分けることもできるだろうとの意見も挙げられました。

終盤、固有名詞と一般名詞との名づけの違いが議論されました。
名前は他者との識別機能だとする意見に対して、同姓同名がいると不安を覚えるという意見が挙げられました。
この不安が何に基づくものなのかといえば、それは自分自身の固有性が奪われるように感じるからでしょう。
しかし、名前とはそのようなものなのか。
さらに言えば、一般名詞と区別された固有名詞としての名前の意味とは何か。
これに関して、仕事上、契約や取引をする際には識別機能としての名前の方が助かるが、プライヴェートな人間関係においては固有名が精出してくるという意見が挙げられます。
「ワタナベジュン」という記号は、仕事上は識別機能として役に立ちますが、しかし、親密な関係においては、この「ワタナベジュン」というその唯一性を名指すものとして働くというわけです。
後者において名前は、刑務所や住民ナンバーにおける単なる数字とは異なる「顔をもつ」存在として、その人を指し示すということでしょう。

最後に「名づけとは何か?」という最初の問いに戻りいくつかの意見を挙げてもらいました。
「名前には意味がある」という面と「名前は記号である」という両面を持つという定義、「名づけは一般名詞を端緒として固有名詞に変えるものである」という定義、「名づけとは個性を際立たせる作用」という定義、「名づけとは外側からの一方的なラベリングであるが、それは変えることも可能である」という定義。

さて、陽樹くんの前途を祝して、彼が背負わされた名前とともにどのような人生を歩むのか、哲カフェの参加者一同心から見守りたいと思います。

第34回てつがくカフェ@ふくしま報告―「ルーツとアイデンティティを問う」―

2016年02月14日 08時43分10秒 | 定例てつがくカフェ記録
遅ればせながら、1月9日(土)にイヴのもりにて開催されました、第34回哲学カフェの報告をアップさせていただきます。
この回は、佐々木光洋さんをお招きして、「ルーツとアイデンティティを問う」をテーマに、21名の方々にお集まりいただきました。
まずは、佐々木さんから、お持ちよりいただきました家系図などの史料をもとに、ご自分のルーツに関するお話をお聞かせいただくところから始めさせていただきました。

●佐々木です。牛乳を生産しています。あづま運動公園のすぐ隣で牧場を営んでいます。
代々そこで農業を営んできたのですが、昔は生糸や出納を生産していました。
父の代から酪農を始めました。
父は昭和16生まれですから昭和30年代から牛を飼い始めたということになります。
昭和62年から自分のところの工場で殺菌して瓶に入れて市内のお宅に直接宅配するという販売方法を続けています。
県内では生産化が販売まで手掛けるのはうちだけです。
全国的に見ても100件程度ではないでしょうか。
今年私は46歳ですが、家に入ったのが22歳の時ですから四半世紀牛を飼うという仕事を続けてきました。
今回てつがくカフェで話すことになったのは、昨年の9月から民放サロンを書き始めたことがきっかけで、私は合計6回書きました。
自分が書きたいことを何以下と書きだしたときに、そのうち3回は時間の軸のことを書いているなと自分で気が付きました。
きっと自分の中でもきっとそこが重要なテーマなんだなと思いました。
僕は小学校の時に自由研究をやるときに家系図を書いてみたんですね。
その問いから家族や先祖に興味があるんだなと思ました。
今日の史料の中に先祖代々の家系図があります。
私は19代になります。私が小学校の時に描いたのは真ん中から左側を書きました。
多重さんという方が真ん中にいますが、ここからが明治だそうです。
そこから信託から出たそうです。小学校の時はここまでが渡っていたんですね。
そこから次、徳治という檀家にすべて書かれている家系図があって、そのときの和尚さんが清書してくださったそうです。
これだけでも歴史の重みを感じるんですね。
それと同時に、故郷の「忘れ形見」という本のなかに風土記的なものになっていて、佐原の郷土史が残っているんですね。
この本の中に、兵法の達人佐々木丹波というのがあります。
実はこの家系図の一番上の右側にいるのが、その人です。
農民武士だったんですね。
その本の中にかかれていることが自分と地続きになったというのがものすごく大きかったなということです。
真ん中の部分には入佐原の国蔵というのがありますが、それに関する物語もこの本の中に出ています。
昔にかかれたものが自分とつながったときに、その重さを感じるようになったのです。
一方で、46歳になって、自分だけの体験だけを考えると、そのことで親同じ仕事をしているわけですから、仕事としてそれを引き継ごうと子供の時から思ってきたんだけれど、その一方で「じぶんらしさ」とは何かを考えるようになりました。
親に対するリスペクトと同時に、自分はそれをただ引き継ぐだけでいいのか、と思うようになっていました。
もっと上の世代のことを見てみると、地域の何らかの役割を担って居る人たちばっかりだったんですね。
根っこの部分で地域の役割を担っていくというのが連綿と続いているとしたっと気に、自分なりのやり方をやっていいんだなと思えた時に、とても楽になった。親との関係だけでは見えなかったことを、その上の世代のことを知ることが大きかったです。
自分のスタイルでやり始めたら、不思議と色々なところからお声かけいただくようになりました。
2011年3月の時は、ここで酪農をしていていいのかと思っていましたが、やっぱりあそこで踏みとどまったというのは、もしかしたらこういう脈々として流れがあったからかなと思っています。
しがらみといえばそうなんですが、地域の歴史や先祖に続いていきたいという思いがあるのです。

●佐々木さんに質問ですが、佐々木さんのお父さんの血縁的なルーツとは別の地域のルーツは自分の中で何割くらいですか?

●補足すると、一基をお起こして江戸に江戸幕府の目安箱に直訴する佐藤太郎衛門という人がいましたが、彼は一揆をおこした理由で打ち首獄門になった人がいます。義民はありこ地にたくさんいますが、私は小学校5年生の時に激似して参加したのですが、その時はそういう人がいたdなんというくらいに思いましたが、うちの方から出た人はこんなに頑張ったんだぞという思いは強いのだと思います。声明を取られてもやるんだという信念を持った人を誇らしくは思うんだけれど、何割かはわからないですね。でも地の関係の方が強いと思います。

●皆さん一般に質問ですが、私は血縁も血縁もない福島で20年近く働いているんですが、関東で働いてもそうだと思うんだけれど、福島あたりだと地縁血縁というつながりを皆さん感じながら働いているんですか?

●私のひいじいちゃんは秋田出身で、ひいばあちゃんは二本松出身ですが、私のお父さんは地域の歴史をすごく調べたりしています。けっこうそういう人はいると思います。

●僕の場合は渡辺家という家を意識させられた。何でといってそれは祖先のファンタジーかもしれないけれど、渡辺綱なんだということが飛び交っている地域で育って、ルーツという格好で、自分自身の再確認に興味を持ったのはだいぶ後になってですね。自分に自信がない、というか、俺って何なんだろうともやもやしている時ではなかったかなと思います。
そんな時、「ルーツ」というドラマをみて、その中で自分自身についての自尊心を見つけようとしていたのだと思う。家の系図というもの
地域についてはなかなかないね。お祭りや伝統芸能を通じての接点のカナから時々考えることはあるけれど。こんなところにいたくないというのが最初の感じです。そういうというところから一段後になってもう一回、地域が代々続いていて生きているという、そういうアイデンティティと関係している気がします。

●大体において地域のルーツで戦国時代までさかのぼれる人はいない。ほとんどの人は明治くらいまで坂述べれるくらいで、血縁の方は探せないと思うんです。300年、400年その地域で続いたというのも珍しい。皆さんは知りたいんですかね。

●しがらみという意味では県外の大学に行って地元に戻ってくると、色々な役割があって大変だなと思います。地元には戻ってきたのですが、ちょっと距離があるところで働いているんですが、人口減少社会で誰かが地域を守らないと地域そのものがなくなっちゃうなと思っています。

●地域のお寺の存在によって全く変わりますね。うちのお寺も350回忌ですよという通知が来ます。

●自分は何ものかという問いがあるのだと思います。お話の中に「自分らしさ」という言葉がありましたが、お父様と自分との違いはなんだと思いますか?

●え~、どうですかね。比べると何事においても自分よりすごい人だなと思います。俺の方が若いんだけれど、チャレンジ精神は父親の方が旺盛なのではないかと思うんです。比べてどうかといわれると…。たぶん手の広げ方は俺の方が意識が強いのかもしれないですが、僕は推進力というよりは周囲とのつながりを生かすタイプだと思います。

●アイデンティティって相対化したもので、自分と他者との比較で形成されるものだと思う。サウジアラビア人はファミリーネームの間に2つ3つ祖父、父の名前が入ってくるけれど、その中で自分が位置付けられる。

●お父さんを尊敬をもっている人がいる一方、反対の人もいる。血がつながっているだけで、別の属性がついちゃうと思うんですね。血の属性を消すことはできないと、自分から離れれば離れるほど、直近の血縁はきついですよね。

●その辺の感じ方って、いつまでもそうではない気がする。アイデンティティとは何かを受け入れる瞬間であるような気がしていて、生き切ったことだけで偉いと思えるんですよ。そういう見方を受け入れるとき、自己肯定という感情を探っていたことが見えてくる。

●私も自分の父親はワンマンのように思えましたが、50歳になりましたら「こういうことだったんだ」と受け入れられるようになりました。父はクリーニング屋をしていたのですが、ドライクリーニングが流行りだしたときに、父はどうしてやらないんだろうとすごく嫌だったのですが、年齢的なこともあって、わかるようになってきました。父は酒も女も好きで、幼い自分には受け入れがたかったのですが、それは自分の人生を潤わせていたことがわかってきた。

●家とか親戚とかそれまで何の興味もなかったけれど、新緑を見た時に、私のアイデンティティは信夫山だと思った。季節の変わり目の基準。

●ルーツは特定しやすいんだけれど、アイデンティティってよくわからない。僕も毎朝、吾妻山に手を振っているんだけれど、一つの地域との結びつきにおけるアイデンティティは私も山にも感じる。

●いくつかのキーワードが出てきたと思います。関東には山がないんですよ。日常に山があるっていうのは、自然もなかったから地域との結びつきができなかったのかなと思った。もう一つは家系図って嘘じゃないですか。それが家を一本で表すから、たとえば女性にとってのルーツはわからないし、分家のアイデンティティなんか作りにくいし、どうでもよいのかなと思った。

●そうなんです。私も父方の方が旅館業を営んでいて、母方は米屋さんを営んでいたんですけれど、父の代で旅館を廃業して、祖父母が生きていた時は、私もそういう人生を送るんだろうと思っていただんかえれど、私は私の仕事をしているんだけれど、私ってなんだろう、っていうところがあって、女性のルーツはこれから先のことを考えることはあるけれど、過去にさかのぼって確認することがしにくい。姓も変わるし。

●江戸時代にはかなりこういう家の歴史を調べる人が多いのは、代替養子に入った人が多い。その家は一体何か、ものすごく強くアピールしたがる。大まかにいうと自分を縛っているもの、地域の縛り方も、縛っているからこそ、それを探そうとする。アイデンティティは受け入れるものとありましたが、その縛っているものを受け入れることなのかなと思い出しました。

●それと同時に解き放たれて、自分が自信を持てち着ていく力になるようなもののような委がする。両方ある。ものすごく保守的なものの取り込み、当時に自由でいるために歴史を勉強するということもあるのではないでしょうか。

●山崎という姓ですが、その前は岡崎で、苗字ではないところに自分のアイデンティティがあるんだなということがありました。40代で自分とは何かと思ったときに、制度的なものではなく自分の中に問いながらアイデンティティを作ってきた。

●男性は縦の歴史を見るのに対して女性は横のつながりを見るような気がしました。家をつながり女性は自分の縛るアイデンティティを流動的に選択してきたような気がします。女性にとって家や苗字なんてどうでもいい。

●アイデンティティにルーツは必要だということではないということおw女性の方の話を聴いてみて。

●日本語を使う私と使わない私という、二重性を考えたことがあります。

●避難したことで、自分が何者かを問うことが増えました。

●歴史を知ることが今を生きることにつながっているから歴史に興味はありますね。女性は出てこないとはしても、そんな観点から興味があるかな。
少し話が前に戻りますが、女の人は家を動くものですよね。私は福島に地縁もないし血縁もないし、なんで福島にいる必要があるのかというときに、私のルーツというか、依って立つべきところは何かを問うときに、孤独でhないけれど一人でいるときに私はどこにつながるかを知りたくなるかなと思います。

●土着というか土地を継いでいく問題がありました。地域のかかわりは土地を持っていることと関係するのだと思う。



歴史に遡るルーツというのも、男女でその捉え方が異なることが浮き彫りにされた対話になりました。
それは今回のルーツの射程が自分の親や祖父母の代までの議論になり、姓名との関係でアイデンティティの方にシフトが置かれた議論だったように思われます。
佐々木さんのように戦国時代や江戸時代まで射程に入れたルーツの捉え方を、どのように位置付けられるか。
まだまだこのテーマは語りつくされていないように思われました。
佐々木さんにはお忙しい中、資料もご提供いただきながらご参加いただけましたことを、あらためて深く感謝申し上げます。