てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

本deてつがくカフェ番外編報告―カミュ『ペスト』―

2014年03月22日 12時48分07秒 | 本deてつがくカフェ記録
てつがくカフェ@ふくしま特別編4の翌日は、立て続けに本deてつがくカフェ番外編が開催されました。
課題図書は、アルベール・カミュの『ペスト』。
この企画は、この春に福島を離れる方と「読書会をしよう!」という話が盛り上がったついでに、本deてつがくカフェで扱うことになったものです。
その意味で「番外編」とさせていただいたのですが、参加者は予想以上に集まり10名の方々にお出でいただきました。

しかも、今回は、まさに「読書会の不可能性」を探求する場となりました。
というのも、まず、読書会であるにもかかわらず、課題図書を読み切ってきた参加者がほとんどいません。
1ページすら読んでいない方もいます。
つまり、ほとんどの人が結末を知らないまま読書会が進行したわけです。
さらに、読み切った人がほとんどいないということは、会の性質上、ネタバレのオンパレードになります。
これについては小野原がブログで書いています(ネタバレ本deカフェ)。

果たして、これが読書会と言えるのか?
しかし、そこはてつがくカフェ@ふくしまです。
ネタバレもお構いなしに対話がくり広げられました。
ここから読まれる方はネタバレ覚悟でお読みください。
ちなみに、今回の報告は特に発言メモを取らなかったので、皆さんの意見や議論を聞きながら渡部が再解釈してまとめた内容になっています。

さて、カミュの『ペスト』のあらすじ等についてはウィキペディアを参照して下さい。
それを読んだとしても、本書自体のおもしろさは、やはり実際にお読みいただくしかありませんが、それを前提にカフェで触れられた内容について書き連ねていきましょう。(以下、青字は新潮文庫版・宮崎嶺雄訳『ペスト』からの引用

しばしば『ペスト』は、〈3.11〉の「フクシマ」の状況と重ねて語られます。
私自身もとりわけ前半部分なんかは、原発事故直後に福島市内が放射能汚染されつつあった状況をリアルに思い出させられました。
たとえば、

「肝心なことは」と、カステル[医師]はいった。「こう言う議論の仕方がいいとかなんとかいうことじゃない。それを聞いて、みんながよく考えてみるということです」(p72)とか、

 
「我々はあたかも市民の半数が死滅させられる危険がないかのごとく振る舞うべきではない、と。なぜなら、その場合には実際そうなってしまうでしょうから」(p76)とか、

「自分[知事]にはそうする権力がないっていう返事なんです。僕の意見では、こいつ[ペスト]、勢いを増してきますよ」(p92)とか、

知事:「総督の命令を仰ぐことにしましょう。」
リウー(医師)「命令なんて!それこそよっぽど頭を働かせなきゃならない時なんだが」(p94)
とか、

「この病疫の無遠慮な侵入は、その最初の効果として、この町の市民に、あたかも個人的な感情などもたぬようにふるまうことを余儀なくさせた、といっていい。」(p97)とか、

これらの言葉は、実際に被災現場にいた私たちが口にしたり耳にしたりしたものです。

「仮に我々の中の一人が、ふとしたはずみで、自分の感情上の何かのことを打ち明け、あるいは話そうと試みたとしても、相手のそれに対する返事は、どんな返事であろうと、たいていの場合、彼の心を傷つけるのであった。彼はそこで、その話し相手と自分とは、同じことを話していなかったことに気がつくのである」(p109)なんて、放射能に対する温度差に悩んだ経験を思い出さずにはいられません。

これらの言葉の数々は、あの放射能汚染が広まる中、なかなか自分で考え判断できない、自分で責任をとってよいのか迷う現場の状況下における行政側の対応と葛藤に響きあうのではないでしょうか。
参加者の中には行政職に携わる方もいらっしゃいましたが、彼に思わず問い質してしまう場面も生まれ、申し訳ないことをしてしまいました。

話題はいろいろなページにわたって繰り広げられますが、やはり登場人物の生きざまに注目が集まります。
まずは、ペストが発生したオランの外部から来訪した記者であるランベール。
彼は、閉鎖された町の外に愛人(妻)を残しており、彼女に会うために必死に脱出を画策します。
が、ことごとく失敗するさまは、まるでカフカの『審判』の世界です。
そんな理不尽さにうんざりしたランベールが言った一言がこれです。

「僕はもう観念のために死ぬ連中にはうんざりしているんです。僕はヒロイズムは信用しません。僕はそれが容易であることを知っていますし、それが人殺しを行うものであったことを知ったのです。僕が心惹かれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです」(p244)

状況としては、オランがペストの蔓延を防ぐために市門を閉鎖して住民を外部から隔離したのに対し、福島の場合は放射能汚染のために居住区域から追放された点で、正反対の状況とも言えます。
しかし、「世界からの追放」という意味では、同じであるとも言えるのではないでしょうか。
その場合、「世界」とは自分に慣れ親しんだもの、愛したものたちに囲まれた環境そのものを指します。
すると、「自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということ」とは、単に実存主義の態のいい定義とだけ解釈すべきではないでしょう。
「愛するもの」とは、その土地かもしれないし、ペットかもしれないし、自分に慣れ親しんだもの全般を指します。
あるいは、未だ発見されぬ津波の犠牲となった愛すべき存在者かもしれません。
この「愛するもの」と隔絶された内/外部の壁にもがき苦しむランベールの苦悩は、世界からの追放と読む限りにおいて福島と縁遠い話ではないわけです。

これに対して、医師であり主人公であるリウーの答えは、こうです。

「今度のことは、ヒロイズムなどと言う問題はないんです。これは誠実さの問題なんです。こんな考え方は笑われるかもしれませんが、しかしペストと闘いう唯一の方法は、誠実さと言うことです」(p245)

「誠実さ」とは何か?
彼によれば、「僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだと心得ています」とのことです。
彼の医師としての職務とは、自分の死を省みずに目の前の患者を救うことに只管邁進することでしょう。
まるで野口英世のようです。
この「誠実さ」という言葉に、参加者それぞれが自分の立場でものを考えさせられます。
ジャーナリストとして、果たして誠実な報道をしているか…
あのとき、予定通り入学式を挙行し、子どもたちを被ばくの危険にさらしたのは教師としての「誠実さ」だったのだろうか…
しかし、そうはいっても先述したオランの知事や行政官だって、自分の職務を全うしていたとも言えるんじゃないだろうか?
いったい「職務」の遂行と「誠実さ」はイコールなのか?
それとも「職務」の遂行が「誠実さ」を伴うとはいかなることなのか?
2次会で話題に上った登場人物の一人に作家志望の下級役人グランがいます。
彼等は、ひたむきに自分のできる行政職の仕事に従事しますが、彼の市政はアイヒマンそのものだとみる参加者がいました。
ただし、「アイヒマン」という言葉が象徴するような無思考の犯罪者というよりも、あの家中の中で黙々と自分の仕事に従事する人々がいて成り立っている側面に注意を促します。
グランはその点でまさに「誠実さ」をもって行政職に従事する人物だったと評価できると思いますが、それとアイヒマンの境目とはなんだったのか?
アイヒマンは「誠実」だったのか?

このヒントは、終盤、流れ者のタルーが自らの出自を告白する中でふれられる「聖者」というものにつながるのではないかという話題になります。

「第三の範疇―つまり、本当の医師という範疇が、当然あっていいだろうが、しかし事実として、そういうのにはそう多くは出くわさないし、まず困難なことというものだろう。まぁ、そういうわけで、僕は、災害を限定するように、あらゆる場合に犠牲者の側に立つことにきめたのだ。彼らの中にいれば、僕はともかく探し求めることはできるわけだ―どうせすれば第三の範疇に、つまり心の平和に到達できるかということをね」(p378-379)

タルー:「僕が心を惹かれるのは、どうすれば聖者になれるかという問題だ」
リウー:「だって、君は神を信じてないんだろう」
タルー:「だからさ。人は神によらずして聖者になりうるか―これが、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」(p379)


タルーによれば、この世は天災と犠牲者というものがあり、万一自分が天災になるようなことがあるとしても、自分は決してそれに同意せず、「敗者の方にずっと連帯感を感じる」と言います。
この部分はなかなか複雑な告白内容で、彼が天災=ペストと名指すものは、実は死刑という殺害が正当化された社会に生きている人間に潜む病魔だと考えています。
いくら戦争や殺人を批判的であろうとしても、社会的に合法化された死刑を無意識に認めている限り、彼に言わせれば、間接的に死刑という殺害に加担していることは否定できません。
そして、それを容認する限り「やむを得ない殺人」は際限なく繰り広げられることを止めることはできません。
「やむを得ない」犠牲を容認するもの、これこそが人間の中に潜む「ペスト」性だというわけです。
タルーは、いかに死刑が社会にとって必要悪だという合理化されようとも、そんな「理性的な殺人者」に加担したくはないと言います。
加害者になるくらいなら犠牲者の側に。
しかし、ここで「天災(加害者側)」と「犠牲者」のみならず、それとは異なる「第三の範疇」としての「本当の医師」という存在が要請されるわけです。
この場合、医師は只管患者の治療にあたるわけですが、それは一方では病としてのペストを治すものであり、他方は死刑に同意する人々を治癒しようとするものでしょう。
いずれも不可能なものへ挑むものとして「聖者」としてタルーは考えます。
しかも、「神」という救済の存在もなしに、ただ救われる望みもなく挑み続けるもの。

自分の罪深さから、オランの部外者であるタルーがペスト撲滅にまい進する姿は、まさにこの「聖者」にならんとしているかのようです。
そして、その姿はペストと戦い続けるリウーにこそ見出されるのではないか、という意見が出されました。
たぶん、「神によらずしてなる聖者」とは、この終息が見えない病魔との戦いを継続するものであり、その戦いがほとんど報われるとは思えないにもかかわらず、しかも自分もまたいつ感染するかわからないにもかかわらず、只管挑むものなのでしょう。
ここに原発事故の終息が見えない廃炉作業に携わる人々の姿が重なります。
ただし、これを「聖者」と解釈して「犠牲」に供する存在の意味に解消しては決してならないはずですが。

が、しかし、まさにこの小説がカミュの作品たるゆえんは、このタルーがペスト終息宣言が出された直後にペストで死んでしまう場面です(一同驚愕)!
ペストも終息を迎えますが、それは決して医師たちの努力によるものではありません。
人々の努力が実を結んだわけでもなく、しかも努力した人間がペストの終焉とともにペストによってほとんど犬死同然に死んでしまうという不条理!
人は希望があるからこそ努力できる、という目的論はまったく通用しないことに愕然とさせられるほどです。

さて、カフェの議論でふれられた他の登場人物についても見てみましょう。
序盤からコタールという絶望に駆られた男が登場します。
彼は精神的に病んでいて自殺未遂を犯すわけですが、その背景には彼が犯した犯罪が発覚することへの恐れがありました。
ところが、一連のペスト騒動はその事実を有耶無耶にし、彼にとって何でもありの、ある種の祝祭感を与えます。
明日は我が身。いつ果てるともない生のちっぽけさに裏打ちされた祝祭性は、ある種のリセット願望と一致したのかもしれません。

「要するに、ペストは彼にとってうってつけのものである。孤独な、しかも孤独であることを欲しない一人の男を、ペストは一個の共謀者に仕立てた」(p287)

街の静けさと対照的に妙にハイテンションにふるまう彼の行動は、しかし震災直後に現れた「災害ユートピア」ともいうべき状況を彷彿とさせます。
ふだんは関係の悪い職場の人間関係も、あの震災対応に追われる中でみたことのない協働性を発揮したという経験談が挙げられながら、人とつながるにある種の陶酔感を覚えた人もいたのではないでしょうか。
他方、こうしたリセット願望は「孤独」や「孤立」といったキーワードと結びつきながら、この世界が破滅するか自分自身を破滅させるかのどちらかを欲望せざるをえない人々を想い起させます。
これに関して、『黒子のバスケ』著者に対する連続脅迫事件の裁判で、被告が「こんなクソみたいな人生やってられないから、とっとと死なせろ」と述べた一言が頭を離れません。
自殺未遂を冒したコタールにとって、ペストに侵された世界とは自分を救う新世界だったのかもしれません。
図らずも、ペスト終息後、彼は住居に立て籠り、銃で警官を殺害したことで警察隊に射殺されてしまいます……
彼にとって日常の回復は死を意味したのでしょうか。

それから、このペストと死が蔓延する中で説教を説くイエズス会の神父パヌルーです。
彼はとても説得的で学識豊かな神父として、この状況を神学的に解釈し説教しますが、それはまさに「天罰論」ともいうべきものです。

「今日、ペストがあなたがたにかかわりをもつようになったとすれば、それはすなわち反省すべき時が来たのであります。心正しき人はそれを恐れる必要はありえません。しかし邪なる人々は恐れ戦くべき理由があるのであります。世界という宏大な穀倉の中で、仮借なき災厄の殻竿は人類の麦を売って、ついにわらが麦粒から離れるまで打ち続けるでしょう」(p139)

これがあの「3.11」の震災直後、この天災を「津波をうまく利用して、我欲をうまく洗い流す必要がある。積年にたまった日本人の心の垢を。これはやっぱり天罰だと思う」としたある政治家の発言を想い起すことは容易でしょう。
このペストによってオトンの息子が死にますが、パヌルーはその出来事も「それが我々の尺度を超えたことだからです。しかし、おそらく我々は、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです」(p322)と述べます。
これに対して医師リウーは、何の罪もない「子供たちが責めなまされるようにつくられたこんな世界を愛することなどは、死んでも肯んじません」と反論します。
我々の理解の尺度を超えたものを想定し、「自然」とか「神」とか理解を超えたものに原因を期することは一つの不条理を納得する仕方かもしれません。
しかし、リウーはそうした理解の方法を拒絶します。
そんな不条理な世界を、いくら理解を超えていようとも「愛すること」などできるはずもないのです。
福島に生きる者にしてみれば、まして原発事故という人為の責任を「天」や「神」に帰する論理など到底受け入れられないでしょう。

こうしたリウーの考えに触発されたのか、このあと、パヌルーは天罰論と無垢な死をどのように解釈すべきか、ぎりぎりまで突き詰めていく論題の説教を試みます。
子どもの苦しみをまったく問題としない天罰論者にでもなく、ペストの苦痛に対する恐怖に圧倒される者としてでもなく、「みなさん、私どもは踏みとどまるものとならねばなりません」。「善を為そうと努めることだけを為すべきである…しかし、…子どもの死さえも、神のみ心に任せ、そして個人の力に頼ろうなどとしないようにすべきである」、「中間などと言うものはない」。
だが、パヌルーはこういいながらも、自身そのはざまで不安に苛む様子がうかがえます。
「司祭が医者の診察を求めるとしたら、そこには矛盾がある」(p339)と、彼が語った事実を若い助祭は語りました。
タルーは、リウーからその説教の話を聞きながら、戦争中に罪なき者が目をつぶされる姿を見て信仰を捨てた司祭の話を引き合いに、
「罪なき者が目をつぶされるとなれば、キリスト教徒は、信仰を失うか、さもなければ目をつぶされることを受け入れるかだ。パヌルーは信仰を失いたくない。とことんまで行くつもりなのだ。」と解釈します。
ところが、パヌルー自身、その直後にペストによって死亡してしまいます。
果たして、彼の死は信仰の犠牲に自らを供したものなのか、それともまったくの無意味で不条理な死にすぎなかったのか?

いずれにせよ、タルーといいパヌルーといい、その「誠実さ」と結果とのあまりのギャップに、この本を読んでいない参加者から「結局この本はペシミスティックなわけ?」という問いが発せられました。
しかし、読破した参加者は一様に「そうでもない。むしろなぜか希望的なものすら感じる」という意見が出されました。
それはなぜなのか?
リウーのように、ほとんど徒労にもかかわらず、ただ「健康」のために医療行為に従事する姿は、ある意味でカミュの著作でもある「シーシュポスの神話」を想い起させます。
ギリシア神話においてシーシュポスは、神々の怒りを買ってしまい、大きな岩を山頂に押して運ぶという罰を受けるのですが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまい、ひたすら同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならないという無意味さの苦しみを繰り返します。
この無意味な不条理さにいったい、ペシミズム以外に何があるのでしょうか。

これについて、ある参加者は、この小説がある種の報告書、証言の形式になっていることに注目します。
そして、この無意味で無価値であるにもかかわらず、そこにたしかにペストをめぐって格闘したり、悩んだり、逃げたり、苦しんだ人々を書き記そうとすることそれ自体に、何かポジティブなものを感じるというわけです。
ペスト終息宣言が出された後、街では祝賀の花火があがり歓声がわきます。

「コタールもタルーも、リウーが愛し、そして失った男たち、女たちも、すべて、死んだ者も罪を犯した者も、忘れられていた。爺さんの言った通りである。― 人々は相変わらず同じようだった。しかし、それが彼らの強み、彼らの罪のなさであり、そしてその点においてこそ、あらゆる苦悩を超えて、リウーは自分が彼らと一つになることを感じるのであった」(p457)

「忘れる力」とは、先日の特別編4のテーマでしたが、まさにそのことを指し示しているかのような一文です。

「その時医師リウーは、ここで終わりを告げる物語を書き綴ろうと決心したのであった―黙して語らぬ人々の仲間に入らぬために、これらペストに襲われた人々に有利な証言を行うために、彼らに対して行われた非道と暴虐の、せめて思い出だけでも残しておくために、そして、天災のさなかで教えられること、すなわち、人間の中には軽蔑すべきものよりも賛美すべきものの方が多くあるということを、ただそうであるというだけ言うために」

「しかし、彼はそれにしてもこの記録が決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた。それはただ、恐怖とそのあくなき武器に対して、やり遂げねばならなかったこと、そしておそらく、すべての人々―聖者たりえず、天災を受け入れることを拒みながら、しかも医者となろうと努めるすべての人々が、彼ら個々自身の分裂にもかかわらず、さらにまたやり遂げねばならなくなろうであろうこと、についての証言でありえたにすぎないのである」(p457~458)


歴史を作り上げてきた人々とは、歴史に名を残せない大多数の人々であって英雄ではありません。
その歴史に刻まれなかった人々は沈黙のうちに忘却という死に晒されるでしょう。
いわば、敗北の歴史というべきものです。
あの震災・原発事故ののさなかに、自分自身を引き裂きながら個々の状況に葛藤し、選択肢、戦った人々は無数に存在しました。
聖者どころか、負い目を追ってしまう人も多数いたことでしょう。
逃げるように、この地を離れた人もいたでしょう。
しかし、それらがすべて無意味であるとか正しい/間違っているといった、わかりやすい物差しで評価されること自体憚れることです。
その出来事の渦中で、個々人が経験したこと、行為したこと、苛まれたこと、これらのことを書き記す証言を残すこと自体が、不条理ともいえるペストに対抗できるポジティブな何某かだということではないでしょうか。
それが、もしかしたら「救い」なのかもしれません。
忘却から存在が救われた、という意味での。

実は、最後にこの記録者がリウー自身だったことが明かされるわけですが、彼はその戦いの中で生まれた「友情」というものに惹きつけられます。
あれほど市外へ脱出したがっていたランベールも、脱出の土壇場で共に戦ってきたこの地を離れるわけにはいかないと決断します。

「もし自分が発って行ったら、きっと恥ずかしい気がするだろう。そんな気持ちがあっては、向こうに残してきた彼女を愛するのにも邪魔になるには違いないのだ。」

「しかし、自分一人が幸福になるということは恥ずべきことかもしれないんです。」

「僕はこれまでずっと、自分はこの街には無縁の人間だ、自分には、あなた方は何のかかわりもないと、そう思っていました。ところが、現に見た通りのものを見てしまった今では、もうたしかにこの町の人間です、自分でそれを望もうと望むまいと。この事件は我々みんなに関係のあることなんです」(p307)


これが避難せずに現地へとどまった人々の行為を正当化するものとして読み込めば陳腐なものとなるでしょう。
しかし、オランという街に関わりのないエトランジェ(よそもの)であるランベールが、出来事に巻き込まれるうちに自分と無関係ではないと納得していく過程は、その中で邂逅した人々との戦いがあったからでしょう。
その中で生じた「友情」なるものは、やはり否定しがたく自分のぎりぎりの選択を規定するに余りある経験だったのだと思います。
これを「戦友」と名付けることが許されるとすれば、やはり「よそもの」であったタルーとの友情も同様でしょう。
こうした友情など、歴史に刻まれるはずもありません。
しかし、そのことを証言することは後世に役立つとかそんな功利的意義を超えて、それ自体として不条理の中に「記憶」という一つの光をもたらすように思われるのです。

「彼[リウー]はタルーの傍らで暮してきて、そしてタルーは今夜、二人の友情が本当に生きられるひまもないうちに、死んでしまったのだ。タルーは勝負に負けたのであった―自分でいっていたように。しかし、彼、リウーは、いったい何を勝負にかちえたであろうか?彼がかちえたところは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すということ、友情を知ったこと、そしてそれを思い出すということ、愛情を知り、そしていつの日かそれを思い出すことになるということである。ペストと生とのかけにおいて、およそ人間が勝ちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。おそらくこれが、勝負に勝つとタルーが呼んでいたところのものなのだ!」(p431)

さて、今回の本deてつがくカフェは、冒頭で申しましたように、この春、福島から離れる参加者から「読書会をしよう」との要望があったことに端を発しています。
まさに、彼らはエトランゼ的存在でもあったわけですが、しかし、わずかな時間であっても、こうした知的な遊びの空間を共有していただいたり、また福島の問題をともに共有し、戦っていただけたという点で、無限の友情を感じないわけにはいきません。
その点でも『ペスト』を選書したことは彼らとの友情を描き刻むにうってつけの機会だったのではないでしょうか。
福島を離れられるKさん、Fさん、そしてもうひとりのFさんには、益々ご活躍くださることをお祈り申し上げます。
また、お会いできる日を楽しみにしています。

最後に、リウーの患者であった爺さんの意味深な言葉を引用して終えましょう。

「一番いい人たちが行っちまうんだ。それが人生ってもんさ……だが、いったい何かね、ペストなんて?つまりそれが人生ってもんで、それだけのことさ」(p454)

てつがくカフェ@ふくしま特別編4報告

2014年03月18日 22時52分54秒 | 〈3.11〉特別編記録
3月15日(土)13:00より、〈3.11〉について考える「てつがくカフェ@ふくしま特別編4―震災・原発事故3年目の福島から考える―」がコラッセで開催されました。
     
参加者は48名。
震災・原発事故に対する関心の高さがうかがえます。
     

今回は第1部でシンポジウム、第2部で哲学カフェを行う二段構えで開催しました。
第1部では牧野英二さん(法政大学教授)のご著書『「持続可能性の哲学」への道――ポストコロニアル理性批判と生の地平――』(法政大学出版局)を手がかりに、それに対して哲カフェの世話人・小野原雅夫(福島大学教授)と、山本英輔さん(金沢大学教授)、齋藤元紀さん(高千穂大学教授)、石井秀樹さん(福島大学特任准教授)らが報告をする形式をとりました。
司会は相原博さん(法政大学兼任講師)です。
     

それぞれのご報告は大変興味深いものでしたし、コメンテータ同士の応答が大変刺激に満ちたものでした。
残念ながら、これらの報告に関して会場とのやりとりに割く時間が足りませんでしたが、いずれ、この内容についてはシンポジストの一人でもあった小野原からまとめた報告文がアップされることでしょう。

ここでは第2部の哲学カフェの議論に限った報告にとどめることをお許しください。
今回の議論は、ホワイトボードが3枚にもわたる白熱した議論が執り行われました。

   
テーマは「忘れる力は必要か?」
震災・原発事故から3年目を迎え、もはやこの出来事が風化に晒されそうになっている問題を提起させていただきながら議論に入らせていただきました。
まずは、「忘れる力の反対はなんだろうか?」という問いかけから、それは「覚えていること」や「記憶していること」と思いがちだけれども、むしろそのように意識的自覚的に覚えていることではなく、忘れていたある衝撃や体験を「思い出すこと」なのではないだろうか、という意見が挙げられます。
人間はいくら覚えていよう、記憶にとどめておこうとしても圧倒的多数は忘れていくものでしょう。
だから自覚的に覚えていようとすることが「忘れる」の反対語だと考えがちですが、その忘却の穴に落ち込んでいた記憶が立ち上がっていくことそのものが「忘れる力」の反対だというわけです。
これが自覚的に立ち上げる能動的なものなのか、ふとある香りを嗅いだ瞬間に記憶が呼び覚まされる受動的なものであるのかは興味深い点です。

別の参加者からは、まず「個人の記憶」と「共同体の記憶」のレベルがあることを分けた上で、「個々人には忘れることは必要だ」、けれども忘れられないものだけが記憶に残っていく一方で、「忘れてはいけない記憶」があるじゃないか、といいます。
これに関して別の参加者は、「責任能力」というものが「忘れてはいけない記憶」に関係するのではないかと言います。
犯罪行為が行われたことを忘れることは、また同じ過ちを繰り返させてしまうのではないか。
責任を問われることは忘れてはいけないというのはこのような意味でも理解できます。

また、その意見に対して別の参加者からは、「出来事」に近ければ近いほど忘れないのではないかとの意見が挙げられました。
この意見によれば、体験したものだからこそ、出来事の意味をよく知るのに「より適切な場所にいる」ことになります。
しかし、その反面で、その発言者は「朝鮮半島の植民地化」などの事実は、わりに忘れやすいものだと言います。
それはつまり、自分の体験から遠いものであるからだし、だからこそ「出来事」の当事者はそれに向き合う責任が生じるものだと言います。
出来事の内部にいる人間は、そのつらさや過酷さを生身で体験しているがゆえに、それを外部の人間に伝える責任があるのだ。
しかし、内部にいる人間がもっともよく知っているというのは本当なのでしょうか?
そもそも「内部」とは何か?
原発事故を「内部」で体験した人間とは誰のことなのか?
原発避難を余儀なくされた地域の人々なのか?
高線量汚染に晒されているにもかかわらず強制避難区域には指定されなかった地域なのか?
ホットスポットが見つかった関東地方の地域なのか?

こうした議論も含めて、しかし「忘れてはならないこと」が未解決のままに残されているのは現在でも変わらないわけですが、そうであるにもかかわらず「考えなくなっている」、「思考を止めてしまっている」、このことそれ自体が「忘れる」ということではないかという意見が出されます。
しかし、それは他方で過酷でつらい経験をいつまでも思い出していては生きること自体が困難になってしまうでしょう。
そうであるがゆえに、「忘れること」は「生きるために」必要なことだと言います。
したがって、個人には「忘れる権利」がある、しかしそれに対して共同体が存続するためには「忘れてはならない記憶」というものが必要だし、その責任はむしろ、先に挙げられた意見とは真逆に、もっとも忘れそうな立場にある「当事者以外の人々」にこそ求められるべきだという意見が出されました。

しかし、出来事の記憶を残すにしても、ただただ個々人の体験を語り続けるだけでは、けっきょく何も残らないのではないか。
それらの出来事を忘れないためには個々人の経験を超えた普遍的な意味をつかむ必要があるのではないかという意見が出されました。
つまり、「出来事の意味」という点において、何を語り残せるかが重要だということです。
人類が経験したことのないような原発事故(たしかに海洋汚染という意味では、チェルノブイリの経験も参照できない環境破壊をもたらした事故と言えるでしょう)は、様々なものを暴露させたのであり、そのことを次のステップに行くためには、忘れてはいけないも普遍的な意味があるというわけです。

その一方で、「忘れる」とは何かに関して、別の参加者は、自宅の周囲におかれた除染後にブルーシートをかけられた汚染土を見るにつけ、やっぱりあの出来事や放射能のことは忘れたいと思っている自分がいるといいます。
にもかかわらず、忘れようとすればするほど、忘れられない。
つまり、能動的に忘れることはできないことに気づかされたと言うのです。
記憶というものは忘れたくないと思っているものほど意外と忘れてしまったり、忘れたいと思っているものほど忘れられないという点で、人間のコントロールの範疇を超えたものなのかもしれません。

あるいは、別の参加者は、失恋の経験を挙げながら、それがつらい経験であることから素敵な思い出に変わることがあるのだから、その出来事そのものに対する「思考を切り替えること」によって、前向きに出来事と向き合えることができるだろうと言います。
したがって、記憶を残しつつも、それによってつらい経験が素敵な思い出に帰られるという点で、「忘れる」とは思考を切り替えることでもあるということになるとのことです。
すると、ある出来事を忘れさせようとする人々は、「別の思考」を持ち出しながら、その時どうとらえたかを別の解釈を導入しながら上書きを施した記憶をもたらします。
そして、その途上において記憶は上書きされながらあるものを捨象させられていくというわけです。

ここまでは、過酷災害に遭った個々人には忘れる権利があるとはいえ、共同体の記憶においては共同体そのものを持続させるための記憶が必要であり、そうした意味あるものとしての記憶は忘れるべきではないという議論が展開されてきました。
学校で地域社会で国家で。それは、いわば「教訓」として物語る形で残されていくということでしょうか。

しかし、果たして「意味がある」記憶だけが残されていくというのは本当でしょうか?
それについて、別の参加者は「痕跡として」記憶を残すあり方もあるのではないかと言います。
痕跡とは何か。
いわば、ラスコーの壁画のように当時からの文脈のある物語のようにではなく、岩壁に刻まれたまま、しかし何かが残されているような記憶の残骸のようなものです。
それについて、その発言者は物語が語られ得るような内部にではなく、記憶を「外側に刻む」や、「意味をはみ出す」という言い方をします。
「意味をはみ出す」とは秩序だった記憶の物語の意味からはみ出すということでしょうか。
あるいは、「忘れるべきではない記憶」といった「意味ある」記憶の部類からはみ出す記憶のことでしょうか。
いずれにせよ、人類の歴史のほとんどは忘却に晒されているわけですから、逆に残された記憶の数々が「意味あるもの」だとすれば、その意味をはぎ取られた、あるいは意味を与えるに値しない記憶を、いかにして残しうるか問題化した点で興味深いものです。

この意見に触発された別の参加者は、その「痕跡」を「万葉集」に見出します。
それによれば、「万葉集」こそ、故郷喪失や死をめぐるトラウマだらけの記憶の集合体であり、その点で柿本人麻呂は挽歌の天才だったと言います。
あるいは戦争遺構のように、意味をはぎ取られたような残骸のようなものこそ「痕跡」というべきものだとも言います。
また別の参加者はこれを受けて、鴨長明の「方丈記」を想い起したと言います。
この世のむなしさをうたったそれらの文学は、まさに誰も語る人がいなくなった共同体の記録を、意識のどこかに歌として根づいていたものを掘り起こすものとして、第1部で論じられた「情感豊かな理性」と結びつくのではないかと言います。

これらは、その点で「意味からはみ出す」ものを救い出すような文学作家だったと言えるでしょう。しかし、他方で、これらの言葉、物語が共同体に回収する危うさはやはり拭いきれません。
これら「意味をはみ出す記憶」たちが、いったん意味ある共同体の物語に組み込まれるやいなや、それらは共同体の存続に都合のよい記憶として利用される恐れがあるわけです。
そのことを古来日本人の心の表現として「万葉集」が、ナショナリズムと結びつく恐れもあるのではないかとの指摘がなされました。
「学び」や「意味」のある記憶は、実はそれ自体が忘却の危うさをはらんでいるのではないか。

そのことについて、文学に携わる別の参加者は、「意味づけることの方が忘却に加担するのではないか」と指摘します。
たとえば、震災・原発事故を「3.11」という一言で名づけることは、それ自体が記号化しており、さらに「9.11」という出来事と言葉のリズムとしても響きあう符牒めいた用いられ方は、言葉によって忘れないようにしながら、その実、私たちの個別的な経験や体験が切り取られているのか疑わしいと言います。
言い換えれば、個別単独である「私」の感覚と異なるものを「3.11」という言葉で記号化することで、ある種の神話化に加担させられているのではないだろうか、というわけです。
むしろ、その発言者にとっては「3.14」(福島第一原発3号機の水素爆発があった日)の方がよほど重要であったとのことです。
すると、「言葉」というのは、ある種の記憶装置でもあると同時に忘却装置でもある両義性を孕むことになります。
これまでの議論が「意味のある記憶」こそ忘れてはならないという展開であったのに対し、「意味を与えること」が逆に無意味とされる記憶を忘却させてしまうということになります。

この考え方に対しては、いくつか反論や疑問が付されています。
その一つは、言葉による意味の記号化は忘却を招くというけれど、けっきょく意味は言葉にしなければ意味がないのではないかという反論です。
というのも、「言葉」とはそもそも共同体の中で成立するものである以上、共同体において忘却を防ぐためには無理やりにでもしないと、けっきょくは「なんとなくの雰囲気」しか残らないのではないかというわけです。
また別の参加者からは、意味づけと記号化がごっちゃになっているのではないかという指摘がなされ、それは「記号化すべきではないという意見なのか、それとも記号化を認めつつ注意せよということを言いたいのか」との問いが投げかけられました。
それに対し、質問を受けた参加者は、言葉による記号化、例えば「東北」という言葉に一括りにされることで、福島や宮城、岩手、あるいは被災の個別性が失われてしまうことを懸念しつつ、むしろ「沈黙」や「語られないこと」に耳を傾けることの重要性を喚起したいと応答しました。

「3.11」という記号化された出来事でも、やはり地震・津波といった「自然」による被災は忘れられることもやむなしだけれども、人災である「原発事故」はそれとは種類が異なり、決して忘れてはいけない出来事であると言う意見も挙げられます。
これは冒頭で挙げられた「責任」と「忘れるべきではない記憶」という問題と関係するでしょう。
また、第一部の「持続可能な哲学」というキーワードと結びつけるならば、こうしてみんなで語り、考え続けることで意味がなくなるような危険を避ける努力が必要であり、その意味で「忘却」の反対は「文化を生み出すこと」であり、「記憶」とは「創造的」な営みであるとの意見も挙げられました。
「創造的」という点では、たとえば「原発観光地化計画」や福島原発跡地を「原発神社」にするなどメモリアル化の創造を通じて記憶を保持しようとする試みに注目してよいのではないかと提起します。

この「創造性」から「傷」というキーワードを導き出す意見も出されました。
「絆創膏」とは「傷」を防ぎ、新たな細胞を創り出して傷口を修復するまで覆う役目があります。
この震災・原発事故によって「人為の裂け目[傷]から見えた自然」、すなわち「人間がコントロールできないもの」が出来してしまったことを踏まえ、この傷口を塞ぐものが、ある種の宗教的なものではないかというわけです。
さらに、その発言者はこの傷を「スティグマ」、つまり聖なるダークな痕跡と名指します。
それは、いまでは普段気づかない傷だけれど、まったく癒えていない。
癒えていない以上、これを塞ぐためにはどうすべきなのか?
震災前にはうまく回っていたように見えた大きな袋の傷口に絆創膏を貼って、昔の形にするか、新しい形にするかが問われているのが今だというわけです。

すると、別の参加者から1,2年目は放射能まみれで早くこの現実をみんな忘れてくれたらいいなぁと思っていたという意見が出されました。
そして、時間の経過とともに周囲の人々が忘れ居ることにしめしめと思っていたとも言います。
商売する人たちにとっても、早く忘れてほしいなと思っていたのではないか。
そんな風に思っていたのだけれども、実際には忘れても問題は継続している以上、最も被害を被る人たちというのは、忘れたことによって汚染された食品を食べてしまったりする人々なのではないだろうかと言います。

このような議論が展開される中、そもそも「忘れる力」という言葉にはやはり違和感を抱くとの意見も挙げられます。
あるいは、「忘れる力」なんて福島に生きる人間に必要ではないと思っていたけれど、この「3.11」を血肉で体験してしまったことから、その考え方が転換してしまっとの意見が出されました。
ふと、そのことが顕在化するとつらくなる時もあるけれど、実は県外に避難したものの苦悩の方が辛いのではないか。
というのも、福島から避難した人たちは、いま、福島がどうなったかも割らないだけでなく、放射能汚染リアリティが消えてしまっているという話を聞くと言います。
だからこそ、ここにいる我々は真正面からこの問題に向き合うべきではないだろうか。
原発事故によってパンドラの函が開き、地獄の蓋が開いてしまったことを私たちは「見てしまった」。
「見てしまった」以上、我々はそれを外に伝える責任がある。
それが「フクシマ」人として生きることを引き受けるということであり、自分と戦いながら伝えていくということではないか、という重い決意が表明されました。

その一方、当事者にも部外者にもなりえない位置にいたという参加者からは、罪悪感を抱く思いが語られながら、言論人・文化人が「〈フクシマ〉に向き合う」や「当事者に寄り添う」とまとめてしまったが故の危うさが感じられるとのはなしが出されました。
言い換えれば、「「フクシマ」を忘れない」ことを利用する人々がいるのであり、それはこの後にさらに大きな出来事があったとき、実はこの出来事がぶっ飛んでしまうのではないか、と言います。
この話を聞きながら、私は以前、研究者である友人から「福島が学問の植民地化にされている」という話を聞いたことを思い出しました。
「フクシマ」が消費されていると言ってもいいでしょう。
震災直後、ある集会で研究者に対して市民が、福島を研究のために消費していることを糾弾した場面があったことも思い出しました。

このことを話題にしたところ、第1部でご報告いただいた牧野さんから、まさにご自分が「3.11」を題材に今回シンポジウムで取り上げられた本づくりに取り組んだことは、「フクシマ」を「商品化した」ことに他ならないことが告げられました。
当事者でもなく、外部から来た人間がこうして被災地を商品化することの苦しさを吐露されながら、しかしそうであるにもかかわらず、少なくともそのことを自覚しながら当事者とともにこの問題を伝え、語り合うことをせずにはいられないことが告げられました。
これに近い思い方は、以前にも東京から参加される別の参加者から伺ったことがあります。
その告白とも言うべき発言に対し、福島に居住する参加者からは現地の人間の本当の想いを知りたいならば、やはり福島に住むべきである、
年に一度来ただけでは被災地の思いなどわかるはずもないのだから、この地に移り住むことを進める発言も出されました。

福島の内と外。
震災・原発事故の経験の有無。
避難した人間とこの地に止まった人間。
こうした区分によって、しかしそれぞれに複雑な罪悪感や苦悩があることは、すでに避難者の思いに触れた発言にも見られました。
果たしてこうした内/外の区別は妥当なのでしょうか?
真にこの出来事の核心にいた人間とは誰のことなのでしょう?
体験した人だけが、真にその出来事の意味を知るものなのでしょうか?
その内部で体験したものだけが出来事を忘れえないのでしょうか?
その人々だけが忘れてもよい権利を持つのでしょうか?
「忘れる力」を問うには、この問題圏を避けては通れないようです。
しかし、最後に牧野さんにご発言いただけた内容は、実はそれまでのモヤモヤした思いを払しょくするかのようなすがすがしさを感じたのは私だけではないはずです。
そのような重い思いを抱きながら、3年もこの特別篇におつきあいいただけたことは、心より敬服する次第です。
牧野さんだけではなく、遠くは金沢から富山、東京から駆けつけていただいたシンポジストの皆様や参加者の皆様に、心より感謝申し上げます。
まだまだ先行きの見えないこの「3.11」の傷跡を記号化するのではなく、個別の思いを忘却に晒さない可能性を、引き続きてつがくカフェ@ふくしまは探究して参りたいと思います。
また、多くの皆様に出会い、語らえることを願っております。

〈3.11〉特別編4・参加者感想

2014年03月16日 13時25分02秒 | 参加者感想
昨日、〈3.11〉 特別編4がコラッセで開催されました。
48名の方々にご参加いただき、盛況のうちに終えることができました。
今回は第1部と第2部に分かれての開催となりましたが、報告の方は後ほどアップさせていただきます。
まずは、今回ご参加いただいた方々の感想を掲載させていただきます。


●「線」 による社会・個人の分断の中で、私たちがどう生きていくべきなのか。あの日の震災が 『3.11』 という記号によって分断・省略されてしまう中で、私たちはどう向き合えばいいのか。「持続可能性」 という、一つの課題を取り出して、社会的な思想的な変革を提起してみたものの、「個々人の経験・記憶の扱い方」 という課題の方が 「福島県民=当事者」 としては重要になってくると感じた。「当事者」 としての思考の縛りがあるのだろうか。

●謙虚で真摯な学者さんたちのシンポジウム、哲学カフェでのタブーに踏み込む皆さんの姿勢、本当に刺激的な時間でした。「まとめをしない」 というところがとても好きです。アテナイの学堂のようで面白くもあり、しかし面白がってはいけない差し迫った問題を考えることができました。まとめてはいけない、意味をはみ出し続けなければならない、そう感じました。2部構成、とても良いと思います。

●一つの物事でも捉え方、考え方は個々人まちまちであることに気付いた点と、全体として捉え方そのものの難しさに気付かされた。

●牧野先生の 「お住いのトラブル」 の事例を引き合いに、基盤 (拠って立つ大地) とエンジン (足がかり) そのものを見失ってしまった悩みに対して寄り添うようにおっしゃった言葉がしみました。「不信を和らげることなら可能」 という一言が特に印象に残りました。また、3.11によって学問そのものが「実際」とかけ離れたものになってしまったことを謙虚に問い直されている姿勢にも深く共感した。福島における分断と亀裂を具体的に堀り下げ、深められるような哲カフェのテーマを設定してほしい。

●今回は2部構成で非常に充実した時間でした。初めて参加させていただいたのですが、第2部では様々な年齢、職業の方の忌憚のない意見が飛び交い、勉強になりましたし、参加しやすい雰囲気でした。「忘れる力」について議論しましたが、そもそも 「忘れる」 「忘却」 とはなんなのか、時間がなかったのですが、皆さんの考える 「忘れる力」 についてお聞きしたかったと思っています。また記憶すること、またそれを語ることへの配慮についても考えさせられることが多かったです。

●初めて参加したので、発言はしませんでした。皆さんの考えを聞いて自分の考えも二転三転しました。私は出身が宮城県なのですが、記憶はだんだん薄れているような気がしていました。しかし、今日のような機会を設けて頂くことで、忘れることはないと感じます。

●「3.11」 や 「フクシマ」 という言葉は、聞き慣れていました。今回改めて考え直してみると、その事柄の本質が隠されてしまっていると思いました。「フクシマ」 の商品化や学問の植民地化という言葉は初めて聞いたのですが、さかのぼって考えたり、商品 (例えば本など) を思い浮かべたりするとまさにその通りだなと思いました。福島にいるからこそ感じれることや見れるものがあるので、今、私がここにいる意味は何だろうかと改めて考えました。福島で感じること、実家に帰って感じることは異なります。震災、原発事故は過去の出来事のように扱われ、触れることも少なくなっている気がします。


ご参加いただけました皆様には改めて御礼申し上げます。
また、アンケートにご記入いただけなかった方も、その後お考えになられたことやご感想を改めていただける場合には、こちらのメールアドレスまでお送りいただければ幸甚です。
fukushimacafe@mail.goo.ne.jp
〈3.11〉 の傷痕はまだまだ癒えることがありませんが、また皆様とお会いし語り合えることを楽しみにしております。


てつがくカフェ@ふくしま特別編4のご案内―震災・原発事故3年目の福島から考える―

2014年03月13日 13時17分34秒 | 開催予定


てつがくカフェ@ふくしま 特別編4
―震災・原発事故3年目の福島から考える―


日時:3月15日(土) 13:00~18:00

場所:コラッセふくしま(3階企画展示室)


参加費無料・飲み物代無料・事前申し込み不要(直接会場へお越し下さい)

問い合わせ先:fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


東日本大震災、そして東電福島第一原発事故から3年。あの日以来、私たちを巡る状況は目まぐるしく変化し続けてきました。
今や「脱原発」が耳慣れた言葉になり、「景気は回復」し、六年後には「東京五輪」が開催される…。こうした変化によって、私たちには新しい「日常」がもたらされているかのように見えます。
しかし、私たちは真に持続可能な社会の実現へ向けて歩みだしているでしょうか?私たちは3年前のあの出来事を忘却し、前に進むべきなのでしょうか?
私たちの未来に立ちはだかるこの二つの問いに、今回の「てつがくカフェ@ふくしま特別編4」は取り組みます。


第1部 シンポジウム 「持続可能性の哲学への道」 13:00~15:30
『「持続可能性の哲学」への道――ポストコロニアル理性批判と生の地平――』(牧野英二著、法政大学出版局)を手がかりに、「持続可能性」の意味を問うシンポジウムを開催します。
≪パネリスト≫
牧野英二  (法政大学教授)
小野原雅夫 (福島大学教授)
山本英輔  (金沢大学教授)
齋藤元紀   (高千穂大学教授)
石井秀樹  (福島大学特任准教授)
≪司会≫
相原博   (法政大学兼任講師)

第2部 てつがくカフェ「忘れる力は必要か?」
16:00~18:00

「忘却」の意味を考えるてつがくカフェを開催します。

しばし腰を落ち着けてこの3年間を振り返りながら、「持続可能性」と「忘却」の意味について、たくさんの方々と一緒にじっくり考えてみたいと思います。


本deてつがくカフェ番外編のご案内

2014年03月06日 07時08分53秒 | 開催予定
      本deてつがくカフェ番外編
       

【日時】3月16日(日)17:00~18:30 ※18:30よりそのままサイトウ洋食店で2次会(宴会:4,000円飲み放題・【要予約】)があります。
【場所】サイトウ洋食店 http://www.saitoyosyokuten.com/ 
    福島市栄町9-5 栄町 清水ビル2階
【課題図書】 アルベール・カミュ『ペスト』
【参加費】 飲食代300円
【事前申し込み】 要予約
         問い合わせ先:fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


3月15日(土)は〈3.11〉特別編ですが、急遽その翌日16日(日)に本deてつがくカフェを開催することになりました。
といっても、これはこの春に福島を離れてしまう方への送別の意味を込めて急遽企画させていただいたので、「番外編」とさせていただきます。

課題図書はアルベール・カミュの『ペスト』
実は、この本自体が「3.11」の「フクシマ」を考えるためにうってつけの内容です。
今回は事前予約制としますので、参加をご希望される方はfukushimacafe@mail.goo.ne.jpへメールでお申し込みください。