てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま2021.4.17. 「翻訳はどこまで可能か?」

2021年03月23日 14時17分53秒 | 開催予定
今回は久しぶりに対面での開催となります。

てつがくカフェ@ふくしま2021.4.17.
【テーマ】「翻訳はどこまで可能か?」
【日 時】2021年4月17日(土)
     16:00~18:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター 多目的ホール

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp





オンラインでの開催が続いていたてつがくカフェですが、

4月からは感染症対策を実施しながら従来通りの対面による開催でいきたいと思います。

なお、今回対面のてつカフェの場に、

オンラインでの参加もできるような準備をいたしましたので

オンラインなら参加したいという方がいらっしゃいましたら、

あらかじめメールでお知らせください。

※会場の都合上、てつカフェ後のオンラインによるアフタートーク(交流会)は開催いたしません。


さて、今回も参加者から募ったテーマの中から「翻訳」を選ばせていただきました。


まず「翻訳」を辞書で引くと下記の内容が記述されております。

1.ある言語で表された文章を他の言語に置き換えて表すこと。また、その文章。「原文を翻訳する」

2.符号やわかりにくい言葉、特殊な言葉などを一般的な言葉に直すこと。「技術用語を翻訳して説明する」

3.細胞質内にあるリボゾーム上で、運搬RNA(リボ核酸)が、伝令RNAの遺伝情報としての塩基配列を読み取り、それに対応するアミノ酸を運んでたんぱく質に合成する過程。


上記3つのうち、「1」の意味でテーマを設定いたしました。

つまり“ある言語で表現されている文を、他の言語になおして表現することはどこまで可能なのか”

という問いについて皆様と考え、語り合いたいと思います。



翻訳に似た言葉に「通訳」がありますが、こちらを辞書で引くと

1.異なる言語を話す人の間に立って、双方の言葉を翻訳してそれぞれの相手方に伝えること。また、その人。「ドイツ語を通訳する」「同時通訳」

とあります。

(手話の話者と音声言語の話者の間に入って双方の言葉を変換することも通訳と呼ばれます)

異なる言語間の仲介を果たすという意味で同列に語られる場合がありますが、

翻訳の対象は「書記言語(テキスト)」であるのに対して

通訳の対象は「音声言語(会話)」なので、技能的には全くの別物といえるのではないでしょうか。



また、翻訳家は「translator(トランスレイター)」と呼ばれるのに対し、

通訳は「interpreter(インタプレター)」と呼ぶなど

別の専門性を持つ職業として区別されていることが分かります。


さらに翻訳家といってもその種類は様々で、

小説や書籍などを翻訳する「文芸翻訳」

学術論文などの翻訳を行う「実務翻訳」

海外映画やドラマなど映像作品の日本語字幕をつける「映像翻訳」

の主に3つの分野があるそうです。


日本で有名な翻訳家というと、

「スター・ウォーズシリーズ」など数多くの有名ハリウッド映画作品の翻訳を手がけた戸田奈津子氏や

『グレート・ギャツビー』『ライ麦畑でつかまえて』などアメリカ文学の有名な翻訳家でもあり、

自身も小説家として活躍する村上春樹氏が知られています。


しかし、有名だからといって必ずしも良い翻訳をするかといえばそうとも限りません。

逆に原作の意図を無視した意訳や原作の理解不足から起きた誤訳などで

原作ファンの怒りを買うこともあります。

【例】
『スター・ウォーズ エピソードⅠ』から 
「義勇軍」:戸田奈津子訳「ボランティア軍」(原語は「A Volunteer」)

『パイレーツ・オブ・カリビアン』から
「悪人、クズ、嫌な奴」:戸田奈津子訳「腐ったタマゴ」(原語は「bad egg」=英語のスラング)

※「ハリー・ポッターシリーズ」の日本語版も訳がひどいことで有名です



原文を正しく理解する理解力や訳文を作成するテキスト形成力は

翻訳家のスキルやセンスが要求されます。

そうした「言語感覚」はプロの翻訳家でもそれぞれ異なりますので

同じ文でも翻訳する人が変われば読者が受ける印象は全く変わります。



一つ例を挙げますと、

アメリカの小説家J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は、

“野崎孝”と“村上春樹”が日本語訳していますが、

同じ文でも下記の様な違いが見られます

※主人公のホールデンが母親から送られたスケート靴についてコメントするシーン

〈野崎訳〉
 おふくろは見当違いのスケート靴を買ってよこしたんだけどさーー僕は競走用のスケートがほしかったのに、おふくろはホッケー用のを買ってよこしたんだーーしかし、それにしてもやっぱり悲しくなっちまった。僕はひとから贈物をもらうと、しまいには、そのためにたいてい悲しい思いをさせられることになる。

〈村上訳〉
 もっとも母が送ってくれたのは間違ったスケート靴だった。ほしかったのはレース用のシューズなのに、送ってきたのはホッケー用のやつだった。でもどっちにしても、けっこう哀しい気持ちになった。誰かに何かをプレゼントされると、ほぼ間違いなく最後には哀しい気持ちになっちゃうんだよね。



両者の文章を比較すると

読みやすさや主人公の気持ちの伝わり方などに違いがみられます。



上記以外でも当日は「翻訳」に関する様々な問いの設定から

皆様と一緒に考えたいと思います。



なお、当日参加を予定している方につきましては

当ブログに掲載されております

「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針(2020年7月10日現在)

の記事をお読みいただき、マスク着用等のルールを守ったうえで

ご来場いただければ幸いです。



「てつがくカフェ@ふくしま」は言葉の壁を感じたことがある人でもない人でも

誰でも気軽に対等に、

安心して何でも話し合える場です。

初めての方もお気軽にご参加ください。

てつがくカフェ@ふくしま特別編2021 報告「コロナ禍の中でいま震災・原発事故の〈教訓〉を問い直すー〈3・11〉から10年、私たちは何を聴き、語るべきかー」

2021年03月14日 08時30分00秒 | 〈3.11〉特別編記録
3月13日(土)オンラインで開催された

てつがくカフェ特別編2021について世話人の石井が報告させていただきます。


新型コロナウイルス感染症の影響もあり

ここ最近はオンラインで開催しておりましたてつがくカフェですが、

zoomの様子を録画したり、参加者の発言をメモしたりといった

記録を残すことはしておりませんでしたが、

今回の特別編から参加者の意見を

「マインドマップアプリ」で打ち込みながら

上記ツールを画面共有して進めさせていただきました。





震災から10年という節目の年ということもあって

オンライン開催にもかかわらず

20名の方にご参加いただきました。


ここで参加者の方の発言の一部を抜粋して紹介させていただきます。

【3.11の教訓について】
「果たして教訓は得たのだろうか?」
→震災以降、国や行政、政治家、マスコミ、学者への不信感が増した
→風評被害は、依然としてコロナ禍でもある
→10年間で貧富の格差はさらに拡大した

「教訓とは何か?」
→政府にとっての教訓=「何とか今をやりすごせばいい(問題の先送り)」ということでは?
→個人的な教訓としては、自分が被災者・被害者になったらと考えるようになった
→国際的な教訓として、ドイツなどでは国家レベルでフクシマの教訓を活かしている

「未来に向けての教訓」
→津波に関する教訓は伝えられているが、原発事故に関する教訓が伝えられていない (津波の恐怖は映像や写真で伝えられる=教訓として残る)

【コロナ禍との関係】
「震災との共通点」
→「これはホントなのか?」=政府の発表、マスコミの報道を疑問視 (福島原発で水素爆発が起きたことを政府と東電が情報を隠していた)
→コロナ禍になって震災の話をできる場がなくなった

【震災・原発事故の忘却】
→「忘れてしまわないようにしよう」という想いもあるが、忘れてしまう方にも共感できる
→被災者への接し方として「触れないようにする?/無理にでも聞いてみるべき?」(震災の体験を根掘り葉掘り聞いても良いのかという遠慮)

【温度差の問題】
→普遍的問題 (アイヌ・沖縄・LGBT・在日コリアンetc.)として、当事者・被災者・被災地と第三者には温度差がある
→(震災等の)話の席で居心地の悪さを感じる
→「寄り添う?」という言葉が安っぽく使われてしまっている
→当時から福島に住んでいるが放射能被害だけで、津波の被害はなかった(被災者意識があまりない)



さて、次回は4月17日(土)16時から

福島市市民活動サポートセンターで開催いたします。

また参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症の感染対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。

テーマは「翻訳はどこまで可能か?」です。

それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。