てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

「てつがくカフェ@ふくしま」へようこそ!

2021年09月23日 16時34分46秒 | 「てつがくカフェ@ふくしま」について
「哲学カフェ」とは、身近にあるさまざまな問題について、
誰でも気軽に対等に、安心して何でも話せる場です。

「てつがくカフェ@ふくしま」は2011年5月より、
月に1回、福島市内で、毎回2時間ほど、
参加者どうしで対話を行っています。  → 詳しくはこちら

「対話のルール」にしたがって話し合いますので、
初めての方でも安心して気軽に参加できます!  → 詳しくはこちら

  次回のてつがくカフェ  → 詳しくはこちら


その後の開催予定もある程度決まっております。 → こちら



これまではこんなテーマについて話しあってきました。
→ 2011年度  → 2012年度  → 2013年度  → 2014年度  → 2015年度
→ 2016年度  → 2017年度  → 2018年度  → 2019年度  → 2020年度
→ 2021年度 

お問い合わせは fukushimacafe@mail.goo.ne.jp まで。

皆さまと対話できることを心より楽しみにしております。
初めての方もお気軽にご参加ください!
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てつがくカフェ2021 今後の日程

2021年09月23日 16時34分33秒 | 開催予定
珍しく先々まで日程とテーマを決めましたので、

今後のてつカフェのスケジュールをお知らせしておきます。

とりあえず年末までこんな感じでやろうかと思っております。


・10月16日(土)   「お酒を飲むことは必要か?」→ブログ参照!

・11月13日(土)   「運命は甘受すべきか?」→ブログ参照!

・12月18日(土)   「どこからが差別か?」


年内の予定は現時点では上記の通りとなります。

会場はいずれも福島市市民活動サポートセンター(チェンバおおまち3階)、

時間帯は16:00-18:00を予定しています。

また各回とも会場とオンラインの同時開催を予定していますが、

状況次第で、完全オンラインとなる可能性もあります。

そのつど状況を見ながら判断していきますので、

このブログその他でご確認ください。


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てつがくカフェ@ふくしま2021.10.16「お酒を飲むことは必要か?」

2021年09月22日 20時40分00秒 | 開催予定
10月は「飲酒」がテーマとなります。

てつがくカフェ@ふくしま2021.10.16.
【テーマ】「お酒を飲むことは必要か?」
【日 時】2021年10月16日(土)
     16:00~18:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】会場参加:不要 (直接会場にお越しください) 
        オンライン参加:要(問い合わせ先までメールをお送りください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp







今回も会場とオンラインの同時開催となります。

会場参加をご希望の方は、お申し込みは不要となりますので、直接会場にお越しください。

また【「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針(2020年7月10日現在)

の記事をお読みいただき、マスク着用等のルールを守ったうえでご来場いただければ幸いです。



オンライン(Zoom)参加をご希望の方は、

オンラインミーティングにアクセスするためのURL等をお送りいたしますので、

問い合わせ先まで参加申し込みのメールをお送りください。




さて、これまで身近にあるさまざまな問題について、

参加者の皆様と対話を行ってまいりました「てつがくカフェ@ふくしま」ですが、

ある意味、てつがくカフェ@ふくしまという団体にとって

最も身近なテーマとも言える「お酒」については、

今回まで議題として取り上げることはありませんでした。




そもそも「哲学」と 「飲み会」 は切っても切れない関係ともいえます。

古代ギリシャの哲学者・プラトンの『饗宴』は、宴会での恋愛話を、

プラトンの師匠であるソクラテスが「問答法」と呼ばれる手法で

哲学的な議論に発展させ、愛の本質に迫っていく内容となっています。





てつがくカフェが開催する時間帯を夕方(16時~18時)に設定しているのは、

そのまま懇親会(「二次会」とか「シンポジウム(饗宴)」とも呼ばれる飲み会のことです)へと

スムーズに移行することができるよう、

いわば「哲学には飲み会が不可欠」という考えのもとでイベントを企画しているからです。




てつがくカフェ終了後に毎回必ず開催されてきた懇親会は、

1周年を迎えるころにはすっかり定着し、

一部の参加者の間ではてつがくカフェが一次会で、

懇親会を二次会と呼ぶ風習までできあがっていました。




その後、2019年1月からは参加者の方からの提案で

懇親会の新方式」を採用し、

非飲酒者も参加しやすい懇親会を行ってまいりました。




しかし、新型コロナの影響により2020年2月を最後に

てつがくカフェでは対面での懇親会を開くことを自粛しております。

オンライン限定の開催の際に、何度かZoom飲みを実施しただけで、

開催当初は思いもしなかった

てつがくカフェ後に懇親会を行わないという異例の事態が現在も続いております。




世間的にもコロナ禍以降、

忘年会や歓送迎会などの飲み会は激減しておりますが、

一方で、「会社の飲み会が減って良かった」と感じる人の割合も増えてきています。




お酒が好きだという方は、

飲み会がなくて残念だと感じていらっしゃるようですが、

お酒を飲まない方の中には

飲み会を「時間の無駄」「楽しくないし苦痛」「飲み二ケーションを誉れとする古い悪習」

とはっきり苦手意識を持っている人もおり、

コロナ収束後もないままでいいという「飲み会不要論」を唱えられる方もおられます。




体質からお酒を飲めないという方から、

睡眠障害、体重増加、老化、重病、依存症などのデメリットからお酒を辞めた方まで

飲まない理由は人それぞれですが、

国税庁の調査によると、日本人の飲酒は減少傾向にあるそうです。



最近では『「そろそろ、お酒やめようかな」と思ったときに読む本』(垣渕 洋一著、青春出版社、2020年)がベストセラーになるなど

飲酒に対する国民の意識が変化してきているように感じられますが、

てつがくカフェという飲み会を前提として始めた場で、

はたしてお酒を飲むことは必要なのか

皆様と一緒に語り合ってみたいと思います。



「てつがくカフェ@ふくしま」は

お酒を飲むことが好きな人も嫌いな人も

誰でも気軽に対等に、

安心して何でも話し合える場です。

初めての方もお気軽にご参加ください。
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てつがくカフェ@ふくしま2021.11.13. 「運命は甘受すべきか?」

2021年09月21日 20時35分00秒 | 開催予定
11月は「運命」がテーマとなります。

てつがくカフェ@ふくしま2021.11.13.
【テーマ】「運命は甘受すべきか?」
【日 時】2021年11月13日(土)
     16:00~18:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】会場参加:不要 (直接会場にお越しください) 
        オンライン参加:要(問い合わせ先までメールをお送りください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp







今回も会場とオンラインの同時開催となります。

会場参加をご希望の方は、お申し込みは不要となりますので、直接会場にお越しください。

また【「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針(2020年7月10日現在)

の記事をお読みいただき、マスク着用等のルールを守ったうえでご来場いただければ幸いです。



オンライン(Zoom)参加をご希望の方は、

オンラインミーティングにアクセスするためのURL等をお送りいたしますので、

問い合わせ先まで参加申し込みのメールをお送りください。



さて、今回の「運命は甘受すべきか?」ですが、

こちらはコロナの前に行っていた懇親会の席で参加者の方からリクエストを募った際に

提案されたテーマとなります。



「運命」という言葉については

何かしら自身の体験を踏まえて語れるかと思いますが、

その問いが「甘受すべきか?」という

あまり日常的に使われない言葉による問いになりますので、

まずは言葉の整理からさせていただきます。



「甘受する」を辞書で引くと

「あまり好ましくないことや条件などについて、そのまま甘んじて受け入れること」(実用日本語表現辞典)

と記載されています。



つまり「運命を甘受すべきか?」というテーマは前提として

「運命=あまり好ましくないこと」であるという認識からの問いであり、

テーマを分かりやすく言えば「どんな運命でも甘んじて受け入れるべきか?」ということになるかと思います。



また、この「運命」という言葉をどう考えるかによって、

色々と意見が分かれるかと思います。



例えば、運命について質問された時、

「運命はある」と信じている方と

「運命なんかない」と否定される方がいるかと思います。



ここに二つの異なる考え方が生じていますが、

「運命を信じている」という人の中でも色々な意見があり

「一切の出来事は、人間の意志にかかわりなく運命によって決定する」

という考え方(運命論=宿命論)をする方もおられます。



この運命論は、占いや宗教などにも見受けられ、

生まれた年や月で自分の運勢や運気を見たり、

星の動きなどで神や天の意志を知ろうとするという行いも

「未来はあらかじめ決まっている」「人間の力では運命を変えられない」

という運命論がベース(基底)にあると考えられます。



一方で、「運命なんかない」

「人間は自由意志のもとで未来を自由に選択している」という主張の方もおられます。



そして、運命を甘受し、それでも心挫けない人もいます。

視覚と聴覚の重複障がい者でありながらも

障がい者の教育・福祉の発展に尽くしたヘレン・ケラー(1880~1968)氏は

「世の中はつらいことでいっぱいですが、それに打ち勝つことも満ち溢れています」

という言葉を残しています。



また、2021年に「隻腕」の高校バスケ選手として注目されているのが、

ハンセル・エマニュエル(2004~)さんです。

6歳の時、事故で片腕を失った彼は

「あの事故は神様の僕に対する試練だと思うんだ。

 人より厳しい道を与えることで短期的には苦しくても、長期的には他人より一層努力ができ、
 
 物事に一生懸命になれる人間に成長することを神は期待しているのだと捉えたよ」

とキリスト教の信仰心の厚い彼は片腕というハンデを乗り越え活躍を続けています。

(YouTubeで彼のキャリアやプレーを紹介している動画もあります)



上記以外の話でも

当日は「運命」について皆様と一緒に考えたいと思います。



「てつがくカフェ@ふくしま」は

運命を信じている人もそうでない人も

誰でも気軽に対等に、

安心して何でも話し合える場です。

初めての方もお気軽にご参加ください。

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てつがくカフェ@ふくしま報告2021.9.18. 「死刑は有りか?無しか?」

2021年09月19日 16時33分25秒 | 定例てつがくカフェ記録
9/18(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。



今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

台風が接近している中で、

会場には13名、オンラインでは5名の計18名の方にご参加いただきました。







定刻通り16時から始まりました。

ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。


【死刑とは何か?】
・それぞれ意見が異なるので、まずそこから聞きたい

・死刑はなぜあるのかというところから考えてみたい

・法の名のもとに行う行為で凶悪犯罪者の抑止力になると思われていたが、豊かな世の中となって死刑になりたい人間も出てきた

・死刑とは長期禁固という刑で、一生涯をかけて償うもの。自由をすべて奪われ、働かなくていいというもの

・無期懲役は減刑されるし、仕事もあるので、禁固刑(労務作業のない身柄拘束刑)とは分けて考えるべきだと思う

【死刑は何のためにあるのか?】
・死刑は刑法に制度として取り入れているが、国会が法律を制定する権利を有しているということは、つまり死刑という人を殺すやり方(罰)を国民が受け入れているということ。民主主義の観点から国民が国会議員を選んでいるので、国民が認めていることだと思う

・ブログの案内で死刑についてまとめられていて、その中で紹介された死刑制度の存続が賛成多数となっていたが、だれしも死んだことがないし、自分の死は経験したことがないことなので非常に難問。国家に死刑を簡単に許すのは良くないし、取り返しのつかないものなので安易に国家権力に委ねるのはまずいのでは?
→現在有罪となって死刑になるのは「外患誘致罪」で、これは必ず死刑になるが今まで一度もない。明治の時代から残しているということは、国のやり方として「死刑」は国を守るという意味合いで使われているように思える
→国家とは何かというと、封建国家の場合は王様の持ち物であった。民主制国家の場合も生殺与奪の権は国家が持つ。警察権や議員・官僚など行政権もあるが、戦争の時代が長かったからか徴兵の流れもあり、国が人を殺しても罰せられない

・国家が人を殺すという問題については、倫理的に人を殺すのは良くないと思うが、一方で持ち物ならば殺すのも拘束するのも同じではと思う。あと死刑と普通の刑罰を比べてもそこまで違いはないのではと思う。なぜ(そこまで死刑という刑罰を)重視するのかなと

・これまであんまり死刑について考えたことがなかった。昔はお殿様の裁量で行われたと思うが、今は死刑という制度が何であるのかなと考えたとき、他の刑罰と比べて改善の見込みがない人が該当するのかなと思った

・日本の死刑の判例では、故意による殺人(2名以上)と決められている。ただ実施されるかは時の法務大臣の判断に委ねられる。またなぜ死刑があるのかという疑問については、一つのグループを統一した場合、(殺人などの)重罪を犯した際に、そのグループが生き延びるため(存続するため)に取り決めとして、やってはいけないことを決めなければ、集団的に成り立たなかったということ

・死刑は刑法で主に殺人が多いと思うが、そもそも人はなぜ殺人をするのか?ということを考えると、殺人事件はニュースでは日常茶飯事で、動機は多分憎しみや嫉妬、復讐など感情の高まりからくるものかなと。つまり相手の存在を消したいという願望で、相手の存在を否定することではないかなと。これは人間が存在する限り無くならない。さらに殺人をした人をどう扱うか?という問題もある。日本は死刑を行う数少ない国家であることを踏まえても
→怒りや憎しみで犯行に及ぶという話だが、理由があって行われた殺人は死刑にはなっていないのでは?と思った。殺人=死刑ということではないのでは?

・法律については詳しくは知らないが、死刑については昔は別に何とも思わなかった。しかしとある映画で、登場人物がなぜ殺人を犯したのかを丁寧に描かれているのを観て、物語ではあるが人が人を殺すのにはそれなりの理由があるということで、それこそ国レベルの転覆をはかる人でもその国に何か問題があるから行うわけで、何かしらの思惑やその国の政治体制など何かあって行うのだと思う。死刑には反対の理由として、(殺人などを犯した裏には)確実に何かあるわけで、罪を犯した人に寄り添ってケアできるような、専門職や更生する施設など別なステップに導けるようなシステムがあればいいと思う。どうしても必要なら死刑か無期懲役か選択できる刑罰がいいと思う。あと、部族的な話で悪い人は殺しても仕方ないという話があったが、とある部族ではそのコミュニティで何か悪いことした人がいたら、みんなで囲んでその人が過去にした良いおこないを一人ひとり語っていくという風習があり、罪を犯した人を立ち直らせるシステムだと思った

・殺したやつを極刑にしてほしいという被害者の想いもがあるから、存在するのではないか?
→遺族の方の想いという話が出たが、自分は死刑はありというか、一部ありを認めるという立場で、遺族の方が一生苦しむかもしれないし、また犯罪者が反省してないかもしれない場合もあるわけで。また裁判で公平に決まったもので、死刑が決まった時点で残された親族の方は救われるのではと思う。ただ、度を越した犯罪に関しては死刑はありだと思う

・死刑廃止の活動しているが、慰撫できない親族の方の想いというか、これは長い年月をかけて折り合いをつけていくしかないと思う。近代国家になって核家族化・個別化していくコミュニティの中で、生の感情のぶつかり合いがあって殺人に及ぶということもあれば、障がい者は不要だからと殺した事件もあったが、どちらも人を殺して理想を達成している。こうした事件が起こるたびに抑止できたのではないか?と思う。日本だけではなく、キリスト教圏のヨーロッパなども悩んでいるのではないかなと

・憎しみという動機から死刑にはならないのでは?と思うが、大阪の附属池田小事件の場合、自殺未遂の犯人が自分一人で死ぬのは割が合わないという理由から、ある種の怨恨で犯行に及び、結果死刑判決を受けたが、犯人は控訴はしなかった。さらに「死刑を待つのは嫌だ」「さっさと死刑にしろ」「早く死にたい」などと発言もしていた。事件後一年ちょっとで死刑になったが、結局は彼のやりたかったことは達成されてしまったわけで、遺族は複雑な感情だったという。また法務大臣の判断で死刑執行の時期が違うという話も、国の思惑で動いてしまっているというところが、かなり問題含みだなと思った

・死刑はなぜあるのかという話だが、さかのぼると拷問の末の行いだったのかと。またかたき討ちという制度も昔はあって、それは際限ないやり合いに繋がるわけで。近代となってからはあっさりした死刑の方法になった。本当にただ苦しめるというか痛めつけるような刑のくだし方は昔はあったが、近代で刑罰もより合理化された。君主制から民主制に変わったということは、国家の在り方が変わったわけで、(死刑という制度も)単なる多数決の問題ではなくなったのかなと。楽に死ねるという理由から死刑を選ぶ人も出てくるような気がする
→かたき討ちの話が出たが、古くは室町時代の曾我兄弟からあり、江戸時代にも制定されていたが、明治には禁止された。ただ仇討ちには厳格なルールがあったわけで、誰でも彼でもかたき討ち出来たわけではないことは理解していただきたい

・冤罪死刑囚の話だが再審請求の中、刑務官が独房の前を通る度に「いよいよ今日か」と思う日が何年も続く恐怖を体験したという。これが果たして人道的なのか?
→毎朝いつ言われるか分からないというのは、今の制度だからあるというかそういう形で責めるというか。死刑はない方がいいと思うが、これまでの話を聞いても「じゃあ死刑をなくそう」というところまではいかない

・遺族のためという観点もあるが、国というかコミュニティが良くなるためにあるのかなと思う。それが死刑である必要があるのかは分からないが
→罪を犯した人にも人権はあるわけだから本当に必要だろうか?
→受刑者にも人権はあるという話だが、権利を制限されただけであって、じゃあどれだけの人権を与えるかと。罪を償わせているというが、どれだけのことをやったら認められるかという話で、場合によっては死刑もあっても良いのではないかなと。北九州の工藤会のトップが最近のニュースだと死刑判決を受けたが、世の中の秩序を乱す組織ということでの判決だったと記憶しているが、本当に更生が出来るのか裁判官は悩んだのではないかなと思う
→死刑にするかどうか徹底的な論証の積み重ねは必要で、安易にするのはどうなんでしょうとは思う

・人権が制限されるという話が出たが、実際は公民権の停止であって、食事や治療も受けられる。人は最後まで人であるという日本刑法で取り扱われている。ただ死刑制度は世界人権宣言とは乖離しているわけだが

・本来は生涯をかけて罪を償うべきで、償えないから死刑にするというのが現状。本来あるべき姿は罪を償うことで、死刑にしてしまったら無意味なことになってしまうのではと思う

・有りか無しかでいえば、場合によってはやむを得ない制度かなと。例えば内乱罪などは世の秩序を乱す許せない行為で、クーデターなんかも一種の内乱になるのかなと。あと先ほどの大阪の殺人事件の話は自殺というか死にたいという人がいるというが、個人がコミュニティの中で人生を築いてきた中で殺人者が出るのはどういうことかと。自由意思ということなのか、(組織の)中にいる人間がそういう状況になるのはどういうことなのかと。コミュニティ事態も緩んでいるからか、道徳的に低下しているのでは?と感じる。また、死刑は人道的ではないというが、人道的とはどういうことか?無期懲役は生命を存続するが果たしてそれは人道的か?
→終身刑とどう違うのかという話だと思うが、人権の制限というか。人道的かは死ぬまでの準備が出来るということかと。ただ本質的な違いが分からないし、人道的な死刑というものがあった場合、その違いは何かとも思う

・世界人権宣言に日本も批准しているが、日本では形骸化していると思う。また「人権」と「人道」は明確に分かれているということも言っておきたい。我々は死刑という制度を実施してきたわけで。言いたいのは一度崩壊した社会を立て直すことが必要で、生活していく知恵を次の世代に伝えられる場がなくなってきているのが心配

・死刑と終身刑の違いの話も出たが、イタリアでは終身刑の囚人が国に「殺してくれ」と直訴した事例もある。また極刑が死刑というのは必ずしも妥当しないと思う。死刑のその上がないというか選択肢がなくなるわけで、それは公平性がなくなるのだと思う。罪を償うというが、何をしたら罪を償うことになるのか?死ねば罪を償うことになるのか?
裁かれてほしいと願っているがそれはどこまでの裁きなのか?そんなところ分からないわけで、それこそ個別の事例になってしまう。一般化するのは不可能な話で、国家が統治するための方法として、死刑制度を維持してきたというがその国家をそこまで信用できるのか?人の命を任せるられるのか?個人的には最低限任せる、つまり国家に人の命をどうこうさせない方がよいと思う
→その意見には反論というか、国家は司法・立法・行政が分かれていて(三権分立)、ある程度制御出来ていると思う。個人の想いなどで恣意的な運用が出来ないようにされているわけで、司法権の部分までいくのは話が飛びすぎている気がする
→現状死刑に関しての問題は、恣意的に運用される可能性があるという話で、また原理的に国家が命を奪うことを認めていいのか?ということ。国家は必要悪だと思っているが、日本の司法には憲法裁判所がないことから、日本はちゃんとした三権分立ではないと思う

・凶悪犯罪が起きない良い世の中になればいいなというのはその通りで。あと私は生まれ変わりを信じていて、人生は修行だと思っている。世界は不完全で、いろんな意識を持った方々が皆それぞれ愛を持ってお互いを認め合えれば犯罪もなくなるのではと思っている

・罪を償うことはなんなのか考えたとき、池袋の暴走事件は被告がもっと重罪になるかと思ったが、そうはならなかった(禁錮5年の実刑判決)。そう思ったとき、罪状で犯罪の重さを判断している国民だなというか、全体的に国民の(罪と罰の)認識がぼやけているのかなと
→池袋の暴走事故の判決は、上限を決めていた中でのMAX(の罪)というか。それこそ個々の犯罪に対して、罪を償うといことは各自で判断せざる負えないので、禁固何年罰金いくらと上限が決められているという話
→第三者が刑の大きさで罪の重さを判断するという話だが、(池袋の事件が)終身刑の方が望ましいのではと思ってしまうということは、国民の意識が極刑は死刑となっているということなので、まずは国民の意識を変えないと難しいのではないかと思う

・死刑について考えた時、被害者だけでなく第三者がすっきりするからあるのかなと。重罪人が生きているのは、嫌な気分だからという理由で死刑を認めている人がいるのではないかなと
→罪を償うことで、どうしてすっきりするのかと考えたとき、第三者が性格や人格を変えたいという願望というか、謝らせたいなど変質することで達成されることがスッキリの感情に繋がるのではないかなと。また(反省していないなど)人格の変質が望めないから死刑になるのでは?

・池袋の事件が死刑にならないのは、死刑とは故意に人を殺した場合に成り立つのであって、業務上過失致死は禁固五年が最高刑

・理想論ではありますが、死刑だと罪を償えないと思うので、更生できる施設があればいいと思う

・その人がやった行為が悪いこととして裁かれるわけで、死ぬ時まで人は人であるという話はまさにその通りだと思う。その人の存在を尊い命と罪を別にして考える必要があるのかなと。囚人が死ぬことによって救われる人もいるが、罪を償う選択もあるわけで。また今現在の死刑は絞首刑と聞いたとき、現代でもまだそのやり方かと驚いた
→失った家族は戻ってこない。犯人を最初は殺してやりたいと思うかもしれないが。また日本の死刑は残酷かという話だが、ヨーロッパの絞首刑や銃殺刑などは見せしめだが、日本では見せしめはされないので、そういった部分ではヨーロッパの方が残酷かと

・アメリカの終身刑のようになると「終わらせてくれ」と思うが、200年など重犯罪者が確実に出てこれないので安心という側面もある

・死刑を行うのは刑務官で、私たちと何ら変わりのない普通の人が行う。軍人など訓練を受けた人ではない。私たちに代わって行ってくれているということを覚えていただきたい




上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓








次回のてつがくカフェは、

10月16日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「お酒を飲むことは必要か?」です。



なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。



また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。



そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


てつがくカフェ@ふくしま Twitter

てつがくカフェ@ふくしま Facebook 


それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。
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てつがくカフェ@ふくしま2021.9.18. 「死刑は有りか?無しか?」

2021年09月01日 20時50分01秒 | 開催予定
9月は「死刑」について問い、考え、語り合いたいと思います。

てつがくカフェ@ふくしま2021.9.18.
【テーマ】「死刑は有りか?無しか?」
【日 時】2021年9月18日(土)
     16:00~18:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】会場参加:不要 (直接会場にお越しください) 
        オンライン参加:要(問い合わせ先までメールをお送りください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp







今回も会場とオンラインの同時開催となります。

会場参加をご希望の方は、お申し込みは不要となりますので、直接会場にお越しください。

また【「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針(2020年7月10日現在)

の記事をお読みいただき、マスク着用等のルールを守ったうえでご来場いただければ幸いです。



オンライン(Zoom)参加をご希望の方は、

オンラインミーティングにアクセスするためのURL等をお送りいたしますので、

問い合わせ先まで参加申し込みのメールをお送りください。



さて、今回は参加者の方からリクエストのあった

「死刑」がテーマとなっております。



「死刑」は生命を奪う究極の刑罰であるため、

人道的また人権保障の観点から

国際的に死刑を廃止している国が多いのが現状です。



一方、日本は主要先進国の中でも

死刑制度を維持する数少ない国の一つとなっております。



また2018年に行われた死刑制度に関するアンケート調査では

死刑容認派が多数を占める結果となりました。



死刑制度の存続と廃止に関するそれぞれの主張について

こちらの資料でまとめられていたので、一部抜粋して紹介します。


【死刑廃止の立場】

・ 残酷で野蛮な刑法であるため

・死刑廃止は国際的潮流だから

・一度執行すると取り返しがつかないから(冤罪問題)

・死刑に犯罪を抑止する効果が果たしてあるのか?

・どんな凶悪な犯罪者であっても更生の可能性はある


【死刑存続の立場】

・人を殺した者は、自らの生命をもって罪を償うべき

・国民の一般的な法感情として死刑は妥当という考えがある

・冤罪が許されないのは、死刑以外の刑罰も同じ

・死刑制度の威嚇力は犯罪抑止に必要

・凶悪な犯罪者による再犯を防止するためにも必要




上記のように死刑制度をめぐる議論は、

専門家の中でも意見が分かれており、

また宗教、哲学、国情などが複雑に絡む極めて重いテーマであるため

現在に至るまで、様々な論点をめぐり対立してきました。



そんな存続論と廃止論の溝が深い

「死刑」という刑罰について

法学者や犯罪心理学者といった

その分野のエキスパートではなく、

専門的な知識がなくても参加できるてつがくカフェという場で

皆様と一緒に議論していきたいと思います。




「てつがくカフェ@ふくしま」は

死刑制度に賛成の人も反対の人も

誰でも気軽に対等に、

安心して何でも話し合える場です。

初めての方もお気軽にご参加ください。
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シネマdeてつがくカフェ報告2021.8.22. 『おもひでぽろぽろ』

2021年08月23日 20時54分05秒 | シネマdeてつがくカフェ記録
8/22(日)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。




今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

会場には5名、オンラインでは2名の計7名の方にご参加いただきました。




映画上映会が14時から、

シネマdeてつがくカフェは上映会後のセッティングもあり16時15分から始まりました。







ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。



【映画の感想】

・観終わった感想として、「若いと縁談があっていいわね」と思った

・題名がなぜ「おもひでぽろぽろ」なのか?旧仮名遣いである理由は何だったのか?思い出がぽろぽろ出ているのかな?という疑問が浮かんだ
→「おもひで」という字に時代錯誤な印象を受けた

・山形の自然や教育の在り方に対して、特に教育に関してはギョっとした想いで、まさに「昭和の教育だな」と感じた

・田舎の(百姓が)田畑を作った話で、(人間の手を入れて作ったという点から見れば)「都会のビルとかと一緒」というところは、確かに田舎も都会も同じだと感じた

・結論的にはハッピーエンドになったという理解で、それでいいんだなと思った。またタエ子さんが最後バスに乗って子ども時代の(10歳の)自分が(今の自分の)顔を伺う様子も印象的だった

・それぞれエピソードで「昔のはこうだったんだな」と思うし、細かいディティールも作りこまれていると思うが、個人的には星一つ以下の評価の映画。「握手してやんない」という阿部君のエピソードは、(タエ子という人物を紹介する導入として)最初に持ってくるシーンでは?(作品の構成が)安易というか、私はこういうのを抱えているという部分であるのに。あと、オーラスをかっこよく作るのは実は簡単で、人物も浅いし、ステレオタイプ。はだしで出てきたタエ子をお父さんがひっぱたくシーンは意外性もあって良かったが、トシオなどはありがちな田舎のキャラクター設定。テーマ性にしても、自然の話を入れて「どこまでが自然か」というのも掘り下げが浅い。これだれが褒めてるんだろう?というのが正直な感想
→阿部君の話は、彼から受けた言葉の傷が本家から結婚の話を持ち出された時にやっと思い出すことが出来たと解釈すれば、(序盤など)別の場所では出せなかったのでは?縁談を進められた際に自然や田舎で暮らすという覚悟もなかったわけで、この映画はこうとしか描けなかったと思うし、あれ以上掘り下げられないのでは?

・映画の評価として、王道中の王道という話で、ラストもセリフなしに観客に訴えるところを見ると(その後の展開は観客に)丸投げという印象

・あの後二人が結ばれるとして、その後の二人はどうなっているのかなと。あと(舞台が山形なので)山形の人が見たらどういう感想なんだろうと。自分の地元と都会を対比した場合、どういう感想だっただろうかと思った
→「なんで山形が舞台なんだろう?」と考えた時、紅花摘みの話を描きたかったのかなと(山形特有の体験)
→東日本大震災でもコロナでもあまり影響がなかった土地で(山形は)「運がいいなぁ」と感じた
→紅花と女性が着飾る話などは深く考えていけば、考えさせる話にもなるが、一つずつ突っ込んで行くと作品として散漫になる

・制作意図として、色んな事を通じて変わっていくということを描きたかったのではないかと。それが良くなることもあるし、悪くなることもある。ようは人格の形成の話かと

・正直終わった後の感想は、あっさりしていたなと。登場人物の葛藤があまりないというか軽いものに感じた

・映画の中で各エピソードを懐かしんで、そして(1991年の上映から)現代でさらに30年たっていて、という時代性が何層にもなっていく映画だなと思った

・この映画が好きなコアなファンはいて、(映画に対して批判的なこと言うと)全てを弁護してくるという体験をした。ただ「昔の映画だし、さらに昔の話をしているな」では済まない何か普遍的な話として捉えられるかなと思う
→作品を擁護してきた話の中で、「なるほど」といった意見はあったんですか?
→「その人から見たらそう見えるのね」と思うことはあったが、「あなたの意見はそうなんですね。ただ僕の意見はこうです」みたいな対立点は対立点のままで。とくに家庭教育の中で理不尽なのは、学芸会の演技から大学の演劇から出演依頼が来る話で、今だったらあんな潰し方ないなと批判したら、「いや演劇というのは大変なんだから生半可な覚悟で…」と擁護されたが、子どもの演技でオファーがあったのだから、役者になるとか関係なく(タエ子さんの)人生における豊かな経験になったのではないかなと思った
→大学から舞台に誘われる話も、今の時代(YouTuberなど)インターネットで顔出して「動画配信なんて」と親に潰されることもあるので、そこは各家庭の意見であって、時代性とは違うと思う

・子どもの頃の思い出が嫌なものばかりで、都会=悪いものみたいな、都会からタエ子を解放する話にも思える

・古いエピソードだからだめではなく、「あの時代を描いているな」という感想

・ウィキペディアを見ていたら、週刊誌に半年連載した話を映画化したということなので、かいつまんで映画にしたから広田君(野球少年)との恋話も、とてもいい子なのにそれっきりで肩透かしを食らった
→漫画のエピソードを取り上げるがただ並べているだけで、誰かの思い出話をただ聞かせられているように感じた。強弱付けてエピソードを展開していけばいいのに話がバチっと途切れているので、何がメインなのか分からないし、(話同士の)繋がりもなく全て平坦にしてしまっている

・登場人物の出し方が極端に感じた。タエ子の家族も回想でしか出てこない


【時代背景】

・当時の風土が色々出てくるが、「生理」の話は体育館に女子だけ集めて教えるというやり方ではだめでは?また、野球も男子だけが参加して、女子は見学という授業風景にも疑問。昔の方が男性と女性ではっきりと区別されているというのが分かった
→性教育の話も、その時代性を描き出しているだけでは?

・映画の序盤、タエ子が会社に10日間の休暇を申請した時に男性の上司から「失恋でもしたの?」という発言に、今の時代だったら問題になるだろうなと思いながら観てた

・「こんな時代だった」と(リアルに)描いているので、現在の価値観で色々と批評するのはどうかなと思う

・山形についてトシオが有機農業について語っていたが、人が手を加えないのが「自然」ではなく、人が手を加えて生活を営みながら創り上げているのが「自然」だという主張には賛同
→人間観と自然観の話を対立的にとらえると、「手つかずの自然」という純粋な自然は人の目に触れるものとしてそうそうない。どの自然(や田舎)も百姓の手が加わっている。昔、模擬授業で自然の大切さを伝えたいという学生がいて「安積疏水(福島の状水路)」の授業案を作ってきたが、学生からしたら緑豊かな場所だから自然という解釈だったのだろうが、「それって自然じゃないだろう」って思った。自分は人工物という解釈で、ただ彼からするとそれが自然と捉えている。単なる二元的なものではないというところは「なるほどね」と、「そういう風にとらえているのね」と感じたのを覚えている
→人が生活する場所で、そんなに(自然として)ピュアなところはないと思う。「人が手を加えたら自然じゃない」と言ってしまえばそれは人類が滅んだ後の話になってしまう

・今東京で暮らしていて、東京以外住んだことがないので分からないが、(個人的に)田舎にあこがれを持ったことがない。あと舞台が山形である必要性は無いのではと感じた。また、最後に二人がどうなるかわからないが、都会と田舎の人間関係は全然違うと思うし、時代背景として「恋人出来たのか?」なんてプライベートなことを(遠慮なく)質問してくるわけで、田舎暮らしは生易しいものじゃないし、リアリティがなく白々しく感じる

・お父さんの在り方というか、昭和のありがちな姿で描かれていて、あれは「躾」という名の暴力。お父さんはその後どういう風な年の取り方をしたのか気になった
→お父さんが娘を叩いたシーンは不思議に思った。凄く間があるシーンで、これまでタエ子は色々とわがままを言ってきた中で、何であそこではたく必要があったのかと。唯一タエ子が父親に手を挙げられた体験だったわけだし
→あのシーンはお父さんの何かの琴線に触れて叩いたと思う
→女の子が靴も履かずに外に出ることが許せなかったのでは?「女の子らしくあるべき」とかそういった父親が持つ価値観から外れたから叩いたのだと解釈したが、ただ叩いた後のことまで考えていない衝動的な行為に感じた(叩いた後のフォローもなくばつが悪そうな佇まい)
→父親が(タエ子のわがままを)受け止めてあげなかっただけかなと。また、そこだけで終わったので勿体ないなとも感じた。しかも叩かれたのはその一回きりで、もっとタエ子がわがままを言ってきたこともこれまであっただろうし、突発的ではなくじんわりとこみ上げて手をあげたシーンだと思うが、だとしてもいつも甘やかしているお父さんがなぜ?と思う。あの一連の流れで子どもが駄々をこねるのは(子を持つ)親として理解可能だが、あそこで父親が叩いた理由がいまだに不明だし、納得が出来ない
→作劇上の話として、なぜそのシーンを大事にしないのかと思う。なぜ話の軸に添えていかないのだろうか
→おばあちゃんがタエ子に「わがままだよ」といって渇を入れているシーンもあり、単にわがまま放題で育てられたわけではないと思う

・分数の割り算もタエ子が図を書いて「なぜ?」と疑問に思ったことを家族が潰した。もしかしたら論理的才能が目覚めていたかもしれないのに
→「将来分数の割り算がすんなりできた人は、そのあとの人生もすんなりいくらしいのよ」というセリフは確かに納得できるところもあるが、「なぜ?」という疑問を持つことは素晴らしいことで、あれを説明しろと言われて説明できる大人は中々いないよなとも思う

・演劇のシーンもセリフに無いことを加えたりしたことが周りに潰されたりしたが、クリエイティブなことで評価されるべきだが、いかんせん作品がそれをつまんなくしている。なぜ面白いところを深く掘り下げないのか疑問。父親がタエ子を叩く場面も逆に一番いいシーンで、あそこで予想できた人はいないはず。だからこそいいのに、そこでやめてしまう。なにかの沸点に達して切れただけに見える。だったらもっと掘り下げろよと言いたい

・新しいなと思う場面もあり、移住とか80年代に田舎に行くという姿勢は今の人に通じるなと思った

・作品に出てくるファッションで気になったのは、時代考証をしていてその時代に無いデザインは出てきていないのか、それとも今の感性に合わないものは出してないのか。ダサいとは感じなかったので、今見て不自然な服は省いたのかと疑問に思った
→当時としては、人々のファッションへの関心も高まってきたのでよくなってきつつあるのかなと
→アニメなのでみすぼらしい姿を描くのは難しいのでは?
→スタジオジブリなので時代検証はしっかりやっていると思う。(ファッションなども)多分間違いないと思うし、寝台列車の描写はしっかりしていた

・違和感を覚えたのは、タエ子と姉妹や母親との関係が現代的すぎるところ。もっと封建的な感じではなかったかと。当時はもっと暗かったし、もっと「我慢しろ」の時代だったのでは?
→反対意見として、別の漫画で考えると「サザエさん」に出てくる子どもたちも格好がみすぼらしかったり、暗い感じではないのでそれが全体ではないのかなと
→自分の兄弟関係を思い起こしてみるとやっぱろ違和感があるし、もっと貧しさがあっても良かったのでは?
→オリンピックの翌年(1965年)の話で、経済成長の中でも格差があったので、(貧しさとは無関係の)全然違う家庭環境はあったと思う。ただ(家が貧乏だったという)阿部君はもっと丁寧に扱ってやれよと思う

・「ひょっこりひょうたん島」は自分も見ていたし、タエ子の年齢と大きくは離れていないが当時らしい偏見も見受けられ、「あの頃はああだったよな」と思う。今じゃ考えられないような、セクハラの概念もないし、(映画が公開された)90年代前半でも禁煙車両が2両しかなくあとは全部喫煙車両みたいな。そう考えると今はだいぶ変わったなと
→タバコも子どもの前で平然と吸っていたし

・給食のシーンにもあるように「食べ物を残してはいけない」とあの当時は今よりももっと食べ物を大切にしなければならない時代で、そう教わってきた世代の高齢者が、今は(メニューも豊富で自分で選んだのにも関わらず外食などで)「高齢者だから」という理由で食べ物を残す姿を目にすることが多いので、そこに疑問を覚える(高齢者の「食品ロス」の認識に疑問。高齢者だからといって許される問題なのか?)
→食料が豊かな状況では仕方ないのかと
→昔の給食は全部食べるまで帰れないみたいなひどい話もあり、アレルギーなどの話はなかった

・風邪でも学校を休まないというのもあの当時の話で、今は(コロナもあり)熱や咳など体調不良であれば休まなくてはならない

・パイナップルはなんでまずかったのか?千疋屋の果物なのだから不味いことはないと思うが
→熟していなかったのでは?
→缶詰で慣れていると違いに驚く
→バナナが果物の王様というのは同感



上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓







次回のてつがくカフェは、

9月18日(土)16時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは「死刑は有りか?無しか?」です。



なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。



また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。



そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


てつがくカフェ@ふくしま Twitter

てつがくカフェ@ふくしま Facebook 


それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。

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8月14日(土)シネマdeてつがくカフェ開催日変更のお知らせ

2021年07月28日 10時53分30秒 | 「てつがくカフェ@ふくしま」について
大変申し訳ございませんが、

8月14日(土)に予定しているシネマdeてつがくカフェにつきまして、

事情により、下記のとおり22日(日)に変更いたしましたのでお知らせいたします。

既に予定を立てられていた皆様には大変ご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。

どうかご了承のほどお願い申し上げます。


シネマdeてつがくカフェ2021.8.22.
【課題映画】『おもひでぽろぽろ』
【日 時】2021年8月14日(土)22日(日)に変更
     14:00~16:00 課題映画鑑賞会
     16:00~18:00 シネマdeてつがくカフェ
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】会場参加:不要 (直接会場にお越しください) 
        オンライン参加:要(問い合わせ先までメールをお送りください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp






時間帯につきましては、変更はございませんので

14時から映画『おもひでぽろぽろ』の鑑賞会

16時から映画を観た感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。

はじめての方も安心して参加できる対話型のイベントとなっておりますので、

奮ってご参加くださいますようご案内申し上げます。



なお、オンラインの参加にあたっては、

各自課題映画の『おもひでぽろぽろ』を鑑賞のうえ

fukushimacafe@mail.goo.ne.jp 宛てに参加のご連絡をください。

折り返し「Zoom」会議のURLその他を送らせていただきます。

「Zoom」の場合、専用のアプリをインストールしたり、

「Zoom」のアカウントを作成したりしなくとも、

お使いのブラウザでご参加いただけるはずですが、

心配な方は専用アプリやアカウントをあらかじめご準備ください。
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シネマdeてつがくカフェ2021.8.22. 『おもひでぽろぽろ』

2021年07月20日 07時00分00秒 | 開催予定
8月はシネマdeてつがくカフェを開催いたします。

課題映画は1991年に公開されたスタジオジブリの作品『おもひでぽろぽろ』です。

シネマdeてつがくカフェ2021.8.22.
【課題映画】『おもひでぽろぽろ』
【日 時】2021年8月14日(土)22日(日)に変更
     14:00~16:00 課題映画鑑賞会
     16:00~18:00 シネマdeてつがくカフェ
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】会場参加:不要 (直接会場にお越しください) 
        オンライン参加:要(問い合わせ先までメールをお送りください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp





同日の14時から課題映画の鑑賞会を行いますので、

『おもひでぽろぽろ』を観たことがない方や

観たことはあるけど、どんな話だったのか忘れてしまった方などは、是非ご参加ください。


また、会場参加の方は、お申し込みは不要ですが、当ブログに掲載されております、

「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針(2020年7月10日現在)】に従い、

マスク着用等のルールを守ったうえでご来場いただきますようお願い申し上げます。


なお、シネマdeてつがくカフェのみ参加の方やオンライン参加の方は、各自映画を鑑賞の上ご参加ください。




『おもひでぽろぽろ』は有名な映画ですし、地上波でも何度も放映されましたので、

ご覧になったことのある方も多いのではないでしょうか。

東京生まれ東京育ちの岡島タエ子が、ある夏、休暇を取って姉の夫の親類の家を訪ねます。

山形へ向かう夜汽車の中、田舎にあこがれていた子ども時代を思い出し、

現在(1982年、27歳)と小学校5年生の時(1966年、10歳)を

行ったり来たりしながら話は進んでいきます。



2013年に、世話人の小野原が、当時てつカフェの常連だった方に薦められてこの映画を見て、

自身のブログに2本の記事を書きました。

以下のブログ記事は映画鑑賞前には読まないほうがいいです!)

『おもひでぽろぽろ』 に見る昭和時代の家庭教育

『おもひでぽろぽろ』 の自然観

とりわけ最初の記事は映画に対して批判的な内容だったため、

ものすごい数のアクセスとコメントが殺到しました。

ブログ内容に共感するコメントもなかったわけではありませんが、

ほぼほぼ炎上状態だったと言ってさしつかえありません。



さて、映画公開から30年、物語の舞台から45年、

ブログ炎上から8年経った今、この映画を見たら皆さんはどう感じるのでしょうか。

映画について何でも自由に語れるシネマdeてつがくカフェという場で、

改めてこの映画について語り合ってみたいと思います。



「シネマdeてつがくカフェ」は

映画を観て感じたこと、考えたことを、

安心して何でも語り合える場です。

初めての方もお気軽にご参加ください。

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てつがくカフェ@ふくしま報告2021.7.17. 「インターネットは社会をどう変えたのか?」

2021年07月18日 13時00分00秒 | 定例てつがくカフェ記録
7/17(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。


今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

真夏日の中、会場には8名、オンラインでは4名の

計12名の方にご参加いただきました。





定刻通り16時から始まりました。

ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。

【社会の変化について】
・何でも調べられるようになったことで百科事典は売れなくなったが、(その結果)網羅的な知識は得にくくなり、(事件やニュースなどの)全体像をとらえるのが難しくなった
→百科事典は今や紙媒体では買い取ってくれないし、昔の動かない決定された事項を啓蒙する役割からオンライン百科事典やウィキペディアなど日々アップデートしているため知識のあり方も変わってきた
→質・内容に関して全部変わったというのがインターネット社会の一面だと思う

・ブログで紹介されたインターネットの普及率をみると、自分はスマホも持ってないという少数派の一人になっていた
→日本国民の多数がインターネットを頼っているといえる
→「直接性」というか、(社会の変化として)コロナの関係もあるのか、人と人との関係が薄くなっている気がする

・(インターネットが普及したころの)初期は、性善説に基づいて条約・議定書が作られたが、「トロイの木馬」などのウイルスが登場するなど、(ネットの世界が)自然と性悪説となって安寧に通信を共有できない時代になった

・自分はネットもしないし、なくても生活に支障もないので、インターネットが登場する前の時代(1995年以前)に戻れないか?と思ってしまう(最近疲れてしまった)
→制御が効かない状態ではないかと、心配することが多い
→反対の意見として、もはやインターネットのない時代(1995年以前)には戻れないと思う
→ネットでお手軽に調べられて楽だし、あると便利な状況なのでついつい生活の要所要所で使ってしまっている

・コロナは大学にとっても大パニックで、大学は一時閉鎖するなど危機的な状況だったがネット環境のおかげで講義は続けられた
→Zoomでの講義や会議が当たり前になってしまったので、コロナ以降はネットのない時代にはもはや戻れないのでは?

・チャットやアプリなどハンドルネームしか分からない相手と交流するといった、実生活(リアル)の接点がない交友関係を持てるようになった

・昔は権力の側は、市民が何を考えているのか調べようとし、それを市民の側が阻止する動きだったが、今は個人が自分のプライベートを(SNSなどに)載せる時代となった
→簡単に個人が特定でき、むしろ自主的に広めようとしている時代になって、社会全体で見た時に昔と比べた時に公私の関係性が逆転した
→個人が情報を開示する動きは、昔から変わっていないのでは?
→昔から井戸端会議をしているし、情報を伝達する技術が進歩(拡大)しているだけでは?
→反対の意見として、井戸端会議とインターネットは決定的に違うと思う
→SNSなどで情報はあっという間に世界に広がるのに対し、井戸端会議は半径三メートルの世界での情報の共有で根本的に違うように感じる

・経済状況から、食べていくためにYouTuberの中でも違法行為で動画の再生数(広告料)を稼ぐ人も出てきた
→インターネットの時代になってYouTuberなど新しい職業が出てきて、今や子どものなりたい職業ランキングでも上位となっている
→(ライブ配信だけで生活する)「ライバー」と呼ばれる職業もあり、視聴者からの投げ銭システムで収入を得るなど自身のタレント性でお金を稼げる時代
→昔はテレビタレントでなければできなかったことが、自宅で手軽に出来る(一般の人が自身のタレント性を活かして収入を得られる)
→インターネットで新たな職業が生まれることは、産業革命に匹敵するような出来事だと思う
→社会構造が変わってしまったので、生まれる職業もあれば廃れる職業も出てくる

・ドローンを使って人を殺すようになるなど軍事面におけるコンピューターの活用は目覚ましいが、国家という縛りの中で殺人を犯すというのは、よく考えるととんでもない話
→技術は無法で、どんどん移っていく(伝播する)ため、将来的に人類は破滅に近づいていくのでは?と危惧している
→「AI(人工知能)の戦争」も資源とエネルギーの限界があるため、最後は人間の良心にかかってくるのでは?


【エリック・シュミットの格言について】
・ポスターにも記載されていたエリック・シュミット(Googleの元CEO)の格言を見るに、(インターネットが無政府主義になることを)やはり意識していたんだなと思う
→インターネットには法廷や裁判所がないなど疑似的な社会を構成する国民国家の権力がないので、色んな使い方が出来てしまう(SNSを使っていた香港のデモなどの事例)

・インターネット社会は無政府主義的に見えるが、中国やミャンマーを見ているとむしろ逆に思える
→国がインターネットを遮断してしまっているし、技術としては電波・無線を使っている限り、国家なしにインターネットを活用できないのが現状
→ビッグデータの前提として、個人情報を登録しないと利用できない
→GAFA(「Google」「Apple」「Facebook」「Amazon」の米国のIT企業4社)は、個人情報を利用して儲けている

・「無政府主義の壮大な実験」というが、人間は無政府主義に耐えられるのかが疑問
→社会的な生き物として統一や関わりを上手く維持するには、決まりごとや約束が必要で無政府状態ではいつまでも続けられない
→無政府主義だとインターネット自体動かないのでは?勝手に個人でどうこう動けるというものではないのでは?

・格言については正しいと思っている
→世界には6000を超える言語があり、共通の意思疎通が必要
→無政府主義というよりも、20世紀初頭にあった空想社会主義に向かっていくのでは?
→一旦カオスを経験して、それから阿吽の呼吸の境が出来上がるといったこれからの変わっていく社会とのせめぎ合いがあるのでは?

【検索システムとしてのインターネット】
・かつてインターネットは検索システムであり、GoogleなのかYahoo!なのかどこが勝つのか?またどうやって儲けるのか?と考えていたが、彼らのやりたかったことは端的に言えば世界征服だったのではないかと思う
→世界中の情報(知識)を集め、巨大な組織が世界中に根を張る今の現状はまさに仮面ライダーなどに登場する悪の組織(ショッカー)のよう

・検索機能は、一方で個人情報を得るためのサービスであり、利益に結び付く業界がインターネットに力を入れている


【インターネットの危険性について】
・オバマ元大統領がトランプ前大統領を罵るといった「フェイク動画」などは、信じたい人は信じてしまう
→何がほんとで何が嘘かを調べる意識が必要
→一般市民ベースで何が正しいか調べる動きもあるが、インターネットが登場してやっと生まれた

・ネットの嘘の情報については、トランプ前大統領やウクライナの政府などが利用していたことを思えば、インターネットの影響は大きいといえる
→嘘のツイートをすると、あっという間に広まって消すことが出来ない
→個人では想像ができないほど世界が広がっている
→リテラシーのない人や悪用しようと思えば容易に出来る

・(Facebookなど)「いいね」の数が何件かで喜ぶ様子を見ると、人間は単純化していって、そのうちインターネットが人間を征服してしまうのでは?と思うことがある

・ネットサーフィンに関する論文の中で、1日10時間行ったという実験の結果、薬物中毒と同じ症状(攻撃的・興奮状態)がみられ、脳にも悪影響があると記されていた

・インターネットの登場で、人間の本質が変わってしまったのではないか?
→ホモサピエンス2.0ともいえる人類の誕生では?
→ただすべての人間が変わる訳ではなく、旧人類(古い人間)は淘汰されると思う

・ファクトとフェイクの関係についていえば、もっと事実とは何なのか?嘘とは何なのか?きちっと意識しないといけない
→情報量が多いと嘘もほんとになる恐ろしさがある

・インターネット社会はトライ&エラー
→ピースサインの写真から指紋が盗まれ悪用されるなど、痛い目を見て気づく
→自己と他者の位置づけを測る時代
→未分化(まだ分かれて発展するまでに至っていない)で不安定さを抱えながら、意思を共有していく
→常に危うさを抱えているため、一度立ち止まらないと難しい

・パソコンなどに使用されているリチウム電池は再利用できない
→将来にわたってインターネットを使用するにあたり、どのようにエネルギーを確保していくのか?
→あやふやで不安定な今のエネルギー事情を理解すべき(いつかは尽きるエネルギー枯渇問題)
→次のハードウェアにどう移行できるのか?(紙に戻らざるを得ない時が来る)

・単純で極端な意見や思想が盛り上がるなどSNSでは二元論と感情論が目立つ
→仲間内で徒党を組み、意見の異なる他者をブロックする
→意見の相違や解釈の違いを認めたり、議論を楽しんだり、対話を通して新しい価値観に気づくこともできるのでは?
→多様性を理解すれば、一方的で偏った思想や意見を考え直すのではないか?
→世界中の人々と出会えて、同じ趣味の人とも出会える一方で、ある特定の人としか会わない(タコつぼ化)
→極端な意見や思想もちゃんと調べればそうではないと分かるようになるのでは?


【情報社会について】
・グローバル化が進んでいく中で、情報自体が変わりやすすぎる
→情報=表現だと思うが、それが目まぐるしく変わっていき、すぐ忘れて次の情報に移るといった混沌の社会になっている
→変化の速度が益々早くなっている

・マイナンバーが普及していないことや役所の縦割りなどを見ると日本の情報化の整備は遅れていると思う

・「Suica」 や「PASMO」といった交通システムのサービスは、以前からセキュリティの脆弱性が指摘されている
→ウイルスが感染すると全てのシステムに移ってしまう
→便利なシステムだがビッグデータで全部捉えられている
→利便性と危険性の両面あるということを考えないといけない



上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓






次回のてつがくカフェは、課題映画を観て感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。

課題映画は1991年に公開されたスタジオジブリの『おもひでぽろぽろ』です。

8月14日(土)22日(日)に福島市市民活動サポートセンターで行いますが、

当日は14時から課題映画の鑑賞会、

16時から映画を観た感想を語り合う「シネマdeてつがくカフェ」となります。


会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。



なお、16時からの「シネマdeてつがくカフェ」のみ参加をご希望の方、

またはオンライン参加の方は、

上記の課題映画を各自鑑賞のうえ、ご参加ください。


そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。

てつがくカフェ@ふくしま Twitter

てつがくカフェ@ふくしま Facebook 


それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。
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