てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

触って、話して、見て楽しむワークショップ報告

2016年11月03日 17時59分09秒 | アートdeてつがくカフェ記録


さわって・話して・見て楽しむワークショップが福島県立美術館で開催されました。
午前中の部には、視覚障がい者の方々5名と美術館友の会の方々5名、ファシリテーター、午後は視覚障がい者5名とてつがくカフェ@ふくしま参加者5名、ファシリテーターによって行われました。

まず主催者である県美の荒木さんから今回のワークショップの趣旨が説明され、参加者同士の自己紹介の後、真下弥生さんからロダンに関する紹介がありました。

「地獄の門」はロダンが37年間作り続けた作品だが、今回触察する「影の頭部」は地獄の門のてっぺんに「三つの影」という題をつけられた3体のうちの一体の頭部です。
実際には、その3体が向かい合って首を下にもたげていていますが、表情はわかりません。
今回扱う頭部の作品は正面を向いているので、表情もわかります。
ダンテの「神曲」は地獄と天国をめぐる話ですが、これをモチーフにした「地獄の門」の入り口には「汝ら個々に立つものは一切の希望を捨てよ」という言葉が書かれています。
また、ロダンの作品はほとんど人間の姿を作ったものばかりだが、想像ではなく必ずモデルを観察して作っていた作家ですが、その彼の言葉に「偉大な彫刻家は画家のように一流の色彩家なのだ」というものがあります。
こうした言葉をヒントにしながら、今回扱うロダンの作品を鑑賞してみましょう。


この後、3グループに分かれ、それぞれ15分ずつブロンズ彫刻の「影の頭部」と「髪をすく女」、さらに県内作家による制作途中の作品を触らせていただきながら、視覚障がい者と健常者とが対話をしながら鑑賞する作業に取り組みました。
そして、鑑賞終了後に30分間の哲学カフェが行われました。

午前の部の記録は県立美術館さんのブログをご覧ください。
http://www.art-museum.fks.ed.jp//index.php?key=jolkinwi1-388#_388

以下は、午後の部の対話記録になります。

 

※【視】=視覚障がい者の参加者 【健】=健常者の参加者 【フ】=ファシリテーター
【視】いつも美術館では触らないで下さいといわれるけれど、最近はレプリカで触れさせてもらえる機会が増えました。大宰府の博物館では手で触れる博物館としてオープンしたと聞いたことがあります。それはどういうきっかけかというと、全盲の奥さんに旦那さんが説明しているという姿を見た館長さんが、色々な人に作品を触れてもらえる博物館として出発させたと聞いています。それ以降、触れられる美術館が増えたました。私は盲学校の教員でしたが盲学校設立100周年の時に、ロダンの作品などを東京の美術館の協力を得て実施しましたが、今日、こういう機会を設けてくださって感謝しています。視覚障がい者は触れないとわからないので、こういう会を開催してもらえればありがたいです。

【視】弱視なんだけれど、その時によって見えることもあります。つい見たくて近づいてみようとすると、注意されるのですが、やっぱりそういうのはダメなんですかね?

【視】私も初めて触らしていただいて、小さい作品はわからなったけれど、大きい作品ははっきりわかってよかったです。親切に教えてもらえたので、本当にありがとうございます。

【健】今、お話ししてくださった方と同じ班だったのだけれど、特別な体験をしたような気がしました。美術作品は目で見てきた自分だけれど、一緒に触ってみて、皆さんと確認しながら自分のものにしていく体験が新鮮で、みんなで共有した感じがします。今でもひんやりした作品の感覚が忘れられなくて、ただ見ただけではその作品はわからないけれど、触ってみることを通しては全然違う経験でした。一緒に触ってくださった方に感謝です。

【フ】「触る」のだと部分から全体に広がる違いもあるかもしれませんね。

【視】私は弱視ですが、触ってわかる場合と見てわかる場合がありますが、触った場合と見た場合が全然違うこともあります。年度は目が開いているのか閉じているのかわからなかったし、粘土で触ったのは初めてです。細い足も、触っただけではわかりませんが、見てわかるものでした。

【健】今までは見るだけだったんだけれど、触ってわかったのは作者の視点で触って、作者になっているんじゃないかなという視点で見ることができたことです。粘土の作品も、仕上がったものではないけれど作者の視点で見ることができました。

【フ】たしかに、作者がつくる過程は隠されている部分ですね。

【視】いつも美術鑑賞では一緒についた方が説明してくれますし、それに近いイメージを頭の中で作るわけですが、しかし何かピンと来ない部分もありまました。今回のワークショップでは自分が納得するまで自分の手で触れることで、そのイメージがより鮮明になった気がします。より立体的にイメージが作られる、これは非常に素晴らしいのではないか。どうしても我々ふれる機会がありません。触れることが視覚障碍者には一番大事なことです。岩手盲学校の桜井さんは手で触れる博物館をつくって、それを視覚障がい者は観に行った方も多いでしょう。それ以来、健常者といっしょに取り組むという企画は、最近こういう風潮が出てきたのではないか。お互いに気が付かないところを補い合えるということで、素晴らしい取り組みをしているのは東京の方で色々な団体や美術館が取り組んでいることは知っていましたが、いよいよ福島にもそれが来たのだなぁと、そう思っていました。福島県の美術館の取り組みは早い方ということですばらしいです。

【健】今、話されたことと関係ありますが、私が視覚障碍者の方に説明をしていて躊躇いを感じた部分があります。僕が感じているのを話しちゃっていいのかなとためらいが生じたことが自分自身の中で新鮮でした。普段は自分の勝手な解釈で、一方的に観ているわけですが、今回は視覚障碍者といっしょでこの説明の仕方でいいのかなと、ためらいを感じながら説明しました。触覚の想像力みたいなものが、ここから膨らましていくのも一つ加わってくるようなそんな感じが、兆しがしました。

【視】触ってみて、ぼこぼこ感とかみたいなのは触ってみないとわからないんですよね。弱視だから、見えることはあったのですが、さわってみて全然違うんですよ、見えている方の意見も大事なんですよ、自分の中で触ってみる想像力もあれば、見える人の意見からも想像力が膨らみます。

【健】過去に視覚障碍者とのワークショップに取り組んだことがありますが、今回は自分の意見を言っていいんだなと逆に思いました。観て触って、自分が言った感覚を、さらに相手に触って確認していただいて、そういうことが見える人が感じるのだなと感じてもらえればいいのかなと思いました。これがお子さんや途中で障害を負った方などは難しいと思うんです。触覚は小さいころから経験を積んでおく必要があるのかなと思うので。

【健】率直な疑問なのですが、目の見えなくなった方は、途中から見えなくなった方は見えていた時の記憶があって像を結びやすいと思うのですが、初めから見えずに過ごしてきた方の触覚の仕方はまた違うのかなと思うのですが?

【視】私は小学校前から見えないんですけれど、展示会とは個人的な趣味でスカイツリーってどんな形しているのかと思うと、デパートでおもちゃを触るのですが、大きすぎるのは把握できない。同じ新幹線なのに、どうしてこんなに形が違うんだろうと思うんです。おもちゃですけれど、自分自身を納得させる。だから私の場合はただのおもちゃじゃないんですよね。みんなに何でこんなに集めているのと言われるんだけれど、知るためにはどうしても必要なので、けっきょく全部集めたくなるんです。だから機関車と客車が違うとか、だんだん覚えているんですよ。ロダンの場合は、前に全身像を触ったことがあります。全身像、特に裸の像なんかは、たくさんのイメージが生まれるんだけれど、今回の作品はイメージがわかりにくかった。今日見たのはどれ見てもざらざらのが多く、同じロダンさんの彫刻でも違うんだなぁと思いました。


午前の部の話し合いも興味深い内容でしたが、今回は哲カフェ参加者が参加された午後の部の記録のみにとどめさせていただきました。
会の終了後の反省会では、健常者視覚障碍者の方々から、この経験を両者で共有できる機会があったことに意味があるというご意見をいただきました。
まだまだ健常者と一緒に何かを共有するという場が少ないという視覚障がい者の方々からの生の声は、ふだん意識しないバリアがごく当たり前に存在していることに改めて気づかされたものです。
また、健常者に親切にしてもらえることはありがたいのだが、しかし視覚障がい者の立場からすれば、健常者ができることを当たり前のように自分で選べる環境の実現を望んでいるという言葉も心に残りました。
これは親切が不必要だということではありません。
そうではなく、そうした親切な手助けを必要としなくてもお互いに、負い目なく自分で自由に選択できる社会環境を築いていこうとすることです。
こうした話も情報としてはどこかでしっているのかもしれませんが、実際にお互いに顔を突き合わせて初めて伝わり、理解を進めるものになります。
今回、こうした機会にお誘いいただいた県立美術館の皆様にはもちろん、色々な形で関わって下さった皆様には心より感謝申し上げます。
この貴重な縁を引き続き大切にしてまいりたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

第2回アートdeてつがくカフェ報告―IN はじまりの美術館―

2015年11月28日 09時46分54秒 | アートdeてつがくカフェ記録
去る11月22日、猪苗代町の「はじまりの美術館」で第2回アートdeてつがくカフェが開催されました。
テーマは伊藤峰尾さんの作品群です。
哲学カフェに先立ち、峰尾さんによるワークショップと、館長の岡部さんとのお二人によるギャラリートークが行われました。

(若干予定を前倒ししてしまい、遅れて参加された方には大変ご迷惑をおかけしましたこと、伏してお詫び申し上げます。)
ワークショップには、歴代最年少の1歳の方にもご参加いただきました。
さすがにてつカフェにはご参加いただけませんでしたが、今回は15名の方々にお集まりいただき、素敵な美術館内のカフェで対話がくり広げられました。
以下かなり長いですが、対話の全記録です。


こういった描き方って、今自分がやろうとしてもできないと思い、すごく斬新で羨ましいと思いました。

こういう描き方ができないというのは、どういうことですか?

やっぱり、微妙にはみ出たりとか、私たちはきっちりきれいに描かないといけないということが身に沁みついていて、微妙にバランスを崩しているようなところが、逆に書いてみると難しいような気がします。

描こうと思っても描けない?昔は描けたということですか?

おそらく5歳3歳の頃ならば書けた。自由にもっと描いていたんじゃないかな

僕もそう。子どもの頃、すごく絵を描くことが好きだったのに、たぶん学校でうまく書かなければいけないと思った瞬間から、図工で落ちこぼれた記憶があって、その前の時代のことをもいだして、急に描きたくなって描かせてほしいといって、さっき名前を描きだしました。



それはどういう気持ちで書いていたんですか?

ビデオでも伊藤さんの創作風景を見させてもらったし、目の前でジーッと字を書いている伊藤さんの描く姿に、こんなに一本一本の線を大事に描いていなかったなぁと思い、うまいか下手かをばかり気にして描いていたなあと思っていて、文字をこんなに時間をかけてゆっくり描いていることがすごく楽しかったです。

私もパッと見たときにものすごく楽しいだろうなと感じました。言葉の意味が面白いというよりは字が飛び出していて、ちっちゃい子なんかは描きたくなるだろうなと思いました。



福祉と美術をどうかかわっているのか教えて下さい。

この美術館の社会福祉法人が運営母体なのですが、私たちが仕事に出かけているように、知的に障がいがある方も、作業場で仕事に代わって何か日中の活動として、造形や絵を描く捜索活動に取り組んでいて、その支援をしている中で、ものすごく面白いものが生まれている。それで、ここだけで留めているのはもったいないと思うのがありありとあって、それがこの活動のきっかけだった。精神障害者の方を知ってもらうための足掛かりになるように始まったのがべーすにあります。

私も養護学校に勤めていて、たしかに、もったいないと思う作品がたくさんあって、どうしたらいいのかなと思っていました。

目の前に障害がある人に関心を持ってもらう前に、こんな面白いのがあるんだけれどどうですか、と作品を提示した後に、実はその方に障害があるということを知ってもらい関心をもってもらえればと思ったのですね。

障がいがアートの価値にフィルターをかけてしまうのか、それとも関係なしに純粋なアートとして評価はできるのでしょうか?

楽しいと皆さん感じていたのだけれど、伊藤さんの作品は、言葉だとあまりうまく表現できないけれど、絵や文字で自分を表現する楽しみと、言葉だと受け止められないけれど、文字によって別世界を捉えているのだなと理解することができると思います。その障害という理由があるから楽しむができると感じました。

楽しむという言葉が出ているんですが、それよりもコミュニケーションが、その作品を通じて成立する、その橋渡しとしてその表現されたものがあるなとすごく感じています。いわゆる美術品とか、アートとは明らかに違う。でも、それに並ぶものもときドーンとあったりするけれど、それとは別にその人の存在に一目を置く、認めると言った意味にこの作品はなるなぁと思っています。

すると、伊藤さんの作業そのものを観ている必要があるのでしょうか?

いや、あの作品の中にその姿勢は表れているのだと思います。先ほど、子どもの頃なら描けたという、ヘタウマとは異なる、完成された線を峰尾さんの作品から感じられたのですよ。あの揺るぎの内線なんかほれぼれしますよね。名前の筆跡もそう。熟練の成果だと思った。楽しむというより、造り続けているという感じがする。そういう意識なんじゃないかな。

そうですね。たしかに「楽しんでいる」というよりは、職人みたいなイメージがありましたね。

これは誰かが見て、自分の絵を見て楽しんでもらうために企画していのでしょうか?

アールブリュットが、ここ10年ほどでじわじわ認知度が上がっていますけれど、いちばんはその人たちの存在と力が、障碍者と遠ざけていたものを、ちゃんと向き合うようにしてくれたのではないでしょうか。

今のお話に関して言うと、アールブリュットの取り組みを国内でされている方のお一人が、アールブリュットと障がい者との関係を、「立つ瀬」という言い方をしていたことを思い出しました。その方が社会の中で存在意義を見直されるような観点に似ているなと思いました。どうしても、障がいを持っている方というのは、お世話になるとか、お世話しなきゃというイメージを持たれてしまいますが、そうではなくて、その人の役割が生まれるものかなということです。

その人の存在ということと立つ瀬が結びつくというのは、この作品が社会とその人の存在を媒介するものだということですかね。



いま、感じていることは芸術とは何なんだ、ということです。

私も、まったくそう思っていました。もっと言うと学校で習っていたあれは何だったのか、という問題ですね。

社会とつながる媒体は他にもあると思うのだけれど、あれがアートだと言えるのは、どこにあるのか?アートとして価値があるのはどこにあるのか?

もし、その伊藤峰尾さんの障がいを知らずにこの美術館に来た場合と、知らずに見に来た場合には違うんだろうか。私は知ってきたので、そのイメージを持っているのですが、その辺のことを聞きたいです。

まったく知らずに来られた方はいらっしゃいますか?

はい。私は知らずに来たのですが、独特な感じの感性があるなと思っていて、私も字よりも顔の方が面白いと思うけれど海外で評価されたのは文字の方であるというと、アートの方が受けるというのは価値観が違うのかな。



そこにはオリエンタリズムがあって、それで認められたということもあるのではないでしょうか。

そういう意味でアートや芸術というものを認めるというか、読み取るというか、その価値を認める感性は、日本の場合、フランスを経由しないと認めるということはなかったけれど、日本の浮世絵の絵師たちが見ていたら、僕は認めたような気がするんですね。そういうところまで、いっているかどうかの話だと思う。

西洋の芸術を媒介にしなくても、価値があったということですか?

フランスのある人たちが見て、評価したというのは彼らの感度の方がよかったと言うだけの話です。ただ、日本にもぜんぜんいなかったかと言えば、江戸の絵師や岡本太郎が見たら評価したんじゃないかな。

フランスから認められたから、これがアートとして成立したというのはどうなのかな?

フランスに認められたというよりは、日本の現代社会の中では失われていたものに風穴をあけたというだけじゃないかな。

それは、「芸術作品としての客観的なレベルがある」という立場のような気がするんだけれど、僕はそもそも学校で美術を習って、特に現代美術にふれたとき「?」と思ったタイプで、なんだ客観的な価値なんてなくて、画商が主観的に「イイ」って言ったらイイってことになるんじゃないかと思って、時代時代によって変わるものなのだろうと思ってしまいました。ある時代までは美しく技術を高めて描くというのがあった気もするんだけれど、いつからかそれが壊れてしまって、あとはその価値を主観的に決める人がいるかいないかというだけの問題になっているだけじゃないかな。そこが僕とは対立しているかなと思いました。

いや、考えとしては同じです。音楽も含めて、芸術には、みんなその作用が働いている気がしています。

僕もお二人は同じ考えだと思っていて、こういう絵を見て、見ただけではそのすごさがわからないので言語化できなくて、ピカソの価値もわからなかった。見ただけですごいことは感じられるのだけれど、それがなぜなのかはわからない。だから、それを見て説明してくれる人がいないといけない。芸術はすごいと感じられるけれど、わかることとは違うと思う。だから、芸術を評価する媒介者がコミュニケーションツールとしていないと、わかりあえないのではないでしょうか。

現代アートの何がすごいかというと、何でもありに見えるんですけれど、今までのアートの流れや文脈を乗り越えて、この作品が生まれて評価されたかという点にあるのですが、峰尾さんの作品の場合は、そういうものとは別に、個人的な人生の中での文脈の中で生まれてきたというものとして、そういう系譜とは区別できるのではないかと思います。

その作品に対して評価者というか、芸術の専門家しか評価できないのか。

そういう系譜とは関係ないということで、アールブリュット、生の芸術ということなんでしょうね。

どこからがアールブリュットなのか。誰かの価値判断が入ってアートなのか?そうではなくて、それ自体に価値があってアートなのか?アートの語源は技術ですが、技術をもって芸術性を入れてつくられた表現の受け手がいて成立するもので、精神的な反応を受けるもの、それは誰かが評価したからアートになるのではないのかなと思うんです。だから我々の仕事は、これはアートだと紹介しているわけではなくて、おもしろいよねと紹介しているところなんですよね。

アートは、この社会を作っている営みだけれど、その中でこの社会を豊かにするものを生み出す技をふるう人、それをアーティストと呼ぶんじゃないかな。

峰尾さんの絵を見て書きたくなるのも一つだし、誰かに説明されなくても刺激されるものもある。それがどこかに潜んでいて、生活の中に出てきてプラスに作用する人なのかな。種をまくすべを持っている人なのかな。

それを社会とつなげるのが難しいなと、いつも思うんです。展示の仕方とか。たくさんあるんだけれど、認めてもらえるように社会とつなげて。

紹介の仕方、展示の仕方を含めて正解がなくて、試行錯誤しながらやっているんだけれど、障がい者の作品だと思ってこられた方と、そうじゃない方との場合との見え方の違いも美術館側としては意識しなくてはいけない。でも、何でキャッチされるかはわからない。

そうすると、誰かの反応がアートの条件ということになるということでしょうか。

専門家がいそうなのであまり言いたくないんだけれど、有名な作家の作品を展示してありがたがってみるという鑑賞の仕方が一方にあるけれど、それとは別に、ワークショップは皆が参加してやる別のアートの在り方があって、それは対極的。楽しむという意味でいうと、もっと身近にあっていいし、線引きなんかしなくていいと思うんだけれど、それはそれで一つのアートとしてあっていい。けれど、音楽と同じように美楽というか、それは身近にあっていいと思う。それとは別の芸術性は別のところにあっていいのかもしれない。

芸術性のあるアートと楽しむアートは別だということですね。

学校教育では美術教育としてやっているけれど、それは技術を教えているんだけれど、その前にある表現したいという衝動があって、その前に技術の方が先に教えられることで、衝動を失わせてしまうんじゃないかな。

そこに専門家という考え方から、カネになる将来への道筋というところに特化して考えると,俺は無理とか、やっても意味がないという風にしかならないのではないかな。

役に立つ、役に立たないの話になっちゃうしね。

教養にも入れられちゃっているよね。人として知っておきなさいとかね。

でも、美術の授業と勝手、あなたが表現したいことを表現していいよといっても、そんなに表現したことがないようで、逆に、技術があって初めて表現することができることがある。

手がかりがあって、はじめて書きたい文章も書けるしね。



アールブリュットは、表現したいことがあって表現しているものなのですか?

そうですね。アールブリュットの定義の一つには内なる衝動に従って表現されたものとか、正規の美術教育を受けていないというものがあるんですが、自分たちの取り組みの中では、その定義と相いれないものも出てきたり、障がい者の作品がいわゆるそうだという見られ方をされてきているところも危惧されているところです。

でも、それでかえって保障される気がするんですが。

アールブリュットがその人の居場所という意味で保障されるという意味では、たしかに。

言い方は悪いけれど、それで保障されると社会からの見方も、すごいなとわかってもらえた方が手っ取り早いかなと思いますが。

美術館を運営する自分たちも、そこはすごく感じていて、障がいに関する理解が欲しいとか、地位向上は別にあるので、アールブリュットという国際的な基準に位置づけられるということは保障されるんだけれど、逆にそこに縛られちゃうというか、そこで新たな区別や差別も生んでいるのは確かなんですよね。ま、ステップだとは思っているんですが。で、結局、最初の話に戻ると、アールブリュットとアートは何が違うんだ、ということになるんですよね。なぜ、アールブリュットと言わなければいけないのだ、と。

正当な美術制度からも自由なのがアールブリュットの意義だったはずなのに、アールブリュットが制度化されてしまうと、制度からから自由になろうとしたものが、元も子もなくなってしまいますよね。

そもそもアートが正規の美術教育をけた人だけの特権なのか、ということになってしまうし、そうじゃないよねという逆転の発想もあるし、アートの定義に照らしても、そんな正規の美術教育を受けることが成立条件だとされてはいない。その人の持っている技術で、創造性をもってつくられたものが、誰かの心に響くということがアートだとしたら、アールブリュットに垣根はないのかなと思う。けれど、ずるいですけれど、ステップとしては使ってしまっていますね。

少し前の話に戻りますが、芸術を表現しようという衝動が誰にでもあるのか、ないのか?

個人的な話ですが、ウェブのデザインを仕事にしている中で、美術が実は嫌いだったんですが、美術をやってきた人はこだわりがある分だけ、実際には使いにくいデザインが多いんです。夫は音楽関係の仕事をしていて、彼はアーティスティックなことをしているんですが、彼は追及していくタイプですが、その分、欠けている部分もあります。だから、芸術への情熱なんかは特別なものなのかなと思うところがあります。

はじめは中学校で教えていたのですが、養護学校での勤務になってから自分も自由になった気がします。テーマをもって中学生に自分の気持ちを表現しなさいと言っても、言って書かせるもんじゃないなと思いました。

高校で美術を教えているんですが、ついつい生徒には表現したいものがあるでしょと言いがちなんですが、私はどちらかというと表現したいものが先にあるのはすてきだなと思うのですが、私はどちらかというと技術から先に入るタイプで、自分で表現したいものが何なのか、今でも悩んでいます。

やっぱり何もないところから何かを生み出すのというのは、一般的に抱かれがちな幻想で、ある程度外部から刺激があってはじめて自分の表現ができると考えられるのではないかと思います。生きていて違和感とか感じることとか葛藤があって、何か生まれてくることはあるケースもあるとは思いますが、皆がみんなあるわけではない。そういう人には無理に表出させなくても、遊び心から創作させるやり方もあるのかなと思いました。

峰尾さんも最初から絵を描こうとしていたわけではないですよね。最初は、お父さんに名前くらい書けるようになれと言われて、ひたすら職人のように名前を描いていた。そのうち、なぜかそれが意図せずに作品として評価されるようになっていったのだろうけれど、本人は作品を作っている意識はなかったのですよね。

ぞうですね。作品をつくっていると意識してきたのは、評価され始まったからじゃないかなと思います。

日本人って、ほとんどアートとか芸術という言葉は、輸入されてきた言葉なので、江戸時代に人たちも自分たちは芸術をやっているなんて思っていたわけではないし、技法という言葉も当時の明治期に輸入されて、無理やりつくられた概念の上に今の我々があるということだと思います。そこから入って説明すればするほど、わからなくなってしまうのではないかと思います。

職人というならいいですよね。江戸時代の絵師たちは、飯の種として仕事をしていた職人さんたちですよね。もっと直接的に言うと生きる糧のために仕事していた人たちですよね。

一連の会話の中で大事なポイントがあったなと自分なりに思ったのですが、自分で何か表明したいのがアートだとすると、峰尾さんは自分の名前の練習をしていただけで、あとからアートだと評価されて初めてどうなったわけですよね。すると、別に内からの衝動とアートの因果関係はないのではないかなと思いました。

写経のように練習していた時というのは、それ自体は訓練だったのが、それが評価されたときに自分の存在が認められたというのは大きいのかもしれないね。

あの展示物は実際に練習されたものなんですか?

そうですね。日ごろの日課になっているものです。

そうすると、芸術は日本人にとってはフィクションだし、後付けのものだということになる。
峰尾さんの作品を見るときに、何の知識がなくても、文字って誰でも書けるじゃないですか、だから峰雄さんの作品みたいなものは、誰でも想像しやすいんですよ。時間とか、そのときの心情とか。そこから手がかりにして、ひたむきさの感情というか、そのときの心情とかを観る人がもっと膨らませて、感情を感じられるだけでいいんじゃないかなと感じ、それをアートとして見ようとしなくてもいいし、紹介するときに、「これは芸術だ」とか「アートだ」とかは、知らない人には邪魔になるだけかもしれません。

「障がい者」というのも邪魔になるかもしれないですよね。

「私は芸術わからないから」といっちゃうことも邪魔かなと。

よく、大人の人たちが言うことですけれど、ピカソもしっかりした絵を描いて、練習した時代があったうえでキュビズムにいったと言いますよね。あまり好きじゃないけれど、先日ネットでホリエモンが言っていたんですけれど、お寿司屋さんの弟子として修業したことのない人が、パリで三ツ星レストランを取ったとかなんとかということで、修行とか訓練とか関係ないんだということを書いていました。そこから先がうまく言えないんですが…

旨けりゃいいんだということだよね。

修行しないと、そういうレベルになれないんだという神話が必要な人たちがいるんだという話なんですよ。

それにつながるようなことをさっき思っていたんですが、それが芸術であろうが何であろうがいいけれど、これに表されているものに何かを感じてしまって、これは何を表しているんだろうと、こちら側が勝手に色々考えて何かを読み取って。たとえば、その前に柿がたわわになっているんですよね。これと伊藤さんの作品が同じだと感じた。これもいのち、いのち、いのち。どちらも「いのち」が表されているんだと読み取って悦にいっていたんです。だから、寿司を出されて誰が創ろうと、こっちが味わっちゃう。認めるのに何も条件はいらない。

それはすべてをカッコに入れるというか。誰が創ったとか、出自だとか関係なく判定できるということですかね。

という受け止め方を僕らはできるはず。ただ、認める眼力というのは、それになりに熟練を経た人の目に適うものがそこに備わってしまっていて、そこに見出す人があるというものだと思うけれど。それはまた別の話だと思うんです。

そこにもうちょっとこだわりたいですね。やっぱり眼力は必要なんですかね。

いや、眼力を持っちゃった人は世の中にはいる。

岡部さんの最初の話ですよ、これはアートですと紹介するのではなく、これいいなと思ったものをどうだろうかと知ってもらいたいとおっしゃっていましたが、それこそ美術教育を受けた人じゃないと評価できないのか。そういう眼力を持った人が評価すると価値の高い作品になるのか。そのへんを聞きたいな。

それはひっくり返されることが絶対あると思うんですよ。たまに小学生と美術館でいっしょに鑑賞することがあるんですけれど、その時に難しいことを考えたり言ったりしている先生よりも、小学生や中学生の方がズバッと本質をつかんでしまう時があって、何も説明していなくても、それを作品からキャッチできることがある。いくつかの段階はあるかもしれないけれど、経験とか年齢にこだわらずそういうものがあるということを信じたいな。



ゴッホみたいに生きている間には見向きもされなかった作品が、突然評価され始めちゃう仕組みってどうなっているの?

やっぱり、よく言われるように時代が追いついたということじゃないですか。

その時代が追いつくって何?

小学生が評価したものがすべて時代の最先端の芸術になるとは、私は思いませんが、今言ったようにその本質をつかむことができる子たちがいて、その中で新しい時代の価値観が飛び出して、それが時代の最先端ということになっていくと思うんですけれど、私は別に皆が最先端になる必要はないと思っていて、自分が好きだと思ったやつをやっていけば、何より自分のためになると思うんです。

私は高校の美術講師をやっていて、どちらかというとデッサンとか見たものをそのまま描くのは得意としてきたんですね。でも、自分に欠けているのは、本当に表現したいという気持ちなんです。やっぱり自分は外部からの刺激が足りないなと思うんです。幅を広げていかないと表現者としていい作品が作れないなと、この場で思いましたし、これからの課題だと思いました。

会津で精神障がい者の方々と関わっているものです。今日は障碍者の伊藤さんが描いた作品ということで入ってきたんですが、まだそのへんが消えてないんですね。パッソで今も作品をつくられる環境は伊藤さんにとっては素晴らしいなと思っています。この作品がパリの人々の目に止まったというのは、伊藤さんが障がい者だからというのが拭い去れてないからのか、そうではなくアートとして認められたというところをお聞きしたいと思います。私などはとても描き続けられないのですが、これを描き続けるのは伊藤さんの特性なんだなぁと思っていました。障がい者と健常者の境目をなくして語られているこの場はうれしいなと思いました。

国内の障がいを持っている方の公募展で入選しまして、それがベースとなって海外のアールブリュットなどの展示を得意としている美術館の館長さんが選んでいるので、前提としては障がい者の作品という前提はあったと思います。

残り30分となりました。ここまでは「アートとは何か?」というテーマで展開されてきましたが、それは割と見えてきたと思います。もう一つは、福祉とアートの関係をどう位置づければいいのかという問題があります。この美術館の存在意義ともかかわると思います。

私も障害とどう向き合えばいいのか日々悩んでいます。

先ほど岡部さんは、障がい者はいないと思うとおっしゃっていましたが?

そうですね。障がいをどう定義するかにもかかわるのですが、よく言われるように医学モデルと社会モデルがあって、前者だと本人に問題があって、疾病や欠損を医療的な手当てが必要だという視点で、後者は誰でもいろんな凸凹があって、暮らしやすさに差はあるけれど、けれど社会がそれを受け入れる体制ができていないという、社会の方の問題だというものです。いまでは両者をミックスして考えられるようになっているけれど、私は社会モデルがベースになっているといいじゃないかなと、自分は思っています。それは他人ごとではなく、自分や家族もいつそうなるかわからないし。そういう点で、社会モデルからすると障がい者はいない。社会の問題として生きにくさの問題があって、そこは解決していかなければいけないと思います。

社会的に捉えるか、個人の問題として捉えるかでは、ぜんぜん見方が変わりますね。

切り口になるかわかりませんが、美術館をつくる段階で、色々なアートに関わる方にお話を聞いてきたのですが、障がいとアートは意外と似ていると思いました。実は、皆、どちらもよくわかっていない。言葉として知っていて、イメージはもっているけれど、よくわかっていない。で、わかっていないものを人はどう処理するかというと、崇めるか見下すかのどちらかなんです。フラットな関係性ができていない。アートもそう。自分のことになっていなくて他人ごとで、「自分は得意じゃない」と処理してしまう。そうなると、崇めるか見下すかは別だけれど、構造的には似ている。もう少しいうと、他人事だと言うけれど、ぜんぜん他人ごとじゃないと思うんですね。自分だって加齢とともに障害が生じている部分もあるし、その人そのものに凸凹や得意不得意があると思うんです。そういうことって、例えば、皆さんのそういう部分を知ると自分が豊かになっている。そういう観点や切り口が身につくプラスがある。アートもそうだと思うんですね。創造性というのは表したいという衝動がなかったらできないんじゃないかという話がありましたが、でも、それは出すばかりではなく、受けるのも創造力だと思うんです。すごい作品に出合った時に感受する力もそうだし、それによって何かを創りたくなるムクムクする力もみんなにあるんじゃないかな、と思うとそれは皆にある者で、人ごとにしておくのはもったいないなと思うんです。

障がいがあるのは社会の方だ。たがいに生きているこの社会を豊かにしあうもの、交換し合ってやっていけるような社会。これはきれいごとでしかないけれど、今は資本主義の役に立つ、立たないの議論でギスギスした社会になっているけれど、それはもうギリギリまで出てきちゃっているから、こっちに切り替えないといけないといけなところまで来ているんじゃないかな。震災にあったことで、よりそういうことが見えるようになったと思うんですが、今、パリで起きていることもそうだと思うんですよね。要するに片方からしか見ていない。無視され続けてきたものがあんなふうになって爆発している。でもいまだにその視点は取り挙げられない。そうすると、社会の方が障がい者なのかなと思うのです。

これはわざということなんですが、特養に勤め始めた人の話を聞くと、相互コミュニケーションがとても大変で…。今日もトークショーのときに伊藤さんが一生懸命何かを伝えようとして下さっているんだけれど、やっぱりわからない。紹介のところに「何を言っているのかわからないと言われることが嫌だ」と書いてあったけれど、やっぱりわからない。それは見下すわけでも崇めるわけでもないんだけれど、そういう個性は個性でいいんだけれど、うーん。施設にいると職員さんは利用者の方々とは通じてきちゃうもんなのですか?それとも、どこかダメなところはだめみたいなものがあるんですか?

コミュニケーションとしては、通じてくるところはあるけれど、何でもOKでないのはたしかです。先ほど社会の方がおかしいという話がありましたが、社会がもしかすると社会通念の方がおかしいというのも多々ありますが、でも、実際いまの社会で暮らしていく上では違いますよねということはお伝えしています。

それはコミュニケーションの概念をどっかで変えていかないとやっていけないなぁと思う。それは認知症の祖母と母親のやり取りを見ていると、分かり合おうとは思わないけれど付き合っていくという仕方をしないと、とてもやっていけない。知識伝達というのとは異なるコミュニケーションのあり方は問われる必要がある気がしますね。

最後の最後に分かり合えない部分ってありますよね。最後はわかる方が何とかするというか、つきあい方を覚えるというか、そういう形でしか乗り越えられないでしょう。

「わかる方」が上になっていませんか?

それはある意味で上だけれど、人間の命といのちという関係では同じという意識を持つしかないでうしょね。できる人が負担を抱えるのは、どこでも同じだし、そこまで平等を求めるのはためにする攻撃でしかない。そういうことを言っているんじゃないですよね。伊藤さんの場合は、どなたかはほぼ全部聞き取れる人がいるんでしょうか?

先ほど通じてくると言わせていただきましたが、もっと表出のない方もいらっしゃるので、そういうときのコミュニケーションというのは、僕たちの課題です。先ほどアートが人を豊かにすると言いましたが、その時の「豊かさ」とは何ですかね?

自分が生きた時間を主体的に過ごし、生きていること。そういう別にアートじゃなくてもいいんですが、ちょっと引いてすべての人がアートに関わらなくてもいい。

僕がアートが人を豊かにするといった意味は、伊藤さんからこういう見方、発見を与えていただいただけで、それ以前よりは自分は豊かにしてもらったと感じていることです。

高村幸太郎が芸術とは何かみたいなことを述べていたのですけれど、芸術は人を強くするものだというのです。それは一時的なものではなく、前に進める力のあるものみたいなことを書いていたんです。それは辞書にはない言葉で、明治期に芸術が西欧から入ってきた中で、高村自身から出た言葉で、それを指標にしてやっています。あと私の先生も、新しい価値観を提案するのがアートの仕事だとおっしゃっていました。芸術ではなくてもいい仕事って何だろうと考えているところがあって、いい仕事をしている人たちはどう生きているんだろうとか。

ずっと聞いていてなるほどと思うところがたくさんあったのですけれど、わかるものとわからないものがあってもいいというか。わからなくてはいけないものを、それをわかりやすさとか言ったり、わかるということについて教えたり、さらにそこに道徳的なものが入っちゃうと、より分からないとダメということになってしまうことが、邪魔だなと思っていて。わからないものを分からないままに、ドンと出すっていうのが生というか。これを無理にわかろうとしなくていいのかなと。探っていくうちに、いかにも道徳的によさげな話になってしまうのは、このタイプの芸術には合わないというか、危ない。さっき、紹介者っていいましたけれど、それが「いいでしょ」っていうやり方ってたぶん違うんじゃないかな。わかっていた気がしていたけれど、けっこうわかっていなかったよなということがある。



それに関して言うと、伊藤さんの介助をされていた方が、峰尾さんのフィルターを通じて外部から内部に取り込まれて、それがまたフィルターを通じて表出されるんだとおっしゃっていたのが印象的でした。僕にはエレキングしか見えないのに、伊藤さんはウルトラマンとして描いた絵なんかがそう。同じものを観ていても違って見えているのか。お互いにかけている眼鏡のようなフィルターが異なっていることをどうやったらわかるんだろうということを、あらためて考えさせられました。それがわかりやすさって、役に立つとか立たないとか、売れるとか売れないとか、社会のフィルターで切り取られているものをわかったつもりになっているだけなんだろうな。と。

今日の話の流れで、コミュニケーションの難しさに対して、「豊かさ」ということで返したのですが、わからなくていいんじゃないかというのが結局そこかなと思います。本当にコミュニケーションが難しい方はわからない。そういう時に支援員がどうするかというと、その人の心地よさを優先します。でも、何が心地よいのかわからない。それを分かるためには想像力を膨らまして仮説を立てます。そういう、わからなさが前提にあることはいいことなんじゃないかな。そこから膨らむものがあって、そこから刺激される。峰尾さんもそう。いま社会がおかしいという問題でも足りていない部分で、本当はわかっていなくても、想像力が欠如して差別に行ってしまうのは寛容性が足りないという問題に行きついてしまう。だから、豊かさという意味では想像力を膨らませることなのかなと思います。

最後に一言。

誰にでも「いいな」って思う気持ちを大事にしていきたいと思って、それができるのが教育なのかなと思いながら話を聞いていました。

学校教育は評価するもので、子どものときは誰しも楽しんでいたものがつまらなくなるのはそこにあるのかな。伊藤さんの絵は人間のように動きだしそうなものを感じていました。改めてこういう作品を観させてもらうと、学校で受けた美術のフィルターで見てしまうのかな。そういうフィルターを取っ払うのは難しいのかもしれないけれど、それを取り払うことで豊かになれた時間でした。


峰尾さん、今回はワークショップを含め貴重なお時間をいただきありがとうございました。
素敵な家族に囲まれたこの写真は、私のお気に入りの一つです。

伊藤峰尾筆「てつがくカフェ@ふくしま」のロゴ

2015年11月25日 19時19分37秒 | アートdeてつがくカフェ記録
先日、猪苗代町にある「はじまりの美術館」で開催されました第2回アートdeてつがくカフェでは、哲学カフェに先立ち、作家の伊藤峰尾さんによるワークショップが行われました。
その内容は、伊藤さんに描いてほしい文字を描いてもらおうというものです。
そこで、小野原が依頼したのが、以下の「てつがくカフェ@ふくしま」の文字です。
その仕事を目の前で見ればわかるのですが、一本一本の筆致にじっくりと時間をかけるその姿は、まさに職人です。
これが、その味わい深い作品です。
@ふくしまのブログのプロフィールにも採用させていただきました。



こんな感じでワークショップは行われました。



さて、哲学カフェの様子は、ただいま鋭意まとめ作業中です。
近日中にアップしたいと思いますので、こうご期待!

第1回アートdeてつがくカフェ報告―P.ブリューゲル『狂女フリート』

2015年05月24日 08時51分20秒 | アートdeてつがくカフェ記録
                   

いつもながら哲カフェのテーマをどうするか思い悩んでいた時のことです。
ワタクシの書斎に掛けてあるP.ブリューゲルの『狂女フリート』を、何気なくボーっと眺めていると「これだ」と何かが降りてきたのです。



こんなわけのわからない絵、きっと皆もおもしろがってアレコレ謎解きに思考をめぐらすに違いない
何より、こんな素晴らしい絵に、みんな「いいね」と思ってくれるはずだ、と我ながら独りほくそ笑んでいたのでした。
しかし、この絵画で哲カフェしようと小野原さんに提案すると、この絵を見ても「自分が何も思いつかなかったことにびっくり」と微妙な反応…
まぁ、アート音痴を自称するくらいだから例外的な反応だろうということにして、若干の不安を抱きながらも、いざ決行

すると、当日はこの実験的な試みにもかかわらず18名の方々にお集まりいただきました。
が、カフェが始まってみると、
「この絵を見ても何も思いつきませんでした。」
「この絵が美術館にあったら素通りします。」
「好きじゃない。共感するところがない。」
「理解できない」
「陰惨で、イヤな感じがする。」
というネガティブなご感想のオンパレードです。

むーーー
内心「……(ヤバイこの絵を書斎に飾っていますなんて口が裂けても言えない…)」と冷や汗を掻いていたものです。
まぁ、美的な判断は、まず「快/不快」という感性が先立って判定されるというカントの『判断力批判』の話に従えば、こうした感想から対話が切り開かれるのは、至極真っ当な展開です。
しかし、全体的に「この絵は不快である!」という空気が、その場を支配します。

そんな中、「この絵はおもしろいと思いましたね」と言う意見が飛び出します。
その理由を、日本の絵巻物のような物語性がある点に見出せること、そして構図がきっちり計算されていることにあるとのことです。
特に、この絵は何を物語っているのかという点を考え始めていると切りがないし、日本でも地獄図があるけれど、それに近い。
ただ、これは人間社会の負の部分を描いているのではないか。
世の矛盾、ホンネ、風刺画。
陰惨に感じる絵でも、そうした意味があるのではないか、と言います。

さらに、鳥獣戯画のように、見えないものを描きあらわしたのではないか、という意見も出されます。

                  

「見えないものを描き表わす」とは、現実社会をひっくり返すとこうなっていませんか、と表面的には平穏に見える現実世界を陰惨な絵の表現で、象徴的に、寓意的に描くことを指すと言います。

その上で、やはりこの絵から想い起すことは原発事故のことで、周囲の混乱の中、中央の女性(フリート)が鎧をまとって逃げていくなどは、あの時の避難を思い出されてリアルな感じがすると言います。
もしかすると、この中央の女性には見えない敵が見えているのかもしれない。

この間、テーマも作者も年代も明かさないまま対話を続けたわけですが、参加者の中には、なんとなくこれは中世ヨーロッパあたりではないかとの推測される方もいらっしゃいました。
けれど、そうした時代の違いなど関係なしに、現代の自分たちの状況に重ね合わせてこの絵から感じることが述べられたわけです。
これに関しては、映画作品もそうだけれど、絵画もまひとたび発表されれば、それは作者の意図から離れて、受け手や見る側のものになるのだから、そうした見方はもっともであるとの意見も挙げられます。

すると、一見、陰惨な絵だけれど、中央の女性は「民衆を導く自由の女神」に似ていて、周りは地獄だけれど、その視線の先をしっかり見据えているという点で、むしろ明るさを与える絵だと感じたという意見が挙げられました。

                

それは「未来を見据えている」と言い換えてもいいのかもしれません。
実は、ワタクシもこの絵を暗いと感じたことはなく、むしろ、ユニークなキャラが多様に描かれており、一見深刻な状況に見えますが、その中に滑稽さが含まれているように思われるのです。
それに、それぞれの行為や場面、キャラの意味がわけがわからないということは、かなりの程度、それを見る側の想像や解釈に自由が委ねられているということなのだと思います。
「人間の愚かしさを表していて、そこからは永遠に脱出することはできないことを表している」という意見も、そのような自由な解釈一つでしょう。
また、この絵は何に対して闘っているのか、何が原因で争っているのか、この絵に描かれる人々はどういう関係なのか、それが容易に整理して理解できない構図になっていることが、この絵に惹きつけられる理由ではないかという意見が挙げられます。
さらに、女性がやたらと多いことも気になる点だと言います。
たしかに、女性たちが闘っている場面などばかりで、人間の男の存在はほとんど確認できません。

それに関して、作品左側に描かれる巨大な目玉を持つ城壁は「権力」=「男性」を意味しており、その視線の先には、その権力に翻弄される女性たちの姿が対照的に描かれているという意見が出されます。
権力に翻弄される生活に敏感なのは女性であり、中央の女性が鎧をまとい剣を握りしめながら、鍋や食料、フライパン、貴重品箱を抱えている姿は、生き残ることや、種の保存ということに関しては女性は男性より敏感で、判断力があるという意見が少なからず挙げられました。

一方、この作品の中に描かれる世界を、当時や現在の外的状況に重ね合わせて解釈する意見が多い中、自分の心のカオスと向き合わせられる鏡のような作品として位置付ける意見も挙げられました。
それによれば、作品中の女性本人たちも何が何だかわからないまま混乱しているのだけれど、それは夢の中でよく見る無秩序と重なるし、異形の怪物たちは、それを陰惨だとしてみたくないともう人がいる一方、それを(ワタクシのように)魅力を感じるような人もいるわけですが、それは人間の心の汚い部分を掻き毟られるかのような感覚に魅力を覚えるからではないか、というのです。
自分の嫌な部分、黒い部分を見つめることは、決して心地よいものではない、にもかかわらず、それにあえて向き合わせる絵だという解釈は、とても新鮮で個人的にはかなり共感的に頷けるものでした。

次第に、対話は絵の場面と行きつ戻りつしながら、色々な場面に目がいきわたるようになっていきます。
すると、画面中央下にある橋に注目する意見が出されます。
それによれば、中央の女性が渡りきった橋の此岸と彼岸が、ある種の境界線を意味していないかというのです。
すなわち、に囲まれた向こう側は、城壁に囲まれた「文明の世界」だとして、こちら側は怪物たちが蔓延する「自然の世界」であり、中央の女性はその境界を一方踏み出して、こちら側=自然の世界へ渡ろうとしている。
つまり、彼女はその境界線上のあいだにある「両義的」な存在であり、ある種「曖昧な」存在なのかもしれないということです。
そういわれると、彼女は女性でありながら男装をまとっているという点でも両義的であるともいえるし、自然/文明という区分は、さらに正気/狂気のあいだにある存在だとも言えるでしょう。
しかし、仮にその解釈の通りだとすれば、なぜ彼女は自然=狂気の方へ向かい歩くのか?
対話の冒頭では、未来を見据えているかのような明るさを見出す意見が挙げられていましたが、しかし、果たして彼女は正気で見据えているのか?
不思議なことに、こうした対話を重ねるうちに、彼女の表情、眼を見ると正気にみえるようで、どこか虚ろな表情のようにも見えてきます。
いやいや、正気ではないから狂気だということなどと、どうして言えるのか?
向こうから狂気に見える此岸も、こちらから見れば正常な世界だともいえるではないか。
あるいは、文明=正常な世界に浸食し始める怪物を必死でくい止める場面を見ると、どうしようもなく街に侵入してくるペストにも見えるという意見も挙げられます。
この意見を出した方が、果たしてこの絵が「狂女フリート」というタイトルであることを知っていたのかどうか、ということは確認しませんでしたが、図らずもタイトルと関連する「狂気」が論点になったのは驚きです。
ここで、タイトルを明かすかどうか迷ったのですが、対話の流れで明かした方がより論点が明確になると考え、ファシリテーターの方から『狂女フリート』であることを告げさせていただきました。

カフェ終盤、この絵を見ても全く何も考えを思い浮かべられなかったという小野原から、この絵に関する文字情報を知った上でないと絵画というのは解釈してはいけないのか。少なくとも、そうした情報がなければ、作者の意図から外れた恣意的な解釈になってしまわないか、といった「アートdeてつがくカフェ」の在り方、方法の根幹を問う質問が投げかけられました。
よく、美術館などの先品展示の脇には、解説がついている場合がありますが、これを読んで作品の背景を理解した上で鑑賞してきた方々からすれば、やはり絵画そのもので考えるということには抵抗があるようです。
ただ、西洋の宗教画がそもそも文字を読めない人々に対して宗教的意義を理解させる役割を果たしてきたことからすれば、文字情報なしに解釈することは必ずしも不当ではないように思われます。
もちろん、作者の意図を完全に誤解したままで得手勝手に解釈することでよいのだ、と言い切るわけにはいきませんが、すでに冒頭で作品は公開された後では作者から離れて観衆の自由に任されるという意見も挙げられており、とりあえず予備知識なしで考え抜くスタイルでよいのではないか、ということが確認されました。
ただし、これはなお、映画作品や文学作品同様に、今後の方法論的な課題として考えなければならない問題であるでしょう。

その点を確認したうえで、この絵にタイトルをつけるとすれば、それは『小さき声のカノン』であると言います。
これは、3月にフォーラム福島で上映された鎌仲ひとみ監督の映画作品のタイトルです。
被曝を避けるために脱出する母親たちの姿は、まさに放射能という目に見えない「怪物」たちと戦う姿であるというわけです。
これに対して、基本的にその解釈に同意しつつも、ワタクシの方からは若干それとは異なる解釈を挙げさせていただきました。
たしかに、画面やや右側で怪物たちと戦う女性たちの姿は、放射能と戦う母親たちの姿に重ねられます。
では、この「狂女フリート」はその中の一人か、というとそういう存在には見えません。
つまり彼女は子どもを守ろうとしているわけでもなく、守るべき城壁に囲まれた街を守ろうともせず、単に自分自身を生き延びさせるために前方を凝視して、生き残れるかどうかわからないけれど、このまま滅亡する街に残ることは間違いなく死を意味するとばかりに、一か八かで「自然=狂気=怪物」の世界に飛び込もうとしている姿ではないでしょうか。
そして、その彼女が「狂気」と名指されるのは、実は脱出の理由として「自分自身の身を守る」ということが暗黙に正当化されない社会の側から見るからではないでしょうか。
誤解を恐れずに言えば、たしかに子どもを被曝から守るために避難している母親たちには、もちろん正当性が与えられているのですが、そこで闘わず、単に「自分自身の身を守る」ためだけの避難=脱出は、意外にも暗黙のうちに「わがまま」として不問にされてこなかったでしょうか。
だから権力の側からも、それに抵抗する側からも「狂気」と名指される存在、つまりその両方の世界から正当な位置づけを与えにくい象徴が、「フリート」ではないか、ということです。
しかし、くりかえすように、それは果たして「狂気」なのか、という問いは依然として残るわけです。

それに関して、既存の社会から抜け出して「新政府」をつくろうと考え出した坂口恭平氏を想い起したという意見も挙げられました。
たしかに、自給自足を目指して既存の社会と切り離した原始共同体を作ろうという試みは、日本でもいくつか例が挙げられますが、やはりどこか狂気じみていると受け取られる側面があることは否定できないでしょう。

こうした対話を続けて行くうちに、この絵自体が、「狂女」の主観的な心像風景ではないかと思えてきという意見が挙げられました。
つまり、周囲は平穏で何事もない世界であるにもかかわらず、彼女自身の主観的な心的世界では、こうした混乱に満ち満ちているというわけです。
しかし、この意見に対しては、いや、そうではなく、「狂気」はあくまで外的世界のそこかしこに偏在するものであり、これが一個人の内面世界であるのではないという意見が挙げられます。
むしろ、この「フリート」には、その遍在する狂気の世界を軽やかに渡り歩く身軽さが示されているのではないか、というのです。

最後に、戦争体験のある世代から、戦争当時の群馬の家のことを色々と思い出したという意見が挙げられました。
この絵の背景を覆う赤い炎は、当時の伊勢崎を襲った空襲の炎を想い起させる、とても恐ろしい情景だというのです。
だから戦争はあってはいけない。
にもかかわらず、戦争の話題がこの絵から出てこなかったことは、やっぱり戦争を知らない世代の方々が多いのだなぁという感想を持たれたというのです。
様々な世代が集う哲学カフェならではの締めくくりでした。

さて、この第1回アートdeてつがくカフェは成功したのでしょうか?
かなり微妙な感じです。
それは、参加者感想にもあるように、やはり入り込みにくいという感想が少なからず挙げられたことから、なんとなくそのビミョーさが伝わってきました。
そもそも、今回は「イヴのもり」さんのお計らいで、プロジェクターでウィキペディアから引っ張ってきたデジタル画像を映し出して、対話を行ったのですが、「これ、本物の作品を見ずにやっていいの?」という、根本的な疑問も最後に投げかけられたのでした。
これは、ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』が投げかける美学における根本的な問題でもありますし、その点からしても、この試みにはまだまだそうした課題と同時に、魅力的な問いが含まれていると、個人的には思うのです。
そして、その課題を考えるために、ぜひ美術館で本物の作品を前にして、もう一度チャレンジしてみたいのです
参加者感想にもそれを望む声が数多く記載されておりました。
実は、畏れ多くも、今回の哲カフェでは、美術館にお勤めされる参加者の前でファシリテーさせていただいてしまったのですが、ぜひAさんにおかれましては、美術館+哲カフェのコラボを前向きにご検討いただければ、一同、これ以上の幸せはありません
市民に開かれた美術館/哲学の可能性を追求してみたいという欲望に駆られたという点で、やっぱり今回は意義深い会だったのではないか、と自画自賛することに致しました。

ついでにお知らせしておきますと、7月11日の開沼博さんを招いての本deてつがくカフェは、高校生も巻き込みながら、福島高校図書館を会場として開催させてただけることになっています。
街場の哲学カフェは、ずんずん地域のハブとして様々な領域に浸食していきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。