てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま2023.6.17.「ジェンダー×セックス」

2023年06月20日 14時21分35秒 | 開催予定
「心の最も内なる場所で必要としているものを、私たちは理解するべきです。それを求めようとするエネルギーを、皮肉で押さえ込むべきではありません」マヌエル・プイグ

てつがくカフェ@ふくしま2023.6.17.
【テーマ】「ジェンダー×セックス」
【日 時】2023年6月17日(土)
     15:00~17:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター B会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物の無料提供も再開しました!)
【事前申し込み】申し込みは不要です。
        会場参加の方は直接会場にお越しください。
        オンライン参加の方は下記URLからご参加ください。
        
        Zoomミーティングに参加する
https://us05web.zoom.us/j/83226598995?pwd=ZE56dlRnQ2FkMHRzVHRzZWx2eUFNZz09

        ミーティングID: 832 2659 8995
        パスコード: 4i3nCh

【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp





今回も会場とオンラインの同時開催となります。

会場参加をご希望の方は、お申し込みは不要となりますので、直接会場にお越しください。

また、当日ぎりぎりの判断で全面 Zoom 開催に変更することもありえますので、

当日お出かけ前にこのブログで開催方法変更が告知されていないかお確かめの上ご来場ください。

オンライン(Zoom)参加をご希望の方は、上記のURLからご参加ください。



さて、今回のテーマは今年2月に参加者の方から提案されたテーマ案を参考に、

問いを立てさせていただきました。

「ジェンダー(gneder)」とは、「社会的性」「社会的性差」と訳され、社会的に作り上げられた性別に対する考え方のことですが、

その対義語になるのが「生物的性」「生物的性差」である「セックス(sex)」です。

上記二つの言葉について、わかりやすく解説させていただくと

セックス(=生物学的性差)が、子どもを産むことができる/できないといった生物学的に決定されている事柄なのに対して、

ジェンダー(=社会的性差)は、社会が蓄積してきた「男とはこうあるべきもの」「女とはこうあるべきもの」という概念になります。



今回、テーマを問いの形にせずに「ジェンダー✕セックス」と表記しましたが、

ジェンダーとセックスを掛け合わせて、両者を関連付けて話そうということではなく、

ジェンダーの問題も取り上げるけれど、

それとは切り離してセックス(性愛)の話もしてみたいということで、

このようなテーマになりました。

全ての人が公正・平等に暮らすことを掲げるSDGs(持続可能な開発目標)においても、

男女格差の解消はゴールの1つに設定され、

世界各国では課題解決に向けて、

高度な専門性をもって様々な取り組みがされておりますが、

てつがくカフェでは

知識のあるなしにかかわらず

当日集まった参加者の皆様と一緒に

じっくりとジェンダーとセックスについて考えていきたいと思います。




「てつがくカフェ@ふくしま」は、

日常の中にある「当たり前」なことを掘り下げて、

みんなが自由に発言しながら考えを深めていく対話型のイベントです。

発言を強要することもありませんので、

他の方の意見に黙って耳を傾け、頭の中で考えているだけでもかまいません。

誰でも気軽に対等に、安心して何でも話し合える場ですので、

初めての方もお気軽にご参加ください。

てつがくカフェ@ふくしま報告2023.5.20.「日本国憲法どう変えるか?変えないか?」

2023年06月17日 13時45分44秒 | 定例てつがくカフェ記録
大変遅くなりましたが、5月20日(土)に開催された「てつがくカフェ」について世話人から報告させていただきます。


会場とオンライン(Zoom)の同時開催となりましたが、

会場には8名、オンラインでは4名の計12名の方にご参加いただきました。







ここで参加された方の発言の一部を紹介したいと思います。

・今月のテーマは憲法記念日もありまして、日本国憲法をどう変える変えないかというテーマにしてみました。日本国憲法に関しましても、皆様いろいろなお考えがあるかなというふうに思っておりますので、ご自由にご発言いただければというふうに思います。

・何から始めたらいいか分からないんですけど、発言が無いようだったので。私たちは「9条の会」ということで、9条を中心に憲法を守って、それを暮らしに活かすってことで、活動してるんですけど。2004年に色々な方と9名で立ち上げたのが、全国的に各々立ち上がって「俳優9条の会」や「演劇人9条の会」とかが色々できて、福島市でも初めて「9条の会」ができたのは2005年で、私たちは福島市の「9条の会」ということで2017年から学び始めました。今のところ合わせて14回ぐらいはやったんですけど、なかなか広がらないし、ちょっと難しい問題があるなと思っています。それで、私も色々学んだ中で一番大きいのは自衛隊が国防軍になるといことで。特別裁判所がつくっていうことが勿論、緊急事態法とか細かいところは一杯あるんですけども。自衛隊の性格が変わっちゃって、国防軍とか特別裁判所っていうのは軍事裁判と同じで軍になるっていうことは、上官の命令には従わなくちゃならないし、基本的には銃殺もありえるっていうような中で今まで自衛隊というのは、災害救助をやってるのを見て「いいな」と思って入ったりする人もいたわけですけど。今度は人を殺すっていうふうなことになってくるし、それに逆らえば、ある程度の処罰を受ける。今だったら国家公務員だからサボタージュくらいで済んだのが、かなりの罰を受け、最悪は銃殺。日本の戦争中も重罰なはずだったんですけども、そういうのが、大きいと思いました。それで、色々な問題が今までは公共の福祉というのが縛りだったのが、今度公益及び公共の秩序に変わりますし、あと緊急事態法で総理が緊急事態だって宣言すれば、全ての人権がストップされるっていうところが大分違うなって言うことですね。

・先ほどの方のお話を伺いしまして、今日は具体的に特定の憲法の中でも特定のテーマに絞ってお話をしてするっていう形ではなくて、自由にということでお話をしていただいてで早速、やっぱり昨今も一番話題になっている9条の話が出るかなと思って。今日の結論を出すということではないということに乗っかって私も話をしたいと思うんですけれども、変えるか変えないかという今回のテーマに沿って言えば、私はどちらを選ぶのかと言えば「変える」というふうになります。なので、先ほどお話しいただいたその方の意見というか、それとは意見が逆の立場になるのかなという風に考えております。といのも、やっぱりこの昨今の国際情勢というのは、どんどんどんどん変化が激しくなってきているで、その中で「変えない」ということで、ずっと70年間動かないでいたけれども、まあどうしてもそこでどんどんどんどん齟齬が出てきている、矛盾も出てきてしまっているというところで。やはり私自身もすごく今までの生活の中でも感じているというところではあります。ちょっと長くなってしまうので、一旦ここで区切ってしまいますが、今日の議論をしていくにあたって、私はもし憲法9条の話をするということであれば、変えていくしかないのか、変えていくというところを考えていきたいと思います。ただ、最後に一点補足するのであれば、それは政治家とか、そういう権力者に任せて変えてもらおうと言うのではなくて、一番大事な話をしておきたいのは憲法というのは上から押し着せられたり、強制されて守るものではなくて、国民の側から私たち一般の国民の側から権力者に対して要請をするものだっていう前提が私の中にあるので、そういうことを踏まえて考えると、自分たちで主体的に変えていくべきであると言うところが私の意見です。こういった立場がここにあるということで、留め置いていただければと思います。あとは、皆さんのこの後のご発言に沿って色々とお話ししたり聞かせていただければと思います。

・今日は「変えるか、変えないか」という話と、さらに「どう変える」という風にテーマにしました。僕も憲法は「変えるべき」だと思ってるんですが、それは多分今ご発言された方とは逆の方向で、要するに議論の余地がないぐらい放棄すると言う方向で、「変える」というふうなことを考えています。僕みたいな人間もいて、皆さん色んなお考えをお持ちだと思いますので、まさにその「変える」と言ったときに、「じゃあどう変えるのか」というのもお話しいただければと思いますし、僕なんかは真っ先にまず1条を変えるべきだと思っていてですね。そこは危ない話でもあるんですけども、もう1条をなくせばいいというふうに思ってるっていう。そういう意味で、色んな変え方があるのかなというふうに思っております。

・今の方が仰った9条を変えるべきだという話、軍備を持つように変える感じじゃなくて、真逆な形でと言う事のような。それと1条については「変える」「変えない」というよりも、よく理解できないところがあって。要するに「象徴」という言葉なんですけど。天皇は日本国および日本国民の統合の「象徴」という事ですよね。これ、「どういうことなのか?」と昔から考えてたんですけど、未だによく分からない。よく例に出されるのが、「鳩は平和の象徴だよ」とか「赤は愛情の象徴だよ」とかということなんですが、「天皇は日本国の象徴」というのがどういう事なのか?具体的に「日本国民の統合の象徴」とかこれもよく分からない。ということで、これは曖昧だから私も「今、変えろ変えろ」ということではないんですが、将来はそこら辺は考えていかなきゃ行けないなと。むしろ、大統領選みたいなことも考えられていいのかなということはチラっと思っております。それと、9条の問題については非常に守る側としては困るというか、答えづらいのが「自衛権」との問題だと思います。要するに、例えばこちらが丸裸でいて、相手側が武力を持って、その武力が持っている側がこちらに、今年にでも攻めてきた場合、どうするのと。その答えなんですよね?「攻めてきてもいいですよ」「死んでもでもいいですけど」とそういう話ならば、大したもんだと思うんですが。命なくなっちゃったらもう終わりだということからすると、そこをどういうふうにするかっていうことが出てくるのかなということで、前文と9条というのは関連があって。前文というのは、国際的に他の国民の、他の平和を愛する心とかね。そういうものを信頼をして、日本国民は武力とかは持たない。それで国の安全と平和を守りますよ。そういった前文の言い方だったかと。そういう覚悟でもって戦争とか考えた時は、武力とか軍隊とかそういうものは持ちませんよと、そういう関連付けだったと思うんですね。これが憲法制定された当初、日本国民全体が戦争はもう、なんとしても起こしてはいけないと言う思いがあって。そういう流れになってきたのかなと言う風にも思うんですが。ただ、憲法設定の経緯を調べますと、かなりアメリカ連合軍の総司令官辺りの考え方や横やりなど色んなことがあって、そういう形になったのかなと考えると、日本国民もは「もう戦争はいいや」という気持ちだけではなかったのかなというふうに思いました。曖昧な言い方ですが、そのように考えてます。

・「9条の会」の方に聞いてみたいですが、「9条の会」の方々は9条をどうしようとしているのかなと。あのまま文言は変えることなく維持すると、そういう考え方なんですか?

・そうです。現実的には今の憲法がまず活かしていくという面を強調して、2012年に自衛隊改憲憲法が出てるんですけれども。それを読むと今の国会の勢力からすると、集団的自衛権がある下で、国防軍にしてしまえば、アメリカの戦争に巻き込まれるわけだし、自衛といっても今の憲法の下でも専守防衛っていうのはずっと認められてきたことですから、今の国会勢力の中で、変えるのはちょっと恐ろしいと思います。私も天皇の象徴性は本当はない方がいいんじゃないかなと思うけども、今の日本国民全体からして、今そこを変えようってなると、話が収集つかなくなるので、とりあえずは今の憲法そのままの方がまだ安全だって思ってます。

・何考えてるのと言われそうなんですが、今の平和維持の状況というのはアメリカと日米安保を結んで。まあ言ってみれば、アメリカ側に立って中国とかロシアとの対立からごちゃごちゃやってるわけだけど。要するに日本は言ってみれば、日米安保条約の日米の協調から離れる方向で外交をすべきじゃないかなというふうに思う。今までの第二次世界大戦後の70年間の経緯があるわけですが、あって今のような世界情勢になっているわけですけど。そうだとしても私は、これからの外交は、夢のようなばかばかしいことを考えてんじゃないよって言われそうなんだけど、結論的に言うと日米安保条約はあってもいいと言うか。それに対して、もう一つ日中安保条約を結ぶ、あるいは日露安保条約を結ぶ。そういう方向考えていいんじゃないかなと。「冗談じゃないよ」と言われそうですが、そんなことはないと。方向としては、永世中立国とかそういうことじゃなくて、今は日中対立や日露対立状態でですね。我が日本は、「ロシアさん、あなたの方に武力なんかで攻めて行ったりしませんよ」ということを、中国に対してもそういうことを言う。それが本当に理解してくれれば、中国だってこっちに攻めるということがないのかと。ロシアだってそうだと。ましてアメリカ、日米安保条約を結んでいるんだから攻めてくることはないだろうと。まあ、そういうような大方からするとバカバカしいと思われるようなことなんだけど、そんなことを思いついたんです。

・まず「憲法9条」と「憲法1条」の話が出たと思うので、両方に言及したいんですけど、結構9条に関しては、先ほどの方が理想的というか、日露あるいは日中の平和条約を結ぶ方向という問題提起されたと思うんですけど。私も非常にそれに賛同する立場でして、この「憲法9条」に関する集団的自衛権であったり、議論っていうのはそこアメリカと、ロシアや中国中の間に日本だからこそ受けている影響というのが非常に大きいと思っていて。もちろん戦後、日本が先進国になれたのは、しっかり力を蓄えられたのもアメリカのおかげですけれども、やはりアメリカに依存しているからこそ、核の話もそうですけどごちゃごちゃしてしまってる。最終的にも自立しなくてはいけないなと。私もこれ理想論だと思いますけど、そういう方向にもっていきたいなと実は思っています。結構9条を変えるべき変えないべきかというところだと、条文をどのように変えるか分からないんですけど、自立するという点では自衛の能力、戦力と呼ぶのかって話で。自衛権はそれなりにこう防衛費を拠出して自国として自立できる程度の自衛権は確保するべきだと思います。自衛権は自立できるまで持つべきだと思います。「憲法1条」について、共産化して議論の余地があるんだっていうのを思ったんですけど。結構1条に対して「変えたい」と言っておられた方がどのように変えたいのか非常に興味があります。私は個人的に天皇制はあくまで今、象徴的な意味合いですけれども、これは軽い言い方をしてしまえば日本らしくて、日本のアイデンティティだと思っていて。特に批判することもないかなと思っているので、結構1条を変えたいという意見ある方について、後ほどで大丈夫ですので、ちょっと伺いたいと思います。

・僕がさっきの「1条」を変えたいといった内の一人なので、それに関してのみと言いますと。まず天皇制に関しては基本的に無くすべきだと思っています。それはなぜかというと、かわいそうだから。「国民じゃないね、かわいそうだ」と。天皇は国民じゃなくって、だから何の権利も日本国憲法が認める上での人権をなんら認められていない人々がいるというのは大変可愛そうな話ですので、ちゃんと国民にしてあげるべきであると言うふうに思っているのが一つ。ただ、あの人たちを何らか象徴的な位置に起き続けたいというであれば、国民にしてあげた上で、なんかうまいこと考えられたら、それはそれで悪くはないけども。少なくとも「憲法1条」で論じるような事柄では全くない。それなぜかというと、国民じゃない人の話を最初から、こうやって日本国憲法というのが、大日本帝国憲法を改訂したという形になっているので、それを引き継いで「1条」がその前の大日本帝国憲法であれば、主権者としての天皇から始まっていて、それは、あれはあれで「1条」が天皇というのは意味があったんだけども、現在の日本のあり方からするならば、天皇制はあってもいいけど、それは別に1条ではないでしょうと。後ろの方のどっかにちょこっとつけといてあげても、あるいはつけなくてもいいかもしれないしっていう形で、とにかくでも国民でないっていうのはひどいんじゃないのかなっていうふうに思っているっていうのが一つです。人間扱いされてないって人権が与えられてないって本当にひどいことかなっていうふうに。それから。ただ野に返してしまった時にあの人たちが政治に出たら、ものすごく票集めちゃうだろうなと思います。その心配はあることはあるんですけれども、それも含めてもやっぱりちゃんと国民として認めてあげなきゃ、あまりにも残酷なんじゃないのかなっていうことがあります。だから最初はやっぱり国民とか何とかから始めればいいんじゃないかなっていうふうに思っているということです。これが私の個人的な1条に対する思いです。

・「1条」を変えるべきだとか、なんとかということでなくて。今おっしゃったことで、大体天皇とか皇族という方は果たして日本国民なのか、日本国民の一人なのかどうか?憲法を読んでも、国民の一人と言う風になんか理解できないんですよね。国民じゃないというのは、それはどういう理由や根拠で?要するに、憲法に書かれてないということからですか?日本国籍が無いというのは。そこがね、天皇あるいは皇族の方々って国民なのかなあということで、分からなかったから聞きたかっただけなんです?

・私の認識で、多分彼らは戸籍がないね。戸籍がないことによって、いわゆる国民ではないのかなっていうふうに私は思います。

・日本国民の要件は法律で定めるってなってるんですよね。戸籍がないからということで、まあそこら辺は法律の決め方じゃないのかなと。法律があって決めてないから?

・そうではなくて、日本国憲法が最初に天皇と書いてしまっていて、国民というのが後から出てくるから、そこには含みようがないんだと思うんですね。だから、国民ではないですよね?国民ではないし、国民としての権利は何ひとつ与えられないはずですから。

・今の方の意見が、要するに天皇は「憲法第1条」が出てきて、国民の権利義務とかなんか後に出てくるから、要するに順番の問題で国民でないという事ですか?

・イヤ、順番の問題なく。これは僕常識だと思っていて、あの国民じゃないですよね。天皇は国民じゃないですよ。

・そこら辺のね明文規定がないから見つけられなかったから「どうかな?」ということでお聞きしたわけです。

・今のお話にちょっと専門家ではないんですけれども、補足をさせていただくと。まず天皇は国民であるかそうでないかということについてはちょっと三点ほどお話ししますね。一つ目が、天皇は国民であるかどうかということについては、ざっくり言ってしまえば、世話人がおっしゃったように国民という扱いではありません。なので、国民が憲法で認められている国民としての権利っていうものは天皇には基本的に認められていない。じゃあどこにも属さない宙ぶらりんの存在なのかというと、そういうことでもなくて。「皇室典範」という皇室がどういう存在であるかということを定めて、どこまでできて、何ができないかということを憲法を補足する形で定める「皇室典範」という法律が別にあります。それが一つですね。2つ目が戸籍の話だけ補足すると一応、皇室の人たちは戸籍はありません。分わかりやすい例として、皇室の方々は苗字がありません。なので、雅子様も美智子様も結婚したら苗字がなくなったんですね。じゃあ、どこに属してるのかっていうと国民がみんなが持ってる戸籍というものの代わりに、天皇の「皇」に天下統一の「統」に譜代の「譜」と書いて、「皇統譜」というものが用意されていて、そこに名前が書き加えられるんですね。一応、それが国民でいう戸籍簿の代わりになります。「皇統譜」に書かれた人は、「皇室典範」とか憲法に定められた決まりに則って、「じゃあ、皇統譜の人たちが持ってる財産とかはこういう扱いにしますよ」というふうに決められています。なので、一点目と二点目を今お伝えしたかったこととしては、決して宙ぶらりんの存在ではないという事です。三点目がここからのみなさんのお話のフックにしたいと思うんですけれども、「9条」を変えるにしても、「1条」を変えるにしても、憲法というのは一番大事なことから書いていくっていうことは、どの国も同じだと思うんですよ。「1条」に天皇が書かれているっていうふうになっていたのは、世話人がおっしゃったように。もう70年前に当時日本国憲法作った人たちの時代では、まだ天皇という存在が国の中心にすごくあったという時代の背景も大きいと思いますし、世話人と「9条の会」の方もおっしゃったように、70年も経って天皇という言葉がほとんど出てこなくなったわけだし。権利らしい権利というのはほとんどないわけだから、天皇という今のような「象徴」というのを外していいんじゃないのと言うところのお話になってくると思うんですけど。ちょっと答えらしい答えじゃないんですけど、ここ私すごく大事なことだと思っていて。1条に書かれてるとなると、私、皆さんに聞きたいなと思うのは、じゃあ、もし70年前にもうそれだけ酷い戦争があって、当時天皇を恨んで人って沢山いると思うんですけど。なぜ、その天皇を外さずに、当時「1条」にまだ置いたのかということ。もう一つが、じゃあ70年間変えるチャンスはあったと思うんですよ。「9条」を変えるということじゃなくて、「1条」の天皇に関する事を変えるということはチャンスがあったと思うんですけど、なぜそれをやって来なかったのか?最後がもしそれを変えたら、まあどうなっていくかというところです。この質問をした理由は、私の直感ですけど、多分天皇の部分を、大きく変えると「9条」にしても、他の条文にしても良い悪いの話ではなくて、ものすごい影響というか、日本の国として形が変わってくるんじゃないかなと思ったので。そこについては、今すぐでなくてもいいです。あとでも良いし、話が出なくてもいい。ですが、これ、ちょっと皆さんにちょっと聞いてみたいな、話をしてみたいなというところは思った次第です。長くなりましたが以上、補足と問題提起でございます。

上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓







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それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。