てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

本deてつがくカフェ2022.1.23. 『友だち幻想』

2021年12月31日 07時34分25秒 | 開催予定
年明けの1月は久しぶりに「本deてつがくカフェ」を開催いたします。

「本deてつがくカフェ」とは、みんなであらかじめ本を読んできて、それについて語り合う会です。

今回の課題図書は菅野仁の『友だち幻想』です。


本deてつがくカフェ2022.1.23.
【課題図書】『友だち幻想』
【日 時】2022年1月23日(日)
     15:00~17:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター B会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】会場参加:不要 (直接会場にお越しください) 
        オンライン参加:要(問い合わせ先までメールをお送りください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp







今回は会場の都合で土曜日ではなく、

日曜日の開催となりますのでご注意ください

また、開催時刻をいつもより1時間早めて15時スタートとしますので、

その点もお気をつけください


開催時刻変更の理由としましては、

もともとイベント終わりに懇親会(飲み会)を行うつもりで

夕方の時間帯(16時から18時)に設定しておりましたが、

コロナ禍以降、懇親会は自粛していること、

また開催の時間帯を早めてほしいという要望もあったため、

1月から試験的に実施させていただきます。




今回も会場とオンラインの同時開催となります。

会場参加をご希望の方は、お申し込みは不要となりますので、直接会場にお越しください。

また【「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針(2020年7月10日現在)

の記事をお読みいただき、マスク着用等のルールを守ったうえでご来場いただければ幸いです。



オンライン(Zoom)参加をご希望の方は、

オンラインミーティングにアクセスするためのURL等をお送りいたしますので、

問い合わせ先まで参加申し込みのメールをお送りください。




さて、今回の「本deてつがくカフェ」で選んだ『友だち幻想』(2008年)ですが、

「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)で又吉直樹さんが紹介したことで大きな注目を集め、

全人類必読書!」と世話人の小野原が自身のブログで絶賛するなど、

今なお多くの方に読まれ続ける名著ということで課題図書にいたしました。



「はじめに」 には本書の狙いが次のように書かれております。

「身近な人との親しいつながりが大事だと思っていて、

 そのことに神経がすり減るぐらい気を遣っている。

 なのにうまくいかないのは、なぜなのでしょうか。

 友だちが大切、でも友だちとの関係を重苦しく感じてしまう。

 そうした矛盾した意識をつい持ってしまうことはありませんか。

 こうした問題を解きほぐして考え直すためには、

 じつは、これまで当たり前だと思っていた 『人と人とのつながり』 の常識を、

 根本から見直してみる必要があるのではないかと私は思うのです。

 タイトルに 『友だち幻想』 とつけたのもそのためです。

 知らず知らずのうちに、私たちはさまざまな人間関係の幻想にとらわれているのではないか。

 固定した思い込みにとらわれているために、ちょっと見当はずれな方向に気をつかいすぎて、

 それで傷ついたり途方に暮れたりしているのではないでしょうか。

 だから、今まで無条件にプラスの方向、無条件に良いものと考えられてきた

 『身近な人とのつながり』 や 『親しさ』 のあり方について、

 ここであらためて腑分けをして、きちんと考えてみようと思うのです。

 この本は、身近な人たちとのつながりを見つめなおし、

 現代社会に求められる 『親しさ』 とはどのようなものであるかを捉えなおすための、

 『見取り図』 を描こうとしたものです。」



「みんな仲良く」という重圧に苦しんでいる人や、

「友だちは大切、でも友だちづきあいは息苦しい」といった矛盾を抱えている人にとって

処方箋のような本かもしれません。



『友だち幻想』を読んで、人と人とのつながりついて考え、話し合ってみませんか。

中学生や、たぶん小学生でも読める本ですので、

友だち関係に悩むお子さまをお持ちの方は、

お子さまと一緒に読んで、ぜひ一緒にご参加ください。

「てつがくカフェ@ふくしま」は初参加の方でも何歳の方でも、

気軽に、対等に、安心して何でも話し合える場です。

皆さまのご来場をお待ち申し上げます。

てつがくカフェ@ふくしま報告2021.12.18. 「どこからが差別か?」

2021年12月20日 14時17分03秒 | 定例てつがくカフェ記録
12/18(土)に開催された定例てつがくカフェについて

世話人の石井が報告させていただきます。



今回も会場&オンラインの同時開催となりました。

当日の会場には13名、オンラインでは5名の計18名の方にご参加いただきました。







定刻通り16時から始まりました。

ここで今回参加いただいた方の発言の一部をご紹介いたします。

【テーマについて】
・今日のテーマなんですが、境目があって、そこを過ぎてしまうと差別なのかなと。また、どうして差別があるのかも検討したい

・昔海外に住んでいたが、そこでは500人に1人ぐらいの割合で自分みたいな移住者がいて、町のみんなが親切だった。ただ1980年代頃から移民が増えて、今まで移民が来る前に住んでいた人=マジョリティー(多数派)が移民というマイノリティー(少数派)に感じることというか。例えば、家の前に車を止めるのは禁止というのが分からないといったご近所トラブルも出るようになって。移民というのは政府から認められているので、(国ではなく地域では)マイノリティーとマジョリティーが崩れたときに差別が生じるのではないか?

・アメリカに渡った人たちは、経済と銃器でインディアンを追いつめて地位を得た。そういった歴史的背景からアメリカ人は(土地の)支配を行っているのは私たちだという意識がある。話は変わるが、学校では支配層と被支配層に分かれるのが現状で、この関係をほどいていかないと区別じゃない差別が生まれると思う

・どこからが差別か?というテーマだが、(一方で)どこまでが差別じゃないのかというのも考えられるのではないか?また差別はされている側が感じることでは?あと差別する側の論理=強者の論理が強いと思う

・多数派と少数派の話だが、差別するのは多数派が少数派に立場を脅かされるといった排他的行為からの心理が働くのでは?またいじめと差別の境界線はどこにあるのかが疑問に思う
→少数派だから差別されるというわけではないのではないか?ルワンダの事例でいえば、ツチ族という少数派の民族が多数派のフツ族を支配していた。差別は一概に少数と多数(の対立)では語れないと思う

【差別と区別の違い】
・区別と差別の認識というか、区別に例えば文化の違いとか行動の仕方や考え方が加わっていくことで、差別が生じかねないのでは?と思うことがある。 また「白人」というのも(言語的に)差別になるのかどうか。白人が黒人を支配していた時代もあるが、自分は区別に何かが加わって(結果的に)差別になると思う

・差別のなかに優劣という考えがあって。(差別をなくすには)お互い文化として認めていかないといけない

・自分たちは根本的なところで間違ってきていると思う。未開人だから=人権を認めていないという(植民地時代の)考えは、それはただの(支配する側の)ご都合主事でしかない。未開の土地でも文明や文化に優れた民族もいる。非文明的だといって一つの倫理観で定めるのはどうかと思う

・力を持つ者と力を持たぬ者という考えは、どこから出てくるのだろうか?どちらが上か下かといった構造的な物の中に生きてきてしまうとそういった思考になってしまうのか?

・差別と区別の話は、自分は人間社会では当たり前の話だと思っている。また差別された側が差別と思っていないこともある。差別だと思ってやる意図の問題かなと。むしろ差別の問題は心理的な所に還元するのは無理があると思う。差別は歴史的な問題で、昔の人々がやってきた行いを今の人から見れば差別だが当時の人はそれが差別だとは思っていない。人権意識の拡張で差別という意識というか、差別概念が変わってきているのではないか

・差別について考えてきたこととして、今の自分の生活では差別を感じていない。ただ個人の心の中の差別と社会のルールとしての差別があると思っていて。組織の差別と個人の差別があるのではないかと。差別は比較や競走から自分を守るために、自分の防衛本能から本能的に生まれてしまうのかなと

【日本にある差別】
・日本の中でも地域格差があって、例えば引っ越してきた人を阻害(排除、除け者に)するようなことも差別になるのかなと。そういったことがない地域は、どういう人で構成されているのかな?どういう傾向があるのかな?と疑問に思っていて。すごく地域差があるなと感じる

・当人が感じていない差別があるのでは?という話があったが、当人を取り巻く環境(居場所)から追い出されるのではないかという不安はあって。また東北には「サンカ(山窩)※」という言葉もあって
※日本にかつて存在したとされる放浪民の集団。差別用語としても使われる

・自分は転勤族であったが、(その土地ごとに)受け入れる土壌というのがあって。例えば郡山は転校生の多い地域ですごく受け入れてくれたが、逆に福島は転校生が少ない地域なのか(郡山と比べると)排他的なところもあった
→郡山は土地の発生から開明的な地域だった

・差はみんな持っている。その差で分けるには、どう扱うかが重要。(その差を指摘すれば)なんでも差別と言えてしまうのでは? 時代とか場で変わってきてしまうのでは?と思う。移民が差別されるという例も、どうやったら差別が生まれるか?と考えたとき、(差に)気づくことで差別といわれるのではないかなと。また入試は学力で分けているから差別といわれても仕方ないのでは?と思うこともある

・地域的な差別=部落民の話は、30年前にかなり問題になった。明治維新の時に負けた側の会津藩は新政府の要職につけないなど差別された。また試験については標準偏差値というものがあって、偏差値を区分するという評価で、「区分」そのものは評価された結果なんだけど、「区分け」することで差別する可能性を持っている。大学の助手と准教授と教授の例でいえば、どういう差があるのかと(外から見ると)思うこともある
→大学のヒエラルキーというか政治力も教授になるにはあるのかなと。入試の問題も教える先生のレベルが違うから学力に分けていて。研究や勉強というのは学力には寄らないと思うが、試験はそれぞれの学校が勝手にやっていることだから

・良くない不当なことを差別というが、合理的な差別というか線引きをどうするのかなと。例えば商品の差別化なんかは経営方針の違いなどによるもので。差別だと言ってもそれで裁判できるか?というのもあって。友達作りでも、学校に合わない友だちがいて、こっちが拒否しても向こうが友だちになりたがっている場合、(友だちになる人とならない人を分けることの)何が問題か?クレームを申し立てても、本当に差別か検証する必要がある。差別する意図というか。「ちびくろサンボ」※の例もあるが、差別といって(問題が簡単に)決着つきますか?と思う
※世界的に広く読まれている童話、絵本。黒人差別や著作権の問題も絡んで絶版と復刊の歴史を辿りながら120年もの間多くの人に読まれている

【差別が生じる原因】
・人を尊敬する、人に感謝をすることで差別はなくなるのでは?
→尊敬することと感謝することをイコールとしているようですがどういう関係でそうおっしゃられているのかなと。自分はまったく意味の違うことだと考えている
→差別は相手を尊重していないというか。修行というか、自分は対立する意見を言ってくれてありがとうという感覚

・差別=人格自体を否定することになるのでは?差は個性ではないかなと

・根本的に差別が生じる原因は言葉にあるのでは?人類が言葉を獲得した、つまり言葉というのは分けること、思いをはっきりさせること。言葉の獲得が差別に発展した原因では?男女差別の問題も、昔は参政権・投票権が女性には認められていなかったが、これは明らかに差別で、今はもう例えば自衛隊員に女性がいる。LGBTQまで来ている。そうした男女で二分出来ないところまで来ている。問題になるのは「区分け」して苦しむことが生じている。社会的に(差別が)問題になることで、なくすには差別となっている評価の仕方その辺を反省し検討しなければ解決していかないのかなと。「在日はでていけ」「国へ帰れ」なんていうことは、もの凄い差別で。そうした一つひとつ丁寧に検討し考えることで、最後は気持ちの問題になるのかな。差別が無くならない、差別で困った人が出てくるのは、企業や行政が真剣に考えていないのでは?と思う
→自分は言葉の獲得=差別とは思わない。言葉が原因ではなく、考えて行動する生き物なら(差別は)起きてしまうのでは?
→人間の生き方で(差別かどうかが)決まってくる。日本では楽をすること=手を抜くことと言われているが、自分はそうは思わない。動物の世界は弱肉強食だが、人間が楽に生きる心を注いでいけばと思う

・差別の最後は経済行為では?と思っている。方言で差別したり、相手を蹴落とす行為も(最終的に貧富の格差に行き着く)

・仏教では差別(しゃべつ)※という。また(差別用語をなくすには)言葉の認識をやめましょうになるのか、何かに焦点合わせてそこまで遡ってやるのか。性の在り方もLGBTQのどれにも自分に当てはまらない場合、自分の性的指向が分からないと言葉から漏れる者になる。あとヘイトスピーチをやっている一部の人たちは正義感情からきていて、在日特権を許さないということもあって。言葉で差別する(あるいは差別されたと)どうジャッジするのか?
※仏語。万物の本体が一如平等であるのに対し、その万物に高下・善悪などの特殊相があること

・競争=差別はなるほどと思った。ただ競争の結果から生まれるものでも、良い差別はないと思う。(差別は)結局よくない。また恐怖心からくる差別というか、自分の権利が守られていないと感じるところからくるというのもあるのかなと。それぞれのテリトリーがあって、権利がいかに守られるかを考えないと結局(差別は)無くならない

・個人的には良い差別もあると思う。アメリカでは極めて賢い子が飛び級する制度で、日本のように年齢で(能力を)制限するのはいいことなのか?(飛び級することで)他の子と分けているのは、差別かもしれないが、それが何のためのなのかという目的として問われるのかなと
→差別=悪いものという概念もある。商品の差別は価値中立的であるが、現代の日本で差別の話は悪いものとして捉えていいと思う。LGBTQの話も言葉として可視化されて差別の問題が浮かび上がる。気持ちの問題で言えば、「あいつらは憎たらしい」みたいなネガティブ感情と、正義感という感情心理が差別の十分条件ではないと思う

・偏見や先入観を持つというのは人間の能力かなと。年齢差別の話でいえば、同じ年齢の子に同じ教育を施すというか、日本の義務教育には落第はないが、ほかの国にはあって。それは差別ととらえられるのか?

・差別はどこから生まれるかという話だが、区別が差別の種かなと。それがいつ差別になるかというと、区別しなくてもいいと気づいたときに差別が生まれるのでは?と思う。男性は仕事、女性が家事をするものという昔の考えを、段々とみんなが(差別だと)気付き始めたから生まれてきたのかなと

・ ジェンダーとセクシュアリティに違いはあって。個人の気持ちは重要というか、個別に対面するとイメージが変わったが、集団で考えると個別性を失ってしまうのか。集団でおこなわれる偏見というか。個人同士で出会うことで差別を生まないことになるのかなと。個人間の好き嫌いで思うこともあるだろうが、それはなくすにはどうしたものか?
→集団の中の差別という話だが、それは文化が背景にあると思う。(差別を生まない)アプローチの仕方を考えるというか

・子どものお遊戯会を見た際に、男の子と女の子の演出というかジェンダーのことは考えてるのかが気になって園長先生に「年齢的にも小さいから中性的にやってはどうか?」といった内容のメールを送ったら、子どものセクシュアリティは未分化なので、医者の診断があれば個別に対応するという旨の回答をもらって。そういうことでないというか、なんか認識が違うというか

・(差別を生まないようにするには)個人の自立度というか。(多様性が)文化の発展につながるので、いろんな経験をして培われてくるものというか、差別のないようにするには色んな情報を入手できるようにしないといけないのかなと

・乙武洋匡さんの話で、小さい頃に差別を受けたと感じていなかったそうで。それって逆境力というか、鈍感力というか。自分で全然感じていない、気づいていない、そういったものの見方で差別と感じていないこともあるなと

・男女差別というのは、社会的な性差で。(差別を生む)一番問題なのは、教育だと思う。女性の能力を生かせない、伸ばせていないというのが問題だなと

・差別の問題を考えるとき、個人と組織の話という対概念は違和感がある。そうではなく社会の問題と捉えるべきでは?




上記のような様々な意見があり、 議論が活発に行われました。

最終的な板書はコチラ↓






さて、次回のてつがくカフェは、

1月23日(日)15時から福島市市民活動サポートセンターで行います。

テーマは『友だち幻想』(菅野仁著、2008年)です。


なお、会場参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。


また、オンラインによる参加をご希望の際は、

てつがくカフェのメールアドレスまでご連絡ください。


そのほか、てつがくカフェのTwitterとFacebookもありますので、フォローしていただけると幸いです。


てつがくカフェ@ふくしま Twitter

てつがくカフェ@ふくしま Facebook 


それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。


てつがくカフェ@ふくしま2021.12.18. 「どこからが差別か?」

2021年12月15日 08時32分40秒 | 開催予定
12月は「差別」について問い、考え、語り合いたいと思います。

てつがくカフェ@ふくしま2021.12.18.
【テーマ】「どこからが差別か?」
【日 時】2021年12月18日(土)
     16:00~18:00
【場 所】福島市市民活動サポートセンター A会議室&ZOOM

       チェンバおおまち3階 (福島市大町4-15)
【参加費】無料 (飲み物は各自ご用意ください)
【事前申し込み】会場参加:不要 (直接会場にお越しください) 
        オンライン参加:要(問い合わせ先までメールをお送りください)
【問い合わせ先】fukushimacafe@mail.goo.ne.jp





今回も会場とオンラインの同時開催となります。

会場参加をご希望の方は、お申し込みは不要となりますので、直接会場にお越しください。

また【「てつがくカフェ@ふくしま」当面の開催方針(2020年7月10日現在)

の記事をお読みいただき、マスク着用等のルールを守ったうえでご来場いただければ幸いです。



オンライン(Zoom)参加をご希望の方は、

オンラインミーティングにアクセスするためのURL等をお送りいたしますので、

問い合わせ先まで参加申し込みのメールをお送りください。



さて、今回は参加者の方からリクエストのあった「差別」がテーマとなります。



「差別」を辞書で引くと

1.あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」

2.取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」

と記載されています。



今回のテーマは上記の「2」で述べられている

人種差別や性差別といった問題について語り合いたいと思います。



まずは今年に起きた差別的な言動や事件についてまとめてみました。


五輪組織委の森会長、性差別発言で辞任

新型コロナ禍でのアジア系への人種差別(ヘイトクライム)

東京オリンピック開会式の作曲担当が過去に同級生へのいじめを告白していた問題(障がい者差別)

仏サッカー選手の日本人に対する「人種差別発言」

メンタリストDaiGoのホームレスへの差別発言

エンゼルスの大谷翔平選手への差別的発言で解説者のモリス氏に無期限出演停止

「種の保存に反する」と差別発言した自民党議員へLGBT団体が謝罪と撤回求める



上記の通り、2021年現在においても

世界から「差別」はなくなっておりません。



普段、日本で生活している日本人にとって

日本人ということを理由に差別を受けることはほとんどありませんので、

人種差別といわれてもピンと来ない方もいらっしゃるかと思います。



しかし、海外へ出て差別を受けたことのある人でないと

わからない世界があることもまた事実です。



また人種差別、女性差別、LGBT差別以外にも

「本当のことだから」といって他人に対し

低学歴、低賃金、ブサイク、太っている、発達障害だ、などと言うことも

相手への敬意を欠いた一種の差別発言のように思われます。
(発言した本人はこれが侮辱や差別だとも思ってないようですが…)



そして差別は何も不当に低く取り扱うことだけではありません。

「取り扱いに差をつける」と辞書にも記されているように

特別に優遇することもまた「差別」だと受け取る方もいます。




男性しかいない職場で一人可愛がられる女性社員や

外国人だからという理由で日本語の課題を免除される留学生など

周りから見れば優遇されているように思えても、

本人は「差別」と受け取っている場合もあり、

これらの「差別」は体験しないと分からない境遇と言えます。




上記以外の話でも

当日は「差別」について皆様と一緒に考えたいと思います。




「てつがくカフェ@ふくしま」は

差別を受けたことがある人でもない人でも

誰でも気軽に対等に、

安心して何でも話し合える場です。

初めての方もお気軽にご参加ください。