今になって、良く分かる。
周りを受け入れられなかったつい数日までの私は、
ものすごく傷ついてた。
職場でも家でも、街の中でも、
自分に対して配慮してくれない人に嫌悪感をもった。
イライラしている人がいると、私も嫌な気分になった。
同時に周りの人を傷つけてきた。
きっと私の傍にいたくないと思った人も沢山いると思う。
周りにそう思う人がいるってこと、それも分かっていた。
でも、どうすることもできなかった。
それを悲しいと思った。
どうにかしたいと思った。
そんな状況を受け入れたくなかったから。
人を信じることができなかった。
自分を信じることができなかった。
自分の未来を信じることができなかった。
現実はどこまでいっても、
ただ空間があって、時間が過ぎていくだけ。
ただそれだけのこと。
真っ白で、平坦で、無感情な世界はどこまでもどこまでも、
終わりなく続いていく。
でも人生がすばらしいのは、
その時間と空間の間にそこに、沢山の命、
そして人間の心が、感情があるからだ。
そのどこまでも続く無限の空間と時間の中に、
有限の命あるもの人間の心のフィルターを通して、
私たちは世界をみているだけ、それだけのことなんだ。
だから、自分の心が変われば、世界が変わったようにみえる。
少なくとも、その人のフィルターからみた世界は素晴らしいものにみえる。
悲しいことも、苦しいことも、
楽しいことも、嬉しいことも、
心があるから感じることで、
それは命ある、有限の命ある自分がここにいるから感じることで、
生きている証拠なんだ。
だったら、できることなら楽しく生きたい。
自分の心のフィルターは、いつも綺麗におそうじして、
輝く世界をみていたい。
この間学生時代の友達に会った時もそうだった、
一人暮らし生活最後の日にうちに泊まりにきてくれた友達もそうだった、
あんなに後ろ向きで、
重たかった私をいつもそのまま受けとめてくれた。
いや、本人達はそんな風には思っていないかもしれないけど、
友達がそのまんま、でいてくれたから、
私に期待するわけでもなく、
私がどんなに自分を嫌いでも、
友達はそのまんまでいてくれたから、
私が私で居られたんだ。
私は傷つけてきた人が周りに沢山居ると思う。
優しくできなかった人が沢山いる。
私ばっかり、辛かったわけじゃないのに!
本当にごめんなさい。
そして、自分に…
ずっと裏切りつづけてごめん。
人を信じること、そしてそれでも裏切られること、
これからもきっとある。
誰だって弱い心は持っている。
真っ暗な夜に包まれている方が落ち着くっていう時だってあるかもしれない。
無機質な空間に居る方が落ち着くときだってきっとある。
けれど…
そこから這い上がる力もある。
自分は暗闇を照らす光になりたい。
また、光を信じる人でいたい。
幸せになりたいじゃなくて、なるんだ。
自分に笑顔を返してくれなくても、
冷たくされても、なんとなく関係がビミョーでも、
期待した答えが返ってこなくても、
自分を好きでいればそれでいい。
自分を嫌いになってしまったら、
人に好かれることが自分の存在意義になってしまう。
そしたらうまくいかない度に傷ついて、自分や人を傷つける。
苦しくて苦しくて、そうしてしまう。
私はそうやってかれこれ2年間、過ごしてきてしまった。
一度周りや自分自身に対して失った信頼を取り戻すのは時間がかかるけど、
心に思ったことをとにかく素直にやってみることだ。
面倒がらず、先を憂う前に、やる。
「あ、いま後回しにしよーとおもった」ってことをその場ですぐやる。
一つひとつ積み上げいく。
毎日私の心の隙間に何回もヒョコと現れる「臆病なほん」を
「勇敢なほん」がやっつける。
やっつけるといっても、和解するんだ。
「ああ、いままで大変だったね、だけどここ頑張っとこ、後で楽だよ」と諭す。
今までは正面衝突していたけど…。
もう一度、自分を好きになるために、
今度は「誰かに求められる自分に酔う」んじゃなくて、
自分のために、
そして大きなことはできないけど、
人の役に立てるように、
ありのまんまの私でぶつかって、頑張ろうと思います。
現在地をのあたりをつけて、ちょっと落ち着いて、
うずくまって体育座りしてたけど、立ち上がって、
今、少し周囲を見渡して景色がみえてきたところ。
これからやることは、
臆病なほんださんと仲良くなること。
そして「できる」と安心させてあげること…
つまり、くもってしまった心のフィルターのお掃除です。
まず要らないモノを捨てよう。
つまらないプライドなんて捨てよう。
そんなに沢山のものを抱えきれないから、
そして一番大事なものを落っことさないように、
無くさないように、
よく見えるところにいつもおいておこう。
私の良さは、自分の心に正直なところ。
自分の心、感情や思いに嘘をつけないところだ。
好きなものは好きでいい。
嫌いなものは嫌いでいい。
あくまでも自分がどう思うかだ。
私が何かを嫌いだって、その何かが悪いわけじゃない。
好き嫌いと、良い悪いは違う。
それに、それの価値観も人によって違う。
色々あっていい。
ただ、そこに秩序を持たせるためにルールがあって、
それは色々な価値観がある人が共に暮らすために、
皆が守ることだから、ちゃんと守る。
多様性があることが前提のルールなんだ。
人間なんだから、色々あっていいんだ。
だから自分の心に素直になって、
人と好き嫌いが違くてもいいんだ。
…いいんだなぁ。
心のフィルターは
一朝一夕には見違えるように綺麗にはならなくても、
毎日続けていればいつの間にか磨かれているはず。
「信じる」のは、結果を期待するだけじゃなくて、
うまくいくと信じて努力することだ。
幸せになりたいじゃなくて、「なる」んだ。
人にどんなにバカにされてもいい。
分かってもらえなくてもいい。
最後まで自分を信じる。
信じて進む。
周りを受け入れられなかったつい数日までの私は、
ものすごく傷ついてた。
職場でも家でも、街の中でも、
自分に対して配慮してくれない人に嫌悪感をもった。
イライラしている人がいると、私も嫌な気分になった。
同時に周りの人を傷つけてきた。
きっと私の傍にいたくないと思った人も沢山いると思う。
周りにそう思う人がいるってこと、それも分かっていた。
でも、どうすることもできなかった。
それを悲しいと思った。
どうにかしたいと思った。
そんな状況を受け入れたくなかったから。
人を信じることができなかった。
自分を信じることができなかった。
自分の未来を信じることができなかった。
現実はどこまでいっても、
ただ空間があって、時間が過ぎていくだけ。
ただそれだけのこと。
真っ白で、平坦で、無感情な世界はどこまでもどこまでも、
終わりなく続いていく。
でも人生がすばらしいのは、
その時間と空間の間にそこに、沢山の命、
そして人間の心が、感情があるからだ。
そのどこまでも続く無限の空間と時間の中に、
有限の命あるもの人間の心のフィルターを通して、
私たちは世界をみているだけ、それだけのことなんだ。
だから、自分の心が変われば、世界が変わったようにみえる。
少なくとも、その人のフィルターからみた世界は素晴らしいものにみえる。
悲しいことも、苦しいことも、
楽しいことも、嬉しいことも、
心があるから感じることで、
それは命ある、有限の命ある自分がここにいるから感じることで、
生きている証拠なんだ。
だったら、できることなら楽しく生きたい。
自分の心のフィルターは、いつも綺麗におそうじして、
輝く世界をみていたい。
この間学生時代の友達に会った時もそうだった、
一人暮らし生活最後の日にうちに泊まりにきてくれた友達もそうだった、
あんなに後ろ向きで、
重たかった私をいつもそのまま受けとめてくれた。
いや、本人達はそんな風には思っていないかもしれないけど、
友達がそのまんま、でいてくれたから、
私に期待するわけでもなく、
私がどんなに自分を嫌いでも、
友達はそのまんまでいてくれたから、
私が私で居られたんだ。
私は傷つけてきた人が周りに沢山居ると思う。
優しくできなかった人が沢山いる。
私ばっかり、辛かったわけじゃないのに!
本当にごめんなさい。
そして、自分に…
ずっと裏切りつづけてごめん。
人を信じること、そしてそれでも裏切られること、
これからもきっとある。
誰だって弱い心は持っている。
真っ暗な夜に包まれている方が落ち着くっていう時だってあるかもしれない。
無機質な空間に居る方が落ち着くときだってきっとある。
けれど…
そこから這い上がる力もある。
自分は暗闇を照らす光になりたい。
また、光を信じる人でいたい。
幸せになりたいじゃなくて、なるんだ。
自分に笑顔を返してくれなくても、
冷たくされても、なんとなく関係がビミョーでも、
期待した答えが返ってこなくても、
自分を好きでいればそれでいい。
自分を嫌いになってしまったら、
人に好かれることが自分の存在意義になってしまう。
そしたらうまくいかない度に傷ついて、自分や人を傷つける。
苦しくて苦しくて、そうしてしまう。
私はそうやってかれこれ2年間、過ごしてきてしまった。
一度周りや自分自身に対して失った信頼を取り戻すのは時間がかかるけど、
心に思ったことをとにかく素直にやってみることだ。
面倒がらず、先を憂う前に、やる。
「あ、いま後回しにしよーとおもった」ってことをその場ですぐやる。
一つひとつ積み上げいく。
毎日私の心の隙間に何回もヒョコと現れる「臆病なほん」を
「勇敢なほん」がやっつける。
やっつけるといっても、和解するんだ。
「ああ、いままで大変だったね、だけどここ頑張っとこ、後で楽だよ」と諭す。
今までは正面衝突していたけど…。
もう一度、自分を好きになるために、
今度は「誰かに求められる自分に酔う」んじゃなくて、
自分のために、
そして大きなことはできないけど、
人の役に立てるように、
ありのまんまの私でぶつかって、頑張ろうと思います。
現在地をのあたりをつけて、ちょっと落ち着いて、
うずくまって体育座りしてたけど、立ち上がって、
今、少し周囲を見渡して景色がみえてきたところ。
これからやることは、
臆病なほんださんと仲良くなること。
そして「できる」と安心させてあげること…
つまり、くもってしまった心のフィルターのお掃除です。
まず要らないモノを捨てよう。
つまらないプライドなんて捨てよう。
そんなに沢山のものを抱えきれないから、
そして一番大事なものを落っことさないように、
無くさないように、
よく見えるところにいつもおいておこう。
私の良さは、自分の心に正直なところ。
自分の心、感情や思いに嘘をつけないところだ。
好きなものは好きでいい。
嫌いなものは嫌いでいい。
あくまでも自分がどう思うかだ。
私が何かを嫌いだって、その何かが悪いわけじゃない。
好き嫌いと、良い悪いは違う。
それに、それの価値観も人によって違う。
色々あっていい。
ただ、そこに秩序を持たせるためにルールがあって、
それは色々な価値観がある人が共に暮らすために、
皆が守ることだから、ちゃんと守る。
多様性があることが前提のルールなんだ。
人間なんだから、色々あっていいんだ。
だから自分の心に素直になって、
人と好き嫌いが違くてもいいんだ。
…いいんだなぁ。
心のフィルターは
一朝一夕には見違えるように綺麗にはならなくても、
毎日続けていればいつの間にか磨かれているはず。
「信じる」のは、結果を期待するだけじゃなくて、
うまくいくと信じて努力することだ。
幸せになりたいじゃなくて、「なる」んだ。
人にどんなにバカにされてもいい。
分かってもらえなくてもいい。
最後まで自分を信じる。
信じて進む。