道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

旧帝国大審院(ライヒ裁判所)(ライプツィヒ)

2013年08月17日 | ドイツ語
今回,再びライプツィヒにある旧帝国大審院(ライヒ裁判所),つまり現在の連邦行政裁判所の建物を訪れました。

旧帝国大審院は,大昔にブログにも書きましたが,戦前までの通常事件の最上級審の裁判所で,ナチ時代には国会放火事件で起訴されたゲオルギー・ディミトロフの裁判が行われた場所でした。
戦後,ドイツが東西に分裂すると,今度は,ゲオルギー・ディミトロフの方が英雄となり,この旧帝国大審院はゲオルギー・ディミトロフ博物館となりました。
その後,旧東ドイツの崩壊,東西ドイツの再統一により,価値観が一変すると,ゲオルギー・ディミトロフの功績がたたえられることもなくなりました(ディミトロフは戦後ブルガリアの首相となり,ソフィアにはレーニン廟をまねたゲオルギー・ディミトロフ廟もありましたが,ディミトロフの遺体は火葬の上,中央墓地に埋葬され,ディミトロフ廟自体も撤去されております。)。ライプツィヒのディミトロフ博物館も,最初は造形博物館となり,次いでドイツの行政裁判の最上級審である連邦行政裁判所となりました。連邦行政裁判所は旧西ベルリン(Zoologischer Garten駅のすぐ隣)にありましたが,再統一により,5つある連邦の裁判所(連邦憲法裁判所を除く)のいくつかを旧東ドイツに移すという政策のもと,この由緒正しき場所に移転しました。

現在の連邦行政裁判所でも,旧ディミトロフ博物館と呼ばれる,昔の大きな法廷のエリアは,普通は一般に公開されていますし,ホール内も公開され,ステンドグラスも見ることができます。それと,奥の方にある部屋にも,初代院長Eduard von Simson(エドゥアルト・フォン・ジムソン)から最後の院長にしてナチの裁判官であったErwin Bumke(エルヴィン・ブムケ)に至るまでの大審院の時代,ディミトロフ博物館の時代,連邦行政裁判所の時代の3つの時代にわたる,この建物の歴史が解説されています(なお,ブムケは余りにナチの色が強いため,カールスルーエにある現在の連邦通常裁判所にも,歴代の大審院長の肖像画が掛かっているにもかかわらず,ブムケの肖像画だけはないとのことです。)。さらに決まった曜日と時間には,建物内部をガイド付きで詳しく見ることができるようです。私が行ったときには,ガイドの時間には合わなかったのですが,荷物をコインロッカーに預けて,定められた範囲では自由に内部を見ることができました。

旧ディミトロフ博物館(ディミトロフの裁判のあった法廷)



3つの歴史を物語る部屋



ステンドグラス



この建物のある場所ですが,大審院の初代院長であるEduard von Simsonエドゥアルト・フォン・ジムソンに因んでつけられたSimosonplatz1番地というところにあります(ここも旧東独時代から1997年までは,Georgi-Dimitroff-Platzの名前でした。)。そして,Simsonplatzには小径であるDimitroffstrasseが交わっており,この建物のたどった歴史を物語っております。ジムソンはドイツ国民議会議長,帝国議会議長等を経て,大審院の初代院長となったのでした。