道楽ねずみ

ドイツに関するものを中心に美術展,オペラ,映画等の趣味の世界を紹介します。

ワイマール出発

2013年08月09日 | ドイツ語
ワイマールを1泊してライプチヒに旅立ちます。
今まで紹介したもののほかにも,バウハウス博物館に行きましたし,また,ワイマールの象徴ともいうべき国民劇場前のゲーテとシラーの像の前にも行きました。

今回のワイマール滞在では,アンナ・アマーリア図書館に行くことができたのが大きな収穫でした。ただ,時間の都合で今回はシラーハウス,ゲーテのあずまや,リストの家(かつてこのすぐ近くに宿泊しました。),ゲーテとシラーの棺のある大公家墓所などには行くことができませんでした。

ワイマールはICEなどもまず止まらないような小さな街ですが,街の景観が他のドイツの街と比べても保持されており,とても雰囲気のいい街です。私が留学していた街も大学以外には何もないような小さな街でしたが,雰囲気のいい暮らしやすい街でしたが,ワイマールもここにゆっくりと暮らせばいい研究ができそうな街です。

Wintergarten(Hotel Kaiserin Augusta ワイマール)

2013年08月08日 | 食道楽
ワイマールでの夕食は,宿泊したホテルであるホテル・カイザリン・アウグスタにあるヴィンターガルテンというレストランで取りました。ベルリンの高級デパートKaDeWeの最上階にも同じ名前の別のレストランがあります。

ホテルはワイマールの駅前ですが,静かで雰囲気のいいホテルでした。現代アートのコレクションも多く展示されていました。階ごとに「○○の階」というように名前がつけられており,相方ねずみと泊まった階は「カンディンスキーの階」となっていました。

レストランのウィンターガルテンも屋外のテラスがあり,明るく開放的です。テラス席は使わなかったのですが,夜になっても明るく,暑いが湿度の低い,久々のドイツの夏を楽しむことができました。食べましたのは,最初にタマネギいっぱいのスープ,そして,チューリンゲン名物のソーセージとブタのローストと山盛りのタマネギでした。とてもお腹が一杯で食べきれなくなりました。
たまたま,日本人のツアー客と夕食も朝食も同じ時間になりましたが,私たちのことを同じツアー客と勘違いされて話しかけられ,対応に困ってしまいました。

下のはタマネギスープのほうです。


城美術館(ワイマール)

2013年08月07日 | 美術道楽
ワイマール編まだ続いています。今日はマイルドな話にします。

昼食後には,城美術館に行きました。
ワイマールの城をそのまま美術館にした建物です。

建物としての宮殿も見ながら,デューラーやクラナッハの作品を鑑賞することができます。

残念ながらクラナッハの「ペテロとパウルの祭壇画」は見ることができませんでしたが,古い感じの建物の中でゆったりとした時間を過ごすことができました。

クラナッハ作のルター夫妻の絵


デューラー作の絵

ゲーテハウス(ワイマール)

2013年08月06日 | 美術道楽
インターネットでワイマールと検索したら「ワイマール 麻生」とか「ワイマール ナチス 麻生」という選択肢が出てきました。日本人は本当にナチのたとえが好きなものだと呆れます。


さて,ワイマールのゲーテハウスも1994年12月に行って以来,実に20年近く経ってからの2回目の訪問です。
随分と入り口が近代化されたものと感心します。
ゲーテが使っていた馬車は,昔は貴重な展示品だったのに,今ではどうでもいい物のようで,入り口の近くの真っ暗な土蔵のようなところに打ち捨てられていました。路上に並ぶ観光馬車の方がよほど立派です。
ゲーテが「もっと光を」と言って息を引き取ったベッドも,今やその部屋に立ち入れないようになっています。



それと,最近できたと思われるシュテファン・バルケンホール作のゲーテの彫像もありました。



ゲーテはワイマールに招聘され,ここで政治にも携わり,意欲的に活動をしました。もっとも,ゲーテの活動が意欲的だったのは首から上だけではなく,下半身も含めてでありまして,年をとってからも若い女の子が大好きだったゲーテは,その意味では志村けんや加藤茶ともあまり変わらないような気もします。

話は変わりますが,たまたま今日の美術カレンダーも,フランクフルトのシュテーデル美術館に収蔵されているアンディ・ウォーホル作のゲーテでした。ティッシュバイン作の有名なゲーテの絵がベースでしょうか,今回の旅行の最終日にはシュテーデル美術館に行って,ウォーホル作とティッシュバイン作の両方のゲーテを見ました。後日紹介します。



閑話休題
ところで,私はこのワイマールのゲーテハウスを見ると,思い出すことがあります。私が最初に訪れた1994年の時点では,天安門事件からまだ日が浅かったため,中国は欧米諸国からまさに四面楚歌状態でした(今でも,世界の鼻つまみ者という気もしますが。)。天安門事件はPeking Massakerと呼ばれ(因みにNanking Massakerは日本の南京大虐殺です。),李鵬がドイツを訪問し,ワイマールのゲーテハウスを訪問した際には,ドイツの精神を侮辱するのかと抗議する大規模なデモが開かれ,その様子はニュースでつぶさに知ることができました。このことは当時の情勢を考えれば,よく理解することができます。東ドイツの社会主義体制は,ソ連から見捨てられたこともあり,自然と崩壊してくれたのに,中国は何のためらいもなく夥しい市民に発砲して,それによって体制の延命を図ったのですから。中国の天安門事件に対するドイツ人の目はとりわけ厳しいものがありました。
1989年は1848年と同様に世界史の曲がり角ではありましたが,うまく曲がりきった国もあれば,曲がるのを拒否して自国民を車輪でひき殺して突き進んだ国もあるようです。

そして,それから年月が経ち,中国は天安門直後には先進国の中では唯一友好的な態度を取っていた日本をうまく使いながら,他方で,自国民向けには民主化の代わりに愛国教育という奇妙な論理のすげかえを行った上で,経済的には驚異的な発展を遂げました。今ではヨーロッパの各都市には中国人観光客が我が物顔で跋扈するようになり,ヨーロッパ諸国も中国という資本主義でも社会主義でもない拝金主義としかいいようのない国家,そして人権や個人の尊厳といった概念とは両立しえないこの不可思議な国家に嫌悪感を抱きながらも,そのマネーの前に迎合するしかなくなってきました。
ゲーテハウスを再訪して何とも深い嘆息が出ました。

ZUM SCHWARZEN BÄREN(ワイマール)

2013年08月05日 | 食道楽
ワイマールでは,ワイマール随一の有名ホテルHotel Elefantの近くにあるZUM SCHWARZEN BÄRENというレストランで昼食を取りました。

ZUM ROTEN BÄRENという有名なホテル兼レストランもドイツの別の都市(フライブルク)にあり,こちらの方がかなり有名ですが,こちらはRot(赤)ではなく,Schwarz(黒)です。

注文したのは
Köstritzer Schwarzbiergulasch mit Sauerkraut und Thüringer Klößen
という料理で,黒ビール入りで煮込んだグラッシュ風の肉とジャガイモの粉を丸めた団子です。おいしかったのですが,最初からボリューム満点でした。

アンナ・アマーリア大公妃図書館 Herzogin Anna Amalia Bibliothek(ワイマール)

2013年08月04日 | 美術道楽
今回の旅行で最初に訪れた観光スポットは,ワイマールのアンナ・アマーリア大公妃図書館でした。

アンナ・アマーリア・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル(Anna Amalia von Braunschweig-Wolfenbüttel, 1739年10月24日-1807年4月10日)は、ヴォルフェンビュッテル生でザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世の妃となった人物です。
夫の死去の後は,息子であるカール・アウグスト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公の摂政となり,ワイマールにゲーテ,シラーなどを招聘し,文化の面でもパトロンとして大きな役割を果たしました。

そのアンナ・マーリア大公妃が整備に尽力したのが,図書館です。図書館自体の設立は1691年のことですが,それを今日のような形に整えたのがアンナ・アマーリア大公妃です。
そこにはシェークスピアのドイツ語訳やルターの所有していた蔵書など膨大な蔵書が集められ,図書館それ自体が世界遺産となっています。
2004年の漏電による火災で,そのコレクションの多くは焼失してしまいましたが,復元が進められ,2007年からは再び公開されています。

道楽ねずみのワイマール訪問は2回目のことなのですが,今回どうしても行きたかった場所の1つです。
普通朝から並ばないと入場できないということなのですが,今回は日本からメールで予約を取り,当日も朝早くにワイマールに到着するようにして何とか見学することができました。
ロココホールなど,焼け焦げた書籍と共にアンナ・マーリア大公妃の絵も飾られており,とても素晴らしい雰囲気でした。こんな素晴らしい雰囲気の図書館は,他にはプラハのストラコフ修道院しか見たことがありません。
初日の時差ぼけも強く,写真撮影が許されていることを知らないまま鞄をすべて預けてしまい,iPhone5での撮影となりましたが,雰囲気の良さは伝わると思います。

頑張って日本からメールを書き,朝早いICEに乗った甲斐がありました。

こちらは焼失を免れた又は復元した書籍です。


帰国しました。

2013年08月03日 | 日常の道楽
8月1日に帰国するまで,ワイマール,ライプチヒ,ベルリンと旅行を続けていました。

取材旅行という訳ではありませんが,いろいろ美術三昧の生活でネタの仕入れもできました。
いつものように接客地雷のドイツ人の空港職員や店員等には大変に不愉快な思いをさせられたり,またどこに行ってもいる中国人観光客の奇怪な振る舞いに仰天したりしながらの旅行ではありましたし,帰国便も男性の客室乗務員(非日本人)がとても分かりやすいように,綺麗な女性(非日本人)のところにばかりずっと張り付いて,他の客室乗務員の仕事まで滞らせたりとなかなか面白い場面に遭遇しました(ドイツ語ができない客室乗務員だったので,イタリア人なのかなと思いました。)。

順次ブログで公開して行きたいと思います。旅行を企画する前には,8月に仕事が突然忙しくなるとは知らず,時差ぼけなのに来週末までは本当に忙しい毎日になっていますが,更新は細々かもしれませんが続けていく予定です。


それにしても,私がドイツに最初の留学に出発したのは1993年7月31日のことでしたから,それからもう20年も経過してしまったのかということに驚きます。ドイツの人々の意識もベルリンの町並みも,ドイツを訪れる観光客も,自分の昔の記憶とは随分変わってしまったようです。

写真は帰国時に搭乗した飛行機を離陸前にFRA空港で撮影したものです。