活字日記

毎日読んだ活字系(雑誌、本、新聞、冊子)を可能な限りレポートします。

【8月31日】

2012-08-31 | 新書

800年代の後半はまさに大地動乱の時代でした。時の天皇はいかにして自然(神、もののけ)の怒りを鎮めるか階位を上げたり、祈祷したり大変でした。当時の政治は地震火山によって左右されていたといえます。それにしても、850年以降、富士山大噴火(富士五湖と青木ヶ原樹海の元を作った)、三陸沖大地震(貞観大地震といわれる3・11に先立つ巨大津波地震)、鳥海山噴火、南関東大地震、新島噴火、開聞岳大噴火、東海・東南海・南海の連動巨大地震(現在なら30万人の死者が予想され、当時は信州松原湖付近の山が崩壊して巨大堰止め湖ができ、2年後に決壊し信濃川が大水害となった)ととんでもない自然災害が連発しました。これらはプレートレベルではつながった話のようにも思われます。南房総沖大地震が3・11地震の関連で予想されており、富士山も宝永噴火がスコリア型噴火だったので次回は溶岩型の可能性があって、地中では準備が着々と進んでいるかもしれません。今から50年間でこれらが起きたら、日本は終局ですね。当時は人口が少なかったし、家だって掘っ立て小屋だから再建も楽だったし、でもほんと、近い将来起こりうるわけですから・・・。歴史の中の大地動乱です。

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【8月30日】

2012-08-30 | 新書

内閣府から南海・東南海地震の被害予想が出て、最大30万人の死者が出るということですが、3・11以来日本は明らかに地震活動が活発化する周期に入ったことは確実という中で、では過去にはどういうことが起きていたのかという歴史見直しが今進んでいますね。フクシマも東電が謙虚に歴史から学ぼうという姿勢があればああはならなかったと思われます。800年代は地震火山活動が活発で、3・11が千年ぶりの大地震といわれた原点の貞観地震もこの頃で、この年代付近は開聞岳、十和田湖、富士山なども噴火しています。地震だけではなく、火山噴火も視野に入れた防災体制を引かないとならないと思われます。歴史の中の大地動乱を読んでいますが、当時の(為政者である)天皇がどういう動きをしたのかという観点で書かれています。

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【8月29日】

2012-08-29 | 雑誌

鉄道ピクトリアルアーカイブセレクションの貨物輸送1950-1960を車中で読みました。この本を読むのは相当鉄オタかとも思われますが、自分が鉄オタと思ったことはなく、1950年代を知りたくて読んだようなものです。この時代は国鉄がまだ黒字で、でも旅客の伸びに対して貨物の伸びがなく、それは始まったモータリゼーションの影響もありますが、A駅からB駅までの貨物列車の40%の時間が操車場で無為に過ごされ、そのおかげで平均時速が10kmないというとんでもない輸送効率のおかげであったのです。戦前では許されたのですが、終戦も10年が経つ頃には許されず、国鉄も操車場の改善やコンテナの開発をして乗り切ろうとしますが、様々な投資もトラック輸送の伸びには勝てず、赤字の要因となっていきます。そして民営化へとつながるわけですね。

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【8月28日】

2012-08-28 | 文庫

主には戦前の昭和20年間で著者が歩んだ登山記である山頂山麓ですが、体力的にも絶頂で時間も豊富にあって思うままの山登りをした記録です。ただ、ザイルにハーケンという先鋭的な登山ではなく現代で言うトレッキングという山登りで、1000m程度の山でも晴天の秋の山頂で周囲の山々を見渡して至福の時を過ごすという登山です。まぁ、自分の最近のトレッキングに近い山歩きなので、実に共鳴するところです。それにしてもザーザー降りの雨なのに(当時はろくな雨具でさえないのに)とりあえず出立してしまうという根性には負けますね。そういう登山でも午後からは晴れてしまうという強運を持っているというか、生きて帰ってきたから随筆になったとも言えます。終戦直前の2年半は戦争に取られて中国に送られますが、戦後は日本の登山界の重鎮となるわけです。70歳を前にした登山中に脳溢血で急死してしまうのですが、新田次郎もそうですが山登りをするくらい健康なのにと思わずにはいられませんね。

「山頂山麓」深田久弥 朝日文庫

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【8月27日】

2012-08-27 | 文庫

深田久弥という人は、戦前の時局がけっこう悪くなった時でも、比較的恵まれた生活をしていたのではないか、と思われるように山登りをしています。スキーが好きでそのために雪山に分け入る(リフトがあるようなスキー場ではなく、スキーにシールを貼って坂登り一気に一本滑って終わりというような)スキーをしょっちゅうしていたようです。今のスキーヤーにそんな忍耐はありませんよね。たまに山スキーをする人はいますが、きわめてまれです。現代よりも登山用具は比較にならないほど悪かったのですが(登山靴の代わりにわらじを履いて登ったりしています)、この本はそんな時代を感じさせない紀行文です。山頂山麓です。

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【8月26日】

2012-08-26 | 雑誌

鉄道全駅が3冊溜まってしまったのでそれを読みました。暑いけれど扇風機の風だけで日中過ごしました。鉄道ピクトリアルアーカイブで1950年から60年代の貨物列車というのを買ってきたのでそれも読み、鉄道三昧でした。

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【8月25日】

2012-08-25 | 文庫

今年の富士山は気温が高く、風もなく実に穏やかな登山となりました。小学生がいっぱいいたし、山ガールに触発されたのかどうか、青年も多かったです。昔は山登りは青年のスポーツでしたが、現代は中高年のものとなっています。でも富士山を見ている限り、若い人も多いなぁと思いました。持っていった深田久弥の山頂山麓ですが、帰りのバスで読んだ初秋の富士山という紀行文、昭和16年の9月下旬の登山のことが書いてあります。昭和もこの頃は富士登山は現代と変わらぬ位で、8月などは行列で登山者が溢れていたそうです。ただ、5合目に通じるスカイラインはスバルも表もありませんから、1合目から歩いたのですね。著者も富士吉田口馬返から登山を始めています。今もそうですが当時もこの頃はもう山小屋が閉じていて途中泊まる場所はありません。でもシュラフを持っていって何とか(強風の中)登ってしまうのですね。そして須走口に下りますが、今では5合目からバスで御殿場に出るところ、須走村まで歩き通すわけですから、昔の人の登山には敬服します。

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【8月24日】

2012-08-24 | 文庫

富士山の登るために一泊旅行中です。移動の車中で何を読もうかと思っていて、山の本がいいだろうと深田久弥の山頂山麓という本を持っていきました。深田久弥は百名山で有名ですが、出だしは小説家でした。それがだんだん登山家として紀行文が主体となって山に関する著述がメインになりました。この本はまだ小説家深田久弥の時代の紀行文で、昭和初期からの山登りのものが書いてあります。昭和一桁の時代でももう山登りは大衆スポーツとなっていたのですね。ただ、交通がまだまだ不便でしたから、現代でも本当に有名な山がメインだったようです。

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【8月23日】

2012-08-23 | 新書

いやー暑い暑い。今月いっぱいは残暑が続きそうです。国家と歴史を読み終えました。こういう本が出るのも、中韓からひっきりなしに歴史認識、過去の謝罪をことある毎に言われ続けられているからでしょう。歴史認識は同じくすることは多分できないことと思いますが、過去の謝罪についてはなかなか微妙だと思いますね。村山談話、河野談話、小泉談話と内閣からは謝罪に関する談話が出ましたが、少なくとも日本政府は侵略戦争ということを認めていないので、中韓が納得することは未来ありそうにないですね。20世紀までは左翼が言論を強く張っていたので、中韓の言い分を真摯に聞くみたいなところがありましたが、この頃は保守派の巻き返しがじわじわと大きくなってきて、おまけに領土問題がからんで、簡単に中韓に頭は下げんぞという雰囲気もあり、ますます戦後の歴史問題は混沌としそうです。新書という分量の中で戦後史がコンパクトに語られている本でした。

「国家と歴史」波多野澄雄 中公新書

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【8月22日】

2012-08-22 | 新書

国家と歴史を引き続き。靖国参拝、教科書問題、戦後の補償問題、原爆二法など、現在もくすぶりつつある問題、その歴史的過程を追うことでそのくすぶる理由を紐解いていきます。教科書問題などは80年代初期に大きなもんだいとなり、国会でも論戦が繰り広げられ、中国と韓国からは今でもちょっかいが入っています(大きなお世話だと思いますが)。当時の国会でどういう問答が繰り広げられたのか、今になって改めて過程を追うのも面白いです。

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