図説不潔の歴史、二日目。西欧を中心とした話ですが、西ローマ帝国が滅んでしばらくの混乱の後、キリスト教がしっかりと社会に根付き、勃興したイスラム勢力(ムーア人)をイベリア半島から追い出した時点では、まだ体を清める習慣、共同浴場などはあったようです。しかし、ペスト禍が共同浴場を粉砕したとのことで、当時は体中の毛穴などからペストが進入するので汚れでコーティングするべしという発想になったそうです。以来近世まで体を洗う習慣が無くなりましたが(ルイ13世は7歳まで体を洗わなかった)、それはもう相当の悪臭がしたようです。おぞましい。知られるとおり香水が発達したのはこういうことがに依っているのですね。しかし、18世紀に入ると衛生観念が生まれてようやく体を洗うという習慣が舞い戻ってきたそうです。
独特のしゃべり方でちょっと有名な戦場カメラマン・渡部陽一の本、世界は危険で面白いを読みかけています。氏は大学時代にアフリカの密林へと旅立ち以来、世界中の紛争地でジャーナリストの目でシャッターを切ってきました。その体験記なのですが、1ヶ月もかかってゲリラを避けながらジャングルを歩いて国を移動し、その時知り合って苦楽を共にした人間に最後にカメラも現金も全部盗まれたということや、マラリアに罹って死にそうになり、今でも肝臓に原虫を抱いているので献血ができないとか、アフリカの川を2400キロ丸木船で下ろうとして途中で瀕死になったものの、キリスト教の神父に助けられたとか、中東、ソマリアなど多くの人の死を間近に見つつシャッターを切ってきました。淡々としたようなエッセイですが、こういう日本人もそうはいないだろうと思いましたね。
ところで今日はフルマラソンに出場。天気も良く気温も低めで狙った記録が出て(体はヘロヘロに鳴りましたが)ちょっといい気持ちです。ちなみに3時間22分37秒でした。
日本人の宇宙観、3分の1ほど残っていたのですが、一気に読み終わりました。日本は神話の国で、国造りもアマテラスによってなされたわけですが、そこには神話の世界による宇宙観があったわけです。そこに仏教が入ってくると、中国での変節を遂げた仏教ではありましたがそれを吸収し、さらに儒教、老荘思想も取り込んでしまします。ヨーロッパ文明が入ってきて地球球体論も抵抗なく吸収し、天動説から地動説への変化もヨーロッパのような大騒ぎにならずに受け入れてしまいます。日本人の宇宙観(自然観)は探求の世界ではなく万葉集のような歌詠みの世界にあるのでありますね。明治期に入って日本物理学の黎明期、ヨーロッパではすでにアインシュタインが相対性理論を構築していました。そのアインシュタインを日本招聘して各地を講演してまわってもらい、各地で大量の動員をみたといいますから、日本人もたいしたものです。地球はどうして太陽を回るのかをよく知らなかった時代から(ニュートン力学を飛び越えて)たった30年でもうゆがんだ時空の世界を受け入れるのでありますからね。日本宗教史のような本でもありました。
「日本人の宇宙観」荒川紘 紀伊國屋書店
日本人の宇宙観の三日目です。16世紀になるとポルトガル・スペインが日本にやってきてキリスト教が伝来します。仏教はだいぶ衰えていて、代わって朱子学が武士の世に伸びていきます。キリスト世界ではもう地球は丸いということは解っていて、日食・月食の原理も図に示され、世界地図もできあがっています。朱子学は平面の世界観を持っていて、大学の頭林羅山はキリスト教に論戦を挑みますが、どうも分が悪く終わった感じです。結局、織田信長も地球儀を手にしていましたし、日本の知識人において地球は丸いということは広がったようです。が下々の平民にとっては地球が丸いことよりも極楽浄土に行けるか行けないかというほうが重要であったに違いありません。極楽浄土は西方彼方にあったはずですが、近場にあって欲しいという願いもあり、日本のここかしこに浄土が生まれるようになりました。そういう地名が今も残っていますよね。というようなことが述べられていました。
日本人の宇宙観の二日目です。日本書紀、古事記の神話の世界による宇宙観に、奈良時代は仏教が本格的に伝来しその宇宙観を伝えます。インドの宇宙観でもあるわけですが、中国的なアレンジも加わっての伝来です。空海の曼荼羅の世界をはじめとする弥勒信仰が広まるわけですが、天上は須弥山(しゅみせん)を中心としてその上に遙か幾重にも広がる世界(そういえばアンコールワット遺跡の中心にも須弥山がありました)。一方で地獄は二千年かけて落ちてゆく世界であります。奈良時代の人たち(主に貴族でしょうけれど)にはそういう宇宙(宗教と渾然となった世界)が広がっていたのでありますね。
朝からの雨の休日で、起きてから雨音聞きながら床中読書。残り少なくなっていたインテリジェンス人間論を読み終えました。佐藤優氏は神学部を出ているだけあってキリスト教に関する洞察はプロであり、欧州を理解するのにキリスト教への造形は不可欠と思うのですが、外務省の中でこういう観点で欧州を分析できる人がいうのかどうか。一方でロシアを中心とした世界の政治を見ることには長けている氏ですが、これからますます世界の中心となるであろう中国の分析力は全然で、著述にはアジアのことが全く記されませんね。そこは新しいアジア洞察のプロの誕生を望みます。
「インテリジェンス人間論」佐藤優 新潮文庫
小学館の広報誌本の窓12月号を朝の通勤電車で読んで、帰りの通勤電車では日本人の宇宙観という本を読み始めました。本の窓は佐藤優の勉強術、渡部潤一の宇宙の言葉、西村京太郎の十津川警部シリーズなどを楽しく読んでおります。日本人の宇宙観とは、どうしても西洋史に依ってしまう宇宙論の流れを、日本、アジアの流れから辿ってみようというもので、まずは飛鳥時代からです。知らなかったのですが、天智天皇が水時計を置いたことで(時の記念日の原点ですが)、古代律令社会は(1日を24時間とする)定時法を取っていたのだそうですね。その後すたれて江戸時代に(日の出から日の入りまでを半日とする)不定時法になり、明治時代に定時法が復活したわけですが、飛鳥時代も明治時代も文明開化であったということだそうです。