活字日記

毎日読んだ活字系(雑誌、本、新聞、冊子)を可能な限りレポートします。

アメリカンブランド物語

2004-10-30 | 文庫
 実家の本棚に(20年近く)眠っていたものを掘り出して読みました。もう無くなった旺文社文庫です。私は学生時代をポパイ世代という感じで過ごし、アメリカ商品に憧憬を持っていたのでこのタイトルに引かれて買ったのだと思います。I.W.ハーパー(バーボン)とかケント(タバコ)とかアメリを代表するブランドでも最初は農家の納屋みたいなところからスタートしたというのです。フォード、コカコーラなどアメリカンドリームと言うべき発展をとげたブランドもあります。ヨーロッパの有名ブランドは名前は歴史は刻んでいますが巨大企業となったものは少ないと思われます。それに比べるとアメリカのそれは巨大企業化しているものが多いなと思います。
 旺文社文庫なんて知る人は中年以外にはいないでしょうなぁ。最初の旺文社文庫は緑の函に入っていて顔面は単行本という感じでした。経費がかかって儲からないのか途中から普通の形態になってしまい、それでもダメでしゅーりょー!となってしまいました。

「アメリカンブランド物語」ハナ・キャンベル著、常盤新平編、旺文社文庫
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天正女合戦

2004-10-28 | 単行本
 時代小説の巨匠、海音寺潮五郎が昭和11年の第3回直木賞受賞となった作品です。埋もれた直木賞作品を集めた一冊から。
 それまでの講談じみた時代小説の形を現代のそれに近い形に普及させたのは海音寺だそうです。今までその作品は読んだことがありませんでした。NHKの大河ドラマで「天と地と」というのを石坂浩二郎主演(長尾景虎役)で子どもの頃毎週見てましたが、原作はこの海音寺潮五郎でそれくらいの付き合いでした。
 太閤秀吉の正室は北の政所、側室はお茶々(淀君)としか知りませんでしたが、前田利長と蒲生氏郷からも女を側室(加賀殿、三條殿)として入れていたそうで、政所派と茶々派の確執に茶人千利休の生き方を絡めた内容です。作者としては毅然とした利休の生き方をよしとしてこの作品に込めていたといえます。

「天正女合戦」海音寺潮五郎 メディアファクトリー
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ベートーベンの生涯

2004-10-26 | 文庫
 ふと古本屋で手にしたこの本は20世紀前半に活躍したロマン・ロランの評伝です。ベートーベンへの著述は星の数ほどあるかと思いますし、そんなに多くのベートーベン本を読んだわけでもありませんが、とかく曲の解説が多く譜の引用があったりで楽器を弾く素養がないとそういうのはなじみにくいのです。ロマン・ロラン自身はピアノをたしなみ、ベートーベンのソナタはよく弾いたようですが、この本ではそういう素振りはなく、文学者ロランの面からベートーベンを語っています。本の半分は有名なハイリゲンシュタットの遺書とかベートーベンの思想的断片などをそのままおさめています。
 ベートーベンの難聴は有名なことですが、彼が健常な耳の状態で作曲したのは作品番号1だけであとは症状が悪化する耳の病気との闘いの中で作られたものだというのは初めて知りました。もちろん第九などは完全に聞こえない頃に作られたもので、自身が指揮をして初演をしようとしたものの、指揮にならなかったといいます。なお日本語訳がされたのは1938年でその時がこの文庫本の初版です(さすが岩波の歴史という感じです)。

「ベートーベンの生涯」ロマン・ロラン 片山敏彦訳 岩波文庫
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スタインウェイ戦争

2004-10-23 | 新書
 ピアノと言えば日本の家庭あるものはヤマハかカワイというのが相場ですが、コンサート用のものとなるとスタインウェイというのが一般的です(最近はヤマハも健闘していると聞きますが)。ホロヴィツとかルビンシュタインとかかつての巨匠達をはじめとして欧米のピアニストはスタインウェイと共にあったのです。日本の多くのコンサートホールでもスタインウェイがはばをきかせていますが、そこへの納入を巡る独占権を持った代理店とそれに疑問を抱いた調律師との戦いを描いたものです。一般的な営業マンのレベルから考えると信じられないような陰湿な嫌がらせをこの代理店は調律師に対して行います。しかし、代理店によって納入されたスタインウェイが本来の音を出していないとの疑問を確信している調律師は、日本のピアニストのためにスタインウェイ本来の音出しのため、本国アメリカと掛け合って個人輸入の形で少しずつ牙城を崩し始めます。この代理店はただ営業的に独占権を得ているのにすぎないものを、ピアニスト達にもピアノのあり方そのものを強要することとなり、ピアノ音楽界をも牛耳るようになるのです。
 結局公正取引委員会の介入を受けこの代理店は格下げされ売上も失ってしまうというのが現在ですが、相変わらず自分のテリトリーでは昔と変わらない営業スタイルだということです。音楽物というより経済ノンフィクションという感じです。

「スタインウェイ戦争」高木裕・大山真人 洋泉社新書
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からいは うまい

2004-10-20 | 文庫
 シーナが雑誌連載に応じて辛いものを(いつもの面々と)食べまくった話。辛いといえば唐辛子でまずお隣韓国料理で、冬のソウル、モッポ、プサンで韓国料理を堪能します。知らなかったのですが、冷麺はソウルとプサンでしかまず食べられないのだそうです。また、韓国でのもてなしは招待者が食べ足りないと思わせるのを最も恥と思うのでこれでもかと小皿料理がドーンと出てくるのだそうです。さて、対する日本の辛みとは、ワサビと辛み大根ということで、岩手のワサビ農家と信州伊那の辛み大根を食します。ワサビの辛みというのは日本独特のもので外国の人が食べるとなかなかその旨味を感じることが出来ないようです。ワサビはなんと言っても醤油と連れだってその真価が発揮されるわけで、醤油文化がないと良さを理解されないのでしょう。

「からいは うまい」椎名誠 小学館文庫
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恐竜と巨大生物たち

2004-10-15 | その他
 ジュラ紀、白亜紀を通じて地球上でもっとも長期間繁栄をした恐竜たち。その存在が知られるようになったのはこの100年のこと。それもこの何年かで恐竜研究は急速に進んでいるようです。特に中国で発見された恐竜には羽の痕跡が認められたというこで、ワニのようなウロコに包まれていたと思っている恐竜たちの一部には(現在の鳥類ほどではないけれど)羽が生えていたということはイメージを変えてくれます。あのTレックスにも羽があったとしたら、ちょっと雰囲気変わりますね。 また、意外に知られていないことですが、ほ乳類は恐竜絶滅の後に発生したのではなく、恐竜と同じ頃に地球上に生まれネズミのようなサイズで細々と森林の片隅で生きていたということ。人類の祖先ももちろんこの「ネズミもどき」にあるわけで、家系図を1億年も作ることができれば、超大陸パンゲアの片隅に生きるネズミもどきにぶつかり、ご先祖様はトリケラトプスやらTレックスやらの影を見ながらこそこそと暮らしていたのでしょう。
 そして、あの6500万年前の小惑星衝突で恐竜たちは去り、ほ乳類が取って代わり、やがて人類が生まれます。もし小惑星が来ていなければ人類は生まれていなく、いまだに恐竜の末裔達がのっしのっしと闊歩していたことでしょう。

「恐竜と巨大生物たち」別冊日経サイエンス
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ローマ人の物語13

2004-10-13 | 文庫
 カエサルはついに暗殺されます。一人であらゆる改革を背負ったせいでしょう。カエサルの後継は副将格のアントニウスが狙いますが、カエサルの遺言で用意していたオクタビアヌスが若干17歳で立ち上がります。オクタビアヌスにとっては青天の霹靂とでもいえるカエサルからの指名だったのです。暗殺実行犯達は当然のことながらローマ市民の支持を得られません。オクタビアヌスは少年と見下げられつつも30歳を過ぎるまでジリジリと実力と指示を蓄えていき、ついにアントニウスを破り実権を手に入れ、ここにローマは帝政を開始することとなります。破れたアントニウスは軍団長としての実力はあったものの、最高指揮官としての器ではないことをカエサルから見透かされていたのです。最後はクレオパトラの色香に迷い、殆ど自滅したという感じでした。クレオパトラもクレオパトラでエジプト王国が何故存在し得ていたのか(ローマの保護下にあった)を、自分の実力と勘違いしていました。
 カエサルの人物を評するものの一つに「自らの見たいと欲する現実しか見ない」というのがありますが、クレオパトラはその典型でした。これは現代にも生きる戒めのようなものだと思います。

「ローマ人の物語13ルビコン以後(下)」塩野七生 新潮文庫
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ローマ人の物語12

2004-10-09 | 文庫
 「来て、見て、勝った」という言葉があって、応用型が使われることが多いですが、これはカエサルが発した言葉だとは知りませんでした。「賽は投げられた」も有名な言葉で、カエサルは実に文学的素養のある人だったというわけです。冒頭の言葉はエジプトを制定して最後の仕上げに小アジアで行われた戦いに、その時はもうカエサルという名前を聞いただけで相手は負けてしまう風潮になっていた時で、なにもしなくて勝ってしまったという戦いの時に出たものです。
 そしてガリア戦役から始めてようやくローマに凱旋することができ、共和制をカエサルが理想とする帝政に変革を開始したのでした。帝国主義とはつい近年の全体主義とイメージが同じになっていい感じはしないのですが、カエサルの目指した帝国主義はローマとの契約に基づいた(自治権の認められた)王国とローマ属州の国境のない世界だったようです。
 カエサルは矢継ぎ早に従来の共和制で起きた制度疲労を改革していきます。特に太陰暦を太陽暦に変えた(ユリウス暦)のも大きな実績です。現在のグレゴリ暦と殆ど違わない暦を作ったのですね。これらはただ一人の頭脳の元で行われたわけです。しかし、そのことが王制に移行するのではないかと疑念を持つ周囲の人間を作ることになり(それも側近)、ついに暗殺されてしまうわけです。シェークスピアの「ジュリアスシーザー」ではこの辺りのいきさつが描かれています。

「ローマ人の物語12ユリウス・カエサル ルビコン川以後(中)」塩野七生 新潮文庫
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池波正太郎特集

2004-10-08 | 雑誌
 ふとJRホームにあるNEWDAYSを通りかかったら、雑誌コーナーにサライの新号が置いてあり、それは表紙から池波正太郎特集だったので即ゲットしてしまいました。
 知らなかったのですが台東区の中央図書館には氏の書斎が復元してあるそうです。氏は原稿は自宅の書斎でしか書かなかったそうです。よくホテルに缶詰になる作家の話がありますが、氏も作家業界では有名なお茶の水の「山の上ホテル」は使ったもののそれは趣味の画を描くためだったといいます。
 67歳というまだまだという年で亡くなられたのは全く残念です。もう10年は生きていただいて鬼平をあと10編位は読ませていただきたかった。急性白血病だったそうですが、かの夏目雅子も同じような病気だったと記憶しています(あんまり関係ない?)。

「大型特集 池波正太郎」サライ10/21号 小学館
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ローマ人の物語11

2004-10-07 | 文庫
 今月もローマ人の物語文庫版が追加され、ルビコン川以降のカエサルの活躍を主軸とした3巻を読み始めました。
 ガリア制圧後信念のカエサルはローマの政治体制を変えるため、汚名を着せられながらルビコン川を越えポンペイウスを担ぐ旧主派たる元老院派と対峙します。しかし、ポンペイウスらはあっさりとイタリア半島を捨てギリシャに逃れ再起を期します。カエサルはまずスペインを平定し地中海西側を確保し、引き続き後を追ってギリシャ入りしたカエサルは軍事力的には劣勢で一度は敗退しますが、ついには打ち破ります。ポンペイウスはエジプトに逃れますがそこで暗殺されてしまいます。カエサルもエジプト入りしそこでクレオパトラと歴史的ご対面となります。著者曰く、ハリウッド的スペクタル映画の要素をふんだんに含んでいるアレクサンドリア戦記となるわけです。
 とにかく一気呵成に読ませてくれます。

「ローマ人の物語11 ユリウス・カエサル ルビコン川以後(上)」塩野七生 新潮文庫
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