よいお年を…。
よいお年を…。
歴史のIFはよくある想像ですが、もし唐の高宗が天皇を名乗らなかったら、天武天皇は天皇ではなくやはり皇帝を名乗らざるを得なかったのではと思います。天皇は道教の最高神格ですあり、飛鳥時代に道教思想はそう影響はなかったはずで、だとすれば、天武皇帝とか持統皇帝となった可能性もあるわけです。天皇が1500年の皇統を維持できたのは、天皇が権威であって権力ではなかったからというのが通説ですが、皇帝ですとまさに権力の塊であり、万世一系というよりも王朝の交代が頻繁に起きたのではと思ってしまいます。藤原道長だって皇帝になったかもしれないし、平清盛もしかり、頼朝も幕府ではなく皇帝として王朝を形作った可能性もあるのではと想像します。さらには徳川王朝を倒した薩長は明治共和制になったかもしれず、その後の歴史も変わった可能性は大きいですよね。あくまでも歴史のIFの世界であります。それはさておき、天武天皇から持統天皇にかけては近親結婚が続き、皇統の純血が図られたのですが、天皇が日本に根をはやしたその時でありますね。天智と持統を読了。
「天智と持統」遠山美都男 講談社現代新書
昨日あたりから仕事納めというところも多いようで、朝の電車も空いてきました。天智と持統を再開です。壬申の乱の真の黒幕は誰か、兄弟であった天智と天武との関係はどうだったのか、そこに持統(天智の娘にして天武の妻)はどう絡んでいたのか、という疑問を持って日本書紀を読み進めると、どうやら持統天皇が黒幕だったように推測されるというのでありますね。天武が編纂を開始した日本書紀ですが、持統が主にストーリーを展開したということのようです。ちなみに天皇という称号は天武が初めてで、天武は一代限りの称号として天皇を名乗ったらしいのですが(唐の三代皇帝高宗・・・則天武后が奥さんでした・・・が一代限りとして天皇を名乗ったのにちなんだようです)、持統が後をついで天皇となり流れがついたようです。ちなみに天武以前は大王でしたから、さかのぼって天皇と照合されて日本書紀に書かれたとのことです。
鉄道全路線19西日本鉄道も読みました。
クリスマスイブですがいかがお過ごしですか。
来年のカレンダーが欲しくて、雑誌の付録を見ていたらCAPA1月号についているのが一番素敵だったので680円で雑誌ともどもなら安いものだとゲットして、久しぶりに写真雑誌をぱらぱら見ることになりました。フィルム時代の一眼レフはそれこそ10年以上も使えたのですが、デジタル一眼になってからは3年ももちませんね。レンズも同じメーカーの一眼レフでもフル規格とAPS-Cとではレンズが違って困ります。この雑誌を買ったときにレジに山積みになっていた集英社の広報誌青春と読書1月号をもらってきてこれも読みました。小学館の本の窓とどちらが面白いかというと、他社の本もどんどん紹介している本の窓のほうがちょっと分がいいかな、と。
今日は冬至でしたが、暖かい一日でした。
天智と持統という本を読み始めました。いわゆる古代史ですが、大化の改新、壬申の乱というところの歴史像が最近教科書どおりではなくなっているようです。そもそも天皇という名前は天武天皇から始まったようで、天智天皇は当時としては天智大王(オオキミ)と呼ばれていたようです。皇太子という名前もなく、皇子の中から適宜選ばれていたようです。天皇というのも中国の老子の思想から来たものですし、日本書紀そのものも中国にならって王朝の正当性を書き記したものという書物なのですね。もっとも王朝の正当性といっても、神武以来の皇統が天武天皇で切れたということでもなく、大王という制度のような制度でないものから天皇という皇統が改めて始まったということで書かれたということのようであります。天皇の起源を書いた本が最近店頭でも多くなりましたが、このあたりの研究が進んできたのでしょうね。