憲政研究者の著者がいかに日本の野党がダメなのかを明治からの憲政史を解説しながら明かしています。特に戦後の野党第一党の社会党が野党という存在をダメダメにした過程を読むと、そうか、そうであったのかと目から鱗の思いがしました。社会党は政権を取る自信がないので、野党第一党であることに徹し、自民党と手を握っていわゆる55年体制を固定化したのです。健全な(政権を目指す)野党の出現を防いだダメダメ政党が社会党であったということがこの本で知って、目から鱗が落ちる気がしました。この参院選で衆参での過半数を野党が握ったのですが、この中から健全野党が政権を取る日が来るのか、自民党は盛り返すのか、または没落していくのか、政治を見る目が変わりました。お勧めの本です。
「なぜ日本の野党はダメなのか?「自民党一強を支える構造」」倉田満 光文社新書
小澤征爾の名前は日本人に永遠に残っていくと思いますが、山本直純の名前はどうでしょう。真に天才の音楽家でした。作曲家・指揮者・ピアニスト・エンターテナーでした。普通の日本人にクラシックを馴染ませてくれた人です。なんと言っても寅さんの全作品の音楽担当、さだまさしとの交友、一年生になったらーの名曲、8時だよ全員集合の登場マーチ、森永チョコレートのCM(大きいことはいいことだーー)、NHK大河のテーマ曲、え、それもこれも直純さんの曲だったのーという人です。そして自ら出演したオーケストラがやってきたは楽しい番組でした。クラシックの曲も多く書いているので、もっと再評価されるべき人でありますね。
「山本直純と小澤征爾」柴田克彦 朝日新書
知行取り以下の武士は拝領屋敷を分割して借地経営や畑を作ったりしていましたが、大岡忠相(大岡越前守)の与力の屋敷を借地した一人の儒学者が青木昆陽で、それが大岡の知るところとなり、そのことでサツマイモが関東に広まることになったのだそうです。維新後の徳川家は800万石から70万石の静岡藩に縮小されましたが、3万人近い幕臣は新政府に仕えるか、自分で商売農業をするか、無報酬で静岡藩に仕えるかと選択があったのですが、思いの外に新政府に仕えるものが少なく(武士の意地ですな)、さりとて静岡藩も5000人ほどのお抱え余力しかなかったので、大変だったそうです。
「鬼平の給与明細」安藤優一郎 ベスト新書
江戸時代の武士の給与模様が書かれた鬼平の給与明細を読んでいます。鬼平(長谷川平蔵)は池波正太郎の小説で有名ですが、どのような所得があったのかは作品には書かれていません。平蔵の父親は大阪西町奉行まで進みましたが、ある意味でできる人だった平蔵は妬まれたのか火盗改メまでしか進めませんでした。時の老中首座松平定信の覚えも悪かったようです。平蔵は小説にもあるように若い頃はヤンチャな遊びで江戸下町界隈をならしていて、その経験で悪世界を知っていたというのは事実のようです。金も使い方を心得ていたようですが、さすがに破産寸前までいったようです。でもうまく乗り切ったのは事実らしい。平蔵は旗本の中でも決して石高の多い人ではありませんでした(400石)。それでも知行取り(領地を持っていた)だったのでうまくやって行けたのですが、それ以外の多くの幕臣は米で給与をもらっていたので、現金化する必要がありました。現代でもコメ問題が起きていますが、当時に配給された米は4年もの、5年ものは普通で黄色い色がついていたり匂ったりしていたそうです。
東京でもっとも有名な山は高尾山ですが、京都に高雄という有名な地名があり、実はここに由来しているそうです。高雄には真言密教の別格本山神護寺があり、高尾山も不動をまつる密教の山です。京都の真言密教集団が関東進出の拠点として作られたらしいのです。小田原北条氏の武蔵の拠点として近くに八王子城があるのですが、北条氏は別名慈根寺(じごじ)城としたそうです。そして高尾から相模湖界隈には桂、与瀬、醍醐、嵐、小原などあたかも京のような地名が残っているのでありますね。何気に登る山にはかくも色々な言われがあり、今までの山登りは地形、地学を中心にして風景を見ていましたが、地理学的な観点をもって登るのも山の楽しさを倍増させてくれるものだと思いました。
「山の名前で読み解く日本史」谷有二 青春出版社
山歩きをするので山名が気になります。どうしてそういう名前なのか、ということですね。今日も図書館に寄って山の名前で読み解く日本史というタイトルを見つけたので借りてきました。頼朝の時代、秩父・武蔵野の覇者畠山重忠がいました。武甲山の近くに妻坂峠というのがあり、関八州展望台のそばに顔振峠というのがあり、どちらも行ったことがあるのですが、これが畠山重忠とゆかりがある峠だそうで、行った時は峠のいわれなど気にもしていませんでしたが、この本を読んでゆかりを知って古峠には色々曰くがあるのだなと思いました。先日歩いた奥秩父の雁坂峠もそうでしたし。
雨の一日、またブルーバックスで宇宙論、宇宙の物質の起源を読んでいます。宇宙論というよりも宇宙に存在する4つの力と素粒子の関係、物質の起源に力をおいて書かれた本で、日本の二つの研究所から10人の科学者が10章を各々執筆しています。身の回りの物質は原子でできていますが、原子はこの宇宙でいかにしてできたのか、という話から始まってクオークの話、量子と場の話などですが、どの章も簡潔に書かれていてわかりやすいです。ただ、どの宇宙論でもそうですが、素粒子のスピンのはなしになるとだいぶもやもやしますね。
今月もまた大相撲が始まりますが、平安時代に相撲が執り行われていました。ただ、現代のような土俵と決まり手があるのではなく、殴る、蹴るがOKの総合格闘技のようなものであったそうです。さて平安時代は圧倒的な身分差があり、下衆は絶対に殿上人になることはありえず、その殿上人になるのもほんの何人かでありました。前例にもとづいて儀式と政務をひたすら執り行う公卿たちは現代にも通じるものがありますね。一方で、天皇の睡眠場所である内裏に平気で人が侵入すた記録があるなど、警護が甘い意識というのは平和ボケの現代日本につながるものがあるのではないかと思ったりします。
「平安京の下級官人」倉本一宏 講談社現代新書
かなり前の話、Yahoo!のアンケートでどの時代に住みたいかというのがあって、平安時代が一位だったそうです。源氏物語など雅な時代が想像されるからだと思われます。平安時代は日本史上だけでなく世界史上でもまれな平和(平安)な時代だったそうです。国内に異民族もなく、海外からの攻勢もなく全く安閑としていた時代だったのです。国家による死刑も無かった時代だそうです。でも、この時代に生まれるとほとんどの確率で農民としての人生を送らざるを得ず、それは相当に厳しい生活だったということです。仮に宮廷に生まれても不健康と権力闘争の中に生きなければならず、これも厳しい生活でした。平安時代の下級官人の実態を描いたのが平安京の下級官人という本で、面白く快調に読み進めています。
先日は野村泰紀の宇宙論でマルチバースの話を読みましたが、それは現在宇宙の生成から将来像の中で出てくる話でした。今回の不自然な宇宙はこの宇宙の物理定数がなぜ桁数が大いに違っていて微妙なバランスであるのかというのは何故かというところからマルチバースでないと理由がつかないという話なのでした。プランク定数というこれ以上小さいものはないというサイズから、無限大の空間を持つ宇宙の話とがどうつながるのか。読んでいくとなるほどと納得します。
この宇宙では138億光年彼方よりも遠いものは観測することはできないのですが、その先にもこの宇宙と同じ構造が無限に広がっていて、空間体積が無限であれば、全く同じ性質のクローンユニバースがこのマルチバース内のどこかに(しかも無限個)実在する、これが意味することは、そこには全く同じ地球があって、自分と同じ人間(同じ原子構成)が同じ思考回路を持って存在しているということを意味するのです。わおー。
「不自然な宇宙」須藤靖 講談社ブルーバックス