半七捕物帳は今日も5話ほど。江戸時代は日が暮れるとほぼ真っ暗になりますから、ちょっと街外れは月夜でもなければ怖かったでしょうねえ。数年前の台風で停電した時、真っ暗というのを経験しましたが、それが日常であったわけです。そこにバケモノや妖怪、怪談といった話が生まれてくるのです。
半七の今日は丙午の話が面白かったです。丙午というのはこの年に生まれた女は男を食い殺すと言われて忌み嫌われていました。昭和時代までは丙午生まれの女性は人口構成上も少ないことがわかります。昭和でもそうなので江戸時代はもっと嫌われていて、たまさか生まれてしまった女子は結婚に困ったようです。これをベースの話でした。ちなみに前回の丙午は1966年、次回は2026年だそうです。1966年は出生率が4.9%も下がったそうで、人口が右肩上がりだった時代にしては極端な数字でした。丙午に生まれた女子は翌年の生まれとされたことが多かったようです。前々回の1906年という明治時代はまさにそうだったようです。
半七捕物帳を続けています。半七捕物帳は岡本綺堂の時代考証が正確だと評判なのですが、今日読んだものに幕府の隠密の話がありました。隠密はお庭番という役職のものに一生に一回一年間で仰せつけられるものだったそうです。だいたいが藩で相続が起きた時に送り込まれることが多かったそうです。お家騒動が起きていないか確認するのですが、見つけられると殺されることがほとんどだったらしく、三年間帰ってこないと死んでしまったものと処理されるそうです。隠密を命令されると、その場で家には帰らず出立したのだそうです。
Kindleが復帰しまして今日は半七捕物帳を3話ほど読みました。岡本綺堂がコナン・ドイルに触発されて書いたものだけに、半七の優れた推理がメインとなっています。ちょっと怪談めいた話が多いです。
今日は彼岸ですが、例年咲いている彼岸花が今年はまだ咲いていません。いかに残暑が厳しいかを示していますね。
Kindleで半七捕物帳を読もうとしたら、再起動で画面が止まっていてうんとすんとも言いません。どうやってもダメなので今日は諦めてFF6をやっていました。Kindleも壊れるんだなあ。
ビックコミックオリジナルの日がやってまいりまして、それが今日の活字です。
東京マラソンを来年、14年ぶりに走れることになりまして、その入金をしました。数々の落選を経て、3回連続落選枠の抽選に当たった次第。13年前は第2回大会で、都庁から東京ビッグサイトまでのコースでした。石原都知事が号砲を打ちました。自己最高記録を出したのもこの大会です。そして1週間後に東北の大震災が起きました。それでこの年のマラソン大会は以降全部中止となったのです。
今日は昨日の山行記録を作ったりして活字は無しでした。
夜のニュースで、7月に行った南アルプスの静岡側の基地、椹島に行く林道で土砂崩れがあって、椹島が孤立というのをやっていました。今山に入っている人は帰れませんね。確かにいつ崩れてもおかしくない林道を1時間も走るのですが、去年だかの大雨で崩れたところの修理箇所が崩れたといいます。今年はおろか来年もダメかもしれません。180人くらい人が残っているらしいですけど、どうやって救出するのでしょう。
3時半に起きてヘッドライトをつけて登山開始です。霧が立ち込めていて光が遠くまでささない中の登山は、道もよくわからなくて大変でした。1時間ほど登ると明るくなりました。まさに岩と雪の殿堂というだけあって、行程の半分近くは両手両足を駆使して岩を掴み、鎖を掴みの登山です。有名なカニの立てばい、カニの横ばいも岩が(霧で)濡れているので)足場が悪く、特にほぼ垂直の立てばいの方は、足が岩に全く引っ掛からなくて大難儀、腕力でエイやと登りましたよ。ともかく、剱岳を制覇したのは自分の中の勲章でした。
帰りは大町温泉で汗を流して帰ってきました。ので、今日は活字はありません。
深夜の1時に起きて長駆中央道を走り黒四ダムの入り口扇沢に車を置いて、立山黒部アルペンルートで室堂まで行きました(往復13千円弱です)。そこから一山超えて百名山の名峰で一般登山道としては最難関と言われる剱岳の入り口の山小屋、剣山荘にやってまいりました。そうです、明日は剱岳に登る予定です。標高は2999mなのですが、その威容はほかの3千m級の山たちに全く引けを取らないばかりか、優っていますね。岩と雪の殿堂とも言われます。昼に山小屋に入ったので、午後は布団で半七捕物帳を読んで過ごしました。天気が少し悪く、霧が吹きつけていて、外にいるとしっとりとしてしまうんですね。夕食時にはワイオミングから来たうら若き女性がたった一人でやってきていて、明日は劔に登るのだそうです(登山家ではない)。すごい行動力ですね。