活字日記

毎日読んだ活字系(雑誌、本、新聞、冊子)を可能な限りレポートします。

【5月31日】

2010-05-31 | 単行本
カードの広報誌partner6月号を読みましたが、今月号はなかなか面白かったです。いわゆる職人技というものの特集。おひつとか弁当箱とか。
大和路・信濃路を読み終えました。堀辰雄は小説の構想を練るために奈良ホテルに泊まって大和路を歩き回りました。奈良ホテルですよ、いいホテルに泊まっていたのですね。一度は泊まりたいホテルです。ほぼ10月一ヶ月泊まって寺を歩き回ります。それだけでいいなぁと思います。京都は寺そのもの、奈良は仏像を見るというところですね。いいエッセイです。

「大和路・信濃路」堀辰雄 新潮文庫
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【5月30日】

2010-05-30 | 単行本
GakkenMOOKのJR東日本全線・水戸千葉を買ってまいりまして読みました。DVD付きで内容は全く持って鉄オタク向けの内容であります。車両よりも線路をメインに解説していて、カーブの度合いとか坂の勾配などを地図で示しているのを見たいなどという人はそういないですね。でも地図好きには面白い内容です。

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【5月29日】

2010-05-29 | 文庫
堀辰雄の大和路・信濃路は随筆集のようなもので、1930年代後半に信濃追分で暮らしていた頃のものです。今日は雉子日記を読みました。
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【5月28日】

2010-05-28 | 文庫
第三阿房列車から下車いたしました。昭和30年に房総や山陰を旅したものです。ちょっと海路を使ってそれを含めて1万キロ以上を旅しましたが、百先生も還暦を超えて7時間とか25時間とかの列車の旅はだんだん体にきつくなっていて、旅の途中で熱を出したりします。ユーモアを交えながら書かれた本書は何回読んでも面白いです。
先日JR駅構内の書店をぶらついた時に文庫本コーナーに平積みになっていた堀辰雄の大和路・信濃路を買ったのですが、今日阿房列車の後に読み始めました。堀辰雄と言えば風立ちぬでありまして、若い頃読みました。なんという奇遇か、今日は堀辰雄の命日だそうです。

「第三阿房列車」内田百 新潮文庫
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【5月27日】

2010-05-27 | 文庫
第三阿房列車の旅は続きます。なにしろ昭和25年から33年頃にかけての旅ですが、東京長崎間が26時間かかっていて、まぁそれに用もなく乗ることだけを楽しむということが阿房に尽きると内田百は言うわけです。一等車に乗ることがベストで、さもなくば三等車がいい、二等車に乗る人間は嫌いだと言い放つところが素敵です。今時、鉄道に乗るのに列車番号を示す人はいませんね。ちょっと前までは第一ときとか第二あずさとかいう言い方がありましたが、それよりも前は322列車とか205列車とか言ったもののようです。鉄路の旅が道路よりも空路よりも身近で重要な時代だった頃の話であります。
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【5月26日】

2010-05-26 | 文庫
内田百は夏目漱石の弟子だけあって日本語にはこだわりがあり格調高い文章なのですが、でも時には会話の中にジョークがあったりします。ヒマラヤ山系氏との話の中で、通称歌の下手な人を音痴といいますが、別の言い方では犬吠埼というのだそうです。犬吠埼は銚子の外れ、調子外れということだそうで...。今度カラオケに行ったら使ってみようと思います。
第二阿房列車を乗り終わって、第三阿房列車に乗っています。

「第二阿房列車」内田百 新潮文庫
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【5月25日】

2010-05-25 | 文庫
夕べはガラスでザックリと左親指を切ってしまい、整形外科の夜間外来を訪れて4針も縫ってしまったのでした(麻酔を打つのが強烈に痛かった)。筋も何本か切れているけれど皮だけの縫合で済ませましょうと言われて、いささか焦りました。キーボードを打つのにはそんなに苦労はしないのですが(例えば人差し指を包帯でがんじがらめにされるとちょっと不便)、風呂に入って右腕と背中がどうしても洗えません。
阿房列車は第二阿房列車に入りました。内田百は現代でも筋金の乗り鉄だと思いますね。大正の頃陸軍士官学校の教官をしていたことがあり、その時東京から仙台に出張命令が出て、でもどうしても京都に出張したくて、仙台で用が済むと常磐線で平(現磐城)に出て、開通したばかりの磐越東線を使って(これに乗りたかった)郡山に出て、磐越西線で新潟に出て、北陸線を使って京都に出てから東京に戻ったそうです。一筆書きなので仙台の帰りに京都に「寄った」ことになるのだそうです。
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【5月24日】

2010-05-24 | 文庫
第一阿房列車は昭和25年に小説新潮に連載されたものだそうで、国鉄広報誌だと思っていましたが違ってました。けっこう派に衣を着せない物言いで国鉄に対していいのかなぁと思っていましたが、そういう心配はない媒体でした。でも同行のヒマラヤ山系氏は国鉄の広報関係者で、旅行の際はなにかと便宜を払っていました。一等車は東北にはなく、特別二等車という二等車と一等車の中間のような車両が走っていました。戦後5年といえばまだまだそこかしこに不自由さが残っていたはずですが、この紀行文は暗さや時代の古さを感じさせませんね。

「第一阿房列車」内田百 新潮文庫
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【5月23日】

2010-05-23 | 単行本
二日続きで休養日でありました。息子が家を出るのでその引っ越しの手伝いをして一日があっという間に終わってしまいました。
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【5月22日】

2010-05-22 | その他
今日は完全休養日でありました。以上。
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