今年もあと一か月とあいなりました。引き続き生命40億年全史を読んでいます。一回目に読んだ時よりも、その後に発生進化学の勉強をかじったせいで、理解度が違う感じがします。
今年もあと一か月とあいなりました。引き続き生命40億年全史を読んでいます。一回目に読んだ時よりも、その後に発生進化学の勉強をかじったせいで、理解度が違う感じがします。
肌寒い一日で、いよいよエアコン暖房に変わってガスストーブをつけました。ガスはいいです。ファンヒーターのように電気はいらないので停電でも使えます。圧倒的なカロリーで直ぐに暖まります。お湯も作れます。ただ、ガスが停まったりする危機管理用として石油ストーブ用に灯油も少し買ってあります。石油ストーブは暖と煮炊き用です。買い物にスーパーに行ったら、もう正月飾りが並んでいますな。11月ですよまだ。クリスマス前なのに季節の先取りが早すぎます。今日は活字休養日です。
県開催の防災講習会を受けに行ったりして、交通は車なので活字は待ち時間のほんの15分ほどでした。進化の話をほんの少し進めました。帰ってからはgaccoのラーニングでやはり進化発生学をま学びました。
生命40億年全史はけっこう厚い単行本なので読み応えがあります。単純に生命の発生から進化の歴史が書かれているだけではなく、研究者がいかにして化石を見つけ、そこから進化の歴史を手繰っているかというところも書かれています。北極圏やオーストラリアの砂漠、熱帯雨林のなかなどで、岩石に取り組むのは半端ではないなと思わせます。毒虫、蚊の攻撃、ナイフのような葉の植物、時にはホッキョクグマにさらされる日々だそうです。
地球上の生物の系統樹を考えると、人は類人猿、哺乳類、動物と遡るわけですが、ウィルス以外の生物はDNAを持っていることからして、地球最初の生物(単細胞生物)から共通に進化したということになります。地球の原始の海に炭素、窒素などが混沌としたスープを作り、何かの拍子にアミノ酸が作られ、アミノ酸から意味あるタンパク質が作られ、タンパク質は複製を作るようになります。その先、なにがきっかけかわかりませんが、RNAができてやがて生き物が生じるわけです。DNAの作られ方からして、同時多発的、あるいは期間をおいて生物が別々に発生したということはなく、あるたった一つの生物から現在の生物へと多角的な進化を遂げたということになっています。地球史上最初の生物がどうやってできたかは推理の範囲を抜けません。多分現代の海底の熱水鉱床のようなところで発生し、20億年以上もかけて、単純な原生生物は細胞膜をつくり、多細胞化し、そして爆発的な種の拡大をとげることになります。自分自身は何千万年、何億年か前に突然発生し生まれたわけではなく、38億年前の最初の生命体が生まれたときから面々とつながりを持っている、そして一つの切れ間もなく続いているのだと考えると、地上にまだ酸素がない時代の海(海にも酸素は無い)に漂っていたミクロンサイズのご先祖様に会ってみたいと思います。
クリスマスまで一か月となり、我が家では夕食のBGMにクリスマスソングがずーっと鳴り続けます。今日のところはアマゾンプライムのクリスマスラジオを聴いていました。
生命40億年全史を読み続けています。
gaccoというサイトでe-learningを受けているのですが、只今東北大学の先生の進化の話を受講しています。それもあって、本棚にあってだいぶ前にかった、リチャード・フォーティの生命40億年史を再読しています。もうすっかり内容は忘れていまして、新しい本を読んでいる状態です。
昨日はいい夫婦の日でしたが、今日は勤労感謝の日です。自分としては勤労は続けているので、誰が感謝するのか、してくれるのかわかりませんが、働くことはいいことだということですな。
三連休三日目、走り仲間9人で公園の東屋に陣取って酒盛りをしました。妻には密だと怒られました。昨日に続きて鉄道青春時代中央線を読んでいました。
今日はいい夫婦の日で、1122をナンバーにしている車も多いです。本当にいい夫婦の方が運転しているなら幸せですな。
本棚にある鉄道写真記録集鉄道青春時代中央線を取り出して、古く懐かしい中央線を眺めていました。1950年半ば頃までの中央線東京駅は地平ホームで幅も狭く、5両編成でした。今は高速バスに押されている中央線ですが、当時は国道もまともでない時代、国鉄だけが都市と都市を結ぶ手段。中央線は甲府までは電化が早かったのですが、山岳鉄道並みの路線です。単線が山をぬっていました。のどかといえばのどかです。
今はまだ実現する気配がないのですが、飛鳥、斑鳩、山の辺の道を順繰り歩き回ってみたいという欲望がありまして、それは歴史散策でもありますし、古代ロマンに浸るという情緒でもあります。堀辰雄の大和路という短編は、作品を作るために奈良ホテルに泊まって、付近の寺を周り仏像を眺め題材を考える話です。1941年の話で、寺はまだ文化的価値が今ほどに表立っていませんでした。東京でも戦前のちょっと郊外は畑だらけで「村」が目立ちましたが、奈良のこの時代も当然「村」の世界でした。逆に言えば、古代のロマンがそのまま息づいていたということです。大和路を読んでいると、飛鳥の斑鳩の寺々を(修学旅行のようにあっさりとではなく)回る気持ちが沸き立つのであります。