凍の二日目です。登山家山野井泰史は登られた山には興味がありません。標高の高い低いではなく、未踏のルートを歩むことが彼にとっての登山です。ですからエベレストも登ったことはありません。エベレストは作られたルートを登るだけという山になってしまっているからです。そして、奥さんは山野井妙子といって、世界に冠たる女性クライマーです。山野井泰史より9歳年上です。女性クライマーとして夫よりも経歴は古く、ヨーロッパアルプスのグランドジョラス北壁の道を冬季女性として初登頂したり、ヒマラヤのブロードピーク、マカル―という8000m峰を無酸素登頂しています。そのマカル―では手の指第二関節から先10本と足の指8本を切断する凍傷を負います(その時一緒に登ったクライマーは凍死しています)。不屈の精神力と簡単には言えない精神力を持っていると思います。
カード会社の広報誌をペラペラしながら、国内旅行のつもりとなっていました。雑誌からもそういう触れ込みで今号を読んで旅行気分を味わってくださいというもの。特集は北海道で、北海道は日本での行きたい旅行地第一位を圧倒的に勝ち取っているそうです。こういう雑誌のホテルとかレストランは、なかなかお目にかかれない店が載ることが多いです。多分そういうところは実際には行けないのですが(お金の事情が殆ど、( ;∀;))、どうせコロナだからお金持ちも貧乏人も同じさと言った気になります。
沢木耕太郎のノンフィクション、凍(とう)を読み始めました。登山家山野井泰史のヒマラヤ登山の話です。山野井はギャチュンカンというチュー・オユーとエベレストに挟まれた7952mの山に夫婦で挑み、登頂は成功したものの帰りに悲惨な目に遭います。その一部始終です。
先日dマガジンでサラッと読んだ山と渓谷8月号は紙版を買ってジックリ、半分ほど読みました。iPadで読むのは本棚の場所を取らないし、字も大きくできるのでいいのですが、2ページ全体を俯瞰するのには現物がやはりヨロシ。そして付録も付いています。もっとも、出版はフルデジタルですから、今や電子データの方が生とも言えます。
dマガジンでBe-Palとサライを読みました。ビーパルはアウトドアブランド特集。サライは江戸の夏でした。ビーパルもサライも巻末に通信販売のページがあって、大人の逸品というものが載っています。カタログ販売のカタログを読むのは面白いです。ただ両誌とも小学館なので、内容は同じです。
dマガジンで山と渓谷8月号を読みました。アルプスの山小屋特集で、代表ルートもついていて秋以降の山行きの参考になるし、付録も欲しくなったのでこれは紙版を買うことにしました。
フィッツジェラルド短篇集を読了。20世紀前半を代表するアメリカ文学であって、多くの訳が出ています。新潮文庫版が一番知られたものではないでしょうか。そういう先輩達の訳をおいて、新しい訳を試みたというのがこの岩波文庫版の訳者の言葉です。村上春樹も出しているくらいです。訳者によってかなり小説のニュアンスが違ってくるのでくるのでしょう。こんどは新潮文庫版を読んでみます。小説というのは読み手の人生と重ね合わせることが多々ありますが、この短篇集ではなんといっても金持ち階級の青年(訳者はタイトルをつけるのにさんざん悩んで、月並みになったそうです)です。青春の残照がそこにはありました。
「フィッツジェラルド短篇集」フィッツジェラルド 岩波文庫
今日のフィッツジェラルド短篇集はバビロン再訪です。フィッツジェラルドの中では人気のある作品ですね。死んだ女房との娘は女房の姉夫婦に養育権があるのだけれど(主人公の夫は酒浸りで資格がなかった)、それをなんとか自分の手に取り戻したいと思って義姉夫婦とやりとりするのですが、そこに悪友が割り込んできて・・・という話。
フィッツジェラルド短篇集の今日は金持ち階級の青年(原題は"The Rich Boy")を読みました。この小説は他の人はどうかわかりませんが、自分にはジーンと来るものがありましたね。金持ちであるということは全く別にして、女性との出会いと別れが胸に来るものがありました。個人的な経験がそうさせるのかもしれませんが。
フィッツジェラルド短篇集は冬の夢を読みました。女王バチのように周囲の男をひきつけるわがままな女と、わかっていてもチャーミングな笑顔と美貌に自分だけはと引き寄せられる主人公との物語ですが、最後はその女が結婚して子供をもうけ普通の女になってしまったことを知り...という一篇。こういうストーリーってよく聞く気が来ます。