活字日記

毎日読んだ活字系(雑誌、本、新聞、冊子)を可能な限りレポートします。

【5月31日】

2017-05-31 | 新書

今、地球の温暖化が叫ばれていて、このままいけば21世紀後半には札幌は東京並みの気候になるとか、南洋の島々が水没するとか、だから温暖化ガス排出を何とかして減らさなければならないという話に満ち溢れています。気候というのはそんなに激変するものなのか、10万年という過去を振り返って、地球の気候の変化を探る、人類と気候の10万年史を読んでいます。

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【5月30日】

2017-05-30 | 選書

情報がどれくらいの早さで伝わっていたのか。実は電信の時代をのぞいて一番早かったのは、江戸後期から明治期に米相場を江戸と大坂でやり取りする手旗信号だったのだどそうです。時速700キロを超える速さだったとか。でも現代の手旗信号と異なって、細かな情報は伝えられなかったし、天候によって視界が左右されるので、確かな伝達手段は飛脚しかなかったとのことです。最速、江戸・京都間を3日間だそうですが、普通の文書なら一日100キロ、6日ほどだそうです。そうしてみると奈良時代の駅制は緊急事態で160キロ/日ですから、古代の情報伝達は思いのほか早かったといえますね。

「古代日本の情報戦略」近江俊秀 朝日選書

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【5月29日】

2017-05-29 | 選書

古代日本の情報戦略を再開。古代というのは概ね奈良時代の頃です。奈良から見て西の方は新羅、唐との外交的緊張があり、東の方は蝦夷との緊張がありました。律令制に基づいた天皇直支配の時代でしたね。情報を伝えるには人が親書を持って走る、馬に乗るということになりますが、走るというのは江戸の飛脚制度までは無かったようで、主に馬ですが、当時の馬は肩の高さが120センチから130センチということで、ロバに近いサイズです。時速も30キロ位だったようで、全力疾走も数百mしかできなかったとか。明治時代までそういう日本馬の時代が続きますから、当時の日本人が150センチ前後であったとすればそれなりの大きさには見えますが、時には大柄な人がまたげば足が地に着いてしまう。歴史もの映像に出てくる馬、現代のサラブレッドでこの時代を想像することは無理があります。それでも最高160キロ/日という速さで伝えてはいたので、駅馬車のように馬を駅方というところで待機させておいて継いでいたのでありますね。

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【5月28日】

2017-05-28 | 電子書籍

今日読んでいたのはdマガジンで鉄道ファン6月号CAPA6月号です。程よい風が吹き込んで鬱陶しい季節になる前のいい感じの日曜日でした。昨日はこちらの小学校は運動会でにぎやかでしたが、今日は静けさを取り戻しております。土曜にやった運動会というのは明日は休みなのでしょうかね。

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【5月27日】

2017-05-27 | 電子書籍

dマガジンで週刊アスキーを読んだり、鉄道ファン6月号を読んだりですが、昨日から読んでいる古代日本の情報戦略も読んだりでした。ローマ帝国では道づくりの技術が進んでいて、ローマ兵は全ての道はローマに通ずとばかりに街道を作り続けました。権力者は道づくりが権力の象徴であったのですね。古代日本でも6世紀から街道づくりが進み、6000キロ以上の道が整備されたそうです。すべて都に通じる道でした。国分寺から武蔵国府であった府中に幅30mの道が作られて、遺構が発掘されていますね。日本の土木技術はどこから来たのでしょうか。

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【5月26日】

2017-05-26 | 選書

古代、というのは7世紀から9世紀頃の話、情報はどう伝わったのでしょうか。天皇による国内支配がほぼ定まり、律令制が引かれ、でも(東北の)蝦夷はまだ完全に平定されていない頃、戦況の伝達などはどうやられていたのか、そういうことがわかる古代日本の情報戦略を読んでいます。電信が伝わる19世紀後半までは、人と馬による情報伝達でした。奈良時代と江戸時代とでは1000年位の時が流れていますが、どうも情報伝達の時間はあまり変わりはなかったようです。人の走る速さも馬の速さもほとんど変わりませんからね。そりゃそういうものかもしれません。

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【5月25日】

2017-05-25 | 雑誌

本の窓6月号を読みました。この小学館の広報誌はとても面白いものが多いのですが、相変わらず巻頭の菅原文子のエッセイと中島京子の対談は感に合いません。俗にいう自称市民派的感覚の物言いで、最近はこういうのはダメです。一橋文哉が先日の小学校保護者会長による小学生殺害事件を取り上げていました。最近ストーカー法が強化されて、バシバシ検挙されているそうですが、ストーカーから殺人に至るケースも今まで多く、厳罰が望まれますね。

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【5月24日】

2017-05-24 | 電子書籍

続秩父藪尾根単独行を読了。元々は不二という和歌と国学雑誌に連載されていたものです。正編と合わせて50の山行きが綴られていますが、登山道を使わない山行きだとしても50回も通うとさすがに奥秩父、奥武蔵で登るルートも無くなったということで、続編を持って終了だとのことです。最終話は和名倉山(山梨側からは白石山)で、連休に登った三峰登山道の右手に見える2000m峰です。秩父主稜線から離れていて奥深く、登山者も少ないことから道もあまり明瞭ではなく、かつては道迷いの遭難者が多かった山だそうです。この山を道なき尾根を地形図の読み込みとルートファイディングで登る話は、自分ではできない登山で、頭の中でいい経験登山となりました。一度登ってみたいですが、一泊は必要で、かつ初中級のレベルでの単独行は結構不安な登山道のようでもあります。

「続秩父藪尾根単独行」坂井勝生 山と渓谷社

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【5月23日】

2017-05-23 | 電子書籍

続秩父藪尾根単独行を地形図片手にというのを続けています。地形図を読みながら、どんな風景、この尾根道は迷いそうだと想像しながら山に行った気になれる本です。そういえば、最近の地形図の売り上げが、この10年くらいで激減したというニュースが出てましたね。紙地図版の話で、地理院はネットで地形図を自由に見て印刷も自由というのを認めているので、自分なども山登りの時はプリンターで必要なところを印刷していますね。それもメガねが要らないように拡大印刷しています。山中でもスマホで地図を使えますが、なるべく電池を使わないようにしているので、やはりプリントします。ということで地図を使わないわけではなく、ネットの普及が一番大きな原因ですね。

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【5月22日】

2017-05-22 | 電子書籍

続秩父藪尾根単独行を再開。kindleで読みつつ、スマホで地形図を表示して実際の足跡を確認しながら読んでいます。クマの生々しい糞の後を横目に登る山というのはどういう感慨なのでしょう。自分などは速攻で山を下りてしまいますね。クマ笛を吹きながらですが、クマ笛が果たして効くのかどうか。

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