クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

湯島から御茶ノ水、神保町の史跡を巡る

2011年09月22日 | ウォーキング
コース順路:コース満足度★★★★ 8月30日
千代田線湯島駅 → 旧岩崎邸庭園 → 湯島天神 → 神田明神 → 湯島聖堂 → ニコライ堂 → 明治大学博物館 → 山の上ホテル → 神田すずらん通り → 東京メトロ神保町駅

まず最初に三菱創業者・岩崎彌太郎の長男、岩崎久彌(三代目社長)が居住した旧岩崎邸跡を訪れる。
この地は江戸時代に越後高田藩の榊原氏、明治時代には舞鶴藩の牧野氏の屋敷があった所で、良く見ると大名庭園の名残が随所に見られる。
洋館、山小屋風の撞球室、そして書院造りの和館は、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計になるもので、ほかに鹿鳴館(現存せず)やニコライ堂、三井倶楽部なども手がけたというから、かなりの人だったと思う。
岩崎邸のすぐ脇にある三菱史料館では、岩崎彌太郎にはじまる三菱の歴史が細かく展示されている。
  

「湯島の白梅」で有名な湯島天神、お蔦と早瀬主税が別れを告げる舞台となった泉鏡花の「婦系図」の一シーンが偲ばれる。
境内には泉鏡花筆塚もあり、「湯島通れば想い出す、お蔦主税の・・・」という歌の一節がつい口に出てしまう。
祭神はもちろん菅原道真で、2月は観梅の人々と受験生の合格祈願でかなりの賑わいを見せるという。
この神社、太田道灌や徳川家の崇敬を受けて発展し、今は相当な作りの社殿になっている。
 

私などは時代劇が好きなせいか、神田明神というとすぐに銭形平次、もちろん大川橋蔵の目明し姿が頭の中に浮かんでしまう。
ここは平将門を祀る神社で、江戸城鬼門守護、江戸総鎮守として徳川幕府の保護を受けてきた所。
庶民の信仰も集め、山王祭と並び幕府公認の「天下祭り」と言われた神田祭を知らない人はいないはずで、2年に1度の本祭りは、70基の神輿の渡御も行われるという盛大なもの。
 

銭形平次の碑の前で、TVドラマでたくさんの時間を楽しませてくれたことに感謝しつつ、明神様を後にする。
湯島聖堂の由緒をたどってみると、次のようになる。
「・・・江戸時代の儒学者・林羅山は上野の邸内に孔子を祀る廟を建て、五代将軍綱吉がそれを現在地に移します。松平定信は、寛政の改革で昌平坂学問所と名を改め、儒学教育の中心地とします。綱吉は羅山の孫信篤(鳳岡)を大学頭に任じ、信篤の子孫が代々大学頭となり<林家(りんけ)>と称されて文教を司り、儒学・朱子学が大いに盛んになっていきます・・・」
 

公開時間の関係で、大成殿の内部を見れなかったのが残念。
ニコライ聖堂の正式な名称は、日本ハリスト正教会教団復活大聖堂で、明治3年(1870)布教のため来日したロシア正教ニコライ大司教によって建設されている。
日本最大のビザンチン様式の教会で、建築当初は東京一円を展望できたというから、訪れた人々は仰ぎ見るようなその大きさにただただ圧倒されたのではないかと思う。
大久保彦左衛門の屋敷跡は杏雲堂病院の角にあるが、ひっそりと碑があるのみなので、気を付けないとつい見過ごしてしまう。
  

明治大学博物館の刑事部門の展示コーナーには、身の毛もよだつような拷問器具がずらっと並んでいて、見ていると罪も犯していないのに恐ろしい気がしてきてしまう。
内部に釘がぎっしりと詰まっている「ニュルンベルグの鉄の処女」が印象的で、思わずカメラのシャッター切ってしまう程だった。
「神田すずらん通り」は、大型書店や専門書店などが連なる本屋街として知られている通りで、関東大震災や戦禍を潜り抜けて来たという文房堂の建物の外壁は、たしかに見応えがある。