クラシック 名盤探訪

クラシックの名盤紹介・おすすめ散策コース等、趣味の発信の場です。

近江・近つ飛鳥・難波津の旅 その1 「紅葉」編

2009年12月19日 | 歴史・旅(国内)
コース順路:コース満足度★★★★★ 12月1日~5日
近江八幡→石山寺→瀬田の唐橋→建部大社→湖東四山(永源寺→百済寺→西明寺→金剛輪寺)→園城寺→弘文天皇陵→新羅善神堂→大津宮錦織遺跡→近江神宮→坂本(生源寺→滋賀院門跡→日吉大社→西教寺)→近つ飛鳥(葛井寺→辛国神社→西琳寺→誉田八幡宮→応神天皇陵→近つ飛鳥博物館)→難波津(四天王寺→難波宮跡→大阪歴史博物館→鶴橋)

毎年、紅葉の時期には晩秋のこもれ美といにしえの面影を訪ねて、歴史の風景を追って歩くことにしている。
今年も素晴らしい紅葉が見れるはずの近江、そして古代の史跡が数多く残る難波津の都と近つ飛鳥に旅立った。
11月23日から27日までの5日間の旅、まずは「紅葉」編から。

近江八幡駅に降り立つと、すぐ目の前に近江商人発祥之地の碑が眼に入る。
近江八幡の町は約400年前、豊臣秀吉の甥の秀次によって信長亡き後の安土の町を再建するかたちで造られ、その後、信長が全国から安土に集めた多くの商人たちが移り住み、本格的な商業都市が誕生したという。
当時の古い町並みを歩くと、そんな雰囲気があちこちから漂ってくる。
秀次が琵琶湖を往来する荷船を全て八幡に寄港させようと造った八幡掘、今は時代劇の撮影場所として隠れた名所となっている。
近江商人の理念は、「三方よし」、「しまつしてきばる」、「正直・信用」、「陰徳善事」の四つとされている。
偽装を働く会社の幹部連中は、この教えをよく見習って欲しいと思う。
  

左右の仁王様がどういう思いか知る由もないが、紅葉で有名な石山寺の門前は多くの観光客がひしめいている。
  

真言宗、石山寺は東大寺大仏造立の黄金の不足を愁えた聖武天皇の勅命により、良弁僧正が如意輪法を修すためここに伽藍を建てたのが始まりという。
本堂の下の御堂には、石山観音の化身とされる蓮如上人の母の形見、鹿の子の小袖が安置されている。
 

七年ぶりに開扉される本尊の如意輪観世音菩薩を拝もうと、階段の上の本堂を目指す。
紫式部がその窓から十五夜の月を眺めた時、霊感をうけ物語が出来上がったと伝えられる「源氏の間」をしばし見やる。
  

国宝の多宝塔には忍者の手付きをして宝冠をかぶっている仏、大日如来が安置されている。
この塔は源頼朝が、乳母であり源平の乱で功を上げた親能の妻でもあった亀谷禅尼の請によって寄進したもの。
上のほうにある月見亭からは、近江八景のひとつである瀬戸の唐橋が望めたらしい。
  

鈴鹿山麓の紅葉を求めて、湖東三山の寺と永源寺を巡る一日バスツアーに同乗する。
永源寺の山門を目指し120段の階段を上り終えると、山際の岩壁に十六羅漢像が彫られていて、お参りに訪れる人々を何やら見やっている。
紅葉に彩られた山門が見事、楼上には釈迦・文殊・普賢の三尊像と十六羅漢像が安置されているはず。

  

臨済宗、永源寺の開山は南北町時代の康安元年(1361)で、近江国の領守佐々木氏頼がこの地に伽藍を建て、寂室禅師を迎えたとされている。
本堂に入ると、近江聖人と呼ばれる中江藤樹の教え「五事を正す」が掲げてあり、なるほどと頷いたり、障子に描かれた立派な水墨画にも眼を惹かれる。
寺の脇を流れる愛知川と紅葉の彩が美しい。
  

天台宗、百済寺は推古14年(606)に、百済の渡来人のために聖徳太子が創建した近江最古の寺。
仁王門を抜けて進むと、五木寛之の「百寺巡礼」からの文章が掲げてある。
「・・・延々と続く石段を、少し息をきらしながらのぼっていく。
ああ、まだあるのか、と思ってふと見上げると、そこにパッと本堂が浮かび上がる。
それが”希望の象徴”のように思えて、よしあそこまで行けばいいんだ、と元気が出てくる」(「百寺巡礼、滋賀・東海」)
参道の帰りに見かけた弥勒半跏石像の姿かたちが、なかなか良い。
  

喜見院の見事な庭園を眺めた後、すぐ裏の高台にある「遠望台」に達すると、湖東の平野や比叡の山並みが一望できる。
すがすがしい気持ちで帰りの道を進むと、書聖小野道風の筆字の石碑が眼に入ったが肝心の文字が読めない。
書道修行中の身にとっては、とても気になるのだが。
  

西明寺の庭は、苔の色合いが見るものに微妙な美しさを感じさせてくれる。
赤や黄色の紅葉の対比も見事で、訪れた人々も感心したように庭を眺めている。
  

山門の仁王が胡散臭そうな目で、観光客を迎えている。
天台宗、西明寺は平安時代の承和元年(1834)に三修上人が仁明天皇の勅願により開山したという。
国宝の本堂と三重塔は、桧皮葺きの屋根と一切釘を使用しない見事な造りが印象的。
  

金剛輪寺山門への参道はとにかく長いが、両側には信者の寄進になる石仏がずらっと並んでいて、訪れる人々の気持ちを励ますのか慰めるのかあまり遠く感じないのが不思議。
やっとたどり着くと、深遠な空気に包まれた国宝の本堂、そして奥の方に三重塔が現れる。
  

天台宗、金剛輪寺は聖武天皇の祈願寺として、行基菩薩が天平13年(741)に開山した。
三重塔にある大日如来像に何やらお願い事をしてから、本堂へと向かう。
この寺の庭園は、今までいろいろ見てきた庭の中でも飛びぬけて素晴らしい。
じっと見とれているうちにバスの待ち時刻が過ぎそうになり、あわてることしきり。
  

翌日の早朝、まず一番に園城寺(三井寺)を訪れる。
人影がいない山門には、何か厳かな雰囲気が漂っている。
天台宗、園城寺は壬申の乱で敗れた大友皇子の霊を弔うため、子の大友与多王が田園城邑を寄進して寺を創建し、天武天皇から「園城」の勅額を賜ったのが始めとされている。
判官びいきというか、国宝の金堂では大友皇子を弔いたい気持ちになってしまう。
 

近江八景「三井の晩鐘」で知られる梵鐘は、宇治の平等院、高雄の神護寺と共に日本三銘に数えられ、その荘厳な響きは有名。
ぜひその響きを聞きたいと、鐘突き料300円を支払って徐に一突きする。
確かに重い響きの音がしたが、荘厳な音とは思えずいささか拍子抜け。
徳川家康により寄進された三重塔、少し見上げる形での軒深い三重の釣合が良く中世仏塔の風格を感じさせる。
  

訪れた寺などの紅葉はどこも素晴らしく色鮮やかで、晩秋の風景をたっぷり味わうことのできた旅となった。
斑鳩・飛鳥・奈良・京都の旅 その2 「古代史」編
斑鳩・飛鳥・奈良・京都の旅 その1 「紅葉」編