毎日が観光

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水と土の芸術祭 2018

2018年09月02日 12時59分06秒 | 観光
 ママチャリが苦手だ。自転車には結構乗っている身ではあるけれども、もしかしたら、そこらへんのママチャリ乗りと競争したら負けるかもしれない。この重くて鈍重な代物とどう付き合えばいいのか身体がまるで理解していない。
 そんなフラッフラな状態でレンタルのママチャリ漕いで新潟駅を出発してメイン会場の万代島へ。新潟暑い。


松井紫朗「Soft Circuit Fish Loop」
 それでも万代会場、のっけから面白い。海の中を歩いているような、体内を巡っているような不思議な感覚。そのどちらもがつながっているような気がしてくるから不思議。


潘逸舟「循環 海から捕獲された涙」
 声もなく部屋に立ち尽くしてしまった作品。ずっとここにいて、ずっと観ていたい。他の作品もそうだけれど、人の営みと海や川との関わりにさまざまな角度から光を当てるものに特徴を感じる。


山内光枝「みつち・みずち」
 よく見ると、大蛇の顔が女性。流動するエネルギー、異界から訪れる神の象徴である蛇=女性という縄文以来の造形が展開されてる。


管懐賓「心園の渡り」
 1日目のママチャリに懲りてクロモリの自転車をレンタル。晴れた青空の下、坂を登って海沿いを走ってみたこの作品に生きている喜びそのものを感じてしまった。ここにあることの喜び。


伊藤公象「地表の襞 eros&thanatosの迫間」
「マグマの隆起によって亀裂が走ったような《起土》シリーズと、生命の有機的な曲面を持つ《多軟面体》シリーズなどを対比的に見せる」(公式ガイドブックより)
 起土=thanatos、多軟面体=eros、そしてその間にわずかではあるけれど、5cm幅ほどの「迫間」があって、表現はその「迫間」に集中するかのよう。その迫間、断絶。その断絶はミケランジェロが「天地創造」で描いた神とアダムの伸ばされた指のごくわずかの隙間に匹敵する。ミケランジェロはあの隙間に永遠の隔たりを表現したのではないか。かつてエルヴィン・シャルガフという生化学者はその著「ヘラクレイトスの火」で、あの永遠の隙間を一歩ずつ埋めていくのが科学だというようなことを書いていた(うろ覚えで申し訳ない。名著なので、お好きな方はぜひ)。その断絶を科学によって、敬虔なクリスチャンなら信仰によって、バタイユならエロティシズムをそこに置くだろう。私たちの生はこの不断の断絶とその超越によって彩られていると言えないだろうか。生の豊かさは逆説的にその断絶の深さにあるのではないか。断絶とそれを超えるélan vital 。


  おつかれさんは、新潟限定ビイル「風味爽快ニシテ」で。

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