鬼一法眼社を過ぎると、まもなく巨大な杉が目をひく。由岐神社である。
由緒には「由岐大明神は御所にお祀りされておりましたが、天慶元年に都の大地震、天慶2年には平将門の乱(天慶の乱)と相次ぐ世情不安に、当時の朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)の9月9日御所の北方にあたる鞍馬に地に天下泰平と万民幸福を祈念し御遷宮されたのであります」とある。
なるほど。
だけれど、なぜ世情が不安だと御所から鞍馬に移さないといけないのだろうか。御所で一生懸命祈っていればいいんじゃないだろうか。
「徒然草」には「勅勘の所に靫懸くる作法、今は絶えて、知れる人なし。主上の御悩、大方、世中の騒がしき時は、五条の天神に靫を懸けらる。鞍馬に靫の明神といふも、靫懸けられたりける神なり。看督長の負ひたる靫をその家に懸けられぬれば、人出で入らず。」の一節がある。
勅勘(天皇の怒り)があると靫(ゆき、と読みます。矢の入れ物です)を由岐神社、五条神社にかけ、それがかけられている間は人の出入りが禁じられる、ということだ。
五条の天神、由岐神社、どちらも祭神は大己貴命、少彦名命。ぼくはこの少彦名命にひっかかるものを感じるのだ。
この項つづく。
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