毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

高橋ヨシキ「悪魔を憐れむ歌」

2013年11月29日 00時22分05秒 | 読書
 日常が牙を剥くなどという言い方があるけれども、実は私たちを切り裂き噛み潰す牙はそもそも日常の中にセットされていたのではないか。気づかないふりをしたり、本当に気づかなかったりしているだけで、ほんのちょっとした悪意、ほんのちょっとした偶然で私たちの平和などもろくも崩れ去ってしまうのではないだろうか。
 たとえ私たちが目を閉ざし耳をふさいで身近な安全の中で生きていようとも、世界は野蛮や暴力、残酷に満ちている。

「世界はフェアではない、人間は残酷なものだ、愚行はこれからも繰り返される……というのが、モンド的な考え方だ。モンドな世界観は視界が広く、そして通史的でもある。なぜなら人類は歴史を通じてずっと残酷だったからで、モンド映画はその「どうしようもない現実」をずらりと並べた屋台のようなものだということができる」(高橋ヨシキ「悪魔を憐れむ歌」以下同)

 ヤコペッティの残酷ドキュメントについて語ることによって作者は人間の残酷さ、なしてきた愚行について語っている。
 そうした人間たちを映す映画はしたがって薄っぺらなモラルをふりかざす道徳の教科書でもなければ、見たいものだけ映ってる幼稚なお花畑でもない。
 『アポカリプト』について彼はこう語る。

「 『アポカリプト』の世界観は実にモンド的だ。『食人族』や『人喰族』を観た時のやるせない気分もあるし、地獄パノラマの描き方は『残酷大陸』や『大残虐』に通じる。まったく異質な世界が舞台で、現代人の価値観が一切通用しないところは『カリギュラ』を思わせる。ペットや子供が絶対に死なない昨今のハリウッド映画とは対極の、血も涙もない残酷な原理がすべてを支配する。だが、かつて我々はみな『アポカリプト』に登場する土人たちのようではなかったか?」

 映画と向き合うことは筆者にとって生と向き合うことに等しいのではないかと思う。
 本全体の熱量とその姿勢の真っ当さに目がくらむ勢いである一方、『エクソシスト』に対する詳細な論述などこの本は実に重い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする