毎日が観光

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三囲神社

2005年11月25日 11時08分12秒 | 観光
 以前広隆寺に弥勒菩薩半伽思惟像を見に行った際、そのすぐ側にある蚕ノ社に寄ってみたことがあった。そこにあった不思議な鳥居。上から見ると三角形を成している。
 これと同じようなものが東京にもあるというので見に行った。
 墨田区向島の三囲神社である。

 蚕ノ社は渡来人である秦氏によるもの(というか、太秦全体がそうなのであり、また伏見神社ももともとは秦氏の氏神)であるが、この秦氏がユダヤ人キリスト教徒ではなかったのか、という有名な日ユ同祖論が存在する。ま、これはこれで楽しければそれでいいのだろうが(よくないか)、ちょっとおいておく。
 またこの三つの柱の並びをレイラインと合わせて考える一説もあり、地理上その意見は確かに傾聴に値するように思われる。
 ただぼくが一番気になるのは、京都の蚕ノ社にしろ、向島の三囲神社にしろ(行ったことはないが写真だけ見ると、京都南禅寺の大寧軒にしろ)、この三本柱の鳥居が立っているのはすべて水の上なのである。
 学生時代フィールドに行った先で、水の上に御幣が飾られている例をよく見た。たいていは水の上の木の股。上下水道の発達していない昔、わき水は命綱であり、聖なるものだった(ベルイマンの映画「処女の泉」でも、あの娘からこんこんと泉がわく。ルルドだけでなく、泉の聖性は洋の東西を問わないのである)。
 その一方で水は疫病を蔓延させる恐ろしい物でもあった。八坂神社の祇園祭は山鉾巡業が有名だが、祭の本当の意味は牛頭天王と眷属とが関わる井戸を巡る神輿巡業なのである。
 そしてこの水の上に立つ三柱鳥居は後者のような意味合いを持っているのではないか、と感じるのだ(あるいは聖なるもののに対する両義的な態度か)。
 それは秦氏の祖先を祀る大酒神社(場所は広隆寺)で行われる牛祭が表しているように思う。複雑な習合を遂げ、今となってはよくわからない魔多羅神と四天王のお祭りであるが、この魔多羅神は激しいたたり神でもある。
 天台宗に取り込まれることもなく、平地で展開し、なおかつ芸能神ともならなかった魔多羅神は(たぶん新羅明神を仲立ちに)、スサノオ、牛頭天王と習合するのだ。その文脈で考えると、どうもあの水の上に立てられた鳥居は水へのおそれを表したように思われるのだ。 
コメント
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