旧志賀高原ホテル

2007-11-06 07:06:31 |  長野県





 昭和12(1937)年に竣工・開業し、平成11(1999)年に閉鎖されたクラシックホテル。 色付いた木々に囲まれ、秋の穏やかな日差しを浴びたその佇まいは訪れた旅人を優しく包み込む。

 日本に本格的なスキーリゾートホテルが誕生するのは昭和に入ってからの事。 『ノスタルジック・ホテル物語』によると、東京へのオリンピック招致の動きが盛り上がりをみせ始め、これが実現すれば冬季大会の会場は妙高高原(新潟)か志賀高原になるとの噂が広がったそうです(当時は夏・冬とも同一国開催の規約があった為)。 それを受け、道路の開通も待たずに建築資材を馬や強力(ごうりき 登山者の荷を背負って従う下男)を使って運び込み建設されたのがこのホテル。 当初は外国人客を見込んでのオープンでしたが、経営が京都ホテルという事もあり実際には関西からの日本人客が多く、悲願であったオリンピック招致の夢も太平洋戦争の始まりと共に消え、このホテルが外国人客で賑わうのは戦争の進展と共に疎開してきたドイツやイタリアといった同盟国の大使館家族であったという皮肉なものでした。 
 
 戦後の進駐軍の接収の後もホテルとして営業を続けていましたが、スキー客の減少などにより経営が行き詰まり1999年に閉鎖。 その後取り壊しの予定もありましたが、志賀高原のシンボル的存在であったことから本館のみは解体を免れ、現在は歴史記念館として再生すべく模索中のようです。  長野県山ノ内町平隠  07年10月下旬他

 ※10年11月追記 現在は歴史記念館として定期的に内部公開しているようです。


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37 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしいです。 (うーみん)
2008-02-14 17:32:19
20年前にここのホテルでアルバイトしてました。あの頃のスキーの盛り上がりは凄かったです。スキーのシーズンには4年くらい連続でここのバイトをしていたので閉鎖はとても残念ですね。あれから一回も志賀高原に行ってないので機会があれば訪れようかと思います。
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うーみんさん (es)
2008-02-14 18:58:33
ご訪問&コメント有難うございます。
私(30代前半です)も世代的にスキー世代なのですが、スノボの若者たちに押されて、ここ1、2年はスキーに行ってないですね。
時代の流れとはいえ、ちょっと寂しいのは確かです。
でもこの建物は残されましたし、今後の活用に向けて動き出しているようなので、もう少し待ってみようと思っています。
紅葉に包まれる秋の季節の訪問は、本当に素晴らしくてお勧めですよ。
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旧が付いているのでビックリです。 (オンリー・ザ・ロンリー)
2008-12-06 16:19:50
子供の頃に数年連続でスキーで泊まっています。夏は一度だけです。同様にスキーだけなら「赤倉観光ホテル」がばっちり記憶にあります。
来年は「ノスタルジック・ツアー」でもしたくなりました。
詳細の解説、とても参考になりました。ありがとうございます。
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クラシックホテル (es)
2008-12-08 23:19:54
オンリー・ザ・ロンリーさん、私がここを訪れた時はまだ整備工事中だったのですが、
それもどうやら終わったようなので近いうちに何らかの動きがあるかと思われます。
これだけ気品に溢れた建物ですから、放っておくには本当にもったいないですもんね。

赤倉観光ホテルや上高地帝国ホテルの建物は新しい物になってしまいましたが、往時の雰囲気は今でも残されているようですね。
私には身分不相応な場所かとも思いますが、いつの日かこれらのクラシックホテルに泊まる事が出来たらな・・と思っています。
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えっ!、上高地帝国が、 (オンリー・ザ・ロンリー)
2008-12-09 00:04:09
新しいのですか!。s42年頃、男3兄弟(女はまあ良いか)、もう社会人になったら余り付き合いはなくなるだろうと言う主旨で穂高に登った際に泊まりました。山岳リゾートの頂点!?。
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新しいとは言っても・・・ (es)
2008-12-09 19:35:17
上高地帝国ホテルの現在の建物は、昭和52(1977)年築ですから30年以上は経っている訳でして・・・。
それでもオンリー・ザ・ロンリーさんが宿泊した時の建物とは、似て非なるものになりますね。
昭和8年築の建物を忠実に再現していますから、傍目には違いは分からないと思います。
舌足らずな表現で失礼致しました。
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再開を望みます (ヨッシー)
2010-02-13 21:26:31
16年前、家内と一緒にこのホテルで働いてました。長野県民の温かさを肌にふれ、日々、お客様に接する喜びを味わっていました。歴史の重みは何にも変えられません。是非、再開をしていただけることを願ってやみません。
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検索1位! (es)
2010-02-14 20:07:59
ヨッシーさん、コメントありがとうございます。
ここで働いていたという事は様々な苦楽の想い出がこのホテルに詰まっているんでしょうね。
自分がお客になってここでサービスを受ける日はもう来ないかも知れませんが、
こうして建物が残された事には感慨深いものがあるのかと思います。
なかなか情報が少なくて記念館としてオープンしているのか不明なのですが、
多くの人の注目を集めているのは間違いない所です。
実はこのブログの検索(アクセス)ワード№1は「旧志賀高原ホテル」なんです(推定)。
何らかの情報を求めている人がこんなに大勢いるんだな、といつも感心していましたよ。

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懐かしい (胡花)
2010-10-06 10:43:18
ホテルが閉鎖されたのは聞いていましたが、何となく記憶をたどってみたくなり、調べていたら行き着きました。

私も、26年前に学生の頃アルバイトしていました。一緒に働いていた友達と訪ねていきたいと思います。

きれいな写真に少し安堵しています。
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歴史記念館 (es)
2010-10-06 20:28:30
胡花さん、コメント有難うございます。
こんなにも大勢の方々が関心を寄せていたなんて思うと、
この建物は本当に幸せな建物だったんだなと深く感激いたします。
どうやら今年の春頃から歴史記念館として公開が始まっているみたいなので是非一度お訪ね下さい。
私も冬が来る前にもう一度会いに行こうと思っています。
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情報、ありがとうございます (胡花)
2010-10-07 11:38:33
何か、夢というか、目標というか、希望が持てました。
是非、訪ねていきます。

本館のマントルピースの前で暖をとっていたころを思い出しました。
たくさんの思い出のある建物です。
一緒に働いていた人たちや、お客様たちは、今どうされているんだろうと思います。

本当にありがとうございました。
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私もです (ピース)
2011-01-16 13:22:47
24年前、高校の友達と夏休みの1カ月間バイトをしていました。

2~3年前に志賀高原ホテルに泊まりたくて友達と旅行の計画をし、パソコンで検索した時にホテルがなくなってることを知りました。
それでも近くの志賀サンバレーに泊まりに行きホテルの本館だけ残っていたので写真はしっかり撮ってきました。

その当時、働いていた人はどうしているんでしょう。
懐かしい思い出です(^^)
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愛される建物 (es)
2011-01-17 20:31:21
ピースさん、コメントをありがとうございます。
このホテルに泊られた方は勿論、働いていた方達にまで多くのお話を頂く事が出来て本当に感謝しております。
寝食を共にした人々の連帯感というか、時間のズレがあるとはいえ同じ想いを共有した人達が
こうしてまたこの場所に還り集ろうと考えている事に何だか心が暖かくなってきます。
「仏作って魂入れず」なんていうことわざもありますが、
この建物には一番大切な「人の心」が間違いなく込められていたんだな、と強く思いました。
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一番好きなホテルだった (こたつねこ)
2011-01-22 07:47:33
スキーを始めたばかりの90年代に毎年恒例の連泊で利用していました。温泉大浴場も(途中改装されて温泉になったそうです)
別棟のレストラン志賀ハイツも利用しました。
マントルピースの前では記念写真も撮りましたし、マントルピースの炎を守っておられた
おじさまに、オリンピックロードが出来る為に
切り倒されたミズナラをここで見送って
いるのだと聞かされその炎を感慨深く眺めました。
FRONT横にあったゲストブックに名前も書きました。何度目かの冬には大変な吹雪の中ホテル横にバスをつけてもらえず、少し離れたところから歩かされてホテルに辿り着くと、FRONTの方が
深夜にも関わらずロビーの椅子に座らせて
毛布をかけてコーヒーを勧めてくださいました。暖かで、温かいホテルでした。
志賀高原には他にもアットホームなプチホテルは確かにありますが、施設と内容のバランスが取れたホテルはなかなか無いようです。
確かに老朽化したところや不便も若干ありましたがそれをカバーするだけの従業員の方々が揃っていました。
手元に当時の写真・ホテルのパンフレット
閉鎖になってから、志賀高原の他のホテルで
使われていた、子供用の志賀高原ホテルとロゴの入ったスリッパなどがあります。
思い入れの深い本当に良いホテルでした。
パンフレットを掲載UPできるところがあれば是非したいくらい皆さんと思い出を共有したいです。
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追伸 (こたつねこ)
2011-01-22 08:09:43
最後に志賀高原を訪れた2007年2月に
旧志賀高原ホテル前で写真を撮りました
その際ホテルの玄関前に、80年代を懐かしむ
ナイトパーティーを行なうとポスターが貼られていました(私をskiに連れてって世代ターゲットのようでした)残念ながら滞在日から再来訪しなければならないスケジュールだったので
行けませんでした。
今はインターネットがかなり普及したので
こういうイベントをシーズン前にもっと宣伝して利用して欲しいものです。
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更に追伸 (こたつねこ)
2011-01-22 08:21:00
2007年の3月に旧志賀高原ホテルで行なわれた
パーティーのポスターのブログ見つけました。
このポスターが私の見たポスターでした。
これに参加すればホテルの中に入って夜を過ごせたのでしょうね。。
http://blog.princehotels.co.jp/yakebi/2007/03/07/
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人間の本質。 (es)
2011-01-23 21:31:11
こたつねこさん、大切な想い出話をここで披露して頂き本当に有難うございます。
皆さんのお話を伺っているとこのホテルの魅力の本質が何だったのかが明確に伝わってくるようです。
都会の喧騒とは無縁で閉ざされた非日常的な空間ゆえ、
自然の前では無力である人間は心の仮面を捨てて誰にでも優しくなれる存在になるのでしょうね。
ちょっと言葉がカッコつけ過ぎで上手く表現できませんが(汗)、
人間の持つ本質的な優しさがこのホテルの持つ暖かさの源となり人々を魅了し続けているのかも知れませんね。

P.S. このホテルの公開情報は山ノ内町の観光案内ページで確認したほうが良いかも、です。
どうやらイベントに合わせた限定公開をしているようです。
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懐かしい... (ユーノス)
2011-02-12 22:35:22
1991年~1997年まで、毎年3月に父と2人でここに泊まり、昼間はスキー、夜はタイ料理「ウィマーン」(途中から中華料理の店に変わりました)六角形の別棟のレストランでくつろぎ、夢のような時間を過ごすのが、恒例でした。当時私は大学生。もっと小さい時も何度か行った事がありました。宿泊は新館だったのですが、夜にこの旧館(当時そう呼んでいました)へ入るとあまり人気のない中、玄関に暖炉の火が燃えていて、何とも言えない雰囲気。当時、私はこの建物に対する知識はなく、ただ古そうでいい感じで、ちょっとミステリアス(見てはならないものが出そうな雰囲気!)で、大好きな場所でした。
旧館には当時、従業員の方々が泊まっておられたような記憶があります。
最後に行った時、帰りのバスまで時間があったので、この旧館を自慢のビデオカメラで撮影しました。「いかにも昔の金持ちの人達が寛いでいそうな木のローリングチェア、本棚には昭和初期の名作集とか古い本がいっぱい入ってて...静けさとあの何とも言えない雰囲気は今思い出してもゾクゾクするほどです。当時はまさか数年後に閉鎖されるとは思っていなかったので、今となっては貴重なビデオテープです。あれ、どこかにあるはず...
若かった自分と、父との思い出...ふと思い出して検索してみたら、このHPにたどり着きました。懐かしい気持ちがよみがえってきて、胸いっぱいです。あの旧館が壊されてなかった事がすごく嬉しかったです。ありがとうございました。
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潜在意識。 (es)
2011-02-15 19:32:31
ユーノスさん、返信が遅くなってしまい大変申し訳ありませんでした。
3連休で出掛けており少し忙しくしておりました。。。

建物が無くなった後にこのような想い出話を伺うことは多いのですが、
今もあり続けながら皆様の記憶の中の1ページに深く刻まれる存在になっているというのはとても稀有な存在だと思います。
みんなの潜在的な想いがこの建物を残させる一番大きな理由になったんでしょうね。
私はまだ外からしかこの建物を感じたことがありませんが、
内側からも感じてみたいと常々思っております。
いつの日かその日が来るのを心待ちにしているんですよ。
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今、知りました (JK)
2011-02-17 14:34:29
今を去る事34年前にSKI兼ねた新婚旅行で利用したHTLです。60年代高校時代に志賀に行き、いつかはこのHTLに泊まりたいとの夢も持ってましたので、あれから30数余年、サラリーマンとしてガムシャラに人生ひた走り、気が付けば定年間直の初老?にも成ってしまった最中、偶々友人と久し振りにSKI、それも志賀にてな話にもなったことから、じゃーあの昔良かった高原HTLをと探したものの一向に見つけられず、そんな筈はない(自分の記憶も間違ってるわけ無いし)と不思議に思って、ひょっとすると?との思いで 昔、過去のてな検索の後、旧にて発見見つけることが出来ました。 やはり閉鎖されてたんですね。仕事柄、海外駐在が長かった為、又志賀にも出向くことも無かったので、全く知りませんでした。閉鎖とは本当に残念、建物の写真見ただけで走馬灯のように過去の若かりし頃の記憶も蘇り、思わず涙も出てしまいました。冒頭写真の玄関前の丸いサークルのところには 確か階上に上るレストランがあったと記憶、何よりロビー奥に有った?暖炉や本館のすばらしい木の作りが思い出されます。海外の歴史あるすばらしいHTLも何ヶ所かは知ってますが、それにも劣ること無いすばらしいHTLであったと記憶します。建物が残ったことだけでもよかったですが、できればこのようなすばらしい施設はその中身のHOSPITALITYとともに一つの貴重な文化として生きたままで残って欲しかったなー というには私だけではないと思うのですが。
重ね重ね残念。建物中の写真などもしお持ちの方居られれば、是非又投稿頂き 見せてくださればありがたく。ノスタルジックな感傷ながら あまりにも懐かしく投稿させていただきました。
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約束。 (es)
2011-02-17 20:54:41
JKさん、ご訪問&コメントをありがとうございます。
この建物に付いて大勢の方にコメントを頂けた事に自分でも驚いていますし、
どれもみな暖かい内容なので殊のほか感謝しております。
サービスする側・される側、両者にこれほどまでに慕われ続けるこのホテルの魅力とは、
簡単な言葉では言い表せない奥の深いものなんでしょうね。
私には勿論それを表現する術はありませんが、またいつか再訪して写真を撮る事ぐらいは出来るかと思います。
その時はこの場で公開致しますので、宜しければもう少しお待ち下さいね。
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懐かしい (トオル)
2011-03-01 15:54:13
大人になったら、泊まってみたい私の3大
ホテルの1つ。
ちなみにあと2つは、上高地観光ホテルと
赤倉観光ホテル。
あと2つは今後もがんばってほしい。
しかしまだ建物が残っているとは知らなかった。
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訂正 (トオル)
2011-03-01 15:55:30
上記の上高地観光ホテルは上高地帝国ホテル
のマチガイです。
スミマセンでした。
m(__)m
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地理的魅力 (es)
2011-03-02 20:15:24
トオルさん、はじめまして。
トオルさんに挙げて頂いたホテルはどちらも四季の移り変わりを
より克明に肌で感じられる素敵な場所にあるものですね。
湖や高原・山すそ等々、ホテルの立地条件も旅情をそそる大きな要因のひとつだと思っています。
私もいつか自分だけの場所(ホテル)を見つけたいですね。
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思い出の志賀高原ホテル (藤田省三)
2011-04-18 23:20:59
この志賀高原ホテルは新婚旅行に滞在した
記念する私たちのホテルです。食堂でトースターで焼いたパン今でも思い出します。
61歳の年齢になりもう一度
志賀高原ホテルに泊まりたい。
復活することを祈っています。
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みんなの願い。 (es)
2011-04-19 20:12:36
藤田省三さん、コメントを頂き感謝致します。
新婚旅行で訪れたという事は今からもう30数年前のことでしょうか。
こちらで想い出話を披露してくれる方々は2~30年前に泊った、という方が多いので
ちょうどその頃がこのホテルの営業のピークだったのかも知れませんね。
もうホテルとしての機能は果たしておりませんが、今は歴史記念館として再生されています。
いつ内部公開されているのか私も全く把握しておりませんが、雪解けしたら是非また訪ねてあげて下さい。
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ありがとうございます。 (いけのさん)
2011-06-10 21:53:11
なんかふと思い出して検索してみたらここを発見しました。1989年90年91年ぐらいに働いていました。
その後日本を離れてしまい帰ってきた時にはもう志賀高原ホテルはないと聞いてとても寂しく思っていました。
調べてみたら5月から10月までは中を公開しているようです。
なかなか長野へ行くと言う機会に恵まれないけれど写真を見てとても懐かしく中を見れる時期に必ず行きたいと思いました。
みなさんが言う通りまた再開してほしいと思います。
貴重な写真ありがとうございました。
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公開中!? (es)
2011-06-12 16:12:02
いけのさん、拙ブログを訪問して頂き有難うございます。
89~91年というとちょうどバブル景気が最高潮だった頃でしょうか。
まだ学生だった私には薄ぼんやりとしたイメージしか無いのですが、
日本全体が活気にあふれていて誰もが夢の中にいるような高揚感に浸っていた時代ですね。
お客様の中には景気の良い話をされている方も多かったのではないかと想像します。

ネットで検索してみましたが、確かに10月まで内部公開しているようですね。
ちょっと前に調べた時は出ていない情報だったので、教えて頂かなければ気付きませんでした。
なかなか直ぐには会いに行く事が出来ませんが、今年こそはこのホテルの本質に私も向き合いたいと思っています。
貴重な情報を教えて頂き本当に有難うございました。
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Unknown (スキー狂)
2011-12-20 13:55:28
こんにちは。
私、志賀高原ホテルで働いていました。
長い間の良い思い出です。
良い記事を、ありがとうございます。
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歴史記念館 (es)
2011-12-21 20:04:31
スキー狂さん、こんばんは。
ここは今「志賀高原歴史記念館」として夏期間を中心に公開されています。
私も7月に見に行きましたが、過去を懐かしむ年配の方々の姿もチラホラありましたよ。
スキーシーズンの本格到来なのにここがホテルとしての営業が無いのは少し寂しいかもしれませんね。

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Unknown (スキー狂)
2011-12-23 16:25:44
返信コメント、ありがとうございます。

この夏は立教大学の学生さん達が、旧ホテルの庭でガーデンバーを開いてました。
嬉しく、又ありがたいことです。
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夜の灯(ともしび) (es)
2011-12-25 19:30:36
スキー狂さん、ガーデンバーの事は知らなかったので早速検索してみました。

 こちら↓
http://www.nagano-tabi.net/modules/weblog/details.php?blog_id=371

10日足らずの短い期間とはいえ、建物に灯がともり、庭に人々の声が響き渡ると
以前のような賑やかさは無くとも何だかホッとするような暖かい気持ちに包まれそうですね。
車で来る人が多そうなので(そういう人は)お酒が楽しめないのは残念ですけど、
来年以降も何らかのイベントで話題を振りまいてくれると嬉しいですね。
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想い出は美しすぎて(^^)/ (石器時代)
2013-05-03 21:51:22
私が勤めていた、昭和50年代をネットで巡っていましたら、更新されていないブログにたどり着きました。懐かしく、あの頃の思いが蘇り書き込み。仕事が終わり、暖炉、三階のビリヤード、サンバレー、丸池のホテルへと遊び周り夜を過ごしていた20代、昨年記念館に行ってみましたが当時お勤めの皆様お元気でしょうか(^^)
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季節到来 (es)
2013-05-25 17:45:15
石器時代さん、こんにちは。
こちらには志賀高原ホテルを懐かしむ多くの方々がコメントを残してくれていっています。
今年も5月から歴史記念館として公開が始まっているようですね。
私もまたあの石造りの暖炉の温もりに触れてみたくなりました。
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ありがとうございます。 (sealoves)
2014-01-23 14:35:03
ふと昔の事を思い出し志賀高原ホテル、どうなってるのかなぁ。って検索したら出てこなくて。
色々調べると閉館した事や、今も姿が残っている事。
そしてここのブログに辿り着きました。
若かりし頃アルバイトをさせて頂きました。
たくさんの方々と出会い、いい加減だった私を少しだけ成長させて頂きました。
懐かしく、そして寂しくもありますが、建物が残っている事。。本当に嬉しいです。
今年行ってみようと思います。

今ではいい思い出ばかりで
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懐かしすぎ!! (マチ)
2014-04-06 19:18:52
昭和50年頃の夏休み、春休みとアルバイトに行っていました。その頃でも古いホテルでした。最盛期には京都ホテルからコックさんがヘルプに来ていました。ホテルの前にあったレストランで渡辺貞夫のコンサートが開かれたりしてました。今までホテルがなくなってしまった事も知らずにいました。懐かしくてあの頃いっしょに働いた仲間に会いたくなりました。
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3代物語 (てっちゃん)
2014-05-15 18:38:42
昨年暮れに亡くなった母が子供の頃、ここに泊まった時の写真を見た記憶があります。太平洋戦争開戦前ですから、開館後間もない頃だったのですね。私はその母に連れられて昭和41年の夏に行きました。朝のダイニングルームで生まれて初めてコーンフレークを食べたことを、ミルクの冷たさとともに思い出します。岩菅という名前の部屋でした。結婚1年後の昭和56年には家内と二人で行きましたが、GW明けの平日ということもあってか、宿泊客は2組のみ。センチメンタルジャーニーは繰り返し、その次は子供を連れて閉館直後の200年夏に訪れ、まさに往時を偲ぶの感でした。
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