八ヶ岳高原ヒュッテ

2008-01-31 19:23:27 |  長野県





 元公爵・徳川義親(尾張徳川家19代当主)の邸宅として、昭和9(1934)年に東京は目白に建てられたもの。 設計者の渡部仁は、先日ちょっとだけ紹介した銀座和光などを手掛けている人です。 この建物は昭和43(1968)年に現在地に移築され、翌年からはホテルとして営業していたそうです。 
 
 高原リゾート地に移築された元々は都内の建物・・・という事だったので、何と無く華奢な建物を思い描いていましたが、実物はかなり荒々しいというか男性的な印象を受けました。 むき出しの柱や梁などの木目の粗さがそう見せるものだと思いますが、当初からこの地に建てられていた、といっても納得してしまうくらいに風景の中に溶け込んでいて違和感はありません。 現在はレストランや売店等として営業してますが、ゴールデンウィークと夏季(7月半~8月末)の合わせて2ヵ月程の期間限定営業。 チャンスを逃して内部は未見ですが、有名な(?)熊の彫り物を一度この眼で見てみたいですね。  長野県南牧村海の口  07年09月上旬他 

 ※写真が一部大きくなります。
  08年08月上旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。 階段の手すりの熊さんが激カワです。。。


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7 コメント

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たまには泊まりに (オンリー・ザ・ロンリー)
2008-12-04 16:47:20
行ってみようかなと検索していたらここに到着しました。
昭和49年新婚の頃にアンアンかノンノに特集がありミーハーの私達は泊まりに行きました。元来は個人の邸宅ですから各部屋にバスはある訳ではなくちょっと曖昧な記憶では共用風呂だったと思います。
似たような建築様式の建物が小田急線・成城学園前の住宅街にありましたが今はどうかな~。
また、寄らせてもらいます。



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優雅な旅行 (es)
2008-12-04 21:10:44
オンリー・ザ・ロンリーさん、はじめまして、コメント有難うございます。

こんな素敵な洋館に宿泊できたなんて、本当に羨ましい体験ですね。
仰るように元は個人邸ですから、ホテルとしての設備は満足いくものではなかったかも知れませんが、
高原の澄み切った空気の中でむかえる朝は格別なものだったでしょうね。
私が初めてここを訪れた初秋の頃は、鳥のさえずりさえ聞こえず、物音ひとつない全くの静寂の中でした。
日常の生活では絶対に有り得ない事でしたので、なんだか地球上に自分一人しかいないような錯覚に陥ったのを思い出しましたよ(笑)。
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ESさん、こんばんは。 (オンリー・ザ・ロンリー)
2008-12-05 01:58:22
★実はこれ、病室から携帯でコメントしています。もっとも午後には一旦退院ですが。           ★まだ全部を見終わった訳ではないのですが、この建物とは趣と歴史と様式は異なりますが、旅行好きな父に連れられ日光金谷ホテル、箱根富士屋ホテル、軽井沢万平ホテル、軽井沢グリーン・ホテルには昭和31年頃から何回か泊まりました。個人的にはグリーン・ホテルは明るくて好きでしたけど、記憶では経営難でなくなってしまったかしら。同じく経営難なら軽井沢から草津まで走っていた電車(草軽電鉄)の駅などは趣があり良かったです。三笠ホテルはお茶だけしました。★かれこれ15年位前に新鋭建築家とお喋りした時に箱根富士屋を知らないのでがっくりしました。後日私が案内したくらいです(笑)。
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健康が一番 (es)
2008-12-05 20:58:58
オンリー・ザ・ロンリーさん、何か御病気でしょうか?
私も体は丈夫な方ではないので、今までに何度か入院した事はあります。
病気になると体だけではなく心も蝕まれてしまいますから、早く元気になって下さいね。

こうして見ていると、関東のクラシックホテルにはほとんど足を運んでいらっしゃるんですね。
万平ホテルと箱根富士屋ホテルはまだ見た事がなかったのですが、写真などで見ると色々な様式が融合した素晴らしい建物のようで空想が掻き立てられますね~
お値段を見ちゃうと現実に引き戻されてしまいますが。。。
三笠ホテルは今は観光施設になって一般公開されていますが、軽井沢グリーンホテルはもう無いですね。
草軽電鉄は知りませんでしたが、長野だったら上田電鉄別所線も古の趣が感じられていいですよ。
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帰還し、寝ています。 (オンリー・ザ・ロンリー)
2008-12-05 22:14:13
お気遣いありがとうございます。若い頃は企業の特攻隊長だったのが今になってガタが来てるのです。来年は入退院を繰り返すかもですが、直ぐ死ぬと言う事はない筈です(笑)。まっ、何かあればその時はその時ですよ。
軽井沢で思い出しました。しばらく行ってないから変わっていたら申し訳ありませんが、三笠の通りの反対側は「前田郷(ごう)」と言って昭和30年代(もっと前からでしょうが)は年間契約の貸し別荘村でした。オーナーは省線(JRの前が国鉄、その前です)大臣を務めた方で、そのオーナー宅は校倉造り風でなかなか魅せてくれます。当時は別荘族とは言え電話をひくのは容易ではなかったのかオーナー宅の横には公衆電話ボックスもありました。一昨年はネットで写真を見た記憶があります。宜しかったら検索してみて下さい。何年か前に子供の頃はお世話になりましたとご挨拶に伺ったら祖母の時代の出来事ですねと言われました。そして実は紅葉も軽井沢一の大穴場なのです。(税制面でなくなっていたらお詫びします)


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補足します (オンリー・ザ・ロンリー)
2008-12-06 15:05:07
一昨年にサイトで見た貸し別荘はこじんまりした単複泊用と思われます。当時の年間契約用は土地も広く建物は平屋ではありますが広かったと思います。
それと公衆電話ボックスは無論NTT製ではなく木製のオリジナルです(笑)。説明不足でした。お詫びします。

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前田郷 (es)
2008-12-08 22:56:00
オンリー・ザ・ロンリーさん、コメント遅くなって申し訳ありません。
この土日は天気も良く、一泊二日で建築訪問していました(汗)。
病気もとりあえずは大丈夫そう(?)で何よりです。

前田郷本館なら先日、軽井沢を訪れた際に見ましたよ。
敷地の外からだったのですが、急勾配の大きな屋根が特徴的でしたね。 おそらく今も貸別荘として使われている事と思います。
軽井沢には旧華族の個人別荘などもあって、私のような古い建物好きには魅惑的な場所なのですが、
「私有地に付き立ち入りは・・・」という立て看板が多いのが悔しいですね。
来年には故・田中角栄別荘(大正9年築)が一般公開されそうなので、それを今から楽しみにしているんですよ(笑)。
色々と面白い話を聞かせてくれて本当に有難うございます。

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