旧長濱検疫所 1号停留棟

2012-10-16 19:06:31 |  神奈川県


 明治12(1879)年、コレラ蔓延防止の為に三浦郡長浦(現在の横須賀市長浦)に設置された長浦消毒所は、明治28(1895)年に久良岐郡金沢村(現・横浜市金沢区長浜)に移転し長濱検疫所と呼ばれるようになりました。 およそ8ヘクタールにも及ぶ敷地には50棟もの木造建築群が配され、海外から来航する船舶の乗客や乗員から恐ろしい伝染病が国内に入らぬよう水際で阻止する役目を担っていたそうです。 この建物は伝染病の感染の疑いのある一等船客と上級船員を留め置く為のいわばホテル的施設として建てられたもので、関東大震災(大正12年・1923)で施設の大半は壊滅的な被害を受けましたが翌年に再建されたもののようです。  神奈川県横浜市金沢区長浜107-8  11年10月下旬

 ※参考『ヨコハマ建築慕情』 1991



 現在は横浜検疫所の資料館へと転用。 大正13(1924)年の再建か。


 全景写真を上手く撮れませんでしたが建物は間延びしたコの字型の平面プランをしています。




 コの字型の突き出した部分、建物に入ってすぐの部屋。 かつての食堂?


 

 昭和43(1968)年に海面が1・5キロほど埋め立てられましたが、かつては三方を山に囲われ海に開けた景勝の地でした。 芝地があり渓流があり、そして清風もある最高の環境だったのでしょう。 






 サンルームを兼ねるような幅の広い廊下。


 各部屋には展示物が雑多に置かれています。




 1号とは一等の事で、もちろん2号停留棟もありましたが居心地の良さは天と地ほどの開きがあったそうです。


 昭和22(1947)年に横浜検疫所に名称変更。




 明治32(1899)年の5月から9月という短い期間でしたが野口英世もこの検疫所に勤務していました。




 古い壁型電話機が人の顔に見えます。
 



 ネズミは疫病を媒介する厄介な存在。




 言われなくても触りません。 ましてや覗きこむなんて。。






 昔の潜水服のような防護服です。


 カヤが吊るされたベッド。




 展示物をずっと見ていたら少し息苦しくなってきた。


 リアルなの苦手。


 流れでブツブツに見える。。




 談話室。


 伝染病の潜伏期間が終わり無事外に出られるまでレコードでも聴きながらゆったり過ごしていたのでしょうか。


 突端がベイウインドウになっているので光も入り小さな部屋でも広く感じます。




 裏側に回ってみました。


 







 裏を見ると「長浜措置場」の文字。 昭和27(1952)年に横浜検疫所が中区海岸通に移転してからのここの呼び名ですね。


 長浜庁舎の施設公開は1年に一度の貴重なチャンス。 今月27日の土曜日が施設公開日です。