旧桑島眼科医院

2010-03-28 18:00:00 | 南とうほく (宮城・山形・福島)







 初代院長が洋行を取りやめて完成させたという美しき医院建築(昭和2年築 1927)。 設計は吉岡惣作、建設費1万6千円(当時)という建築データが残っています。 平成7(1995)年の新医院建設に伴って120メートル曳き屋され、記念館として保存される事になりました。 目の前が商店街の無料駐車場でしたが運良く正面には駐車車両が無く、シンメトリーで端正な姿を撮る事が出来ました。  山形県長井市本町1-8-12  09年06月下旬

旧西五百川小学校三中分校

2010-02-27 20:05:18 | 南とうほく (宮城・山形・福島)






 3階の丸窓が「カニ目」のように見えるこの建物は明治15(1882)年の建築。 最初に見た時は古いのか新しいのか良く分からない建物に思いましたが、ず~っと見てるとユーモラスで愛嬌のある顔立ちにも感じてきます。 校舎として長い間利用されてきた為、間取りは時代と共にかなり変更されているそうです。  山形県朝日町三中(八ツ沼)甲232  09年08月中旬


 ※おまけ  三中分校から次の建物に向かっている時に見つけた「さがえ西村山農協西五百川支所」。 正体不明物件でしたが山形県の近代化遺産総合調査報告書(2001)に旧有限責任西五百川信用購買利用組合事務所(昭和3年築 1928)と載っていました。 設計は秦・伊藤建築設計事務所(山形市立第一小学校等)の伊藤高蔵、RC造2階建てで総工費は17、500円(当時)、全体的にアールデコ調だそうです。 この地区の農民の金融を取り扱って農業経済の向上に寄与し、現在も同一機能を果たしているとの事。 色ガラスの入った丸窓が三中分校に通じているようにも見えますね。  朝日町常盤67-1





興福寺六角堂

2010-02-11 15:56:12 | 南とうほく (宮城・山形・福島)





 変形六角形(というか半八角形?)の洋風仏堂(明治17年築 1885)。 正面に2本の円柱を建ててポーチを支え、その上をベランダとして勾欄をめぐらし上部を寺社建築のように仕上げています。 現在は1階の外壁は人造石洗い出しですが当初は黒塗りの板張りだったようで、隅壁の部分も黒漆喰でコーナーストーンのようにしてあったそうです。 建設された時代や場所を考えると大工棟梁(地元の鈴木長作)の苦労や意気込みが真に伝わってくるように思います。  宮城県登米市南方町本郷大嶽18  08年04月中旬

 ※参考 『明治の洋風建築 ―宮城県―』 1976

日本基督教団 岩沼教会

2009-11-26 19:58:47 | 南とうほく (宮城・山形・福島)





 天に向かってすっくと伸びた尖塔が印象的なこの教会は昭和5(1930)年に建てられたもの(旧岩沼一致教会)。 戦時中は憲兵隊の事務所とされたり鐘楼の鐘を供出されるなどしたようですが、琥珀色のアーチ窓から降り注ぐ柔らかな光に包まれるとそのような受難さえも忘れてしまうくらいの暖かさを感じます。 設計者は不明ですが『宮城県の近代化遺産』(2005)ではウォーリブス建築事務所?となっており、その微妙な名前にまさか誤植!?かとドキリとしてしまいます。。。   宮城県岩沼市桜2-3-2  08年11月上旬

 ※現役の教会です。 見学の際はご配慮願います。

西欧館

2009-11-08 18:51:34 | 南とうほく (宮城・山形・福島)



 旧大東京火災海上保険仙台支店(昭和11年築 1936)。 第二次大戦末期の仙台大空襲で市内中心部が焦土と化し付近一帯も焼失した中、この建物は全窓に鉄製のシャッターが備わっていた為に焼失を免れました。 設計者は早稲田大学に建築学科を創設した佐藤功一(1878~1941)。 角柱の柱頭飾りやパラペットなどに古典的様式を交えながらも重厚には振らず、全体的には軽快な感じのするモダンな建物に仕上げています。 昭和41(1966)年に背面にRC4階建を増築。  宮城県仙台市青葉区大町1-1  05年09月中旬他

旧翁島駅

2009-10-15 20:09:24 | 南とうほく (宮城・山形・福島)





 翁島駅は有栖川宮親王殿下が猪苗代湖畔に別邸(現在の天鏡閣)を建てたのに伴って設置された駅。 この建物は三代目の翁島駅として大正11(1922)年に建てられたものです。 こぢんまりとした可愛らしい建物ですがそこは皇族を幾度となく迎え入れた由緒ある駅、小さいながらも内部には貴賓室も備わった格調高きものに仕上げられています。 現在は駅舎としての役割は終え、町営の「緑の村」に移築され蕎麦処・駅舎亭となっています。   福島県猪苗代町長田東中丸344-4  09年08月中旬

岡崎写真館

2009-10-01 07:13:35 | 南とうほく (宮城・山形・福島)




 大きな丸窓と輪郭からハミ出した四角窓がユーモラスな建物は『山形県の近代化遺産』によると昭和4(1929)年の建築。 不器用な丸窓の開き方がツボに嵌ります(笑)。 こういうエキセントリックな建物に出くわすと街歩きの楽しさが倍増されますね。  山形県米沢市丸の内2丁目  09年06月下旬

旧作谷沢郵便局

2009-08-28 07:12:53 | 南とうほく (宮城・山形・福島)




 大好きな旧郵便局巡り。 羽前山辺の駅前で旧羽陽銀行の建物を確認した後は、山間の集落・簗沢にあるという旧局舎を捜しに山道をひた走ります。 昭和15~18(1940~43)年頃に建てられたという建物は現在は個人邸の物置代わり(?)の様子。 淡く塗られた外壁に窓桟は緑色、赤い〒マークが3箇所にも入り可愛らしい出立ちで迎えてくれました。  山形県山辺町簗沢  09年08月中旬

 ※個人邸の敷地内にあります。 見学の際はご配慮願います。


 ※おまけ  こちらが旧羽陽銀行山辺支店。 昭和元(1926)年頃に建てられたRC造の建物です。 早朝の訪問でしたので現用途は不明でしたが、個人住宅か商業店舗(古い情報では醤油店)として利用されているようでした。  山辺町山辺


金子医院旧館

2009-08-21 07:09:12 | 南とうほく (宮城・山形・福島)





 駐車場の一角に建つ古い建物は、昭和13(1938)年竣工の金子医院(の旧館)と思われます。 正面部分の外壁や屋根は新しめの部材で補修されており、新館と駐車場が整備された時にも取り壊さなかったように思えるので、このまま保存する意向なのかも知れません。 2階部分まで伸びた煉瓦の煙突が北海道あたりの建物を連想させます。  山形県高畠町高畠  09年08月中旬

大暮山分校

2009-08-20 07:03:05 | 南とうほく (宮城・山形・福島)







 解体間近の木造校舎は明治45(1912)年に建てられたものだそう(昭和25年増築)。 同じ朝日町には明治15(1882)年に建てられた旧西五百川小学校三中分校なんていうのも残されていますが、大暮山分校には奇跡は起こりませんでした。 誰かが置いたのでしょうか、玄関前には枯れかけた小さな花が一房、手向けられていました。  山形県朝日町  09年06月下旬


 ※参考 こちらが旧西五百川小学校三中分校。

 

旧耕野村郵便取扱所

2009-08-18 19:39:03 | 南とうほく (宮城・山形・福島)




 丸森町の山の方、耕野の集落に残る旧郵便局舎(昭和12年頃築 1937頃)。 道路からほんの少し高台になった場所に建つ洋風建築です。 比較的に旧状を留めているように思いますが、玄関扉だけはアルミ製の新しい物。 上げ下げ窓では無く横開きの窓が連なっていて洋風イメージは薄まっていますが、採光面では利便が良さそうな建物です。  宮城県丸森町耕野門ノ内  09年08月中旬


 ※おまけ 旧郵便取扱所のお隣というか裏手に見えているのは、昭和12(1937)年築の旧耕野村役場と思われます。 現在は個人邸(兼会社)として使われており、アプローチの坂道を登って撮影するのは遠慮しました。 平屋建てに見えますが2階建ての大きな建物です。

原阿佐緒記念館

2009-08-09 15:48:05 | 南とうほく (宮城・山形・福島)




 恋に恋する女学生は、 いつか男の愛に生きる女になって激しい恋の歌を詠む―。

 二度の結婚(正式な結婚は一度のみ)に破れた阿佐緒の前に現れたのは、東北帝国大学教授であり、同じアララギ派歌人であった石原純。 前途を嘱望された物理学者であり妻子ある石原との恋の逃避行は、男尊女卑の時代においては世間の批判は阿佐緒一人に集中し、房州保田(現・千葉県鋸南町)での二人の蜜月も7年余で終わりを告げる。 以後、酒場や銀幕へと漂泊を続けた女流歌人の姿は歌壇から消え、いつしか社会からも完全に忘れ去られていく。


 歌人・原阿佐緒の生家を改装した記念館で、明治16(1883)年頃の建築。 原阿佐緒(1888~1965)は宮城県黒川郡宮庄村(現・大和町宮庄)の素封家(財産家)の一人娘として生まれる。 与謝野晶子に見出され、本格的に歌人としての道を歩み始めた阿佐緒は、後にアララギに入会し斎藤茂吉や島木赤彦らの指導を受ける。 美貌と才能をうたわれるも石原純(1881~1947)との恋愛問題からアララギを破門され、以後はバーのマネキンガール(マヌカン)や舞台・映画出演などと放浪。 しかしそれらは彼女の「悪名」を利用する為のものにすぎず、疲れて宮庄へと帰郷した阿佐緒は世間からは急速に忘れ去られ、長きに渡り不遇に置かれた。

 生きながら針に貫かれし蝶のごと 悶へつつなほ飛ばむとぞする

 児の手とりかたくりの花今日も摘む みちのくの山は春日かなしき 

 黒髪もこの両乳もうつし身の 人にはもはや触れざるならん 

 宮城県大和町宮庄八坊原19-2  08年04月中旬

 ※参考 『日本列島 西洋館の旅』  2000
     「原阿佐緒記念館」 パンフレット

大和町武道館

2009-05-08 00:00:00 | 南とうほく (宮城・山形・福島)





 旧吉岡小学校講堂(昭和5年築 1930)。 はかま腰屋根の妻面をハーフティンバー風に仕上げ、出入り口の上には3連のファンライト。 屋根の真ん中には換気用と思われる大きな塔屋も載っています。 正面の石のオブジェは何だろ?  宮城県大和町吉岡町裏32  08年04月中旬

安良町公民館

2009-03-13 07:12:44 | 南とうほく (宮城・山形・福島)



 明治18(1885)年竣工の旧鶴岡警察署大山分署。 四隅の薄く塗られたブルーの柱が白壁に綺麗に映えており、地域のシンボルとして今まで大切にされてきた様子が窺えます。 この建物を請け負った高橋兼吉(1845~1894)は、致道博物館内にある旧西田川郡役所や旧鶴岡警察署なども手掛けた庄内ではお馴染みの名棟梁です。  山形県鶴岡市大山2-23-23  07年09月中旬

 ※写真が一部大きくなります。


 ※おまけ  旧大山分署の近辺で見つけたレトロ建築。

 まずは大山小学校の東にある新民館。 明治40(1907)年に建てられた当時の大山小学校の一部だそう。

 休日でしたが中からは子供たちの大きな声が聞こえてきます。

 大山小学校の建物(西側)も古そうです(昭和8年築? 1933?)。 何故か3階部分の角部のみ窓が無く、のっぺりしていて気色悪い(笑)。 何かの理由で後年に窓を埋めてしまったのかも。



 こちらは近くの交差点にあった柴田医院(詳細不明)。 木造の大きな建物ですが既に廃業された様子でした。


 最後に栗本医院。 門から少し奥まった所に見つけた建物です。 営業してるか微妙でしたので敷地の外から観察しましたが、遠くからでは良く解りません(泣)。