宮美庵

幸せはいつだって、わたしの中に。

幸せは どんなときも 私の中に・・・

診断の日~緑内障の記録その1

2020-07-30 19:23:57 | 緑内障

4週間近くたって、ようやく書く元気が出てきた?自分の緑内障のこと。

だらだらぐだぐだ続くので、楽しい記事を読みたい方はごめんなさい。

ご遠慮なくお帰り下さいね

                  

祖父も母も叔父叔母も従兄も、緑内障を発症している。

祖父は90歳目前で、老衰で亡くなったけれど、そのときは既に失明していた。

見えなくなった祖父に会うのが怖くて、私は祖父母の家に行けなかった・・・

母は60代で、新聞を片目で見て視野が欠けていることに気づいた。

70代になると、大好きだったコーラスの楽譜も見づらくて、テープに吹き込んで練習を続けていたけれど、

ステージに上がるのも不自由になって、74歳で退団した。

87歳の今は、たぶん指で作るちいさな穴からぼんやり・・という感じで、もうほとんど見えていない。

点眼や、レーザー手術などもしてきたけれど、進行を食い止めるのは無理だった。

私は、5年前の検診で、恐れていた「左目 緑内障の疑い」の通知が来た。

視野検査を受けた。

視野は正常だったけれど、「左目の視神経乳頭陥凹拡大」と言われた。

昨年の9月には視野検査で、「右目の上側がグレーな結果」だった。

お医者様は、「まだはっきり視野が欠けているわけではないし、上の方だから、様子を見ましょう。

また視野検査に来て下さい。」と曖昧だった。

それから時々自分で、片目ずつ、指を移動して見える位置を確認していたが、

先月末、右目の上側の視野が欠けていることに気づいた。

7月3日。覚悟を決めて視野検査を受けに行った。

視野検査は、「ハンフリー」という名で、片目ずつ、箱の中の一点を見つめたまま光が見えたらボタンを押し、

網膜の光の感度を測定する検査。

検査室の前で待っているとき、前の検査の方のボタンを押す音が「ピッ。ピッ。」と聞こえてきた。

ぼぉっと待っていた私は、その音の間隔にハッとして、思わず耳を傾けた。

間断なくスピーディーに押されている音・・・・(え?! あぁ、そうだったんだ・・・。)

何度も検査しているけれど、私の時は、ときどき静かな、機械が回る音だけが響く時間がある。

あれは検査の正確性を測るための光っていない時間だ とばかり思っていたけれど、

本当は私が光を感じられないだけだったんだ・・・。ばかだなぁ・・・・。

視野が欠ける前から既に、私は感度がかなり低かったんだ。

マスクをしたままの視野検査・・・しかも気落ちしたまま。

やっぱり「間」が何度も空いて・・・ドキドキが止まらず、とてもとても疲れたのは覚えている。

診察室のお医者様は初めての方だった。主治医とは思っていないけれどいつもの女医さんはお休みだったので。

その診察室で、どう言われたのか、正直記憶がない。

ただ、自分でチェックした右だけじゃなく、

左目の鼻の下側まで欠けていたということと、眼圧は両方とも正常範囲の14だったこと。

これから点眼が始まること。そんなことくらいしか覚えていない。

ただ、検査結果のコピーを下さいとだけは、言えたのだった。

覚悟していたつもりでも、

(右目の上側だけなら、生きてる間はほとんど影響ないかもしれない)(母のようにはならないだろう)と

内心期待していたことに気づきつつ、

現実は厳しかった。

両目とも欠損が始まっているという、予想以上の結果の悪さ・・・

もう一生逃れられない状況になってしまった・・・

これからは、私の視神経は少しずつ死んでゆき視野が欠損して行くのだ・・・

その進行の速度に脅えながら生きていくしかないのだ・・・・

そんなことだけが、ぐるぐると頭の中で回っていたように思う。

強く動揺していることを自覚したのは、帰りの車を運転している途中。

薬局に寄るのを忘れていたのだった。

さらに気落ちしながら来た道を戻り、進行を遅らせる「可能性にすがる」ための目薬を持ち帰った。

当分立ち直れないと感じた。

ずっと心臓がコトコト鳴って、ため息ばかり出て・・・

ブログに記録しておこうと思いながらも気力が湧いてこず・・・

母の状況をずっと見てきている。

期待できる治療は、未だにない。

死んでしまう視神経は取り戻せない。進行が止まる人もいるけれど母は止まらなかった。

視野が欠けてゆき、視力も落ち、光の変化に上手く対応できなくなり・・・・

母には父がいて、いつもそばで目の代わりになってくれている。娘の私もいる。

でも私には夫も娘もいないのだ。

いつまで日常生活ができるだろう・・・

誰かの手が常時必要になるかもしれない頃に、息子はまだ働き盛り。

人口比が極端になる日本・・・介護職の人も激減して福祉のシステムも期待できないだろう。

どんどん膨らむ将来の不安、不安、不安・・・・・・・

その日の夕方、ラインで伝えたら、サークルのお友だちが心配して家まで駆けつけてくれた。

病気の辛さを乗り越えてきた人だ。

なのにその優しさにも、素直に感謝を表す余裕のない情けない自分がいた。

ますます心が沈んでしまう・・・

7月3日に、試練が始まり、もう後戻りはできない。

これは私の人生のどんな課題?それとも恩寵?

生きているのが楽しくてずっと幸せな私が、

この世に執着せずに、ゆっくりじわじわ諦めて 去れるように?

点眼で目は充血し、

気持ちが落ち込むばかりなので、、、

せめてなにか明るい気分になれる物を買おう と、

友人に一緒に選んでもらったのは・・・目薬が一本入るオルゴール。

悩みに悩んで選んだのは、明るい明るい赤い色。

少しだけ、元気が出た。

これがそれから毎晩の、点眼の友。

                 

今日は診断後2回目の通院。

眼科は、たくさんの人でいっぱいだった。

前回の14.14から11.12に眼圧は下がっているので、

「(眼圧を下げるという)目薬の効き目は出ていますね。2か月後にまた来院を」

というだけの、短い診察で終わった。

聞きたいことがあったのに、やっぱり緊張で何にも聞けなかった。

今回は忘れずに寄った薬局でようやく、

点眼時の注意はないかを聞いてみた。

副作用を少なくするために瞳の真ん中には点さずに、下瞼に点すべきだというある眼科医さんの記事を読んだことを伝えて。

でも「それは聞いたことがないですねぇ」とのことだった。。

そういえば診察室でお医者さまが、目薬は何本要りますか?とお聞きになった。

そんなの患者が決めるのかとびっくりし、

点眼すべき適切な量を処方すべきではないのかなんて、心に思ってしまったけれど、

人によって点しそびれて余分に必要な人もいるのだった。

しかも母の目薬を処方してもらうとき、父に残量を聞いて、

私が母の主治医さんに毎回必ず、「今回は4本お願いします」とか「今回は3本でいいです」とか言ってきていたのに!

なんだか心もひねくれてきそうで、反省反省。

眼科の帰りに、北海道神宮へ参拝し、緑いっぱいの桜や梅の小道を歩いて来た。

晴れ渡った空の下を一人のんびり歩いているうちに、なんとなく平和な心を取り戻せたような気がした。

そうそう、神宮でひいたおみくじは・・・運勢「吉」

「ゆきくれて まよえる野辺のほそみちに さやけき月の かげはさしけり

(一人歩いているうちに辺りが暗くなってしまい、野原の細い道をさ迷う私に、清らかで明るい月の光がさしてきたことだなぁ)」と自分なりに解釈してみました。

(間違いがあったら恥ずかしい・・・「なんちゃって国文科」卒

行き暮れて・・・って、暗くなるって、なんだか象徴的。

そして「さやけき月の影(古語では光)」というところに、希望が・・・。

病気・・・「思わず早くなおる」とも書かれていたのが、(治らないのです)と呟きつつも嬉しかったり。

この場合の病気は、心の、でしょうね。早く精神的に立ち直らねば。

                     

この肉体が「限りある物」だという事実は、この世のお約束。

頑張ってくれている目にも、

そして私の体の全~部にも、

今まで以上に感謝して大事にして、

やっぱり生きてるのは楽しい!幸せ!って思いながら暮らしたい。

そうしなくちゃ、もったいない。

                     

今生きているすべての人は、

そして当然 私自身も、

命というものがこの世に生まれて以来、

絶えることなく、

気の遠くなるほどの繰り返しで続いてきた結果の命だ。

奇跡の連続の命だ。

天変地異や戦争や災害や病気やたくさんの感染症や・・・

そんなすべてのことを乗り越えて、奇跡的に引き継がれ続いてきた命だ。

そして、自分はその繰り返しの中のほんのひとときを、この肉体に宿らせていただいた命だ。

それを思い出すと、尊くありがたく愛おしく・・・

だからね、きっと何もかもなんとかなる。 大丈夫。。。。

頑張れる。。。

駄文に長々おつきあい下さった方・・・ありがとうございます。。。

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コロナ時代のちいさな旅~美瑛・富良野へ・・・

2020-07-25 18:03:40 | 道内の旅

先週、実家のお墓のことで旭川に用があり、

ついでに?美しい風景を眺めに、ちいさな旅をしてきました。

 

用を済ませた後は、風景の美しい美瑛へ

(スマホ撮影ばかりで、美しさが伝わらないかも知れませんが・・・)

 

「ぜるぶの丘」。

色とりどりの花たちが、なだらかな丘に咲いています。

珍しい白いラベンダーも咲いていました。

 

パッチワークのように、大地をカラフルに彩る畑地帯。

観光客のマナーのせいで、畑が荒れてしまい、

大好きだった「哲学の木」さんは切られてしまってもういません

が・・・「親子の木」は健在でした。

角度によっては手を繋いでいる親子に見える3本のカシワの木です。

他にも印象的な木々が、風景にアクセントを加えてくれています。

 

そして・・・コロナ時代でも、海外のお客さんがいなくても、

やっぱりたくさんの人が訪れていたのは、「ファーム富田」。

遠くに富良野岳や十勝岳の山々が見渡せる、ラベンダー園です。

 

何度も行ったけれど、ラベンダーが満開の時期に行けたのは初めてでした。

家にもありますが、花畑の規模が違う(笑)

しかも、これ以上ないほどの晴天です。天に感謝しました。

好い香りが漂う中、たくさん写真を撮りました。

香りもお届けできたら良いのになぁ・・・・・

様々なラベンダーグッズが作られ売られていますが、

このご時世に合せてか、エタノール70%以上のラベンダーオイルミストも作られています。

(ネット販売もしています)

 

 

さて・・・友人が見つけてくれたお宿は、

ケント白石さんという写真家さんが経営するオーベルジュです。

8部屋ある中4部屋のみを使用し、このご時世、レストランじゃなく「お部屋でお弁当の夕食」、

というのが安心で決定。(しかもこの日は宿泊客3組のみ)

お風呂も貸し切りです。なんと露天風呂もついています。

くつろぎのスペースには大きな窓。なぜかトレーニングマシンまでありました。

 

そして夕食のお弁当は・・・

すべて地元北海道の、海の幸山の幸!

ウニありイクラあり北海シマエビあり。野菜は無農薬有機栽培。調理法も味付けも完璧!

道外からのお客さんもきっと感激必至の、完璧な「お弁当」でした。

 

持参した低アルコールのロゼスパークリングにもよく合って、美味しい相乗効果。

朝食も野菜たっぷり。焼きたて自家製パンも美味しい。

とっても腕の良い女性シェフさんでした。

フェイスシールドをしたオーナーのケント白石さんやスタッフさんも、

腰が低く、細やかに気配りして下さり、

とても安心して寛げる、感じのよい、気の張らないオーベルジュでした。

 

 

お宿に満足して、次に向かったのは、近くにある「青い池」。

有名になりすぎて、観光客で道路が超渋滞することが多かった場所ですが、

さすがに今回は、新しくできていた有料駐車場も空いていました。

とても久しぶりでしたが、やっぱり美しい色でした。

ここは、十勝岳の火山泥流を防ぐために作られた堰堤に、偶発的に?水が溜まってできた池で、

水酸化アルミニウムの粒子が含まれているため青く見える上、立ち枯れたカラマツや白樺が幻想的な雰囲気を加えて、

人気が出たそうです。

(あら、今打っている最中にもテレビのニュースで青い池が(*´∀`*))

そして、ここが超有名になったのは、

なんと泊ったお宿のオーナー、写真家でもあるケント白石さんの撮影した写真が、

アップル社のモバイル用OSであるiOS 7.8で壁紙に採用されたためだと、今回初めて知りました。

 

池のそばには、やはり青い色を見せる美瑛川が流れ、

その上流には・・・

素晴らしい風景が見られる場所があるのでした。

「白ひげの滝」です。

滝の上には深い緑と雄大な山々が広がり、壮観です。

 

あぁ・・・へたっぴいな写真では伝わらないのが残念

「ブルーリバー橋」の上から眺められるこの風景・・・滝の流れや鳥の鳴き声も含めて、

美瑛にいらした折には、ぜひぜひぜひ味わって頂きたいです。

私はいつまでも その風景の中に身を置いていたかったです

 

美味しいものを味わえること、美しい風景を見られること、大自然が奏でる音を聴けること・・・

それができる「今の自分の体」に心から感謝した、

ちいさいけれど おおきなおおきな旅でした。

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梅仕事 続き

2020-07-25 13:13:48 | 自家製 ジャム・梅干し・漬け物・果実酢他

実家で一人で下漬した南高梅のその後。

キレイに白梅酢が上がったので、赤紫蘇の塩もみを入れる。

ここで初めて母にも参加してもらえた。

紫蘇色に染まった頃、ちょうど3日間続いて晴れの予報だったので、ベランダで干した。

これも母にも手伝ってもらえた。

そうして今年の梅干し6キロが、完成。

実家の涼しい場所へおさまったのだった。

ありゃ、南高梅だった(^_^;(紅梅は間違い)

 

ついでに・・我が家の庭の梅も、6日ぶりに本格的に収穫。

高いところに実ってるので、

長い棒でやんちゃに枝を叩き、ばらばら降ってくるのを喜々として拾う。

7月20日

残りは梅サワーに。

 

昨日7月24日にも、1.5キロくらい。

大きくなって色づいて、とってもキレイなのが採れたのだけれど、

ちょうどお隣の奥様が、美しい薔薇のお庭をお手入れしていらしたので、

声を掛けて、調子に乗ってキレイなのばかり上げてしまった。

で、残された傷物たちをこのように、よいところだけ取ってジャムに。

 

ついでについでに、畑の野菜たちも。

今朝の採れたて野菜。

今朝は、久しぶりの夜勤で息子がいなかったので、一人の朝ご飯。

サラダは100%自家製野菜なのが、かなり幸せ。

パンは、先日買いに行けて半分冷凍しておいた、厚真の素敵な天然酵母パンのお店「此方(こち)」さんの、「ハスカップのミニ山型」

ジュースは、厚真で摘んできたハスカップを、リンゴ酢とてん菜糖で漬けたサワードリンク。

キュウリや大根は、こないだから気に入ってぬか漬けにしている。

浅く漬かったのをサラダに入れても美味しい。

 

きちんと記録しておこうと思う自分の体のことを、

書く度胸が今日も湧かず、代わり映えしない記事でした

まだまだ、写真が溜まっている・・・・

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大地の恵み

2020-07-14 20:05:04 | 自家製 ジャム・梅干し・漬け物・果実酢他

今年も行ってきました。厚真の松平ハスカップ農園さんへ。

一昨年の地震で崩れた山肌の復旧工事は、あちこちで、まだ続いていました。

今まさに豪雨で被害を受けている九州や本州の町も、復興までこんなふうに何年もかかるのだろうなぁと・・・

心からお見舞い申し上げます・・・・つらいなぁ。

さて、農園に着くと・・・ぱっと見ただけでも、ハスカップの実が例年よりかなり少ない気がしました。

農園の方に聞くと、「今年はどこも不作なんだよ~。開園するの止めようかと思ったくらい!

花の咲く時期や実の成る時期に、必要なタイミングで晴れたりや雨がふってくれたりしなかったんだよね~。」とのこと。

実家のハスカップが全然実っていないのも、木のせいかと思ったけれど、違ったようです。

災害の傷跡が残り、コロナ禍の中、天候にも恵まれなかった・・・そんな大変な中でも、

なんとか開園して下さっていたのでした。

今年は私自身もあまり元気がなかったので、たくさん摘んで帰ろうという欲も湧かず、

1.2キロくらいであっさり止めました。

それでも、いつものように、カッコウや山鳩や鶯のさえずりを聞きながらのハスカップ摘みは、

幸せなひとときでした。甘酸っぱい実は、やっぱり感謝すべき「美味しい大地の恵み」なのです。

そして今日は、実家のハスカップも、私が摘みました。

去年までは、父が張りきって摘んで、収穫した重さも量っていたのに、

今年は「ハスカップってなんだった?」と、すっかり気が抜けてしまって

少ないけれど大粒。例年はもっと丸かったのに、形が違います。

実家のお昼は、ハスカップ入りの蒸しパンを作りました。

今日は他に、我が家の梅とカシスも、少しだけ採りました。

どちらも偶然、ちょうど500g!

梅は青いうちに青梅シロップにしたくて。

カシスもどんどん熟してくるので、これから頻繁に採らねば。

今回は、前回のと比較したくて、氷砂糖を使ってみました。

畑のキュウリやミニトマトも実り始め、サンチュは相変わらず元気に成長し続け・・・

食べる人間が少ないことが、ちょっと心に痛い・・・でもでも

収穫できる幸運に心から感謝したい、そんな今年の夏。

自分の体のこと、両親の衰えのこと、それを上手く消化できずにいる情けない自分のこと・・・

ため息の多くなってしまったこの数週間・・・

本当はすべては「恵み」なのだと心の奥で分かっているから、

ため息を深呼吸に変えて、

自分の中に溢れている「幸せ」を、ちゃんと実感できる心を 早く取り戻そう・・・・

コメント (8)
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