宮美庵

幸せはいつだって、わたしの中に。

幸せは どんなときも 私の中に・・・

ちょっと早いけれど・・・クリスマスランチ。と、トゲのない柊(ひいらぎ)

2019-12-15 22:14:36 | グルメ

昨日は、サークルのボランティアでしたが、いつもとは「違う形」でした。

いつもは、臨機応変に対応してくださるピアノ伴奏者が参加してくれます。

企画も進行も施設との連絡も、当番の「部」で組織的に動きます。

昨日はそれができずに、数名で準備し訪問。

訪問先のスタッフさんと細かく連絡を取り合ううちに、

入居者さんたちに楽しい会を味わってもらおうと一生懸命な姿勢に、心打たれました。

そんなクリスマス会・・・いろいろ大変なことはありましたが、

参加したサークルの仲間皆さんががんばってくれて、なんとか無事終えることができました。

ホ~ッと、安心

 

そして今日は、私自身の一足早いクリスマスランチ。

幸せなひとときを、すべてに感謝します・・・

 

さて、メニューと一緒にお皿に乗っていたのは、トゲのない柊(ひいらぎ)でした。

 

 

ひいらぎといえば、トゲトゲ・・・だと思っていたのですが。

調べてわかったのは・・・

トゲは動物に食べられないよう身を守るためのもので、

身を守る必要のない木の上部や、巨木になった年取った木には、トゲはないのだということ!

 

 

こちらの説明も興味深いので引用します。

引用元はこちら

「寒い季節に小さく白い花をつけて、金木犀のような芳香を微かに放つヒイラギの木は、葉にある鋭い棘が特徴です。

ヒイラギの原産地は日本です。古来より人々は生活の中でさまざまに利用してきました。

書物の上で、ヒイラギが登場するのは「古事記」で、日本武尊が東征の折、ヒイラギの八尋矛(ヤヒロホコを賜った記述が最初とされています。

現在でも行われているヒイラギの枝を厄除けに使うという風習は、

平安時代から行なわれていたようです。

紀貫之は、「土佐日記」の中で、元日の門飾りに用いたと書いています。

その後、この風習は2月の節分に移り、ヒイラギを門口に飾って、棘で邪鬼の目を突いて退散させる謂れに用いました。

ヒイラギの名は、葉の棘がささるとズキズキと痛いという意味の古語「ひいらぐ」からきたようです。

・最近、ヒイラギの生垣を目にすることは少なくなってきましたが、ヒイラギといえば生垣などで使われている低木の常緑樹です。

ところが、各地の神社仏閣には、ヒイラギの名木・古木がかなりの数見られます。

樹齢数百年、幹回り数mといった名木・古木の数は、20を超えているようです。

低木のイメージのあるヒイラギが巨樹となることにも驚きますが、

葉の形状の変わりようにはさらに驚かされます。

古木となると、ヒイラギの特徴である葉の棘は消えて、長丸い普通の葉っぱに変わります。

人間の老いを円熟した人格形成に譬えた「年をとると丸くなる」の言い方は、

このヒイラギの古木に由来しているようです。」

勉強になりました~

 

そうなんですね~

「年をとって丸くなる」・・・

そうありたいな。

そのためには、「自分を守らなければ と心配する」のではなく、

「大丈夫 とゆったり穏やかな心でいる」ことが必要なのかな

 

さて、今週も、予定はいっぱいですが、

ゆったりとまあるい心でいられるよう、

努めましょう

 

皆様も、心配しすぎず、まあるい心で過ごすことができますように・・・・

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽 おばんです

2019-12-09 07:35:23 | グルメ

先週は毎日実家へ行きました。

行くと先ず、適切な服装をするのも難しくなってきた母の着替えや、

そのままでは洗濯機に入れられない父の汚れ物の手洗い・・・

まだまだ会話は普通にできる母ですし、母の世話を一心にしてくれるしっかりした父ですが、

88歳と86歳の父母・・手伝いが必要なことが、どんどん増えてきています。

 

そして、夕食のおかず作りは・・・90%私です。

父母は、歯のせいもあり、どうしても柔らかなもの、煮物が多くなります。

しかも、お砂糖を入れた甘みのある煮物が好き。

でも私は、歯ごたえのあるものが好きだし、お砂糖を入れたものはあまり好きではないのです。(スイーツは別~

長男も煮物より、焼いたもの炒めたものが好き。

それで、実家で作ったものを、少し持ち帰って我が家の食事に加える、ということもあまりありません。

というわけで・・・お料理は好きだけれど、自分のための食事作りは、あまりやる気が湧かない今日この頃。

 

長い前置き(?!)になってしまいましたが、

自分で作らずに美味しいものを食べにお出かけするのが、いつにも増して嬉しい私の、

幸せな食事を記録させて下さい。

 

来店2度目の小樽  小料理「おばんです」

土曜日のせいか、5時開店から1時間くらいで満席。

予約なしでは、入れないお店。

 

お通し。一口食べたとたんに、目が大きくなる深いお味。

 

活きのよいお刺身盛り合わせ。

なぜかこんにゃくが一切れ付いていました

甘エビに北寄貝・・・私の大好きなものが入っていて嬉し。

 

しゃこのチーズ寄せ

白ワインと。

食べたことのない、自分で作れないお料理は、格別嬉しい。

 

ニシン漬け・・・父にはもう固くて・・・今年は実家で漬けるのはあきらめました。

ここのお店のは、私の漬けるのよりずっと美味しい~

 

夫が亡くなってから、自分では作らなくなってしまっていた、たちポン。

ほんとは私も大好きなのです。

これはもう、美味しい日本酒と合わせるしかありません(笑)

とても久しぶりに、日本酒を・・・

とろりと旨みのある純米酒 会津中将

お料理を一口、日本酒を一口・・・はぁシアワセ~

 

牡蠣フライにはビールですね。

 

取り皿、可愛いなと思い、裏を見ると・・コシノヒロコさんデザインのお皿でした。 

 

 十勝ポロシリ牛ランプ焼き 

 

なめた鰈の生干し焼き

あぁ~写真撮ってから食べてぇ、と友人に言う私ごめんね~

 

自分では作れないお料理の数々。

とても美味しゅうございました

 

幸せな帰り道。

ストリートピアノのお兄さんに友人が「ひこうき雲」をリクエスト

悲しいことがたくさん起きている世の中・・・

旅立った人たちのことも思いながら・・・

それでも

でもこのひととき、私には楽しい、ありがたい夜でした。

 

生きて美味しいものを食べられることに、心から感謝感謝・・・ 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

果敢な魂が 旅立ちました・・・

2019-12-02 19:33:16 | 日記

3日前、ひとりの若い魂が旅立ちました。そして今、

彼女のお通夜が、ご実家のある町で行われています・・・

 

10年前の春、特殊学級(今の支援学級)の教師だった夫は新卒の若い女の先生と出会いました。

支援教育への情熱に溢れ、多方面に能力が高く、

「文字が汚い、文章が苦手」を自認していた夫が感嘆した、とても美しい文字でしっかりとした文章を書く方!

その頃の夫の職場(市立中学校の特殊学級)のお仲間は、

皆さん人間的にも仕事の面でも素晴らしくて、夫の良さも理解しとても頼りにもしてくれて、

個性が強く辛口だった夫が初めて手放しで絶賛し、職場が楽しいと感じさせてくれた方たちでした。

そこでの在職中に亡くなったのも、そこを「最期の職場」にしたかったからに違いないと思うほど。

S先生のことも、毎日のように我が家で褒めたり、時に心配したりと話題にしていたので、

私にも身近に感じられるようになっていました。

そのS先生が、難しい病気の発作で長い闘病生活を余儀なくされたのが、

教師となって3年も経たない頃。

 

我が子と同年代の若々しいエネルギーに溢れていたS先生の、過酷な病状に、

実は繊細な神経の持ち主だった夫は、とてもとても心を痛めていました。

 

陸上競技で国体入賞経験もあり、オリンピックも目指そうとしたこともある、

アスリートのS先生でした。

過酷な病に屈せず、何ヶ月もリハビリをして回復の努力を続け、

やっと車椅子や装具を使って動けるようになり、

一度は退院して職場に戻ることができた!のに・・・

また発作で意識を失い体の自由を失ってしまう・・・

それでも、

心を前に向け、できる努力を続ける・・・

職場復帰への希望を失わずに、決して諦めない。

でも少し回復したと思うと、再びの発作・・・努力は報われない・・・

まるでギリシャ神話の「シーシュポスの岩」のような状況に私には思えました。

どうしてそんな過酷な目に、彼女が遭わなければならないのかとも・・・

 

彼女が入院した翌年、突然うちの夫が亡くなりました。

自由にならない体でも彼女は持ち前の気力で、反対するお医者様を説き伏せ、

車椅子で葬儀に参列してくれました。

独りで立ち上がれなかった彼女が、出棺前の夫の最期の顔を見ようと、自分の力で立ち上がったときには、

奇跡が起きた!と本人も思ったようです。

 

命日には毎年、入院先からでも、お花を届けてくれました。

調子がよい年には、不自由な体で我が家にお参りに来てくれました。

そして・・・・ある年ノートを2冊、置いてゆきました。

それは、夫の告別式の日の夜に書き始めた彼女の「日記」でした。

毎日「〇〇先生、」と夫に呼びかける形で始まっていました。

日記には、仕事に対する一途な思い、一緒に仕事をしていたときに夫が言った言葉、

夫と担当していた生徒たちを自分の手で卒業させたい思い、

入院先で知る生徒たちの成長の様子、そして、辛い闘病生活の様子や焦り、それでも諦めない強い意志が、

美しい文字、丁寧な文章で綴られています。

発作の後、数日後に意識が戻ったときだけ少し乱れながらも。


子どもたちと同僚のいる大好きな職場に戻りたい思いが溢れ、

涙を流しながらも、果敢に自分の状況を改善して前に進もうとする勇気が溢れ、

読むたび涙がこぼれます・・・

 

彼女と夫が二人で入学式に受け入れた生徒たちが、

他の先生のもとで立派に成長して中学校を卒業してゆく姿を、

車椅子で参列して見届けた日、

夫に向けた日記は終わっています。

 

その日たぶん、教師という道に区切りをつけたのだろう彼女が、書いていたのは、

「チャレンジしたいこと」4つ。

彼女は、自分の人生を諦めていませんでした。

そのひとつが、「東京オリンピック、パラリンピックに携わること」。

そして、その数年後の昨年、彼女は「デュアルスキー」という、歩行困難でも楽しめる冬季スポーツを始めていました。

自分が楽しむだけではなく、普及活動も始めていたようです。

それも、道半ばで逝ってしまいましたが、不屈の心と行動の軌跡は刻まれています。

 

若く美しく、スポーツの能力にも知的な能力にも行動力にも恵まれ、なりたい職業に就くことができ、

たくさんのことに恵まれていた彼女が、

なぜそれらを失うことになったのか・・・

彼女の人生の課題は、恵まれた能力を生かすことではなかった・・・?

もしかすると、「恵まれた能力を持っていながらそれを生かせない苦しみに、耐え、乗り越えようとする精神力こそを生かす」

という、とてもレベルの高い課題だったのかもしれません。

敬意を感じずにはいられない、不撓不屈の人生でした。

 

きっとうちの人は、向こうの世界で、

「本当によく頑張ったなぁ、お疲れさん。立派な人生だったよ」と

Sさんに言うことでしょう。

 

お通夜が始まっています。

最期まで果敢に生ききった彼女の魂が、ご自分の人生を振り返って、

そうね、よくやったわと、微笑んでいますように・・・

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする