まだ雪景色が深く脳裏に刻み込まれたままなので、
外に出る度に、動き始めている春のエネルギーにびっくりします。
いつものように、クロッカスの芽からは黄色い蕾が顔を覗かせ、
私がお嫁に来たときにはすでに植えられていたチューリップや水仙も、
義父の得意料理だった餃子に入れるために植えられたのだろう韮も、
昨年私が植えたイタリアンパセリも、みんなみんな、緑の葉を伸ばし始めています
植物たちは、我が家の小さな庭で、何度も何度も命を繰り返しているのに、
いってしまった家族は、もう戻って来たりはしないんだなぁ、なんて
畑の真ん中で空を見上げてしまうこの頃・・・
でも!今日は幸せをいただいて、心の中がほかほか
切ないことや苛立つことが多く、ストレスの悪循環が多い実家ですが、
今日は母を連れ出し「ランチタイムコンサート」へ行ってきました。
ストレスのたまっているだろう父を一人のんびりさせてあげるため(?)
でもお出かけの「スポンサー」は父です
いただいた幸せの1つはこの中に・・・
大切な大切な大切な宝物を身につけ、
もうその時点で、心はほのぼの・・・
母と出かけるときは赤い色を着ることが多いです。赤は母の視覚に認識しやすい色。
それから美味しいランチ。
座席を向かいではなく隣にしてもらって、お箸も付けてもらって、
人目をはばからずに、かなりいろいろ介助はしましたが、
母は「美味しい!いい味だね~」と言いながら、
コースのお料理をなんとかほとんど食べることができました
札幌交響楽団のコンサートマスターである大平まゆみさんと、お仲間の、
美しいバイオリンとチェロが奏でる春のメロディー・・・
私はチェロの音色が大好きで、
今日も、演奏に深みをつくり出す通奏低音に、心トキメキました
初めて観た!モーツァルトの「鏡」という曲も興味深かった・・・
「上から読んでも下から読んでも「山本山」のコマーシャルと同じで楽譜が「鏡」なんですよ」と、
説明して下さいました
観たのはこんな演奏の仕方。
一枚の楽譜を平らに置いて、大平さんと佐藤さんがそれぞれの側から観ながら演奏しています
なんだか数学的幾何学的な感じ。でもメロディーはとっても美しい!
モーツァルトさん、面白い天才ですね~
(確かバッハも、こんな面白い曲を作っていたような・・・金ちゃんさんのブログにあったなぁ・・・)
見えない母は、それでもしっかり目を見開いて、
嬉しそうに演奏を聴いていました。
帰り道には、
「あぁ、きれいな音楽を聴くと心が晴れ晴れするね~」と
「初めて来たね~!また来たいね!」と繰り返していた母。
ほんとは、以前父と3人で行ったのでした→以前のコンサートの記事
今電話したら、母はまだコンサートの楽しさは覚えていました。
明日は消えてしまうかもしれない記憶でも、
今日楽しいひとときを過ごせたこと、
それが今のすべて。
私にとっても、幸せな今日を、
いろんな方に、感謝・・・
ありがとうございました
昨年、今までで一番たくさん、藍の花が咲きました。
糸のような根の苗を、一本一本全部で100本くらい植えた苦労が、報われた気がした可愛い花たち
秋にはたくさん種になってもらって、またたくさん蒔こう!と楽しみにしていました。
でも・・・
種になる前に、
寒さと雪ですべて花のまま枯れてしまいました。
そして深い雪の下・・・
今朝、3ヶ月ぶりくらいに、藍が生えていた場所を見ました。
あぁ・・・枯れた葉の藍色が残っているのがなんだか痛々しい・・・
と思っていたら・・・あら?!
まさか?
残っていたマルチのビニールをはぐとそこにも、
間違いなく、藍の花の房から出た芽でした。
この小さな小さな芽たちが、育つのかどうかは分かりません。
でも、枯れたはずの花のまま雪の下で実を結び、芽を出した命が、
とても 愛おしい。
ありがとう~ がんばれ~
(昨年6月の藍たち)
還暦過ぎた私には似合わない?と思いながらも、
この曲を、最近よく聞いたり歌ったりする。
「今・ここ・私」 平原綾香
歌っている平原綾香さんの歌声や音楽性が好きだけれど、
これは歌詞が素敵だなと思う。
作詞者の覚和歌子さんは、宮﨑アニメの主題歌「いつも何度でも」などで有名な作詞者で詩人。
「ゼロになるからだ 満たされてゆけ」など、
その詩の中の、光を宿しているようなことばに とても心魅かれる。
「今・ここ・私」の歌詞は・・・
~凍る冬の坂道で 流れ星を 見つめてる 試したい こわしたい 耐えられるはずだって
大きめの ストライドで 走り出す 身体が 叫んでる 歌いたい 愛したいと
私という ありったけ 使い切る それが夢
ちっぽけな てのひらが すべてでも
明日じゃない 昨日じゃない いつでもない ただこの今
どこかじゃない だれでもない 今ここに 私がいるの~・・・
特に「私というありったけ使い切る、それが夢」という歌詞に、
そうだなぁ 私が望んでいるのはこれだなぁ と心から思う。
だから、
毎日たくさんすることがあって忙しいけれど、
幸せ。
ちっぽけなちっぽけな「私」だけれど・・・ね・・・・・・・
もうひとつ、
使っている手帳に載っている名言の中のお気に入り。
いろんな人のいろんなことばが載ってるけれど、
今好きだなぁと感じるのは
「美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ。」
というゴッホのことば。
別のときに見ても、あまり心に入ってこなかったかもしれないけれど、
今はすうっと、心に入ってくる。
どこかにあるかもしれないと、自分のいる場所じゃないところを探すのではなく、
あんなふうだったらいいのにと、自分じゃない誰かをうらやむのではなく、
今ここにいる 自分自身を思いきり生き切り、
今このときの中にある 幸せを 思い切り感じ感謝して、
生きていきたいな・・・
明日はまた、両親との時間の中にも幸せを見つけながら、
「娘でもある自分」として、精一杯生きよう。
秋のお彼岸の9月22日は夫の祥月命日。
そして今日・・・春のお彼岸3月22日は月命日です。
図らずもお彼岸という、絶対忘れない日が命日になった夫、、、流石です
といっても、お坊さんを呼んだり、何か特別なことをしたりはしません・・・
今日は夫が好きだったものをお供えしようと、イカを一杯買ってきました。
夏はもう、しょっちゅうイカのお刺身を食べていました。
イカを食べ過ぎて「オレは頭が三角になった~」って、よく大笑いしていましたっけ
お好みの薬味は、すり下ろしたたっぷりの生姜。
今日もちゃんと 生姜すりましたよ~
大好きだったビール・・・今日はロウソクですけれど~我慢してね。
さて、
毎日外へ出る度に、積っていた雪がどんどん消えていき、
畑の土が見えてくることに驚きます。まだ気持ちがついていけない・・・
でも今日、毎年一番最初にいただく春の恵みを、採らせてもらいました。
そして・・・
春の香り~
今年もまた、大地の恵みをいただけることに、感謝しながら・・・
夫の分も精一杯、生きましょう
午前中の卓球教室の後、大急ぎでシャワーを浴び、
適当に昼食を済ませて実家へ
毎月の、母の眼科の定期通院です。
車の中で「あれ?今行くのはどこだった?」「医大の眼科だよ」
「あら?保険証持ったんだったかなぁ。お財布在るかなぁ。」「さっきパパに預かってもらったでしょ。全部あるから大丈夫。」
と聞く母、答える私。
この会話は、車に乗っている数十分の間、傷のあるレコードみたいに(たとえが古い?)何度も何度も繰り返されます。
私はなるべく他のことに話題を持っていき、母の心配する気持ちを逸らしながら運転。
父は後部座席でこっくりこっくり。
札幌医大の狭い駐車場は、いつも満車状態。駐車待ちの車が道路にたくさん並んでいます。
でも私たちは、水戸黄門の印籠のように、母の「身障者手帳」をチラリと見せるだけで、
係の方に、「どうぞ~」と玄関に近い身障者専用駐車場へ案内してもらえます。
申し訳ないけれどありがたし
他の病院のときは、私だけが付き添いますが、
医大だけは最近ずっと、父も乗せて3人で行きます。
受付と会計と支払の場所が離れているし、
薬局は病院を出てかなり歩いてから、さらに道路を渡らなければならないので、
1人が母に付き添い、その間にもう1人が他の場所に行く、という連係プレーが効率的なのです。
母の視力検査の結果は、0.03と 0.005(矯正視力です)。
視野はほとんどが欠けていて、最近はもう視野検査もしていません。
2年前の春、(失明まで)あと1年か2年か・・・と言われたけれど、
ありがたいことに、ここのところ進行は比較的緩やかです。
眼科の診察室は薄暗いけれど、母は、小さな背もたれがついた青い患者用椅子に迷いなく座り、
主治医に「すごいなぁ、見えてるんですね~」と感心してもらえました
「これくらい見えますよ~。青は見やすいです。」と母。
主治医の前に行くと、「色はちゃんと分かりますよ。」とか、「読書はあまりしない方がいいですよね?」と言う母。
普段は青空の日に「空がクリーム色に見える」と言っているし、
文字もテレビ画面も、もう全く見えていないのですが、見えていると思う認知症のありがたさ・・・。
「眼圧は良い状態ですね。前回と同じ、9と12ですから。」と主治医。
「良いと言っても目が良くなっているわけじゃないですよね」と母。
「そうですね。言い方が良くなかったですが、眼圧は良くても見え方が良くなったということでは、ないですね。」と主治医。
という感じで、冷静な母です。
主治医と会話する母は、そこだけ切り取ると、とても認知症には見えません。
特に変わったことがなく、いつものように目薬を処方してもらって、
来月の予約をして帰ってきました。
帰宅後に一緒に台所に立った母は、
「やっぱり何にも見えなくなったら困るなぁ・・・」と・・・。
それでも、私が「お母さんなら、見えなくっても、ちゃんとご飯の支度はできるよ。」と言うと、
「うん、見えなくなったってやるよ!」と力強く言ってくれました。
本日購入したのは、豊漁が伝えられている春告魚
今まで見たことがないほど鱗がいっぱいの新鮮な生鰊です。
4尾で230円だから、1尾60円しません。
母が子どもの頃は、た~くさん捕れていたので、箱で買い、
お祖母ちゃんがさばいて、身欠き鰊を作っていたこと、
春は毎晩その鰊のお料理が食卓に上り、
また、軒下に干してあるのをおやつに食べたりした、
という話を聞きながら、2人でお料理しました。
その子どもの頃よく食べていたのが、「鰊のかまくら」だそうです。
下ろした鰊をみりんやお醤油で漬けておいて、翌日焼いて食べるというものです。
母は、見えないのにきれいに鱗を取り、三枚に下ろしました。
鰊は明日のおかず。
今日は、ホッケの干物を焼いたもの。
いつものように、父が母の分の骨をきれいに取り除いてお皿に分けていました。
毎日毎日、母に違う人と間違えられたり帰れと言われたりして、
その度に落胆しているかわいそうな父ですが、
献身的に頑張ってくれています・・・
さて・・・今頃はもう平和に眠っているだろう二人を思いつつ、
私はこれから、自由な時間を楽しみま~す
前日の荒天が過ぎ去り、春の光があたたかなアヨロ海岸にて・・・
春色の貝殻・・・
何度行っても、違う表情を見せてくれる海岸・・・
今回は岩の亀裂がなんだか不思議で神秘的でした。
灯台の下の黒い岩の中に、赤い岩が一つ・・・
大地は素晴らしいアーティスト。
色のコントラストが印象的でした。
岩の違いの意味を知りたいなぁ・・・
この後、近くの温泉に宿泊して、のんびりとした時間を楽しみました。
(といっても、父からのSOS電話で食事を中断して対応し、しばらく現実に引き戻されましたが・・・、
「もう!わけが分からない!!」と混乱してイライラしている母でしたが、それでも私が友人と温泉にいることは分かって、
「せっかくの時間をごめんね。心配しなくていいから楽しんできてね。」と気遣ってはくれるのでした・・・)
虎杖浜の温泉は、湯量が豊富で、源泉100%の掛け流しで、
お肌がすべすべするとっても柔らかで優しい泉質なので大好きです。
お宿の食事は特筆することがなかったので省略~
帰り道は・・・ちょっと贅沢をしてしまいました。
水族館?いえいえ・・・
偶然見つけた苫小牧のお寿司屋さんです。
元気に泳いでいたヤマベの唐揚げ・・・
骨まで全~部食べられて、と~っても美味しくて、
帰るときに水槽のヤマベさんたちに、心の中で感謝したのでした。
もうひとつ、珍しかったし美味しくて感動したのが・・・
ホッキ貝のバッテラです。
ぎゅっと詰まった美味しい寿司飯と、旨みと甘みが一いっぱいのホッキ貝のハーモニー
幸せでした。
作って下さる方が目の前にいらしっしゃるのって、ありがたみが倍増の贅沢なこと。
そうしてヤマベやホッキ貝の命を美味しくいただいたこの体・・・
ありがたく大事に大事にいたします
また、何度でも行きたい虎杖浜~苫小牧の一泊旅でした。
帰札後にお土産を持って行った実家では、
今日は機嫌の良い母と、そのことに安心している父とが落ち着いて過ごしていて、
楽しい思いをしてきたことを、後ろめたく思わずに済んだことも、
本当にありがたいことでした
先生からのお誘いで、
某介護予防センター企画の活動に参加させていただきました。
S先生のソロ演奏のあと、
S先生とIさん、Mさんと私の男女4人でのジャンベと縄文太鼓の演奏。
参加された方全員に、ジャンべを叩く体験もしていただきました。
演奏そのものは、今日のための演目?曲?の練習やリハーサルがなく、
楽譜は元々ないので、
先生のリードに乗れずにボロボロでしたが(^_^;)
参加された方たちは介護認定を受けていない元気な方ばかりで、
太鼓に興味津々、体験も楽しんで下さいましたので、
私もとても楽しく参加できました。
今日は大荒れの札幌。中止になるかと思っていたのに、たくさんの方が参加して下さり、
行った甲斐もありました。
コーラスに、オカリナに、太鼓・・・習っていることが全部、
高齢者の方対象のボランティアに繋がっているのが、不思議で嬉しい・・・
年を取ることや病気であることをくい止めたり改善したりはできないけれど、
ひとときを楽しく嬉しく過ごすことを共有する・・・それができれば、
とっても幸せ
もっと上達して、ちゃんとした演奏ができるようになりたいな。