宮美庵

幸せはいつだって、わたしの中に。

幸せは どんなときも 私の中に・・・

視野検査

2023-02-08 10:48:54 | 緑内障

先日久しぶりに視野検査をした。

2、3か月に一度の通院では、視力と眼圧を測るのだが、

それでは緑内障の進行がどれくらいかわからないので、かなり期間を開けて視野とOCTの検査をする。

時々自分で片目をつむり、指をあちこち動かして視野が欠けていないか確かめているけれど、

やはり見えていない部分があるのがわかり、今回はかなり進行しているかもしれないと思っていた。

そして、もっと眼圧を効果的に下げる「ルミガン」という目薬に戻さなければならない、と

覚悟半分の、諦めの気持ちで臨んだ。

 

眼圧は今の目薬では14くらい。ルミガンだと11とか12に下がる。

 

結果的には視野は前回と大きくは変わりなく、今まで通り「アゾルガ」点眼でよいでしょうとの主治医の処方。

とりあえずホッとする。

どんどん進行しているわけではないこと。

「ルミガン」の副作用で眼窩が落ちくぼみ顔が変形する憂鬱を、まだしばらくは、再び味わわなくてもいいということ。

 

でもOCT画像で見た私の眼底三次元画像解析・・・真っ赤だったなぁ。

グリーンが正常。異常があると赤。

別の眼科に行っていたとき、当時80代だった名誉院長さまが私のと自分のを画面に出して、

僕のはこんなにちゃんとしていると、グリーンしかない画像を見せてくれたのをよく思い出す。

弱くて痛々しい私の目・・・・

 

 

主治医さんに、日常他に自分でできることや注意することはないか聞いても、今回も手応えある返答なし。

あまり意味はないっていうことらしい。

 

でも、血流をよくする食事やピクノジェノール、点眼時の目薬と目への感謝、なるべく目に圧をかけない寝方や日常動作・・

そんなことも気休めでもいいから、自分なりに続けようと思った。

目薬の入れ方も、you tubeで説明されていたように念入りに。(眼科や薬局では詳しく説明されていない。)

ちっぽけでも、やっぱりできることはして、あとは天任せで。

 

もはや片目にかすかな光しか残っていない90歳の母といて、

自分の90歳までの人生は、いろんな意味で不可能だなぁと思う。

でもね、眼だけじゃなく肉体は有限だものね。

そしてこれは、

先祖代々受け継がれてきた貴重な遺伝子の先でお借りしているもの。

不安は不安として抱えてはいるし、なくなりはしないけれど、

それもひっくるめて、大切に思っていこうとあらためて思う。

感謝しながら。

 

・・・すべてがオッケーと、不安も無くせたらいいのだけれどね。

まだそんな境地にはなれない未熟さ。

でも

「今、見えている」

そのことを精一杯謳歌する!!!

それが一番かな。

 

という、先日の眼科検査の後の再確認でした。

 

 

             

 

母のショートステイの日の、小さな旅で、スマホでパチリ。

 

海の上の青空と雪雲のはざま。

 

 

前回見られなかったウポポイの夜のライトアップも、見てきました。

この後ドローンショーもワクワクしました。動画が載せられなくて残念。

 

エゾシカやキタキツネやエゾリスの足跡と一緒に、雪の公園散策。

 

鹿さん何頭もで歩いていたようです。

 

こちらは単独行動?蹄の跡がくっきり。

 

左がキタキツネ。右がエゾリス(たぶん)

エゾリスさんの足跡が木のそばで消えていて、木に飛び移ったことが想像されます。

 

別の町ではエゾシカさんのお食事に遭遇。こちらに気づいても逃げません。

 

 

噴煙を今も上げている樽前山。噴火前はもしかしたら、羊蹄山みたいな形だったのかなぁ・・・

 

 

 

昨日は、母のデイサービス。陽気に誘われ、今年初めての北海道神宮へ。

手水舎が凍っていました。

 

驚いたのは参拝者の海外の方の多さ!団体さんやら個人さんやら・・・

とにかく外国語でにぎわっていました。戻ってきたのですね・・・

 

私はいつものように感謝の参拝をして、おみくじを引いて帰ってきました。

 

さて、今日も母はデイサービス。

今日はお掃除をしたら、オカリナ三昧するつもり~♪♪

 

皆様もよい一日を!

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑内障の記録その2

2021-08-20 14:44:04 | 緑内障

診断から一年が過ぎました。

この1年間、2か月に1度の通院で、視力や眼圧は測ってきましたが、視野検査は昨年の7月以来です。

頻繁に検査しても、そんなに進行具合が分かるものではない とのことで。

 

今日も両眼とも矯正視力1.2。眼圧は11と10。

眼圧は一日のうちでも変化するようなので、少しの変動はあるのですが、

1年前の14から見るとずっと下がったままなので、点眼薬の「眼圧を下げる」という目的は果たせているようです。

でも眼圧が下がっていても、視野の欠損が進んでいたら意味がないのです。

同じ正常眼圧の緑内障が末期の母は、先月の診察で片目は完全に光を失っていることが分かりました。

 

視野検査はいつもドキドキします。

光が見えたら押すボタンを、押すことなく(光が見えずに)過ぎていく時間がやたらに長い・・・

検査の間中、以前よりその空白の時間が多いような気がして、さらに鼓動が速まります・・・

 

検査が終わり診察室に入る前には、どんな結果でも心強く持とう と、今日も自分に言い聞かせました。

結果的には、光を感受できていない範囲は、1年前とあまり変わっていませんでした。

どちらかの眼は前回より少し良い結果、もう片方は少し悪い結果、、緊張してどちらがどちらか分かりませんが、

トータルするとあまり変わりはないということで、少しホッとしました。

悪い部分は左が鼻の側、右が右上。中心部は今のところ大丈夫なので自覚的には何も問題はありません。

どんどん進行してしまうわけではないとわかり、当分は不安からのストレスが減っていくかもしれない。。

 

 

帰り道に北海道神宮に感謝の参拝に行こうかと思いましたが、

それよりも一刻も早くシャワーを浴びたい気分。

病院内は感染予防に努めてくれていますが、

検査器具は顔をぴったり付けるものが多いので、帰宅後は全身シャワーを浴び、

バックもめがねも消毒しました。

今は緑内障だけを不安に思う状況じゃないですものね。

 

今ここにいる自分は、一人穏やかに、何の不自由もなく座って在ます。

そのことが、私のすべてです。

 

ちょっと心を自分の外に向けると、

たくさんの辛く悲しく切なく不安な状況に溢れています。

それは人ごとではなく、明日は我が身。

自分にも、家族にも、この地にも、この国にも 起きるかもしれない。

 

ひとつの不安からしばし開放されている今のうちに、

もう一度、感謝と、

今するべきこと、したいこと そして しないこと を、

確認しておこうと思います。

 

今年、どこから来たのか、ひまわりが一本だけ芽を出し育ち花が咲きました。

鳥さんが置いていったのかなぁ。不思議

 

読んでくださってありがとうございます。

皆さんが、明るい心で過ごせますように!!

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

診断の日~緑内障の記録その1

2020-07-30 19:23:57 | 緑内障

4週間近くたって、ようやく書く元気が出てきた?自分の緑内障のこと。

だらだらぐだぐだ続くので、楽しい記事を読みたい方はごめんなさい。

ご遠慮なくお帰り下さいね

                  

祖父も母も叔父叔母も従兄も、緑内障を発症している。

祖父は90歳目前で、老衰で亡くなったけれど、そのときは既に失明していた。

見えなくなった祖父に会うのが怖くて、私は祖父母の家に行けなかった・・・

母は60代で、新聞を片目で見て視野が欠けていることに気づいた。

70代になると、大好きだったコーラスの楽譜も見づらくて、テープに吹き込んで練習を続けていたけれど、

ステージに上がるのも不自由になって、74歳で退団した。

87歳の今は、たぶん指で作るちいさな穴からぼんやり・・という感じで、もうほとんど見えていない。

点眼や、レーザー手術などもしてきたけれど、進行を食い止めるのは無理だった。

私は、5年前の検診で、恐れていた「左目 緑内障の疑い」の通知が来た。

視野検査を受けた。

視野は正常だったけれど、「左目の視神経乳頭陥凹拡大」と言われた。

昨年の9月には視野検査で、「右目の上側がグレーな結果」だった。

お医者様は、「まだはっきり視野が欠けているわけではないし、上の方だから、様子を見ましょう。

また視野検査に来て下さい。」と曖昧だった。

それから時々自分で、片目ずつ、指を移動して見える位置を確認していたが、

先月末、右目の上側の視野が欠けていることに気づいた。

7月3日。覚悟を決めて視野検査を受けに行った。

視野検査は、「ハンフリー」という名で、片目ずつ、箱の中の一点を見つめたまま光が見えたらボタンを押し、

網膜の光の感度を測定する検査。

検査室の前で待っているとき、前の検査の方のボタンを押す音が「ピッ。ピッ。」と聞こえてきた。

ぼぉっと待っていた私は、その音の間隔にハッとして、思わず耳を傾けた。

間断なくスピーディーに押されている音・・・・(え?! あぁ、そうだったんだ・・・。)

何度も検査しているけれど、私の時は、ときどき静かな、機械が回る音だけが響く時間がある。

あれは検査の正確性を測るための光っていない時間だ とばかり思っていたけれど、

本当は私が光を感じられないだけだったんだ・・・。ばかだなぁ・・・・。

視野が欠ける前から既に、私は感度がかなり低かったんだ。

マスクをしたままの視野検査・・・しかも気落ちしたまま。

やっぱり「間」が何度も空いて・・・ドキドキが止まらず、とてもとても疲れたのは覚えている。

診察室のお医者様は初めての方だった。主治医とは思っていないけれどいつもの女医さんはお休みだったので。

その診察室で、どう言われたのか、正直記憶がない。

ただ、自分でチェックした右だけじゃなく、

左目の鼻の下側まで欠けていたということと、眼圧は両方とも正常範囲の14だったこと。

これから点眼が始まること。そんなことくらいしか覚えていない。

ただ、検査結果のコピーを下さいとだけは、言えたのだった。

覚悟していたつもりでも、

(右目の上側だけなら、生きてる間はほとんど影響ないかもしれない)(母のようにはならないだろう)と

内心期待していたことに気づきつつ、

現実は厳しかった。

両目とも欠損が始まっているという、予想以上の結果の悪さ・・・

もう一生逃れられない状況になってしまった・・・

これからは、私の視神経は少しずつ死んでゆき視野が欠損して行くのだ・・・

その進行の速度に脅えながら生きていくしかないのだ・・・・

そんなことだけが、ぐるぐると頭の中で回っていたように思う。

強く動揺していることを自覚したのは、帰りの車を運転している途中。

薬局に寄るのを忘れていたのだった。

さらに気落ちしながら来た道を戻り、進行を遅らせる「可能性にすがる」ための目薬を持ち帰った。

当分立ち直れないと感じた。

ずっと心臓がコトコト鳴って、ため息ばかり出て・・・

ブログに記録しておこうと思いながらも気力が湧いてこず・・・

母の状況をずっと見てきている。

期待できる治療は、未だにない。

死んでしまう視神経は取り戻せない。進行が止まる人もいるけれど母は止まらなかった。

視野が欠けてゆき、視力も落ち、光の変化に上手く対応できなくなり・・・・

母には父がいて、いつもそばで目の代わりになってくれている。娘の私もいる。

でも私には夫も娘もいないのだ。

いつまで日常生活ができるだろう・・・

誰かの手が常時必要になるかもしれない頃に、息子はまだ働き盛り。

人口比が極端になる日本・・・介護職の人も激減して福祉のシステムも期待できないだろう。

どんどん膨らむ将来の不安、不安、不安・・・・・・・

その日の夕方、ラインで伝えたら、サークルのお友だちが心配して家まで駆けつけてくれた。

病気の辛さを乗り越えてきた人だ。

なのにその優しさにも、素直に感謝を表す余裕のない情けない自分がいた。

ますます心が沈んでしまう・・・

7月3日に、試練が始まり、もう後戻りはできない。

これは私の人生のどんな課題?それとも恩寵?

生きているのが楽しくてずっと幸せな私が、

この世に執着せずに、ゆっくりじわじわ諦めて 去れるように?

点眼で目は充血し、

気持ちが落ち込むばかりなので、、、

せめてなにか明るい気分になれる物を買おう と、

友人に一緒に選んでもらったのは・・・目薬が一本入るオルゴール。

悩みに悩んで選んだのは、明るい明るい赤い色。

少しだけ、元気が出た。

これがそれから毎晩の、点眼の友。

                 

今日は診断後2回目の通院。

眼科は、たくさんの人でいっぱいだった。

前回の14.14から11.12に眼圧は下がっているので、

「(眼圧を下げるという)目薬の効き目は出ていますね。2か月後にまた来院を」

というだけの、短い診察で終わった。

聞きたいことがあったのに、やっぱり緊張で何にも聞けなかった。

今回は忘れずに寄った薬局でようやく、

点眼時の注意はないかを聞いてみた。

副作用を少なくするために瞳の真ん中には点さずに、下瞼に点すべきだというある眼科医さんの記事を読んだことを伝えて。

でも「それは聞いたことがないですねぇ」とのことだった。。

そういえば診察室でお医者さまが、目薬は何本要りますか?とお聞きになった。

そんなの患者が決めるのかとびっくりし、

点眼すべき適切な量を処方すべきではないのかなんて、心に思ってしまったけれど、

人によって点しそびれて余分に必要な人もいるのだった。

しかも母の目薬を処方してもらうとき、父に残量を聞いて、

私が母の主治医さんに毎回必ず、「今回は4本お願いします」とか「今回は3本でいいです」とか言ってきていたのに!

なんだか心もひねくれてきそうで、反省反省。

眼科の帰りに、北海道神宮へ参拝し、緑いっぱいの桜や梅の小道を歩いて来た。

晴れ渡った空の下を一人のんびり歩いているうちに、なんとなく平和な心を取り戻せたような気がした。

そうそう、神宮でひいたおみくじは・・・運勢「吉」

「ゆきくれて まよえる野辺のほそみちに さやけき月の かげはさしけり

(一人歩いているうちに辺りが暗くなってしまい、野原の細い道をさ迷う私に、清らかで明るい月の光がさしてきたことだなぁ)」と自分なりに解釈してみました。

(間違いがあったら恥ずかしい・・・「なんちゃって国文科」卒

行き暮れて・・・って、暗くなるって、なんだか象徴的。

そして「さやけき月の影(古語では光)」というところに、希望が・・・。

病気・・・「思わず早くなおる」とも書かれていたのが、(治らないのです)と呟きつつも嬉しかったり。

この場合の病気は、心の、でしょうね。早く精神的に立ち直らねば。

                     

この肉体が「限りある物」だという事実は、この世のお約束。

頑張ってくれている目にも、

そして私の体の全~部にも、

今まで以上に感謝して大事にして、

やっぱり生きてるのは楽しい!幸せ!って思いながら暮らしたい。

そうしなくちゃ、もったいない。

                     

今生きているすべての人は、

そして当然 私自身も、

命というものがこの世に生まれて以来、

絶えることなく、

気の遠くなるほどの繰り返しで続いてきた結果の命だ。

奇跡の連続の命だ。

天変地異や戦争や災害や病気やたくさんの感染症や・・・

そんなすべてのことを乗り越えて、奇跡的に引き継がれ続いてきた命だ。

そして、自分はその繰り返しの中のほんのひとときを、この肉体に宿らせていただいた命だ。

それを思い出すと、尊くありがたく愛おしく・・・

だからね、きっと何もかもなんとかなる。 大丈夫。。。。

頑張れる。。。

駄文に長々おつきあい下さった方・・・ありがとうございます。。。

コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グレーな結果の視野検査

2018-01-25 23:13:35 | 緑内障

2015年の7月に、

「1年後にまた視野検査を受けてくださいね」と言われていました。

(過去記事→「緑内障の疑い」「疑い晴れて」)

なのに2年半も経過してしまいました時の過ぎるのは速い・・・

で、予約して今日視野検査(ハンフリーというらしい)を受けてきました。

 

ハンフリーは、

片目ずつ、

箱?の中心の小さな光を見つめた状態で、

周りに出てくる小さな光が見えたら手に持っているボタンを押す、という検査です。

その光は、あれ?今のは錯覚?というような薄いのもあり、光る感覚も一定ではないので、

数秒何も見えないと、見えていないのかと不安になるし、

小さな光から視線をそらさずに、あちこちに出てくる光を確認しなければならないので、

と~っても緊張します。

左右で20分くらいかかります。

 

結果は・・・

「今のところ大きな問題はないけれど・・・

(え?けれど???)

右目の一番上の方にちょっと影があるようです。まぁ中心じゃないから大丈夫でしょう」

と先生。

「え?それは、そこの視野が欠けていて緑内障になっているということですか?」

と聞く私に、

「まぁ目薬を処方するところまでいっていないから、様子を見ましょう」

と先生。

「え~と、それは緑内障と診断はされる ということですか?」

としつこい私。

「まぁ、その手前か・・・。瞼のせいもあるかもしれないしね。」

と先生。

瞼なんか下がっていないし。。。と思ったけれどそれは言わず、

「2年前の検査で視神経の形で引っかかったのは左だったのに、今回は右目なんですね?」

とさらに質問する私に対して、そういうこともありますよ、とおっしゃり、

「ご家族に緑内障の方が多いということだから、また来年検査に来て下さい」

ということで、はいおしまい!という雰囲気になった・・・・・・・・。

 

とにかく今のところは、緑内障に限りなく近い状態、ということ、かな。

 

 

う~む・・・クヨクヨしても仕方がないので、

今は自分の目にひたすら感謝して、感謝して、感謝しましょう・・・・

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする