宮美庵

幸せはいつだって、わたしの中に。

幸せは どんなときも 私の中に・・・

父との 最期の時間

2022-07-16 17:19:41 | 家族・親戚

父が体を離れてから、3週間以上が経ちました。

 

その3日前、お医者様に

「僕はもう91年も生きてきて、何の悔いもないです。今は女房のそばにいなくてはならないので、何としても退院します。」

と言った父。

母や長男の陽性の心配が嘘のように晴れて、

91歳の誕生日の次の日、

言葉通りに退院を叶えたのでした。

 

それからの2日間は、

表面的にはいろいろありましたが、

何か静謐で、穏やかな幸福感さえ漂う時間でした。

「あぁ、家はいいなぁ。平和だなぁ」としみじみ喜び、

青空を眺め、

いつも親しんでいる母の歌を聴いたり時々一緒に口づさんだり。。。

誕生日のお祝いに、ジュースで乾杯したり 

急遽作ったちらし寿司を一緒に食べたり、

「入院していた時は会えなくて寂しかった。帰ってきてまた一緒にいることができてほんとに嬉しい」

と語ったり。。。

 

 

そして3日目になったばかりの6月20日未明、

母の隣で不規則な息をしながらも 眠ったまま、

苦しむ様子もなく、 

私の目の前で、

父はごく自然に 息を止めたのでした。

 

 

私の長男と次男が泊まり込んでくれていました。

看護師の長男が、父が体から離れたことを見届けてくれて、

母と二人で父の手を握って最期の歌を歌いました。

 

悲しいけれど暖かい時間でした。

 

 

 

詳しいことは控えますが、

父はかけがえのない体験を、たくさんさせてくれました。

中でも大きかったことは、、

その2日間と葬儀や家の片付けの間中、

普段はそっけない二人の息子たちが、どれだけ頼もしく、心優しく、落ち着きある人になっていたかを、

驚きとともに感じさせられたこと。

そんな機会をくれたことだけでも、父に感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

親戚のありがたさも、

弟家族の存在の大きさも、

ひしひしと感じさせられました。

父の希望通り、家族だけの小さな葬儀でしたけれど、

その二日間もなんだか暖かい時間でした。

 

 

 

 

今は母と二人で実家で暮らしています。

認知症が進んで父の死を忘れている母ですが、

やはり体調や精神状態はどこか いつもと違っています。

朝 目が覚めたとたんに、「私は生きている意味があるのかな?」なんて言うことがありドキリとさせられます。

 

見えない、記憶もすぐに消えてしまう、

そんな母が、

不自由をあまり感じずに暮らせるようにしながら、

私自身も自分の生きている意味を、

生きている幸せを、

見失わないように、

過ごしてゆきたいと思っています。

 

 

母はデイサービスに週4日通うようになりました。

時々ショートステイを利用することで、

私自身もリフレッシュできる時間を、ちゃっかり持てるようにしていきます。

 

父が、急いで母を連れて行ってしまわないように、

安心して見てもらえるように、、、。

 

 

 

 

父が毎日餌をやっていた鳥たちが

今日も庭に来ています。

ご近所には迷惑かけていそうだけれど、

私は父がしていたように、今日もそっと餌を置いてしまいました。

 

庭のブドウが、今年も青い実を日に日に大きくしています。

もう一緒にそんなことを父と喜べないんだなぁと思いながら、

しんみりしてしまう、

そんなこの頃です。

 

 

 

前回の投稿やその後の空白で 心配くださった皆様

すみませんでした。

ありがとうございました🙏

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする